一筋縄ではいかないなぁ

朝から大阪へ移動。奈良のお友だちと落ちあって、広島へ。
今日は某在日外国人教育関係セミナーです。
まずは地元のとりくみの話。続いて、若い子らのシンポジウム。
後者の方、なかなかおもしろいですね。
同じ在日外国人高校生といっても、在日韓国人と在日ペルー人とではこうも違うのか、と。
例えば、「交流会に参加してどうでしたか?」という質問をしたんだけど、ふたりの答がまったく違いました。
在日韓国人の子は、「仲間と出会えてよかった」なんですね。ところが、在日ペルー人の子は「友達がつくれる」みたいな答なんです。なんでも、この子、日本人と一緒の時の方が楽だとか。外国人と一緒にいると「緊張する」とのこと。

考えてみると、同じような感じ、ないわけじゃないです。トランスと一緒にいると緊張する場面、けっこうあります。それよりもトランスじゃない人と一緒の方が緊張しないかな。
なんでだろうと考えてみたんですが、トランスじゃない人がわたしに近づく時、すでに選別をされているのかな。だって、わたしのことを「イヤだ」と思っている人は近づいてこないもの。となると、たしかに楽ですわねぇ。

在日韓国人の子は、普段通名を使っている。ということは、まわりの子らは「日本人」として扱うことになる。すると、まわりとの緊張関係は相当なものだろうし、「隠さなくていい」ところは格別の気持ちだろうと思います。にたいして、在日ペルー人の子はカタカナの名前だし、見た目もしゃべり方も「外国人」なんですね。だから、相手は「外国人」として扱うことになる。そりゃぁ、いまさら緊張感もないわなぁ。
どっちがどうという話じゃなくて、「そういう差があるんだなぁ」というふうに思ったんですよね。

5月を満喫

今日は、「第2のふるさと」で、宴会というかなんというか…。ある意味わたしの恩人の家にお呼ばれです。
朝早くに到着。その後、まずはタケノコ堀り。はじめは「しんどいなぁ」とか思うのですが、気がつくとムキになってしまうのが、このたぐいのことですね。「ひとり5本掘れよ」とか言われていて、「そんなん無理」とか思っていましたが、気がついたら余裕で5本は掘っていました。
堀ったタケノコを車に積んで家に帰ると、続いて待っていたのが「ちまきづくり」。ちまきを芦の葉っぱで包むのですが、これがけっこうむずかしい。でも、やっているうちに、だんだんとコツを覚えてきます。30本ほど巻くと「いけるやん」という感じ。でも、来年は忘れてるやろうなぁ。
てなことをやっていると、お昼です。宴会です。さっさとビールを呑んで、あとは赤ワインにはしります。さてさて、今日はいつまで宴会が続くんだろう。
「第2のふるさと」の人たちと、あーでもない、こーでもないと、しょーもない話をしながらワイワイと時が過ぎていきます。気がつくと、夕方。でも終わりません。さらに気がつくと、とっぷりと日が暮れています。てか、夜やし。
結局は、みんなで掘ったタケノコを湯がいてもらって、みんなで巻いたちまきと一緒に*1おみやげに持たせてもらって帰ることになりました。う〜ん、いいんだろうか…。

家に帰って、子どもたちに「ほれ」とちまきを見せたら、あっという間になくなりました。やっぱ、子どもたちにとっても「ふるさと」なんだよなぁ。

*1:てか、そのへんにあったものをいっぱいもらったよ

eトコ

昼は組合の女性部の昼食会。
自分が女性部に何かができるとは思えないんだけど、せめて「来てね」と言われたら、できる限り参加することが「できることかな」と思っています。やっぱり「人数」って元気のもとですから。

でも、途中で「ゴメン」と抜け出して、大阪へ。なんかよくわからないけど、金香百合さんのされているeトコという「場」の1周年の交流会があるらしくて、Kま本さんとかA久◯さんとかS々木さんに誘われていくハメになりました。
ここ、おそらくはふたつの側面を持っているんですね。ひとつは地域のコミュニティスペースという「内側」への「場」の提供。もうひとつは、さまざまな活動拠点として交流スペースをもちいることによる、「外」と「地域」の交流の場の提供。ここにはもちろん金さん自身が在日ということも含まれていますね。かなりさまざまな可能性を内包したことをやっておられるなぁという気がしました。

