中近世の「坂」の領域と風景

今日は京都部落問題研究資料センター主催の「差別の歴史を考える連続講座」です。講師は下坂守さん。内容は、なんと弓矢町と物吉村をめぐるあれこれです。
このあたりのことをはじめて知ったのは、2012年のことです。ちなみに、このブログの記事、「物吉村」でググると出てきます(笑)。まぁそれくらい知られてないってことかな。さらに、弓矢町については「弓矢町」だけでは何も出てきません。ただ、それなりに研究は進んでいるのかな。今日はその研究成果の一端を聞かせてもらえるようです。ワクワクします。
レジュメはB4が4枚。うち二枚は絵図と地図です。たまりません。
話の内容は、基本的には「物吉村がどこにあったか」という話です。わたしはいちおう宮前さんから軽く教えてもらっていたので、だいたいの場所は想像ついていますが、その根拠となる話を聞けるので、楽しみです。で、物吉村の場所を確定させるためには、弓矢町の「木戸」がどこにあるのかが大切です。なぜなら、古い絵図を見ると、西の木戸の内側すぐのところに書かれているからです。てことで、まずは弓矢町の木戸を探すところから話がはじまりました。
古い絵図や、建仁寺の地図なんかを見ると、ちゃんと木戸が書いてあるんですね。さまざまな時代の木戸の位置を確認しながら、当時の弓矢町の範囲を確定させていきます。これが大切なのは、物吉村は弓矢町の中にあるからです。そして、弓矢町は建仁寺の領地にはなかったからです。
ちなみに、東山はほとんどが建仁寺祇園社などの地頭の領地とのことです。その後、江戸幕府が鴨川に堤を築くことで、もともとの建仁寺を守る堤であった大和大路と堤の間に土地ができて、そこが宮川町になって、新たに幕府の直轄地ができます。ただ、その直轄地ができる前は、基本的には地頭の土地でした。が、弓矢町はそうした地頭の支配下になかったということです。しかも、物吉村は建仁寺との境界線上にありました。なので、弓矢町の境界線を確定することは、物吉村の位置の確定にすごく重要であるということです。
で、いろんな資料を使いながら、ほぼほぼ位置が確定できたところで、お次は物吉村の場所です。が、これが難しい。というのは、なかなか資料に出てこない。でも、いくつかの資料を用いながら少しずつ場所をつめていきます。
歴史家って、こういう緻密な作業をしておられるんだなと、あらためて驚きます。
そして、最終的に確定された場所は、やはりかつて宮前さんから教えてもらった「あの場所」でした。
ただ、単に教えてもらったんじゃなくて、そこに至るプロセスを知ったことで、「おさんぽのネタ」が、またひとつ増えました。
講演のあと、ちょっとビビリながら下坂さんに
「そのあたり、友だちに頼まれたらパチモンのフィールドワークをしてるんです」
と言うと
「それはそれは!じゃぁ、今日の資料を使ってください」
とか言われて感激です。だって、それをお願いしようと思ったら、逆に「つかって」って言われるわけですからね。歴史学者の懐の深さを感じました。

