とりあえず最後までいった

今日は出張のない出張日です。なので、今日やり切る以外道はありません。てか、今日できなかったら夜なべ仕事です。
基本的には3パートにわかれてて、第1パートは完成してます。第2パートと第3パートはそれぞれ最後の部分ができてない。特に第3パートは内容が煮詰まってない。どうしたものかなぁ。
とりま、第3パートの素材を集めに行きましょう。てことで、図書室へ。卒アルをパラパラとめくります。ふむ、いい写真があった。ほう、これも。写真を見ていると、少しずつ内容が浮かび上がってきました。ただ、足りない…。日常の写真がない。
卒アルって、見ていると、そのつくりにパターンがあることがわかります。例えば教職員の集合写真はいつの頃からかなくなりました。クラスページのつくりも個人の写真を並べるパターンとグループごとのパターンと、落書きみたいな絵の中にはめ込むパターンと。そして、航空写真を使う年と、それがない年。さらに、行事のページのみの年と「授業風景」とか「日常の写真」がある年と。
おそらくこれ、卒アル委員の生徒と教員の好み、さらに写真屋さんのつくり方とか予算のかけ方とかによって決まってるんでしょうね。そしてここ20年くらいは授業風景とか日常の写真がまったくありません。
困った…。
これは撮るしかないな(笑)。
ということで、教室に行って撮らせてもらったり。
そんなふうにして、少しずつストーリーが浮かび上がってきたので、それにしたがって写真をはめ込んで、音楽を入れて…。
できたo(^^)o
まだ微修正はしなきゃならないけど、それでもなんとかできました。
さっそく副支店長と一緒につくってくれた若い衆に見せたら「おぉ」とか驚いていました。ちなみに一番苦労したところを指摘すると「そんなところに」と絶句してたので、まぁしてやったりかな。最後まで見せたら、副支店長
「だからセンセイに頼んだら確実ってことやな」
とか言うので
「うるさい」
と言っておきました。
お次は体育館のバトンの修理です。とは言えターンバックルを交換するだけのことですけどね。ただ、左手が使えないから、工具箱を持ってはしごを上がるのが、なかなか工夫しないと可能にならない。それでも、誰もいない体育館の中で工具を使って作業をすると、ラチェットの音とかが反響して、なかなか気持ちいいです。
その後、ビデオの最終チェック。ところどころにミスがあったり、少し「楽」をしたところを追い込んだりして、ほぼほぼ終了。いや、あとひとつ写真がほしい。でも明日にならないと手に入らない。
勝負は明日やな。

自然さを追究する

今日は昨日おいておいたビデオ制作の続きをしましょう。
今やってるのは、とあるマスゲームの動画の編集です。マスゲームですから、遠方から撮影しています。当然のことながら、音楽と動きがあいません。さらに2方向から映してるので、それらをミックスしようかなと。どうすりゃいいかな。
てことで、動画1から音声をカット。動画2からも音声をカット。もう一回動画1をタイムラインに放り込んで、今度は映像をカット。この音声だけ残したデータにふたつの映像をリンクさせましょう。つまり、マスゲームの音楽のタイミングにあわせて動画を配置すればいいってことです。
ところがこれがめんどくさい。0.1秒ずれると違和感があります。うまく乗っけたと思ったら、「この動きはそこじゃない」みたいなところもあったり。それでもなんとか違和感がないところまで追い込みました。ついでに昔のマスゲームの動画も音楽のタイミングにあわせて配置。もちろんテンポが違うのでうしろはズレますが、頭のところがあってるから違和感はないかな。
違和感があると「苦労したな」って思われるけど、違和感がなくなると自然になるから、逆に苦労したことがなくなります。でも、その状態がベストなんですよね。まぁこんなマニアックなことをやって、しかもうまくやりきってしまうから、ビデオをつくれとか言われるんですね。
なんしか、一番の山場は終わりました。あとは、明日・明後日でなんとかなるでしょう。

