今日が本番

今回の沖縄は今日が本番です。「現代社会のしくみ」で話です。
2014年にはじめて来た時はミッション1でした。2015年は「Yデーのあとのゴタゴタ」でお休み。2016年はミッション1で、2017年は沖縄人権学習のビデオづくりの報告でした。そして、昨年はミッション2の大学版をかけました。今回は去年と同じ内容にしようかな。
と、野入さんから
「「現代社会のしくみ」の最終回だから、最後に15分残してください。終了は11時35分です」
とのお言葉。マジか…。1時間15分。でも、やるしかないです。たぶん最後まで行かないけど、去年もそうだったし、それはそれでひとつのゴールだからいいでしょう。
てことで、お座敷開始。
ちょっとおねむの学生さんもおられたけど、ほとんどの学生さんはがっつり聞いてくださいました。特に最後の方はメモまでとっておられれて、いろいろ恐縮です。それにしても、ちょっと遅刻してきた人、なにやらオーラが違うぞ?メッチャイケメンです。たぶん、「こちら」の人ですな(笑)。あとでYーいちに聞いたらアタリでした。
てことで、11時35分ちょうどに終了。やったね!
昼ごはんはいつもの「SORA」でおいしいイタリアン。

午後はこれまたいつもの通り、ゼミに出させていただきました。
今日の発表者は2年生と3年生のふたり。それぞれ興味深い内容です。でも、それだけに難しい。そうやってあの興味深くて難しい内容を論文へと持って行かれるのか、楽しみです。そして、そういうゼミをさばきながら、論議を深めさせていく野入さんは、やはりすごいなぁ。

ゼミの後は野入さんとバイバイして、普天間にある「そいそいハウス」へ。ここで、Mりさんと合流です。どこかに食べに行こうかと思ったけど、結局買い物をして、自炊で呑むことになりました。てか、つくってくれるのはMりさんですけどね。おいしいゴーヤチャンプルーをつつきながら、ここ1年にあったつもる話をするなど。
しばらくすると、N山さんコンビ登場。ここから話は一気に広がっていきます。さらに、家主のAか峯さん登場。ここから話は一気に沖縄の運動と選挙の話になっていきます。さらに辺野古から帰ってこられた方が登場。もう、わけがわかりません。
と、野入さんからメール。
「明日の朝は早いので、もう寝ます。今日はそちらに泊まってください」
そりゃそうだ。で
「泊めていただけますか?」
とたずねると
「それはいいけど、明日の朝普天間基地の西ゲートでスタンディングに参加するのが義務です」
とのこと。ぜんぜんOKですよ。
ということで、最後はAか峯さんと辺野古帰りの人と3人で呑んでいましたが、少しずつ倒れていってしまったので、おふたりを置いて、わたしは寝ることにしました。
長い一日だったなぁ。

今回の研修・国立療養所沖縄愛楽園

朝、7時45分にスタートだとか。早い(;_;)。
で、とりあえず名桜大学へ。カフェでモーニングです。食べ過ぎた(;_;)。
しばしメールへのお返事をした後、1回生のポスター発表の見学です。LGBT関連がふたつあって、関心の高さを感じました。が、参考文献がネットなのがさびしいなぁ。まぁ、しかたないか。
それ以外に、名護市営市場の発表もありましたが、市場のはじまりが内地の人のお店だったというのを知ってモヤっとしたり。あと、ハンセン病のポスターがあって、「正しい知識を持つことが排除せずにすむことにつながる」みたいなことが書いてあったので、これまたモヤっとしたり。なので、思わず「隔離政策を支えたのは一般の人々の善意なんだよ」ってツッコミを入れてしまいました。
てことで、ポスターセッションが終わったら、せっかくなので「愛楽園」に行くことにしました。なんでも名桜大学にはハンセン病を専門にしてる伊波せんせいって方がおられるとか。その方に紹介してもらおうと思ったら
「突然行っても大丈夫ですよ」
とのこと。なので、Yーいちの車で愛楽園へ。
事務所で「あのー」というと、「交流館に展示資料がある」とのこと。交流館に行くと、すんごい展示がありました。数々の詳細な証言や、写真など。そして米軍が撮影した動画とか。頭がクラクラします。
で、伊波せんせいに「園内の案内ってしてもらえるんですかねぇ」と尋ねると、「自治会に行けばやってもらえますよ」と。
「そんなん、飛び込みで行っていいんですか?」
「いいんじゃないですか」
どんなんやねん。というとこで、自治会へ。
「あのー、ここに来れば案内してもらえるって聞いたんですけど」
かなり怪訝な顔で見られながらも
「ちょっと待ってくださいね」
と奥に行かれて、別の人を連れてこられました。
「どこの案内をしてほしいんですか?」
「えーと、あのー」
「時間はどれくらいありますか」
「別に特には。せっかく京都から来たので」
と、驚きの発言が!
「もしかしたら、京都で、同和教育をしておられて、在日外国人教育もされてる高校の…」
「はいそうです。いつきです」
「あー、やっぱり!わたし神奈川で教員やってた時に、京都の全国在日外国人生徒交流会に生徒を連れて行きました」
「あー!」
1993年のことですね。Sずきさんという方でした。
するとさっきまで怪訝な顔をされていた方が、満面の笑みになって
「よかったねー」
と(笑)。
てことで、Sずきさんが案内してくださることになりました。ちなみに、Sずきさんのことは、伊波せんせいが「ハンセン病回復者の戸籍のことで博論書いてる人がいる」って聞いてたんですが、まさかそのSずきさんが知り合いだとはわかりませんでした。
てことで、最初に向かったのは小中学校の跡地です。

