で、某全国集会へ・1日目

午後からは、某全国組織の研究大会。
ほんとうは午前中に全体会があったんですが、ヘタレなホテル*1と、そこに圧力をかけた皆さんのおかげで中止になりました。まぁ、はじめから「お散歩」をするつもりだったわたしとしては、どう言えばいいのか…。
さて、田町に移動して、いよいよ今年の研究大会開始。
今年はどういうわけか、レポーターになってしまったのですが、まぁあしただから、今日は気楽なものです。とりあえず、会場に入っていろんな知りあいにごあいさつ。といっても、「今晩の予定は?」がいつものあいさつなんですけどね。
今日のレポートの目玉になった(らしい)のは、育休をとった男性教職員の話。まぁそれはそれで大切なのですが、わたしの関心事は本筋とはぜんぜん別の所にありました。なので、思わず質問。

みなさんは、「父親」として育休をとられ、いまも「父親」として子どもさんと接しておられますよね?ところで、わたし、いろんなところでちょこちょこ言われるのですが、「父親」ってなんだと思われますか?

あとのみなさんの反応は「いじわるやわ〜」でした。でも、本当に知りたかったんですよね。すると、やっぱり返ってくるのが「父親が何かはわからないけど、親として接しています」というこたえ。いっしょやんか…。*2
てなことで、1日目の公式行事が終了。

*1:というより、そもそもはじめから某全国組織だと知っていたら貸していなかっただろうな。なにせ、Tつみだし

*2:一人の方が「父性」「母性」という言葉を出したところで、会場全体がビビビと反応したのはおもしろかったっす^^;;

フィールドワーク

東の方にある大都会*1には、これまでも何度か行きましたが、前々から行きたいと思っていながら行けなかった、街の北東部に今回こそ行くことにしました。
昨晩そんな話をSさんと話をしていたら、「吉原だったらわたしでしょう」とM姐さんが案内をかってでて下さいました\(^o^)/
10時に三ノ輪に集合。

  • 新吉原へ

まずは、「浄閑寺(投げ込み寺)」へ。
このあたり、前に『別冊歴史読本 歴史の中の聖地・悪所・被差別民謎と真相*2』を読んで、「吉原に行くなら行かなきゃ」とは思っていたところでしたが、なにせ忘れっぽいわたしのことですから、M姐さんから「行くわよ」と言われるまで思い出せていませんでした。
トコトコと歩いて行かれる姐さんの後ろをついていくと、お寺の裏側へ。と、そこに慰霊塔があります。姐さんは深々とお参りをされています*3。今はまわりの木々の葉っぱが落ちている季節ですが、夏に来ると、なんともうっそうとした中にあるそうな。「ほら」と言われて横の穴をのぞくと、いっぱいの骨壺があります。「ぎっしりでしょう?」と言われ、なるほどと納得。ただ、姐さんのおっしゃるには、「吉原の遊女は平均寿命が22歳と言われるけど、あれはウソ。亡くなった人たちの平均寿命は22歳でも*4、そうじゃない人たちの統計はない。そもそも、「商品」なんだから、そんな粗末な扱いをするわけがない」とのこと。たしかに、合点がいきます。歴史って読み方なんだよなぁ…。
で、浄閑寺をおまいりしたあと、土手通りを通って吉原に向かいます。
まずは、見返り柳。そこを折れて大門へ。このあたり、見事に昔の道が残っているらしく、土手通りからは大門は見えません。そうそう、遊郭の入り口には必ず派出所があるとのこと。吉原交番も、昔からあったということです。
ここで大通りを行くかと思いきや、横道へ。吉原のソープランド許可地と昔の吉原は、ほんの1ブロックだけずれているとのことです。なので、その1ブロックにだけ、昔の吉原の建物がかろうじて残っているとのこと*5。見てみると、たしかにおしゃれな外観です。特に、建物の角が丸くなっていて、その角に窓があります。「この窓からおねえさんが「おいでおいで」をするのよね」と姐さんがおいでおいでのまねをされます(笑)。
そこからずぅっと仲ノ町通を通って奥の方へ。江戸町から京町へと抜けていきます。途中にある「吉原神社」で吉原の変遷が書いてある紙を見せてもらいながら、吉原の歴史と地理を確認。
その後、「吉原弁財天」へ。ここは、もともとは小さな池があったのですが、関東大震災の時に逃げ遅れた娼姑達がここに避難しようとして、490人の方々が溺死されたとのこと。ただ、ここでも姐さんが一言。「でもね、吉原からは出られなかったというのはウソ。大門だって出ようと思えば出られた」とのこと。
この吉原弁財天のあたりは、もう吉原の外です。ここから浅草へと「裏道」が続いています。
わたしたちは、ここからもどって、吉原公園へ。ここはもともと「大文字楼」の跡地だそうです。そうとう広い公園ですが、「これがひとつの「お店」の広さよ」と教えてもらい、かなりびっくりです。
ここから「お歯黒どぶ」跡の道へと降ります。だいたい段差が1.5mくらい。かなりの高さです。てことは、これが周囲との高低差なわけです。もともとはまわりは田圃ばかり。そこに盛り土をしてできた街ということです。さらに言うならば、もともとはまわりにはなにもなかったわけで、この街の中に「街」としてのすべての機能があったということです。すごかったんだろうなぁ…。