てことで、「おさんぽ」はまたまた長くなりそうです(笑)。

ゆきみちゃん講演会

一昨年までは特殊な人権学習の組み方をしていたうちの学校ですが、去年からそれができなくなったので、まぁ「ありがち」な組み方にしました。まぁ、全学年一斉ってのはおもしろいけど、カリキュラムとしては無理があったので、それはそれでいいかなとも思ったりもしています。
で、外部講師をどの学年のどの内容で入れるかが問題です。
三題噺は「部落差別」「外国人差別」「障害者差別」です。これを各学年に振り分けて、さらに何学期にやるかを考える。3年生の2学期はリビングライブラリなんで、そうなると1・2年に外部講師となります。そんなことをいろいろ考えて、部落差別はわたしが話をしようかと。それがこないだでした。
それにしても、1学期は1年でプレゼン、2年生は講演で、3年生はプレゼン。来週は1年生のワークということで、何回人権学習するねんという感じです。
てのはおいといて…。
「障害者差別」と「外国人差別」を誰にお願いするか。もちろん鉄板の人もおられますが、あえてそこははずしたいと思ってお願いしてるのが小林春彦さん三木幸美さんのおふたりです。でも、このおふたり、ここ3年でメッチャビッグネームになってしまって、そのうち相手してもらえなくなるかもなと(笑)。でも、わたしに先見の明があったということにしておけば、少しうれしいかもです。
そんなわけで、今日はゆきみちゃんの講演会。対象は2年生です。
1・3・4と授業をやって、昼休みに準備をしてると、同僚が迎えに行ってくれたゆきみちゃんが到着。そこからふたりで準備したりしていたら、生徒が体育館に入ってきました。マジか…。まだ10分前だぞと思ったけど、こいつら10分前行動をしてるんだった^^;。
で、ゆきみちゃんが話しはじめたんだけど、やはりいいな。淡々としてます。「大きな差別」を語らない。ほんとうに身のまわりで起こったことを淡々と話す。だから伝わります。そしてもうひとつ。受け身ではない。なぜなら「ダンス」という形で子どもたちの居場所づくりをしているからです。だから、教員サイドのことも語ってくれます。これは大きい。なぜなら、例えばうちのガッコの子らの中には保育の道に進む子もいます。そんな子らが将来出会うであろう子どもたちの話をしてくれているからです。それからもうひとつは仲パレ〜ダイバーシティパレードという「運動」もやっています。そういう多彩さが、子どもたちのどこかに引っかかります。
終わってから、なんでもひとり会場の外で質問に来た子がいたとか。さらに職員室でダラダラしようと思ったら、ひとり相談に来た子もいました。そうこうしていると、ある担任さんが感想文を持ってきてくれました。そこにも自分のことを書いてる子がいました。すごいな。ほんとに響いたんだ。
今年もゆきみちゃんに来てもらって、ほんとうによかった。来年も来てくれるかなぁ。

その後、しばらく職員室で話をして、4時に年休をとって、ゆきみちゃんと京都駅へ。近くの居酒屋に入って、反省会です。でも、とくに反省することもなく。仕事のことやプライベートなことなどいろいろ話。そうか、ゆきみちゃん、仕事に投入しながらも、少し客観的にみられるようになったんだ。そこから、今の仕事の魅力なんかもわかるだろうし、だから仕事の意味や価値がわかるようになる。
わたしもわたしでいろんな話。
あっという間に時間がたって、気がつくと、ゆきみちゃん、次の仕事に遅刻だとか。ごめん^^;。
それにしても、おなか減った。
家に帰るとたらこパスタ。これは食べなければ!

やっと来てくれた

朝からそんなことを考えながら、なんとなくヱビスをあけてしまったり。ダラダラと暴走機関車がつくってくれるごはんを食べながら朝を過ごします。
果たして今日は現役は来てくれるんだろうか。
と、卒業生が精算をしてる時に現役登場!よかった、来てくれた。でも、ひとりでは交流にはなりません。と、1994年の卒業生が高校生の子どもを連れて来てくれました。やったね!他にも卒業生が来てくれたり、昨日の晩から残ってくれたり。
さでと、何をつくろうか。あまり時間がないから、チヂミとギョウザでいきましょう。みんなが買い出しに行ってる最中に、サクッと皮をつくってしまってしばし寝かせましょう。みんなが帰ってきたら餡づくり。ひたすら包丁を動かします。が、みんな包丁使いがうまい!おかげでメッチャはかどりました。
サクサクっとギョウザをつくって、みんなで食べながら雑談。その後自己紹介。時間が短かったので、そんなに深い話まではできなかったけど、久しぶりの「交流会」という感じでした。
さてと。
お家に帰って、寝る前のビールを飲もうかな。