なんでも、他の療養所内にも小中学校はあるけど、それらはすべてどこかの学校の分校なんだとか。ところが、愛楽園では屋我地の小中学校の分校にすると、本校の人間も「らい病」と間違われるということで反対運動が起きたんだとか。そこで、当時の琉球政府は「じゃ、分校じゃない学校をつくる」ってことで、政府立の学校をつくったんだとか。そしてその英断をくだしたのが、屋良朝苗であると。サブイボ立ちました。
さらに中学校を卒業したら高校に行きたい。でも、高校は本土にしかない。当時の米軍統治下では、沖縄の中学校を卒業しても受験資格がない。そんな中、本土の高校に連絡をとって、パスポートをとって。ハンセン病の人は船には乗れないけど、それをなんとか乗って、降りられないけどなんとか降りて、そうやって療養所に行って診察を受けて「ハンセン病認定」されることで高校に行く。「赤いマフラーしてる人に会え」という情報ひとつで、とにかく高校に行く。でも、愛楽園のカルテには「逃亡」としか書かれなかったとか。
ほんとにすざまじいなかを生きておられたんだなと。
次に行ったのは防空壕あと。

入り口は貝の堆積物があります。

これで手を切って、化膿して、指を落としてしまった人が多数だとか。さらに、奥には通路と無数の穴があいてます。この穴を掘るために、座った状態でツルハシを振るう。ツルハシの跡が生々しいです。

落ちたゴロタ石を手ですくって外へ放り出す。そういう作業の中で、脚を切断することになったり手を切断することになったりする。
防空壕のおかげで、空襲で死んだ人はひとりだけだったけど、防空壕のせいで手足を失った人がたくさんいたとのことです。
そして、出ました貞明皇后の石碑。

そして納骨堂です。

Sずきさんの話をよく聞くと、死者の話や死にゆく人の話がほとんどです。それが療養所の置かれた現実なんですね。
愛楽園のお墓は、療養所内部にふたつ、そとにふたつあるんだとか。ひとつはこの「平安之苑」で、もうひとつは聖公会の納骨堂です。

さらにカトリックの納骨堂が療養所にあります。カトリックの納骨堂ができた時「死んでまで療養所にいたくない」という人たちが、聖公会からカトリックに変わったとか。そこで聖公会も外に納骨堂をつくったんだとか。
愛楽園の納骨堂には子どものお骨もあります。ハンセン病の人たちへの断種や堕胎は知られてることですが、そういう処置を拒否して、あるいはかいくぐって子どもを産んだ方もおられたとか。でも、堕胎させられた方が圧倒的多数でした。小さな子どもを浜辺に埋めて、後でそのお骨を拾う。でも、お骨を見失うこともある。そんな時は骨の代わりに石を入れたりサンゴを入れたりしたんだとか。
納骨堂の隣には「名もなき子どもの碑」があります。