  • 山谷へ

続いて、山谷へ。
ちょっと道がわからないので、Sさんが吉原交番で聞いてくれました。ていねいに教えてくれたとか。
「日の出会商店街」をずぅっと行って、吉野通りへ。吉野通りの手前あたりから、なるほど、今風のドヤ街になってきます。つまり、2000円〜2200円位のホテル&「冷暖房完備・全室カラーテレビ」の文字&コインランドリーがポツポツという感じですか。そこを左に折れてしばらく歩きます。有名な喫茶店「バッハ」の前を通り、「いろは会商店街」を曲がります。前には日本基督教団日本堤伝道所があります。救援物資らしきものをおろしておられました。友達、あの中にいたかもなぁとか思いながら、しばらくそのあたりをブラブラ。「城北労働・福祉センター」を見つけたので、前の掲示を見てみると、「こりゃ公共の仕事がないわ」。前にはってある各種ビラをしばし読んで、再び吉野通りへ。
吉野通り沿いに、どう考えても2階建てなのに窓が縦に4つ並んでいる建物があります。あれはたぶん、いわゆる「蚕棚」なのかな?てなことを考えながら、南千住駅の方に向かいます。
それにしても、ずいぶんと静かな街です。まぁ、「寒いから」というのと「土曜日だから」というもあるのかもしれませんが、なんか、地域的にものすごく広いのもあるのかなぁ。釜が崎だと、すごく狭い地域に密集しているので、もっと密度が濃い感じがするのですが…。あるいは、すごい高齢化しているのも原因だろうか…。はたまた、仕事がないので山谷ですら生活ができない?

  • 小塚原刑場跡へ

山谷から泪橋交差点を越えて、常磐線の歩道橋を渡るとすぐに、「小塚原刑場跡」があります。ここは、回向院別院からさらにわかれて「延命寺」になっています。中には「首切り地蔵」があります。ここに有名な「腑分け」にかかわる掲示物があったのですが、杉田玄白なんかの名前は載っていても「えたの虎松のおじいさん」の名前は載っていないんですよね。ふぅむ…。

  • 回向院へ

ここからガードの下をくぐり抜けると、回向院へ。ここには解体新書のレリーフがあります。その説明文には「虎松のおじいさん」の名前はありませんでしたが、「腑分けに立ちあった」とあります。てことで、「杉田玄白達がやったのではなくて、いつもやられている「腑分け」という行事に立ちあった」というニュアンスは伝わるかな。
奥には、吉田松陰とかいろんな人たちのお墓がありました。でも、わたし、日本史に詳しくなくて、ぜんぜんわかんない(;_;)。
あ、「吉展地蔵」はわかりましたよ。「吉展ちゃん事件」が石川一雄さんへのえん罪の遠因になったというのを知ってたので。って、知識が偏っているなぁ…。

