発達障害の支援と社会の課題

今日は某人権教育研究会の総会です。なので、少しゆっくりと家を出て会場に向かいます。出勤がこんな時間だったら楽だよなぁといつも思います。まぁ、転勤しないのに引っ越した自分が悪いんですけどね。
午前はいわゆる総会です。まぁ、つつがなく議事も終わりました。かつてはいろいろもめたけど、そんなこともなくなって、楽といえば楽ですね。
で、午後は記念講演。講師は三重県立看護大学の浦野茂さんです。
実は今回の講師の選定、めっちゃ悩みました。みなさんに「どんな話が聞きたい?」って聞くと「障害関係かな」と。障害関連で言うと、これまでに「松波めぐみさん」「松永真純さん」「伊藤あゆさん」「三井孝夫さん」「牧口一二さん」といったところに話をしてもらってきました。さてどうするか。と
「見えない障害…、発達障害について知りたいな」
とのこと。えーと、発達障害か。ありがちな「発達障害の理解と支援」みたいなのはやる気はまったくありません。やはり社会学的だったり文化人類学的であったり、教育社会学的なアプローチが必要でしょう。となると、「照山絢子さん」は関東か。「鶴田真紀さん」も関東か。いない…。
てことで、検索しまくってたどり着いたのが浦野さんでした。「発達障害者のアイデンティティ」を読んで「おもしろい!」となりました。さらに『概念分析の社会学』にも書いておられます。読んでみたけど、むずかしい(笑)。しかし、三重か…。遠いな。来てくれるかな。まぁ、わたしも行ったけどね。とりあえず、どんな人かを知るためにT田さんにメール。するとそっこう「いい人ですよ。話もわかりやすい」との返事。てことで、メールをしたら引き受けてくださったという。
さぁ、どんな話が聞けるのか、すんごい楽しみです。
で、感想をひとことで言うと、おもしろかった!
まずは、イントロダクションからエスノメソドロジスト感が満載です。ちなみにこのことをfacebookに投稿したら、T田さんが真っ先にいいねを押したという(笑)。続いて社会学の説明です。「人ではなく人と人の関係」みたいな説明なんですが、「人間に興味がないけど人間関係に興味がある」わたしにとっては、まんまん中の話です。
このあたりから、ASDの説明や診断基準の問いなおしとかが続きます。「自然なもの」として定義されながら、診断基準の中に「価値判断」が入るという齟齬が指摘されます。そして、メインとなるSSTの場面の分析です。まずは、リーダーが練習課題をつくりだしていく場面。なるほどなぁ。子どもの発言をそういう感じでとらえて意図的に課題を提示していくんだ。そして、さらに「反抗」の場面。これは圧巻です。
こんなことを通して、ASDそのものを捉え直していきます。その前提にあるのは、綾屋さん&熊谷さんの『発達障害当事者研究』です。つまり、発達障害がコミュニケーションの障害であるなら、その原因を片方に求めるのはおかしいのではないかという提起です。ここから「シンガーさん」の分析へと流れ、いわゆる社会モデルに到達します。
ただ、浦野さんの提起のおもしろいところは、「医療モデル/社会モデルの二元論をとらない」というところです。つまり、社会の側に原因を求めつつも、現実として困るわけで、そっちも必要なんじゃない?ってことです。たしかに当たり前なんだけど、この観点が必要なんですよね。まぁ、いわば、解放運動による融和運動の再評価みたいな(笑)。
そんな感じの、かなりおもしろい2時間の講演でした。ほんとに来ていただいてよかったo(^^)o。

講演の後は懇親会。ただ、なんでもこのあと用事があるとのことで、1時間ばっかしかありませんでしたが、「おべんきょ」にかかわる話でひとくさり。なにせ、浦野さんは、わたしがチャレンジしてる『おべんきょ成果集』の編集委員ですから、なんかもう、興奮です(笑)。
その後、事務局メンバーも合流して、浦野さんは退席されて、いろいろ人権がらみの話題でもりあがったり。でも、10時だわ。帰らなくちゃ。

