4時間12kmの先

今日も午前はてんてこ舞いです。
まずは「みだしなみ点検」。もっともわたしは支店長といろいろ話をしてたんですけどね。話をしながら、つくづく「担任という仕事」を伝承してこなかったんだなぁと痛感したり。
で、1時間目の授業を終えて、とある担任さんと話。なので「担任という仕事」の伝承です。
例えば、謹慎の申し渡しの時にどこに座るか。まぁ、やってる時はわかってなかったけど、いま振り返ると自分のスタンスはそうやったんだと思うんですよね。
通常、教員と生徒・保護者は向かい合うんですよね。でも、わたしはなんとなくお誕生席とか生徒・保護者の並びの一番端に座ってました。そのことの意味を今振り返ると、たぶん「指導する側」に入りたくなかったんだろうなと思うんです。なんなら、指導される側に自分をおいてたんだろうな。でも、そこに意味があったんだろうなと思うのです。
なので、担任さんには「怒り役は他の人に任せて、担任は一緒に怒られよう」って伝えておきました。うまくやってくれたらええなぁ。

で、午後は年休。なんだけど、勤務時間が7時間45分で、4時間年休とったら、勤務は3時間45分のはずなのに、なぜか4時間半働かなきゃならない不思議。しかも、N良線は安定の遅延。
それでもなんとか10分ほどの遅れでマダンセンター到着です。今日は熊本からのお友だちと一緒に「おさんぽ」です。今日もガチのフルコースです。
まずは南まわりから。と、エルファの前で知りあいとバッタリ。お次は北まわりですが、途中で多文化共生ネットワークサロンに行って、40番地の写真を見せてもらったり。突然なのに快く見せていただいて、感謝しかありません。
そこから光公園→崇仁です。このあたりですでに2時間経過。どんだけウロウロするねんと。
で、崇仁をあとにして、ここからはどんどん北上していきます。で、川をわたって松原通り。さらに四条寺町から、ようやく三条です。たどり着いた先は安っさんです。時間は6時。4時間か。なんでも12km歩いたらしいです。
ここでようやくビールにありついて、前夜祭の開始です。なぜかK野さんとK林さんと、さらに角岡さんも合流して、わけがわかりません。
ここを8時くらいに出て、とりあえずおたふくへ。
「鉄板の火、落としたで」
「まぁ、ひとくちだけ飲まして」
と、定番の無茶ぶりです。幸いKっくんがいてくれたので、うまく潜り込めました。
ここでひとしきり飲んで、さらに鴨川へ。ここまで来るとアホです。でも、角岡さんもTじさんもつきあってくれてます。
てことで、11時くらいまで飲んでようやく解散。
出町柳行きの京阪に乗って、気がついたら祇園五条にいたのはご愛嬌。が、明日大丈夫かなぁ。

爆笑した→前々夜祭

朝、懸案事項があったので「どないでした?」と聞くと、トラブルがあった模様です。これはヤバイ。
てことで「食客」の出番です(笑)。とりま家庭訪問。前回は玄関先だったけど、今日は子どもだけだったので
「あげてくれや」
と図々しく要求。台所の床に座り込んで話しあい。そうこうするうちにお母ちゃんが帰ってこられて、お母ちゃんも交えて3人で話しあい。話しあいと言っても、爆笑の連続でした。結局、30分くらいで切り上げようと思ってた家庭訪問が1時間半遊んでました。
深刻な話なんだけど、おもしろかった(笑)。

