「見習い天使」

今日は蓮池さんたちの「見習い天使」上演の日です。
とりあえず徳島から見に来られたK野さんと合流。とりあえず、某所にある立ち呑みで昼ごはん。うーん。ちょっと足りないから、天一で追加の昼ごはん。うわ、お腹いっぱい^^;;。

で、昨日の電話通り2時すぎに会場に到着。わたしの役目は、鈴木重子さんの歌と電子ピアノの音量バランスのチェックだとか。んなもん、できますかいな^^;;。でも、ほんとの役目は受付だったりします。K野さんも一緒に会場案内をしたりして。
で、お芝居開始。
泣きました(;_;)。
いや、ところどころに違和は感じます。それはしかたない。でも、それを超えて、泣きました。ちなみにK野さん、見終わって「泣きそうやったわ」って、あんたも泣いてたやろ(笑)。

で、帰らなきゃならないK野さんを送りがてら、もんじゃとZIMAでフェアウェルドリンクです。

で、K野さんを見送って、夜の部の受付。その後観劇。
2度目はさすがに「落ち着け、自分!」みたいな感じで、少し落ち着いて観ることができました。

その後交歓会→片づけ。
で、なぜか宿舎にわたしも移動^^;;

人権教育の三課題

今日は某人権教育関係の研究会の総会です。午前の総会は、まぁまぁ(^^)。
で、午後は記念講演。講師は金明秀さん。講演のタイトルは「人権教育の三課題」です。
基本的にはこのスライドの内容ですが、それを人権教育向けにリメイクされた感じです。

まず、差別の仕組みとしては、「見下し(序列化)」と「遠ざけ(差異化)」がある。で、差異化への抵抗言説としては「平等性」があり、「序列化」への抵抗言説としては「衡平性」がある。ところが、それ以外に「同化」というのがあって、それへの抵抗言説として「承認性」がある。
で、ある人権課題のとりくみをするときは、常に2方面作戦をとらないと、ひとつの反差別の言説が他の差別を引き起こす。
まぁ、そんな内容でした。非常にわかりやすかったです。
で、いろんな質問が出て、話の内容がさらに深まったのですが、わたしも質問しました。「ミョンスさん、なんでこんなこと考えるんですか?」って。で、ミョンスさんは生い立ちから少し話をしてくれました。つまり、在日の生い立ちの中には「同化志向」と「異化志向」が常に混在していて、そこが不毛な争いをする。それをどうにかできないかってことでした。
なるほどなって思いました。
例えば…。
「新渡日の子どもたちへの日本語指導」に対して、とある在日外国人教育関係のグループ(笑)は「それは同化だ!」という批判をかつて強くしていた。まぁ、いまは「母語保障も大切だよね」「日本語指導も大切だよね」となってきていますが。
あるいは、解放運動をめぐる話も似ているかと。
なんしか、ある現象に対して、一方向の抵抗言説だけで進めると、他の方向への差別につながってしまう。
で、両方やれって話ではなくて「意識する」ことの大切さなんですね。いま、自分はどの言説の脈絡で闘っているのか。それを意識化すること。
そんな話でした。

にしても、やはり「アイデンティティ・ポリティクス」ですね。承認原理。ミョンスさんはやはりここへのこだわりは強いです。それは当たり前だと思うのですが…。
わたしはもともと「パラムの会」の影響を強く受けているので、このアイデンティティ・ポリティクスについては「うんうん」と思うのですが、なかなかそうはいかないのかなぁ。

ドキドキ→やはりここだ!

