曲げ代と伸び代・雪と氷の世界(1日目)

これから3日間、上級者のレッスンです。
はっきり言って、難しいです。だって、初級者とか中級者なら「新たな技術の習得」が目標になるけど、上級者となると、一通りなんでもできるわけで、そんな目標はありません。どちらかというと、技術を洗練させることが目標になります。でも、それをしながら、お客さんが「獲得した」という実感を得てくれないといけない。それが難しい。しかも、3日間。長丁場です。
てことで、今日の目標は「高い姿勢」です。
最近のスキーの流行はカービングです。姿勢は低く見えます。でも、実際は違う。というか、「目に見える高さ」と「姿勢としての高さ」は違います。「姿勢としての高さ」には脚部の「曲げ代」と「伸び代」がある。これが姿勢が低くなってしまうと、一番大切なのな「曲げ代」がなくなってしまいます。そうすると脚部を「伸ばす」以外選択肢がなくなって、それはおそらく後傾へとつながっていく。
姿勢の高さをもたらすのは、腰の位置です。いかにして腰を高く保つか。これを言い換えると、「脚を長く使う」という感じかな。「脚が長い」とてこの原理でスキーに伝わる力が小さい力で大きく伝わります。
てことで、ひたすら高い姿勢を求めて、いろんな練習。さらにはその姿勢のままで脚を左右に振って、エッジを立てる練習。そんなことをする1日でした。
しかし、「曲げ代」とか「伸び代」とか。はたまた「腰の位置」とかなんとか。「ものを考える」時にも使えそうだな…。

大切なことを忘れて、雪と氷の世界へ

いよいよ今日から最後の決戦がはじまります。泣いても笑っても、約2ヶ月。その先には、ヤツらの結果が待っています。
セレモニーを終えて、いきなり授業。ま、わたしは週明けの試験勉強をさせたわけですがね。にしても、みんな、見事に忘れてますねー。数学なんてのは、常に触り続けてナンボです。それを怠ったらえらいことになるのです。だからこその「冬休みの友」なんだけどね。
仕事を終えたら、さて出発。こないだ「来てくれ」って言われたから、まぁ行こうかなと。
ところが、約3時間ほど走って休憩して、メール見ると
「先生、忘れてませんよね」
とのメールが入ってました。
「あ!」
瞬間心臓が止まるかと思いました。今日は放送部の卒業生たちとの新年会です。でも、すでに長野県。平謝りに謝る以外ないな(;_;)。
てことで、10時すぎに到着。
さて、3日間、がんばるか…。

今日は理論のかけらもなく・雪と氷の世界(3日目)

今日のお客さんは小学校中学年の子ども一人。
さてと、どうする?なにせ、雪がないからコースのバリエーションがない。かと言って、まともなレッスンしても、そんなに意味があるとも思えない。
というか、子どもにとって一番大切なのは安全です。安全を担保することで、楽しむことができる。もちろん楽しむことの中にはチャレンジも入ります。でも、チャレンジと無謀は、また違います。無謀な挑戦は怖さを生み出し、それは姿勢の崩れや、さらには最悪ケガにつながります。そしてそれは「スキーの楽しさ」を奪ってしまう。
でも、与えられたシチュエーションの中でインストラクションするのが仕事です。てことで、少ないコースの中でもコースどりを考え、シュプールを変え、スピードを変え、変化をもたせながら、ひたすら滑り続けました。
午後からはストックをポールに見立てて滑ってみたり、遊びの要素も入れて、一日のレッスン終了。
たぶん楽しんでもらえたかな。そして、たっぷり疲れてもらったかな。ぐっすり寝て、明日のスキーも楽しんでもらえたらうれしいな。

理論的に攻めよう・雪と氷の世界(2日目)