てことで、午前のフィールドワーク、終了。

*1:街の真ん中に大きな森があったりする

*2:だったと思う

*3:わたしは…。軽く、かな。形式的にはどうも宗教が邪魔するんですよ。でも、心の中ではおまいりをしています。

*4:でしたっけ…。

*5:それもどんどんなくなっていますが…

自主活動学級

「自主活動学級にも来い」と書いてあったので、近くの公民館でやっている集まりに参加。
まもなく高校入試がはじまるのでみんな一生懸命勉強をしていましたが、ここでは勉強だけではなく、人権についても学んでいこうというとりくみがされています。なので、後半は高座の続き。「質問は?」と聞くと「ない」とは言っているものの、いろんな話を出していくと、目を輝かせて聞いてくれているのが印象的でした。
なんでも、この自主活動学級、来年度からはほんとうに「自主的」にやらなきゃならなくなるらしいです。法律が切れて予算がなくなると、必要であるかどうかとは関係なく切られていくんだなぁということを、あらためて感じさせられます。もちろん、ここを担っている人たちは、予算とは関係なく続けるでしょう。でも、それってどうよという気がします。
6時頃に集まりが終了。その後、近くのムラを車でサクッと案内してもらいました。
なんというか…。
「返上地域」という言葉があるのですが、こうした地域、ほんとうに事業が入っていないです。細〜い道があちこちにあります。ほんとうに「昔ながらの」という感じ。あるいは、堤防のわきにポツンとあるムラもあります。かつては、線路の向こうに行くためには人一人がやっと通れる位のトンネルをくぐって行っていたそうな。いまもそのムラに入る道は、表側からは一本しかないみたいです。これまたう〜んです。

ふたたび雪と氷の世界へ

今日・明日と、某会議があるのですが、そちらのほうをゴメンして、雪と氷の世界に行くことにしました。
なんせ、先シーズンは鎖骨のケガで、ほぼ1シーズン棒に振ってしまい、滑走日数3日という過去最低記録をマークしたわけで、今シーズンは去年の分までとはいかないまでも、もう少し滑りたいな、と。
てことで、2時半起床。3時スタート。ひた走りに走って、雪と氷の世界に到着です。
到着すると、仕事が待っていました。
今日は上級班3人を担当です。
初級班とか中級班は、練習項目を積み重ねていくと、新しい技術を身につけながら、めきめき上達していきます。だから、生徒さんたちも「できた!」という達成感があります。でも、上級班はそうはいきません。今日の生徒さん、それぞれうまいのですが、それぞれ微妙なクセがあります。これをどう矯正していくか。矯正のための練習項目をいろいろ試す中で、それぞれの生徒さんが「あ!」という瞬間を、2日間のレッスンの中でたった一回でも感じてくれたら、おそらくそれでOKなんです。そのためには、ひとつの課題に対して、さまざまなアプローチの練習項目を考えます。
で、練習項目を考えるのはリフトの上。ところが、最近はシングルリフトなんてありません。となると、生徒さんと一緒にリフトに乗っています。当然おしゃべりもします。となると、いろんなことをしゃべりながら、一方で練習項目を考えるということが必要になります。
でもまぁ、こういうの、数学の授業と一緒なんですよね。スキーを教えることでそういうスキルを身につけてきたし、それをふだんの授業で仕事としてやっているからスキーの時も苦にならないし。まぁ、いい経験をしています。
てことで、今日もあちこち一緒に滑りながら、ところどころで基礎をします。「初心忘るるべからず」で、プルークボーゲンとかシュテムターンとかも、けっこういい練習課題になります。
ゲレンデはガラガラ。お天気は最高。雪質はちょっとハード目のバーン。最高です…。

やり残し完遂

パートナーにあげたパソコンがネットにつながらなくなりました。で、いろいろやってみたのですが、どうやらUSBに放り込んでいるワイアレスLANが認識されなくなっているみたいです。てか、機嫌がいいと認識されますが、ぜんぜんデムパを受けていません。てことで、めでたく交換(;_;)
ちょうど下の子どもが寺町近辺に行く用事があるので、送りがてら買いに行くことに。
ならばついでなので、2.5inchハードディスクのケースと3.5inch→5inchベイとりつけのアダプタも買いましょう。
で、買って帰ったのですが、ハードディスクケースの基盤が歪んでいます。しかも、アダプタも長さが足りません。なので、下の子どもを迎えに行きがてら、再度寺町へ。
お店に行ってケースが歪んでいる旨を伝えると、交換してくれようとしたのはいいのですが、在庫のほとんどが歪んでいるという(笑)。さすが780円クオリティです。
で、お家に帰ってハードディスクを収容。ワイアレスLANのインストール。さらに、新しく買ったパソコンにMO*1をとりつけて、ひとまず年末からのパソコンの引っ越しが完了です。
上の子どもは、きのうの誕生日にあげたplay yan用の動画をつくりまくっているみたいです。それにしても、youtubeから落としてきて、superCでエンコというのもなんだかなぁ…。
まぁ、平和な家族ということですか…。

*1:いまどきSCSI接続の230MBでっせ!

