少なくてもやる

休みの日はゆっくり寝たいけど、やはり寝られません。7時前に目が覚めて、横を見るとパートナーはぐっすり寝てます。ほんまによう寝るな。
「何時に起きるの?」
「8時」
「ほなおやすみ」
で、しばしネットを見て、8時になったので
「8時だよ」
と起こすと
「8時半」
と返ってきたので、やれやれです。でも、8時半に起きはったからえらいなと。
で、午前は実家の用事です。それにしても、どんだけ古新聞をためこむねん。
2時過ぎに家に帰って昼ごはん。

今日のラーメンは辛くないです。ラ王のゆず塩らしいです。おいしいけど、おなかいっぱいです。
で、のんびりしてたら、
「ケーキを食べよう」
ということで、下の子どもがつくったケーキを食べるなど。こないだの誕生日は帰ってきたらそのまま寝ちゃったからね。
で、ひと息ついたら出発です。今日はゼンコー卒業生の会です。はたして誰か来るのかな。ひとりだったらどうしよう。
とりま早めに行ってKっかわくんと合流。はじまる前に出張リハビリです。ほんとに助かります。自分でやろうと思うけど、できないこともあるし、なにより客観的に見てくれます。さらに記録もとってくれてるので安心です。やはりプロです。
そうこうしてるうちにKきぴ登場。Iちろーも買い物して参加してくれて、なにやら4人で鍋の開始です。

そうこうするうちに、うちの卒業生も来てくれて、まったりとした卒業生の会になりました。
人数は少ないけど、それぞれがそれぞれの経験を少し深目に話をしたりして、久しぶりに「おぉー」という卒業生の会になったかな。
それにしても「X」の話とKきぴやIちろーの経験がつながるあたりがおもしろい。あいまいさとかカテゴリー分けのできなさとか、そういう話はつながるんですよね。もちろん差異はあるんだけど、差異に着目して「違う」というのか、共通点に着目して「似てるわ」というのかは大きなスタンスの違いです。わたしはできれば後者の考え方をしたいと思ってて、卒業生の会はそういう場所なんでしょうね。だからこそ、暴走機関車うれしい言葉が生まれたんだと思います。
で、KきぴとKっかわくんが帰って、Iちろーとふたりで、今後のゼンコーについて語りあってたら1時半。これはあきません。寝なきゃ。

少数精鋭か?

今日は某在日外国人教育関係の会議です。
午前の部はけっこうたくさん来られて論議することができました。約1時間の打ち合わせの後、いつもの通り、王将で昼ごはん。
午後の部は、1人帰られて、午前の打ち合わせより少人数になってしまったり。まぁでも、わたしの役割は欠席されてる方々との連絡役だったりするので、それはそれでバタバタと。久しぶりにレポートしてくださる話を出したり、2022年度の開催地が決まったり、朗報が出せたのがよかったかな。
ニーズが高まってるのに状況が厳しいです。でも、ここをなんとかしのぐ方法を考えなきゃね。
で、4時過ぎに会議は終了。京都駅まで移動して、軽く飲み。
まぁこんな感じですな。

やっかいなもの

朝起きていつもの通りコーヒーを淹れて。少しずつできることが増えてきたので、朝も余裕ができます。久しぶりの5分だけの二度寝。おふとんは気持ちいい。
でも、いつもの電車で出勤です。20分あとので行ってもいいはずなんですけど、なんとなくかな。
今日は昨日よりもキーボードが叩きやすいです。それだけ肩が動いてるってことですね。それと、指も広がってるのかな。考えてみると、もともとenterキーはかなり遠いから、手を動かして打ってたんですね。
しまったな、早まったなと思ったけど、昨日思わずポチッてしまったのが到着しました。なるほど。これはいいわ。こんな感じでキーボードが使えます。

ベストポジションです(笑)。
午後は会議。会議中に座り直そうと思った時にバランスを崩して上半身を右腕一本で支えてしまう事態に!うぐぐ。支えきれない。てか、ヤバイ!イヤな痛みがなかったから、大丈夫かな。大丈夫であってほしいな。