突然の訪問

今日は校外学習の日です。例年ビール抜きのバーベキューの1日になるんですが、今年はなぜか引率なし。学校待機になりました。なので雑務をしたりランニングしたり。走っているうちに、なぜか「王将のギョウザを食べたい」と思って、しかもそれがいつの間にか「天一食べたい」に変わっていったり。たぶん、昨日の夜ケンミンショーで富山ブラックを見たからですね。「京都ブラウン」が食べたくなったんでしょう。
てことで、誘惑に耐え切れずにJR→地下鉄と乗り継いで今出川へ。ちなみに、午後に行く予定のところの近くにも有名店はあるのですが、やはりここは今出川店です。京都ブラウン、うまかったっす。
その後、北大路まで移動して、大谷大学に潜り込んで、少し原稿考えてみたり。
そうこうするうちに四日市の人たちが到着。ツラッティに向かいます。ここ、これまで何回来たかなぁ。ここの展示はけっこうおもしろいんですよね。なんと言っても古地図がおもしろいです。それから航空写真かな。京都の街の変遷がよくわかります。四日市の人たちが本郷さんの説明を聞いている間、わたしは「ふーん」と思いながらそんなこんなを見てみたり。
その後、なぜかわたしがあたりをほんの少しだけ案内してしまいました。よく知らんのに、よー案内とかするわとは思います。
で、5時になったところで、みなさん、「六条村に行きたい」と言われるので、それでは案内しましょうかと。てことで、川崎村→天部村を経由して六条村へ。さて帰ろうとなったけど、なんとなく「飲むか」となって、たまに行く角打ちへ。いつものお母さんが「あんたはん、久しぶりやな」ときれいな京都弁で迎えてくださります。
でも、今日の話で一番おもしろかったのが、
「北は〇〇通り、東は〇〇通り、南は〇〇通り、西は〇〇通り。これらに囲まれたここが同和地区や。オレはそこで生まれ育った」
と胸を張って言われたところかな。なんでもとある運動団体支部長もされてたとか。そこから昔話をたっぷりと聞かせていただきました。まさにオールロマンス行政闘争の頃の話です。メッチャおもしろかった。
そんなこんなで有意義な夕方は過ぎて行きました。

いろいろやらなきゃならんけど

明方、なんとなくPCひらいてメールを見たら、「おべんきょ結果」の評価結果が来てました。BCのC。はたしてこれがいかほどのものなのか、よくわかりません。でもま、DやEではなかったということなんでしょうね。なんしか、ここから「修正おべんきょ結果」へ向けた日々が3ヶ月続くわけですね(;_;)。

で、出勤途中はおべんきょしたりタスクリストをつくったり。いちおうやらなきゃならんことはあれこれあるけど、気がついてるのは一部で、潜在的にはもっとあるはずだし、あとから「これも」ってなるのはわかりきった話です。
で、職場に着いて「さて」と思ったら、案の定いろいろ連絡が来ててなんだかんだやっていると時間はどんどん過ぎていきます。まぁええか。
ふと若手教員とふたりになったとき、
「せんせいっていつから担任してないんですか?」
って聞かれたので
「もう20年やってないなぁ」
と。
「担任したいですか」
「もうすることはないだろうけど、したいよ」
そこから、担任談義とか教員談義とか生徒とのかかわり談義とか。
考えてみると、担任時代のわたしは、めっちゃ好きなようにやらしてもらえました。しんどい生徒ややんちゃな生徒を「預ける」ってさせてもらえました。だから、誰も手出しをしない。おかげさまで、その子ととことんつきあわせてくれました。
いま「チーム学校」とかいうけど、そしてそれそのものは大切だとは思うけど「まかせる」ってこともホントは大切なんじゃないかなぁ。
そんなことを思いながら話をしているうちに「安倍話」とか「トランプ話」とか(笑)。貴重な時間でした。
昼のおべんとを食べたら、眠くなって、おべんきょしているうちに爆睡です。
で、復活したので試験問題をつくってみるなど。で、つくった試験を自分で解いてましたが、めんどくさい。なんか嫌気がさしてきたところで、なにやら「ネットが不安定」とか同僚が言ってます。どれどれと見てみたら、LANケーブルの被覆がズタズタです。
てことで、急遽LANケーブルの空中配線工事開始です。脚立を使って、天井をケーブルをはわしたり、コネクタかしめてみたり。いや、楽しい。なんか、おべんきょよりもこっちが性に合ってるかもね。
そんなこんなで、一日が過ぎて行きました。