で、お母ちゃんに駅まで送ってもらって、そのまま京都へ。駅でK野さんともうおひとりと合流。今日は全同教大会の前々夜祭です。
まずは「へんこつ」へ。

とにかくひたすらうまいです。明日の授業のネタができたな。
へんこつを出たところで、もうおひとりと合流。4人で崇仁新町に行こうかと思ったけど、なんとなく「フィールドワークしよう」という話になって、ではやろうかと。てことで、フィールドワークの途中にある角打ちで軽く一杯。今日もお母さん、いっぱいしゃべってくれはりました。
で、フィールドワーク開始。八条通りから光公園を経由して崇仁小学校→柳原銀行です。なんか、フィールドワークコースがほぼほぼ固まってきたかな。
で、そのまま崇仁新町へ。目当てのお店は「ちょぼ焼き」と「清華園」です。ちなみに、清華園で
「崇仁のお店って、こことちょぼ焼き屋さんだけですよね?」
と聞くと
「そうやで」
と。こんな質問するわたしに、一緒に餃子を買いに行った人がビビってました。いや、こんなん日常会話でしょう。はもっとえげつなかったし(笑)。
あとはグダグダ同和教育の継承問題を話したり。
で、早くに解散です。まぁメッチャ呑んだから妥当でしょう。
まだ早い時間なので、地下鉄もバスもあります。安心して乗ったら、バスは乗り越し。乗り越し料金払って歩いて帰りましたとさ。

障害と困難

今日は1年生の人権学習です。2学期は講演会。今年も去年に引き続いて小林春彦さんです。
1年ぶりに会った小林さん、少し痩せたかな。まぁモデルなんかもやって、メッチャ忙しいからなぁ。はじめて会った時は、まだ大学生だったっけ。単なる「吐く彦」でした。でも、今は売れっ子です。ゆきみちゃんやとーますや、その他いろんな人がいるけど、自分が「この人」って思った人が売れていくのはうれしいけど、そのうち忘れられてしまって、うちの学校に来てもらえなくなるんじゃないかと、さびしくなったりもします。
でも、今年も来てくれたから「よかった」と思うことにしましょう。

校長にあいさつをしてもらったら、そのまま体育館へ。準備からつきあってもらいます。その間、小林さんは発声練習(笑)。なんでも喉がガラガラだとか。
で、まもなく講演開始。
基本的には去年の話と同じなんですけど、やはりあらためて「うまいな」って思います。去年も書いたけど「disability」で考えるのではなく「difficalty」で考えるなんですよね。で、それは「社会と人間の距離」によってもたらされる。で、その距離を近づける方法はふたつしかない。ひとつは「人間が社会に近づく」で、もうひとつが「社会が人間に近づく」であると。なるほど、前者がリハビリテーションで、後者が社会モデルなわけですね。わかりやすい。
小林さんの特徴は、「社会モデル」とか「合理的配慮」を多用しないところなんですよね。もちろん使ってるけど、多用はしない。だから、「社会モデルとは」って説明が不要になります。つまり、ダイレクトに中身が入ってきます。
そして今年、新しくつけ加えられたのが「アディクション」でした。文脈は
「自立とは依存できる先を増やすこと」
とか
「自立の反対は孤立」
とかのあたりです。でも、アディクションのことと障害の社会モデルに回路があるのは、なんとなくうすうす感じてはいたけど、あらためて「なるほどな」です。
こうやって、あることをシングルイシューで語るのではなく、あることから別のことへ、そして別のことからあることへというのは「つながってる感」が伝わってくるし、わたしも使うんだけど、勉強になりますね。
にしても
「障害の「害」をひらがなにするのが鬱陶しいので、健常の「常」もひらがなにしました」
にはウケました。もっとも広い体育館の300人オーバーの中で吹き出したの、わたし一人でしたけどね(笑)。
てことで、とてもいい話でした。終わってから何人か個人的に話をしにいってるみたいで、ほんとにジブンゴトとして聞いてくれたんだなって感じました。
講演の後は、しばしクールダウン。
「やっぱわかりやすいわ」
というと、なるほどなとわかる答えが返ってきました。
つまり、小林さん、合理的配慮とか社会モデルとかいう概念が広がる前から、自分のことを説明するためにどうしたらいいかをずっと考えてきた。で、その結果が「disability」ではなく「difficalty」だったと。そりゃわかりやすいわ。どこかから持ってきた概念ではなく、自分の中から必然的に生まれた言葉なんですね。こういう時に「これが当事者かぁ」って思いますね。
そんなこんなで、小林さんは今回はメッチャ疲れてるので帰るとのこと。去年はメチャクチャやったけどね。またみんなで集まろうねo(^^)o。

