セクシュアルマイノリティとしての教職員新旧対談

朝、昨日の夜にひとつ思いついた資料をつくって、それを組合の事務所に行って印刷して…。資料の中身は、stn21の設立集会のレポートと設立趣意書です。
あらためてあの文章を読んで、あの時の「熱と光」を思い出しました。たぶんわたしは「熾火」みたいになっているんだけど、あの時の気持ちは若手の人たちに伝えていきたいな。今日がそんな機会になればうれしいな…。

ということで、会場に集合して、事務作業をしたり、今日の仕込みをしたり。
わたしは最後の全体会のコーディネーター的な役回りを任されたけど、なーんにも考えてないので、まぁええかと。
とりあえず天一に昼ごはんを食べに行って、帰ってきたら、いよいよセミナーのはじまりです。

今回のセミナーは、若手のセクシュアルマイノリティ教職員の人たちがつくったものです。わたしはサポーターでしかないです。だから、当日の主たる業務内容は受付だったりするのです。中身聞きたいなーと思うのですが、そこはガマンです。
で、最後の全体会。
stn発足当時のメンバーが3人揃い踏み(笑)。
最初に若手からの質問からはじめたのですが、やはりカミングアウトの話なんですね。今も昔も変わらないんですよね。前に並んでいるベテランと若手の違いは、カミングアウトからの年数でしかないんですね。でも、その年数って実はとても大切です。
そんなことをくみちゃんの話を聞きながら考えました。
カミングアウト当初は自分の中に盛り上がりがあるんだけど、やがて疲れてくる。そりゃそうです。その時にまわりのテンションも下がってきて、やがて埋もれていく。そして、カミングアウトした過去だけが残る。
その経験をしているかしていないか。
これは決してしんどくさせるためにする話でもなく、カミングアウトをやめろというための話でもなく、この経験を伝えることを通して、カミングアウトとは何かとか、どんなカミングアウトが必要なのかとか、そんなことを考えてほしいということなんですよね。
そして、これを「伝える」というんだろうなと思うのです。
今回のセミナーを企画してくれた若手の人たちって、あらためてすごいなって思いました。
たぶん、昔話なんてめんどくさいんです。たぶん自分たちだけでもできる。でも、あえてそういう方向ではなく、経験から学んでみようと思われた。
いや、もしかしたら、「学びたい」というニーズはみんな持っているのかもしれない。ただ、その機会がない。わたしたちがつくれていないだけなのかもしれないです。
と考えると、stnがなくならずにとにかく延命してきたことに意味があるのかもしれません。

stnって、たぶんその存在がなければ「今」がないと言えるほどの影響力があると思います。だから、stnを続けるということは、そういう時代への責任であるとも思うのです。そして、今日、確実にバトンを渡せた気もしました。
じゃ、渡したわたしたちはとまっていいのかというと、それは違うかなと。まだしばらくは一緒に走り続けないといけないです。リレーとはそういうものです。

てことで、懇親会。
みんな楽しそうに話してます。たぶん、「セクシュアルマイノリティとしての教職員」として話をする機会なんてなかったんじゃないかな。まさにstnがはじまった時の光景が、ここにある感じがしました。
さてと、でも、そろそろ帰らないと、明日があるんだけど、なぜに二次会(笑)?

いろんな人の支えのおかげで

今日は「東九条マダン」です。果たして人は来てくれるのか?肉は売れるのか?まぁ、そんなのは天気次第ですかね。
てことで、起床はいつもの5時45分です。そこから荷物の積み込みを開始して、8時には会場に到着していました。で、荷物をおろして…。ダメじゃん。焼き肉コンロとテーブルを忘れてるじゃん。てことで、1回とりに帰って。
というトラブルがあったものの、今年も「京都・在日外国人生徒交流会」の焼肉店スタートです。
にしても、なんなのこれ?隣はシュラスコやってるし、反対の隣は豚の串焼きやってるし、その向こうでホッペ売ってるし、その向こうではタンを売ってるし。こんなん、アカンやん。競合しないようにお店を出そうよ。
てことで、看板にはこんな文字を書きました。