やってたなぁ

今日は午後から第二の故郷に出張です。なんでも、人権教育研究会の総会だとか。わたしはそこの研究会には所属してないけど、オブザーバー参加をさせてもらってます。
前半は総会。わたしは議決権はないから、ひたすら聞くだけです。寝ちゃいました(笑)。で、そのあとの記念講演は、かつて一緒に同和教育の連絡会をやった仲間によるものです。
第二の故郷の中学校は、とにかく荒れと低学力で有名でした。いつだったか、中の人が「うちは京都で一番学力が低い」と胸を張ってました(笑)。でも、それではどうしようもありません。なので、おそらくは50年くらい前からいろんなとりくみをしてきました。
はじめは「荒れ」との闘いです。ちなみに、40年くらい前の状況は、教員の平均年齢が30歳くらい。平均在職期間が2年くらいという、メッチャクチャなデータが残っています。つまり、教員がもたないってことです。そんなところから、「荒れ」を克服するとりくみが長く続きました。ちなみに、いつ頃まで続いたかというと、わたしが担任してる頃も続いていました(笑)。なにせ、近所の中学校と河原で決戦してたらしい。もちろん素手なんてことはないです。金属バットとチェーン使ってたらしいです。ほんとに落ち着いたのは、ここ10年くらいじゃないかな。でも、荒れてる時の子どもたち、決して学校からソッポを向いてはいませんでした。中学校への信頼は厚かった気がします。そんな「信頼」をベースに、20年くらい前から「低学力」との闘いがはじまりました。
ちなみに、わたしが「参戦」したのは30年くらい前です。最初期に出会った子らは、まさに荒れと低学力の両方を持っていて、「学習会」という名前の信頼関係づくりの場に誘うところからはじまりました。そんななかで、でもやめていった子もいたなぁ。やはり、高校では最低限の学力はどうしても要求されるんですよね。
「低学力」との闘いが組織化されたのが「同和教育連絡会」だったんですよね。ここは10歳くらい年上の先輩たちが参加していて、鉄砲玉時代のわたしは参加させてもらえませんでした。でも、ほどなくして鉄砲玉を卒業して参加するようになりました。なんかそう考えると、歴史の転換点に、わけもわからずに居続けてますねぇ。
で、低学力は克服したかというと、まだできていません。でも、かなりマシにはなったかな。
荒れも低学力も、ほんとに長い時間をかけてそうなったわけで、それは対症療法的になんとかなるものではないんですよね。そして、「連絡会」も対症療法でなんとかしようとはしてない。
そんな歴史を、仲間の講師は話されました。
わたしは今も「連絡会」に参加しています。まだ歴史は終わってなくて、つくられている途中です。

で、夜は数学科の飲み会です。場所はおとつい行った店です。我ながら「なにやってんねん」と思います。まぁでも、料理もワインもおいしいし、赤ワインこぼさなかったし、久しぶりに「今宵もはじまりました」に投稿できたし、まぁええか。

さらに出掛けには70円まけてもらえたし、店員さんに顔は覚えられてたし、まぁええか(笑)。

これはすごい!

朝、とりあえず職場に着いたら、昨日の飲み会のお礼と謝罪のメールなどしました。すると速攻返事が返ってきたのはいいんですが
「京都駅前でバンザイしたのもいい思い出です」
とか書いてあって、
「マジか」
と。記憶ないです。
生徒に
「バンザイしたらしい」
というと
「はずかしー」
と笑われ
「覚えてへんねん」
と言うと
生「思い出せ!」
い「記憶は霧の中や」
笑われました。

てのはおといて、いちおうわたしはタッチタイピングができます。スピードもそこそこ速いです。なにせ「Ozawa-ken」で鍛えましたから。
でも、どこかで「音声入力、楽かなぁ」という気持ちもありました。
そんな折、職場のPCにつないでたヘッドフォンが左が聞こえなくなりました。このヘッドフォンも長く使ってました。何に使うねんという話ですが、もちろん音楽聞いたり動画も見たりにも使わないわけじゃないですが、メインは動画の編集です。これ、ヘッドフォンが不可欠なんです。なので、ヘッドフォンを買い換えようかと。ならばどうせならマイク付きにしようかとか。
そんなわけで、amazon見てると、いろんなのがあるんですね。
わたしの知識は今の職場に来たころで止まってまして、「放送部で使ってたなぁ。すぐ壊しよったなぁ」程度の認識でした。でも、今はチャットしながらゲームをするために、プアな学生向け用のメッチャ安いのからSennheiserの高価なものまでいろいろ出てるんですね。
で、なにを買おうかと。悩んだ末にポチッたのが届きました。

中にはLEDが仕込まれていて光ります(笑)。

なんだかカッコいい(笑)。
で、さっそくgoogle documentを開いてツール→音声入力です。おぉ!どんどん入力していく!でも、ぜったい音声データを集めてるよな。と思ったので、Ami Voiceを起動しました。これ、けっこう音量レベルをあげなきゃならないんですが、それでもめっちゃ楽です。作文を読みあげるだけでどんどん入力できます。
それにしても、ガッコってうるさいです。ひっきりなしにチャイムは鳴るし、放送が入ります。そのたびに無駄に変換しようとします。チャイムをどないに変換するねんと。さらに、同僚の声が大きい。なので、それも拾ってしまいます。たまにそれも変換されてしまいます。ちなみに、輪転機の音は変換しませんでした。
でも、タイピングするより圧倒的に速く、なにより圧倒的に楽です。ひとつ欠点があるのは、ひとりブツブツ作文読んでるのが恥ずかしい。でも、こちらについては「いまさら」なのでいいでしょう。
てことで、買ってよかったわ。