ブラトーーーク

朝、起きて外を見ると、山がきれいに焼けてます。

で、ごはんを先にしようか温泉を先にしようか。悩んだ結果、温泉にしました。温泉に行くと、女性部の方が何人かおられて、「この順番で正しかったんだ」と再確認できました。
温泉にさっくり浸かって、朝ごはん。と、みなさんも来られました。やはり順番は正しかったようです。
ホテルのバイキングはいつも困ります。個人的には朝はパン派ですが、たいてい和食のほうがおいしそうなおかずがあったりします。さらに生卵なんかあった日には、ごはんを食べたくなります。さらに、おう、カレーが!ということで、わけのわからん朝ごはんになってしまいました。

朝ごはんのあとは部屋でゴロゴロ。で、迎えに来てくださったT部さんと合流して、山口市内を少し案内してもらいました。うーん、人が歩いてない。もちろん車社会だからなんですが、それだけじゃないですね。店がない。まぁ、車社会ってこととつながるんだけど、大型小売店舗が郊外にできて、そこに行く道が整備される。そのことで、みんな郊外の大型小売店舗へと流れて、市内の小さな店舗は寂れていく。便利になったようで、そういう街のつくりは不便です。車に乗らなきゃなにもできない。結局、誰が儲かるかというと、車屋とガソリンスタンドと土木の元請けと大型小売店舗です。まっすぐに整備された道を見ながら、T部さん曰く「自民党の臭いがするでしょ(笑)」。はい、プンプンと。
で、新山口駅まで送ってもらって、バイバイです。また呼んでもらえるかなぁ。
で、新大阪で降りて、なんばへ移動。今日は「ブラトーク」があります。てか、わたし、実はABDARCの中の人だったりしています。でも、なにもしてないです。ほんとにすんませんと思ってます。なので、せめて参加をしようかと。
で、ロフトプラスワン・ウェストに行ったのですが、すごい人です。とにかく満席で立ち見が出てます。それにしても、知り合いがいっぱいいます。てか、山本崇記さん来てはるし。どんだけフットワーク軽いねん(笑)。と思ったら、徳島からも香川からも来てます。みんなどんだけフットワーク軽いねん(笑)。でもまぁ、それだけ期待されるイベントなんですね。
それにしても、みなさんしゃべり慣れておられるので、すごくわかりやすいです。ただ、もう少し「アブナイ」話も聞きたかったかなぁ(笑)。あと、やはり北芝でやってることはおもしろいですね。やはり某人権教育研究会でフィールドワークに行かなきゃ。
それにしても、はじめは立ち席だったけど、気がつくと「ムラめし」コーナーに座ってるのが不思議です。
ところどころで野次を飛ばしたりしながらイベントを楽しんで、あっという間に終了。
で、打ち上げへ。向かったのは「故郷羊肉串店」なるお店。いやぁ、羊肉、おいしい!ここで、東京都人権啓発センターの人と話。そうそう、そう言えばかつてセンターに行ったことがありました。その時もらったキーホルダーがあったなと思って、「これ、わかりますか?」って言ったら、メッチャ喜ばれました。

