ヘタレなわたし

今日は(個人的には)「後出しじゃんけんはあかんやろう」学習会。
簡単に言うと、「返さなくていいよ」と言われて奨学金を受けたけど、それから10年ほどたって「あれ、やっぱり返して」とか言われて、いきなり借金を背負わされたという話。
これ、わたしの基本的なスタンスとして、「個人に返すのはあかんやろう」なんです。にしても、なんか違和感が残ります。でも、ヘタレなわたしは、その違和感を話すこともなく、もやもやとした気持ちで終了。
にしても、日本の奨学金制度ってほんとうに「なんだかなぁ*1」ですよね…。

*1:結局は教育ローンでしかないということ

拾った

いきなり思いついた替え歌です。

ネタを探してヤツが来る〜♪
右手にパソコンぶらさーげてー♪

もちろん「我が良き友よ」ですが…。
実は、毎月〆切があるというわけのわからない状態に突然おかれていまして、日々、ネタ探しの連続なんです。ちなみに、おとついの日記の内容は、実は「ネタが少ない」という嘆きだったんですよ。

さて、今日は身体計測の日。てことは、いろんな生徒と会う機会があります。期待に胸膨らませて(笑)持ち場に行ったのですが、案の定転がっていました。

てことで、来月のネタは今日拾ったということで…。

久々にフル参加

今日は午前はヒマなので、ちょっとひと遊び。午後からは某在日外国人教育関係の会議。
ひと遊びが長引いたためか、会議に遅れそうになったので、急遽自転車で行くことにしました(笑)。必死で自転車を漕いで、なんとか会議の開始には間にあいました。
会議の方は、いろんな論議があるにしろ、まぁ滞りなく終わり、その後呑み会。
別にこの会議の呑み会がイヤなわけじゃないのですが、最近なんだかんだと呑み会の時間帯に別の呑み会とか用事が入ることが多くて、ついつい「パス」とかいうことが多かったんですよね。一部の人は、単に「つきあいの悪いヤツやなぁ」と思っているでしょう。でも、一部の人は「なんで最近はつきあわへんにゃろ」と思ってくれているみたいです。まぁ理由がないわけではないけど、それほど強い理由じゃないので、時間があれば一緒に呑むのは楽しいんですけどね。
で、今日は特になんの用事もないので、久しぶりに最初から最後までつきあうことにしました。
と言っても、2軒目の中ごろにはダウンしかけ。弱くなったなぁ…。まぁみなさん弱くなっているから、それはそれか…。

御着のフィールドワーク(その3)・子ども会活動の報告

御着は、その街のなりたちから、「隣町」とはちがうみたいです。なので、通う小学校も別。いわゆる「一般」の子どもたちと混じって通うことになる。なので、小学校での在籍率は3%程度だったとか。
そういう状況での子ども会活動にかかわられた教員と、地元で育った方の報告でした。
まぁ、子ども会活動については、法に裏づけられた感じかなぁという…。身もふたもないですが(笑)。に対して、地元出身の方の「学校でももっとやってほしかった」という言葉は、きちんと聞かないといけないと思いました。
で、子ども会活動について聞いていて、なにがすごかったかというと、教員じゃなくて地域の人たちの思いですね。地域の人たちが、ほんとうに子どもたちを大切していた(している)ことが伝わってきます。
そういえば、工場を見学するために地域を歩いていたのですが、違法駐車や放置車両がない。ゴミが落ちてない。改造バイクなんかがとまっていない。ほんとうに落ち着いた静かな町並みです。自分たちの「ムラ」を大切に考えておられることが、そういうところから伝わってきます。
この人たちに囲まれて育つ子どもたちが、今、例えばフィギュアスケートで活躍しておられたり、絵画の世界で活躍しておられたり、あるいは教員として研究者として活躍をしておられるんだなぁと、あらためて思いました。

御着のフィールドワーク(その2)・柏葉さんの話

工場見学がすんだら、柏葉さんの工場跡へ移動。ここで「皮革研究家」の柏葉さんから皮革の歴史と御着の話を聞きます。

  • 日本の皮の歴史

皮鞣しの発祥の歴史については、ここにもあるように、3つの説があるそうな。
で、柏葉さんは「朝鮮伝来説」をとっておられるとのこと。

革を鞣すためには、鞣すための薬品が必要。古くはヌカを使っていたとか。で、ヌカができるためには臼が必要。臼の伝来は610年で、そこから革を鞣すのに適した土地を探していく。
まず、革を鞣す場所として、「古志の国」=今の新潟県に行く。ところがダメ。そこで、島根県出雲市近辺に行く。ちなみに、ここにも「古志」という地名がある。ところが、ダメ。皮革を乾燥させるためには、雨が少なく温暖な場所でないと行けない。で、やってきたのが松ヶ瀬、現在の高木になる。
水につけて塩でもどして脂を加えて乾燥させてを繰り返して鞣すのが、もともとの鞣し方。これが白鞣し。別名姫靼とも言うが「古志靼」とも言う。

