絵を描いたのは誰?

今日は校外で研修会。午前はウトロに関する話とフィールドワークです。
話をしてくれたのは、いつもとは違って若い人。この方、なかなかの切れ者です。
一貫して言っておられたのは、「ウトロ問題の本質は「地上げ」という「事件」ではない」ということでした。
ともすれば、
日産車体が勝手にHに売った→Hは西日本殖産に転売→地上げ裁判
というふうにとらえられがちです。あるいは、せいぜいが「戦後補償」の問題としてとりあげられるでしょうか。ところが、今回話をしてくれた方は、その背景に「宇治市京都府」もからめて話をしてくれました。
こういうことです。
「バブルがはじけて資金繰りがしんどくなった日産車体
「金儲けをしたいHたち」
そして、「朝鮮人を追い出したい宇治市京都府
この三者がそれぞれの思惑を実現しようとしたところに、ウトロ地上げ裁判の本質があるということなんです。なぜこんな話が出てくるかというと、土地を売るにあたって京都府が許可を出した、と。その許可申請書には、ウトロの土地は「休用地」と書かれていたそうな。京都府は、ウトロに住民がいることを知っていて、ウトロの土地を「空き地扱い」として売却することを許可した。これ、とんでもないことですね。
まぁ、他にもいろいろ話をされましたが、かなりインパクトがありました。
つまり、ウトロ土地問題は、戦後補償という「過去から連なる問題」ではなく、「いま・ここ」の問題としてとらえないといけないということだと、わたしは思いました。

話のあとはフィールドワークです。途中、知りあいと会って「チューハイ持ってへん?」「そんなんあるかいな!」みたいな冗談を話しあったり*1、「今度宴会しよう」みたいな話をしたり。やっぱ、わたしはウトロが好きだなぁ…。

*1:ほんとうに冗談ですってば!

在日外国人生徒交流会

コンクールと並行して京都の在日外国人生徒交流会が行われていました。わたしも昼休み時にちょいと顔を出してきました。
今回はちょっと人数が少なかったものの、卒業生がパートナー・子連れで来てくれたり、高校生が兄弟を連れてきてくれたり、中学生の参加があった、現在ご懐妊中の方も夫婦連れで来てくれたりと、すごくアットホームな感じで過ごすことができました。
にしても、「はしご」はしんどいよ。

合宿の続き

昨日寝たのは午前3時過ぎ。今日起きたのは午前6時。
昨日の夜仕掛けておいたご飯をたきます。問題はおかずです。なにせ、昨日レシピを考えた時、今日の朝食までは気がまわっていなかった…。というか、気はまわっていたけど、「まぁええわ」で終わっていたんです。でも、いざ午前1時ごろになると、食材が何もない…。とりあえず、昨日の夜のうちに乾燥ワカメだけは買っておいてもらったので、残っていた玉ねぎと一緒にワカメスープでもつくりましょう。ご飯が炊けたところで、早めに起きた子らと一緒におにぎりづくり。
朝ご飯を食べたら、子どもたちは話しあい。わたしはというと、台所の片づけ。この交流会に限らず、この手の世話人グループ、率先して洗ってくれたり掃除機をかけてくれたりする人がいるので、すごく助かります。まぁ、そういう人しか世話人にならないという話もありますが。
で、子どもたちの話しあいに入ったのは、午前10時ぐらい。でも、この夏の交流会の概要の確認だったので、それはそれで大切かな。
なんだかんだで合宿終了は12時。みんな記念写真とかとっているのはいつもの光景。ほんとうに1泊2日でこれほどまでに関係が深まっていくんだなぁ…。