今年の東九条マダンもようやく終了

朝、電話の着信音で目が覚めました。実家の母親からの電話らしく、どうやらパートナーが寝坊したみたいです。疲れてるからしかたないんですけどね。
で、わたしもノロノロ起き上がってコーヒーです。しばしボーとしてから片づけ開始です。
今回はバーベキューコンロがふたつあるので労力は2倍です。しかもお空は雨模様。やれやれ。
しかし、前のバーベキューコンロは、たしかにサイズは小さいけどよくできてるな。バーベキューコンロの生命線はロストルの仕組みだと個人的には思ってます。いかに効率よく燃えた炭が空気の通りのジャマにならないようにするかが大切なんだろな。前のバーベキューコンロはロストルの下に受けの鉄板があるから、ロストルの下の面にも穴が開けられます。これが効果的なのかな。新しいヤツはロストルがチャチな鉄の棒を曲げたものじゃなくて波型になってるから買ったんですけど、一枚なので、下の面に穴を開けると炭が下に落ちてしまうんですよね。なので、下の面に穴がない。たぶん、大量の炭を使って何時間もやることを想定してないからこれでいいんだろうけど、ギョーム(笑)で使うと波が灰で埋まってしまいます。来年はここに鉄の棒のロストルを入れることが検討材料です。
でも、新しいのはステンレスなので洗いやすい!洗剤をつけたスポンジで拭くだけでピカピカになります。これは気持ちいい。
お次は網洗いです。これが大変です。でも、洗剤をざっと蒔いて、スチールブラシでゴシゴシゴシ。水を流しておかないと網目に汚れがたまるので流水のもとゴシゴシゴシ。水温がそんなに低くないので助かりました。
てことで、洗い物は終了。

ここで1回ダウン。しばしゴロゴロして、めっちゃお腹が空いてきたので昼ごはん。休日の昼ごはんは、なぜかトゥンセラーメンです。

身体が辛くなったので、再びゴロゴロ。でも、片づけ続行しないとあとがたいへんです。てことで、荷物の整理です。肉を入れてた発泡スチロールを片づけたり漬物樽を片づけたり。はたまた細かなビニール袋をかたづけたり。そんなことをしてたら、ほんとのほんとに身体が動かなくなりました。
てことで、ここで沈没です。が、やっと今年の東九条マダンも終了です。
しかしまぁ、「会を主催する」ってのは、前であいさつすることでもなく、みんなに囲まれて酒を飲むことでもなく、スポットライトを浴びることでもなく、みんなにあたるスポットライトの影でこういうことやることなんだよなえ。

今年もやってきた東九条マダン

起床は6時。パートナーは当然寝ています。
とりあえずコーヒーを飲んで気持ちを落ち着けます。そして荷物の積み込み開始。新しく買ったHigh Jetの本領発揮です。
今年の東九条マダンの会場ははじめてJRを越えて崇仁小学校です。どんな感じかな。
とりあえず荷物をおろして車をマンモス団地跡に移動。そこからセッティング開始です。猫の額くらいの狭い場所に「焼き場」と「切り場」と「売り場」をどう効率よく配置するかです。なんだかんだと考えていましたが、隣の店を見たら「なるほど」と。3つの場所を平行においておられます。これはいただきです。
しばらくしてメンバーが集まりはじめたので看板を書いてもらって、いよいよ開店です。

ちなみに、例年20kg仕入れてますが、いつも売り切るのがたいへんで今年は弱気の15kgです。これなら売り切れるでしょう。しかし、肉の仕入れ値もどんどんあがって、ほんとにどうすんねんと。さらに、今まで使っていたバーベキューコンロが「狭い」と言われたので、いろいろ考えて尾上製作所のバーベキューコンロを買ってしまいました。ステンレスがきれいです。
で、「焼き」の開始です。

と、開店早々お客さんが。えらい売れ方が早いです。てか、人が多い。もしかしたら崇仁のみなさんもかなり来ておられるのかな。ここからは、ひたすら肉を焼き、米を炊き、キムチを切りというサイクルです。そうこうするうちに、昨日誘った子も来てくれました。さらにアボジまで。なんか、身に余るお言葉をいただいたりして。さらにカウンター仲間のI野さんも来られて、ここからアボジを交えてカウンター話。なにかおかしいぞ(笑)。やがてAっちゃんの連れてきた子どもたちも来て、なんだか店内も大混雑。うれしいなぁ。
それにしても、ごはんを昨日のうちに1升炊いておいたけど、おいつきません。これはえらいことです。ほどなく
「あと3kg」とか言われて時計を見たら、まだ1時頃。えーと、売り切れるじゃん。でもまぁいいです。いつもみたいなプレッシャーの中でやるよりも、こんな感じでさっさと売れて、あとは子どもたちはゆっくり祭を楽しめばいいんですよね。
そして恒例の裏メニュー。

