死のロード・2日目

起床はいつもの午前6時。でも、今日の目覚めの気合はいつもと違います。なにしろ、寝坊は許されません。6時20分頃には家をスタート。午前は、兵庫県にあるK戸大学へ。なんでも、ゲストスピーカーに来てほしいとか。
しかし、いつも思うんだけど、わたしなんぞの話を聞いてなにかいいことあるのかなぁ…。まぁ、ネタではあるけどね。
K戸大学って、雰囲気がけっこう好きです。学内には小汚くビラが貼ってあるし*1、大学らしい大学という気がします。
で、講義の時間がはじまったのですが、開始時間もけっこうルーズ。これまたええ感じです。ただ、困ったのが時間です。なにせ、いつも時間をオーバーするわたしのことですから、ただでさえ短い1時間半なのに、開始時間が後ろにずれ込んだから、時間がもっと短くなります。かなりあせりながら話をしたのですが、やはり終了時間には間に合いません。
「あの、延長したらあかんですよね?」と担当の教授に聞いたら、
「2時間目ある人?あ、ひとり?伸びてもかまわない?そう、2時間目遅れていくの。じゃ、いつきさん、いいですよ」とのことです。ええ感じや。
結局20分ほどオーバーして終了。それでもやっぱりすいません。
その後、話をしに来られた学生さんとしばらく関西のセクマイ界を含めた話をして*2、昼過ぎに六甲から次の目的地に移動。
めざしたのは、伊丹です。
ここで痛恨のミスです。
今回手配をしてもらった飛行機のチケット。名前のあとの記載が「40M」となっていました。これ、チェックインの時がけっこうネタ拾いになるじゃないですか。てか、ネタ拾いにならなかったら、あまりにも寂しいです。ところが、つい自動チェックイン機を使ってしまいましたorz。
でも、まぁいつまでも_| ̄|◯していられないので、気をとりなおして飛行機の中へ。1時間後には、熊本にいました。
しかし、昨日も思ったけど、わざわざ飛行機代を出してまで聞きたい話かねぇ…。まぁ、このあたり自問自答をすると落ち込んでくるので、交流会を楽しみにしながら迎えに来ていただいた人にホテルまで連れて行ってもらって、しばらく休憩。
夜は、呼んで下さった方々と一緒に一杯呑み。飲むほどに酔うほどに、みなさん明るく楽しい方々です。こうやって集まることができる関係が地元の教員同士の間にあるって、すごくうらやましいなぁと思いました。
ところで3年前の夏に熊本で話をさせていただいた時のことをおぼえておられた方が「コンビニの性別ボタン知ってる?」という話をみんなに振られて、そこから、「交流会が終わったら、隣のコンビニでみんなでチェックしよう!」ということになってしまいました。実は、トランスではない人が性別ボタンを押される瞬間って、なかなか見る機会がないので、わたしも「行きましょ、行きましょ」。ということで、ちょっとだけ買い物。わたしは、「20代ブルー」。はい、そうですか。今回の首謀者の方に「いつきさん、一敗ですね」ときっちり言われてしまいました。はい、その通りです。

*1:今回は「K田寛一」とかいう名前もあった…

*2:なぜか玖伊屋を知っていました。

死のロード(またかよ!)・1日目

午前中、休みをとって、枚方市内某所で20人ほどの方を相手に漫談。諸事情により、全員が(たぶん)女性&(たぶん)母親という方々でした。みなさん、それぞれになりに笑っていただいたりうなずいていただいたり、まぁまぁの高座だったかなという感じ。感想を見せていただいたら、「イマイチやったなぁ」という感想もチラホラ見かけながらも、とても好意的な感想もあって、勝率八割というところでしょうか。さらなる修行が必要ということですね。
その後、枚方市内某所*1まで首謀者(笑)の方に送っていただいて、診察券を投入。

