で、お楽しみの交流会

今日はトランスジェンダー生徒交流会の秋の例会です。昨日早起きしたので、さすがに眠いです。起きるの、イヤです。動くのもイヤです。でも行かなきゃ。
てことで、いつもの買い出しの待ち合わせ場所へ。こんな時に頼りになるのは、仲間の力です。大切な仲間たちが、今日も買い出しを自ら買って出てくれました。というよりも、その前からですね。メニューを決める時から、考えてくれたり、買い物リストをつくってくれたり。
交流会って、ついわたしの名前や顔が出ちゃうけど、わたしはなんにもしてません。いや、してるか。酒飲んでるな(笑)。ほんとに交流会をしてるのは、厨房で子どもたちが料理をする段取りをしてる人とか、会場で孤立してる子に話しかけてくれる人とか、そんな人で成り立っていることをひしひしと感じます。
今回のメニューはガパオ、パスタ、チャプチェ、ひっかり雑炊です。それ以外にバックヤードには蒸し豚があったりラッキョのキムチがあったり。当然のことながらワインが進むわけです。
子どもたちはというと、ドッチボールをやってたりするので公園に見に行くと「はいれ」と。はいはい。本気で投げたボールを受けられて、返さたのが顔面に当たるのはお約束です。
で、そのあとは話し合い。今回は卒業生がめっちゃたくさん連れて来てくれたので、トランス女性とトランス男性でわけることにしたみたいです。まぁ、お互いを知ることも大切だけど、まずは自分の置かれた状況を相対化し社会化することが大切ですからね。
でも、そんな時に「わたしはどこに行けば」という子どもがあらわれるわけで、とっさに「オルタナティヴ分科会」をつくったり。たぶん、ここが一番おもしろいやろな。
交流会に来てるのは、基本トランスですが、Xの子やQの子や、模索中の子も来ます。そんな子らを、下手に水路づけしないことが大切なんだと思います。常に「ALT」を用意することかな。
そんなこんなで、今日も6時前まで話しあって、なんとか終了です。

片づけが終わったら、いつもの通り打ち上げです。もう、身体はかなりフラフラですが、打ち上げまでが交流会です(違)。てことで、10時過ぎまで飲んで、ようやく終了。
さてと、明日がまた早いんだな…

シンポジウム「わたしたちを語る」

今日はうちの職場の人権教育研修会です。例年は「リビングライブラリ」をおこなっていますが、今回は5人の方に来ていただいてシンポジウムにしてみました。来ていただいたのは、S納さん・T花さん・Fぁよんさん・T部さん・暴走機関車さんです。で、コーディネーターはわたし。なんしかここ2週間ほどメチャクチャな生活をしていたので、中身については、ライングループでの打ち合わせになりました。
で、シンポジウム開始です。
まずは、それぞれの自己紹介を10分ずつ。案の定、「あとになればなるほど長くなるの法則」でしたが、そもそも10分では語りきれない人々ですからやむを得ないといえばやむを得ないです。みなさんの話を聞きながら、さまざまなキーワードが浮かんできます。
「善意のアドバイスがきつい」「無関心」「内面化された嫌悪」「まわりと違うのはよくないことというメッセージ」「言わない・言えない・言いたくないがいないことにつながる」
そうした話につなげながら、最終的には「語ること・隠すこと・さらすこと」へと持っていきました。

教職員のみなさんの感想を見ていたら、おおむね好評な中に、厳しい意見もあって、まぁそれはそうだよなぁと。
でも、けっこういい線を突いていたというか、さまざまな提起が聞けたんじゃないかというか。いつも思うんですが、パネラーや講師の話から、「結論」を教えてもらうのじゃなく、自分がそこから何を探し気づくのかということが大切だと思うんですけどね。

昔と今をつなぐ・田川フィールドワーク

ホテルの朝ごはんのバイキングって、激しく迷います。パン中心でいくのかごはん中心でいくのか。ただこれ、両方のメニューが拮抗しているときは当然迷うのですが、拮抗していないときは迷いようがないはずです。が、やはりパンとコーヒーを朝ごはんとしたいわたしとしては、迷うのです。ちなみに、今朝のメニューはキャベセンとウィンナーとヨーグルトがパン用で、卵焼きと焼き魚と納豆と漬け物と味噌汁がごはん用でした。で、選択をミスってしまい、キャベセンとウィンナーと納豆と味噌汁とごはんとヨーグルトとコーヒーいう、わけのわからない選択をしてしまいました。