「マダンで焼肉20年」
どや!これには勝てんでしょう(笑)。ここは伝統の味で勝負です。
果たして人は来てくれるかと思ったのですが、たしかに最初から最後までいたのは3人なんですが、途中、入れ代わり立ち代わり、いろんな人がお店に来てくれました。述べ人数はすごいな。卒業生も来てくれたし、若手教員も来てくれたし、スタッフやってる教員とか元教員とか、いろんな人が来てくれました。そしてなにより「元町長さん」も来てくださって、「近江の人が焼いてるから近江牛」とか言いながら、のんびりと確実においしく肉を焼いてみたり。

なんだかんだで、かかわってくれた人は10人をくだらなかったかな。ほんとにうれしかった。
閉店後話をしてたら「お店やってはるんですか?」という質問があったとか。それだけ味はホンマモンということですね。
だって、肉の仕入れは塩谷さんルートだし、このあたりからホンマモンです。そして、タレもキムチも卒業生のオモニからの教えてもらった味です。それが20年という意味なんだろうな。
にしてもここ数年、よく働きます。まぁ要因はいろいろあるのですが、よく働きます。なので、終わったらクタクタ。
とりあえず、打ち上げしようということになっていたけど、家に帰ると身体が動かないし、風邪はぶり返しそうだしということで、「また後日」ってことにして、ダウンすることにしました。

でもなんしか、今年も無事に終わった。よかった…。

倒れた

朝起きると、みんな出ていってました。ひとりのマダンセンターです。まぁこんなこともあります。が、体調が悪すぎです。こんなのでタレとキムチ、つくれるのか?
とりあえず、にんにくの皮むきができるように水につけておきましょう。
そうこうするうちに、上の子どもが塩漬けの白菜を持ってきてくれたので、ふたりで作業開始です。にんにくの皮をむいて、りんごを切って。そうこうするうちに、F村さんも登場。そこからは3人で作業です。タレもキムチも、実はつくるのはそんなに難しいものではありません。ただ、手間がかかります。こんなことをひとりでやるオモニやハルモニは、ほんとにすごいです。てか、友だちと一緒にやらはるのは、たぶんひとりでやると気がめいるからでしょうね(笑)。
で、ヤンニョムができたところで、いったん休憩。タレの試食タイムです。まだ熱いから辛味が強いけど、やがてなじんでくるでしょう。
ただ、このあたりで体調が急激に悪化。食欲がない。しんどくて立っていられません。あとはふたりに任せておきましょう。も、Sみずくんから電話。「頼むし来て」と応援要請。来てくれました。助かるわ。
なんだかんだで夕方に終了。
家に帰って熱を測ると37.5℃。それしんどいわ。そのまま薬とポカリを用意してふとんに直行です。おとなしくしてたおかげか、夜になって少し体調が回復してきました。少し晩ごはんを食べて、横になったら寝ちゃいました。
明日にはなんとかならないと、詰んじゃうなぁ…。

「これでいいのか?」と思いながら

今日は午後から「おべんきょ発表交流会」です。
とりあえず、朝は「ヨガに行く」というパートナーを駅まで送って、パンク修理を2台やって。てか、ママチャリの修理はやだ!でも、そろそろ後輪のタイヤ限界だなぁ。マジで交換しないとあかんなぁ。めんどくさい(;_;)。まぁ、時間を見つけて、年内にやりますか…。
てなことをしていると、もうお昼。ヤバイです。「おべんきょ発表交流会」に間に合いません。あわてて駅に行って電車に飛び乗って…。マスクをして走るとマジでしんどいです。
で、生協で買ったカップヤキソバを食べながら「おべんきょ」タイムです。
昨日出したペーパーにまつわる「おべんきょ」なんですが、みなさん、できてるようなできていないような。センセに「結論はなんですか?」と聞いたら「それはわからない」と(笑)。まぁ、それはそうなんだろうけど、結論がないと書けないところがありますからね。
とりあえず、みんなで読み合わせをして意見交流をしたんですけど、なんか噛み合うような噛み合わないような。そりゃ、小・中・高・大の4人ですからフィールドがまったく違います。しかもその中でひとりわたしだけが「畑」が違う。そう簡単に結論が出るわけでもなく。でも、そんなのをめぐってとりとめもなく話し合うのが楽しいんですよね。予定していた3時間半があっという間に過ぎてしまいました。