みんなでつまみ食いをしながらこいつも売り切れました。
あとは片づけです。子どもたちがすごい勢いで片づけてくれます。いい子らだなぁ。

さてと。あとは荷物を家に持って帰って、倉庫に放り込んだら打ちあげだ!
にしても、帰り道にAっちゃんと「今後どうしよう」みたいな話をしたけど、これだけの荷物を収納するの、たいへんだぞ。

みなさんのおかげです

今日の午後はリビングライブラリ。でも、午前は3時間授業が詰まってます。まぁしゃーないけどね。
てことで、心静かに授業をこなし。というか、うち2時間は自習です。ひとりは大学に合格して、英語の勉強。ひとりは模擬面接の準備。もうひとりは数学やってますが、とりあえず自力で解いてます。てことで、わたしは質問受付状態ではあるけど、開店休業状態なので、ゲンコをやっつけるなど。
空いた時間は準備です。
で、昼休みになって職員室にもどると、すでに「本」が到着しておられるとのこと。あわてて応接室に行くと、事務の人が応接室をあけてくれていました。ありがたい!
そうこうするうちに、迎えに行ってくれた教員が帰ってきました。ありがたい!ひとりは電動車いすですが、すでに4回目なので、みなさん慣れたもんです。レジュメの数が足りなかったりするのはご愛嬌。あちこち走りまわればすむだけのことです。
やがてリビングライブラリの開始時間。担当教員が「本」を迎えに来てくれます。ありがたい!ちなみにひとり「早めに迎えに来てね」と書いてあるプリントを読んでなかったらしい教員もいましたけど、教員なんてそんなもんです。
みなさんが教室に行かれて、プロジェクタとか液晶テレビのセッティングに走りまわって、それでもとりあえず一段落。やっておべんとが食べられます。と、「すみません」と他学年の教員がやってこられて「体育館でビデオ見せようと思うんですけど、音を…」。早めに言ってくれたら放送部がやってくれるのに。でもま、やりましょう。てことでおべんと食べたら放送セット。
あ!座席表を貼らなくちゃ。と思ったら生徒指導部の教員が「なんかやることありますか?」。ありがたい!
6時間目はわたしも話を聞かせてもらいました。タイトルは「福島から関西へ ー原発事故に遭ってー」です。今回一番聞きたいと思ってました。
明日避難をするという日に行きつけの散髪屋で交わした会話と、その背後にあった「自分だけごめん」という思い。転校したお子さんにかけてくれたクラスメートの「たいへんやったね、大丈夫?」という「言葉」。あるいは、「原発事故の被害者ではあるけど、無関心だったという意味での加害者でもある。誰に対しての加害者かというと、次の世代である君たちへの加害者」。
たぶん、原発に限らず、例えば「障害」「部落」「在日」「薬物」「女性」いろんなフィルターをくぐらせることでわかることがあるんでしょうね。別にそれは「それ」でないといけないこととは思わないし、その当事者にしかわからないとも思いません。ある「フィルター」を持っていれば誰にでもできる。大切なのは、その「フィルター」と出会い、その「フィルター」ときちんとつきあい続けることなのかな。
そんなことを感じました。
リビングライブラリのあとは感想文の仕分けをしたり、出欠確認をしたり。今日やっておかないと、あとが詰まります。
その後、近くの居酒屋へ。すでに「本」が3人飲んでおられます。わたしも合流して、厳しい反省会。
9時過ぎまで飲んで京都駅へ。さらに地下鉄も一緒なのはK淵さんです。K淵さんが引っ越してからはあまり会ってないからなぁ。てことで、最寄り駅近くのコンビニでビールと肉まんを買って乾杯したり。久しぶりにアホなことをやった夜でした。