ただ、いくつか…。
今回のイベントではカントリー&ウェスタンのライブがありまして。わたしが中学〜高校の頃って、ちょうど諸口あきらとか高石友也とナターシャセブンとかの全盛時代だったので、わたしもすごく好きなんですが、やっぱり「西部の白人」の臭いがするんですよね。なんともいえないモヤモヤ感が残るんです。
あと、「血のつながりにこだわらない家族」みたいな表現、あるいは「人は一人で生きていると寂しいもの」という表現がそこここにちりばめられていまして。いや、そういう人もいるでしょうけど、そうじゃない人もいる。「そうじゃない人」のことを捨象した思いこみみたいなのがなんか漂っていて、これまたモヤモヤ感が残ります。
ん〜。マージナル感が稀薄な感じなのかなぁ…。よくわからないや…。

時すでに遅しorz

朝起きると、雨。
それでもカッパを持って出かけます。行き先は山。
カッパを着て、傘をさして、ひたすら山の中を歩きます。まさか雨の朝には来ないだろうと思いながら。
たしかに誰もいませんでした。でも、完全に先を越されていました。めあてのものはありませんでした。というよりも、1週間遅かったかもしれない。
今年の山菜とりもイマイチでした。はぁ…。

ヘタレなわたし

今日は(個人的には)「後出しじゃんけんはあかんやろう」学習会。
簡単に言うと、「返さなくていいよ」と言われて奨学金を受けたけど、それから10年ほどたって「あれ、やっぱり返して」とか言われて、いきなり借金を背負わされたという話。
これ、わたしの基本的なスタンスとして、「個人に返すのはあかんやろう」なんです。にしても、なんか違和感が残ります。でも、ヘタレなわたしは、その違和感を話すこともなく、もやもやとした気持ちで終了。
にしても、日本の奨学金制度ってほんとうに「なんだかなぁ*1」ですよね…。

*1:結局は教育ローンでしかないということ

拾った

いきなり思いついた替え歌です。

ネタを探してヤツが来る〜♪
右手にパソコンぶらさーげてー♪

もちろん「我が良き友よ」ですが…。
実は、毎月〆切があるというわけのわからない状態に突然おかれていまして、日々、ネタ探しの連続なんです。ちなみに、おとついの日記の内容は、実は「ネタが少ない」という嘆きだったんですよ。

さて、今日は身体計測の日。てことは、いろんな生徒と会う機会があります。期待に胸膨らませて(笑)持ち場に行ったのですが、案の定転がっていました。

てことで、来月のネタは今日拾ったということで…。

久々にフル参加

今日は午前はヒマなので、ちょっとひと遊び。午後からは某在日外国人教育関係の会議。
ひと遊びが長引いたためか、会議に遅れそうになったので、急遽自転車で行くことにしました(笑)。必死で自転車を漕いで、なんとか会議の開始には間にあいました。
会議の方は、いろんな論議があるにしろ、まぁ滞りなく終わり、その後呑み会。
別にこの会議の呑み会がイヤなわけじゃないのですが、最近なんだかんだと呑み会の時間帯に別の呑み会とか用事が入ることが多くて、ついつい「パス」とかいうことが多かったんですよね。一部の人は、単に「つきあいの悪いヤツやなぁ」と思っているでしょう。でも、一部の人は「なんで最近はつきあわへんにゃろ」と思ってくれているみたいです。まぁ理由がないわけではないけど、それほど強い理由じゃないので、時間があれば一緒に呑むのは楽しいんですけどね。
で、今日は特になんの用事もないので、久しぶりに最初から最後までつきあうことにしました。
と言っても、2軒目の中ごろにはダウンしかけ。弱くなったなぁ…。まぁみなさん弱くなっているから、それはそれか…。