で、M井さんに迎えに来ていただいて、向かったのは「田川市炭鉱・歴史博物館」…の駐車場。中に入るとお金がとられるし、「炭鉱とは何か」の説明はあるけど「炭鉱労働者」については「表の歴史」しかないんだとか。なので、単なる集合場所でした(笑)。で、車に分乗して、フィールドワークの開始です。ちなみに、案内して下さるのは人権情報センターの光武さん。メッチャマニアックな方らしいです。

  • 田川翔魂之碑近辺

最初に向かったのは「田川翔魂之碑近辺」です。「近辺」というのは、この「碑」の下にあるお墓の中に、朝鮮人炭鉱労働者のお墓が無数にあって、そこを見に行ったからです。
なんでも、朝鮮人が亡くなった場合、焼いて骨壺に入れるところまでは会社はやるけど、「あとは自分で」となっていたそうです。で、その骨壺を夜中にお寺に持っていって放置する場合もあれば、夜中にお墓の適当な場所を掘って埋めて、その上に標識として石を埋める場合もあったそうな。で、この「碑」に下一帯に、そのようなあるとのことです。
まずは入り口。

これが日本人炭鉱労働者のお墓です。

ボタでできた墓石には、番号がふってあります。

そして、これが朝鮮人炭鉱労働者のお墓です。

なんでも、上に埋めてある石は珪石らしく、えらい堅いんだそうな。中には埋めてあった骨壺が表面に出ていることもあります。

で、「田川翔魂之碑」は、そんな朝鮮人炭鉱労働者の無念の死を祈念したものだそうです。

近くに市民プールがあって、キャアキャア楽しんでいる声が聞こえてきます。それとは対照的な風景がありました。

続いて向かったのは「三井寺」です。これ、関西の人間は「みいでら」と読みますが、こちらは炭鉱の所有者である「三井」がつくったので「みついでら」と読みます。
まぁ、お寺そのものは水子供養とか馬頭なんちゃらとかいろいろあって、それはそれでおもしろい。

でも、光武さん、そのあたりの説明はメッチャ簡単です。そして「いつきさんが好きそうなのはこっちでしょう」と案内してださったのは、三井寺の奥にある「捕虜収容所跡」でした。

なんか、興奮がマックスになるのが悲しい性です。ここ、裏がガケになっていて、とても逃げにくい地形だとか。

表に出ようと思って、そこにあった木のポールを見ると、こんなものが!

閂か何かのあとですね。なるほどなぁ。

  • ボタ湯

続いて向かったのは「ボタ湯跡」です。ちなみに、ここからは場所はさっぱりわかりません。なにせ、車でグルグルまわって、わけがわからなくなってますから。
ボタ山にはボタと混じって石炭も入っています。そんなのが自然発火して熱を持ちます。そこを通った水はお湯になります。それを使った温泉?が「ボタ湯」です。
立派な建物です。

ここ、現在は倉庫として使っておられます。中に入れてもらいました。女湯の脱衣室。いっぱい宣伝ポスターがはってあります。

鏡台跡かな。下には椅子が転がっています。

こちらは男湯。湯船の跡がはっきりわかります。

炭鉱労働で汚れた身体をきれいにし、疲れた身体を癒していたんだろうなぁ。
ちなみに、当然のことながら、裏にあるのはボタ山です。

が、現在は火力発電所の火力調整にボタを使うので、ほとんどボタ山は残っていないとか。

ここで、お昼ごはん。向かったのは「幸楽園」。ここで冷麺を食べました。うまい!

  • さりげなくある坑道入り口

お昼ごはんを食べたあと、ふたたび博物館の駐車場に集合。まずは添田のめんべい工場に行って「おみやげ」をゲットしました。ここからは、川崎に移動。完全に廃墟探訪がはじまります。
まずは、道から見える坑道の入り口です。

普通に家の裏にあるのでビックリします。たぶん、家の倉庫として使っておられるみたいです。てことは、裏山は石炭をガンガン掘ってるところだから…。こわいな。

  • 線路跡

続いて行ったのは「線路跡」です。

石炭を掘って、それをトロッコに乗せて外へ運び出す線路が、今も残っています。なぜかここ、入れます(笑)。

延々と線路が続いて、やがて行き止まり。

奥から見ると、遠くに外が見えます。

なんか「地下水道」を思い出します。
ちなみに、ここに光武さんの案内で入ったのは、わたしが2人目だとか(笑)。

  • 第一坑扇風機跡

続いて行ったのは「第一坑扇風機跡」です。これは、坑道に空気を送り込むための巨大な扇風機を格納していた小屋です。

近くには、なぜか山の方を向いたスピーカーが設置されていました。

共愛寮」は、朝鮮人炭鉱労働者が収容された「寮」です。入り口の代わりにメタセコイアが植えられたとか。

ちなみに、ここ、たぶん道から100mぐらいしか奥まっていないのですが、薮こきしないと行けなくて、たぶん1時間半ぐらいかかるとか。てことは、わたしのお座敷1回分ですね(笑)。