でも、こんなことできるの、本当にいろんな人に支えてもらってるからやな。ほんとに「みなさんのおかげです」です。
でも疲れた…。次は東九条マダンやな。

今年もタレはうまそうだ

朝、Aっちゃんは用事があるとかでいったん離脱。わたしはひとり東九条に残って、残飯整理をしたりして過ごします。実は走りたいなと思っていましたが、いろいろミスがあってジャージがありません。なので断念。そうこうするうちに、10時半ぐらいになったので「作業を開始しようかな」と。
てことで、ニンニクの皮むき開始です。
まぁ、いろいろ交流会をやってて、まわりからは「えらそうにしてるんだろうな」と思われているかもしれませんが、交流会をやるっていうのは、

  • とりあえず行く
  • できれば最初に行く
  • 最初に作業をする
  • できれば最後の片づけのチェックをする
  • カギを閉める
  • みたいなのが基本なんですよね。なので、卒業生の会も新幹線を使って参加するし、1人でもニンニクの皮むきをするわけです(笑)。
    と、足音が。H園さんが来てくれました。うれしいなぁ。てことでふたりでニンニクの皮むきです。と、Iチローが再び参加です。うれしいなぁ。3人でニンニクの皮むきです。と、外で声がします。おぉ!うちの生徒が来た!てことで、わたしはニンニクの皮むきから離脱です。そうこうするうちに、F村さんとかAっちゃんとかが来て、さらにKヮンスも来てくれて、にぎやかな交流会です。
    みんなで野菜や果物を切って、ヤンニョムつくったりタレをつくったり。やがてメインイベントのキムチづくりです。
    てことで、できたキムチがこれです。

    さらにタレも煮詰まってきます。

    ついでに即席カクテギもつくりましょう。

    いちおうすべてができたところで、タレは煮詰めを続行しながら、タレの試食のための焼肉&チヂミの昼ごはん。ごはんを食べながら、恒例の「深い自己紹介」です。実は、すべてのプログラムは、この自己紹介のためにあるんですよね。まずは卒業生たちが自己紹介のお手本をしてくれます。その上で、現役生も自己紹介。そして、バンバン飛んでくる質問。こういうのがいいんですよね。例によって例の如く、3時間ぐらい自己紹介をしたので、そろそろ終了です。
    てことで、5時半ぐらいに解散です。あー疲れた。でも、いい交流会でした。

    合宿を終えて、倉吉日帰りからの卒業生の会

    朝、6時起床です。子どもたちは学校へ。てか、なにが悲しくてみんな休みの土曜日に学校に行かなきゃならないんでしょうかねぇ。学校から解き放たれた方がいいと思うんですけどねぇ。いや「なにするかわからん」みたいな論もあるかもしれませんが、毎週土日がきちんと休みなら「いらんこと」をやることに飽きますよ。たまにしか休みがないから「いらんことでもしようか」となるんです。
    てのはおいといて。
    わたしはそのまま京都駅へ。そして乗ったのは、おそらく今まで乗った列車の中でも一番好きな「スーパーはくと」です。ちなみに車内販売がない&到着してから時間がないので、朝ごはんはガッツリ目です。

    ごはん食べたら眠くなったので、寝ちゃいました。目が覚めるとすでに鳥取です。原稿書かなかったなぁ。
    で、到着したのは倉吉。今日は組合の学習会です。開始前にちょっと小腹が減ったので、おにぎりなんぞぱくつきました。

