平和を求める人々

今日は、午前〜午後は某在日外国人教育関係の会議。その後、名古屋へ。
名古屋に行ったのは、人と会うのが第1目的で、第2目的が明日名古屋で開催されるフォーラムに参加することだったりします。で、今日は第1目的の方です。
待ちあわせをした場所は、栄の三越の向かい側にある小さな公園です。
待ちあわせ場所に行くと、すでに数人の人がいました。そのうちの一人から、ペットボトルの中にろうそくをともしたもの渡されました。ペットボトルの表には紙が巻いてあって、そこには「平和」とか「愛」とか「9条」とか書いてあります。やがて、みんなで輪になって、歌を歌ったり、一人ひとりが自分の思いを語ったりという小一時間ぐらいの時間がはじまりました。
これ、「「平和の祈り」集会」というものだそうです。アメリカによるイラク攻撃に反対するために2003年にはじまったこの集会は、現在では「世界に戦争がある限りやり続ける」というとても息の長い集まりになっています。
月1回のこの集まりに集まってくるのは、クリスチャンはもちろんのことですが、寄せ場の人たちも来られます。ある参加者の方は、「まもなく23年目の越冬闘争がはじまります」と言われました。寄せ場、中でも青カン者にとっては「越冬」をすることは、まさに「命をかけた闘い」なんですよね。そんな闘いが、いつまでも終わらず、23年目を迎える昨今、かえって闘いに加わらざるをえない人たちは増えているという現実が、「いま」という状況をあらわしているんだと思います。
そこで語られる話は、けっして勢いのある話ではなくて、かえって謙虚な空気の中で淡々と語られます。しかし、その中には「平和をもたらす人としての思い*1」がぎっしりとつまっています。
久々に深いところから思いがわき出る集まりに参加できました。

*1:こんな陳腐な書き方はしたくないんだけど、こんな表現しか思いつかないんです…。

「続く」の続き

朝方、えらい衝撃が何回もありました。そのたびに「なんや、ここ、いるんか」という声が聞こえます。あのね。電気がつけっぱなしで明るいから、ふとんの中にもぐっているのよ。ふとんの上を歩く時は、もう少し気をつけなさいってば。そんなこんなで、4時・5時・6時・7時と何回も起きたところで、これ以上寝られないところまで来てしまいました。
とりあえず、みんなの朝ご飯の買い出しをして、そのままいったんお家に荷物を置きに帰りました。ついでに、コーヒーを飲んでシャワーを浴びて、なんとか「ドロドロ状態」を脱出。
そして、ふたたび合宿所にもどって生徒たちの論議に参加です。
それにしても、みんなホンマによくしゃべります。たぶんみんな、ふだんは「日本人」に囲まれている中で言えない/言ってもわかってもらえないことがいっぱいあるんだろうなぁ。それを思う存分話をしているんだろうなぁ。それだけに「交流会」というものにかける熱いを感じます。やっぱ、ここから逃げるわけにはいかんなぁと、あらためて感じさせられました。

でも、まだ続く

マダンのあとは、全国在日外国人生徒交流会の生徒実行委員の合宿です。今回は、ふだんやっている場所とは少し違うので、勝手も違います。なにより、原則自炊できないのがきついです。それでも、なんとかチゲと水ぎょうざをつくって、晩ご飯も終了。その後、生徒たちは夏の交流会の総括をはじめました。
ところが、これが長い!というか、放っておいたらエンドレス。エンドレスだと次の日にみんなが倒れてしまうので、11時を目途に終わるように話をして、なんとか終了。ここでようやく引率教員は軽くクールダウン。自己紹介がてら、各地の報告をしていたのですが、わたしはそろそろ限界。ひょいと時計を見ると、12時40分。「もうダメポ…」ということで、布団にもぐり込みました。はぁ…。