夜はちょぼやき会です。
今日、話をしてくれるのはM波さん。障害にかかわる話は聞いたことがあるけど、ご自身の話は個人的に断片を聞かせてもらったことはあるにしろ、まとまった話を聞くのははじめてです。楽しみです。
会場に着くとすでにおられます。なんかナーバスになっておられます。自分の話をするってそういうことなんですよね。それを越えて話をしてくださるということは、たぶん「ちょぼやき会」という「場」だからこそなのかな。
で、話の中身は…。テーマをひとことで言うなら「キリスト教」です。
自分の話をしようとするなら、親の話からしなくちゃできない。それは「パラムの会」でもそうだったし、この時もそうでした。
部落や在日に生まれることは選べないといいますが、実は宗教もそうだったりします。ただ、日本においてはそれを意識せずにすむ人が多数を占めています。だから「そんなことはないだろう」と思われがちです。なぜなら、宗教を意識する人は、たいていは「1世」だからです。でも、生まれながらに宗教を意識せざるを得ない人も少数ながらいる。そんな人はたいていは「2世」だったりします。そういう人にとっては選べないことなんです。それに対しては「そこに差別はない」という話はあるかもしれない。でも、そこじゃないんだな。葛藤なんです。
かつてパラムの会がやっていたことは、その葛藤を語るということでした。日本籍朝鮮人として生まれることは、国籍では差別されない生まれであるということなんです。すでにその時点で被差別者としての「資格」を失っている。でも、葛藤は残ります。つまり日本人として生きるのか、朝鮮人として生きるのか。そんな二者択一を迫られました/ます。かつて「朝鮮名を名のらない」ことはクローゼットとみなされてきました。しかし、金田智之さんが明らかにされたように、クローゼットとカミングアウトは排反ではないんです。つまり「朝鮮名を名のらない」が、そのまま日本人として生きること「ではない」ということです。金田さんの言うバレバレという生き方を、パラムの会では「叙述的自己表現」と言いました。その叙述的自己表現を通して、パラムの会の人たちは自らの当事者性を獲得していきました。そうやって、「当事者性」と「被差別者としての資格」を切り離していったんです。そこでキーとなるのは「葛藤」だったんだと思います。
てことで、M波さんの話を聞きながら、ずっと「あのときの自分はどうだったんだろう」ということを考えていました。
M波さんもわたしもキリスト教の2世です。そのことはずいぶん前に教えてもらっていました。ただ、当時はおそらくはとても深い葛藤の中におられた/おられるんだろうなということは伝わってきていました。というのは、わたしにも葛藤はなかったわけじゃないけど、そういうわたしの葛藤とは異なるというか、重ならないというか、そういう感じがあったんですね。あるいは、もっというならば、共感を拒絶するくらいの感じがあったような気がします。
でも、今日の話はまったく違いました。なによりすごいなと思ったのは、「かつての自分はNPOと出会った頃から現在までを「ええやん」と思ってたけど、今はすべての自分を「ええやん」と思っている」という言葉でした。じゃぁ、そういうM波さんになったのは、M波さんがその葛藤とひとりで対峙し続けたか。それは違うんですね。やはり、M波さんの葛藤と向きあう他者の存在があった。そしてそれは、決してM波さんにとって近くはあれ、完全にピアな存在ではなかった。そのことがもうひとつのキーになるんじゃないかなと思いました。
ただ、そういうM波さんの変化の背景にあるのは、やはり障害者解放運動なのかなとも思います。つまり「ひとりでがんばらなくていい」ということです。そういう意味では、過去が今の自分をつくるだけでなく、今の自分が過去を再構築し直すのかなとも思いました。
そしてもうひとつ、冒頭に言われた「ここだから話せる」ということ。つまり、安心して話せる場所であることと、なにより「聞く」人がいるってことです。プラマーじゃないけど、語りは相互行為なんだなってことです。
なんか、ほんとうに今日来てよかったなというか、この場にいてよかったなというか、この場があってよかったなというか、そんなことを思いました。
ただ、それにしてもキリスト教ってのはやっかいだな。葛藤を感じない人はそうでもないけど、なんらかの葛藤を抱えると、メッチャめんどくさい。

で、ちょぼやき会のあとは、いつもの崇仁新町です。今日はA久○さんも来ておられて、なかなか盛り上がったのですが、阿○Zさん、肩を叩くクセがあるのを忘れてました。きっちり骨折箇所を叩かれました。てか、三角巾で腕吊ってるのに2回も叩かれて、それも2回目のほうが強かったという。まぁええか。ガラスの破片入りの日本酒飲む人もいたからなぁ(笑)。
そんなこんなでUりんちゃんが帰るタイミングでわたしもバイバイ。
家に帰ると10時過ぎ。さぁ寝ましょう。というか、入院以来、寝るのが早いわ。