*1:駅前の巨大ビル・笑

全同教・2日目

午前は中国帰国生徒にかかわる京都の中学校のレポート。いいとりくみです。身びいきじゃないです。
そうそう、レポートの前にレポーターに「がんばってください」と声をかけにいったら、「きのうの統一応募用紙のレポート(の「言わない、聞かない、提出しない」という話)、なんかわからなかったんですけど、いつきさんの意見を聞いてやっとわかりました。わたしたちのレポートにつながる話をしてもらってありがとうございます」って言われてしまいました。いや、逆ですよ。あなたのレポートがあるからこそ、そういう発言ができるんですよ。
2本目は、埼玉のレポート。不登校の子にかかわる話ですが、これまたていねいにやっておられます。字面だけを追ったら「なんじゃこりゃ?」なんですけど、そこの地域の抱える問題なんかをていねいに聞いていくと、ほんとうにていねいなとりくみをされているなぁと思いました。しかし、全同教のレポートもいろんなものが出てくるようになったなぁ…。
総括討論では、いろいろあったけど、ついわたしも発言。
実は、埼玉のレポート中に、急速に仲良くなった2人の女の子同士のことを「まぁ、女の子同士だから恋愛っていうわけじゃ」と笑いながら話していたのが気になっていたので、そのあと「レズビアンを排除する発言があった」ということを指摘したんです。ところが、それを聞いた会場から少し笑い声が聞こえた。それに「カチン」と来ていたので、
「先ほど笑い声が出ていたけど、わたしは笑えない。人数比を考えると、ここにも同性愛者がいて当たり前だ。でも、あの笑い声を聞いたら、その人はきっとこの全同教という場所を「あぁ、ここは言えない場所なんだ」と思うだろう」
と真っ向勝負をしてしまいました。
あと、「つながり」という言葉が分科会の最中にたくさん出てきたので、昨日感じた話もしました。
「セクマイは親から子へ・子から孫へというつながりはありえない。そのつながりをつくるために、関西で「トランスジェンダー生徒交流会」をはじめた。集まってくれた高校生は5人。圧倒的多数は、そこにたどりつくことすらできない。最も少数のものは目立たず無視されがちだが、もっとも「つながり」「出会い」を求めているのは実はその子たちだ。その子たちをつないでいくのは、教員にしかできない」
とこれまた真っ向勝負。
まぁええか…。

全同教1日目・午後(その2)

ということで(笑)、2本目のレポートは、大阪の「情緒障害短期治療施設」に併設された小学校の分校からのレポート。まぁ、すごいです。相も変わらず大阪は。それにしても、大阪っていろんな学校があるなぁと思います。それだけきめ細やかな対応が可能になるっていうことですね。たぶん、ニーズは他府県にもあるんだろうけど、そのニーズにこたえきれていないというか、切り捨てているんでしょうね。
その後、討論の時間。
わたしは統一応募用紙について、軽く意見表明と問題提起。
ひとつは、統一応募用紙の性別記載欄のことについて。高校生だと特例法の最初の要件にひっかかるので、性別変更はできません。となると、性別記載欄に書いてある性別と、名前なり姿なりとの食い違いが激しく、望まないカミングアウトを強いられてしまいます。統一応募用紙の精神からいうならば、性別記載欄も削除すべきではないかということを、まず提起しました。
でも、その一方で、「いつまで隠すねん。どこまで隠すねん」ということ。トランスの人間にとって、性別へのこだわりは、自分という人間を形成していく上でとても大切な要素になります。つまり、「性別」は自分自身の「能力・適性」と密接な関係があるわけです。だからこそ、「それを言いたい」というのは「あり」だろうと思うのです。あるいは、K口くんも特別報告の中で「選んだ」と言っているわけで*1、そういう生き方丸ごとを認めていく社会にしていかないといけないと思うのです。
結局、統一応募用紙の精神って、「単なる労働力としてのみ評価しろ」ということで、そこに人間性って欠如しているように思えるんですよね。確かに、統一応募用紙ができた当初は必要だったとりくみだろうけど、いま、それを越えるとりくみが必要になっているはずなんですよね。もしもそれができていないとするならば、それは、わたしたちが怠慢をしてきたということにつながるかと思うのです。
てことで、「ふたつの思いの中でジレンマがあります」と、かわいらしくまとめてみました(笑)。
そんな発言をしたら、東京の企業の方が続いて発言されました。「わたしたち企業の側も、いつまでも統一応募用紙に甘えていてはいけないと思います。もちろん、選考にあたって差別をなくすのは当たり前のことだけど、「話したい」と思う人が話せる企業をつくっていかないといけない」。
すごいよ!この人!
分科会が終わって、その人、ツツッとやってこられてこう言われました。「いつきさん、高野山で一緒に呑みましたよね。わたし、東京の東ジュンさんなんかとも知りあいで、いつも「一緒にのみに行こう」って誘われているんですよ」。なるほど…。東ジュンさんの手は、こっちにもまわっていましたか…(笑)。世間は狭いなぁ(笑)。
てか、きちんと覚えてなくてすみませんでした。あの時、実は半分寝ていたんです。

*1:これ、今回本当によく使わせていただきました。ありがとう!

