よーやるなぁ(笑)・放送部合宿(3日目)

てことで、午前中に制作した番組の発表会。お題は「合宿所近辺の紹介をする」です。どんなふうに番組を制作するかな…。
まぁ、稚拙な番組であることはしかたないです。連中がはじめてつくった番組ですから。にしても、おどろいたのが、地元の人たちにインタビューをしていることでした。コンビニの店員さんに話を聞いてみたり、お寺の住職に話を聞いてみたり。なんのアポも取らずに直撃している。しかもそれを受け取ってくださる。なんというか、その無謀さにびびると同時に、笑ってしまいました。
さてと。あとは今回のまとめをしたら、今年の合宿も終了です。こんな合宿も、あと5回しかないんだな。

さすがに疲れた・放送部合宿(2日目)

放送部の合宿の中日、午前は機材講習です。
昨日の機材講習では、実際に音を鳴らすところまで行かなかったので、今日は音を鳴らしてみることにしました。今年は1年生が多いので、たいへんっちゃあたいへんですが、その反面飲み込みが早いというか、そもそも「得意」な生徒もいる可能性もあります。で、案の定、今年はそういう子がいました。助かるわぁ…。
で、午後は恒例の山登り。実は、毎年びびっています。なにせ、放送部に来る子って、「運動が苦手だから」とかいう理由で入ってくることもあります。でも、これ、単に苦手というよりも、運動制限がかかっている場合もあって、こういう場合は最悪の場合山を登っている最中に倒れてしまうこともあり得ます。これはこわい。ということで、今回はそのあたりをしっかり本人確認をして登ることにしました。
にしてもきつい。子どもよりも、わたしがきつい(笑)。だって、去年は死にかかった関係で登りませんでしたから、2年ぶりの山登りです。しかも、近年トレーニングもしていません。さすがにメッチャきつかったです。それでもなんとか登り終えて、わたしにとっての合宿はほぼ終了(笑)。
夜は番組制作です。まぁ、はじめのうちはトラブルがあったり、質問があったりですが、1時をまわったあたりで、特に質問もないみたいなので「今日は閉店!」と宣言して寝ちゃいました。さてと、あしたが楽しみだ。

最後までもつのか?・放送部合宿(1日目)

今日から放送部の合宿です。が、昨日まで全外教だった関係で、機材の準備がまったくできていません。とりあえず、朝、学校まで行って機材の積み込みをします。無事積み込んだら、ふたたび自宅近辺まで帰ってきて、医者に駆け込みます。とりあえず、薬で抑え込むしかなさそうです。無事薬をゲットして、合宿所へ。今年の合宿所は昨年と同じ場所です。まぁ場所を考えるのがめんどくさいというのもあるけど、晩ごはんがおいしかったんですよね。
合宿所に着いたら、まずはグループ分け。今年の番組のお題は「合宿所のある集落の紹介番組」です。去年、合宿所の旅館の紹介番組をつくらせたら、当然のことながら旅館の人々にインタビューしまくっていて、同じことを3回もしゃべってもらったらしく、これは迷惑だなと思ったのが、その理由です。
で、子どもたちに宣言。
「この合宿は、起床時間は決まってるけど、就寝時間は決まっていない」
はっきりいって、運動部の合宿とは別の意味で過酷です。
「放送局のプロデューサーで睡眠不足じゃない人はいない」
ほんとうかどうか知りませんが、でも、かつて「ハートをつなごう」に出た時のプロデューサーさん、集録が終わってから編集していたからなぁ。編集開始が午前1時ぐらいだから、終了時間は推して知るべしです。
その後は、機材講習。今年は「ネジの締め方講座」までやっちゃいました。だって、みんな、ネジは思いっきり締めたらいいと思ってますからね。
夜は1分間スピーチ。最初は「自己紹介」と言っておいて、次は「1分間しゃべってみて」と言って、さらに「5分間あげるから、ちゃんと考えて、きちんとわかるように1分間しゃべってね」と。ハードルはあがるわ、ネタは「前出」だわ。でも、それでいいんだと思います。そうやって少しずつ深く掘っていくのも大切な経験です。
最後のメニューは、話しあい。わたしはここでダウン。
明日のプログラム、大丈夫だろうか。
薬が効くか、時間が来るのが先か、チキンレース状態です。