みたいなことを言っておられました。よく覚えてないけど(笑)。

  • 御着の歴史

で、御着に皮革工場ができたのは、すごく最近とのこと。もともと御着あたりは人が住んでいない場所だったようです。で、隣町がすごく貧困で、明治期になんとか産業を振興させたいとの思いで、高木から皮革職人を招いて白鞣しを教わったとか。ところが、本当のことを教えてくれるはずがない。で、三重の松坂からタンニン鞣しを教わったとのこと。
タンニン鞣しは固いので、靴底に利用できます。折しも日本が積極的に戦争に参加していた(笑)時代だったので、軍隊での利用が多かったとか。その後、タンニン鞣しはたいへんなので、クロム鞣しに移行し、それにふさわしい用途で利益を上げる。さらに、クロム鞣しにパラフィンを入れて防水加工をしたものでりえきをあげるなど、浮き沈みはあるものの、クロム鞣しとタンニン鞣しを使いわけながら皮革の街として発展してきたとのことです。
ただ、かつては「◯◯地域はタンニン鞣し」「◯◯地域はクロム鞣し」という感じで、地域ごとに鞣しの種類が違い、それはそれなりに共存をしていたのが、最近は「もうかる鞣し」にいずれの地域も殺到するという感じで、結局かなりしんどい状況にあるとのことです。
また、老舗の街じゃなくて新しくできた街のため、皮革の街としては立地条件には恵まれていないみたいです。なによりも、水がたいへんなようで、苦労されたみたいです。

  • 皮(革)の工芸品

なんでも正倉院の中にある革の袋を見てみたら、「どうもおかしい」と。「「マチ」がない」と。で、いろいろみなさん論議しておられたけど、柏葉さん曰く「キンタマの革でつくった袋やで」とのこと。なるほど。マチはいらんわなぁ(笑)。
正倉院の中には他にも革でつくった箱なんかがあるそうです。これを復元してみたとか。ものすごく丈夫みたいです。小学校なんかに持っていって子どもたちに見せる時、2階から落としてみるそうな。たしかに塗りははげるけど、まったく壊れない。
さらに、革でヘルメットをつくってみたら、これまた強い。
なんでも最近凝っておられるのがヌカの鞣しだそうです。風合いがすごくいいんですね。これでお面をつくると、たしかに黄金色に輝いています。
まぁ、マニアックな皮革研究家です。
そうそう、最後に「これ、なにでできているかわかりますか?」と出されたステッキ。牛の「長いもの」でできているらしいです(笑)。

御着のフィールドワーク(その1)・皮革工場見学

今日は兵庫県姫路市の御着という場所にある皮革工場のフィールドワークです。ちなみに主催は全国キリスト教学校人権教育研究協議会の関西地区です。
このH市の皮革工場の話は前々から聞いていて、すごく行きたかったので、今回はなんとしてでも参加しようと思っていました。
集合は1時。せっかくなんで、昼前に現地に行って、近くをブラブラしながらお好み焼き屋さんでも探そうと思っていたのですが、乗っていた新快速で急病人が出たため予定が大幅に後ろにずれ込んでしまいました。まぁ病人なんでしかたがないか…。てことで、お好み焼き屋さんを捜すのはあきらめて*1、ラーメン+餃子&飲み物ですますことにしました。
で、地元の総合センターに到着。着くと既に皮革資料室で説明がはじまっています。どないなってんねん。
どうやら案内していただく柏葉さん、すごくサービス精神が豊か*2みたい。なので、じっとしてられなくて、早めに来られた方相手に説明をされていたのかな。だったらちょっと早めに来るんでした。
で、定刻になってフィールドワークスタート。今回は、3つの工場をまわります。

  • 鞣し工場

1500万円ぐらいする大きなドラムが全部で7台あります。ドラムは縦回転。まぁ最近はやりの洗濯機と同じですね。この中に、薬品*3と原皮を入れて1昼夜ばかりゆっくりまわしていると毛が抜けてくるとか。これを横で乾燥させて第1段階終了です。
ここでいうならば、「1、ソーキング」「2、フレッシング」「3、脱毛・石灰漬け」あたりなんでしょうか。
ちなみに、原皮はオーストラリアやアメリカから輸入してくるとか。季節は現地の夏がいいらしいです。脂分が少ない・毛が少ない→ダニが少ないというのが重要な要素のようです。

  • シェービング工場

ここでは革*4を一定の厚さに削ります。なんでも、ウン千万するイタリア製の機械を導入しておられるとか。よく見ていると、途中まで入れて抜いておられます。全体をいれてしまわないのはなんでかなぁと思っていたのですが、ふと気がつきました。しわができる場所の直前でひいておられます。てことは、おそらく入れる方向を変えることで、しわのできる方向が変わって、すべての面を削ることができるんでしょうね。
ちなみに、削ったカスをグツグツ煮ると「煮革」→「膠」ができるとか。