熱き心に

朝、目が覚めると9時。のろのろ起き出して、おふろにはいって、準備開始です。11時過ぎに電車に乗って、なんとか集合時間に2分遅れで合流。今日はセクシュアルマイノリティ教職員ネットワークの学習会です。
まずはスタッフの腹ごしらえ。同志社大学の向かいのラーメン屋です。日曜日は天一あいてないからなぁ。

でも、おいしかったです。
で、準備開始。でも、わたしはなにもできません。もちろん肩鎖関節脱臼ってのもあるけど、二日酔い&寝不足のほうが大きいかな。
そうこうするうちに、少しずつ人が来られました。第1部は「クローズ交流会」です。やはり安心安全な場所で自分のことを話せるって大切なことなんですよね。参加してる人の話を聞くと、そんなことを思いました。
で、第2部は学習会です。講師は南和行さん。
「今日のみなさんにいまさら「セクシュアリティとは」みたいな話をしてもしかたないから、今日は普段こんなことを考えながら講演してるってことを話します」とのこと。いいんですか?そんなぜいたくなことを。
で、話されたんですが、おもしろい!話のメインはいくつもありましたが、一番力を入れられたのが「高度な個別対応」ってことかな。それにまつわって、Kスポーツのこととか一橋大学のこととか、かなり細かく話されました。その中で力説されたのが「あなたが悪いわけじゃない」ってこと。このひとことをかけられることの大切さです。
そうなんですよね。昨日の交流会の違和感もそこなのかも。「あなたが悪いわけじゃない」からこそ、その場でどう生きていくかを考えられる。どこかにある楽園を目指すことは「ここではわたしはふさわしくない」ってことなのかもしれない。
それにしても、2時間しゃべりっぱなしです。しかも、たぶん頭の中にシナリオはあっただろうけど、普段話さないことをほとばしるように語られる。少し笑いを入れてるけど、その奥にある熱い炎みたいなものが垣間見られる講演でした。
で、第3部は茶話会。クールダウンのひとときです。みんなでワイワイ。わたしはFく澤さんと今後のしでかしについて相談です。んー、時間あるかなぁ。でも、やる価値はあるなぁ。
そして第4部は懇親会。このあたりまでくると、ほぼ限界です。Kみちゃんと久しぶりに話しながらも、あまり力が入らず。9時半くらいにお店を出て、Iけ田さんと一緒に崇仁新町へ。いつものお店で「最近来ぃひんやん」と怒られるなどo(^^)o。ここで組合の青年部の流れの人と合流して、しばし雑談。でも、10時をまわったあたりで、もう帰りましょう。
長い長い1日が終わりました。