全外教大会(2日目)・ダメダメ

朝方、「ヤバイんちゃうん」と思って、ロビーに降りてジュースを一本買ってゴクゴクゴク。すぐに爆睡→1時間後に目覚めたら、大汗かいてました。ほんとうに夏風邪決定です。
それでもなんとか分科会会場に行きましたが、しんどい。部屋の外でレポートを聞くのがやっとです。でも、熱気は伝わってきます。今年は東京開催で、みなさん「なにもない」みたいな謙遜をしておられたけど、そんなはずもなく、熱いとりくみが学校の中でも外でもおこなわれているのが伝わってくる大会でした。
さてと。
あとはおみやげを買って帰るだけです。

全外教大会(1日目)・これはアカン

夜、やたら咳が出てあまり寝られませんでした。他の人にきっと迷惑だっただろうな。すみません。
でも、とりあえず朝のプログラム開始です。なんか、年々「やらなきゃならないこと」が減っていくのは、きっと引率のみなさんがどんどん「やらなきゃならないこと」がわかってくださっている人々になってきているんだろうな。なので、「しんどいー」とか言いながら、どうにかこうにかわたしのタスクをこなして、とりあえず会場をチェックアウト。バスに乗って全体会の会場に向かいます。
全体会は、今年はなんと国士舘大学。ここに来る日が来るとは思いませんでした。にしても、すごくきれいで快適です。いいなぁ…。
全体会の司会のフニさんとあいさつしたり、なんだかかんだかやっているうちに、生徒たちの発表です。ここに来るまでにいろいろあっただろうけど、でも、それでもなんとかここまで子どもたちはやってきたんだなと思うと、わたしはなにもしていないけど、いろいろ迫ってくるものがあります。子どもたちが解散したあとは、残りの全体会。崔江以子さんのアピール、ハンパない。卒業生のYんじゅりが「強い」って言っていたので、「誰が強くならざるを得なくしたのかな」とだけ言っておきました。
さて、今年の全体会は終わりました。
あとは、全国交流会。ビールがスー○ードライしかないので買いに出るのはお約束です。なんか、いろいろ話をして、なぜかゆNじゅりと兵庫のメンバーと5人で歌舞伎町へ。なにやらとってもぁゃιぃ中華料理屋さんで青島ビールをいただいているうちに、スイッチが切れかけました。やばい。スイッチが切れる前にホテルに行かなくちゃ。
ベッドに倒れた瞬間に爆睡です。

ダブルヘッダーからの…→全外教大会(0日目)

今日はかなり過酷なスケジュールです。はたして身体が持つのか?
朝は交野市のとある中学校区の研修会のお座敷です。
車に乗せてもらって会場に向かっていると、見覚えのある風景があります。
「ここ、もしかしたら○○小学校じゃないですか?」
「はい、そうですよ」
ここ、去年来たところです。そして、会場はそこから数百メートル離れたところ。なんでも日本一近い小学校同士だそうな。てことは…。
「はい、去年聞かれた管理職さん、来られます」
って、まずいよ。だって、ネタは同じですよ。てことで、その管理職さんが来られたので、「そんな、何回も聞かなくていいのに。寝ててください」と、お願いしておきました。
で、お座敷開始。なんか昨日くらいから体調が悪くて、実は今日、声が出るかどうか心配だったのですが、なんとか出てくれて一安心です。となると、あとはいつものハイペースで話を進めていくだけです。たぶん、わたしの「実践編」は、わかろうとわかるまいと関係なしにシャワーのように言葉が浴びせかかってくる感じなんじゃないかと思います。で、それはそれでいいんだと思います。自分の知らない世界に言葉があふれているということを経験してもらえば、それが「次」につながるんじゃないかな。というか、別に、わたしの話を聞いてすべてがわかるわけじゃなくて、あくまでもわたしの話は入門編です。そこから奥に、豊かな世界を切り開いてこられた先達達がいる。ただ、「どの先達に至る道か」という意味では、それなりにバイアスがかかってますけどね(笑)。
てことで、2時間のお座敷終了。みなさん、メッチャいい反応でした。まぁ、北河内と京都は近いからかなぁ。