スキー板をつくる技術はどんどん進んでいます。それにともなって、滑るための技術もどんどん変わっていっています。でも、どこか違和感がある。それは、「技術ってそんなに根本的に変わるものなの?」ってことです。
例えば、鉛筆と紙の時代に文章をつくる時のスキルと、パソコンで書くようになってから文章をつくる時のスキルは、たしかに違います。が、そういうマテリアルに左右されない、根源的な「スキル」はあると思います。で、そこは変わらない。
ところが、なんとなく昨今のスキー技術って、前のことを全否定して新しいことをするということが、あまりにも多すぎる気がします。でも、スキーってしょせん、板を使って雪面を滑るスポーツです。使うマテリアルは、スキー板とビンディングとブーツとストックです。そこに変わりはない。なので、根源的に変わらない部分は山のようにあるはずです。それを全否定するのは、やり過ぎなんじゃないか。
なんでこんな話が出てくるかというと、今日のお客さんは上級者で、いろんな技術の最新情報を持っておられる人です。下手すると、「過去の技術の全否定」すらしかねない。そんなお客さんに「過去の技術を継承しながら新たなマテリアルに対応したスキル」を考えてほしいと思ったのです。
てことで、ここは理論的に攻めることにしました。
「スキーってのは、こう動いて、それに対して身体はこう動いて。だから、理論的に考えると、このタイミングでここがこうなってあそこがこうなるのは必然なんですよね」
みたいな。で、実際それをやってみると、そう動くのが面白い。やったことがない練習課題も、やってみるとできてしまったりします。そういうふうにしながら、上級者特有のクセを少しずつ減らしていく。そんなレッスンの一日でした。
それにしても疲れた。
レッスンが終わって、しばらくトレーニングしたら、もう眠くて眠くて…。

頭を使う・雪と氷の世界(1日目)

先シーズンはスキー人生の中ではじめて滑走日数0でした。でも、仕方ないですね。だって、「おべんきょ結果」を書いていましたから。てことで、2年ぶりに雪と氷の世界に行くことに。と思いきや、到着したところは、雪と氷と地肌の世界でした。あまりにも雪が少なすぎる。でも、お天道様には勝てません。
8時半に到着したら「お客さん、いるからね」とのこと。てことは、9時からレッスンか…。30分で支度をしろと。
今日のお客さんは中級者の方おひとり。実は、何度も一緒に滑っています。今更何をしろと。でも、とりあえず滑りを見て、課題を決めました。
課題が決まったら、それを克服するためにどんな練習をすればいいのか。ひたすら考えます。スキーの「クセ」というのは、それそのものを何とかしようと思ってもまず無理です。いろんな練習課題をしながら、そのクセがとれるような動きを少しずつ入れていかなきゃなりません。そのためには、トライアンドエラーです。でもそれでいい。少しずつ少しずつ修正をしていって、ある瞬間、フッとクセが消える。そんな感じなんです。
今日も1日、いろんなことを試してみて、でも3時過ぎには一番はじめに何とかしたいと思ったクセが抜けていました。これはかなりうれしかったです。
レッスンのあとは2年前に買った板に履き替えて、しばしトレーニング。
てことで、心地よく疲れた1日でした。

年末のごあいさつ

今日も午前は赤点の子らの相手…。と思いきや、時間変更があったらしく、すでに終わっていたというオチでした。まぁ、ひとり「ひとこと」言わなきゃならんヤツがいて、そいつを捕まえられたからよしとしましょう。
で、職場を出て、地域連携しに行きました。
この地域連携、かつては丹念にやっていましたが、社会情勢の変化とか、その他諸々の変化の中で、ここ数年あまりしなくなっていました。でも、最近、地域連携の大切さをあらためて感じることがあり、かつてほどではないにしろ、きちんとやろうという気になりました。
あらためて感じたのは、地域は待ってくれているということです。地域から学校に働きかけることは、実はとても難しい。でも、学校から地域に働きかけるのは、ルートさえあればさほど難しくない。そして、かつてそのルートはあった。そのルートを知っている人にとっては、とても簡単なことです。そして、働きかけたら、ちゃんと受けとめてくれます。
高校ではできない、とてもきめ細かなことが地域や中学校にはできます。その人たちの力を借りながら、よりたくさんの網の目で子どもたちをサポートしたいな。そんなことを考えながら帰路につきました。

帰りに、ふと前のおべんきょ場所に行ってみました。みんなきっと鉄火場だろうなと思ったら、やっぱり鉄火場でした(笑)。
がんばれ(^^)。

一緒に歩こう!