で、合宿

午前の会議が終わったら速攻お家へ。支度を整えて、京都駅へ。ちょっと早めに行って、ユニクロでお買い物。「ボーナスが出たら買おう」とパートナーには言っていたんだけど、いろんなものがダメになっていて、これ以上はもたないと判断です。
で、合宿の集合場所へ。
今日は全国から各地の在日外国人生徒交流会の実行委員が集まって合宿がある日です。いろんな経緯があって、場所は玖伊屋をやっている場所になりました。てことは、各種裏方はわたしにケテーイです(笑)。
まずは、遅れてきた人や迷子になった人の回収業務。
続いて、手配してあった貸し布団業者との折衝。
さらに、晩ご飯のメニューづくり→材料とレシピの確定→買い出し→下準備。
今回は、交流会らしく「ホーシュールー*1」「チキンアドボ*2」「粟米湯*3」「ナムル」で攻めることにしました。また玖伊屋でつくろう。
そこからあとは、延々と話しあい。それぞれが自分の話をはじめるのですが、10人ぐらいいるのに、ひとりあたり1時間とか話をしています。いつまで続くねん(笑)。途中から時間調整をしたはものの、終了したのが午前2時半頃。それからちょこっとお酒を飲んだら爆睡ですよ。

*1:モンゴル餃子

*2:フィリピンの鳥料理

*3:中国のコーンスープ

で、会議

今日の午前は、某在日外国人教育関係の会議です。夏の大会が近づいているので、やらなきゃならないことが山のようにあります。それでも、今年はモロに主催じゃないので楽です。去年はとんでもなかったもんなぁ…。

ケータイ警報発令中!

今日は教職員研修。
で、主催が生徒指導部と人権教育部という、まわりから見たら水と油みたいな両者です。でも、実は水と油じゃなくて、コインの裏表なんですね。わたしの尊敬する先輩教員は「やさしさの中に厳しさを」「厳しさの中にやさしさを」と言われます。まぁ、言ってみれば、前者が人権教育部のスタイルで、後者が生徒指導部のスタイルということになるでしょうか。「生徒」を軸においた時にスタイルの違いはあるものの、スタンスの違いはおそらくはないんです。
で、今回のテーマは「ケータイ」。
細かいことはおいておきますが、なるほどなぁと心の底から思いました。おもしろかった。
講師の方のスタンスは、まさに「やさしさと厳しさの同居」なんですね。そういうスタンスで生徒とつきあうことで、携帯サイトでさまざまな誹謗中傷をされた生徒とつながっていく。そのことを通じて、学級集団・学年集団・担任集団がつながっていく。そういう居場所を生徒が獲得することで、携帯サイトでの誹謗中傷にまどわされない子ども*1へと変化していく。
「携帯サイト」って、結局は単なる「場所」でしかないわけです。それが、今の状況の中で「特殊な場所」に思えるだけ。基本はふだんわたしたちの前で起こっているさまざまなできごとへの対処とほとんど変わらないということなんですね。
でもこれってこわいですね。だって、ふだん起こっているさまざまなことに対処できていなければ、ネット関係の「技術」がいくらあってもなにもならないということにほかならないわけで…。

*1:まさにセルフエスティームの高い子ども

つ・つ・疲れた

なんか、朝からとりたい連絡はとれないし…。必要ない連絡は入ってくるし…。
まぁさ、「はじめる」ことは簡単なんだけど、「続ける」ことはとてつもなくしんどいことなんです。それはわかってはいるんだけど、覚悟もできているんだけど。でもやっぱり時として疲れるわけで…。
まぁいいや。あしたの研究授業のネタを仕込んでおきますか。

人権教育をめぐる講演

今日は、某人権教育研究団体の総会。こんなんばっかしです。もっとも、この団体は職場の団体なんで、完全な仕事ですけどね。
で、午後は記念講演。大阪大学の平沢安政さんが講師です。
この人の話、前に聞いたことがあるんですけど、その時は、あまりにも流ちょうすぎて、「なるほどなぁ」とは思いながらも、「ちょっとうますぎるなぁ」という感じもしました。でも、今回はよかった。というか、こなれていた。まぁ、こんなことを言うのは失礼にあたりますが…。でも、考えが身体化していた感じがありました。
もちろん、平沢さんは研究者ですから、具体的な実践をご自分がしておられるわけではありません。なので「ここはこうしたらいい」というような話ではない。でも、さまざまなヒントをもらえたかなぁ。
いいレジュメだったから、そのエッセンスを一部紹介。