で、午後から兵庫に移動。三ノ宮から元町まで歩いたら暑くて死にかかりました。午後のお座敷は、兵庫県教組の教育課程なんちゃらです。わたしの担当は「ジェンダー平等」の分科会。わたしの出番の前に話をしておられたのは、昨年度の日教組教研のレポーターの方のようです。あー、いつもの通り、言いたいことだけ言ったヤツや。
で、わたしの出番。午前のお座敷のあとの移動で、ちょっと出がらし感がありますが、気合を入れ直してお座敷開始。いきなり
「あ、すみません。マクラを考えるの、忘れてました」
まぁ、仕方ないです。京都と神戸の共通点を話して、お友だちになったところからスタートです。午前も午後も、話の内容は同じですが、やはり、聞いてくださる方によって微妙に変わるのかな。午前に話をした内容でパスをするものが出てきたり、午前ではパスした内容を出してみたり。ここでも、首がちぎれそうにヘッドバンキングしてくださる人がいたりして、やはり「教組の仲間やなぁ」とあらためてうれしく感じました。
お座敷のあとはワークショップ。これがおもしろい。事例への対処が、さっきわたしがした話と真っ向から反する対処方法で、「これをツッコむのって、かなり高度やなぁ」と、思わず笑ってしまいました。
最後に「例えば、金髪の外国人が入学してきた時に髪の毛を染めさせますか?染めさせないですよね。じゃ、長髪の男子生徒が入学してきた時に髪の毛を切らせますか?同じですよね。その子はそういう子なんだから、それでいいじゃないですか。理由は必要ないんです」とコメントして終了。コメントし逃げって、すみません。

で、京都に移動…。ですが、新快速がしんどい。ちょっとぜいたくして「スーパーはくと」に乗ってしまいました。ディーゼルええわぁ。
で、京都から新幹線で新横浜へ。さらに横浜線で町田市へ。最後はタクシーに乗って、とあるキャンプ場へ。今日は午後から全国在日外国人生徒交流会が開催されています。わたしの役割は、話しあいが終わったあとの実行委員のミーティングの相談役。約1時間の話しあいのあと、なんか引率の交流会とか言っていますが、さすがに疲れました。とりあえず、ひととおりの交流が終わったところでひとり部屋にもどりました。
さて、寝よう。

恋愛・結婚と部落問題 −結婚差別を考える−

今日は某人権教育研究会の夏季研です。
昨日の夜が遅かったので、さすがに今朝はしんどいです。車で行くか電車で行くか、迷います。ある種車の方が楽なんですよね。歩かなくていい。でも、車の運転中は休めない。思案のしどころです。でもまぁ、いろいろ考えて電車にしました。しんどいなぁ。
それでもなんとか京都府中部にある会場に着いて、研究会開始。わたしは今年も発表はなしです。だって、6月にひとつプレゼンがあって、昨日プレゼンがあって、さらに今日というのは無理というものです。いや、かつてはできたかもしれないけど、今はそんなに気軽にできることはやっていません。
でも、発表がないと楽です。今日ものんびり気分での参加です。そういや、去年のこの研究会が、死にかかったあとの最初の外出でした(笑)。
で、レポートを聞いていると「片手落ち」発言が。当然指摘をするわけですが、それに対して「あえて使った」との反論。「これは片手が落ちているのではなく、手順の片方が落ちているという意味だから差別発言にはならない。言葉狩りだ」という趣旨の発言です。はいはい。語源の問題ではありません。例え語源がそうであっても、言葉の意味は変化していきます。自分が差別的な意図がないなら、まずそれを明示してから使うべきで、あとから「実は」ってのはイマイチですね。まぁ、若くてとても勉強がよくおできになる方のようですから、挑戦的にそういうことをやっているんでしょうけどね。
なんか、ご自分の学校でやっている実践や、そこで人権を担当されている方がとても立派で豊富な知識をお持ちで、「だから自分は差別なんてするはずがない!」感が、ご自分の頭のよさとあいまって出てきているのですが、すまんけど、地べたを這いずりまわって生きてきた頭の悪いわたしには、そういうのは届かんのですわ(笑)。

で、午後は大阪市大の齋藤直子さんの講演です。めっちゃ楽しみです。
齋藤さん、昨日は長野県で講演をされてきたということで、滑り出しはテンションが変で妙に上滑りな感じでしたが、途中からギアがかみあってきたのか、明快な話になりはじめました。
テーマは結婚差別です。
よく、結婚差別の授業案をつくったら「もっと新しい事例はないのか」とかいう、本末転倒な要望が返ってきて頭に来たりするのですが、でも実際のところどうなのかというのは、「駆け込み寺」みたいな活動をしていないと、なかなかわからないのが現状です。そもそも、結婚差別は、その前提となるそれぞれの時代の結婚観や結婚の状況に左右されます。よく言われるのは、「部落内で結婚していた時代は結婚差別は起こりにくく、部落外と結婚するようになることで結婚差別が起こるようになってきた」ということです。が、齋藤さんは、ご自分の専門である「家族社会学」で得られた知見を使いながら、時代背景と結婚差別の状況を見事に解き明かして行かれます。さらに、それは序章に過ぎません。結婚差別にはさまざまな論点があり、それらを丹念に語っていかれます。
こうした問題意識の背景にあるのは「差別はひと言でできるが、差別をしてはいけないということを説明するのはとてもたいへんだ」ということです。思わず午前の事例を思い出したりして(笑)。
いや、ほんとうにおもしろい講演でした。