で、呑み。
今回は大学のセンセの教え子さんのナビゲートで四条近辺で呑み会だとか。四条近辺?しかも、京阪?しかも鴨川の東?それって、祇園じゃないですか!こわいな…。ナビゲーターさん、どんどん奥の方に入っていかれます。到着したのは路地の中の小料理屋さん。ま、これも経験です。おいしいお料理とおいしいお酒と楽しい会話をすませたら、恐怖のお勘定。
ま、そんなもんでしょ(;_;)

てことで、2軒目に行くみなさんと別れて、わたしは東九条へ。今日は「卒業生の会」です。
到着すると赤ちゃんがふたり(笑)。さらに、今度中国で就職するって子もいます。
卒業生たちも家庭を持ったりワールドワイドな就職があったり、まさに「卒業生の会」です。なので、なかなか集まりにくい。しかたないのかな。でも、集まりたいよな。だからこの場は守らなきゃな。
そんなことを思いながら、泊まるのは暴走機関車と弁護士さんとわたしの3人。なんか、だんだん体調が悪くなってきて、一足お先におふとんにもぐりこんだのですが、大丈夫かなぁ…。

で、今年もリビングライブラリ

今日はリビングライブラリ当日です。さてさて、今年はどうなるかな。
おとつい予想した通りいろいろあったけど、それもまた含み込んで準備をしていたわけで、朝から走りまわったけど、なんとか準備もまにあいました。
わたしは裏方だから、話の中身は聞けません。とにかく、「語り部」のみなさんと子どもたちの感想文からどうだったかを推測するしかありません。
リビングライブラリが終わった子どもたちがいろいろしゃべってます。が、なぜかわたしのことを聞く子どもがいます。なんでやねんと思ったら、RぽたんとM木ちゃんがわたしの名前を出したとか(笑)。
みなさんがおべんと食べてる間にわたしは感想文のコピーです。で、「語り部」のみなさんが感想文の仕分けをしている間に、今度はわたしがおべんとです。人使いが荒いです^^;;。おべんと食べ終わって応接室に行くと、すでにみなさん仕分けが終わって感想文を読んでおられます。なにやら、感想文に「どひせんせいは何者だ?」ってのがあったらしく、盛り上がってます。なにものだって、なにものだろう…。
で、みなさん2時すぎに帰っていかれました。そこからわたしは感想文読みです。とにかく、今日明日で読み切って、感想文集をつくらなきゃなりません。これを乗り切ったら今年のリビングライブラリも終了です。

が、ゆっくり読むヒマなんてあるわけもなく。だって、厳しい反省会をしなきゃなりません。
反省会会場は、最近たまに行くイタリアンバルです。会場に到着すると、みなさんすでに盛り上がっておられます。みなさんの顔を見ていると、今日がうまくいったことがわかります。うれしいなぁ。なんしか、このとりくみは続けたいんですよね。そのためには、子どもたちと「語り部」のみなさんの「よかった」という声が一番大切なんですよね。
みんなでワイワイやっているうちに、M木ちゃんが大あくびです。どうやら寝不足らしいです。
てことで、一次会はお開き。あとはSゃのうさんとYき姐と三人で女子会です。お店は「リド食堂街」の「お福」です。
なんか、焼酎呑みながら、みんなで「青空」歌ったり議論をしたりしているうちに、ヤバイ時間になったみたいです。
これはたいへん、帰らなきゃ。

「「京あまべの歴史」を語る」を聴く

明日はリビングライブラリだというのに、今日は1日出張です。昨日、かなり準備しておいたつもりだけど、きっとたりないだろな。でも、しかたないです。一日の労苦は一日でたれりです(笑)。今日は今日を楽しみましょう。
ということで、今日は「あまべ」のフィールドワークです。
「あまべ」というと、まぁ、ものすごくお世話になっています。花見はするわ、花見の現場に出前をしてもらうわ。てか、2ヶ月に1回行ってますからね。
でも、「あまべ」の歴史についてはかじるていどにしか知りません。まぁ、漠然と「日本最古のムラ」かなぁとは思ってますけど、であればこそ、もっともっと深く知りたい。だからこそ、「あまべフィールドワーク」を実現したかったんですよね。で、今日がその当日です。当然テンションはあがってますo(^^)o

フィールドワークの集合場所に行くと「やぁ」と声をかけられて、ひょいと横を見ると、なぜかこの人がおられました(笑)。なんでも映画を見に行こうと思ったら支部長に声をかけられて、こちらに来られたとか。