青年部の交流会

なんで和歌山かというと、青年部の交流会があるんです。で、なんで青年部の集会に、なんでわたしみたいなのが行くのかよくわからないんですが、なんでも、ウチの組合の若手からは「いつきさんは青年部」と言われています。まぁ、弱小組合なんで人数も少ないし、下から数えたら10人以内に入っているんじゃないかなぁ。
で、交流会の会場へ。ちょうどはじまったところです。開会行事のあと、基調講演がはじまります。講師は和歌山で組合を再建した辻本さん。多岐に渡る活動をされている方のようです。話は組合についての内容なんですが、その背後にオーラのように学校での姿やムラ中での姿などが漂っています。すごい人です。あぁいう話ができるようにならなくちゃなぁ…。
その後、分散会。若い人たちとワークショップなんざやりました。みなさん、あたたかく「参加者」として受けいれてくださったおかげで、楽しく話ができましたよ。やれやれ…。
その後は、お楽しみの夕食交流会。ふと見ると、森実さんが来ておられます。ちょっとごあいさつ。
夕食交流会では、各地が3分程度あいさつをするのですが、そこで出し物をするのが恒例です。で、そんなことをやったら3分で終わるわけがないです。京都も「丸竹夷」にちなんだクイズを出しました。
そうそう、この唄の途中にある

せったちゃらちゃら うおのたな

ですが、ここだけ他と違うんですね。「せった」は「雪駄屋町通り」、「ちゃらちゃら」は「鍵屋町通り」、「うおのたな」は「魚棚通り」なんですが、この1行だけは職業による通り名なんですね。とくに、「雪駄」はあきらかにカワタの仕事です。つまり、5条と6条の間にそういう地域があったということです。これ、実は移転前の崇仁のあった場所なんです。でも、最近は5条より南側が歌われないこともよくあります。T川さんから「このあたりのことと近代以降の部落問題の関連性について考えたらどうかな」というメッセージをもらっていて、その部分をわたしが担当しました。

その後、2次会へ。
京都は人数が少ないので、和歌山・奈良の人々と合流。辻本さんの行きつけのスナックで歌いまくりました。途中、和歌山の人々がさらに来て下さって、えらい意気投合してしまいました。いや、パワフル&濃いぃ人たちです。
それにしても飲み過ぎた。1時頃にホテルに帰って、そのままバタンです。

オペレーターモード

ほんとうは、今日までスクールにいた方がよかったのですが、昨日帰ってきたのは、今日いきなり某会議が入っているからなんです。
例年、年明け最初の会議はほとんど新年会モードなんで、正直「なんだかなぁ」なんですが、今年はどうやら違うみたいです。というのは、11月の会議の積み残しが山のようにあって、決めなくちゃならないこと・やらなくちゃならないことが今回に先送りされていたみたいなんです。
内容は、主として今度の夏にある大会のことと5月のセミナーの話。詳細をそろそろつめると同時に、ビラの作成をしなくちゃなりません。特に、ビラは1月最後には配布がはじまるので、それまでに確定をさせなくちゃなりません。通常ならば、11月には詳細がつまっていて今回は確定版が各地に配布されるのですが、今年は今日論議をしてビラを作成→今日のうちに確定版を配布というスケジュールになります。しかも、今回からビラはA4判で作成…。てことは、スクラッチから作成かorz。
てことで、そのあたりの諸矛盾はすべてわたしがかぶるわけで…。
とにかくひたすらテキスト作成と写真の読み込み、版組に追いまくられる半日でした。気がつくと、あっという間に5時。肩凝った…。でも、できましたよ。2枚とも。

仲間と滑る、ひとりで滑る・スクール3日目

今日も天気は見事な晴れ。日焼けが気になります(笑)*1
今日も昨日に引き続き上級班の人たちと一緒なので、あちこち飛びまわります。はじめは硬い雰囲気だったのが、子どもが増えてきて、レッスン中に笑いもでてきました。いい雰囲気です。午前・午後目一杯スキー場中を飛びまわって、レッスン終了。
そのあとは、スタッフトレーニングの時間です。
おとついは4人だったスタッフトレーニングも昨日は2人。人数が減ってくると、やっぱりちょっと寂しいですね。さらに、今日はもうひとりの人も「一本であがるね」ということで、後半1時間ほどはわたしひとりです。すでに「スタッフトレーニング」じゃないですね。
2人で滑る時は、常に相手のことを考えながら滑ります。例えば、相手が先輩で指導をしてくれる人ならば、相手の滑りに集中をしてその滑りに忠実に滑ろうとします。また、相手が後輩でわたしが指導をする立場ならば、相手にとって必要な要素はなにかを考えながら滑ります。それは、ひとりずつ滑る時もトレーンであっても同じこと。さらに、バーンの選定をする時もやはり考えなくちゃなりません。まぁ、スタッフトレーニングあたりになると、そう気にしなくてもいいんですけどね。でも、それはそれで楽しいものなんですね。
それに対して、ひとりで滑る時は「どこを滑ろうかなぁ」「あ、あそこに行こう」「このバーンをどう滑ろうかなぁ」「あ、こう滑ろう」という感じで、自問自答しながら滑ります。ある意味、ほんとうに行き当たりばったり。でも、それもそれでいいんですよね。やっぱり内側から出てくる欲求に正直に答えていくということも大切なんですよ。
で、今日の最後はそんな感じ。ほんとうに滑りたいところを気のむくままに滑ってみました。でも、リフトがとまる時間もすぐに来ます。ちょっと後ろ髪の引かれる思いもしますが、まぁいいでしょう。まだまだシーズンもはじまったばかりです。