ミロさんの大生誕祭

少し前にfacebookで大黒堂ミロさんの第生誕祭の告知がありました。場所はさどヤンやんさんのところだとのこと。これは行かねばなるまい。ただ、場所がわからないと思っていたら、ミロさんの親切なお友だちから「一緒に行ってあげるよ」とのお言葉。優しいなぁ。
てことで、I川さんと合流していくことになりました。
ところが、朝、腰に軽い痛みが走って、これはアカンなと。どうしようかと思ったけど、まぁいいやということで出発です。
ミロさんとはじめてお会いしたのは7年前かな。その後、映像の中でお会いしました。そらにじブースの裏でもお会いしたかな。他にも何度かお会いしているはずです。まぁただ、最初の出会い方が「凍蝶図鑑」だったというのは、あまりにも強烈すぎて、おそらくミロさんに対するバイアスをかけてしまったんじゃないかなと。
そんなことを思いながら、I川さんと合流。いろいろ話を聞かせてもらいながら十三へ。そこから淀川に歩いて行くと、向こうの方で頭が見え隠れしています。あそこか…。
てことで、さどヤンさんのおうちに到着。
ここが、あの「淀川アジール」かぁ。たしかにアジールです。
それにしても強烈なにおいがしますが、どうやらペットの「ピーちゃん」のにおいらしいです。でもまぁ、そんなにおいもだんだん気にならなくなってきて、そうこうするうちにいろんな人が集まってきて、生誕祭がスタートです。知りあいといえばS津さんとH貴さんくらいかなぁ。さどヤンさんもお手伝いして下さいます。
そうそう、ミロさんに持っていくべきものを聞いたら「自分の飲み物と、さどヤンにはワンカップ」とのことだったので,最小限の飲み物を持っていったのですが、みなさん盛大に持ってきておられて、もっと持ってきたらよかったなと。
ここでおいしい食べ物と楽しい話を、名も知らぬ人びと相手にいっぱいしました。
やがて夕暮れ。

メッチャきれいです。さどヤンさん、毎日この風景を見ながら生活しておられるんだなぁ。そして、夜景。

そろそろ撤収というときに、さどヤンさんのところに行って、しばし一緒に巨人阪神戦を見てみたり。そして、記念写真を撮らせてもらいました。

かっこいい。
てことで、暗くなったところで撤収です。帰り、ミロさんから、ミロさんがつくられるコミュニティの話とかいろいろ聞かせていただいて、なるほどなぁと思ったり。とにかく広くて深い。わたしもたいがいだけど、ミロさんはもっとすごいな。でも、それはミロさんの生き方だからできること。わたしはわたしにできることをやりましょう。
それにしても、呑みすぎた。食べすぎた。さすがにしんどいな。とにかく帰ってシャワーを浴びて。小腹が減ったので、こいつを食べてみたり。

「ペヤングの獄激辛」です。辛かった。思わず生卵を落としてしまったので、負けですね^^;;
さぁ、寝よう。

かかわることにしようか…

今日の午後はウトロの火事の跡の整理です。ちなみに「かじのあと」って打ったら、「カジノ跡」って出てきたのでびびりました。
てのはおいといて。
久しぶりにウトロに顔を出すと、いつもの面々が「久しぶり-」と声をかけてくださって、やはりうれしいです。ただ、「いつもの面々」が少しずつ変わっていっているのがおもしろいです。東九条もだけど、ウトロもまた、世代交代を少しずつしていますね。それがうまくいっている場所のうちのひとつじゃないかな。ちなみに、わたしは「ウトロ守る会」の、ほぼ第1世代です。1988年に守る会が結成されて、わたしがウトロに入り浸りはじめたのが1992年です。ニューヨークタイムスに意見広告を出すって話は、守る会の会議で聞いていました。守る会の立ちあげメンバーではないという意味では1.5世代かな。第2世代ではないですね。ただ、ウトロの運動をやってきたというよりも、「ウトロ農楽隊」でチャンゴを叩いていただけです。年表には書いてないけど、1993年から1998年の5年間に、京都会館での集会なんかもあって、そのあたりの頃は農楽隊の練習で毎週のようにウトロに行っていました。たまに生徒をつれていったりもしてて、そんなのが新聞にもとりあげられました。

