きょうは教組の教研集会です。各地では中止になっているところが多いみたいですが、うちの教組は人数が少ないから、逆に開催できたりします。
てことで、朝から会場の部落解放センターへ(笑)。いや、うちの組合は解放同盟と仲よしというか、そもそも結成集会も部落解放センターでやりましたからね。
午前はレポートが2本。1本目はわたしです。ネタがないからここに書いたものをそのまま使いました^^;;。まぁでもオリジナルだし、チラシも配布したからよしとして下さい。2本目はAっちゃんです。毎年恒例ですね。ちなみに内容はここに書かれた「すき間性教育」にヒントを得た「すき間人権教育」の実践です。ちなみに「すき間性教育」を書いた人もうちの教組の人だったりします。それにしても、ふたりとも同じ雑誌にかかわっているのがなんとも…。てか、性教協の話が部落解放センターで出るというのがおもしろい。
それにしてもAっちゃんのレポートは初々しいです。なんか、「もうサイコー、これで終わっていい」とか言ってるので「ようやくスタートラインに立てたね」と言っておきました。
で、午後はえん罪被害者の方の講演です。が、すみませんが帰りました。いや、メッチャ聞きたかったんです。が、しかたないんです。おべんきょ成果が火を吹いてます。
てことで、おべんとをもらって家に帰って、おべんきょ開始です。
なんとか今日明日で今やってるところを突破したい。ここの「詰まり」をなんとかすれば、一気に進むはずです。まずは、一番苦手なところの最終修正。いや、今朝気づいたんですよね。その後、次に苦手なところの修正です。何が苦手かって言うと、難しい本を引用するのと、歴史をひもとくってヤツなんですね。でも、歴史から学ぶといろんなことがわかるからなぁ。
で、6時半頃にダウン。疲れた。ビールを呑もう。
てところで、筋トレするのを忘れてるのに気づきました。アカンな…。
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「熱と光を求めて ―水平社創立の思想に学ぶ―」とか
今日は午後から某人権教育研究会の大会です。とは言え、例年は分科会にわかれるのですが、今回は全体会の講演とレポート発表です。どうなることやら。
とりあえず、授業変更して、しかも2コマ目は最後の10分を他の人にお願いして、駅まで走ってなんとか大会に間にあいました。
記念講演は駒井忠之さん。タイトルは「熱と光を求めて ―水平社創立の思想に学ぶ―」です。ちなみに、駒井さんとは6年前にご一緒させていただきました。
話の内容は…。おもしろい!
水平社といえば朝治さんだったりするわけですが、駒井さんもすごいなぁ。曰く
「水平社創立宣言の中には「差別」という言葉は1回も出てこない」
「「人間」という言葉が10回でてくる」
なんていう話は、なんで気がつかなかったんだろうと。でも、それに気づくことが研究者なんでしょうね。
あと、結論がおもしろい。簡単に言うなら「差別しちゃいけない」という否定ではない語り方をどのようにしていくかということです。それが水平社創立宣言の「差別」という言葉がないという話とつながるわけです。じゃぁなんだというと、そこで出てくるのが「カミングアウト」だったりするわけです。このあたり、渋谷で話した内容とも関係が出てきます。
もちろん、水平社創立宣言の「穢多であることを誇りうるときが来たのだ」という、カミングアウトする側の問題もあります。ただ、駒井さんの話でおもしろいなと思ったのが、筒井康隆の断筆に寄せて書かれた坂田明さんの「長谷川きよしさん」にまつわる話だったりします。視覚障害の長谷川きよしさんに「ここ、暗いから気をつけろよ」と坂田さんが言う。すると長谷川さんが「オレ、小さい頃から暗いの得意なんだ」と返す。そういう関係ですね。ちょうどこの間の「オレ、inpairment」って話とリンクするかな。
で、大切なのは、そういう話って、実は最初に「ボケ」ないとあかんわけです。で、いわゆる被差別の側にある人にボケるのはけっこうハードルが高い。じゃ、なぜハードルが高いかというと、そこには差別被差別の関係が横たわっている。もう少し正確に言うと、「ボケ」側が越えなきゃならない「差別の社会構造」があるわけです。このあたりが「本名を呼び名のる」って話と結びついてくるのかな。
そんな感じの、いろんな刺激のある話でした。