で、「帰ったら職員に見せる」って言って写真を撮られたり。
よかった(^^)でも、かわいいしなぁ。
そんなこんなで、楽しい夜は更けていきます。

「人権を基軸とした仲間づくり ー道徳の「授業革命」ー」とか

今日はなかなか忙しく移動する1日です。
でも、まずは仕事ですね。いつもの時間に家を出て、いつもの時間に職場に到着。1時間目は図書室学習。今日も取り出しです。ちなみに、取り出しに来なかった子にも、いちおうエールを送っておいたり。
で、1時間目が終わったら、速攻駅まで走って、向かうは病院です。この日の1ヶ月あとの点検みたいなもんです。と、ここで「右手はいつされますか?」との予想通りのお言葉。えーと、3月末には「旅するi-ru」があって飲まなきゃならんしなぁ…。てことで、4月1日に「やる」ことに決めました。まぁ、その週末には飲めるようになるでしょう。
で、お次は京都府中部へ。今日は某人権教育研究会の総会みたいなもんです。
まずはあいさつ+活動の総括。その後、実践報告です。水平社宣言をあつかった小学校の授業実践です。と、横を見ると、この後の記念講演やる園田雅春さんが聞いておられます。さすがやな。報告は、なんか、奇をてらうわけでもなく、しっとりと落ち着いた実践です。他の人も質問したし、まぁ、何も言うことはないなと思ったので黙ってたら、一番後ろに座ってるわたしに向かって、一番前に座ってる会長が「おまえしゃべれ」と露骨な合図を送ってきます。何考えてるねん(笑)。しかたないから、質問。
「さっきの質問の中に「なぜ部落差別があるの?」って聞かれたら答えようと思ってたけど、聞かれなかったから答えなかったって言われましたが、もしも聞かれたら、なんと答えようと思ってましたか?」
答えは
「差別しようとする人がいるから」
でした。よしよし。原因はそっちなんですよね。差別される側には理由なんてない。と、司会者の方が「みなさんはどう答えてますか?」とか、またまた振ってきました。ぜったい会長とか前会長の差金やろ!
「わたしも高校生に説明することがあるんですが、「同じ」をつくるためには「他者」が必要となるって説明してます」
みたいな。
さらに
「排除を個人の問題とするんじゃなくて、社会の問題としてとらえるようにしています」
と強調。だってそうしないと、「個人の心の問題」になっちゃいますからね。
てことで、発言を終えて、横を見たら園田さんと目があって、ごあいさつ。むかーし、日教組教研でお世話になったことがあるんですよね。
で、しばしの休憩の後、園田さんの講演「人権を基軸とした仲間づくり ー道徳の「授業革命」ー」のはじまりです。
園田さんは、かつて『解放教育』に書いておられたのを読んで、ひたすら「すげー」って思ってた人です。ただし、改行が多いんですけどね(笑)。
なんというか、子どもたちの声をすごく拾われるんですよね。あと、できごとをよく見ておられる。なので、いろんな文章が子どもの姿で構成されます。まぁ、改行が多いのはそのせいだったりするわけで。
で、今日の講演も同じです。単に見るだけではわからない、見つめることでわかる子どもの姿で「仲間」について語っていかれます。
さらに話は道徳教育へ。「水と油の関係」から「水と花の関係」へとかいうフレーズは外川さんが聞いたら激怒しそうです(笑)。ただおもしろいなと思ったのは、文科省の学習指導要領がとてもリベラルなんですね。これ、たぶん道徳教育の枠組みはつくらざるを得なかったけど、「中身をとる」という形でリベラル派が動いたんでしょうね。なので、園田さんは「そこを利用しよう」って言っておられるのかな。
そんなこんなで、1時間半があっという間に終わりました。
その後、なぜか豊中へ。ここで、Sんむんさんと合流。某在日外国人教育関係の研究協議会の今後についての謀議をするなど。
あー、よく動いた。

モーニング

朝起きると8時頃。いい感じです。今年もコタツのおかげでとても暖かく夜を過ごせました。
てことで、朝ごはん。

あとは昨日の鍋にうどんを放り込んで、とにかくさらえてしまいます。結局うちの子どもの協力もあり、鍋は完全になくなりました。すごい。
その後、KうさんとO田さんは散策へ。

ええ感じのお二人です。
で、帰りはO田さんに乗せてもらって、いつもの魚屋へ。なんだか、完全に顔を覚えられている感じがするのは気のせいかなぁ。
ここでも刺身の盛り合わせとビールと日本酒。もう、完全な酔っ払いです。そんなこんなで、結局O田さん、わたしと子どもを家まで送ってくださったり。で、わたしは車の中で完全に爆睡です。すみませんすみません。
家に帰ったのは夕方でしたが、コタツにもぐり込むとそのまま爆睡です。9時頃に起きて、少しごはんを食べて、再び爆睡。でも、充実した2日間でした(笑)。

もっかい在日朝鮮人教育を

今日は朝から山口へ。組合の女性部長会議です。会議そのものは明日で、今日は研修会です。内容はは完全に在日朝鮮人のことです。楽しみです。
てことで、下関に到着。と、T部さんが!まぁ、あまりにも当たり前といえば当たり前なんですけど、でも会うんですよね。
と、いきなり「釜山門」の文字が。

そりゃそうですね。下関は釜関フェリーの乗り場があります。まぁそんな気持ちで集合場所へ行って、フィールドワーク開始。案内してくださるのは厳さん@2世と金さん@3世です。
まずは波止場跡。そうか、釜関フェリーじゃなくて、もともとは関釜連絡船だったんだ。強制連行・強制徴用の場所なんだ。

現在の港のところにもともと山陽本線が通ってたとのこと。なので線路がまだ残ってたり。

さらに特高警察とか水上警察とかがかつてあった場所とか。

で、タクシーで移動した先は関門トンネルの殉職碑。

ヤード内にあるので行けませんが、供えられた花がきれいなので、職員さんがお参りしてるのかな。ちなみに、これ、朝鮮人だけじゃなくて…。というより、朝鮮人も含めた殉職者の碑です。が、問題は、刻まれてる朝鮮人の数はあまりにも少ない。たぶん「一般の死者」はノーカウントなんでしょうね。
と、電車が来た!