ただ、居住権の話とか、なかなか難しい話が出はじめるとともに、農楽隊の活動が減っていって、それにともなって、イベントの放送を手伝う程度になってしまって、さらに、交流会がどんどん増えていくなかで忙しくなって、だんだん行かなくなってきたってのが、ここ15年くらいの話ですかねぇ。そんなわたしですが、それでもウトロの会議の情報をずっと送り続けてもらっていて、今日は時間がある&力仕事なので、せっかくだから行こうかなと。
火事の跡はやはり痛々しいですね。そこから看板救出作戦です。「これはオモニの歌のやつや!」「おっ、セウォル号のが出てきた!」。ひとつひとつの看板に思い入れがあるだけに、ほとんど文字が見えなくても、なかなか捨てられません。そんなこんなで、そうとうな枚数が、とりあえず保管されることになりました。
その後、ボランティアの要請の時間です。さてさて、わたしはボランティアできるのか?時間があるのか?なにができるのか?悶々としながらその時間を過ごして、「ウトロ平和祈念館」予定地へ。なんか、ほんとうにウトロの「奥の方」の町並みが変わっています。かなりショックです。でも、祈念館の前には「焼肉スペース」をつくることは決定しているそうです。なんでも、祈念館をつくる時のウトロのみなさんの第一声が「焼肉やる場所はあるのか?」だったんだとか。だから、焼肉スペースはマストです。そんな話を聞くと、「町並みが変わっても、やっぱりウトロはウトロやなぁ」という気持ちになってきます。
てことで、今日の作業は終了。会館にもどって、帰ろうかな。帰らないでおこうかな。そんなふうに逡巡しながら、なんとなく居残って、展示パネルの話をしていたら、おもしろい歴史の話を聞かせてもらって、おもしろいなと。そんなふうにしていると、やはりかかわらなきゃなという気持ちになってきます。
てことで、気がついたらライングループに入れてもらっていました。まぁええか。もう1回ウトロで遊ばせてもらおう。

1日遊ぶ

朝、ふとんから出たものの、マジで行きたくないと、そのまま畳の上でゴロゴロ。結局7時までゴロゴロ。年休1時間とろうかと思ったけど、ふと「車で行くか」と思い直して出発したら、なぜか間にあいました。
よーわからん。
で、ふと思い立って、こいつをいじろうかと。

オープンリールのビデオデッキです。
なんでこんなものを触らなきゃならんかというと、支店長から「50周年記念行事で流す10分くらいビデオをつくってほしい」と言われたのが発端です。なんでわたしがと思いはするんだけど、たぶんビデオをつくれる人で時間がある人はあまりいない。たぶんそれが理由です。で、今年新採の人と一緒につくるハメになりました。
新採の人は卒アルを漁ってくださっているのですが、わたしは元視聴覚担当ということで、今は倉庫になってる映写室でホコリをかぶってるオープンリールのビデオを復活させようかなと。
どうすりゃいいかな…。
そういやPCA-DAV2なんての持ってたな。幸い放送部にwindows7のマシンがあるので、これにデバドラをつっこんでやったらいけるかなと。さらにソフトを探していたらNCHというところが無料で使わせてくれるらしいです。
てことで、午前いっぱいかけて環境をつくりました。まぁ、こんなことをやるヒマがある教員は、他にはあまりいないから、わたしのところに来るんだな。
で、放課後試しにやってみるかと。

こんな感じで接続しました。で、録画しようと思ったら「ffmpeg24.exeが足りないぞ」と言われてしまったので、またまたそれを探しに職員室へ。で、ダウンロードして、またまた倉庫へ。
で、いろいろやってたら、できました!