変質してるな

今日は午後にとある人権教育研究会の「研究交流会」があります。まぁ、実質総会です。
てことで、京都府中部の町へ。いや、ここでやるのは、北部と南部のちょうど真ん中ってことです。なんでもかんでも京都市でやるってのは間違ってます。
到着したら、とりあえず読書ノートをつくってみるなど。そうこうするうちに会がはじまりました。
まずは開会行事。友だちがいつの間にか会長やってます。かつてお互いの子どもの子ども会を一緒にやった仲です。そういや、うちの研究会も会長は年下やしなぁ。そういう歳なんやなぁ。自覚はないけど(笑)。
で、レポートが3本。
がんばってはるのはわかる。でも、それは人権じゃないよというレポートです。簡単に言うなら「医療モデル」です。まずは「見立て」があり、続いて「治療」があり、最後に「結果」がある。そんなレポート。そこに社会性が一切ない。
曰く「Aは自尊感情が低い」。どうやってそれがわかるねん。「自尊感情を高めたいと考えた」。どうやったら高まるねん。わたしはわからんわ。てか、ほとんど神様かと。
とにかく、担任をした子に問題があって、その問題をどうするかってレポートばかりです。とうとう2本目のレポートでキレました。
「それ、人権教育ですか?」
やってまいました。あわてて会長やってる友だちがフォローしてました(笑)。いや、わたしの前にあんたがした質問を受けてのことやし。
休憩の時に、いちおうレポーターのところに行って
「きつい言い方してすんません。「医療モデル」と「社会モデル」というのがあってね」
とフォローして、その後、役員控室に行ったら、前会長が
「ようゆーてくれた」
と。いや、あんたの後ろ姿が
「いつきちゃん、言え!」
って言ってたんやんか。さらに
「なんで1本目も言わんかったんや」
と。どないやねん(笑)。
最近、若い教員が一生懸命とりくんだレポートが出てきます。でも、みんな「発達に課題のある子をなんとかした」なんですよね。そういうレポートが研究会にあがってくるということは、それが選ばれているということなんですよね。つまり、そういうレポートしかないということだし、みんな優しいからそういうレポートに意見を言う人間がいないということなんですね。
考えてみると、わたしはいっぱい実践レポートを書いて、さんざん叩かれました。でも、その叩きに対して「くそっ」と思って実践をやってきました。「レポート叩き」は「暑い優しさ」なんです。「暑い優しさ」の反対は「無視」です。
実は、今回も無視しようかと思った。でも、無視できなかった。それは「同和教育の継承」が喫緊の課題だからです。わたしを育ててくれた諸先輩たちを継承する最後の数少ない人間のうちのひとりとして「無視をしちゃいけない」と思ったからです。
高校のレポートには、中学校の校長がかみついてました(笑)。大人気ないなと思ったけど、わたしも大人気ないし、それでいいんでしょうね。ものわかりのいい先輩である必要なんてどこにもない。
研究会が終わったら、小中の友だちがみんな笑ってました。なんでも、みんな
「言うやろな」
と思ってて
「言いよった(笑)」
と思ったらしいです。しゃーないやん。前会長に託されたわたしの任務やし。
でも、ある中学校の教員が
「ちゃんと練ったレポートつくらんとあかんと思ってるんです」
と真顔で言ってくれたのがうれしかったですね。
まぁそんなこんなで無事研究会も終了。

今年も語った

今日は3年生の人権学習です。ネタは去年と同じです。さてさて、どうなるだろうなぁ。
朝、ふとんの中で少しfacebookを見たら奥田均さんの記事があって、これは使えるなと。てことで、朝7時半にガッコに着いて、印刷したり機材の準備をしたりしてから、プレゼンを少しいじったりしました。
それにしても、今日は忙しい。いや、決して忙しくはないんだけど、詰まってます。なにせ、1・3・4と授業があって、5・6が人権学習です。てことは、フリーで使えるのが2時間目だけ。なので、プレゼンの最終チェックをして、あとは野となれ山となれです。
昼休みに機材をセットしながら「あー、あそこをこうしたいなぁ」と思ったけど、時すでに遅し。なにせ、一度体育館にPCを運んでしまうと、データのやりとりができなくなります。マジでs○y○eaだるいです。
そんなこんなで、5時間目は今年もDVDの上映。その間に大急ぎでおべんとを食べてみるなど。体育館に帰ると、みんな真剣に見てます。よしよし。まぁ、化学調味料的なDVDだけど、たまにはええか。DVDのあとは、担任さんに少しコメントしてもらいました。たぶん、こういうのが大事なんだと思うのです。
休み時間に「どうやった?」と感想を聞くと「映画見たら泣くからずっと下向いてた」とかいう感想があったりしておもしろいですね。
で、6時間目はわたしから話。今年はレジュメ風のものを出してみたけど、みんな真剣にメモをとりながら聞いてくれました。
放課後、3年生の子らと雑談してたら
「せんせい、話、うまいわ」
とか言われて恐縮してしまいました。