東九条マダン

今日は第14回になる「東九条マダン」の日。「マダン」っていうのは、「広場」のことです。東九条というところは、在日と日本人が混住する街なんですが、だからこそその地において「ともに生きる」「広場を」つくっていこうということではじめられました。で、わたしもかかわっている在日外国人生徒交流会は、この祭りで焼肉屋を出しはじめて、今年で11回目になります。
わたしたちはなんのためにここで焼肉屋をしているかというと、一年間の活動資金をかせぐためなんです。なにせ、財政的な裏付けがいっさいない*1というとてもなさけないグループなので、とにかくここで稼いで、あとは、かかわっている教員のカンパでなんとか活動をしているんです*2
ということで、今日も6時起床。7時過ぎに家をスタート。途中、一緒にやる人をピックアップしたり、この間つくったキムチとかタレを車に積みながら、会場へ。8時過ぎには会場に到着。荷物をおろして開店準備です。
天気はまさに「マダン日和*3」。さて今日も一日忙しくなりそうだ、と。そうこうするうちに、生徒たちがどんどん集まってきます。ところが、客足がイマイチ。ひとつ波が来たあとはさっぱりです。はたして30kg(笑)の肉がさばききれるだろうかという不安が心をよぎります。どうも向かい側で売ってる焼き鳥とか、中の方で売ってるたこ焼き*4とかと競合しているみたいです。
こういう時はむずかしいです。下手に肉を焼くと、ぜんぶ固くなって内部消費用(笑)になります。でも、ぜんぜん焼かなかったら煙が出ないので、「あ、はやってないな」と見抜かれてこれまた売れません。そのギリギリのタイミングをはかりながら、みんな声をからして呼び込みをします。
で、わたしはというと、あちこちに知りあいがいるので、あいさつまわり。それでいいのか…?そんなことをやっていると、とつぜん「あの、テレビに出ておられませんでしたか?」という人がいました。あーびっくりした。はじめての経験でした。
昼頃になると、ようやく店も繁盛してきたみたいです。なので、わたしがいたらかえって邪魔だろうなということで、やっぱり放浪の旅に出ていました(笑)。
3時頃には、肉の売れ行きもだいたい止まったみたいです。結局、だいたい28kgの肉が売れたみたいです。すげぇ…。
そんなこんなで、今年の東九条マダンも終了。

*1:本来は、なんらかの形でこういう活動を金銭的に保障させていくことが必要なんですが、それをする力量がないんですよね。

*2:でも、「自分たちでつくったお金で自分たちの活動をしている」ということは、交流会に集う子どもたちのモチベーションにはとても大切だったりするのですよ。

*3:実行委員長の朴実さん談

*4:こっちはもしかしたらアマチュアのフリをしているプロじゃないかなぁ…

昼間のお家

明日は東九条マダン。なので、今日は準備をしなくちゃなりません。
とりあえず、年休を取ってちょっと早めに家に帰りました。
わずか2時間ほど早く家に帰ったんだけど、驚くほど風景が違います。なんと言っても、まだ明るい。おかげさまで、サクサクと準備も進み、それでもまだ明るい…。結局、それなりにゆったりとした時間が過ごせたのが不思議でした。ふぅむ…。

ふたたびハードな1日・交流会

昼間は、在日外国人生徒交流会。開始時刻に行ったら、まだだれもいません。よかった。間にあいました。そのうち、三々五々、生徒たちが集まってきます。
かつては、電話をかけまくって「来てね、来てね」と言い続けないと集まらなかったのが、いま喜んできてくれる生徒がいるって、本当に幸せです。と同時に、やっぱり子どもたちにとって、こういう場が必要とされているんだなぁということも実感。それが、この社会のありようなんですよね。ちょっと複雑な思いです。
そうそう、学会の発表を終えたおふたりも特別ゲストで参加されました。楽しんでいただけました?>Iさん(笑)
今日のテーマは、キムチのつけ込みとタレづくり。そして、「ひと夏の思い出」の語らいです。クラブ三昧だった子・全国交流会に行った子・中国に帰って遊びまくっていた子、それぞれに自分のひと夏を語ってくれました。最後に、「つながる会」というのをやった教員が、その報告をしてくれました。それまで和やかだったみんなの空気が、その瞬間ふと変わりました。自分の生い立ちや思いと、まさに「つながった」んだろうなぁ…。京都の交流会は、いつものんびり遊ぶだけだけど、のんびりでいいから、そんな瞬間も共有したいなぁ。