「おべんきょ結果」の〆切は今日(消印有効)なので、とりあえず郵便局へ。いちおう封筒に入れていったけど「これならこっちの方が40円安いですよ」と貴重な意見をいただいてレターパックライトに詰めて送りました。
肩の荷が下りて、ほっと一息です。

で、向かうはウトロです。なにせ今日は久しぶりの焼肉。前回はいつだったっけ…。2年前かぁ
今日はサムルをするので、早めに行って練習です。この間の練習の時にはじめてお会いしたK口さん、もはや来ておられて真剣に叩いておられます。まさかとは思うけど、もしかしたら、ちょっと緊張気味?でも、サムルに似合うのは笑顔です。「笑って笑って」。
その後、学生さんが来られたので、あたりを少しだけ案内しようかと思ったら、KムKヮンミンさん引率のもとコリアNGOセンターのみなさんが登場。せっかくなので合同であたりを散歩しようかなと思ったら、「いつものハンメ」が登場。

メッチャいい話を聞かせてもらいました。にしても、「あの男がな、連れて行ったんや」とか言ってる体験談、よくよく聞いたら秀吉の朝鮮侵略の話だったみたいです。まるで見てきたみたいです。

そうこうするうちに、焼肉開始。今日はあまり手伝いもいらないみたいなので、いきなり食べることにしました。んまい!もちろん、ビールは共同作戦をはっているダメダメ先輩持参の○ビスです。それにしても、KクCヌンさんと仲よく呑む日が来るとは、今から10年前には考えられなかったことです。と、お呼びがかかりました。サムルをするとか…。何年前だっけ、農楽隊でそろえたピンクのトゴリに着替えてプクを持って仮設ステージ*1に移動。さてさてどうなるかな。うん、K口さんも笑顔。SニさんとCョンヒョンのからみもうまくいった。きっと、今ここにはいないJョンジャさんが守ってくれた?いや、一緒に叩いてくれたんだろうな。
あとはみんなで呑んで食べて歌って踊って。いつものウトロの焼肉です。
最後に農楽隊でパチリ。懐かしいなぁ。また一緒に叩きましょう。

気がつくと片づけがはじまってるけど、まだまだ呑んでしゃべっているのもいつものパターンです。すみませんすみません。

*1:ブルーシートの上にゴザを敷いた

人の話は最後まで聞こう

今日は午後から某在日外国人教育関係の会議です。ちょうどそれにあわせて、神奈川からお客さんが来られたので、1時間ほど話。
午後からの会議は白熱します。特に、今日は鳥取からS口さんが来られたので、なおさらです。でも、いいことです。論議を尽くす。
論議そのものはよかったんですけど、ずっともやもやしていたものがありました。というのは、論議の発端となったできごとが去年の夏にあったんですが、それの評価をめぐってのことです。
なんか、その「できごと」。一連の話があったはずなのに、それのはじめのところでぶった切ってしまったような印象がどうしてもあるんですよね。最後まで聞けば、違う話だったんじゃないかと。というか、誤りを指摘するにも、最後まで聞いてからじゃないといけないんじゃないかなと。
でも、これは「後だから言えること」。その時その瞬間の話そのものをどうこういうわけではないし、そういうつもりもないです。というよりも、ぶった切ることの必要性もまたある。
ただ、そんなもやもやがあるということです。

問われるのはこれから

朝、「今日は忙しい一日になるだろうな…」と思いながら出勤です。
とりあえず2時間授業をさっくり終えて、一息つきます。と、内線電話。来られたか…。
てことで、今日は午後から「人権公演」です。去年は桑山さんをお呼びしての公演。今年はちゃんへんさんです。
実はちゃんへんさん、8年前にお会いしています。てか、放送担当しただけなんですけどね。でも、あの時からぜったいに呼びたいと思っていたんですよね。で、今日、それが実現するわけです。

とりあえず体育館で準備開始。ちゃんへんさんは入念にウォームアップされます。
途中、「覚えてはりますか?」と無茶ぶりをすると「覚えてますよ」と、これまたうれしい答が返ってきました。
そんなこんなしているうちに、いよいよ開始です。
ひとつひとつのパフォーマンスにみんな大喝采です。そりゃそうです。世界屈指のパフォーマーですからね。生徒だけじゃなくて、教員もみんな食い入るように見つめています。
そしてトーク。日朝関係史からはじまって、自分の生い立ちやそこで考えたこと。笑いを交えながらも、ずきんとする話が続きます。気がつくと、前にいる生徒が泣いています。
で、ラップ。いろんなものがつながっているんですね。
あっという間に2時間が終わりました。