この碑をつくるにあたっても賛否両論あったんだとか。それを象徴するのが、除幕式での当事者の方の「複雑な思い」というスピーチです。ここに祀られた子は幸せだけど、断種・堕胎が強要されることで子どもが持てなかった人がたくさんいるんですよね。そういう歴史が「なかったことにされる」ことへの怒りみたいなものが、その根底にあります。
ちなみに、この納骨堂は3代目だとか。初代は空襲でやられ、2代目は粗悪な材料でつくったために老朽化が激しく、現在の3代目は入所者の皆さんがお金を出しあってつくられたんだとか。
そして、旧面会所。

かつてはこの面会所を境に、「有菌者」と「無菌者」の居住区がわかれてたとか。そしてその間には壁があったとか。その壁は、物理的には越えようと思えば越えられるんだけど、越えられない。そういうものだったらしいです。
ただ、愛楽園は「外部」に行きやすい。具体的には脱走しやすくて、案外脱走してる人が多かったみたいです。が、もちろん見つかったら、翌日は処罰される。だから、職員が怖かったとか。また、職員も愛楽園で働いていることは人に知られなくなかったんだとか。
なんかもう、幾重にも囲まれた社会なんだなと。
でも、現在はゲートボールの名護市長杯をやったり、外部との交流が進んでるとか。あるいは、どこの療養所でも課題になってる「最後のひとり」問題を、外部の人も入所できるようにすることで乗り越えていこうということも考えておられるとか。
なんか、崇仁みたいな感じですね。
ここから再び戦争の時の話です。
機銃掃射を受けた水タンク。

機銃掃射を受けて穴があいた塀。

沖縄って比謝川に米軍が上陸して、そこから南下していったから、読谷村以南で地上戦があって、それより北の被害はまた別種なのかなと思ってたけど、そういう世界じゃないですね。
ここに書ききれないことが、まだまだあるけど、約2時間のすんごいフィールドワークをしてもらいました。Sずきさん、ありがとうございます!って読んでないだろうけど(笑)。
帰りの車から見た橋。これが「こっち」と「向こう」をわけてたのかな。

で、そこから「水車そば」で遅めの昼ごはんを食べました。テビチ、うまい。

にんにく入りのコーレーグースうまい。

その後、今日お世話になるN入さんのお家へ。「おべんきょ成果」の報告をしたり、あれやこれやと話をしながら、手料理をごちそうになり、ぁゃιぃお酒を呑んでと。

さてと、今日は早めに寝ましょう。明日が本番だ。

久しぶりのふくろうの会

朝、すこしゆっくりして移動開始。はるかにのって、関空に行って、いつものジェットスターです。で、到着したのは、これまたいつもの那覇空港。今回来てくれたのはYーいちです。
久しぶりのご対面。やっぱりおもしろいヤツです。
で、ふたりで58をひたすら北上。到着したのは、これまたいつもの名桜大学です。今日はふくろうの会&宴会です。
実は、このふくろうの会、ここ3年くらい、ある種、濃密なつきあいがありましたが、昨年度「濃密な人々」が卒業してしまいました。現役の人たちも充分に濃いぃ人たちなんですけど、卒業した人々があまりにも濃いぃ人たちなので、相対的に薄く見えてしまっていたのですが、前回来た時に、現役の人たちもメッチャおもしろいことが判明しました。なので、やはり「ふくろうの会」は来たいなと。

名桜大学に着いたら、まずは「教養セミナー」なる自主講座に潜入。この自主講座、なんでもそれぞれの教員の興味に基づいて開講されていて、単位とは無関係らしいです。でも、これが成立してることがすごいです。今回のテーマは「子どもの貧困」です。でも、すでに発表は終わっていて、ディスカッションもほぼ終わってる状態でした。残念。
ただ、次回の購読の本を選んでおられて、『裸足で逃げる』が出されてたので、ついでに『ハマータウンの野郎ども』を推薦しておきました(笑)。

で、ふくろうの会です。
今回のふくろうの会のテーマは「老いとわたし」だとか。えーと、それ、わたしへのあてつけか(笑)?ちなみに、学生さんたちの話を聞くと、やはり「老い」は遠い世界のようです。なので、10年後あたりの話をされていました。
わたしは…。「折り返し点」から、まだ数年しかたってないので、まだまだこれからな気分です。なので「たぶん老後はないですね」って話をしました。
「ふくろうの会」のあとは「海洋」で晩ごはん&呑み。その後、ふくろうの会のメンバーさんの家で呑み。そのまま倒れるように寝ちゃいました。
やれやれ。

あり?