帰りの電車の中でもう少し話。こういうのができるのが、主催者の役得です。
講演の中で、「結婚差別で使われる論理は定型がある」ということを言われたのですが、ほんとうに「なるほどな」です。つまり、結婚差別に使える言説は残っていく。そして、有効ではなかった言説は淘汰されていく。最終的に残った言説は、きわめて有効な言説になります。で、その言説を、使う本人はあたかもオリジナルであるかのように使うし、使われた方もまたオリジナルに使われた気になる。でも、結婚差別にあった人たちの体験を聞くと「それ、言われた!」みたいになる。逆に言うならば、「学ぶ」ことによって、もしも自分が結婚差別にあったとしたら「返し」の方法もわかるし、周囲の状況で結婚差別をしなきゃならない立場に直面した時(例えば、自分の子どもの結婚に親戚が文句をつけるみたいなシチュエーション)、そこへの対処法がわかる。
と同時に、もうひとつおもしろかったのが、「みんなテンプレ好きだよね」なんですよね。これは、最近の若者の傾向にもある。例えば「結婚は祝福されたい」というテンプレがあると、容易に結婚差別に荷担する方へと流れていく。つまり「親の反対がある→祝福されない」ということですね。そういう意味では、「テンプレで考えない」ということがとても大切なかもしれないなと思いました。

そんなことをいろいろ話をして、齋藤さんとおわかれ。
さて、家に帰ってお風呂に入ってビールだ。マジで疲れました。

当事者と非当事者の線引き

今日は昼呑みしながらのインタビューです。もちろん、わたしは受ける方。でも、実はどんなインタビューかよくわかってなかったり。でもま、なんとかなるでしょう。
で、お店に入って趣旨を説明されて、なるほどなと。「アライをめぐる話」でした。

なんか、アライ論争ってあるみたいです。が、基本線としては「アライはアカン」みたいな感じなのかな。まぁ、根本的な話として「アライは「ally/foe」という軍隊用語で、それを使うのはどうよ」ってのがあったりして、ま、それはそれでいいよねとは思います。が、一概に「アライ」をバッサリと切ることにいかほどの意味があるかなと思うのです。
ちなみに、「アライ」=「非当事者の支援者」とするなら、当然のことながら「当事者とは誰か」という話が出てきます。これ、そんなに簡単なことじゃないです。いや、「疑いようもなくわたしは当事者なんだ」と思ってる人には「なに言ってんだ」ってことになるんだろうけど、そこで一度立ち止まりたい人にとっては、「そうだよなぁ」ってなることですよね。
例えば…。
かつて「日本籍朝鮮人」は「日本籍」ゆえに当事者とはみなされてこなかった。でも、それに異を唱える人が出てきて、当事者性を獲得していったということがある。あるいは、HIV訴訟の支援者の中にHIVポジティブであることをカムアウトせずに支援者としてかかわる人がいた。この人は当事者なのか支援者なのか。さらには、例えばDSDsの身体を持っていたとして、そのことでさほどの不都合もなく生きることができる人が仮にいたとして、その人が検査を受けないがゆえに自分のことを知らなかったとして、その人は当事者なのかどうなのか。そしてなにより、さまざまな人々が自分のことをどう定義するのかです。
てことで「アライの定義は?」と聞かれたので「自己申告でしょう」と答えました。
それにしても、なぜ「アライ論争」が起こるのかなぁということをあらためて考えた時、もしかしたらと思ったのが、「LGBT当事者」の中には、「アライとしての自分」という経験を持ってない人が多いからなんじゃないかなって、ふと思いました。
わたしは部落外の人間として、あるいは日本人として、解放教育や在日外国人教育にかかわっています。その立場は、まさに「アライ」です。じゃあ、その「アライ」であるわたしが、例えば自分の出自にであることに無自覚かつ運動にもかかわっていない「当事者」と比べて、なんらかの非難をされるべき存在かというと、そんなことはないと思うのです。というよりも、もしも先に述べたような人が、こんなわたしを非難するとしたら、それは「当事者」にあぐらをかいているだけだと、わたしは思います。
「○○でないお前に何がわかる」とは、わたしは言われたことがないけど、まぁ定型句です。今のわたしなら「わかるわけないやん」と言います。だって、わかるわけないもん。で、わかるわけないことをあえてこういう言い方をするとしたら、それは「当事者」にあぐらをかいているだけだと思います。そう思うわたしは、「なんらかの当事者(笑)」になった時に、「これだけは言わない」って決めました。わたしはあぐらはかきたくない。
で、もとにもどります。
そんなことを考えるわたしが、「アライとは誰か」と言われたら、先に書いたような「自己申告」です。「いや、でも、自分の利益のために「アライ」という言葉を自称する人がいる」なーんて話が出てきたら「困ったねぇ。でもま、しかたないんじゃない?」って言っちゃいます。なぜなら、たぶん、深くコミットメントしてる人は、すでに「当事者」だからです。その当事者性は、「いわゆる当事者」とはレベルが違う。そして、そんな人は、自分のことを「アライ」とも「当事者」とも言わない。例えばHがしさんみたいにです。
一方、「当事者」という言葉しかないなら、それに対置する言葉は「非当事者」しかなくなる。そんな時に「アライ」という言葉があれば、そこでとりあえずアイデンティファイすることができる。もちろん「とりあえず」だから、やがてはそこから離れたらいい。
そんな、「仮置き場」としての「アライ」はあっていいだろうというのが、わたしの考えなのですが…。
まぁ、最後はどうでもええんですけどね(笑)。