続いて、友好の植樹跡。

なんで植樹が「跡」やねんと。
そんなもやもやを抱えながら、朝鮮初級中級学校へ。と、向こうにおられるのは、なんと山本崇記さんではないですか!てことで、ご一緒しながらあたりを散策(笑)。ちなみに、山本さんからお聞きしたところ、金さんってこの金さんのお姉さんだとか。
この公園、かつては焼き場だったそうな。

そして、この道路の先には刑務所があったとか。

下関は、もちろん拉致された朝鮮人が日本に到着した土地のうちのひとつです。が、逆に解放のあと朝鮮へ向けて帰るための出発点でもありました。が、敗戦当時、米軍が港に機雷を沈めて出港できなくした。そのために、朝鮮に帰ろうとしたたくさんの人々はやむを得ずに下関にとどまった。そこでとどまったのが「神田」の山だったとか。もともとは何もない山、町名もない山だったとか。
そうして朝鮮人の集住地ができました。

なんか、かつてのウトロを思い出します。いや、現在の紙屋川か…。
向こうの方には十字架が見えます。きっと大韓教会やな。

で、朝鮮学校の中で講演。
もちろん中身は「いつか聞いた気がする話」です。でも、それをあらためて聞いた時、自分が何もやってないことを、あらためて突きつけられます。たしかにやらなきゃならない課題は山のようにあります。その中で、在日朝鮮人はつい薄くなる。でも、それではアカンなぁと、あらためて思いました。なので、そんな思いとこないだあったできごとを返しました。

フィールドワークのあとは、ホテルにチェックインして、しばし休憩ののち、懇親会です。向かうは「焼肉 ソウル」です。

タン塩。うまいわ。これはあきません。ビールがすすむ。ワインもすすむ。
なんか、ほんとに久しぶりに「焼肉」を食べた気がします。
そのあとは部屋飲み。会場は、やはりわたしの部屋(笑)。そんなこんなで12時くらいまでダベって、さぁ寝ましょう。

すごい資料→アウトリーチのスピリッツ

今日は第2のふるさとの人々と一緒に「現地研修」です。なので、勤務先の駅で降りずにその先へ。降りると知りあいがウェットティッシュを配っておられました。そうか、人権週間か。こないだの香山リカさんの中止問題についてちょこっと話をして、でも迎えに来ていただいたので、そのまま集合場所へ。そしてマイクロバスに乗って、向かうは舳松人権資料館です。
到着したら、とりま舳松の歴史についてのレクチャーです。が、当然舳松オンリーになるわけもなく、部落史の講演になったりします。と、一緒に行ってた先輩と顔があって、思わず苦笑い。でも、舳松の解放運動史になると、とたんに顔つきが変わるのは当たり前。それを聞きに来たんですよね。
で、ひとわたり舳松の歴史について学んだら、次はフィールドワークです。
フィールドワークって、なにがおもしろいのかというと、歴史と今が結びつくこととか、そこに住んでた/る人の生活と触れあえることとか、さらにはそこにない歴史を想像することとか、そんなあたりかなぁ。ちなみにそれは「土地」とつながるので、例えばトランスというかセクマイ系でいうと、東京にはある。考えてみると、三橋さんに案内してもらった吉原から回向院とか新宿界隈とか、メッチャ豪勢なフィールドワークだったよなぁ。ほんとにおもしろかった。大阪は…。堂山はおもしろいけど、歴史的にはどうなんだろ。京都は…。ないか…。いや、セクシュアリティ系はありますけどね。
で、実際にもともとの「塩穴」と呼ばれていた頃の土地面積の狭さとか、坂田三吉の生家の狭さとか、いろいろおもしろかったです。
そのあとは大原さんの「啓発」にかかわる話。
大原さんとは一度?お会いしていて「お久しぶりです」なんですが、それはそれとして、とてもいい話を聞かせていただきました。やはり啓発がらみで語るのは当事者じゃなくて非当事者だなと。非当事者がどう変わりどう学び、いまどう生きているのかってのが大切なんですよね。なぜなら、他の非当事者にとって、そこにこそ自己変革の可能性を見出すからです。逆に言うなら、当事者の語りは自分の体験じゃだめってことです。そんなのは「理解と共感」でとどまってしまう可能性がとても大きい。仮に当事者が話すなら、非当事者並のことを話さなきゃならんってことです。
ま、そんなことを考えながら、舳松フィールドワークは終了。