うちの生徒の中には当然「ウトロ関係者」がいます。なかには
「センセイ、なんで知ってるねん」
「いや、風のうわさでな」
みたいな話もあるのですが、せっかくなのでちゃんへんさんに会わせにいったり。

崩しの間、ちゃんへんさんはクールダウン。そこにクラブをしに来た生徒が寄ってきます。ステージの上とは違う、目の前で繰り広げられるディアボロのパフォーマンスは迫力が違います。思わずみんな
「握手いいですか」
「写真いいですか」
さらには
「サインいいですか」
おいおい。うらやましいから、わたしも便乗(笑)。

さてと、楽しい時間は終わった。
でも、ここからなんですよね。ちゃんへんさんの力を借りて、次に自分たちが何を伝えられるのか。力は借りるだけ。頼っちゃいけない。

行きたくなかったなぁ

今日は大阪で「いらんことしぃ」が「いらんこと」をやるそうな。行きたくないけど、しかたないので行くことにしました。
とりあえず道頓堀橋の近くで腹ごしらえ&燃料補給。
で、「ヤツら」の集合場所へ。
あとは並走しながら抗議行動。とはいえ、普通には並走させてくれないので、あっち行ったりこっち行ったり。たぶん、普通に歩く1.5倍くらいの距離を走ったんじゃないかなぁ。疲れました。

立て直さなきゃな…

「卒業生の会」の翌日は「京都在日外国人生徒交流会」です。さてさて、今回はどれくらいの参加があるのかなぁ。
卒業生のうち急ぐ連中は帰っていって、残ってくれるふたりとしばしまったり。てか、みんな寝てるよ(笑)。
そうこうするうちに、現役登場。
うーん。今回はひとり…。これ、交流じゃないな…。
でも、いいんです。きっと「学校では話せないこと」が、ここなら話せる。だから、それを聞き出すことが今回の交流会の目標です。一緒に餃子の皮を伸ばして、一緒に包んで、和やかな時間を過ごして。一緒にごはんを食べて、「おいしい!」って声をあげて。いろんな夢を語りあって、そんな中から「今」の話をボチボチと。そっか、そんなことがあるんだ…。
なんか、結局、16時終了予定が、ダラダラと17時までやってました。
きっと、こんなのもありなんです。
でも、やっぱり立て直さなきゃなりませんね。

で、そのまま再び京都府南部の在日の集住地域へ。こないだ「チャンゴの練習、久しぶりにやろ」って連絡があって、これは行かねばならんだろうと。
なんか、久しぶりにケンガリの音にあわせてチャンゴやプクを叩いて、血が騒ぐというかなんというか。「腕が動かん(;_;)!」とかグチりながらも、やっぱり楽しいですね。「次で終わりね」って演奏して、やっぱり「もっかいやろ!」ってなって。そんなことを何回か繰り返して、8時半くらいに練習終了。
で、近くの居酒屋で乾杯。いまはここにいない人のことにしばし思いを馳せたり、これからの話をしたり。
たしかにここの「運動」からは遠ざかったけど、違う形でかかわりつづけることも可能なんだと思いたいし、そうやってかかわってきた。そしてそれは、決して実現不可能なことではないってことを、なんとなく感じることができたかな。
物理的な距離はちょっと離れたけど、心の距離は少し近づけよう。

右往左往

朝、来年からのおべんきょ場所に行って書類を出してきました。にしても、遠いわ(;_;)。でも、これに慣れるしかないですねぇ…。

昼からは京都市内で某在日外国人教育関係の会議です。午前の用事が長引いたため、かなり遅れての参加です。そのため、会議中の雑用は山のようにあるわ、見事に論議に乗り遅れてしまうわ。まいったな(;_;)。

