在日外国人教育関係のセミナー

午後は朦朧とする頭のまま、在日外国人教育関係のセミナー。テーマは「日本語教室のとりくみ」です。いろいろ勉強にはなったのですが、あまりにも眠すぎてボーっとしていました。すんません。
セミナーの後は会議。8月に大きな大会をしなくちゃならないのですが、ほんとうにできるんだろうか。不安です。
会議が終わって、今日のセミナーのスピーカーの人を送って帰る途中の会話。
スピーカーの人が、かつてうちの子どもが通っていた学校で日本語教室を担当された経験があることがわかって、そんな話をしたり、「きのうの晩5時まで遊んでいて今日しんどいですねん(笑)」みたいな話をしていたのですが、そんなわたしに向かって「子どもさんがふたりもいはるんですか。それであれだけ仕事をバリバリこなして5時まで遊べるなんて、すごいですね。どうやったらそんなことができるんですか」と驚きの声。
う〜ん、なんと言っていいのやら(笑)。そらそうだわな。普通はできんわな、パートナーが子どものケアをしてくれてなかったら。
思わず心の中で「ごめんなさい」と手をあわせながら*1、「ま、まぁ」とか適当にお茶をにごしていました。それにしても、う〜ん、やっぱりわたしは「ええとこどり」なんやなぁ。

*1:こればっかりです。

やってみた

姐さんのところに顔写真分析の話があったので、わたしもやってみました。
どの写真を使おうかと思ったのですが、一番最近の写真ということでこないだのを使ってみました。
で、分析結果。

顔写真の75%は愛川ゆず季に似ています
顔写真の8%は徳永愛に似ています
顔写真の7%は邑野みあに似ています
顔写真の7%は伊藤裕子に似ています
顔写真の3%は仲根かすみに似ています

はぁ?愛川ゆず季って、いったいだれよ?ということで検索をかけるとこんな人だったみたいです。一緒なんは髪の毛の長さだけやんか(笑)。
ついでなので、「男性」にして分析をしたらこんな結果が出てきました。

顔写真の75%は玉山鉄二に似ています
顔写真の8%は所ジョージに似ています
顔写真の7%は寺脇康文に似ています
顔写真の7%は役所広司に似ています
顔写真の3%はユースケ・サンタマリアに似ています

玉山鉄二もわからないので検索をかけました。こんな人です。どこが似てるねん…。
ま、ええか…。

タイムリミット

今年の夏、京都で開催される某全国集会。1日目は全体会なのですが、どうもこれの進みが遅いです。てか、ほとんど進んでいません。なので、今日は緊急の会議。
教員の中には、この手の企画とか連絡調整とかいうのがほんとうに苦手な人がいます。まぁ、昨今言われる多忙化というのはほんとうでして、こんな集会は本務でもなんでもない「思いこみ」の世界でやることですから、そちらのほうに頭がまわらないというのはよくわかるのですが…。でも、いろんな人が動いているわけで、どこかの頭の片隅に常に意識し続けるということをしなくちゃならないんです*1
で、緊急の会議を持って、ようやく動きはじめられそうな気になりました。とりあえず、全体の構想を練って、担当者を割り振って、それぞれが連絡調整にはいる。あとは、総括責任者が最終的に動きまわる。ま、なんとかなるでしょう。
しかし、わたしもえらいたくさん担当してしまうことになりましたわ_| ̄|◯

*1:てなことを書くと、自分のところにも石が飛んできますが(笑)

とりあえず

最近は、飲み屋でビールを頼む時、「「とりあえず」というメーカーのビールください」とあえてしょーもないことを言いはじめているのですが、それはどうでもいいです。
なんか、ちまたでやっている人がちょこちょこおられるみたいなので、わたしもやってみました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/07saninsen/votematch/
で、その結果がこれ