で、フィールドワークの開始です。
いや、もう、すごいです。ムラって「貧しさ」で表現されないってことは百も承知だけど、でもやはりすごいです。あるいは「あまべ」は移転させられたことも知ってたけど、それが「境界線」という形で残ってるというのを知って、これまたショックです。そしてなにより差別と闘う人々の営みがここにあるってことを、改めて感じることができました。
その後、もともとのあまべの場所に移動。んー、豊臣秀吉菩提寺をあまべにつくりたいからあまべを移動させるって、それ、考えてみるとすごい話です。だって、「その場所」がケガレていると考えられていたら、そこに菩提寺を建てようとは思わない。
なんかもう、脳みそがひっくり返りそうな思いを抱きながら、昼休憩。案内されてたYすださんに昼ごはんをおごってもらったりして。すんませんすんません。

昼からはあまべの歴史についての講演です。午前に歩いてきたそこここの歴史的な位置づけとつながりがわかります。てか、洛中洛外絵図に載ってるって、ほんとに日本最古でしょう。なんかもう、あっという間の2時間でした。

ほんとはこのあと飲みに行きたいところだけど、今日はガマンするために車で来たのでした。
さてと帰ろう。後ろ髪を引かれながら(笑)。

家庭訪問からの呑み

昨日の一本の電話のために、なぜか今日は他府県まで家庭訪問に行くことになってしまいました。でもま、これも何かの縁ですから、まぁええかと。
でも、明日は1日出張で、あさってがリビングライブラリです。てことは、今日すべての準備をしなきゃ、あさってがまわりません。とにかく、細かいところまでつめておいて、水曜日の朝すぐにできるようにセット。ついでにタスクリストもつくっておきました。まぁこれで突発的なことがなければなんとかなるかな。たぶん突発的なことは起こるけど(笑)。

てことで、他府県に移動。到着すると話し合いの真っ最中です。でも、話はなかなかすすまない。まぁそういう時のためにわたしが行ったわけで、関係方面に電話などして打開策を模索しました。

家庭訪問は1時間もたたずに終了。
あとは「総括呑み」です。
シャイニーな人やエリートな人を横目で見ながら「わたしたちは違うよねー(笑)」と残波を呑んだりしてると、当然夜はふけていくわけで、終電に間に合うように帰らなきゃ…。

とまらない

午前は来週の打ち合わせのために近江八幡へ。中倉さんは入念に打ち合わせをされますが、あいも変わらずわたしはテキトーです(笑)。最後は会場のスタッフさんと「なんとかなる」と笑顔を交換して打ち合わせ終了。
その後大阪へ。今日は関西GIDネットワークの専門医研修会です。が、わたしは関係ないですよね(笑)。途中、大学生がやってきてインタビューを受けたり。
研修会が終わったら本番開始です。単なる飲み会です。お互いのたいへんな状況を交換して呑み会終了。その後Kうさんともう一軒。ワインを一杯で帰ろうと言ってたけど、結局ワインを一本で帰ることになりました。
まぁ、そんなもんでしょう。にしても、よく京都で降りられたな(笑)。

講演2発

「講演2発」は、「お座敷2発」ではありません。今日は朝から一日出張です。その午前が講演というかシンポジウム。夜は「京都部落問題研究資料センター」の連続講座でした。