御着のフィールドワーク(その3)・子ども会活動の報告

御着は、その街のなりたちから、「隣町」とはちがうみたいです。なので、通う小学校も別。いわゆる「一般」の子どもたちと混じって通うことになる。なので、小学校での在籍率は3%程度だったとか。
そういう状況での子ども会活動にかかわられた教員と、地元で育った方の報告でした。
まぁ、子ども会活動については、法に裏づけられた感じかなぁという…。身もふたもないですが(笑)。に対して、地元出身の方の「学校でももっとやってほしかった」という言葉は、きちんと聞かないといけないと思いました。
で、子ども会活動について聞いていて、なにがすごかったかというと、教員じゃなくて地域の人たちの思いですね。地域の人たちが、ほんとうに子どもたちを大切していた(している)ことが伝わってきます。
そういえば、工場を見学するために地域を歩いていたのですが、違法駐車や放置車両がない。ゴミが落ちてない。改造バイクなんかがとまっていない。ほんとうに落ち着いた静かな町並みです。自分たちの「ムラ」を大切に考えておられることが、そういうところから伝わってきます。
この人たちに囲まれて育つ子どもたちが、今、例えばフィギュアスケートで活躍しておられたり、絵画の世界で活躍しておられたり、あるいは教員として研究者として活躍をしておられるんだなぁと、あらためて思いました。

御着のフィールドワーク(その2)・柏葉さんの話

工場見学がすんだら、柏葉さんの工場跡へ移動。ここで「皮革研究家」の柏葉さんから皮革の歴史と御着の話を聞きます。

  • 日本の皮の歴史

皮鞣しの発祥の歴史については、ここにもあるように、3つの説があるそうな。
で、柏葉さんは「朝鮮伝来説」をとっておられるとのこと。

革を鞣すためには、鞣すための薬品が必要。古くはヌカを使っていたとか。で、ヌカができるためには臼が必要。臼の伝来は610年で、そこから革を鞣すのに適した土地を探していく。
まず、革を鞣す場所として、「古志の国」=今の新潟県に行く。ところがダメ。そこで、島根県出雲市近辺に行く。ちなみに、ここにも「古志」という地名がある。ところが、ダメ。皮革を乾燥させるためには、雨が少なく温暖な場所でないと行けない。で、やってきたのが松ヶ瀬、現在の高木になる。
水につけて塩でもどして脂を加えて乾燥させてを繰り返して鞣すのが、もともとの鞣し方。これが白鞣し。別名姫靼とも言うが「古志靼」とも言う。

みたいなことを言っておられました。よく覚えてないけど(笑)。

  • 御着の歴史

で、御着に皮革工場ができたのは、すごく最近とのこと。もともと御着あたりは人が住んでいない場所だったようです。で、隣町がすごく貧困で、明治期になんとか産業を振興させたいとの思いで、高木から皮革職人を招いて白鞣しを教わったとか。ところが、本当のことを教えてくれるはずがない。で、三重の松坂からタンニン鞣しを教わったとのこと。
タンニン鞣しは固いので、靴底に利用できます。折しも日本が積極的に戦争に参加していた(笑)時代だったので、軍隊での利用が多かったとか。その後、タンニン鞣しはたいへんなので、クロム鞣しに移行し、それにふさわしい用途で利益を上げる。さらに、クロム鞣しにパラフィンを入れて防水加工をしたものでりえきをあげるなど、浮き沈みはあるものの、クロム鞣しとタンニン鞣しを使いわけながら皮革の街として発展してきたとのことです。
ただ、かつては「◯◯地域はタンニン鞣し」「◯◯地域はクロム鞣し」という感じで、地域ごとに鞣しの種類が違い、それはそれなりに共存をしていたのが、最近は「もうかる鞣し」にいずれの地域も殺到するという感じで、結局かなりしんどい状況にあるとのことです。
また、老舗の街じゃなくて新しくできた街のため、皮革の街としては立地条件には恵まれていないみたいです。なによりも、水がたいへんなようで、苦労されたみたいです。

  • 皮(革)の工芸品

なんでも正倉院の中にある革の袋を見てみたら、「どうもおかしい」と。「「マチ」がない」と。で、いろいろみなさん論議しておられたけど、柏葉さん曰く「キンタマの革でつくった袋やで」とのこと。なるほど。マチはいらんわなぁ(笑)。
正倉院の中には他にも革でつくった箱なんかがあるそうです。これを復元してみたとか。ものすごく丈夫みたいです。小学校なんかに持っていって子どもたちに見せる時、2階から落としてみるそうな。たしかに塗りははげるけど、まったく壊れない。
さらに、革でヘルメットをつくってみたら、これまた強い。
なんでも最近凝っておられるのがヌカの鞣しだそうです。風合いがすごくいいんですね。これでお面をつくると、たしかに黄金色に輝いています。
まぁ、マニアックな皮革研究家です。
そうそう、最後に「これ、なにでできているかわかりますか?」と出されたステッキ。牛の「長いもの」でできているらしいです(笑)。