ふぅ〜ん。まぁ、政策について考えたらこんなふうになるのか。意外といえば意外だけど、なるほどといえばなるほどみたいな。

なので、散歩

ジャンジャン横町って、それはそれでいいのですが、なんとなくさらに南西に歩きだします。すると、そこは釜が崎。考えてみると、大学時代に来て以来久しぶりです。フラフラと歩いていると、ものすごい屋台街があります。かなりそそられるものがあったのですが、ここはガマン。釜が崎の中をちょこっと歩いて、センターの横を通って、再び西へ。すると、やがて巨大な団地群が出現しました。旧渡辺村です。
てことで、浪速生協に行ってカスをゲット…。と思ったら、ない!「どないなってんねん…」と思ってレジの人に「カスわけてほしいんですけど」と頼むと、ちゃんとわけてくれました。さすがは浪速生協。ちなみに、100g400円です。
で、そのままフラフラとたどりついたのが、O阪人権センターだったりします。で、そこで働いている友だちのところに行って、「はよ仕事終われ〜」などと耳元でつぶやいて仕事の邪魔をして、飲み屋にGO。
どないに迷惑な散歩やねん。

フランスGP

で、家に帰ったら、録画してあったビデオの鑑賞。
わたしは、ビデオを見るまではF1にかかわるニュースを完全にシャットアウトしています。なので、姐さんのところや新聞のスポーツ欄なんかで結果をうっかり見てしまったりすると、もう、大ショックです。
さて、今回はどうなるかな…。
まずは、驚きのスタートでした。ライコネン、やるやん。しかも、燃料を多めに積んで、ひっぱるひっぱる。で、ピット戦略が大当たり。てことで、久々にライコネン−マッサのフェラーリ1・2フィニッシュ。
シューマッハなきあと、やっぱライコネンを応援しようかなぁと思っていたので、ちょっとうれしかったです。え、なぜライコネンか?そら、2005年ヨーロッパグランプリでのバースト以来、気になるドライバーになっているんですよね。
それにたいして、アロンソが不運続きです。ものすごいスピードを持っているけど、なかなか抜けない。あれはストレスたまったやろなぁ。
そうそう、たまにツーリングカーレースとかテレビで見るけど、やっぱりF1のスピードは別世界ですね。それを、とりわけフランスGPでは感じました。
さて、次戦はシルバーストーンか。

やってみた

前に、どこかで見たなぁと思っていたのが、くぼりえさんとこにもあったので、やってみました。脳内メーカー
まずは、「いつきの脳内」

すんごい納得です(笑)。もう、なにもいうことはありません。
続いて、「いつきの能力」

「オタク度」と「負けん気」が低いです。まぁ、淡泊な性格ですから(笑)。「ジョーク」もイマイチというのもショックではあるけど、たしかに…。関西人としての除外診断ですわ。

衛生問題

わたしの自転車は、大学生の時に組んだロードレーサーで、かれこれ25年を超えるつきあいになります。当時は、フレームから組んでいくなんていうのは、完全に趣味の世界でしたが、わたしがいきつけにしていたサイクルショップは、どういうわけかその趣味の世界にどっぷり浸かっていた人たちのたまり場でした。で、わたしも気がついたら何台か自転車を組んでいました。
ちなみに、「組む」といってもいろんなレベルがあるんでしょうけど、ここのお店はフレームを自分のところでつくっていたので、BBの面出しあたりからやらなきゃなりません。なので、まさにベアリングを一個一個入れていくところからという感じなわけです。
まぁ、10年くらいこの店でいろんな経験をさせてもらったのですが、就職にともなって引っ越しをして、それっきり自転車から遠ざかっていました。
でも、2年前に引っ越してきて、ふたたび自転車に乗りたいな、と。で、ほこりだらけの自転車を引っ張り出してボチボチと乗りはじめています。ちなみに、こんなんです。