当然のことながら、終わってから控え室に突入。あいさつさせていただきました。
後半はレポート。
中学校のレポートですが…。がんばってはるのはわかります。てか、すんごいたいへんだったんだろうな。でも、保護者と本人しか出てこないレポートは人権教育研究会のレポートじゃないんだよな。なので「クラスの日常会話の中でAさんの話題って出ましたか?」という質問をしようと思ったのに、あててもらえませんでした。やれやれ。
高校のレポートは、本来はサポーターとして発現しなきゃならなかったんだろうけど、ついつい「指摘」にまわってしまったり。まぁセクシュアリティネタなんでしかたないです。にしても「悩みを抱えている」という感覚なんだよな。うーん。
大会が終わってから、何人かの人に「中学校のレポートに何を質問しようとしてたのかがメッチャ知りたかった」と言われて、思わず内心笑ってしまいました。そんなにわたしの質問が気になるのか(笑)。そんなことを考えるみなさんが考える質問と同じですよ。なので、「クラスの日常会話の中でAさんの話題って出ましたか?って聞こうと思いました」って言ったら「だよねー」って顔されました。みんな気になってたんだ。
たぶん、それどころじゃない、ものすごくしんどい状況の子に「寄り添った」実践なので、もしかしたら「クラスとかいう話じゃない」ってことなのかもしれません。いや、たぶんそうだったんでしょうね。でも、それでもそこに活路を見いだすのが人権教育なんだと思うんですけどね。
ということで、大会も終わったので、京都駅までもどって「当事者研究系」の人たちと、今年度も無事ペーパーを出せたことを祝って呑み。よく食べよく呑みよくしゃべり、メッチャ楽しい時間を過ごしました。
さて、明日はがんばろう。
久しぶりに観た
今日はなんとなくのんびりな水曜日。なので、のんびりと授業してのんびりとプリントつくって。おべんと食べたらリハビリです。
そうそう。車のウィンドウウォッシャー液がチョロチョロしか出なくなって、これはヤバイと修理工場に出しました。持って行ってもらうときに
「チューブかなぁ」
とか言って触ったらボロリと折れたので、そりゃアカンわと納得。劣化しまくりでした。
リハビリが終わったら
「修理完了」
という連絡が入って、ガッコにもどったら持ってきてくれてて。なんでも
「工場にあったチューブを入れただけやし、お金はええわ」
とのこと。ありがたや。
ちなみに、社長さんはうちの卒業生で、その甥っ子にあたる従業員はかつて担任した子だったりします。まぁそういうことです。
夜はちょぼやき会。ここしばらくハードな「語り」が続いたので、今日は「coming out story」の上映会です。
久しぶりに観たなぁ。もうあれから10年かぁ。カントクのKちゃんは、今はここで働いてるんだとか。また遊びに行きたいなぁ。Iの本くんは映像関係の仕事をしてるんだとか。T島くんとは一度連絡とったけど、それからはわからんなぁ。元気でやってるかなぁ。
あらためて観ると、またいろんな発見がありますね。地味だけど、悪くない映画だと思います。この10年でトランスを題材にした映画はたくさんできました。観てないけど^^;。でも、あの映画がおもしろいのは、トランスの映画じゃないってことなんだと思います。なんでも、今もたまに上映会をやってるみたいです。うれしいな。
上映会のあとは「ストーンズ」にみんなで行きました。1ヶ月ほど前に来たけど、店員さん、覚えてくださってました。うれしいな。
ここで、飲んで飲んで食べてしゃべって。障害の社会モデルの話をしたら
「オレはinpairmentや」
と主張するKちゃんさんがいたりして、大爆笑したり。なんでも無理やりリハビリやらされて「治らへん」とか言われたとかで、ここでも大爆笑。そら治らんわ。
そんなこんなで楽しい夜だけど、明日も仕事です。10時半にお開きです。楽しかったなぁ。
カレーづくりも楽しい
昨日があまりに楽しかったので、今日は二日酔い気味です。とりま、午前はゆっくりとして、頃合いをみはからってスタート。今日はトランスジェンダー生徒交流会です。
今年度に入ってから、参加人数がガタンと下がりました。まぁしかたがないです。それでも新しい常連さんができつつあって、とてもうれしいです。