バスに乗せてもらって帰ればいいものを、ちょいとおべんきょ場所で降ろしてもらって、おべんきょ会場に乱入。その後、Hがしさんに同行して「日本エイズ学会」に乱入。さらにDISTAへ。ここでSWASH主催のワークショップ&講演会「当事者活動の難しさ」の打ち合わせをしておられて、そこに乱入です。講師のティ二さんとSWASHのみなさんの話を聞いてたのですが、メッチャ勉強になりました。
テーマはアウトリーチについてのものでしたが、とてもおもしろかったです。もちろん、ここでのアウトリーチはセックスワーカー対象なんだけど、その手法とかスピリッツは、学校の中のマイノリティ生徒へのアウトリーチと似てるなって思いました。
わたしにとってのフィールドは教室なんですね。たいていの教員はセンター(職員室・保健室・図書室など)にいるけど、そこから撃って出る(アウトリーチ)んですよね。その時にどういうふうにアプローチするのかとか、心がけるべきことはどうかとか、どんな情報を伝えるのかとか、どうやってセンター(例えば交流会)につなぐのかとか、ヒントがいっぱいありました。
でも、そんなに長居はできなかったので、そのことをティ二さんに伝えたら、喜んでくれてました。
あと、帰りがけに4月1日のフェミニスト・フロートでコーラーしてたセックスワーカーの人が
「あの時「いつきさんがいる」って思ってすごくうれしかったけど、「女は最高」ってコールをどう聞いていたのかが気になって、終わってからみんなで話してた」
って言ってくれました。なので
「「おかまも最高」って言ってましたよ(笑)」
って言ったら、ホッとしたような笑顔で
「わたしも言ってました」
って言ってくれました。
てことで、記念写真になぜかわたしも入ってしまったり^^;

どうやらお茶大の件でフェミニストvsトランス女性が再燃したみたいだけど、少なくとも「ここ」ではそれはないなとあらためて思いました。
やはりそれは、「coming out story」でA久○さんとかRささんとかSっさんとかが言ってくれた「葛藤の共有」とつながるのかなって思いました。

てことで、ものすごく充実した1日でしたが、さすがに疲れた(笑)

きっと伝えたいんだろうな

朝、目が覚めた瞬間に「アカン」となりました。パートナーが「どうすんの?」って聞いたので、迷わず「1時間年休」って答えました。
それにしても、1時間年休をとれば、普段より1時間40分ゆっくりできるの、計算があわんなと。まぁ、理由は簡単です。ラッシュアワーなので接続に余裕を持つために早めに家を出てるのと、普通しか走ってない時間帯ってのが理由です。
てことで、ガッコに着いてもフラフラです。どうしたものやら。まぁでもそれくらい低いテンションのほうが、たぶん子どもたちにとっていいんでしょうね。
そうそう。図書室の書架を見るとこんなになってました。

なので、さっそく子どもたちに自慢。
い「きのう「へんこつ」に行ったの、これ書いた人なんやでー」
生「えー、この絵、かわいい!」
い「中もええんやで」
生「ほんまや!「好きな下着をはく」ってあんたのことやん(笑)」
生2「(笑)」
い「そやけどな。昨日お金を払った記憶がなくてな、謝りのLINEしたんやけど、既読がついたままなんやわ。怒ってるんかなぁ」
生「あー」
い「大切な友だちなんやけどなぁ」
生「元友だちな(笑)」
い「…」
どうやら子どもたちは教員の傷口に塩を擦りこむのが好きらしいです(笑)。
ちなみに、午前いっぱい仕事してて返事をするヒマがなかっただけらしいです。やれやれ、でも、そりゃそーだ(笑)。
で、今日はなんとしてでも今やってるゲンコをやりきってしまいたい。てことで、文字数オーバーの原因部分をバッサリ切り落として、そこに簡単に結論だけを書いてみたり。はたまた抜け落ちていた大切な論点を補足してみたり。
で、1回読んでみて、そのまま「えいっ」と送信です。まぁ、文字数オーバーは変わりませんが、主たる原因は英単語を入れてることとURLを記載してることなんで、なんとかなるでしょう。てか、あかなんだら、またどこかを切るだけのことです。