てことで、今回のスクールはおしまい。
5時頃にゲレンデを出発。ひたすら走り続けて、11時前にはお家に到着。さて、これからは日常が待っている。

*1:てか、笑い事じゃないです

足慣らしのお手伝い・スクール2日目

今日の午前も班分けの隙間に入っていて仕事がないかと思いきや、ひとり新しく来られたお客さんがおられます。「午前は足慣らしのためにスクールやめようかなぁ」などと言っておられるので「あ、わたし、誰も担当していませんから、足慣らしのおつきあいしますよ」と、なかば強引に(笑)スクールに勧誘。「じゃぁ入ろうか」と、まんまと勧誘成功です。
この方、けっこうスキーがうまいので、結局ひたすらトレーンの半日です。なんだか遊んでいるみたいで悪いなぁ…。
午後からは、その人をベースにした班を持つことになったので、結局わたしは上級班になることが決定。ラッキー(笑)!
いや、でも、教えるのはむずかしいです。教えるのは、初級とか中級のほうがはるかにおもしろいです。なにせ、上達がはっきりとわかるし、なんといっても「クセ」がないのできれいに上達してくださいます。上級班は、ほとんどが「矯正」なんで、2〜3日では成果があらわれません。でも、満足していただかないといけないので、「クセ」を見抜いて「矯正」のカリキュラムを立てて、それを「テーマ」として提示して、バリエーションを展開しないといけません。むずかしいです。
でも、一方で「うまくなりたい」一心でスキーの楽しみを置き去りにしておられるところもあるんですよね。スキーの楽しみを知っているのは地元の子どもたちなんですよね。ちょうどそんな2種類の混合班だったので、前半足慣らし&レッスン。後半は「お楽しみ」で満足していただけたみたいです。
あとはルーティーンの一日。

雪と氷の世界へ・スクール1日目

起床は2時半。3時スタート。目指すは「雪と氷の世界」です。
去年のこの時期は鎖骨にヒビが入っていて寝正月だったのですが、今年はそういうわけにもいきませんから、いつものスクールに正月のあいさつです。
ところでどうやら寒波*1が来ているみたいですね。家を出てすぐに雪が降り始め、滋賀県内もずっと雪。高速道路だけは雪はありませんが、19号線にはいると再び雪。久々にスノードライビングを堪能させていただきました(笑)。
スキー場に到着して、しばし休憩。その後、1時間ほど足慣らしです。
午後からレッスンがあるのかと思いきや、ちょうど班分けがうまくいっていて、ありません。校長がひとこと「まぁ滑ってこいや」。てことで、午後からもフリー。なんか申し訳ないです。
昨日まではすごい雪と風だったそうで、滑っている間は寒いは、帰ってきたら雪かきだはでたいへんだったそうですが、今日はうららかな陽射しがあります。しかも、雪は最高です。午後2時間、充分に足慣らしをさせていただきましたm(__)m。その後、スタッフトレーニング。7年ぶりにスキーをするというスタッフもいたのですが、ぜんぜんブランクを感じさせないのはさすがです。それにしても、平均年齢50歳弱のトレーンとは、まわりの誰も思っていないだろうな(笑)。
夜はペンションの手伝いをしばらくやって、その後、校長に誘われてスタッフは近所のラーメン屋で晩ご飯。食べすぎました。
で、温泉に入って(笑)就寝。

*1:「かんぱ」とうつと「カンパ」が出てくるのが困りもの。しかも、「募金」のカンパなのかカンパニョロのことなのか…