放課後は、なぜか教職員研修です。その後、なぜか卒業アルバムの写真。このあたりで身体が終わりかかってます。なので、少し走ってみたりしたのですが、やはりペースをあげると5kmもたないですね。これはさらなる補強をしろということですね。
てことで、家に帰ってビールを飲んで、長い長い1日が終わりました。

やはり会いに行こう

朝、目が覚めたら6時前です。何が悲しくて「明日起きるであろう時間」に目が覚めるのかなぁ。でも、しかたないのでゴロゴロ。
昼前に行動開始です。今日は早々に帰ろうかと思ってたけど、「新幹線に乗った」というSょう子さんの書き込みを見て、会いに行かねばと。ハグしに行かねばと。
てことで、再び「そらにじブース」に行きました。いましたいました。Sょう子さん。こちらを見られて、「ほわーん」とした顔になって、やはりハグです。やはり来てよかった。
で、昼ごはん。おにぎりは昨日食べたので、今日はせんべい汁とビールです。裏手にまわると大黒堂ミロさんがおられました。他にもなにやら重鎮感漂う人がたくさんおられます。と、Tに口さんも来られたり。てか、Kなめさんがおにぎり握ってるんだから、ほんとにここはすごい場所です。
一息ついたので、一度いろんなブースをまわってみようかと、田酒を片手にフラフラと歩きました。これもんです。

ところどころのブースに見知った人の顔があったりして、そんなうちのひとつ「虹色ダイバシティ」に行くと、いきなり「この人のほうが」とか言われて、M日新聞の取材を受けるなど。酔っぱらいの話を聞いてもなぁ(笑)。てか、酔っぱらいを押しつけたらアカンやろ。なんでも「LGBTと学校」らしいです。はやってますね。
LGBTを学校で教えることについてどう思うか?」
とか聞かれて、これまた定番やなと。
「子どもたちは学校で習う以前に、すでに異性愛をマスコミや社会やあちこちで教わってる。だから、同様にマスコミや社会が同性愛についても伝える必要がある。てか、学校だけしかやらなかったら、子どもたちは「タテマエはそうかもしれんけどホンネは違う」ってなりますよ」
と答えておきました。テレビやマンガが異性愛を教えてるって、なぜわからんかなぁ。なぜ同性愛だけが教科書で教えるかどうかの論議の対象になるのかなぁ。
まぁ、そんなこんな。
で、疲れたので「そらにじブースの裏手」に行くと、国会議員とか国会議員に似てる人とかがおられます。なんなんだ、ここは(笑)。やがてSょう子さんが着替えて出てこられました。どうやらswashフロートで歩かれるみたいです。でも、わたしはそろそろ限界です。なので、歩くのは諦めて、ボチボチ撤収の方向へ。と、向こうから司法書士のみなさんがパレードの終点へ向けて来られたのが見えました。なので、せっかくなので最後だけ一緒に歩いて、ついでに集合写真に写り込んでしまったり^^;。
で、ここでもともに台風と闘ったお友だちとハグしたり。帰り道ではイスラエルのブース前で行動してる人にサムアップしたり。写真を撮らせてもらったら、横から勝手に写真を撮られたみたいで、ほんとになんてヤツなんだと。言ってくれたらポーズとるのに(笑)。
てことで、当初思ってた新幹線よりかなり早めの新幹線に乗るべく切符の変更を試みるも、アカン、席がない…。と、グリーンポイントがあったじゃないか!6月末で1500ポイント失効するので使わない選択肢はないです。てことで、行きも帰りもグリーン車です。
おかげさまで、少しゆっくりしながら、完全に暗くなる前にお家に着きました。
長い2日間でした。明日は仕事か(;_;)。