夜はムラのお母ちゃんと話。
このお母ちゃん、40歳くらいかな。メッチャおもしろい人です。前に子どもを成績のことで怒ってたんで、わたしは子どもに向かって「自分のことを棚に上げてな」って言ったら、お母ちゃん爆笑してはりました。まぁ、よくぞ初対面のお母ちゃんにそんな暴投したなと思いますが、受け取るお母ちゃんがすごいです。
で、子どもを前にしてお母ちゃんと「ムラ話」です。子どもも自分がムラなのは知ってます。が、それがどういう意味があるかはわかってないんですね。
母「あの人もそうやで。この人もそうやで」
みたいな話をしながら、例えば結婚してる人を見たら、みんなムラ同士みたいな話をされます。
それにしてもお母ちゃん、自分がムラ出身ということをしなやかに受けとめておられます。なぜなんだろうと思った時に「あっそうか!」と。
お母ちゃんの世代は、京都の同和教育の最後の花が開いた時だったんですよね。それまではジャマする人がたくさんいて、なかなかできなかったことが、ようやくできるようになった頃なんです。まぁ言うなれば、わたしの担任時代です。
母「あんたのお父さんもな、青年部の人にあちこち連れて行ってもらってたんやで」
い「それ、全青とか全奨とかですか?」
母「あー、わからへんけど、そんな言葉聞いたことあるわ」
ここのお父ちゃん、若い頃はそうとう言わしてたらしいです。そんなヤンチャなお父さんをあちこちに連れて行ってた青年部ってすごいです。で、当然お母ちゃんもそういう時代の空気を吸いながら生きておられるわけです。なので、自らを否定しなくていいってこと、まさに部落問題を社会の問題としてとらえておられるってことなんですね。
でも、子どもは違う。お母ちゃんとわたしの会話に、ところどころで「そんなところに生まれたのはアンラッキー」みたいなことをポツリと話したりします。そのたびにお母ちゃんは笑って返されます。
もしかしたら、お母ちゃん、子どもにムラのことを伝えたかったのかもしれません。でも、なかなか機会がなかった。そんな時に、わけのわからんヤツが突然あらわれて、ムラの話をお母ちゃんとはじめた。それを聞かせたかったのかな。
それはこのお母ちゃんだけじゃないと思うんですよね。まさに今の保護者世代は「京都の同和教育の最後の花が開いた世代」です。たぶん「伝えたい」「伝えなきゃいけない」って思っておられる。
その思いを実現するきっかけづくりができたらうれしいな。

サシのおさんぽ

今日は午後から星野さんと「おさんぽ」です。
最初に星野さんと会ったのは、5月のstnの交流会です。でも、あんまり話をしなかったですね。その後、facebookでつながって、なんとなく「へー」と思ってたんですが、この記事へのコメントをきっかけに「おさんぽ」しようということになりました。
てことで、午前は軽くランニング。
昼過ぎに京都駅で合流。なんか、風邪ひきらしいです。大丈夫かなぁ。それなりに歩くけどなぁ。とりま、昼ごはんは「崇仁新町」へ。いつものようにちょぽ焼き食べてビールを飲んで。ついでに記念写真です。

ちなみに、いつもの通りちょっとわがままを言ったりしたのですが
「ええよええよ、わたしら「同じ」やもんな」
って言われて、えーと^^;。
で、おさんぽ開始です。いつものコースをたどりながらも、いつもと違うのは「サシ」ってことかな。とにかく「そこにまつわる話」にとどまらない、お互いのものの考え方とか、最近感じたこととか、いろんなことを話しました。
おさんぽのゴールはもちろん「おたふく」です。ここでも「うまいうまい」と食べながら話をしていたのですが、お店のお客さんが「歌え」と。マジか…。
てことで「雨上がりの夜空に」を歌うハメになりました。やれやれ…。
で、適当に切り上げて、京都駅に向かうことにしたのですが、交通手段をどうするか。そこにやってきた市バスがたまたま京都駅行き。しかも臨時らしく誰も乗ってません。なので、一番後ろに座って、またまた話。ちなみにこのバス。河原町→四条通→祇園→東山→七条通という激混みコースを走る、観光客コレクションなバスらしいですが、「それもええやん」と。
で、京都駅で「もう少し」ってことになって、「HUB」へ。ここでもいろんな話をして、9時過ぎ終了。
星野さん、ええ感じやわ。すごくしっかりしたものの考え方をしてて、しかもブレがない。発信力もある。でも硬直してるわけでもない。まぁ、そこには生い立ちや経験や、さまざまなものが絡んでるんでしょうね。
なんか、少しずつバトンを受け取ってくれる人が出てきてるな。そんなことを感じた1日でした。