  • 排気口跡

お次は「排気口」の跡です。遠くにトランペット型のコンクリートが上を向いて設置されています。

  • なんかの台座跡

完全に苔むしていてわかりにくいですが、巨大な台座です。

  • ポイント切換小屋跡兼国語講習所跡

今は何が何だかわからなくなっている建物です。

もともとここは石炭を運び出す線路のポイント小屋だったそうです。その後、一時「国語(クゴ)講習所」として使われていたそうな。看板があります。よく見ると、「南朝鮮」とあります。

  • 排気口跡2

炭鉱は、三井みたいな大企業も持っていましたが、個人経営の炭鉱もあったとか。なかにはムラの人が持っている炭鉱もあって、そういう人は、当然かなりのお金持ちなわけです。「でも、ムラの人なんだよね」とは光武さんの弁。まさに部落差別ですね。
そんな、おそらくは小さな炭鉱の排気口の跡です。

これ、なんと個人の方が保存をされているとか。すごいなぁ。
神棚があります。

この穴は坑道の上にあけられています。

排気するときは、坑道の入り口を閉鎖して、上向きに扇風機を設置したとか。

  • 炭住

そして、再び伊田に移動して、「炭住(炭鉱住宅)」です。これがもっとも古いものだとか。


ちなみに、ここは「跡」ではありません。なぜなら現在も住んでおられるからです。ちょうどここを去ろうとした時に、郵便屋さんがバイクで入っていかれました。
そこから少し移動すると、炭住群があります。ここ、区長さんとの取り決めで写真撮影が許可されているとか。ちなみに、道の下側は長屋で、道の上は戸建てです。



近くには「炭売(炭鉱売店)」があります。

ここ、現在も現役の角打ちです。中にはビアサーバーもありました。スーパードライですけどね^^;;

ということで、田川のフィールドワークは終了です。
あとは、小倉の駅まで送ってもらって新幹線で京都へ。
長い長い1週間が終わります。

人と会う

朝、さすがにメッチャクチャしんどいです。
ここでふと気づきました。チェックアウトが10時。東京に13時。そうだ!マッサージに行こう!てことで、1時間マッサージに行きました。肩甲骨を背中から引き剥がしてもらって、ずいぶんと楽になりました。
で、東京に移動。落ち合ったのは新丸の内ビルディングの「フランツクラブ」なるビアバーです。ここで、おもーいビールをチビチビやりながら、話。お相手は、鈴木さんです。
こないだfacebookで鈴木さんの記事を読んで、ちょいと苦言を呈したら、ご本人が降臨されて、ビビったけど、間に長谷川さんが入ってくださり「会おう!」ということになりました。実際会ってみると、とても謙虚だし、仕事熱心だし、力はあるし、「いい人だ!」って思いました。
てことで夢中で話をしていると、あっという間に移動開始の時間です。で、鈴木さんとバイバイして、高円寺に移動。
次にお会いしたのはN村さん。9月のお座敷の打ち合わせです。この方とはじめてお会いしたのは5月5日のTRPのイベントでした。その前からだったのか、そのときにだったのかはわかりませんが、わたしに興味を持たれたのかな。まぁ、若年層に焦点をあてていろんなことをやってる人はまだまだ少ないから、そんなもんなのかもしれません。
で、このN村さん、当日は基礎知識なんかの説明をされるのですが、この資料がすごいです。はっきり言って、全部任せてもなんの問題もない感じです。というより、3時間とか5時間とかのレクチャーができる人のようです。参ったな。でも、きっとわたしにしかできないことがあるって思われたから声をかけてくださったんでしょうね。
そんなこんなで、いよいよ本日のメインイベント会場へ。

