交流会は終わりましたが、一部の子どもたちは「後泊」をします。さらに、卒業生たちも交流をしたいとのこと。わたしとしてもクールダウンをしたいし…。てことで、東九条で雑魚寝合宿を企画していました。
生徒を引率している人たちはファミレスへ。卒業生たちは交流会で残った食材をつかって自炊。それ以外の教員は近くの焼肉屋でようやくまともな食事にありつきました。そういえば、わたしは昼ご飯食べてなかったよ。
気のあった人たちと一緒に大きな仕事を終えて呑むビールのおいしかったこと。単にビールがおいしいだけじゃなくて、いくつもの共通の話を話題があるので、話の中身もおいしいんですよね。身体は確かにクタクタに疲れていたけど、ほんとうにいいひとときを味わうことができました。
東九条の「いつもの場所」に帰ってもうひと呑み。話しているうちにだんだんと記憶が遠のきはじめたので、ここでようやくふとんにもぐっておやすみなさい…。
カテゴリー: 趣味
パネデとアピール・全外教大会1日目
続いて京都に移動。京都市内では、全国在日外国人教育研究集会が行われています。交流会はそこに合流して2日間の交流会の成果を発表します。また、その時間に先がけて、京都のとりくみの紹介のパネルディスカッションがありますが、なぜかわたしがそこでコーディネーターをしなくちゃならないことになっています。
ネックになったのは、甲良町から京都市内への移動です。はたしてパネルディスカッションの時間に間にあうかどうか。もしも交通事情などの関係で間にあわなければ、えらいことになってしまいます。まさに綱渡りです。
幸い特に渋滞もなく、少しトラブルはあったものの、無事料金所で子どもたちが乗っていたバスを追い越して*1全体会の会場に到着。子どもたちより後に出発して子どもたちを出迎えるという技をおこなうことができました。
到着して30分ほどしたところでパネルディスカッション。
問題は、わたしの頭の中は交流会のことでいっぱいだったために、パネルディスカッションの構想をまったく練れていなかったということです。いちおう打ち合わせは事前にしていたのですが、その時の内容も覚えていません。しょーがないので、生徒たちに「質問項目、なにやった?」と聞いて、その場でメモ。まぁなんとかなるか…。なにせ、パネラーは京都・在日外国人生徒交流会の卒業生たちですから、気心がしれているしそれなりに場慣れもしています。実際、いざパネデがはじまると、子どもたちの中から言葉があふれ出してきます。
パネデの中でおもしろかったのは、ジャマイカ出身の卒業生の話。「わたしは、ハーフじゃなくて混血なんです」。ジャマイカって、ほんとうに多民族な国で、その卒業生のルーツをたどるとあまりにもたくさんのルーツがあるとのことです。なので、「ルーツをたどることに意味がない」。振り返って自分の「発想」を捉え返してみると、かつては「(在日)朝鮮人=ある種の純血」にこだわり、その後せいぜいが「ダブル=ふたつ」あたりでとまっています。でも、その卒業生は「ふたつのルーツ」を軽々と越えたところにいるわけです。会場からは「マルチや!」というツッコミが入っていたみたいですが、聞こえませんでした。すんません(笑)。
パネデの最後で「まとめようかな」と思ったら、最後のパネラーにまとめられてしまったので、話のネタがありません。しゃーないので「しつこくしつこく誘い続けること。細々と出いいから交流会をし続けること。とにかく続けることが大切だと思いました」とわたしなりのまとめをした後「突然ですが終わります」とパネデの終了宣言。
で、いよいよ本日の公式プログラムの最後、交流会からのアピールです。会場の後ろから入ってくる100人を超える子どもたちの長い長い列を見ると、「よぅ集まったなぁ」とつくづく思いました。ステージの上に立つ子どもたちの多いこと多いこと。1993年に京都であった全国交流会を担当したのが、わたしと「全国」の出会いでした。そこから14年たって、ここまでたくさんの子どもたちが集まるようになったんだなぁと、ちょっと感慨深かったです。2日間の討論や活動の紹介を行って、会場カンパをつのって、アピール終了。控え室にもどって生徒実行委員長から終了宣言があって、ようやく今年の全国在日外国人生徒交流会が終了しました。
あとは、京都スタッフで最後の後かたづけをして、公式プログラムは終了です。
*1:ETCのおかげです♪
お前らなんぼ元気やねん・全国在日外国人生徒交流会2日目