で、交流会と言えば昼ごはんづくりですが、ディスタンスをとりながらの調理&最終的に感染予防というのはなかなか難しいです。事前にみんなでメニューをどうするか話しあいましたが、最終的に落ち着いたのはカレーでした。まぁ、最終的に煮込めばええやろうということです。ただ、単にカレーというのもあれなんで、激辛をつくることにしました。辛くなるかなぁ…。
集まってきた子どもたちはひたすら野菜切り。わたしは鍋でごはんを炊きます。みんな「炊けるの?」ってびっくりするけど、実際には簡単です。だって、炊飯器がない時はみんな毎食薪で炊いてたわけで、そんな日常的な調理が、つきっきりで神経使わなきゃならなくて、しかも失敗しがちなものだったらたいへんです。まぁそんなことを教えてくれたのもこの月の19日に登場するうぃんたさんのおかげですけどね。
やがてカレーが完成。激辛はというと…。まぁ辛いかな。おいしかったので、2.2杯も食べてしまいました。
で、話しあい。かつて小学生だった子が、気がつくと大学生とかになって話を仕切ってくれます。わたしも話しあいに参加です。たまに昔話をしたりしながら、ツッコミをいれます。今回は小学生も一緒に参加。ゲームしながらも他の人の話をピンポイントで聞いてるのがすごいです。かつてのように泣きが入るわけじゃないけど、でも、それぞれがそれぞれの「やりたいこと」とか「それを阻むもの」とかについて話をできたかな。
あとは片づけて、二次会だな(笑)。てか、このくらいの時間に来るおとなもいるわけで、なにが目的なんだ(笑)。と書いたけど、たぶんほんの少しでも参加したいって思ってくれてるんだろな。それがうれしいです。
二次会では、8時くらいに撃沈。まぁ昨日の今日ですわ。そんなこんなで、いつものようにKっかわくんに家まで送ってもらって、さて寝ようと思ったら、スマホがない。自分のスマホに電話したらKっかわくんが出ました(笑)。
明日持ってきてくれるとか。ほんとに申しわけないm(_ _)m。
安上がりの焼肉からの夜ふかし
朝はリハビリ。昨日は久しぶりに筋トレやったから、それなりに動くかなと思ったのですが、まぁそれなりでした。でも、少しずつ筋肉の緊張がほどけてる気がするので、この調子でいこうかな。まだ先は遠そうですが…。
家に帰って、センセにメール。昨日来てたけど、返事ができませんでした。うーん。
昼ごはんは冷麺をつくったけど、麺が古すぎてパサパサでした。悲しい。ちなみに、ビールを飲みたいところだけど、ガマンガマン。
で、筋トレやって、しばしおべんきょ。
3時くらいに友だちを迎えに行きます。
で、家に帰って収録開始。しかし、我ながらムチャクチャやってるな。こんなので使いものになるのか?
で、お友だちと一緒に晩ごはん。今日は焼肉にしましょう。と言っても外で食べたらお金がかかるから家呑みです。さらに、いわゆる焼肉用の肉じゃなくて、薄切り肉です。こいつを「ハナロロースター」で食べましょう。牛肉は塩で。ぷた肉はポン酢で。うまいなぁ。ちょうどおいしいお塩をおみやげにもらったので、さっそく試してみたり。
ごはんを食べ終わったら、ダラダラ話。ほんとのほんとに会うのは久しぶりですが、やはりいろいろ勉強になります。結局、四六時中人権のことやおべんきょのことを考えるのが楽しい生活なのかもしれないです。
あまりにも楽しかったので、気がつくと3時半。これはアカン。寝ましょう。
氷山を見た
水曜日は午後になにか行事があるとえらいことになりますが、それがなければかなり余裕があるようです。「あるよう」というのは、けっこう午後に行事があったり、バリバリがあったり、なんだか落ち着かない水曜日が連続してた気がします。
てことで、少しおべんきょしたりしながらのんびり仕事。
それにしても体調が悪いです。飲み過ぎではもちろんないし、睡眠不足でもないです。もしかしたら水分不足なのかなぁ。
放課後はICTの会議。リモート授業のこととか某受験産業の教育支援システムのこととか。ちなみに、某受験産業、コロナで休校のときにひとり4000円弱の教育支援システムを無償で公開しました。あまりにも胡散臭いです。だって、そんなシステムで完全に構築したら、そのシステム抜きでは成り立たなくなります。例えば2年くらいたって「無償は打ち切り」ってやられたらお金を払わざるを得なくなります。そしてなにより、イチ受験私企業に全校データを預けるなんて、こわくてしかたないです。しかも、過去にデータの漏洩やってる企業です。なので
「あぶないよ。シャブ漬けだよ」
と警告しておいたけど、そちらへ流れていくんだよなぁ。