全同教1日目・午後

午後は分科会。「進路・学力保障」の分科会に参加したのですが、会場が遠い!全同教にとって、「自主活動」と「進路・学力保障」は命だろうと、わたしは勝手に思っているのですが*1、えらい冷遇されているなぁという感じです。おかげさまで、参加者も少ないのなんのって。それでも150人ぐらいはいたらしいですけどね。
1本目は、熊本の高校のレポート。「言わない・聞かない・提出しない」という「統一応募用紙の精神」にかかわった進路保障のレポートだったのですが、なんだかよくわかりませんでした。ただ、その後の質疑応答なんかの中で、少しわかってきて、まぁよかったのですが…。
気になったのは、県の部落解放高校生集会の代表を部落外の子がやっていることにかかわる、教員側の評価です。わたしは、ぜんぜんかまわないと思うのですが、どうもレポーターは「被差別経験がないものなんだけど…」みたいな評価をしているように思えてなりませんでした。でもね、部落外の子が、そういうふうになるってすごいことだよなと思うのです。「自分の経験に依拠してしか隊列に加われない人」よりも、「自らの生き方として選択的に隊列に加わった人」のほうがよほどすごいと、わたしなんかは思ってしまいます。
その子、集会で寝ていた部落の子に「部落の人たちが出しあったお金で今ここに来ている。その思いに答えるためにも、寝たらあかんやんか」みたいな注意をするわけです。それに対する部落の子の答が「確かに寝ていたけど、ひとつでも持って帰ろうとしていたんだからええやんか」というもので、これって、完全な開き直りですよ。なぜこういう会話で、それでも成り立つかというと、部落の子が「部落」という立場に依拠しているからだと思います。これ、反対の立場だったらこういう「返し」はあり得ないと思います。
外部からの指摘を真摯に受けとめる姿勢がないから、この間のうわこらなにをすr

*1:「進路保障は同和教育の総和」という言葉もあるんだよなぁ…。

全同教1日目・午前

午前は全体会。
開会行事ではいろんな人があいさつをするんですが、今回感じたことは、「教育基本法改悪って分水嶺だなぁ」ということでした。なんらかの形で教基法に触れる人と、まったく触れない人がいます。なかでもいいあいさつだったのは、松山市長と自由同和会の上田藤兵衛さんの話。「すごい!」と思いました。で、一番触れていないのが、全同教の基調報告。あかんやろう…。
その後、特別報告。一昨年行かせてもらった宇和島の人たちの3代にわたる部落解放への思いが切々と伝わってきました。わたしは、気がついたら、どういうわけかその宇和島の人たちが聞いているのと同じ場所に座って聞いていました。最初に話された80前のおばあちゃんが、話し終わったらいつのまにかそこにおられたりといったこともあって、すごく「生」の空気が伝わってきました。いや、ほんとうにそこで聞けてよかったと思いました。

愛媛へ・全同教0日目

午前中、サクッと授業をこなして、昼にスタート。目指すは松山です。
松山では、明日・あさってと「全国人権・同和教育研究集会」が開催されます。明日は午前中からなので、今日は前泊になります。
近年、出張旅費の削減と「法切れ」のために、なかなか出張でこの手の集会に行くことができなくなってきたのですが、正直言って、「免許の更新制」みたいなことに膨大な時間とお金をかけるよりも、この手の出張を見つめていった方が、はるかに安あがりだし効果が高いと思いますがねぇ。
で、出張で行けない人もいるということで、今回の交通手段は車。出すのは当然わたし。まぁ、長時間の運転はさほど苦にならないタイプですから、ぜんぜんかまわないのですがね。てことで、5時間ほど頑張ったら、あっという間に松山です。
ホテルに着いて、一息ついたところで、現地で待ちあわせをしている人と連絡。とりあえず合流をすることにしました。と、そこへ別の人からも連絡。しばらくたつと、またまた連絡。一緒に行った京都の人から「どんだけ知りあいがいるねん」とあきれられてしまいました。いや、わたしもあきれています。というか、みんな呑むのが好きやなぁ…。
結局、はじめのうちは5〜6人で呑むという話だったのが、フタを開けてみると、12人になっていました。地域も、宮崎・熊本・佐賀・大分・大阪・京都という、普段は絶対に会うことができない人たちが結集。これもまた、全同教ならではの風景です。こういう出会いの中で、互いに自分たちの実践を話したり、他地域のとりくみに学んだりするわけです。
なんだかんだで、7時頃から飲み始めて11時頃まで飲んでいましたか。その間、焼酎のボトルが何本開いたことか…。みんなよー飲むわ。
ホテルに帰ったら、そのまま倒れ込むように寝てしまいました。

何軒あんねん!