どこかの楽園をめざすのではなく

起床は6時。眠いです。てか、ずっと騒いでるヤツがいたから、深くは寝られませんでした。まぁこれも裏ですわ。
そこから片づけの指示をして、のろのろ片づけ。それでも8時前にはながらになって、管理人さんが来られたところで勘定すませてチェックアウト。備品を部屋に放り込んで、今年の裏も終了です。でも、これもカウントダウンだよなぁ。
で、職場の最寄り駅から向かうは大阪。今日はトランスジェンダー生徒交流会です。
最寄り駅に着いたのは集合時間の30分前。どうしようかと思ったけど、おにぎりひとつ買って、集合場所でムシャムシャ。
やがて初参加の人が集まってこられました。楽しんでくれるかなぁ。
今日のメニューはカレー。考えてみるとカレーははじめてです。さらに今日は基本ノンアル。これもはじめてです。まぁ、ノンアルと言っても、わたしは少しは飲みますけどね。で、子どもたちはジャガイモ人参玉ねぎをひたすら切ります。
が、なんかおもしろくないな。だって、煮込みはじめたらやることがない。なので、肉まんをつくることにしました。ちなみに、つくり方は簡単です。すでに加熱済みの肉団子をミンチにもどして、玉ねぎのみじん切りとあわせて、塩コショウとガラスープを足して混ぜる。皮は中力粉をこねるだけ。それを手のひらで伸ばして、具を乗せて包むだけです。衛生面は…。どうせ加熱するから大丈夫でしょう。完成したのを食べたら予想以上においしかったし、子どもたちも大喜びです。
さらにカレーを食べ終わったところでケーキづくり。小学生の頃から参加してた子が大学に合格したお祝いです。でも、あとでわかったけど、他にもいたんだよな。そんな子らみんなのお祝いにしなきゃなりませんでした。反省。
で、話し合いの時間です。
みんな、自分の話もするし、質問もするし。活発に話し合いをしますね。が、なにか違和感が…。なんなんだろ。
そうか、「今いる場所が居心地悪くても、他にも場所がある」って言う子が出てきたんだ。これまでは、いないわけじゃなかったけど、ほんの少しニュアンスが違ったな。ここの交流会が目指すのはそういうんじゃない。思わず「この子は今の場所をどうするかを考えているので、「こんな場所がある」って話ではない」って介入してしまいました。
今の場所が居心地が悪い。それは、実はどこに行っても同じこと。そんな時にガマンするのもひとつの方法です。その場所を変えるのもひとつの方法です。でも、そこから逃げない。どこかにある楽園を探してそこに行くことを目指すんじゃなくて、今いる場所でどう生きていくかを考え実行していくことなんだな。
まぁ、次に来た時にどうしようと思ったか、どうしたかを聞くのが楽しみです。それにしても、来る会を重ねるごとに少しずつ語れるようになっていく子を見るのは楽しみですね。

で、6時に終了。その後、大人は恒例の「幸楽」に移動して、ようやくアルコール解禁です。ちなみに子どもたちは別の場所で二次会です。これもまた昔のやり方です。卒業生たちがいろいろ模索してくれるのがうれしい。
で、ワイワイ飲んでたら、子どもの二次会を仕切ってくれてたYーきが到着。「やっと飲める!」。おつかれさん&ありがとう!
そこからもうひと盛り上がりして、なぜかカラオケに行くことに。マジか…。ここで12時くらいまで歌って、Kっ川くんに家まで送ってもらうなど。帰ったら3時半くらい。ほんとにいつも申し訳ないm(_ _)m。でも助かりました。
服を脱ぎ散らかして、ベッドに潜り込んで「やっとふかふかのところで横になって寝られる」と思った次の瞬間寝ちゃいました。

よくできたな

アクシデントから3日目の朝、やはり起きるのはつらいです。でも、痛みはずいぶんとマシかな。痛み止めを飲むタイミングはどこにしようかな。
とりま出勤。今日は午前に2発授業です。取り出しをやめたので、ほんとに全体を把握できるし、余裕もできます。なんなら、本来取り出し対象の子にも個別指導ができます。が、集中的には対応できないから、効果は薄い。どうなるだろ。
それにしても、書類とかメールとかが多いです。きついな。
午後はかなり疲れが出てきます。が、横になれるかどうかがわからない。そろそろ横になると、なんとかなりました。なので、20分ほど爆睡。
そうそう。今回のアクシデントの基礎知識。どうやら肩鎖関節脱臼というやつらしいです。で、わたしは「Type2」の「亜脱臼」のようです。なるほど。保存的治療なんですね。まぁでも、よくこれですんだな。たしかに「不幸中の幸い」です。
放課後は職員会議。筆記用具を持っていったけど、意味がないことに気づいてみたり。

職員会議が終わると、毎年恒例の鍋&引き継ぎです。
とりま、うちの子どもに迎えに来てもらって、いつものキャンプ場へ。すでに鍋の準備は整ってます。でも、鍋の前に儀式だわ。これも卒業生がやってくれてます。
わたしができないとみんながやってくれる。ありがたいなぁ。
で、無事儀式もすませ、鍋開始です。うまいが食べにくい。まぁええか。卒業生たちとワイワイやったり、現役生たちとワイワイやったり。
今回はアクシデントのこともあるけど、準備がぜんぜん進んでいなくて、ほんとうにできるだろうかと心配してました。このあたりはおそらく、どこかで「継承」がうまくいってなかったんですね。まぁ、わたしがサボってたってのもあるけど、それだけじゃないですね。なんだろ。「熱いヤツ」が少なくなったのかなぁ。
でも、今回やってほんとうによかった。

今年も母女→悪友と

今日は大津で近畿ブロックの「母と女性教職員の会」があります。しんどいなと思いながらコーヒーを淹れて、窓の外を見ると、雪!