リモート授業も各家庭への配信じゃなくて、2教室への配信でしかないです。それもお金がないからzoomは使えない。なんか、貧しい日本の公教育やなってことをしみじみ感じました。
で、夜は「ちょぼやき会」。今日のスピーカーは社納さんです。
社納さんは、毎年うちのリビングライブラリに来てくださってます。が、最初の出会いは「某糾弾闘争」の時ですね。今振り返ると、ようやったなぁとも思うし、でもだからこそよくやったなぁとも思うのです。
というのはおいといて…。
もう15年くらいのつきあいなんだけど、そしてたまに「千鳥足倶楽部」をやったりしてるわけで、いろんな話を聞かせてもらってるけど、これほどまでに深いところからの話を聞かせてもらったのははじめてです。てか、もしかしたら社納さん自身、人前でここまで深く話されることはなかったんじゃないかなぁ。
講演って、基本的にテーマに沿って話すものなので、そこに関係なさそうな話はしないんですよね。でも、実は関係ないところに関係することがあったりもします。「社納さん、なんでそう思うの?」って問への答えは、おそらく今回のような語りからしか生まれないんだろうな。
そうそう。
同じ時代を生きてるはずなんだけど、あまりにも世界が違うというか、世界の見え方が違うというか。そんなことも感じました。
とにかく、人生って氷山なんですね。下に隠れてる部分は大きい。そんなことを感じさせてもらいました。
で、solへ。
ここでみんなで振り返りです。でも、あまり飲まないようにしなくちゃね。
帰りに藤尾さんが
「昨日、いつきさんと一緒に温泉行った夢を見たわ」
と爆弾発言。で
「みんなで温泉でちょぼやき会やるのもいいね!」
って話で盛り上がったり。
わたしが生きてられるのは、こういう人たちに囲まれてるからなんだろなって思った瞬間でした。
ヘイトスピーチってなに?
今日の午前は職員会議。つまり2学期前日ってことです。で、職員会議のあとは「classi」の研修会。うーん、ベネッセやしなぁ。てか、cybozuとかもあるしなぁ。一方向の連絡とかできるみたいだから、それはそれで楽やけどなぁ。
で、午後は人権教育研修会です。講師は金尚均さんです。
今から3年前、ようやく人権教育研修に予算がつくようになって、1年目は阿久澤さんで、去年は松永さんでした。で、今年はヘイトスピーチについてやりたいなと。講師でお呼びしたい人はたくさんおられます。が、今回は尚均さんかなと。理由はいくつかあります。ひとつは京都の人であること。もうひとつは法学者であること。そして、「保護者」という当事者であることです。とりわけ2番目が大切です。というのは、わたしは社会学系の考え方をしてしまうし、他の教員も社会学系だったり直感だったりするのがほとんどで、法的な解釈ってのは新たな観点じゃないかなと思ったのです。
で、講演開始。
あたりですo(^^)o。
かつてゼロ島さんから「法律の役割は線引き」と教えてもらって「なるほど」と思ったことがありましたが、そういう感じです。もちろん「法解釈」というのはあるだろうけど、でも、線引きなんですね。
で、法学者だからかもしれませんが、とても細かく論理を組み立てていかれます。なかでも最後の「表現の自由」とのからみは圧巻でした。ヘイトスピーチが「不快」ということであれば、「表現の自由」が勝つ。なんといっても民主主義の保障のための数少ない武器だからです。が、ヘイトスピーチはそうじゃなくて「人間の尊厳」との天秤になる。だからこそ、そちらに重みがある。
単にこれだけのことなんだけど、そこへ向けての論理の組み立てがすごい。というか、その組み立てがあるからこそ、最後の「当たり前」な結論に重みがある。
そうそう。今回ほど「民主主義」という言葉を聞いた人権教育研修会はなかったですね。そういう意味でも、とてもよかった。
てことで、講演後は感想文を読んでもらったり、よもやま話をして時間調整したあと、近くの居酒屋へ。同僚ふたりも来てくれて、いろいろ話。
楽しい夜はふけていくけど、明日は始業式かよ…。
日本の教育に今こそ求められる同和教育の財産
朝はリハビリ。なので車出勤です。朝は楽やな。でも、帰りが電車の時間にとらわれないから、ルースになるんですよね。
リハビリを終えてガッコに行って、少しおべんきょです。今のテーマは3つのペーパーをどうからませるかです。ペーパーを読み込んで、明らかにしたことをコンパクトにまとめて、並べて、からめる。ただし、脱出するのは決めてるので、そこへ向けてトントントンと落ちていく感じにしなきゃなりません。難しい。