思ったよりもハードだろ(笑)?・合宿3日目

朝、ぼんやり目が覚めて、外の音を聞くと「ばしゃばしゃ」いってます。どうやら雨らしいです。てことは、発声練習はなしですね。てことで、7時半まで寝て、部員達の部屋をのぞくと、あちこちに倒れています。それでも布団を敷いているから、まぁよしとしましょう。でも、パソコンの前に座っている部員もいて「今完成しました」なんていうのは、合宿の風物詩というものです。
朝ごはんは、みんな朦朧とした感じですけど、それでもきっちり食べるのが最近の子どもたちです。
で、部屋の後片付けをして、作品発表会。
うーん、来年は、機材講習に加えて作品のつくりかた講座もしなくちゃならないかな。まぁ、そんなあたりを卒業生がバッチリ指摘してくれるから助かります。もっとも、卒業生達も現役時代はできなかったことです。卒業して大学に行ったり就職したりする中でわかってくることがあるんでしょうね。
最後に子どもたちからひとりずつ「学んだこと」を話してもらいました。1年生が「はじめはたいしたことないだろうと思っていたけど、思っていたよりハードだった」という感想を持ったのは笑いました。だから言ってたじゃん。
で、荷物の積み込みをして、合宿所をあとにしました。

家に帰ると、さすがにくたくたです。
ごはんを食べて、布団の上に横になったら、そのまま動けなくなりました。まぁ、全力出し切ったのなら、それはそれでいいことです。
てことで、今年の合宿もおしまい!

よーやるわ・合宿2日目

合宿の2日目の午前中は、いつもの通り機材講習実践編です。昨日、いろいろと接続の基礎を教えましたが、今日はどんなシチュエーションでどういう機材を出すのかとか、どんなところに注意するのかとか。学年集会から全校集会、屋内でやる時とか屋外でやる時とか、それぞれ少しずつ注意点が違うので、そのあたりを実地でやろうというのが今日のテーマです。
屋内はともかく、屋外でやる時は、電源の確保からはじまって、雨対策とか、太陽対策とか、はたまた空中配線とか、ケーブルを使うのかワイヤレスを使うのかとか、いろいろ考えなきゃならないことがあります。そんなこんなで、いろんなお題を出すのですが、そのお題を考えるのがけっこうたいへんです。でも、それがおもしろい。あと、ケーブルも20mとか30mのケーブルがたまにあるので、そんなのをどうさばくか。幸い今回は、いまプロになっている卒業生が来てくれたので、いろいろ教えてもらいました。やはりプロの技はひと味違います。すごくいい勉強になりました。
午後は恒例の山登り。実は、ここ3年、同じ宿にしているので、山も同じです。ところが、今回はえらいハプニングが発生しました。なにせ、登っている最中に谷筋をひとつ間違えるという(笑)。どうなんねんと思いましたが、まぁ、どうせ上に上がったら正しい尾根筋に出るだろうし、あちこちに「道らしきもの」があるのでなんとかなるだろうということで、ガンガンあがっていったのですが、なかなかスリリングでした。ちなみに、尾根筋直前の風景を見ていると、みんな道なき道というか森の中からというか、そんな感じであがってきたから、よく登れたなと。さすがに体力は相当消耗したので、ピークに行くかどうかはオプションにしました。もちろん、わたしはオプションであっても、それが存在する限りは登らなきゃならないわけです。てことで、ピークから見た眺望はこんな感じでした。

やはりきれいなものはきれいです。
で、下山開始。途中、ものすごくわかりにくい分岐点があるのですが、やはり間違えました。でも、登りと違って道もしっかりしているし、これは大丈夫でしょう。ということで、降り口もひとつ谷筋を間違えて降りました。が、まぁ、バス停ひとつ分もあるかないかだから、ええか。
下山したところに神社がありました。今回の山行には小学1年生もいたのですが、その子、狛犬を見た瞬間「あ、シーサー」って言ってました。でも、たしかにシーサーでした。

てか、シーサーと狛犬の見わけ、つかんわ…。
で、バス道を歩いていると、なにやら夜には行きたくない感じの風景が。

鳥居の立ち方が、なかなかな空気を出しています。
まぁ、そんなこんなのところを抜けて、車が置いてある地点に到着。さて、宿に帰りましょう。
昨日の晩ごはんはすき焼きだったので、今日はしゃぶしゃぶかなと思ったら、やっぱりそうでした。ほんと、ここの料理はおいしいです。
で、夜のプログラムは編集です。午後に山に登って、夜に編集って、考えてみたら無謀な計画ですが、まぁ、放送部なんてそんなものでしょう。とにかく、番組を完成させてね。わたしは寝るから(笑)。