ところが、なにしろ古い自転車なので、ゴムの劣化が激しいです。とくにきついのが、ブレーキレバー。もう、ゴムがとけてしまってなにがなにやらわかりません。あと、バーテープもボロボロ。

まぁ、これははっきり言って「衛生面にわるい*1」です。
てことで、ブレーキレバーの交換をすることにしました。といっても、すでにブレーキワイアーが上からでるタイプのレバーなんてありません。というより、あったとしてもゴムの状態は一緒です。どころか、最近のブレーキレバーって、シフトレバーと一体になっているの?んなもん、わたしの自転車にはつきませんわ。なので、エアロタイプ*2のブレーキレバーを発掘してもらいました。
今日の作業は、とりあえずバーテープをはがして、ハンドルをきれいにするところまで。あとは明日だな。

*1:サイクルショップのオーナー談

*2:死語・ブレーキワイアーがレバーの根元からでていて、アウターとハンドルを一緒にバーテープでまくんですよ。

部落史連続講座・最終回

今回の連続講座は、今日が最終回*1
今日のタイトルは、小林丈広さん(京都市歴史資料館)による「職業規制から見た京都の町」です。実は、わたし、こっそり小林さんのファンなんです(笑)。ある意味、すごく明快であるにもかかわらず、けっしてなにか物事を一刀両断で
この話、実は去年の10月にさわりだけ聞いているんです。
つまり、「町式目」を読む中で、京都のそれぞれの町内がどのようなまちづくりをしようとしていたのか。そこから、町の人々の意識を読み解こうという試みでした。
現在でも、「町内会規則」みたいなものって、それぞれの町にはあるみたいです。で、こういうのって、まず「だれが町内会のメンバーなのか」からはじまって、「なんのために」とか「どんなことをやるのか」とか「役員はどうするのか」「会計はどうするのか」ということが書いてあります。
ところで、こういうのって、実は「暗黙の了解みたいなものが通用しているうちは明文化されない」んですね。ところが、その「暗黙の了解」が通用しないような事態が発生すると、明文化せざるを得なくなり、文書として残っていく。これは、現在でも中世でも一緒なわけです。ですから、町式目を読み解くことで、「その時代にどんなことが起こっていたのか」ということを推測することができるわけです。
今回提示された町式目で最も古いものは、江戸よりも前、1700年代後半のものでした。で、当然のことながら「メンバーシップ」への記述があるわけですが、その記述の内容は「これこれの職業の人に家を売ってはならない」というものなんです。ただし、職業とその人の置かれている立場はかなり不可分のところもありますから、とらえようによっては、イコール「これこれの「人」には家を売ってはならない」ということになるわけです。
初期*2の町式目には、「あおや*3」「座頭*4」「鍛冶屋」など、数種類の仕事があげられています。ところが、江戸時代中期ぐらいになると、やたらたくさんの仕事があげられはじめます。そして、江戸時代末期になると、仕事をいちいち列挙するのではなく「みんながイヤだと思う人はダメ」みたいな、すごい話になってきます。
これをどうみるかということなんですけど、おそらくは、江戸時代中期以降になると、仕事や人の動きが流動的になってきて、だからこそいろいろなトラブルが起こりはじめて「あ、こりゃ明文化しなくちゃ」みたいなことになってきたんだろうということなんです。
あと、非常に特徴的なことは、「非人」の立場の人たちが従事しているさまざまな職業については、かなり事細かに書いてあるのに、「ゑた」という記述がほとんどないんです。小林さんはこれを「ゑたについては、暗黙の了解があったので記述する必要がなかったんだろう」としておられました。つまり、非人の人たちは身分としては町人になっていて、まわりの人たちはわかっていながらも、まぁ一緒に住んでいた、と。で、なにかあったときに「やっぱりこの町に住んでほしくないよなぁ」みたいな感じで、とりあえず明文化してみるテスト。みたいな。しかし、「ゑた」の人たちは明らかに排除の対象になっていたため、明文化する必要がなかったということなんでしょうね。ただ、町によってはけっこう早くから何度か「ゑた」の記述があるので、けっして、やはり明文化せざるをえない状況もあったんだろうとも推測されます。
おもしかったのは、「米屋」が排除の対象になっている町が多かったということです。小林さんは「定説はないけど、有力な説としては「飢饉の時の打ち壊しの対象になる」というのがあります」と紹介されていました。それ以外に、火を扱う仕事*5や不特定多数が集まりやすい仕事*6、風紀を乱しやすい仕事*7が排除の対象になっています。でも、実は、米屋さんにしても他のものにしても、生活に必要だったりするわけです。そのあたりのアンビバレントな感じがなんとも言えません。実際には、京都の「町」というのは、ものすごく面積が小さい*8ので、そうしたものもほぼ確実に近所にあったんだろうとのことでした。
そうそう、「浪人」とか「役人」みたいなものも町式目の中にあげられているのですが、江戸時代初期にはまだまだきな臭い感じがあって「住んでほしくない」みたいな感じだったんでしょうけど、江戸時代後期あたりまで来ると、「「武士(公家)やし、ちょっと町の仕事ごめんさせて」みたいな感じやと困るから」みたいな理由もあったんじゃないかと小林さんは言っておられました。
いずれにしろ、町式目を読んでいくと、これまで土地・職業にしばられていると考えられてきた近世の姿とは全然違う、さまざまな人が町の中で生きていたという姿が、垣間見られるかなぁと思いました。