まわりが騒がしいので目が覚めたのが6時。起床は7時です。こちらはまだまだ眠たいのでなんとか寝ようと思うのですが、子どもたちはすでにパワー全開です。どうやら生徒によっては「夜がダメなら朝遊ぶ」と考えていたみたいで、朝の5時頃から体育館でバスケットをして遊んでいたらしいです。何考えてんねんorz。
その影響か、6時の時点で教員も引きずられるように起きはじめたみたいです。わたしも6時半頃にはなんとか身体が動くようになったので、なんとか起床。まわりを見ると、みなさん、一生懸命顔をつくっておられました(笑)。で、当然わたしは顔もつくらずに出撃*1。
各自ふとんを撤収して7時半から朝ご飯。朝ご飯の時間の最後に「しっかり話あってね」というインフォメーションとともに、この間いただいたカンパの紹介もしました。みんな驚くとともに、そういう人たちに支えられて「この場」があることにあらためて思いを馳せたみたいでした。
そして、8時から11時半まで(!)ふたたび班別の話しあいです。
渡日して間もない生徒にとって、日本語の話しあいはきわめて困難です。しかし、この交流会では共通の言語はどうしても日本語になってしまいます。そのために、時として通訳が必要になります。一方、通訳が必要かどうかの判断は、簡単にわかりそうで実は簡単なものではありません。というのは、日常の場面では流暢な日本語を操っているように見えるけど、実は「思考言語」としての日本語が定着しておらず、深い話しあいになると実はまったく話しあいに参加できない生徒もいるんです。こういう生徒はくせ者で、たいていの場合、学校では「わかったフリ」をしているのです。なぜなら「わからない」ことがバレると、本人にとっては「めんどくさい」ことが起こるからです。なので「わかる?」と聞くと「うん」と答えて、「流す」スキルを身につけていきます。
そんな生徒たちも、さすがに昨日の班別の話しあいの時間を経過すると隠し切れません。というか、この交流会では隠す必要はありません。なので、できるだけ通訳をつけてきちんと話しあいができるようにします。ところが、通訳のできる教員なんてそんなにいるわけがありません。そこを卒業生の力を借りたりしながら、なんとか対応をしていきます。
実は、昨日の夜、実行委員の生徒たちや引率の反省会の中で通訳の必要の有無について確認をしていて、それにもとづいてできるかぎりのサポートの体制をとりました。
一方、わたし(たち)は早くも撤収の準備の開始です。備品の回収やあまった食材の整理などいろいろやらなきゃならないことがあります。でも、さすがにこのあたりになると身体がくたくたです。机の上に顔を伏せるとそのまま寝てしまいます。少し休憩してまた作業という時間が続きます。
やがて、11時半に班別討論終了。残すは1時間の全体会のみです。各班ごとに話しあった内容を紹介しあい、最後に甲良町の青年からあいさつをうけて、甲良町での交流会は、だいたい(笑)無事終了しました。
*1:あぁ、除外診断(笑)
いよいよはじまった…・全国在日外国人生徒交流会1日目
8月、場所探しをはじめました。
10月、はじめに考えていた場所がポシャりました。
11月、途方に暮れました。
11月の終わり、光が見えはじめました。
12月、できるかもしれないという気がしはじめました。
2月、現地の宴会(笑)に参加して、ほんとうにできるんだということがわかりました。
5月、事前合宿の打ち合わせがはじまりました。
6月、事前合宿ができました。
7月、なにをしたらいいのかわからなくなりました(笑)。
8月、ようやく動きはじめました。
今週、ようやく事務作業ができるところまで来ました。
そして、今日から2日間、1年間準備を*1してきた全国在日外国人生徒交流会が、甲良町ではじまります。
9時半、京都のスタッフが京都市内某所に集合。全員がそろうのは今日がはじめてです。わたしの車に乗り込んで、現地に向かいます。途中、買い出しをしながらこっそり「燃料」をゲット。とにかくどこかのタイミングで燃料補充をしないと持ちませんから(笑)。
12時、甲良町に到着。お昼ご飯を食べながら最後の打ちあわせ。そして、準備の開始です。今まで細かい話をシミュレーションする機会がほとんどありませんから、ぶっつけ本番に近い感じです。