今日の午前は第2のふるさとで会議です。なので、朝は少しゆっくり。行きの電車ではたまりまくってるブログの更新です。
会議はというと、まぁいつもの通り。それぞれのガッコでやってる実践を出しあいます。とにかく、小中と高の違いが顕在化します。小中はガッコの規模が小さいのもあるけど、縛りがきつい。それが「一丸」となる契機にもなりうる。例えば、「ミニ研修」と題して、各教員が自分の興味があるテーマについて調べたことを発表したりします。そんなの、高校ではとうていできません。少なくとも京都ではね。
ま、そんなことを感じながら、ガッコへ。
メールチェックをすると、待ちに待ったゲンコが来てました。開いてみると、長っ!でも、いいんです。とても貴重なデータです。ただ、表ありグラフありのメッチャ組みにくいレポートです。こいつをうんうん言いながら、サックリと組みます。しかし、勉強になるわ。
で、著者に校正原稿を送って、お次は「おべんきょ成果」の修正です。が、ここで時間切れ。

夜は大阪で恒例の会議があるので、電車の中でスタイルガイドを見ましょう。なにせ、第2版に準拠して書いたもので、お手紙の中に「第3版に準拠してね」ってあったけど、どこを変えたのかわからないから、全部読まなきゃなりません。
ふむふむ、なるほど。えーと…。あり?
「見出しは前後一行あけてゴシックで中央寄せ」
マジか…。まったく気にしてなかった^^;。
実は、おべんきょセンパイの書き方とかはいろいろ注意をしてたんですが、こういう根本的というかレイアウトというか、そういうところは気にしてませんでした。てか、レイアウトは組版屋さんの仕事と思ってますからね。なまじ自分が組版屋なんで(笑)。
でも、どうやらそういうものではないのが、この世界のようです。これはかなりきっちり読まなきゃならんなぁ。

夜の会議はつつがなく進んでいきます。
そして、恒例の飲み会。カキがあります。やはり生でいきましょう。なにがあっても悔いはない(笑)。
てことで、少しタイムオーバー気味だったけど、無事に家に帰れたので安心です。
と、あり?
思い出しました。20日〆切の校正があるじゃん(;_;)。

大人気なんていらない

朝、体が痛くて目が覚めました。まぁそりゃ体育館にシュラフを敷いて寝たら痛いに決まってます。マットを持ってきたらよかったんだけど、荷物がなぁ。
てことで、ノロノロ起きたら、朝ごはんの準備をしてるSゅん輔がいたりして、ダラダラ話。そうこうするうちにお米を買ってきてくれたり。なんでも、道の駅に行ったらまだあいてなくて、でも「いいですよ」って売ってもらったんだとか。優しい町です。
で、朝ごはんを食べたら、なんか子どもたちがソワソワしはじめました。なんだろうと思ったら、みんなでドッチボールをしたいんだとか。
てことで、「ドッチボールやらなかったらバスに乗せへんで!」って言いながらみんなを集めました。
題して「大人気ないドッチボール」の開催です。
みんなガチです。ガチなので、たまに顔面にボールがあたります。もちろん、顔面セーフなわけですが、あたると痛いわな。そうこうするうちに、ボールが増えてふたつになって、やがて3つになるあたりでワケがわからなくなりました。とにかく、どこからボールが来るかわからない。でも、ガチで受けて、ガチで投げて、ガチで逃げるドッチボールはおもしろいです。
てことで、後かたづけをして、集合写真を撮って、パスに乗車。
それにしても、N田さんとO田さん、ずっとつきあってくださって、ほんとに申し訳ないです。でも、みなさんのおかげで、今年楽しくてステキな経験ができました。ほんとにありがとうございました。

あとはパスに乗って帰るだけ。とは言え、運転するのはわたしとYーき。パワーのないバスをひたすら走らせて、なんとか5時過ぎに到着。
バスを返して、幸楽に行くと、すでにみんな飲んでます。ここで、なぜかお座敷の打ち合わせなんかをやりましたが、まっとうにできるはずもなく。さらに、なぜがWぃんたが来て、なんだかもう、混沌です。でも、これこそが打ち上げだな。
さてと。明日は寝坊しよう。