ところで、質疑応答の中で、「ゑたの人たちの住んでいた町の職業規制は?」みたいな話が出てきて、それに対して小林さんは多くを語られませんでした。で、終わった後、「制度として被差別の立場に置かれているゑたの人たちのことをきちんと言わないといけない」「そこには血筋の問題がある」みたいな会話がありました。
ま、それはわかるんですが…。なんだかなぁ…。おそらく、どちらの側に光を当てながら読み解こうかというスタンスの違いじゃないのかなぁと思いました。
小林さんは、街の中に住む「一般の人たち」の意識の中に差別の問題を見つけようとしている。それに対して、人によっては「んなことはわかっている。そういう状況の中でゑたの人たちはどういうまちづくりをし、どうやって生きてきたのかということが大切なんだ」と考える人もいる。
で、わたしはどちらの見方をしたいかというと、実は、小林さんのような見方をしたいなぁと思っているんですよね。てか、実は、わたし小林さんのファンなんですよね、こっそり(笑)。小林さんの話って、すごく明快でわかりやすいんだけど、けっして「剰余」みたいな部分を切り捨てていないんです。その「剰余」の中に大切なものがあるということを意識しながら、とりあえず語っていく。なので、もっと深く話を聞きたいなぁと、毎回思わされるんです。
そうそう、立ち話の最後に、あまりにも「非人」にこだわるわたしに向かって「君も、自由な生き方がしたいんやろ(笑)」とそのものズバリのことを言われた方がおられて、思わず「そうなんです。もう教員なんてこりごり。非人になりたい(笑)」と答えたあたりが、今回のオチだったかなぁという気がします。

*1:次の連続講座は11月にありますけど

*2:といっても、「発掘できている」という意味です。

*3:染め物屋

*4:視覚障碍者

*5:鍛冶屋、風呂屋など

*6:風呂屋、飲食店など

*7:風呂屋置屋など

*8:道の両側に並んでいて、隣の道になると別の町ぐらいとのことです。

一本の電話

ある日本国外のマスコミ関係者から、いきなり電話がありました。
「部落問題について特集を組もうと思うのですが、話を教えてくれませんか?」
「へ?」
それはわたしでは無理というものでしょう(笑)。
たぶん、この日の昼ご飯(笑)の時の会話とかじゃないかなぁ…。
とりあえず、無理なので、他の人に振りました。すんません。