いやぁ、感無量です。
副支店長に見せたらメッチャ喜んでました。なにがって、走ってる車がなつかしいらしい(笑)。

なんか、出だしとは違う充実した1日になりました。

初の?学会発表

今日は日本解放社会学会の大会2日目です。昨日の「おべんきょ会」は1日目なのでした。ただ、今日もフツーに仕事はあるので、とりま出勤。1・2と授業して、職場を出発。JR→市バスと乗り継いで、女坂を登って、着いたのは京都女子大学です。
教室に入ると、向こうから福岡安則さん金明秀さんがやってこられました。久しぶりやなぁ。おふたりは学食に行かれるんだとか。しまった、学食があったんだ。
わたしは下の子どもが握ってくれたおにぎりをパクパク。塩味が足りない。というか、ない。やつ、塩を入れてないな。おかかのおにぎりも塩味なし。ダシのみのおにぎりでした。
ちなみに向こうでコンビニのおにぎりを食べておられたのは河口和也さん。思わず「お座敷で府中青年の家裁判をあつかってます」と言うと、笑われました。
で、なんで来たかというと、今回の大会のテーマ部会が「トランスジェンダー問題」とのこと。わたしには「学校の中のトランスジェンダー」について話してほしいとのことです。んー、少し違うんだけどなぁ。でも、まぁええかと引き受けたのですが…。
ところが、他のメンバーを見ると、堀あきこさんとか藤高和輝さんとか仲岡しゅんさんとか、そうそうたるメンバーです。当然話の中身もトランスヘイト関連の話です。しまった、完全に浮いた…。
やがてzoom参加者の入室がはじまりました。えーと、なんでねん。N田彩さんをトップにM田りりぃさんとかKむうじゃさんとかFる久保さくらさんとか、もう大変な人々です。緊張やなぁ。
てことで、テーマ部会の開始です。まずは堀さん。ネットにおける言説分析です。おもしろい。よくわかります。が、長い(笑)。たしか質疑応答入れて30分とか言ってたのに、1時間やっておられます。まぁええか。続いて藤高さん。千田有紀さんの論考と杉田水脈さんの文章の分析です。実はこのために千田さんの文章を読んだんですが…。
たぶん、千田さん、そもそもあの文章、トランスジェンダーのことを書きたかったんじゃなくて、第三期のフェミニズムのことを書きたかったんだろうな。それの題材としてトランスジェンダーを使った。と同時に、ほんとうにトランスヘイトをなんとかしたいと思っておられるんだろうな。だからトランスジェンダーを使った。が、それが結果的にトランスヘイトの文章になってしまった。でもこれは深刻ですね。だって、トランスヘイトをなんとかしようと思って書いた文章がトランスヘイトになるってことは、考え方そのもの、捉え方そのものがトランスヘイトであるってことです。なんか、闇が深い。
そんなことを考えながら藤高さんの話を聞いていたのですが、なるほどなぁ。せっかく身体から自由になったはずなのに、トランスヘイトの考え方を突き進むと、身体は国家の承認によって意味づけられることになるのかぁ。ということで、難しい話を簡単に話されるのですが、これまた長い。1時間でした。
ここで休憩。えーと。テーマ部会は3時間半だけど、3時間くらいで終わろうねって話になってたはずですよね。ここで2時間使ったってことは…。まぁええか。
3人目は仲岡さん。法律の実務家として、メチャクチャ現実的な話をされます。わかりやすいです。ちなみに、ふだんからfacebookで読んでるのですが、それをもう少し深堀りされました。まぁ理想論を語るわたしとは対極にありますね。ただ、両方とも必要なんじゃないかなとは思ってます。ちなみに50分。
わたしの持ち時間はほとんどないですね(笑)。
ちなみに、わたしは学会で発表するのははじめてです。正確には2回目か。はじめての学会発表はwpathの時ですね。ただ、あの時はポスター発表でした。オーラルは今回がはじめてです。
なので「はじめてです」というと、福岡さんとか亘さんが「ちがうちがう」と言っておられます。たぶんこの時のことを言っておられるんだと思うのですが、あの時は発表という感じじゃなかったからなぁ。
で、わたしの話は2015年と2019年のおべんきょ成果のスーパーダイジェストです。こないだ1日でつくったレジュメです。が、これをまとめる過程でいろいろ考えることができたのはよかったです。「おべんきょ成果のまとめ」をつくるヒントができました。さらにコメントももらえたからよかったかな。ちなみに時計を見ながら話したので30分で終わりました。
さらに休憩をはさんで、コメンテーターの河口さんからコメントもらって簡単なディスカッション。で、長い長いテーマ部会も終了。
その後、福岡さん・明秀さんと一緒に軽くごはんを食べて、これまた長い長い1日がおわりました。