てことで、昼になったので中断。
午後は地元の小中の人権教育研究会の夏季研です。どことも開催は苦労するけど「やらなきゃならん」って思ってるのがいいです。まぁいまや会長さんは同年代。加配経験者もたくさんいます。みんなけっこう危機感を持ってます。
てことで、若い衆を連れて参加。到着したら会長さんとあいさつ。さらに講師さんが到着されたので、またまたあいさつ。今日の講師さんは原田琢也さんです。関西インクルーシブ教育研究会でいつもお世話になっています。で、今日の講演のタイトルは「日本の教育に今こそ求められる同和教育の財産」です。と、地元の教育長が来られたのであいさつ。みんな一緒にがんばってた仲間です。ただ、若い衆はびっくりしてたけどね(笑)。
で、開会あいさつ。熱いです。長いです。でも、そうなるんやろなぁ。ただ、その内容は、すでに講演を先取りしてるよ(笑)。
てことで、講演開始。
いつも研究会で聞いてる感じと少し違います。それはたぶん、研究会は自分の最先端のところをしゃべっておられるのに対して、今日は自分の根っこをしゃべっておられるからでしょうね。
例えば校内暴力全盛期の頃のことや、理不尽なほどの校則で抑え込んだころのこと。そういうことがあって「学校ってなんだろう」「教育ってなんだろう」となる。ただ「なる」って書いたけど、そこへいくのがすごいです。わたしなんか、実践が楽しくて、そこへいかなかったですからね。
そんなあたりから、同和教育の歴史や財産の話。コンパクトにまとめられてます。わかりやすい。そこから現状分析へ。
なーるほど。同和教育というか人権教育がなぜメジャーにならないのか、わかりました。学校教育が「排除」の構造を潜在的に持ってるのに対して、人権教育は「包摂」なんだ。ところが、同和教育って「特別措置」でやったから、特別なものになっちゃったんだ。てことは、その「特別なもの」をどう「あたりまえのもの」へと変えていくかですね。
そこでひとつは「力のある学校」です。さすがは阪大人科です。ただ、そこにも落とし穴がある。そこで「インクルーシブ教育」です。ここが原田さんの真骨頂です。日本はサラマンカ宣言に同意してるから、インクルーシブ教育をやらなきゃならないんだけど、基本はさっき言った「排除」なんですよね。てか、もっと言うと「みんな同じ扱い」という同化が前提にあって、その数少ない例外のひとつが障害であると。そして例外として排除される。それが、日本型インクルーシブ教育であると。まぁなんか変なわけです。
てことで、原田さんの主張はインクルーシブ教育に同和教育の財産を入れろと。なるほど。
なんか、関西インクルーシブ教育研究会での原田さんの根底にあるものを垣間見た気がしました。
てことで、講演のあとは若い衆を連れて講師控室へ。しばし懇談です。若い衆、少しびっくりしてました。まぁいろいろあるねん。
てことで、出張はおしまい。お次は大阪へ。今日は恒例の会議です。まずはKうさんと軽く燃料補給。今日は暑いからこれです。
しばらくするとメッセンジャーが。モルタル職人さんでした。「ピルスナーウルケルの生!どこ!」という内容で、反応早いなと(笑)。
で、会議はさっくり終わって、飲み会へ。でも、10時半前に出て、さあ帰ろう。
なぜにその相関か?とか固いなぁとか
今日は午後から前のおべんきょ場所で「伊藤悦子門下生研究発表会」です。ちなみに、去年は「中の人」に脅しをかけて、最後はひと吠えして飲みに行きましたが、ことしはどうなるかな。
今年の発表は「情報と人権」です。問題意識としては、どうやら子どもたちがどのように情報に触れ、その情報とどのように向き合い、疑問があったり間違いかもしれないと思ったときにどのように対処するのかってことを明らかにしたいという感じでした。まぁそれを基礎資料として、「情報」にかかわる人権教育を組んで生きたいという思いがあるようです。
発表そのものはおもしろかったのですが、なんかひっかかることが。それは「性別との相関」を調べられたってところです。ちなみに質問用紙の性別欄には「男・女・その他」があり、「その他」を選択した子が複数人いたのはおもしろかったですけどね。
データを見ると、情報の入口としては「会話」と「本」が優位に女子が高いんですよね。そして、インターネットの使用の仕方も「コミュニケーション」「音楽視聴」が高い。これをどう見るかですね。