    たしかにおいしいけど、このアイデア、実はすでにおさいさんがやってたんだけどなぁ。
    で、お座敷開始。今回は30人弱の集まりです。が、なぜか知りあいがいたりします。「いつ山に登に来るんだ」とハッパかけられてしまいました。そうでしたそうでした。去年の夏にお世話になって「登ってからのビール」って話をしていました。行きたいなぁ。
    今日の中身はミッション3です。なんか、ものすごく久しぶり感があります。8月以来だから久しぶりですね。ところどころつっかえながらも、つい力が入ってしまいます。たぶんこのネタも好きなんだろうなぁ。はじめのうちは早口の関西弁にとまどっておられたみなさんも、徐々に慣れてこられたのかネタに入ってこられる感じが伝わってきました。と同時に、笑いも起こるというものです。てことで、100分と言われてたけど、105分ぐらいで終了。ほんとうは90分で終わりたかったんだけどなぁ。
    その後の質疑応答がよかったです。一生懸命とりくみをしようとしておられる若い教員の方ですが、まわりの教員の同意が得られずどうしてもできない。そんな話をしてくださいました。ほんとうにしんどい状況なんだろうな。でも、したたかにやっていくしかないです。大丈夫ですよ。仲間はいっぱいいます。
    そんな感じでお座敷終了。
    で、帰りの「スーパーはくと」です。やっぱり車内販売がないので、仕入れたりして。

    でも、こんなもん呑んだら、原稿書けないよね。でもまぁしかたないです。で、なぜか姫路で降りて新幹線でワープです。そしてたどりついたのは、相も変わらずな東九条マダンセンター。今日は卒業生の会です。誰か来てるかなと思いながらセンターに近づくと、電気がついています。ホッとしますね。中に入るとKきぴがいました。
    で、一緒に鍋の材料を買い出しです。昨日も鍋だったけど、まあいいでしょう。鍋は毎日でも大丈夫です。
    買い物から帰ってくると、Iチローが来てました。そうこうするうちにAっちゃん登場。まぁ今日はこれくらいかな。さびしいな。やはり、新しい人を迎え入れるためには、とりあえず今いる人が来ないとアカンのだけどな。まぁそんな話をみんなでしゃべったり。でも、IチローとKきぴは帰らなくちゃならないらしく、最後はAっちゃんとふたりでダラダラしゃべって、1時半ぐらいに就寝です。夜更かししたな。

    今年もややこしい合宿

    なんか、ほんとにすべてにおいてヤル気が出ません。ヤバいです。授業もなんだかヤル気が出ないので、教科書を教える感じです。でも、もしかしたら、そっちのほうが子どもたちにとってはよかったりして(笑)。なんか、いろいろ工夫してもかえってそのほうがわかりにくいこともあるみたいで、淡々とやるほうがいいのかなぁ。
    で、少しゲンコをすすめて、電車に乗って、卒業生と合流です。今年もややこしい合宿の日がきました。いちおう鍋をするんだけど、なんか、材料が足りないとか連絡が入って、いろいろ買い出しをしてたら7時頃になってしまいました。
    そこから恒例の儀式です。1年生から「危険ですか?」「死人は出ますか?」と香ばしい質問が来るのです「まぁね」「何年かにひとり」とか、適当に答えておきました。それにしても、雨の中の儀式ははじめてです。なのに、みんなしっかりこなしてくれて、よかったよかった。
    そのあとは鍋。今回は諸事情があってうちの子どもたちも参加したけど「家族みたい」って言ってました。たしかにね。そうこうするうちに、3年生が集まったので、参加。来年度の人事についてみんなで論議です。
    そんなこんなをしているうちに、いつの間にか布団が敷かれてて、横になったら爆睡です。