  • タンニング工場

H市の有名どころでは、高木というところがありまして、こちらのほうでは、現在日本でただ一人森本さんという方が、「白鞣し」をされています。で、今回行った御着では、「クロム鞣し」と「タンニン鞣し」が主流ということです。もっとも、柏葉さんのしゃべり口では「タンニン鞣しの方がものがいい」という感じでしたねぇ。
今回見学させていただいた工場では、地面に穴が掘ってあって、水が張ってあります。そこに、イギリスから輸入しているタンニンのドンゴロスが吊ってあります。どうやらこうやってタンニンのしみ出した薬品をつくっているみたい。そこに革をつけていくようです。
ちなみに、3つの工場の中で、ここが一番臭いのきついところでした。
で、タンニングの終わった革は道をはさんだ向かいにある場所で乾燥させます。その後、必要に応じて染色をして、最後にガラス玉で磨いてつや出しをして製品になるとのことです。

いずれの工場も、すごく古い木造の建物で、しかも壁がスリットになっています。これにも意味があるそうな。
タンニンで鞣した革は鉄に反応すると黒くなってしまいます。なので、鉄骨の建物だとまともな製品にならないとか。言われてみると、木造の工場の中を見回してみると、うまく木を組んであり、「釘で支えている」という感じがあまりしません。なるほどなぁ…。
さらに、壁がスリットになっているのは、風通しをよくして革がうまく乾燥するためだとか。なるほどなぁ…。

*1:もっとも、近くにはなかったorあっても営業は夜

*2:しゃべり好きとも言う

*3:消石灰

*4:柏葉さん曰く「皮は毛がついている状態で、革は毛がない状態」とのこと

雪と氷の世界2日目・シーズン最終日

今日も午前中は研修。再び集中力を高めてレッスンに参加。
午後は「最後」ということで、もうひとりのスタッフに最後のレッスンをまかせることにしたみたい。まぁ、流れと課題はわかっているので、やりやすいといえばやりやすいけど、やりにくいといえばメチャやりにくいですわなぁ。まぁ、わたしはアシスタントだからいいですけどね(笑)。
で、なんだかんだと午後のレッスンが終わって、いよいよフリー。
今シーズン最後ですから、もう一回てっぺんまで行くことにしましょう。てっぺんは、この季節とは思えないものすごくいい雪です。西日を背中から受けるので、自分がまきあげげた雪が影になって斜面にうつります。それが、ほんとうにサラサラと舞っています。こんなにいい雪なのに、今日でシーズンが終わりなんてもったいないなぁ。
とか思っているうちに、ほんとうに時間が来ました。名残惜しいけど、しかたがありません。
さぁ、帰りますか…。

雪と氷の世界1日目・心地よい緊張感

午前2時半起床。寝ているパートナーを姿を確認すると、よく寝ています。昨日とは全然違う。てことは、まぁ快方に向かっているということみたいなんで、今日は行くことにしましょう。
予定通りのルートで高速に入り、途中しばし仮眠をし、目的地付近で高速を降りたら「割引1000円」という表示。ガセじゃなかったんだ(笑)。
さぁ、今日と明日はシーズン最後のスクールです。といっても、生徒さんがいるわけじゃないです。というか、逆に校長の班に混ぜてもらって指導法の研修です。校長の班に入って滑るなんて、いったい何年ぶりだろう…。
で、レッスンがはじまったわけですが。いやぁすごい!生徒さんたちは常連さんなので、基本的にはうまい人たちなんですが、そういう人を一日緩斜面でレッスンをして、しかも飽きさせない。
まずは、習得させたい技術がなんであるかということが明確です。今回のテーマは、どうやらエッジを使えるようにすることと、バランスの悪さの矯正です。
エッジを使えるようにするためには、足首をしめることとひざの左右への動きが大切になります。ひざを動かすためには当然股関節を動かさなきゃならないんですが、こいつがなかなかむずかしい。というのは、股関節を動かす時、ついつい前後方向に動かしてしまうんです。ところが、前後方向に動かすと、それが後傾につながってしまう。股関節をいかに上下方向に動かすかというのが、ひとつのテーマになります。で、ヒザを交互に返す。
これをやると、今度は上体が動いてしまう。ところが、ヘタな上体の動きはバランスを崩すもとになります。なので、上体のバランスを保つための練習が入ってくる。
上体のバランスにはふたつの意味があります。ひとつはもちろん滑走中のバランスを保つという文字通りの内容と、もうひとつは左右の均等化という意味もあります。片方ができていても、もう片方ができていなかったら、左右のターンが均等にできません。これが滑りに大きな影響を与えます。こういうことを細かくチェックをしていき、矯正していきます。
校長のレッスンは、このあたりのバリエーションがすごく豊富。いろんなことをやるんですけど、そしてそれが一見なんの脈絡があるのかわからないんですけど、きちんと意図が一本、明確に通っているんですね。だから、緩斜面でも飽きない。
ひとつひとつの練習項目と、それらの流れと、どんな斜面でそれを行うのか。このあたりを必死で覚えました。
と同時に、わたしも滑らなくちゃなりません。もちろん滑りを生徒さんにも校長にも見られています。校長の意図を正確にデモンストレーションするのがわたしの役目ですから、これがまた緊張する。でも、こういう緊張感を持ってスキーをすることが、またすごく有意義だし楽しいんですよね。
精神的にも肉体的にも、心地よい疲れを感じながら、一日が過ぎていきました。