1時過ぎ、集合場所のJR河瀬駅に向かいました。「ほんとうにはじまるんだ」という気持ちが起こってきました。やがて、改札口の向こうから、次々に生徒たちが姿をあらわしはじめました。「久しぶり〜!」「よろしく〜!」いろんな声をかけあいながら出席チェック。それにしても、あたりは「外国人」だらけ。たぶんそこにいた人はびっくりしたやろうなぁ…。なにせ、今回の交流会、生徒だけでその数129人。ルーツは単純にカウントして11ヶ国。そこに引率を含めると、200人弱の大所帯ですから。
2時半ごろ。ほぼすべての生徒が会場の甲良東小学校に集合。実行委員の生徒たちと最後のミーティングをやります。「とにかく班行動を中心に据えることをしたからね。君たちにすべてがかかっている」とハッパをかけました。
で、全体会。司会の生徒が少々照れながらも声を出します。すると、集まってきた生徒たち、ひとことひとことに拍手喝采。いい滑り出しです。実行委員長もしっかりと話をしてくれました。つきあいはじめて3年だけど、ずいぶんしっかりしたなぁ…。
そして班別活動開始。部屋の看板をつくったり、名札をつくったり。料理づくりを含めて3時間以上の長い長いアイスブレーキングです。実行委員の生徒たちにはあまり詳しいことを話す時間がなかったのですが、それでもわたしの意図をくみとってうまく活動してくれています。そして最大の山場、料理づくりの開始。
小学校の調理実習室に130人を越す生徒・引率がはいって調理をするのですから、もう、祭り状態です。料理担当の教員は「もう、カオスです」と音をあげていました。
調理って、すごい作業なんですね。はじめは形があるものなんですが、切り刻むことで一度形がなくなります。調理台の上は混沌としていきます。でも、それらが混じり合い調理が進むにつれて、再び新しい形を取りはじめます。そして、ひとつの形をつくりだした時、ひとつの食べ物ができます。その過程は、子どもたちの「集まり」ができていく姿とすごく似ています。調理が終わった時、なんとなく班ごとの「形」ができていった気がしました。
食事の後はルーツ別の話しあい。当初、この時間はあまりきちんと位置づけられていなかったのですが、実際に話しあいがはじまると、けっこう深く話をしている感じが、教室の外からもうかがわれました。
そうそう、今回のわたしの役割は「総括」。ですから、子どもたちのここの話しあいにはほぼノータッチです。とにかくひたすら歩くこと。子どもたちの姿を教室の外から「見守る」こと。交流会がはじまった時点で、それ以外にできることはなにもありません。
一方、この時間はお風呂の時間でもあります。宿泊した小学校から少し離れたところにお風呂があるのですが、ここに1時間以内に3交代でほぼ全員を入れる必要があります。なにしろ、これができないと、班別の話しあいの時間を確保できません。バスはお風呂屋さんまでひたすらピストンをしてくれます。それにしたがって、分刻みで入浴をしていきます。こちら(小学校)と向こう(お風呂)にスタッフがはりついて、心を鬼にしながらとにかくタイムスケジュールを守ってくれました。最後のグループがお風呂から帰ってきた時間を見ると、みごとにオンタイムです。すごい…。
時計は21時45分。ここからが、いよいよ本番です。班ごとにじっくりと自分たちの話を出しあいます。教室の外から見える子どもたちの姿は、ほんとうに真剣さが伝わってきます。一人一人の声に全員が耳を傾けている姿が見て取れます。たぶん、そこで話されるひとつひとつの言葉に自分の経験を重ねているんだろうなぁ。
11時に本日の話しあい・プログラムは終了です。
で、これで終わるはずがないのも、これまた交流会です。なにせ、全国から集まってくる機会は1年に一回しかありません。ここでしか自分と同じルーツを持つ「仲間」と出会えない子どももいます。1秒でも長く語りあいたい気持ちはすごくよくわかります。でも、企画する側としては、子どもたちの健康のことや明日の話しあいのことを考えると、なんとかして寝させる必要があります。ですから、ここからは「闘い」です。
午前0時30分。いっこうに寝ようとしない子どもたちの状況を見て「全員ミーティング」の実施が決まりました。子どもたちを一堂に集めて、生徒実行委員長から、引率の教員から交流会への思いが語られます。わたしもひとこと「もしも君たちがこの交流会に来てよかったと思うなら、君たちの後輩に同じ経験を保障するために、いま何をしなければならないかを考えてほしい」と語りかけました。全員ミーティングの後は都道府県別のミーティング。地域によっては卒業生が一生懸命生徒たちに語っています。「毎年続ける」ということは、横のつながりだけじゃなくて、縦のつながりもできていくんだなぁということを、そんな姿を見て感じました。だから「続ける」ことが大切なんでしょうね。