「揺れ」のないしんどさ・全同教大会2日目

朝方、ものすごいいびきで目が覚めました。どうやら、F本さんが自分の部屋に帰らずに、わたしの部屋で倒れられたようです。まいった、あまりにもうるさい。てか、ふとんから出られない。と、目を覚まされたF本さん
「カギがどこかにいったので部屋に帰れない」
とのことです。まいった。
てことで、そのあとは寝られませんでした。

今回の分科会はK野さんが司会のところにしました。ちょっと気になるレポートがあるからです。
睡眠不足のまま朝ごはんを食べて、ホテルからお友だちの車に乗せてもらって会場へ。中に入ると知ってる人がいっぱいいます。みんな気になってるんだな。さらに「どこにいるの?」とかいうメールがあったりして、お友だちが続々と(笑)。
で、分科会開始。
まずは大阪の小学校の平和学習のとりくみです(笑)。
平和学習…。
いや、平和学習を否定する気はないです。てか、平和学習を通した人権学習はあると思います。が、平和学習そのものは、人権学習とはほんの少しスタンスが違います。でも、レポートからそれそのものが伝わってこない。なので、そこを質問したのですが、まぁ、当たり前のことを当たり前にされているみたいです。いや、もちろんメッチャクチャしんどい現実を抱えさせられている子どもたちがいるわけですから、ハンパないことはしておられると思います。が、それそのものは、それでも「あたりまえ」なんですよね。
さらに気になったのが、「被害の歴史」にとどまり、そこから「命の大切さ」を伝えるという手法です。というのは、とある大阪の小学校の校長さんがピースおおさかが「大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム」になったことについて話されたことを聞いていたからです。
それなりに経験を積んでいる人が、あえて「被害の歴史」を使うのはいいでしょう。でも、レポーターはかなり若い人で「なぜ加害の歴史を使わないのですか?」と質問しても答えがイマイチ。たぶん「あえて」ではなさそうです。
それにしても、わたしの並び、「なんなんだ」って人ばかり。わたしの隣は三重のHやしさん。その隣が滋賀のUりんちゃん、その向こうが新潟のAらいさん。Hやしさん、ひたすら怒りまくってます。
お次のレポートは東京の外国人にかかわる実践です。ようがんばってはります。昨日K畑さんから聞いたとおり、孤軍奮闘です。が、とにかく「当事者を闘わせる」ことに特化しておられるようにしか思えません。そのあらわれが「名のらせる」という表現です。さらに
「本名(民族名)を名のらないのは差別する側にまわること」
という発言が出てきて、わけがわからなくなりました。なので
「なんだかよくわからなくなってきました。あなたにとっての「差別」ってなんですか?」
という「終わってる」質問をしてしまいました。
ただ、ここで時間切れ。昼食休憩です。
午後は質問への答えから。
「わたしにとっての差別とは「ありたい姿ができない」こと」
とのお答え。そうか、やはり個人のことに還元してるんだ。根本的に違うみたいやな。
てことで、意見交流の時間は「加害の歴史を扱うこと」や「自らの立場を社会化すること」なんていう話をしましたが、イマイチやったかな。てか、サポーターが多いわ。ピースおおさかの関係者が出てきて「被害の歴史でもいいものはいい」とか言ってみたり。まぁそりゃそうですよ。「沖縄地上戦の図」も「原爆の図」もいいですよ。でも、そこにどういう視点を持ち込むかです。いみじくもHやしさんが「自分につなげ、親とつなげる」と言ってたけど、そこですよね。
そしてもうひとつ。実践を行う側に揺れがない。別に自らが被差別の立場である必要なんてないし、自己批判をする必要もないです。でも、揺れはあるんだと思うのです。でも、それがない。自信があるのか、逆にガードが固いのか。よくわかりません。
ということで、なんとなくもやもやを抱えた不発なまま今年の全同教も終了。K野さん、ごめん。