世間はお盆というのに(笑)・合宿1日目

今年も放送部の合宿の日がやってきました。なにが悲しゅうてお盆のまっただ中に合宿をするのかと思うのですが、まぁ、わたしがこの日程しかとれないので、しかたないです。てか、卒業生は来やすいかもです。
てことで、ここ2年やってる合宿所へ。この民宿、安くて近くておいしいので助かります。しかも、ある程度放置してくれるのがうれしいです。
到着したら、まずは番組制作のための班分けです。今年は4班編成でひと班はアンドロイドで映像作品をつくらせてみることにしました。
でも、そんなのとは無関係にプログラムは流れていきます。今日の午後は機材講習。入部して4ヶ月の1年生は、まぁなにも知りません。そんな1年生に、「音とは何か」みたいな話から、機材のイロハを教えていきます。約2時間の講習ですが、たぶんこれだけでは使いものにはなりません。実地で失敗しながら少しずつつかんでいくしかないかな。でも、ここでできないことが実地でできるはずもないので、やはり合宿は必要かな。
で、夜のプログラムは卒業生への自己紹介。これがまた現役は下手なんですよね。ひどいときは、クラスと名簿番号を言うのですが、今年はさすがに「いらんし」って言っときました。自己紹介って、セルフプロモーションですから、番組制作につながるところがあるかな。長ければいいものじゃないけど、何も言わなきゃ、それはそれで伝わりません。どうやらプロのアナウンサーでも「1分間自己紹介」とかやってるみたいですから、やはり必要なんでしょうね。
で、その後は部員たちは話し合い。わたしも卒業生と話し合い(笑)。
そんなこんなで夜はふけていきます。てか、現役諸君、寝てるヒマあるのか(笑)?

ホテルにいったん帰ったところで、お友だちのO田さんからメール。夜の呑み会は参加範囲が限定されていて来られないけど、まだ会場近辺におられるとか。なので、ホテルのロビーで会うことに。で、ちょこっと話をしたのですが、なんとなく
「ムラに行きたい」
というとつれていって下さることになりました。
車に乗せてもらって約20分、到着したムラは、関西の人間にはさっぱりわからないたたずまいです。と、O田さん、一軒のお家の前で車をとめられて、玄関を叩いておられます。マジか…。出てこられた方に
「この人、ムラに行きたいって言うから連れてきました」
とか言っておられます。と、
「それはそれは、ようこそいらっしゃいました」
と、これまた歓迎のお言葉。ほんとにO田さんがこの地で関係をつくっておられるんだなということが、しみじみと伝わってくる感じです。
「いやぁ、関西の人間にはさっぱりわからないです」
「そうでしょう。このあたりはもとは10数軒しかなかったけど、今は100軒を越してますからね」
「へー」
「でも、なぜかムラの人はわかるらしいですわ。もしかしたら、赤い印がついているのかも(笑)」
なんちゅーギャグを!なので
「いや、星のマークが」
と、これまたいらんギャグで返してしまいました。すみません。
それにしても、この軽やかさはなんだろうと思っていたら、O田さん、会わせてい人がいるとのことで、家の裏にドンドン入っていって、またまた
「この人、ムラに行きたいって言うから連れてきた」
と、わたしのことを紹介。すると
「それはいかんなー(笑)。ブルーベリー、食べるか?」
と脈絡のないお言葉。ほんとうにすごいわ。てことで、ブルーベリーを食べながらホテルまで連れて帰ってもらいました。

で、O田さんとバイバイして、今日の飲み会の会場である「海旬」へ。なんでも、校長さんが「おいしい魚を食べさせたい」とのことです。
たしかに刺身、すごいです。

脂が甘い。続いて出てきたのが茶碗蒸し。

これもおいしい。やはりダシなのかなぁ。ちなみに、この茶碗蒸し、ろう学校の卒業生の方がつくっておられるかもしれないとか。
刺身だけじゃなくて、焼き魚も煮付けもすごいおいしい。さらに、なぜか豚しゃぶが出てきたのですが、これがまたおいしい。それにしても量が半端ないです。ぜったいに食べきれないな(;_;)。
で、ガンガン魚を食べながら、管理職のみなさんに今日考えた「ろう学校の開放」を提言(笑)。みなさん、苦笑いをされながらも、一方で
アスペルガーで聴覚過敏の人なんかにとっても、視覚優位の学校はいいかも」
とか、ちょっとおもしろそうな気配も漂わせておられました。
さてと、お腹いっぱいになったところで、今日の飲み会も終了。ホテルに帰って寝ましょうか。