今年も遠出・トランスジェンダー生徒交流会のキャンプ

子どもたちは朝8時半に集合です。が、わたしは8時に某所に集合。とりあえず、マイクロバスの受け取りです。このために限定解除したのでした。
てことで、マイクロバスを運転して、みんなの集合場所へ。今回は島根県に向かいます。
発端はこの日です。瓢箪から駒で決まった今年のトランスジェンダー生徒交流会の島根キャンプです。今年はどうなるのかな。
てことで、ひたすらマイクロバスを運転。2時前にYーきとドライバーチェンジ。ふう。とりあえず「ぷしゅ!」。Yーき、すまん。でも、セジッカラ、めっちゃうまい!
そうこうするうちに、バスは下道へ。やがて4時前に公民館に到着。出迎えてくださったのは、N田さんとO田さん。よろしくお願いします。
子どもたちは早速着替えて川遊びに出発です。小雨け降ってるけど、濡れたら一緒です。みんなでキャッキャ遊んでる時に、ふとN田さんに質問。
い「お風呂、ありますか?」
N「ないです」
い「シャワーは?」
N「物置になってます」
い「え…」
N「近くにお風呂ならありますよ」
い「え…」
てことで、みんなに
「お風呂行く?」
と聞くと
「行く!」
とのことでした。さすがはチャレンジャーやな(笑)。
でも、お風呂に行ったら幸い貸し切りでした。友だち同士なら安心です。それでも、見られなくないところは見せない。あたりまえのことです。このあたりまえのことが、なぜわからんかな。
てことで、体も温まったことなので、焼肉のはじまりです。うまい!O田さんがおにぎりを握ってくださって、これがまたおいしい!お米を大阪で買わなくてよかったです。
そうこうするうちに、子どもたちは思い思いの友だちとダラダラ話をしたり、体育館でボール遊びをしたり。大人たちは体育館に机を持ち込んで酒盛りです。まぁ、ここからあとはいつものパターン。「エロい」とかなんとか言いながら、いらん写真を撮ったりしているうちに、シュラフを敷いたら爆睡です。

久々にアクセル踏んだわ

朝、メールチェックをすると、メッチャメールが来てます。てことは、メールの返事祭り?てことで、ひたすら返事を書いたのですが、返事を書くと返事が来るのがメールというものです。アカンやん(笑)。
あとは夏休みの宿題をつくったり、なんだかんだとやってたのですが…。

問題は授業だな。
そもそも、なんでこんな時期に授業があるねん。進学校は知らんけど、そうじゃないところも進学校にならって授業がある。というか、わけのわからん「授業時数確保」とかで授業がある。だって「内容的な必然」でやるなら意味があるけど「確保」のためなら、単なる穴埋めですよ。
そもそも、わたしが教員になった頃は、「試験休み」なるものがあって、期末試験と長期休業の間は成績処理のために授業がなかった。ところが「試験返しをせんとあかん」という理由で「休み」がなくなった。そこからなし崩し的に試験返し→授業になって、すると採点の時間を確保しなくちゃならなくなって、試験が前倒しになって…。すると試験前の期間が短くなって単元を終えるのがきつくなる。ほとんど本末転倒です。
さらに言うなら、授業時数を確保してたくさん授業をやったら学力があがるのかというと、そんなevidenceはどこにもない。てか、PISAあたりのことを鑑みると、日本は授業時数が多い割に、授業時数が少ない国よりも点数が低い。じゃ、なんのための「授業時数確保」なんだと。
ほとんどかつての「スポコン」の世界です。ちなみに、スポーツの最先端は「根性」ではないですよね。科学的なevidenceに基づいてトレーニングをしている。スポコンがまかり通ってるのは授業くらいですよ。
さらに、大学までも「半期15コマ」が厳守だとか。なので、土曜に振替をやる。でも、そんなんイレギュラーだから、例えば土曜日に定期的に用事を入れてる学生は出られない。もっと言えば「学生ローン大国」の日本では働かなきゃ大学に行けないわけで、なのに「半期15コマ厳守」とか、ムリじゃん。必然的に振替の日は出席率は低くなる。言い換えるなら学生の学習権が侵害される。でも「自己責任」となる。
構造を問わずにこの責任にしたら楽ですよね。
で、誰がこんな世界にしたかというと、おそらくは制度と現場が相互反映的にやっていったんだろうとは思うど、その最初の「言い出しっぺ」はいるわけです。それは、おそらくは「教育の素人」だろうと思われるわけです。
誰が教育の玄人かというと、ひとつは教育学者です。あとは、現場にどっぷりと浸かり込んでいない教員です。ちなみに、現場にどっぷりと浸かりこんでる教員は、「舵取り」はできません。「考え」ではなく「感覚」で判断してるからです。
てことで、教育の素人が口を出すなと。