そんな甲斐もあって、ようやく全員がとりあえずふとんの上に身体を置くところまでは行きました。といっても、寝るかどうかは別ですけどね(笑)。
結局、引率教員が寝ることができたのは、早い人で3時。遅い人では4時過ぎだったみたいです。
あ、わたしは「あしたがあるから寝て」とみなさんに言ってもらって3時就寝組でした。
*1:ダラダラと
校長さんになったんだぁ…。
今日は人権教育の夏季研修会。講師は、糀秀章さん。
ずっと府教委におられるんだと思っていたんですが、校長さんになられたんですね。
「さて、講演がはじまる」と思い、いつもの通りイスの上に立ってビデオカメラをまわそうと思った瞬間、一番後ろにいたわたしと糀さんの目があいました。その瞬間、お互いに軽く会釈をしてしまったんですが…。糀さん、わたしのこと覚えていたんだなぁ…。
行政職から現場にもどると、やっぱり話の内容に具体性が増しますね。いままでも、全体を見渡した話だけというわけじゃなかったけど、今回の話は、わたしたちがいつも感じている空気を共有しているという感じだったかな。とても身近な感じで聞くことができました。
そうそう、こんなサイトを紹介して下さいました。
教職員人権研修ハンドブックです。
けっこう使えるかも…。
にゃんにゃん分析
両性研・2日目
池上さんのファンであるわたしとしては(笑)、当然池上さんの助言を聞くべくその分科会に出なくちゃなりません。が、今回は、別の分科会に参加することにしました。
報告者は日野玲子さん。
う〜ん。これって、分科会というより、特別分科会(内容はたいてい講演)ですね。でも、さすがにおもしろかったです。さまざまな手段を使うことで、「身体化されたジェンダー」を顕在化させることができるという提起。そこから、自らの意識を問うていくことが必要なんですね。
あと、「既製の言葉を簡単に用いないこと」。「言葉」って、生み出された時はすごく勢いがあるんだろうけど、それが慣用的になってしまうと形骸化していく。だから、常に意識的に「わたしにとって」と問い続けることが大切なんだということなんです。
今回は、もっぱら「意識」に集中して話しておられたのですが、もちろん「制度」を抜きにして語ることができません。「意識」と「制度」っていうの、問題の認識として、ともすればどちらか一方にかたよりがちなんですが、やはり車の両輪なんですね。「意識」を語る時には「制度」を意識すること。「制度」を語る時には「意識」を意識することが大切なんだろうな。
午前いっぱいの分科会を終わって、2日間の両性研が終了。次は、冬の教研集会ですね。
あとは、山口の友だちとか佐賀の友だちと一緒にそばを食べてビールを飲んで、東京駅へ。新幹線に乗ると、たまたま分科会で近くに座っておられた方がそこにおられたので、隣同士の席に座って、きのう〜今日の感想を話しながら帰りました。途中、ふたりとも寝ちゃったですけどね(笑)。
家に帰ると、まだ6時。東京って、近いなぁ…。
両性研・1日目
今年みたいにバタバタする年に、なぜわざわざ行かなくちゃならないのかとは思うのですが、去年は参加できなかったので*1、やっぱり両性研に行くことにしました。
6時半に家を出たら10時開会に間にあうのですが、昨日が昨日だったのでそんな時間に起きられるわけがないです。ようやく8時過ぎに家をスタートして東京へ。目指すは一ツ橋です。
会場に到着したら、すでに11時半。まぁ、昼ご飯タイム待ちという感じです。
まもなく昼ご飯。山口から参加しているお友だちを見つけて、一緒に近くの定食屋さん*2で燃料補給です。
午後からは、ちょっとまじめに参加。なんせ、午後一番は池上千寿子さんの第20回日本エイズ学会報告です。
で、報告内容は、まずはHIVの「とらえ方」の変遷からはじまって、日本の施策の対応の歴史・世界のとりくみの歴史あたりから、現在の状況の概説が語られました。なかでも「PWH(HA)」という言葉の概念の説明はよくわかったし、ストンと落ちました。
「PWH」というのは「Peolpe Living With HIV」の略です。