分科会が終わったところで、A井さんとふたり、Uりんちゃんの車に乗せてもらって京都までドライブ。京都に着いたところで、せっかくなので崇仁新町へ。

京都に帰ってきた感がやってきました。が、ちょぼ焼き屋さんのおねえさんに完全に顔を覚えられてしまったみたいです。おかしいな。まだ3回くらいしか来てないのにな^^;。
軽くおなかも満ちたところで、さぁ帰りましょう。今日は静かな環境でゆっくりと寝たい。

当事者性を前面に出すのはやはり性にあわん・全同教1日目

今日〜明日、滋賀で全同教大会です。てことで、朝から膳所に向かいました。会場に向かっていると「いつきさん」と声をかけられました。北河内のお友だちとした。会場につくと「A久○さんだぁ(笑)」
ということで、全体会場へ。
会場では初級学校の子どもたちのアトラクションです。元気やな。前に徳島で初級学校の子どもたちの演奏を聞いた時も感じたけど、ほんとうに「見せる」「楽しんでもらう」ことをきちんとやる感じです。すごいな。
で、全体会スタート。

相変わらずバランスが悪い(笑)。なんでも太鼓の時は女性が多かったらしいです。うがった見方をするなら、歌舞音曲は女性も参加。でも、政は男の世界ってことかなと。
阿○Zさんは「見解を知りたい」とのことで会場におられましたが、わたしはロビー活動。と、H本さんだぁ。しばし話。さらにK畑さんもおられたのでしばし話。と、S田さんもおられてしばし話。お、T橋さんだ。久しぶり!
で、ロビー活動終了。楽しみにしてたシンポジウムです。会場の後ろのほうで座り込んで聞いてると、地元のH田さんが来られました。なんでも「若手」を出してるとか。なるほどな。滋賀って人材豊富やなぁ。
で、話を聞いてたのですが。イマドキそんなことがあるのか?って一般的に思われそうな「あるある差別話」もあったりして、なるほどなと。「部落差別は解消過程にある」なんて、どこ見て言ってるねんと思います。そんな中で、やはり「先輩」なんかとの出会いがあったり、出会い直しがあったりして、今の活動に結びついてる。いまやってる活動も、いわゆる「居場所づくり」です。それも理念からくるんじゃなくて、自分の前にある現実からスタートしておられます。
まぁ、そんなところはとてもおもしろいなと思うのですが、一方で目指す社会みたいな話になった時に、いきなり「上から目線」になるんだよなぁ。
確かに「経験」は「当事者」固有のものです。他の人には経験できない。なので、否定のしようのない絶対性を持ちます。そして、その経験は固有のものだから、それに基づいた「考え」もまた絶対性を持ってしまうし、「わたしたち」は聞くしかなくなってしまう。それはあまりにもおもしろくない。
一方、それは「固有のもの」だから普遍性を持たない。もちろん、他の「固有のもの」を経験している人との間に共感もあるかもしれない。でもそれは「固有の経験」をしている人の間でしか生まれないし、得てして「同種の経験」の中でしか共有できなくなってしまう。さらに、「他の経験」をしている人との間で、時としてパッティングすることすら出てくる。そしてそもそも、ある活動をしていることに「経験」は絶対的に必要なことなのかって話が出てくる。
このあたりは、当事者性を前面に出す時に陥りがちな「穴」だと思います。
もちろん、個人の話をするだけのことであれば、それはそれでありだし、そういう話をすることこそが必要なんだと思います。が、壇上に立つときは、それとは違うものが求められると、わたしは思います。
個人の経験は、あくまでも個人の経験として語る。一方、普遍を語るときは、その経験を一度飲み込む。そして、飲み込み咀嚼したうえで、「他の経験」に思いを馳せながら語る。
そんなことが必要なんじゃないかなと思うんですけどね。知らんけど(笑)。

そんなこんなで、いろいろもやっとしながら、少し用事をして、夜はいつもの飲み会です。いつものように、なにがなんだかわからないけど、ここは「個人の経験を個人のものとして話す」人と、そんな経験をしてない人とがフラットにいられる場所です。とても居心地がいい。
なので、さらに部屋飲みです。
「どの部屋?」
「そらいつきさんの部屋やろ」
マジか…。
なんか、話をしながら、途中で爆睡してしまいました(笑)。