まぁそんなことを考えざるを得ない、週末に1日たりない木曜日なので、思わず子どもたちに
「なんでこんな日に授業やねんと思わへんか?」
とグチモード。すると子どもたちはポカンとしてます。そりゃそうだな。子どもたちはこれが当たり前だから、自分の置かれてる状況を疑いようもないよな。
てことで、一席ぶったあと、しかたないので授業です。
単元は「不等式のあらわす領域」です。

まぁ、社会もふたつにわけたがるよね。例えば、この出席簿に書いてある君たちも、ある記号でふたつにわけられてるんですよ。なにかわかる?「性別」です。
そんなん、当たり前やんと思ってるやろ?じゃ、女って何?男って何?「そんなん、チンコがあるのが男で、マンコがあるのが女やん」と思ってるやろ?でも、実際には身体の性はスッパリと二分できないんだよ。「だって、書類に書いてあるやん」と思ってるやろ?でも、世界の中には「X」っていうのがある国があるねん。実は、そんなに簡単なことじゃない。
そもそも、「男とは何か、女とは何か。誰が男と言われ、誰が女と言われるのか。男とは誰で、女とは誰か」ってことを考えるのが、わたしが大学で研究しているテーマなんですよ。
人間をわけるのは、他のことでもいい。例えば、アメリカでは肌の色でわけてきたし、今もわけてる。日本でも部落か部落外かでわけてきたし、今もわけてる。あるいは、日本国籍を持ってるかどうかでわけてる。いろんなわけかたがあるのに、なぜ「性別」でわけるのか。
それは、この社会は「異性愛」だからですよ。だから、ふたつの性別が必要となる。
例えば君たちは、制服を着ている。制服はふたつの性別でわかれてる。君たちは制服によってふたつの性別にわけられてるんですよ。髪型は自由意志?でも、だれかモデルになるものがあって、そのモデルにしたがってわけられてるんですよ。
そうやってふたつの性別にわけたうえで、男性中心の社会をつくってる。そういう社会をつくるために女性を利用する。
だから、「性別」があるんですよ。
まぁ、領域も同じようなもんでね。ある直線を境にふたつにわけるんだよ。じゃ、例23を見てみようか。

久々にアクセル踏んだわ。
でも、ポカンとしながら、必死でこっちを見てる子がいたのがうれしかった、夏休み前の授業のひとときでした。

「おべんきょ成果」→某在日外国人教育関係の会議→玖伊屋

朝寝坊ができる土曜日なのに早く目が覚めるのは、ほんとうにアレですが、しかたがないですね。その分ゆっくりできるってことですね。
とにかく、「おべんきょ成果」を読み込んで、最終の修正をかけます。なにせ、ここでやらなかったら、あとはやる時間はまったくありません。読み込むと、やはりおかしな表現があったり、不要な接続詞があったり。ほんとうに「推敲」ってのの大切さがわかります。あとは、コメントをくださった方へのお手紙を書いて、とりあえずほぼ終了。

で、今日は午前~午後が某在日外国人教育関係の会議で、夜は玖伊屋です。なんか、この流れが多いです。まぁ、夕方まで用事があって、夜に別の用事を入れたら、コンパクトにスケジュールがこなせるってことなんですけどね。
てことで、午前の会議。わたしは送られてきた原稿の組版をしたりしながら会議に参加。いや、ほんとうにスケジュールがキチキチです。てか、わたしがいなかったらどうするつもりなんだろとは思うけど、たぶんなんとかなるんでしょうね。つまり、〆切に大幅に遅れても、わたしがなんとかしているのがアカンってことです。
昼はいつもの王将でランチ。
午後も会議です。会議中にあちこちと連絡をとりながら、最終的に5時に終了。
それにしても、途中

大和小泉駅から徒歩1.6km、こちら安堵町の「りんご」。引戸開けたらいっせいにつきささる視線(^◇^;)、「どこから来た?」「東京です」全員驚く(^◇^;)、「ネット見てきたか?」「いえ、京都の友だちから教えてもらいました」「京都って学校の先生か?」「はい(笑)」‬