で、会議が終わったら、京都府南部の「第二のふるさと」の近くの街へ。ここで合流したのは元教え子。3年間担任をして、なんというか、まぁいろいろ(笑)あった子です。「子」といっても、30過ぎですけどね。
ほんとに立派になってくれていて、すごくうれしかったです。こんな書き方は、あまりにもステレオタイプなんですが、これ以外書きようがないんですね。
その子が卒業してから17年かなぁ。17年ぶりに会えたわけです。ほんとにうれしかったです。
で、一緒に飲んで、楽しい時間を過ごして、再会を約束してバイバイ。

そこから東九条に引き返して、「卒業生の会」です。
今回は人数は少なかったけど、でも、いつもの通りまったりとした会になりました。が、わたしは途中から横になりはじめて、これはアカンなと思ったところでダウン。
夜中にメッチャ大きいイビキに起こされて、とりあえずベッドに避難。
寝よう…。

第二のふるさとにて

今日は某研究会の冬季現地研修会。平たく言うならフィールドワークです。にしても、フィールドワークづいています。
向かった先は、わたしにとっての「第二のふるさと」です。案内してくださるのは、ものすごくお世話になった人です。今回はワンプッシュもなく(笑)。
というか、今回のフィールドワークは若手教員にたくさん来てもらうものなんですが、たぶんみんな、わたしのことは「誰?あの人。なに?あの人」みたいな感じと違うかなぁ。だって、案内してくれる人とメッチャ親しく話をして、冗談言いあって笑っているわけですからねぇ。
でも、地域に根ざしていろんなことをやれば、こうなるんですよね。そんな教員がいることも知ってほしいなぁ。

フィールドワークは…。まぁ、人数多すぎました^^;;。でも、わたしも知らないことがいっぱいわかったりして、とてもよかったです。

フィールドワークのあとの講演。まずはご自分の話をされましたが、これがすごい。なんというか、もしかしたら、若手教員のみなさんにはわかりにくかったかもしれませんが、その「わかりにくさ」から出発して「知ろう」と思ってくれたらいいなぁと思いました。
なんというか、「わかりやすい話」は、たしかにわかりやすいかもしれませんが、そこから広がるものが少なくなる可能性がある。逆に「わかりにくい話」は、そこで終わってしまうかもしれないけど、それをわかろうとする過程で広がりを見せる可能性を持つ。で、その可能性を広げるのは、たぶんわたしたち「非若手教員」なんでしょうね。
もらったものを、どうつなぐか。そこが問われてる気がしました。

Nothing about us without us

今日は午後から出張で、とある研究会に参加です。その研究会、ある種「異種格闘技戦」でして、ふたつのジャンルの違う研究会と「管轄」が違う3つのグループ、つまり合計6団体からひとつ抜けた経緯があるので、5団体の合同研究会です。となると、当然出てくるレポートもテイストが違うわけで…。
で、どうなることかと思っていたのですが…。
うーん
きついですね。とある学校のユネスコスクールにかかわるレポート。なんでも、英語で討論してはるそうな。まぁ「よくおできになるお子さんたちですな」と聞いていたのですが、なんかもう、とても違和感。で、わかりきったうえで質問。
「あの、参加者の中に、どんなジャンルでもいいので、なんらかのマイノリティ性をもつ子どもってどれくらい参加してはりますか?」
もちろん答えは
「わかりません」
です。これはきっと「把握できない」ではなく「関心がない」なんでしょうね。
いや、やってることは立派です。考えも立派です。でも、決定的に欠けているものがある。それは

Nothing about us without us

です。
例えば、貧困や格差について討論し、なんらかの結論を出すなら、貧困な状態に置かれている子どもが「アプローチできない仕組み」でものごとを決めてはダメでしょうってことです。それを障害のある人々は主張し、認めさせてきた。その歴史から学ばなきゃと思うわたしは、あの場では変わりもんだったんだろうな…。