てことで、デカンタで頼んだワインを飲みきったら、かなりフラフラになりました。
さてと。帰ろう。

長距離ドライブ

今日からやっと夏休みo(^^)o。とは言え、のんびりするというよりも、土日と平日の境目が融解してしまうわけで、たぶんかえって忙しくなります。
とりあえず、まずは赤点の子らの基礎補充。みなさん、熱心に数学を教えておられます。えらいなぁ。それに引き換え、あちこち歩きまわりながら、てきとーにちょっかい出しをするだけのわたしです。とある生徒に
「さき一昨日帰ったのは1時前で、昨日は12時前」
とか言ったら
「ファンキーな生き方してるな」
ってほめられました(笑)。

で、昼からは隣保館訪問です。子どもを真ん中にすえて、学校と地域が両側から話をします。それがとても大切です。地域では見せないその子の顔を学校は知っていて、学校では見せないその子の顔を地域は知っている。大切なのは、「知らない顔がある」ことを知ることなんでしょうね。だから、隣保館や中学校に行くのです。今回も、とてもおもしろかったし、いい出会いがありました。
「別に何もなくても、学期に1回くらいは来ますね」
とお願いして、隣保館めぐりも終了。ちなみに、一番遠い場所は三重の手前なので、まぁ、気持ちのいいドライブです。秋にはバイクを整備してツーリング気分になりたいな(笑)。

で、今日は帰りましょう。実は、放送部卒業生の「お泊り呑み会」があるんだけど、まぁ、行っていけないことはない感じなんだけど、ここで行ったら、ぜったいに体力使い果たすし、やめておきましょう。

今年は大丈夫だと思う(笑)→煽る

朝、朦朧として目が覚めて、キャンプ上であることを認識しました。さて、どうするか…。
とりあえず、のそのそ起き出して、外を見ると雨が降りそうです。うーん、テントどうしよう…。と思うまもなく、霧雨のような雨が降りはじめました。ま、しゃーないです。雨には勝てません。それでもほどなく雨もあがったから、助かりました。
昨日つくったサムゲタンをたべたりしながら、ゆるゆると時間は過ぎていきます。片づけなきゃならないけど、片づけるのは億劫。それがキャンプの朝というものです。
それでも、なんとかかんとか必要最低限のものだけボチボチ片づけて、わたしは一足先にバイバイ。
電車に乗って、一路西へ。たどりついたのは、別府です。
とりあえず、お風呂です。なにせ、塩だく+汗だくなので、もう、どーしようもないです。
お風呂から帰ってきたら、今回の仕掛け人W田さんがホテルの前におられました。
てことで、今日の飲み会の場所に移動。あとは、飲んで食べてしゃべっての、あいも変わらずの楽しい時間を過ごしました。とりあえず、10時にいったん解散。別れ際に少し話をしてくれた人もいたりして、やっぱりいい時間だったんだなってことを再確認して、二次会へ(笑)。ここで、幹事のI永さんを煽りまくったりして、0時まで呑み。
さて、帰りましょう。ホテルに着いて、ベッドにもぐりこんだ瞬間、寝ちゃいました。