「ひとりの被差別部落民として、いま、共に考えたいこと」

朝、通院です。前は1時間待ちだったけど、今回は早めに行って受付に並んだので先頭でした。手術のあとは順調です。なので、9月の終わりに左手もやることにしました。
で、職場へ。
今日の午前は保健部研修、午後は人権研修という研修日です。
保健部研修は大幅に遅刻。昨日話しはしておいたけど、やはりばつが悪いです。カウンセラーさんの話、聴きたかったんだけどね。
午後の人権研修は川崎那恵さんに来てもらいました。今年のテーマは部落差別にしようと思っていて、若手教員に「どんな話を聞きたい?」って聞くと、「当事者の話が聞きたい」と言ったので、さてと誰にしようかなと。いろいろ考えた結果、やはり川崎さんだなと。
川崎さんの話、ちょうど10年前に聞いています。あれからどうなってるかなぁ。
はじめは少し固い感じ。なんか緊張されてますね。まぁしかたないっちゃぁしかたないです。高校の教員って、固い感じで聞いてしまう。だから、話す方も固くなってしまいます。あと、川崎さんの「ふるさと」の歴史なので、少し話しにくいのかな。
でも、ご自分の話をされるようになってからは、少しリラックスしはじめられました。そして、「ルーツを見つめる」の上映です。なつかしいなぁ。かつて部落問題学習で使いました。これ、ほんとうに好きな映像です。このあたりから、聞いている側もリラックスかな。
最後のあたりは川崎さんからのメッセージ。やはり「社会構造」に着目されますね。
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無意識のうちに差別に加担してしまう私たち
– どこかにいる変な⼈が差別をするのではない。
– 差別は意識・⼼の問題だけではない。
– 今の社会の構造や制度が、差別・格差・不平等を強化・再⽣産する。
– 構造や制度を無批判に受け⼊れて⽣きている私たちは、差別に加担している。
– 社会の問題として、社会の⼀員である⼀⼈ひとりが、反差別の⾏動をとることが⼤事。
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という提起はとても大切です。そしてさらに「それぞれのやり方で」とつけ加えられます。このあたりが、やはり「ピンで立つ」川崎さんらしいメッセージですね。
もちろん、川崎さんのやり方は「寝た子を起こして、仲良くごはん」です。
うん、来てもらってよかった。さあ、みんなはこの話をどう日々の教育活動にフィードバックするかな。