  • 「『足もとをほりおこす同和問題』の70年の歩み ーその継承と発展ー」

てことて、まずはシンポジウム。K都府人教の歴代の会長さんのうち4人が登壇されてのシンポジウムでした。
まず最初に「ジェンダーバランス悪っ」からスタートです(笑)。まぁでも、そんなことを考えるようになったのはここ数年なんで、それが現実のものになるにはまだしばらく時間がかかるでしょうね。だって、まずは女性が校長になるところからはじまらないといけないわけですからね。
で、シンポジウムを聞いていてつくづく思ったのが、京都府同和教育は「学力保障」を柱にとりくまれてきたんだなということでした。
京都の同和教育は、まずは京都市内からスタートしています。京都府については、北部からスタートしていて、その出発点は「今日もあの子が机にいない」とのことだったと。が、南部では「いないのは生活がしんどいからで、しゃーないな」だったとか。でも、「それはかんやろ」ということで夜学がスタートしていく。まぁそのあたりはいいんですけどね。でも、アイデンティティ保障みたいなのがないんですよね。もっと端的にいうならば、社会変革へとはいかない。やはり学力保障です。
これ、教員としてはしやすいです。だって、自分の仕事ですし、夜学もある意味、自分の仕事の延長線上にあります。「教えたくて教員になった」人にとっては、とてもハードルが低い。だからこそ、おそらく京都でも同和教育がそれなりに浸透していたんだと思います。
それはその後も続きます。法律ができて、行政も一体となりながらやっていったのは、やはり低学力の実態の改善です。そこでは、低学力の実態をアカデミックに理解し、仮説を立てて実践するって感じです。これもまた、いかにも「教師」って感じです。
いや、それそのものはいいんです。でも、それだけで解決とは言えないだろうなってことです。というか、もっというならば、そこから出てくるものとして、「本人の責任に帰す」ところが見え隠れするんですよね。だから「非行は宝」みたいな話にはなりにくい。現に、シンポジウムの中では「荒れ」の話は出てきませんでした。「荒れ」をどうとらえるかというのは、ある種の分水嶺です。「非行は宝」という言葉の裏側にあるのは、「非行」という行為を通して社会の中にある問題点を指摘しているという考えです。でも、「非行」を単なる「非行」としてとらえると、それは「本人に帰すべきこと」になってしまう。
低学力や荒れの実態はたぶん、例えば京都も大阪も変わらないんだろうけど、その原因を本人や本人を取り巻く環境にもっていくか、学校や社会のありようにもっていくかの差かな。でもこれは大きい差です。まさに、障害の「社会モデル」か「個人モデル」の差です。そしてこれが、障害のある子の教育保障の話とつながるわけです。つまり、京都の支援学校型と大阪の「みんなの学校」型の差ということです。
てなことを考えて、シンポジウム終了。
まぁもちろん、京都の教員みんながみんなじゃないです。それぞれの地で「非行は宝」と思いながらとりくむ教員はいたし、今もいます。が、大きな流れとして、京都はそういう動き方をしてきたってことです。

で、午後は分科会。なんかもう、ひたすら「特性を持つ子ども」みたいな話が出てきます。暗澹たる気分になります。いや、別に発達障害の話をしてもいいです。が、大切なのは「Aちゃんにどうかかわったか」のみに終わらないこと。「Aちゃんにかかわること」を通して、子どもたちや教職員が、あるいは学校が同価値観を変えていったのかということなんですよね。それがまったく出てこない。ここでも「個人モデル」が幅をきかせている。
きっと、発達障害系の話がいっぱい出てくるのは、具体的に教員が困っていて、「問題」の解決を欲していて、しかも自分が揺らがないからかなとか…。そう考えると、新渡日の子どもたちについては教員が困るから日本語指導を一生懸命やる。それに対して、部落問題とか在日朝鮮人問題って、教員は困らないですからね。だからやろうと思わない。そう考えると、妙にすっきりしますね。