わたしの頭の中にとっさに浮かんだのはこの時のおべんきょでした。レジュメをつくったのは、そのちょっと前かな。
つまり、女の子の特性として会話とか本とかコミュニケーションなんかをすると考えるのか、会話とか本とかコミュニケーションをMCDとして使用して、女の子カテゴリーをその場で構築してるのかってことなんです。もしも前者であれば、会話とか本とかコミュニケーションのしかたに危険性があるならそれを指摘してしかたを変えればいい。でも、後者だと、そのしかたを変更するということはカテゴリーの構築のしかたをかえることになるし、女の子カテゴリーのありようが変わってしまう。問題は、後者の可能性があることを理解した上で前者の立場をとるのか、その理解なしにとるのかってところかな。
まぁそんなことを考えたので発言したのですが、まぁわからんやろな。すんません。伊藤さんにも軽く流されてしまいました。
後半の発表はおとついもあった「人権教育に関する教職員の意識調査」の結果報告です。まぁいろいろ考えたことがあったけど、やはり気になるのが「人権学習をする上での課題」として「間違ったことを教えるのではないか」という不安があるってところですね。「中の人」は「だからきちんとした知識を得るために研修をして、安心して教えられるように」って結論してたけど、なんでそんなに固いんだろ。あえて間違ったことを教えるのはアカンけど、間違ってしまうのはかまわないと思うのですよね。で、間違ってたことに気づいたら、それを修正することをきっかけにして子どもたちとさらに話しこめばいい。つまり「間違っちゃってもいいよ」っていう安心感があるほうが大切なんじゃないかなと思うんですが、伝わったかなぁ。
てなことで、3時からはじまった研究発表会、4時半に終わるかと思ってたけど、6時までやってました。疲れたけど楽しかったな。吠えずにすんだし、それもよし。今年は飲み会がないから帰りましょう。
機は熟したか
今日は某人権教育研究会の夏季研究大会です。例年ならば京都府中部の会館を借りて、午前はレポート発表、午後が記念講演となります。が、今年はこんなご時世なので、京都府北部のホールを借りて午後の記念講演のみとなりました。もっとも、そもそも、やるかやらないかを論議するところからスタートしたので、やれただけでもたいしたものかなと。まぁそれも会長(某支店長)も含めて、全員が「やらなきゃならん」と思ってるから実現できるわけですけどね。
てことで、会場の最寄りの駅で講師の浜田麻里さんと合流。わたしの服を見るなり「どこで川遊びをするんですか」と言われてしまいました(笑)。まぁサンダルやしな。
てことで、会場のホールへ。
ガッコから「まともなプロジェクタ」を持っていって設置したら、「まともなスクリーン」とあいまって、めっちゃきれいな映像です。さすがはホールです。安心したところでおべんと食べてたら、いろんな人からあいさつされたり。あらためて「このギョーカイに長くいてるんやなぁ」と再認識しました。
で、夏季研開始。まずはあいさつ。みなさん、なかなか気合が入っておられます。まぁそれもそうか。なにせこのご時世やしな。
で、昨年度実施された「人権教育に関する教職員の意識調査」の結果報告です。話を聞きながら「これ聞いてる「若い人」はきついやろなぁ」と思いました。まぁ統計結果ですから、あくまでも傾向でしかないです。若い人が豊富な人権学習実践の経験があったら、よほどの好き者というか、偏った人事をしてるというか、そういうことです。ただ、そういう「若い人」が経験を積む中で人権教育の経験もまた積む機会をどうつくるかってことが問われてるわけです。ついでにいうと、そんなことは一人権教育担当者にできるはずがないです。それを可能とするシステムをつくらないと無理です。てことで、人権教育室の結果報告はブーメランとして自分に刺さるはずなんだけどね(笑)。
あと、「接触仮説」は大切かな。この言葉は使わなかったけど、被差別当事者との出会いや差別と闘っている人との出会いが大切って話です。はたしてわたしは「差別と闘っている人」なんだろか。仮にそうだとして、出会えてるんだろうかと、ふと思ったり。
で、次は本日のメインイベント。記念講演です。演題は「外国にルーツをもつ高校生の現状と指導の在り方ー京都府立高校で何が求められているかー」です。