修理のちスタジオにてお座敷

朝、6時に目が覚めました。しまった、目覚ましかけてました。
しばしボーとして、さてとやろうかな。7時くらいから雨マークがついてます。ならば、雨が降る前にやっちゃわなくちゃ。
てことで、ドアホンの修理です。昨日考えた原因のチェックをしましょう。ちなみに、うちのドアホンは電話と一体型のヤツです。メーカーはナショナルでした(笑)。しかも内線電話が使えるヤツなので、それなりにめんどくさい。
まずは「前に落雷で焼けたコードの代わりに敷いたコードが断線してる」かどうか。ドアホンの親機からコードをはずす。玄関の子機からコードをはずして束ねる。端末側で導通チェック。テスターの針が振れました。てことは、断線ではない。
次に「前に落雷で死んだ回路とは別に生き残った回路がやっぱり死んだ」かどうか。子機と親機を短いコードでつないで鳴るかどうかをチェック。鳴らないか…。てことは、いよいよおしゃかかな。と思ったら、子機からコードがはずれてました。なので、再チェック。やっぱり鳴らないか。諦めきれないのでもう一回子機のボタンを押したら鳴りました。へ?どういうこと?でも、システム自体は生きてるんだな。助かった。てことは、原因は「その他」ってことですね。
とりあえずコードをセットして、子機を玄関にもっていって鳴らしたら、やっぱり鳴らない。てことは、子機にトラブルか。なので、子機をばらしてチェック。なるほど、ここを押すと、このボタンを押すのね。ほう、ボタンの動きはカチッとしてる。で、組みつけると、タッチがふにゃふにゃです。あー、基板がたわんでるわ。てことで、基板にグルーガンでちょこっと盛ってやって組みつけたら、タッチがカチッとしました。
で、玄関に子機をとりつけてボタンを押すと、鳴りました。
よかった。これで3万円くらい浮いたな。時計を見ると8時です。おなか減ったな。今日も猫の額で朝ごはん。
その後4人のおべんきょ成果を考えるも、気が乗りません。ダラダラしているうちに昼になりました。
午後は北摂のとある中学校区のお座敷です。会場に入ると、完全なスタジオになっています。どうやら、とても趣味的な教員がいらっしゃって、その方が構築されたみたいです。カメラが3台、ガンマイクが2本。そこにミキサーとかスイッチャーとかがあります。やるな。なので、zoomのホストはおまかせです。
ちなみに校区の小学校の支店長さんはお友だちです。会場の中学校の支店長さんは、どうやら実践をゴリゴリされてきた方みたいです。しばし「かば」の話で盛りあがったり。
で、お座敷開始。リアルに聞いてくださるのは支店長さんおふたりと、今回担当された同推教員の方と、趣味的なスタジオを構築された方の4人です。みなさん、大ウケされてました。うれしいな。1時間45分話をさせてもらって、さらに30分ほど質疑応答。気がつくと勤務時間ギリギリです。すごいな。
さて、今日はいろいろありました。お友だちの支店長さんからヱビスを2本もらったので、家に帰って呑みましょう。

かば

今日はお座敷が流れたので、1日オフです。まぁいい機会です。
なので、せっかく京都で上映しているので「かば」を見に行くことにしました。
上映時間が微妙だったけど、とにかく昼ごはんは食べていきましょう。てことで、チョイスしたのはこれ。

プルダックタンメンです。辛い(笑)。

で、映画館へ。映画館に来るのは久しぶりです。支配人の方が、かなりこわい顔をして「検温して下さい」「消毒して下さい」と言っておられます。そりゃそうだ。感染者が出たらたいへんですからね。
で、開場を待っていると、あり?見覚えのある人が…。ためしに電話してみたら、なにやらチケットをゴソゴソしておられるので切りました。まもなくコールバック。
「左見て」
「あー(笑)!」
A久◯さんでした。
しばしよもやま話をしていたら開場。中に入りました。さて、どんな感じなのかな。

見た感想をひとことで言うなら「文化祭でつくった映画」という感じです。伝わるかなぁ。
売れるとか売れないとか、そういう話じゃないです。ほんとうに自分たちがつくりたい映画をつくった。伝えたいことを山盛りにした映画です。だから、芸術性とかそういうのは考えていない。もちろん人権啓発とかでもない。ジェンダーバランスとか、もう、言わずもがなです。なので、ツッコミどころは満載です。
でも、そういう話じゃない。少なくとも、わたしにとっては出会ってきた生徒たちの顔がドンドン浮かんできました。
ひとつだけ、ネタバレじゃないけど、わたしにも「かばせんせい」や「ちゃーこせんせい」に教えてくれた生徒のような存在があります。それは「92年度卒業生」さんです。
わたし(たち)は生徒や卒業生から教わって成長していく生き物なんだということ、そしてそれは「かかわること」からしか獲得できないということを気づかせてくれる映画です。
来年度の夏季研、若い教員たちにこの映画を見せたいなぁ。
そうそう、「文化祭でつくった映画」の含意をもうひとつ。みんなで楽しんでつくったってことがメッチャ伝わってきました。