メッチャ懐かしい再会・全国在日外国人教育研究大会(2日目)

朝、分科会の会場に入ると
「いつきさん!」
と声をかけられました。そちらを向くと、もっとも初期にカミングアウトしたうちのおひとり、全国キリスト教学校人権教育研究会のM内さんがおられました。この方
「男時代のいつきさんは怖くてしんどくて、とてもしゃべりにくかった。でも、そうだったんだ」
って受けとめてくれた方です。なんか、あの時の気持ちは今でも覚えています。教員をやめられてから、今もとても地道に、でも素敵な仕事をしておられます。
そんなこんなで、M内さんとしばし思い出話とか、近況報告とか。
で、分科会がはじまったので参加。在日朝鮮人ハンセン病の話を聞きに行ったのですが…。
とてもよかったです。よかったんだけど、レポートじゃなくて講演ですね。ま、講演でもいいんですけど、なんかちょっとさびしいです。昨日の全体会もだったけど、揺らぎのない話はおもしろくない。まぁ、おもしろさを求めることそのものが間違っているのかもしれませんが、でも、「完成された語り」の場ではないところで「完成された語り」を聞くと、ものすごく違和感があるんですよね。さらに、質疑応答というか感想というか、それが、あまりにもです。簡単に言うと「称賛」です。だから深まらない。
強烈な違和感を感じた分科会でした。まぁ、予想はされていたのですけどね。
まぁ、そんなこんなで、今年の全外教の大会は終了。

つくづく「揺れ」とか「葛藤」とか「逡巡」とかが好きなんやなぁ・全国在日外国人教育研究集会

朝、目が覚めると畳の上です。これは身体がきつい。昨日の夜メイキングしたベッドに移動すると、すでにみなさんは朝の準備をされてます。マジか…。それでもしばらくゴロゴロして、体調を整えて、朝ごはん。コロッケパン、おいしい。
で、子どもたちは班討論の部屋に行きました。わたしは…。本部待機ということで^^;。でも、ところどころで入ってくる情報で、いろいろ考えます。もしかしたら、テコ入れの方法がまずかったのか?でも、今からではもう遅い?みんなにがんばってもらうしかないか?いや…。
てことで、アチコチの班を見てまわったのですが、おもしろいですね。見事にそれぞれの班の個性が出てきます。しっとりと小声で話しあう班のもあれば、ワイワイにぎやかな班もあります。終盤になって、みんなで論議した内容をポストイットに書いて模造紙に貼り付けていくのですが、ここでもきちんと並べる班もあれば、思い思いのところに貼る班もあって、個性が出ます。
で、全体会。みんなの前で発表しているみんなの顔を見ると、さきほどの心配が杞憂であったことがわかります。それぞれの班が自分たちの経験や思いを出しあって、みんななりの「社会化」をしてきたんだなということが伝わってきます。
ある班のある中学生が、昨日の夜書いたというラップをみんなの前で披露してくれました。ひとりは関東から、ひとりは関西から、ひとりは九州から。出身もエスニシティナショナリティもすべて違う3人が出会ったのは去年の交流会です。なのに、その3人がラップを歌い、DJをし、ダンサーをする。そんな風景を見て、「20年以上かかわってきたんだなぁ。続けてよかったなぁ」と思い、なんか、涙が出てきました。
で、卒業生の車に乗せてもらって、全体会の会場へ。子どもたちは、ここで大人たちへ向けてアピールをします。全体会の会場に入ると、某人権教育研究会の友だちが来ています。かなりうれしかった。
で、アピールタイム。みんな、さっきの発表よりもスムーズに話をしてます。でも、じつは荒削りな方がおもしろいんですよね。そして、そのおもしろいのが聞けるのは、交流会の世話人だけです。そんな楽しさを他の人に伝えられたらいいな。
そんなこんなで、今年の全国交流会も流れ解散。
その後、全体会の会場にもどって外国人教員のシンポジウムを聞きました。が、ねむい。しかも、みなさんしっかりしておられるので、逆に単調。おそらく外国人教員がいることの「すばらしさ」とかは伝わるんでしょうけど、迷いとかブレとか、その手のものが伝わってきません。これは個人的にはきついです。みなさんの元気な声が、逆に子守唄になって、ついウトウト。気がつくと、残りあと5分。「しまった」と思ったけど、時すでに遅しです。
あーあ(;_;)。