などというIずみちゃんの投稿が流れてきて、ひとり爆笑していました。
夜は玖伊屋です。
今日はいつになく盛況で、なにがなんだかなカオス状態でした。Uりんちゃんが「高校時代の友だち」をつれてきて下さって、この方がメッチャ力強い方で、ほんとうに助かりました。
が、0時をまわったあたりでダウン。まぁ、長い一日でしたからね。

採点の祭典→新たな胎動

今日から1学期の期末試験がはじまります。ちなみに、わたしの担当教科はすべて今日あります。
てことで、6人講座の試験カントクです。これ、いろいろ考えて、教科書持ち込み可にしました(笑)。まぁ、ベクトルなんか、教科書見てもわかるものしかわからないです。なんなら、余計なことを覚えてなくてもいいから、純粋に「考える」ことに没頭できます。で、やはりみんな苦しんでました(笑)。
で、カントクのあとは採点の祭典です。ふたクラスはだいたい3時間でできます。てことは、成績処理の大半は今日中にできてしまうから、あとがメッチャ楽になります。
で、採点したけど、きついな。まぁ、やり方を変えたから、点数とる子はガッツリとってくるだろうし、とれない子はそこそこやし。なので全体的に分布がバラつくかなと思ったけど、下にバラけました(笑)。

で、さっさと職場を出て崇仁の生きセンへ。今日は「高校生にわかる部落問題学習を考える会」です。発端はこのつぶやきでした。そしたら、あれよあれよと人が集まりはじめて、気がつくと遠くは鳥取から来られるというファンキーな方もおられて、今日の会になりました。
使うのはこないだのプレゼンです。ただ、せっかく崇仁でやるんだから、ご当地写真を少し入れましょう。
 
で、6時半からスタートです。まずはうちの人権学習の紹介から。多様性ワークの話とか、リビングライブラリの話とかしながら3年間の流れを話した後、いよいよプレゼンの開始です。話したのは約1時間。そこからはディスカッションです。いろんな意見が出てきて、なかなかおもしろかったです。なんというか、自分が気がつかなかったこともあったり、逆に自分が何を意識してこの教材をつくったかが再意識化されたり。

その後「焼き焼き」へ。到着すると地元の方が飲んでおられて、いい感じです。それを追っかけるように、やかんビールとか餃子とかちょぼ焼きとか。わたしはいつもの裏メニュースペシャルバージョンです。
そんな中で、今日の振り返りをしてたんだけど、ふと気がつきました。
「今思い出したんだけど、わたし、差別はアカンってひとことも言わなかったな」
そうでした。今日の意見の中にも「差別はアカン」という言葉が何度も出てきたんですけど、考えてみたら、わたしは、というか、うちの人権学習で「差別はアカン」ってひとことも言わないな。てか、「差別」という言葉すら使わない。タイトルくらいかな。まぁそりゃ、差別について考えるときに「差別」という言葉を使うとトートロジーになるからなぁ。
まぁ、今日の会についてはfacebookにみんなアップするでしょうから藤尾さんとかうりんちゃんとか牧口さんとかsawadaさんあたりを読んでください。

と、なぜか次回の集まりについての相談が藤尾さんから出されました。
「一度わたしの講演を聞いて、忌憚のない意見をください」
うわ、おもしろ!
せっかくなので
「わたしのも聞いてほしいし、他の人のも聞きたいな。それが直接部落問題とつながるかつながらないかにかかわらず、それぞれの人がそれぞれのライフストーリーを語るって大切かも」
すると
「おもしろそう!やりましょう!」
ってことになりました。こちゅかるさんとか、メッチャやる気です。
てか、これ、「パラムの会」じゃん!
楽しみだなぁ(^^)

帰り道、藤尾さんといろいろ話してたけど、わたしと藤尾さん、けっこう似てるかも…。

とうとう実現

第2のふるさとで一緒にPTAとか子ども会をやっていた人が、今はとある中学校で校長をやっています。そんなこともあって、そこの中学校には中高連携でよく遊びに行っていたのですが、いつもふたりで
「こういう個人的なつながりではなく、正式なつながりが必要だね。それも、保育園から高校までがつながることが大切だよね」
って言ってました。このモデルになるのは第2のふるさとです。ここでは、保育園から高校まで、そして行政や地域も一緒になってムラの子の教育について考え・実践しています。
そんなことを言ってそろそろ4年が過ぎるのですが、ようやく今日それが実現しました。
が、いろいろあって、今日は中高だけですが、今後より縦断的に集まることになりそうです。
これからどう育っていくのか、楽しみですね。