1、「反差別」から「人権文化の構築」へ
 1)90年代以降の人権教育改革の視点
  1、人権を「自分の課題」としてとらえるような学習の促進
  2、人権教育学校をつくる
  そのためには
  →「社会の多様な資源(人、モノ、コト、運動)と連携し、協働する
 2)「世界中に豊かな人権文化を築く」
  1、「いつでも、どこでも、だれにとっても」=人権文化の普遍性
  2、「反差別」から「人権文化」へ=否定形から肯定系へ
  3、つくりだす人権文化
2、わたしの人権観
 人権は普遍的な問題→共通する4つのレベル
 1)個のレベル
  自尊感情自己実現
  (あなたは自分のことが好きですか?)
 2)他者関係のレベル
  多文化共生
  (あなたはさまざまな他者といい出会いを重ねてきましたか?)
 3)社会関係のレベル
  社会的承認・社会参加
  (あなたはこの社会に対してよいインパクトを与えていますか?)
 4)自然関係のレベル
  持続可能な開発、地球環境との共生
  (あなたは自然の恵みに感謝し、謙虚さを大切にしていますか?)
3、人権教育とは
 1)人権教育の4つの側面
  1、人権についての教育
  2、人権としての教育
  3、人権を通じた教育
  4、人権のための教育
 2)「力と資質」=知識・スキル・態度
  知識=ex.リテラシー
  スキル=コミュニケーションスキル
  態度=水平的関係・自他の尊厳を大切にする・社会へのコミット

4以下省略

一番「ふぅん」と落ちてきたのが2番だな。

某外国人教育関係のセミナー

「10時京都駅集合」とあったので、京都駅でしばし待ち。
と、友だちからメールがあって、ここしばらくのもやもやした気持ちがようやくすっきり!
なんとなく「時間と場所をまちがえたんじゃ…」と不安になった頃*1、相手が到着。
喫煙車両(;_;)に乗って、東の方向へ。
今日は、某在日外国人教育研究団体某セミナーがあります。
パネリストは、関東からは信愛塾カラカサンの人。関西からは滋賀のお友だち。
テーマは「在日外国人の子どもたちの不就学問題」です。
関東からの話は、まさに「実態」です。なんというかもう…。一言で言うならば「お腹いっぱい」。
学校の中だけしか知らない人にはわからない世界が、学校の外には繰り広げられているということがひしひしと伝わってきます。関東のパネリストのお二人は、まさに「学校からはじき飛ばされた子どもたち」と日々つきあっておられる方々です。
にしても、個人的な感想としては、「そりゃもう、学校の枠を超えているわ」という感じ。
もちろん、放置しておいていいという問題ではありません。
でも、おそらくは「学校の中」だけでいっぱいいっぱいの教員たちに「外にはこんな問題がある」と提起しても、「どこまでやらなあかんねん」という感想しか返ってこないんじゃないかということなんです。
もちろん、「学校からはじき飛ばされている子どもたち」が学校に来ることができるようにすること。そしてその学校で受容感を感じながら生きることができるような学校づくり。もちろん、学校が自らその子どもたちをはじき飛ばすなんてことはない。それはもちろん、「あたかも自分から出て行ったように見え」ても、実はそういう選択を子どもたちに強いることも含みます。
そんなものが必要だということはわかっています。
でも、そのために、まずどこからはじめるのか?それを、学校の教員が主体的にとりくむのか?そう考えた時、「そりゃ無理だわ」としか思えない。どこまで学校はその仕事を膨張させなくちゃならないんだろう。

でも、「知る」ことは大切。「関心を持ち続ける」ことは大切。そして、そういう子どもたちがいるということを意識し続けることが大切。そして、「つながれる時につながれる」わたしであることが大切。わたしにとっては、そのためのセミナーだったし、そういう意味では大きな意味を持っていました。

*1:なんの連絡もない場合、5分が目安(笑)。てか、次の電車の時間が迫っていたのが大