マジか。まぁでも毎年こんな日は何日かあるんだけど、今年は少ないだけのことですね。
てことで、電車に乗って大津に向かうんだけど、山科でも雪。そして大津も雪。雪の中をしばし歩いて会場へ。この時点でなんとなくボーとしてます。
で、「女性部長会議」を終えて(笑)、午前の記念講演。講師は艮香織さんです。はじめてお会いしたのは、たしか11年前です。あの時はたいへんでした(笑)。その後、長い長いブランクがあって、その次はHリムさん企画の時ですね。あの時はすげーって思いました。で、今回の母女をするにあたって、地元のOくちゃんさんが「ガチの性教育の講演を企画したい」とのことで、「つきましては艮さんをお呼びしたいけど、どない?」とか言われて「それええやん!」となって、今回の企画になったと。
今回は2年前と違って「人権とは」という話から入られました。と、滋賀のお友だちのE川さんから「えらそうや」とのメール。えらそうなわけではないのですよ。聞いてる人の大多数は教職員で、その人たちに「知識」の伝達をしてるのですよ。なので「知識や理屈、あるいは言葉として「知っておく」ことは大切かなと思ってます」と返事しときました。いや、ほんまにそうなんですよ。どこかで誰かからツッコミが入った時に「アワアワアワ」ってならないためにも大切なんです。
あと、やはり「性」は「人権」ってことはおさえとかなきゃならんですよね。隣の人と「これまで受けてきた性教育について話す」というセッションがあったので「どんなの受けてきました?」と聞くと「男女の身体の違いとか」って言われたので「それ、生物ですやん」とツッコんでみると「たしかにそうですね」と。
いや、生殖器の話も大切です。でも、それを教えることを性教育とは言わない。同時に、例えば「人間関係」を教えることも大切なんじゃないかな。だからこそ「人権」がからまってくる。
艮さんの話は、そこからユネスコの話とかWHOの話とかに進んでいきます。が、ここらあたりで、明らかに時間が足りない(笑)。てか、スライド見ると、もともと時間が足りない。てことで、ここらへんは最小限で飛ばされて、最後の最後に再び「人権」へ。ネタはどこかで聞いた話です。それがちょっとうれしかったかな。

昼ごはんのあとは、分科会。わたしは「女性の生き方」分科会の司会です。いろいろ変だけど、もっと変なこともあったから、ええんでしょう。
ちなみに分科会の前に「討議の柱」を考えなきゃならないのですが、おふたりの提案者の共通項を必死で考えました。かたや子どものアドボカシーの話、かたやご自分のライフストーリー。共通点はどこか。いろいろ考えたんだけど、自分がジェンダーにからめとられながらもそれに気づいてない状況から、今の状況へと変わっていかれたんだなと思ったので
「「気づく、向きあう、変える」でどない」
というと
「教研やー」
って笑われました。そりゃそうだ。
分科会の前半は提案者の話。おふたりともマジメです。そしてがんばり屋さん。そのこととジェンダーが結びつくんですね。でも、渦中にいるとそのことに気づかない。さらに言うなら、ジェンダーが内在化している。だから逃げられない。それがどこかで破綻する。それは子育ての中であったり、過剰な家事であったり。そこでようやく気づく。そこから自分が置かれている「位置」と向きあう。そして自らの生き方を変えていく。そんな話でした。
で、わたしの司会は後半、いわゆる討議の時間です。誰も発言しなかったらどうしようかと思ったけど、けっこう活発に発言が出て助かりました。でも、あえてグループ討議の時間をつくったり。
そうそう。
「いつまで性別でわけるのか。最小限必要なところ以外はわけなくてもいいのでは」
とかいう話が出てきて、さらに
「最小限必要なところって?」
という問いに、
「身体」
ってつぶやきが聞こえてきて、メッチャ反応しかかったけど、ここで反応したら共同研究者になるのでガマンするなど(笑)。
てなことで、分科会も無事終了。