HIVに感染した瞬間、「名前を奪われ、「患者」として扱われる」ことへのカウンターとして、「PWH」という言葉をつくりだしていった。そして、PWHという概念は、誰もが「People Living With ◯◯」であるということを提起してきた。
てことかな*3。なるほど!そうなんだよなぁ。だれしも、なんらかのことと一緒に(なんらかのことをかかえて)生きているんですよね。自分の特殊性を主張するのではなく、それぞれの人が持つ「◯◯」を重ねあわせていくことから「共感」みたいなことがあるんじゃないかなぁ。
で、報告の〆が、なぜか「上杉鷹山の三助*4」だったという(笑)。
その後、シンポジウム。こちらのほうは…。
まぁ、「男性の育児休暇」が大切なのはわかるんだけど、そこにちょっとこだわりすぎていたんじゃないかなぁという気が…。すごく光っていたのが「南房総文化財・戦跡 保存活用フォーラム」の池田恵美子さん。自分の活動を報告された時に「かにた婦人の村」のある方の生き方から「働くことが生きることにつながる」みたいな言葉ありました。そこまでは「働くことから解放されること」みたいな話ばかりで「なんだかなぁ」と思っていたのですが、まったく逆の言葉が出てきたんですよね。
もちろん、それぞれのおかれている状況の中から出てくる言葉ではあるのですが、やはり苛酷な状況を生きてこられた方の言葉の中に、すごい迫力を感じてしまいました。
う〜ん、一回館山市に行きたくなってしまいました。
てな感じで、1日目終了。
山口から参加された方の珍道中にちょっとつきあって新宿へ。
打ちあわせ
午前は日直。仕事の主たる内容は…。とりあえず「存在していること」です。なので、存在していました(笑)。
もちろん、せっかく存在しているわけですから、たまりたまった仕事とか、これからたまるであろう仕事とかをこなし続けていたのは当然です。
で、夕方から打ち合わせのために滋賀県へ。
滋賀県の某駅で待ちあわせをしていたのですが、先方さんから電話。「ちょっと仕事の都合があって行けへんし、迎えに車をよこしたからそれで来て」「はぁ」「黒塗りの車やし」「はぁ?」。
駅を降りたら、確かに黒塗りの車がいました(笑)。わたしのスタイルは、ジーンズとサンダル*1。まいった…。思わず助手席に乗らせていただきました。
その後、2ヶ所ばっかでサクサクッと打ち合わせをすませて、晩ご飯を食べに行きました。
話の内容は、集まってきている人の多様さと同質さが混在する状況にふさわしく、メチャクチャです。ムラの人間が5万円もする本を買わされた話とか(笑)、青い話とか赤い話とか、もう、堪能させていただきました。
てことで、晩ご飯の場所から、今度は本来は黒塗りの車の後部座席に座る人の運転で駅まで送ってもらって無事帰還。
わけわかりませんわ…。
でも、この夏最大のイベントの成功は確信できました。関係者のみなさんよろしくお願いいたします。また、すべてが終わってから打ち上げしましょう!
その時は、参加者募集だな(笑)。
*1:裸足
人権教育の研修
今日は、府立高校のブロックごとの研修会。午前は講演です。
講師の方の名前を見て、「ぜったいクリスチャン系だよなぁ」と思っていました。なんせ、名前が「みぎわ」です。で、当日配付資料のプロフィールを見て「牧師の家庭に生まれる」とありました。なるほど、ぴったしかんかん*1でした。
で、話の内容。
人権教育の文脈で、よく「アサーティブネス」ということがいわれます。で、それを学習するために、これまた人権教育がらみの人から話を聞くのですが、今回の「みぎわさん」は、臨床心理士でもあり、スクールカウンセラーもされているという立場から話をしてもらいました。きわめて実践的な話もありーの、その根っことしてのリラクゼーションみたいな話もありーのと、なかなか基本的かつ深い話を聞かせていただきました。
ところで、休憩時間にちょっと話をしにいったら、実は古〜い知りあいであることが判明。まぁ、親が牧師とかキリスト教がらみの人間ってそういうことが大いにありうるんですけど、それにしても、思わず「はいはいはい」みたいな。まぁ、お互いに名字とか性別(笑)が変わっていたらわからんわなぁ。互いに素性を紹介しあって、「あぁ!」。
どうやら大学時代に一緒にデモをしていた仲間だったみたいです(笑)。
う〜ん、互いにそれぞれに仕事をしているわけですが、根っこのところはぜんぜん変わっていないんだろうなぁということを、こうやって20年以上たって、こういうところで出会い直したことに、深く感じるところがありました。
*1:死語