で、阿◯Zさんと感想を交わしながら帰って、ちょっといっぱい飲もうかということになったけど、外はざんざん降りの雨。しかたないのでここでバイバイ。
わたしはいつもの角打ちに行って、雨宿り。と、お店のお母ちゃんが来られたのでいろいろ話を聞かせてもらったけど、これがおもしろい!結局1時間くらい聞き取りをしてしまった感じでした。ICレコーダー、まわしておきたかったなぁ。

もやっと感

今日の午前は手術跡の消毒です。なぜか1時間待ったけど、やはり早く行かなきゃならんみたいですね。ちなみに、傷口の方はというと、「すごい、皮が張ってる」とのことでした。まぁ再生能力は高いですからね。

で、午後から前のおべんきょ場所で「伊藤悦子門下生研究発表会」です。
今回のテーマは「人権意識調査から見える学校が果たすべき役割について」とのこと。なんでも、高校生にアンケートをとられたという話は聞いていましたが、それの分析とのことです。
前半は同和教育の継承とかの話で、簡単に言うと半年間の勉強の発表です。なんというか…。これほどまでも知らないんだなということを知って、ショックというか、さもありなんというか。こうなった責任の一端は、当然同和教育を推進してきた「わたし(たち)」にありますが、責任の大半は教育委員会や、高校においては管理職にありますね。
わたしが教員になった頃は、組合の組織率がほぼ100%でした。まぁ当時の京都の組合は同和教育推進反対の立場だったので、ほとんど役には立ちませんでした。が、教育委員会は徹底的に組合潰しをしました。そのかいあって、組織率はがた落ちでした。そこに日教組を割る形で全教ができて、京都については日教組系の組合がなくなった。なので、再建した。わたしはその時のメンバーなわけです。その後、教育委員会と同和教育推進の教員は「呉越同舟」という形できたけど、同和教育推進系の教員は圧倒的少数派なわけです。で、その圧倒的少数の人間で「同和教育の継承」ができるかというと、それはムリですね。
同和教育って、無色透明なものではないです。まぁ言うならば「教育運動」なわけです。運動である限り、一定程度の政治性を持っている。というか、無色透明な教育があるかどうか、誰かに聞いてみたいものではありますが、まぁそれはおいといて。で、教育委員会がやった組合潰しは、「組合=運動」とラベリングして、運動に関与することを避けるような研修を行ってきた。そこから「運動に関与しないという政治性」を持つ教員を大量に生み出してしまった。そういうところに「教育運動」である同和教育が根づくかというと、これはまったくムリなわけです。
で、それに気づいた教育委員会は、ようやく「呉越同舟」ではありながら同和教育の継承をいいはじめた。なぜなら、それをしないと「教育内容」がスッカラカンになるからです。でも、それを中心的に担ってきたごく少数の教員はみんな定年退職をし、絶滅危惧種が一匹だけ残っているというのが、今の状況なわけです。この状況で「継承どうする?」って言われても、これは「知らんがな」という返事しかできない。
そんなことを考えながら発表を聞いていました。
で、うーんとなったのが、子どもの貧困対策とか自己有用感とか自尊感情なんかとからめて社会関係資本を出して、その例に部活動・ボランティア・地域社会をあげたあたりですね。いずれも相当程度のタテ社会ですね。しかも部活動とか、学校の延長でしかないし、価値感があまりにも共有化されている。というか、部活動って囲い込みをする傾向があるから、それが他の資源との結びつきをジャマしてしまうことがあるんですよね。というのと、そもそも自己有用感の高い子が部活を続けるとか、あるいは部活って自己有用感を高めやすいしくみだから簡単に高まるとか、まぁいろいろモヤモヤします。なにより、社会関係資本を学校がつくりだすのは悪くないけど、結局学校が囲い込んでしまったらまずいだろうなとか。
まぁでもクラブを熱心にしておられる方みたいなので、そうなるのかなぁ。
てことで、5時過ぎまでワイワイディスカッションをして終了。今年も呑めないから、おとなしく帰りましょう。