分科会のあとは懇親会。4時半から6時半というメッチャ早めの晩ごはんですが、遠方からの人もおられるのでしかたないですね。ビールがキリンだったのでラッキーでした。
で、懇親会が終わったら京都駅へ。そのまま、なぜか南行きに歩いて、とあるホテルへ。ここに大学時代の「悪友」が泊まってます。なんでも今度子どもさんが京都の大学に入学されるんだとか。てことは、また会える機会ができるかな。韓国料理をつつきながら、悪友とかおつれあいとか子どもさんとしばし懇談。
でも、明日は仕事だ。早上がりにしましょうか(^^)。

世界が広がると感受性も増すのかな

朝、寒いです。久しぶりにお湯をかけた車のウィンドウが再凍結します。通勤途中も手が痛い。でも、これが普段の冬なんですよね。
電車の中から自分宛てにトドリストをメールします。職場に着いたら、トドリストに従ってサクサク仕事。
授業は2発。合間に生徒の走りにつきあってみたり。
それにしても、タイムは一緒に走る人に左右されるもんですね。今日は約4kmのコースをいいペースで走れました。

これ、ここ数年で一番早いペースかもしれません。
そんなこんなで、いろいろしてたら、あっという間に定時です。さっさと職場をあとにして、崇仁へ。今日は久しぶりのちょぼやき会です。会の前はいつもの通り、軽く燃料補給。今日は昨日角打ちで教えてもらった「おでん」を食べようかな。

うまい!味噌味がたまりません。一味をかけると、またおいしい。味噌味をビールで洗い流して、お店を出ました。
で、ちょぼやき会。今日の担当はYもぎ田さんです。現在リビングライブラリで本としてお世話になってる方です。今日の話はうちのガッコで話されてる内容+αを話してくださいました。
Yもぎ田さんの話を聞くと、仕事だけの人間がいかに狭い世界に生きているのかがよくわかります。たとえその職場がどれだけ大企業であってもです。話の中で「同じ話題しかない」みたいなことを言っておられましたが、そうなんですよね。結局仕事のグチがメインの話題になるんですよね。同質集団ってそういうことなんです。
そんなYもぎ田さんが、いろんなことがあって、仕事100%の生活がガラリと変わる。ここからがYもぎ田さんのおもしろいところなんですね。たぶんもともと興味をたくさん持つ方なのかな。そういうYもぎ田さんの特性が発揮される人生がはじまります。ただ、単に興味を持つだけじゃなくて、その興味を少し引いたところから観察したり、あるいは寄ったところから共感したり。そんなひとつが、例えば水俣病。そして水俣病から原発のことを問い直されます。
おもしろいなと思ったのは「被害者・当事者」となった時に、じぶんの「加害者性」へと思いを巡らせる。その加害者性は「他の問題」ではなく、自分自身の被害者性である原発へと向かうんですね。
ご本人は「考えるのが好き」って言っておられたけど、「考えながら生きる」ということがいかに大切か、そしてそれがいかに自分が生きる世界を広げてくれるかが、とてもよくわかる話でした。
うちの子ら、この話を聞いてるんですよね。伝わってるかな。というか、伝えるのはわたしたちの仕事か。
ちょぼやき会のあとは、今日は「中光園」に行きました。ここ、この間来たところです。ここでお腹いっぱいになるまで食べて、崇仁新町に行こうかと思ったけど、これは無理だなと。
てことで、いつものようにUりんちゃんに送ってもらって帰りました。家に帰ると10時過ぎ。よかった。10時半には寝られる…。