  • 「洛北岩倉と精神医療」

とにかく、今日はこれ!夜に大阪で集まりがあるんだけど、それを振ってでもこれ!前々からものすごく興味があったないようです。講師は中村治さん@大阪府立大学人間社会学研究科です。
岩倉についての詳しい話はwikiせんせいにまかせます。が、この中にも出てくるように岩倉には精神病院がたくさんあります。そして、かつては精神病者を村全体で受け入れていたという歴史があります。なんか、こういう話を聞くと、思わず北山十八軒戸を思い出します。そう言えば、前に講演をきいた時に「このあたりでは、ハンセン病の人は普通に街を歩いたし、銭湯に一緒に浸かってた」みたいなことを聞きました。そんな感じなのかなぁ。
てことで、話を聞いていたのですが…。
なるほど。岩倉は貧困。そりゃそうです。いまでこそ地下鉄も通っているし、ちょっと避暑地気分にもなれる場所ですが、もともと「山の向こう」です。必ず峠を越えるか川を渡るかしなきゃならない。そんな貧困な、でも土地がある場所では何をするかというと、もちろん米もつくるわけですが、「人を受け入れる」ことでなんとかするという道を考えるわけですね。それが、精神病者であり里子であるというわけです。
従来、精神病者は「座敷牢」に入れられるのがあたりまえだった。でも「あそこに行けば治るらしい」みたいなところが、実は日本中にあったりします。経済的に余裕がある人はそういうところに行って「治療」をする。でも、たいていのところは「付き添い」がなかったらダメでした。ところが、岩倉では「強力」とか「飯炊き婆」を雇って、付き添いなしで預かる。これが岩倉が大人気になった理由のうちのひとつだそうです。でもこれ、地元の薪で地元の米を炊いて、地元の人が「強力」「飯炊き婆」になるわけで、おそろしく経済効果が高いわけです。
ということで、岩倉では精神病者は大切なお客さんとして存在していた。しかも、岩倉って、けっこう「エライ人」ともつながっているところみたいで「高貴な人」もかなり来ていたとか。となると、これはかなりおもしろい。
それが、精神医療行政とかいろんなからみで変遷していくんですよね。つまり、そういう「民間が預かる」みたいなのはダメとか、逆に精神病院が足りないためにキャパオーバーな預けられ方をさせられるとか。さらに「岩倉に行く」=「精神病院に入院」みたいな風評被害があったりして、精神病者受入の町としての岩倉は崩壊をしていくんですけど、その一歩手前でなんとなく踏みとどまっているのが今の状況とか。
というのは、高齢化が進む現在、認知症なんかも含めた「最大広義の精神病者」はどんどん増えていく。そういう人を施設に収容するという方向は、もうキャパの問題を考えたり経済的な問題を考えると不可能です。となると、必然的に地域の中で暮らしていくのが現実的なことです。その時のモデルが、実は岩倉のかつての姿であり、実は今の姿でもあるんですよね。今、病院に入院している方々も、基本的には開放病棟ですから地域に来られます。そして、例えばおやつなんかを買って、帰られる。それがあたりまえの風景として岩倉にはあります。そしてそのことを通して、岩倉の人々、特にかつて受入をしていた地域の人たちは精神病者の人に「慣れる」ことができる。そうやって共に生きる社会が、実はある。
きっと、こういうふうな社会があたりまえのようにあれば、あの相模原の惨劇はおこらなかったんじゃないかなぁ。

久しぶりのおさんぽ

今日はとある組合の女性部長会議です。てか、なんでわたしが女性部長会議に出るかといえば、女性部長だからです(笑)。
いや、ネタで「やる?」って聞かれたから、ネタで「いいよ」って答えたんですけど、ほんとになってしまったという(笑)。でもまぁ、やることになったので、やりましょう。
てことで、今回は京都での開催です。
まずは会議。2時間ほど真剣な論議がなされます。ここで、お互いの府県の情報交換があるのですが、自分がいかに全体状況について無知なのかがよくわかります。さいわい京都での開催なので、書記局長が同席してくれていて、助け舟を出してもらえました。ふぅ。

で、2時からおさんぽです。
「なんか、悪い人たちの「おさんぽ」ってのかあるみたいですけど、こっちはそんなのじゃないです」などというネタを振ってみたら、一部にウケました。
今日は久しぶりにフルコースを歩きます。いちおう3時間とってもらってるけど、果たしてどうだろう。
まずは南コース。あちこちまわって、マダンセンターに帰ってきた時点で、すでに1時間(笑)。これはあきませんな。マダンセンターでしばし説明して、いよいよ本番。北コースから三条までの歩きです。参加されるみなさん「えー」とか言っておられます(笑)。
北コースからひかり公園へ。そして、柳原銀行へ。ここで不安がよぎります。「山内さんがいたら、また時間が伸びるな」(笑)。で、中を覗くと「いた(笑)」。うれしい悲鳴です。案の定。「ちょっと説明したろか」。ものすごいラッキーです。ここで20分ほど、めくるめく柳原銀行を堪能しました。にしても、最後に話された「いま、崇仁街づくりの最終地点の出発点にいる」というひとことは染みてきました。
にしても、ここですでに2時間かかっています(笑)。ぜったい3時間では終わりません。
とりあえず「途中脱落あり!」と宣言して。続きです。七条通に別れを告げて、五条→松原→四条→三条とすすみます。
最終的にゴールの「安さん」に着いたのが6時前。4時間かよ(笑)。

さてと。あとは宴会です。ビール、うまい!ホルモン、うまい!久しぶりに洋食を食べました。
そして、会話がおもしろい。だって、集まっているメンバーがメンバーですから。ということで、別れがたかったので、おたふくにも少し寄ってみました。
「一杯だけ飲ませて」
「なんや、いつきちゃんか」
こんな会話ができる幸せを感じながらのおさんぽのおわりでした。