朝、一通のメールが来ました。なんでも、とある場所で
「来年度、いつきさんが引き受けてくれた」
って発表したら、拍手の嵐だったとか。いや、ほとんどネタに近い引き受け方で、ネタに近い仕事を引き受けたんだけど、それが拍手か…。でも、「爆笑の嵐」でなくて、よかったよかった。

で、午後はSEALDsKANSAIのデモ。「あれ」から3ヶ月たったけど、怒りはおさまってない。
「民主主義ってなんだ!」「これだ!」
「ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、押し返すからな!」
約二時間練り歩きました。ちなみに、練り歩いたコースの後を見たら「9」の字です。

デモのあとは、少しだけ呑み。でも、今日は用事があるから、帰らなくちゃ…。

こんなフィールドワークもいい

どうやらわたしは「人」にあまり興味がないらしいです。こないだ生徒にも言われました(笑)。かと言って、「自然」に興味があるかというと、ないわけじゃないけど、そんなにガッツリとあるわけでもない。じゃ、きれいな町並みが好きかというと、ぜんぜん興味はありません。じゃ、なにに興味があるかというと、例えばトマソン的なものとか、人の生活臭のするものなのかな。「人」そのものではなく「痕跡」に興味があって、その痕跡から「人」を感じる。たぶん、そんなあたりなんでしょうね。
そんなわたしにとって、「竹田地方」はうってつけのところのようです。というのは、このあたり「隠れキリシタン」の痕跡があるとか。なので、連れて行ってもらいました。
うわぁ!こ、これは!

T字型の十字架です。
別のところに行くと、こんなものが…。

隠れキリシタンの洞窟礼拝堂です。前の白い扉、実はカギはダミーでかかっていません。中をのぞくと…。暗くて何も見えない。けど、ストロボをたくと…。

ぼんやり十字架が浮かび上がります。
こんなものが武家屋敷のすぐ裏手にあるんですから、江戸時代の武士たちがこっそりキリシタンやってたんだろなとか、妄想が広がります。
時間はちょうど5時すぎです。この暗さがいい。きっと、こんな時間にここに集まってたんでしょうねぇ。

てことで、フィールドワークを堪能したところで、懇親会会場へ。
友喜荘」というところです。
雰囲気、最高です。料理おいしいです。ビールはヱビスです。
そんなところで、いろいろ話。楽しい話も、しょーもない話も、ちょっとつらい話も、こんな時は大切です。
もしかしたら、こういう時のわたしは「マレビト」的ななにものなのかもしれません。ふだん誰にも言わないことを、ふと話す。それは「わたし」に話しながら「自分」に話すこと。すでに結論はわかってる。でも、「自分に話す」ことで、その結論を発見する。
わたしは、ただ、そこにいるだけ。

8時すぎにおいとまして、そこからK村さんのおうちへ。
暖炉で焼いたピザをごちそうになりながら、呑み直しです。
楽しい夜はまだまだ続きますo(^^)o

松代大本営

せっかく雪のない時期に長野市に来ているので、やはり「松代大本営」に行かなきゃならんでしょう。
ただ、昼のしなので帰る人もいるので、朝のうちにサクッと行くことにしました。
タクシーに乗って、なんしか松代へ。実は詳しいことはまったく知らないので、とてもわくわくしています。
入坑料は無料!けっこう維持はたいへんだろうに、やはりそれ以上に「残す」ことと「公開すること」の大切さを優先してるんでしょうね。
さてと。坑道の入口です。

坑内に入ると、なんか、もう。すごく長い!

はじめのうちは狭い坑道でしたが、どうやらそこは入口部分の通路みたいです。やがて、広い坑道に出ました。

後で聞いたところによると、ここに居住スペースがつくられていたとか。
で、この坑道、横に全部で20本。それらをつなぐ坑道が縦に走ってます。

坑内はきちんと整備されていますが、それはのちに整備しただけじゃなくて、もとのつくりがとてもしっかりしているってことです。坑道は広いし天井の高さも高いです。圧迫感がまったくありません。東京の機能を移して居住を考えてるわけです。で、その居住者は、もちろん日本人で軍部の中枢の人です。だからこそ、こんな立派な坑をつくった。そのあたりは「どんづるぼう」や「丹波マンガン坑」とはずいぶん違います。
それにしても、歩いているうちに笑いがこみあげてきました。だって、アホや。こんなもんつくって、それであの戦況がどうにかなるわけがない。でも、戦争ってそんなもんかもしれません。もう前へ進むことしか考えられない。なので、アホとわかっていても、いや、もうそれすら考えられない。
で、その壮大なアホな行為のために、たくさんの命が奪われ、たくさんと土地が奪われ、たくさんの人生が奪われた。
で、この「アホ」は、当時だけのことなのかというと、今も現在進行形で続いてる。そして、日本政府はそこに参加したがってる。いや、もしかしたら、政府だけじゃない。サイレントマジョリティもまた、そこに参加したがってるのかもしれません。「自分は大丈夫」って思いながら。