京都市「同和」奨学金返還請求に反対する住民集会

いろいろ複雑な思いはあるにしろ、「後出しじゃんけんはあかんやろう」という思いで、やっぱり参加してきました。
「返還請求」についての詳細はおいておきますが、そのもととなった大阪高裁の判決は、行政に対して出されたものであって、奨学金を受けた個人に対するものではないんですよね。にもかかわらず、「やっぱり返してくれ」というのは、「なんだかなぁ」というふうに思ってしまいます。だって、いきなり「いらないよ」といわれていたウン百万の借金が来るわけで、生活設計そのものを組み直さなくちゃなりません。
ただ、単純にそれだけの問題じゃないよなぁと思ってしまうのは、「歳入」の問題なんですね。
奨学金については、新たな貸し付け(給付)はしていないので、歳出はないわけで、そういう意味では過去の問題です。でも、京都市は今、めちゃくちゃな赤字団体なわけで、その歳入の道を、過去にさかのぼって補填をしようとしているのかなぁと思ったりするわけです。京都市の気持ちとしては、それはそれでわからないわけじゃない。
そんなことを総合的に考えて、でもやっぱり、今回のやり方は「後出しじゃんけん」というのがわたしの感覚なんです。てことで、やっぱり「あかんやろう」というふうに考えたというのが結論ですか。
にしても、なんかなぁ…。

場の持つ力

午後からは京都・在日外国人生徒交流会。
普段は日曜日の午後にやるんですけど、今回は合宿形式でやってみようと。さらに、卒業生にも呼びかけてみようと。さらに、京都に限定せずに呼びかけてみようと。等々、ちょっと趣を変えてみることにしました。
さすがに長丁場ですから、集まりもダラダラ。それぞれがそれぞれの用事を済ませてからやってきます。でも、それはそれでいいんです。「◯時集合!」で集まってパシッと交流会をするのも、それはそれで集中していいんですが、緩く集まるのもいいのかもしれない。
ダラダラと買い物を済ませ、ダラダラと段取りをし、ダラダラとつくりはじめ、結局最初の集合から5時間後に晩ご飯。このころには兵庫からもずいぶんと遊びに来てくれていました。
しばらくみんなでごはんを食べたあと、自己紹介。基本的には「全国」に参加したことがある人たちなので、ほんとうにしっかりと話をされます。
そんななか、やっぱり「あぁ」と思ったのが子連れで参加してくれていた京都の第1期メンバーの自己紹介です。
結婚をきっかけに日本国籍をとらざるを得なかったその人に、子どもがある時聞いたそうな。「お母さんはなにじん?」。突然のその問いに、一度は話を流してしまったそうな。子どもには伝えなくちゃならないと思っていたけど、それなりの「シチュエーション」で伝えたいと思っていた。だから、逆に「準備」ができていなかったみたいです。ところが、それからしばらくして、再び子どもから同じ問いが出てきた。その時覚悟を決めて、自分のことを小学生の子どもに向かって話をしたとのことです。
その話を聞いて、ふとその第1期メンバーの変化に気づきました。在日の若いオモニになっている*1。おそらく楽になったんやろなぁ。おそらく隠さなくてもよくなったんやろなぁ。
そう思った時に、この交流会を16年続けてきてよかったと思いました。
交流会があろうとなかろうと、その第1期メンバーが在日であることに変わりはない。でも、もしかしたら「隠さない生き方」があることを知ったのは、その子が交流会に参加したこともひとつの契機になっている可能性がある。「隠さずに生きる方法がある」ことを知って隠して生きることと、「隠すしかない」と思って隠して生きることの間には、表面は同じかもしれないけど、大きな差があると思います。
さぁ、そのメンバーの子どもは現在小学生。最低限この子が高校を卒業するまでは、やっぱり続けなくちゃならないよなぁ。メンバーに力を与え、メンバーから力を与えられ。

*1:ってどんなんやねんと聞かれても、よくわからないのですが(笑)