毎年「高校入試特別措置調査」の窓口をやって「ひぃー」ってなってますが、結果を見るたびに「ほんとに京都は外国人生徒に冷たいな」って思います。まずは、特別枠は中国帰国者3世までで、しかも小学校4年まで中国にいたことが条件です。これ、すでに該当者なしで何年もたってます。外国人の特例措置はあるけど、ルビ打ちと10分の延長だけ。んなもん、ロシア語にルビを打って10分延長されてもわかるはずもないです。てことは、この程度の特例措置で入れる子どもは、もともとよほど学力が高いか、あるいはそもそもその学校が日本語がわかる子にとってもとても入りやすいかってことです。で、前者の子はほとんどいないので、後者ってことになります。とても簡単に言うと、T高校定時制にみんな入る。そうすると、すべての歪はT高校定時制に集中するから、他の学校には歪がなくなる。なので無関心になる。
これ、実はインクルーシブ教育が京都で広がらないのと、かなり状況が似ています。まぁ、京都は発達保障論の牙城ですからね。
ただ、当然そんなのはダメに決まってます。なので、ここ数年、外国人教育のことをずっと提起してきました。で、ようやく浜田さんを呼ぶところまできたんです。もちろん、呼ぶだけだったらいつでも呼べるけど、呼ぶことに意味があるところまで、やっときたということです。
で、話の内容ですね。
大きくは「在日外国人をとりまく大きな流れ」「「断絶」と「繰り返し」」「京都府立高校に求めること」という感じでした。
2019年から2020年って、在日外国人をめぐる法的状況が大きく変わったんですね。端的に言うなら「特定技能1号」「特定技能2号」ができたことです。政府は否定しているけど移民社会に舵を切ったし、そうしないとこれからの日本は立ち行かないってことです。で、こういう方向に舵を切ったということは、入管法を変えたり在留資格を新設したりというだけではまったく不足で、それにともなってさまざまなところで方向転換をしなきゃならない。そのうちのひとつが教育、とりわけ日本語指導です。ただ、日本語指導だけすればいいかというと、そうはいかない。というのは子どもは学校で学び生活をするからです。端的に言うと、学校生活が送れるように環境を整備しなきゃならんということです。かつては「同化」を強いたけど、それが可能な状況では、もはやない。だからこそ、文部科学省が「多文化」といい「ともに日本社会をつくる一員」と言わざるを得ないところまできたし、不就学へのとりくみをしろと言わなくちゃならないところまできた。
という状況が、京都府にいると、特に高校にいると、さらに特に全日制にいるとわからない。
ただ、外国人教育はこれまでもなされてきました。ところが、その「外国人」は在日コリアンだった。そこでは日本語指導は必要なかったし、もうひとつは「戦争責任」というのが頭の中にあった。で、そうやって培ってきた在日外国人教育と、日本語指導を必要とする子どもたちへの在日外国人教育は「違う」としてきたのが「断絶」ってことです。このあたりは、某在日外国人教育関係の集まりで散々論議してきたことです。ただ、現在その「分断」があるかというと、たぶんないです。というのは、ニューカマーの子どもたちが大きくなり2世・3世が出てきたとき、在日コリアンと同じことが起こっているからです。まさに「繰り返し」です。
では、そういう状況を踏まえて、京都府立高校はなにをしなきゃならないかってことです。浜田さんは「進路の現状把握とキャリア教育」「外国人教育、多文化共生教育の再定義」「支援体制の構築」「教員養成」の4つをあげられました。なんといっても、こういう内容を個々の教員のとりくみに頼るのではなく、システムをつくっていくこと、これが大切ですよね。
全体を通して感じたのは「特別扱いすること」こそが必要であるということを繰り返し言われたなと。でもこれ、すでにモデルがあります。それは「合理的配慮」です。つまり多文化共生教育はインクルーシブ教育だってことです。
ちなみにこれ、わたしが言ってるんじゃなくて、すでに日教組が言ってます。はじめてこれを聞いたときに「やられた!」と思いました(笑)。
てことで、夏季研終了。おもしろかった。
帰りは浜田さんと一緒です。今日の振り返りから、ふだんのグチから、いろいろ話。浜田さん、よく笑われるから話をしてて楽しいな。あっという間に京都に着いて、さあ帰って筋トレからのビールだな。