    「東九条『40番地』に生きた在日コリアンオモニたちの歴史といま」

    今日は午後から出張です。が、午後からということは、午前は出勤ということです。まぁ、カントク1発、それも担当している講座なので楽勝です。が、そのご突発的な仕事が入って、スタートが30分遅れました。きついな。しかも、午後の出張はフィールドワークなのに、雨降ってきたし。やはり昨日がアカンかったんやな。
    てことで、東九条に到着。とりまマダンセンターに行って、おべんとを温めました。だって、お米がベータ化してるから、食べにくいです。で、東松本団地へ。
    とりま、準備です。準備しながらお昼ごはんです。機器をセットしてごはんを食べて、また機器のセットってやって、ようやく間に合いました。ふぅ。
    で、今日の講師は村木美都子さん。実は、メッチャ前から知ってますが、あまり話をしたことがなかったんですよね。なにせ、村木さんは東九条の活動家で、わたしはいわばビジターですからね。ただ、6年前にお会いして再認識してもらってからは、ウトロなんかで会った時とかに、なんとなくチョコチョコ話をするようになりました。そんなつながりから去年の12月にフィールドワークをお願いしたんですが、わたしはもうひとつのコースのお世話をしなくちゃならなかったので聞くことができませんでした。でも、参加した人から聞いたところによると、ものすごくよかったとか。なので、ぜったいに話を聞きたいと思ってました。
    まずはお話です。村木さんのライフストーリーからはじまります。そして東九条との出会いへ。このあたり、個人的にはなつかしいです。
    わたしがはじめて東九条に足を踏み入れたのはいつ頃だろう。意識的に入ったのは1990年代になりますか。でも、やはり本格的にマダン文庫センターに出入りしはじめたのは1993年あたりかなと思います。この時が東九条マダンがはじまった年で、たぶんプンムル隊に参加してたはずです。でも、ウトロにも出入りしはじめたのが1992年かな。この頃、ガッツリと入っていった頃なんだなぁ。生徒交流会をはじめてからは、よく交流会が終わったら
    「40番地行く?」
    とか言って、散歩させてもらったなぁ。
    村木さんの話を聞きながら「あー、だよなー」という感じで当時のことを思い出していました。
    そんなあたりから、「堤防の町」や東九条の形成史へと話は移っていきます。このあたりは勉強になりますね。自分の聞きかじりの知識の検証にもなるし、新たな知識も得られるし。
    そんなあたりから、さらに話は1世2世のオモニのことへとうつっていきます。ここからが村木さんのほんとうのフィールドです。個人的な出会いを個人のものとせずに歴史的な背景を加えながら話されます。基本はエピソードの連続ですが、だからこそリアリティがあります。そして、歴史的な背景はあるんだけど、やはりそこでの話は個人的な話なんですね。なんというか…。社会学ですね(笑)。いや、各個教会史みたいなものか。なんしか「個別」と「普遍性」の間を行きつ戻りつする話がおもしろい。
    あと、なんと言っても、美化しない。よく「ほめられないこと」を「たくましさ」ってごまかすことがあるんだけど、ほめられないことはほめられないこととしておいておきながら、でもたくましさをたくましさとして語られます。そんなあたりがいいですね。でもそれができるのは、たぶん村木さんとオモニたちとの膨大なやりとりと、それに裏打ちされた信頼関係があるからなんでしょうね。
    そして、1世と2世の対比がおもしろい。たしかに、1世は本国での「当たり前の自分」をどこかで経験してから渡日してきてるけど、2世は自己否定の中を生きてきた。なるほどなぁ。それって、在日だけじゃないですよね。新渡日の子らにも、あるいはダブルの子らにも共通することですよね。
    その後、フィールドワーク。わたしはずっと村木さんと雑談しながら歩いたので、みなさんに悪いなと。まぁでも打ち合わせしてるフリです。それにしても、村木さん、地元に根ざしておられるのがよくわかります。例えば南部教会に行ったらモクサニムが説明して下さいます。エルファに行ったら理事長が説明して下さいます。そして、交流センターに行ったら「使うよ」のひとことでOK。その時に「あぁ、自分はしょせん風の人だな」と痛感しました。言い換えるなら、表面をなでてるだけです。地元に根ざして活動するって、こういうことなんだな。
    と、質疑応答の録画中に電話がかかってきました。録画中なので出るわけにいきません。しかたないのでそのままやりすごして、あとで電話番号を検索。エルファ?なんで?なんかしたっけ?そういや、こないだお世話になったけど、あの時になにかしたっけ?いろいろ頭の中をかけめぐります。この時のビビリを思い出します。
    てことで、帰り道にエルファに寄りました。すると出迎えてくれたのは鄭明愛さん。
    「電話したの、わたしです。わざわざ来てくれはったんですかー」
    お、向こうにおられるのは(笑)
    「あ、さとうさんだぁ」
    そういや、さとうさんの職場はここでした。職場では完全に気配を消しておられます。
    てことで、電話の御用はエルファの研修依頼でした(笑)。なんか、1月には希望の家保育園からも頼まれてるし、わけわかりません。
    帰り道でも知り合いにあったりして、まぁわたしも地域に根ざしてるわけじゃないけど、それなりに地域の人に顔は知られてるらしいですね^^;。