坑道から出て、資料館へ。
こと手の施設にはもれなくついてくる「慰安所」の存在に暗澹となります。しかもそこにいた女性はたった4人。身体に痛みが走ります。
資料館をあとにして、歩きはじめました。のんびりした里の光景が目の前にあります。その裏山に「あんなもん」がある。

そのギャップにめまいを感じながら、なぜか「真田宝物館」へ(笑)。
あかん、おもしろくない。どうやら、わたしの関心は、人ではなく、自然でもなく、人工物。それも整ってない人工物らしいことがわかってきました。なので、唯一おもしろかったのが「古地図」でした。だって、千曲川神田川の合流点で、街の門の外にある「馬喰町」に一軒だけある家とか、メッチャ興味がわくじゃないですか!

てなことで、松代をあとにしました。

手放すとき・全同教2日目

朝、身体が動くのかと心配した昨日でしたが、案外マシみたいです。
てことで、分科会場までテクテク。途中、高知の人たちがバスから手を振ってくれたりして
「なんで長野で高知の人と会うねん」
と少しうれしくなるのも、全同教の楽しさです。
今日のレポートは3本。
まずは、ひとりの子に徹底的にかかわりつづけた人からのレポートです。ほんとにすごいです。小学校の担任なのに、高校生になってもかかわりつづけている。しかも、メッチャしんどい家庭のメッチャしんどい荒れたくりの子どもです。でも、レポートからはそんな荒れたくった子どもの姿が出てきません。きっとそれは、その子をまなざすレポーターの目線であろうし、レポーターに見せるその子の姿なんでしょうね。でも、聞けば聞くほど疑問が湧いてきます。それは崩壊した家庭が家庭をとりもどす時、自分もその片隅にいたいというあたりです。真意はよくわからないけど、違和感です。というか、わたしの根本的な考え方は「子どもは自分の力でその子の道を歩む」です。なので、ある子と別の子をつないで、わたしは静かにフェードアウトしていく。その引き際、手の離し際が勝負なんだと思っています。逆に、手を離さないということは、子どもから離れられない自分がいる。もしもそうであれば、それは「子どもへの依存」ということになるんじゃないかなと思うのです。
わたしが「こうありたいな」って思うのは、人と人をつないで、わたしの存在はフェードアウトしていく。とっても寂しいけど、でも、つながった人にとってはわたしの存在がいつまでもあったらジャマになる。だから、気づかないうちにいなくなる。それが自分のやるべきことだと思ってるんですよね。そんなわたしからしたら、正反対の生き方です。
どちらが正しいかはわからないけど、「違い」を強烈に感じました。
次のレポートはうって変わって正反対。わたし好みのレポートです。小学校から中学校への「接続」と「連続性」についてのレポートでした。ただ、これはこれで少し疑問がありました。連続性は大切なんだけど、発達段階を考えなきゃ、中1ギャップは乗り越えられても高1ギャップが乗り越えられない。
なので、意見発表の時間に「連続しながら変化することが必要なんじゃないか 」などという、わかったようなわからないような話をしたりして。

で、昼ごはんは香川+高知+大阪+京都の混成部隊。「昨日の夜から今日の夜までの間に連続的に変化するためには、燃料補給が必要なんだ」とか、さっそくネタにしたりして。でも、そば屋での大阪の教員ふたりの掛け合い漫才には「そら勝てんわ」と納得したりして。

で、午後のレポートは、さすがに集中力が切れてしまいました。なので、残る総括討論でリベンジです。
この2日間考えたことを話してみました。と、三重のレポーターがきっちり話を拾ってくださって、感謝感謝です。
てなことで、今年の全同教大会も終了。来年は熊本かぁ(^^)。