いま、左腕の状態が状態なんで、あまり厚着ができません。なので、一着で暖かい服がほしいなと思い、Uニクロのダウンジャケットを買おうかなぁと思い立ちました。ここで、フェアトレードとか出てこないのが、自分的には「なんだか」なんですけどね。
ところで、せっかく買うんだから、自分の気に入った色とデザイン、そして自分にあうサイズがほしくなります。で、ベージュのL寸ということで、昨日探したんですが…。
昨日、まずは宇治店に行きました。サイズがないっす。あるのはMかXL。断念。
続いて、アバンティ店。サイズも減っています。Mのみ。断念。
さらに、高野店。そもそも、ベージュがないです。断念。どないなってんねん。
で、本日。まずは、竹田店。ベージュ発見。Mのみです。断念。
次に上鳥羽店。これまたMのみです。断念。
さらに、中立売店ハケーン!ベージュのL。しかも、焦げ茶のLもあります。焦げ茶にいたっては、店6つまわってもほとんど見ることすらできていませんでした。
結局、焦げ茶のLを買ったのですが…。
しかし、職場から家までのルートを2本考えたら、それぞれのルート上に3軒ずつある*1Uニクロって、いったい…。

*1:実際には片方のルート上には6軒ありますが、駐車できるのが3軒なんです。

やっぱり修行が大切か

今日もどういうわけか高座。もう、わけわかりません。
こうも高座が重なると、そのたびに夜呑んでいたら身体が持たないので、今日は飲みには行かないぞと固く決意をしました。なので、交通機関はバイク。
今日は1時間半しか時間がないこともあって、もう、あせりまくり。なんとかこなしてホッとしていたら、次の方の話がはじまりました。テーマが「国際社会」ということもあり、せっかくなので話を聞かせてもらったのですが、いやもう、すごいです。
わたしと同じ1時間半なのですが、マクラをたっぷりと振って、みなさんをしっかりと引きつけます。充分に場がこなれたところで、うまくマクラを使いながら本論へ。ここでもしんどい話をさらりと話されます。ところどころに一人一人がふと考える問いかけを交えながら、話は佳境に入り、と、あとはトントントンと話を落としておしまい。そこで時計を見ると、1時間20分。ちゃんと質疑応答の時間も残しておられます。しかも、一度も時計を見ずにこれができるんです。さすがは、元噺家希望。うまいなぁ…。
終わったあと、「どうやってこられたんですか?」と聞かれて「すんません、こんなこととわかっていたら電車で来てそのへんで一緒に一杯飲みたかったのに、今日はバイクで来ちゃったんです」とおわび。「じゃ、またこんな機会があったらそん時に…」ということで、わかれました。ちょっと残念だった。

統合するために

H田って、これで来るのは3回目です。1回目は2年前の夏。福岡から宇和島に行く途中、1日あいたので友だちと一緒に遊びに来ました。K町というムラでいろいろ話を聞いて、その後「ムジゲの会」の人たちが呑んでいるところに乱入して、濃いぃ一晩を過ごしました。
2度目に来たのは、去年の12月です。この時は、漫談をしに来ました。で、翌日、久住に行くために早々に出なくちゃならなかった、と。なので、市内を見るヒマもなく、久住高原を越えてしまいました。
で、今朝、ふと目が覚めたのが7時頃。天気予報では曇りか雨ということだったのですが、まだ降っていないみたいです。用事があるのは9時半から。ということは、朝ご飯を食べてもまだしばらく時間があります。てことで、散歩に出かけることにしました。
なにせ、ホテルがあるのはえらく区画整理がされている場所なんですけど、一昨年行ったK町は川の畔にある小さなムラです。ぜんぜん自分の中でつながりません。とりあえず、フロントで近所の地図をもらって、場所を確認。なるほど、こうなっているのか…。
まずは、近くにあった亀山*1を攻略。階段をトントントントンッとあがると、すぐに頂上です(笑)。そこにあったもの。「松方神社跡」。そうかぁ、ここが部落の貧困化の原因をつくった松方デフレで有名な松方正義の出身地かぁと、ちょっと感慨深く…。もちろん、そこにあった案内板にはそんなことは書いてませんでしたけどね。
そして、三隅川を渡ると、K町のムラがありました。2年前と同じ椋の木もありました*2。椋の木の下の枯れ葉をそうじしていたおっちゃん曰く「この木、触ったら御利益あるで」「そりゃそうですよね。たくさんの人の命を救った木ですものね」「ちゃうちゃう!年末ジャンボや!」まいりました。「昭和28年の水害の時、おっちゃんは中学生でなぁ。水が胸くらいまで来たんや。でもそのあとがたいへんやった。ここらいちめん水浸しでなぁ。いまでこそ同和対策事業でこんなにきれいになってるけどなぁ」。おいおい、いきなりカムアウトです。いい出会いをさせてもらいました*3
あとは、温泉街を通ってホテルへ。
ようやく、わたしの中で「日田」がひとつになりました。

*1:「キザン」と読むらしい

*2:あたりまえだ

*3:なお、言葉は関西語訳です