倫理学からのアプローチ

今日は某人権教育研究会の総会です。
午前はまぁ総会です。楽しみなのは午後の記念講演です。今回は「差別と倫理」の話を聞くことができました。
そう言えば高校の頃に「奴隷制度があったから哲学や科学は発展してきた。だから、奴隷制度は必要なんだ」って言ってた同級生がいて、もちろんそれはアカンのではあるんだけど、そこへの反論をしきれなかったという思い出があったりするわけです。つまり「アカンに決まってるやん」は答えにならない。かと言って「キミはそういう立場なのね。上等やんか」も答えにならない。
もちろんそれに対する答えとして「差別の現実に深く学ぶ」ってアプローチがあるんだけど、それもまた心許ない。
そんな中この日に堀田さんが倫理学からのアプローチをされていたのが、ずっと小骨が喉に刺さるような形で頭の中にありました。なので、今回の話はすごく楽しみでした。
結論的には「〇〇だから差別はアカン」という明確な解答はもらえませんでした。たぶん(笑)。ただ、すごくなるほどと思ったのは「トラウマ」という観点を提示されたことです。トラウマとvulnerabilityが結びついたとき、その具体例としてあげられるのがヘイトスピーチになります。つまり、ヘイトスピーチは肉体へのダメージになりうるということ。そしてそこにトラウマがあるということ。だからこそそこにvulnerabilityがあるということ。そのvulnerabilityはマイクロアグレッションで日常的にダメージを与えられ続けることによって強化されている。こうしたことが結びついたときに「差別とはなにか」ということが具体化される。つまり差別は具体的には「個」に加えられるものではあるけど、その個はvulnerabilityを持つカテゴリー集団と結びついている。そのカテゴリー集団を「被差別者」ということができるのかな。
こう考えると「差別はアカン」と単純に結果だけを言うのではなく、少なくとも差別の構造を心理学とも社会学とも違うアプローチで説明できるようになる。
別に倫理学でなきゃならないということではなくて、差別を論じるときに多様なアプローチがあるということに意味があるのかな、そんなことを、話を聞きながら考えてました。
うん、よかった!

気づく、つながる、築く・日教組教研3日目

朝起きると、7時。余裕です。ゆっくり朝ごはんを食べて、出発準備しましょう。ちなみに、体調は昨日よりはるかにマシです。でも、しんどいのはしんどい。
Aっちゃんとロビーで合流して、今日は市電で行きましょう。
会場に着いたら、ロビーでA井さんに腰を押してもらいました。あー、アカンのはそこだったんだ!
会場に入ろうとしたら、全国の女性部長がやってこられて「頼みたいことが…」とのこと。はぁ、わたしのでいいんですか。でも、ちょっとうれしい。
で、今日は総括討論です。テーマは「気づく、つながる、築く」です。さて、何を話そうか。
やはり、今考えてることはこの時話した内容ですね。それをいかに伝えるか。
たぶん「気づく」って、ワクワクすることなんです。そしてそれを教員はよく知ってる。知的好奇心ってのを持ってるんです。だから、新しい知識と出会うとワクワクする。
例えばその典型が、「部落史の見直し」でした。「えー!」って思ったし、「おもしろい!」って思った。そして、このおもしろい部落史をどうやって伝えようかと工夫し、授業した。で、どうだったか。ごく一部の子には伝わったけど、圧倒的多数の子どもたちにとっては「だから?」だったんです。それはなぜか。伝えようとしたことが「ワクワク」だったからです。ワクワクしない子にとっては伝わらないし、そもそもワクワクを伝えてもその先に行かなきゃダメなんです。
同じことが「性の多様性」でも起こってる。教員は「えー!」「おもしろい!」と思って、「性の多様性」を一生懸命勉強して、そのおもしろさを伝える。でも、そこで起こることは「部落史の見直し」と同じことです。
「部落史の見直し」のときにわたしたちが考えたことは、「部落史「を」教える」ことから「部落史を「で」教える」ことへの転換でした。そしてそこから伝えようとしたことは、部落差別は民衆の中にあって、政治権力はそれを利用し助長したってことでした。つまり政治を変えることだけではだめで、社会を変えること、そしてその社会はわたしたちによってつくられてるってことがわかったんです。だからこそ、「政治の問題」から「わたしの問題」へと転換したんです。
同じように、「性の多様性「を」教える」ことから「性の多様性「で」教える」ことへの転換がなにをもたらすか。それは、わたしのレポートが伝えようとした「多様性の中に権利の不平等がある」ということ。そして、その不平等を通して、わたしたちが「あたりまえ」と考える社会が実は当たり前なのではないということ。つまり、この社会がどのような「規範」でてきているかを明らかにするということです。
まぁ、そんなあたりを中心に発言して、午前で今年の日教組教研もおしまい。
終了後、またまたロビーでA井さんに腰を押してもらいました。やはり腰ですね^^;。
お昼ごはんはもちろんお好み焼きです。うーん、「かっくんスペシャル」を思い出して、少しさびしさを感じたり。
あとは新幹線に乗って帰るだけです。Aっちゃんと一緒にお酒を買い込んで、しばし宴会。京都駅で余ったお酒を片づけて、お家に帰ったら5時。あかん、限界です。寝よう。7時に起きて晩ごはんを食べて、でもまた寝よう。明日は日常だ。