ハードな1日・終焉

盲導犬の見学会が終わったら、とりあえず家族と一緒にお家へ。
その後、パートナーがキムチのつけ込みのための白菜の塩漬けを午前中にしておいてくれていたので、それを東九条に放り込んで、そのまま京都府南部へ。今晩は、放送部の裏合宿=学校祭の打ち上げです。これ、10年ほど前からいつの間にか恒例になっていて、秋の寒くなってくる時期なのに、キャンプ場に行って焼肉をするという企画なんです。
途中激混みの道をとにかく南へ南へと下っていき、ようやくキャンプ場に着いたのが7時過ぎ。バーベキューセット+肉+お米はわたしの担当だったので、みんな飢えています。ひたすらバタバタと準備をして、ようやく晩ご飯。
ほっと一息ついたのもつかの間、パラパラッと雨が降ってきました。今回はタープを持ってきていないし、そもそもそんなものはるスペースもありません。あたりを見渡すと…。ありました、避難所が。わたしたちが泊まるバンガローの床下!バンガローは斜面に建っているので、下の方はけっこうなスペースです。ここに焼肉セットを移動、持ってきたハロゲンライトで照らして、さらにバンガローの中にあった扇風機で強制排気。なかなか心地のよい空間になりました。部員達も「秘密基地みたいや」とはしゃいでいました。
11時頃までワイワイと話をして、わたしはおねむ。バンガローにもどって爆睡です。

濃いぃ飲み会

人権学習がすんだら、とりあえず全力で片づけをして京都市内へ。放送部の顧問総会です。なんつーか、よくわからん…。でも、いまの委員長が「なんとかしたい」と思っておられる、その気持ちはとても伝わってきます。できることは協力したいなぁ…。って性格が、自分の首を絞めていくんだけどねorz。
で、バイクを家に置きに帰って、再び京都駅へ。
埼玉から来られたお客さん2人と地元の人1人とわたしの4人で飲み会です。
話の内容が、セクシュアルマイノリティハンセン病部落問題と、猛烈に幅広いです。ちなみに、その埼玉のお二人、こうした人たちへの膨大な聞きとりをされている研究者で、幅広いだけじゃなくて、深い。だもんで、言葉があふれ出てくる(笑)。
マッコリを飲みながら、肉をつまんだりサムゲタンを食べたりしながら、気がつくとあっという間に10時半。「あした、研究会で発表なんです。今晩は徹夜かなぁ(笑)」と言いながらお開き。元気やなぁ…。

自主フィールドワークとか…

今日は、人権教育がらみで「ツラッティ千本」の見学と西陣のフィールドワークでした。案内してくれたのは、小林丈広さんです。この人の話は、近代史を「衛生」という観念から解き明かしていくもので、ものすごく面白いです。
今回は、とりあえず、軽〜く「町式目*1」にかかわる説明を受けたんですが、それぞれの町の「まちづくり」への考え方というのがよくわかりました。
で、その上で西陣へ。おそらく織物産業が繁栄していた時は現代の「町式目」みたいなものが不文律としてあったんだろうけど、いまや完全に崩壊しはじめていることがよくわかりました。それがいいことなのかわるいことなのか…。なかなか評価は難しいですね。
午前のフィールドワークが終わったら、午後の講演まで時間があったので、ふたたびツラッティの近辺を自主フィールドワーク。「お土居」があるのが京都の「町」の面白いところなんですけど、このあたりには残っているんですね。で、そこを境目にしてがらっと町のたたずまいが変わります。なるほどなぁ、と。
午後はふたたび小林さんの講演。実は、同じような話を5年ほど前に聞いているので、さほど新しい収穫はなかったんですけど、明治30年あたりからの部落の有力者層の流出の話は、やはり刺激的でした。まぁ、個人的には流出する気持ち、わからんわけじゃないけどね…。

*1:「これこれこういう仕事の人には家を売るな」という約束事