それってわたしのこと?

今日の放課後は、教職員研修で「ケータイ・ネットと子どもたちの人権」という講演を聞きました。講師は「kurochan」さん。
まぁ、子どもたちがおかれているおおまかな現状については、去年も話を聞いたし、そこそこわかってはいるつもりです。ただ、ふと気がついたことは、「わたしにもあてはまる?」みたいこと(笑)。

そう言えば、職場ではリアルの会話よりもケータイやパソコンを経由したメールでのやりとり(会話)の方が多いかもしれない。
そう言えば、わたしもブログをやっている。
そう言えば、ブログを毎日(分)更新しないと、なにか不安だ(笑)。
そう言えば、わたしもネットに自分の「居場所」を見つけた*1
そう言えば、コメントがつくとうれしい(笑)。

う〜ん…。
まぁ、お風呂の中にケータイを持って入らないからまだマシか(笑)。

*1:今は違うけどね

お散歩@崇仁〜東九条

おとついの夜、こちゅかる子さんから「東京からお客さんが来るので、柳原銀行近辺の見所について教えてほしい」というメールが入りました。で、来られる日はわたしはたまたまヒマだったので、「んじゃ行きます」と安請け合いをしてしまいました。さらに、昨日の夜、ここの人から「東九条を案内してほしい」というメールが入りました。「じゃぁ、まとめていきましょう」ということで、今日の午前中は、崇仁から東九条のお散歩。
まずは、柳原銀行記念資料館に集合。ここで、学芸員の方のお話を聞きます。
フラフラと聞いていたのですが、ヒョイと目に入った崇仁歴史マップを見て「?」…。
右下に注目です。「なんで光公園のあたりに40番地があるの?」「なんでここが「オールロマンス闘争の舞台」なの?」。
ふみゅぅ〜。
まぁ今頃気づくわたしもわたしですが…。

で、説明を聞き終わったところで、お散歩開始。天気もいいし*1、気温も高いし、これは昼のビールがおいしくなりそうです。
崇仁の町中を一通りまわって光公園へ。ここで、しばらく雑談です。まぁ元ネタはこれですけど…。

で、ふたたびお散歩の開始。今度は東九条を歩きます。途中、おいしいホルモンを売っている店なんかを案内しながら、1時間半ほどのお散歩終了。

にしても、お散歩の最中の話は、けっこうハードでした。今回のお散歩は、もともと「LADD リーガルアドボカシー 〜障害をもつ人の権利〜」というところの方が企画されたものらしく、その意図のうちのひとつが「水平運動〜部落解放運動の「お金」の出所が知りたい」ということでした。だからこそ、柳原銀行がお散歩の出発点だったんですね。さらに、お散歩の後に行かれるのは水平社博物館。
なんにつけ、運動をするにはお金が必要です。例えば水平社を立ち上げる時に、どのようにしてお金を調達したのか。あるいは、「法」以前はどうしていたのか。すべてを自己資金でまかなっていたのか。
これは、極めて切実な問題です。特に、障碍者の場合、自己資金は極めて少ないことがほとんどです。その状態からどうやって運動を立てていくのかという時に、部落解放運動から学ぶことがあると考えられたようです。
にしても、そんなん、答えられますかいな、わたしの力量で(笑)。まぁ、明石民蔵が自己資金を持っていたとか、阪本清一郎が自己資金を持っていたぐらいの話しかわかりませんわ。てことで、あまり参考にならなかったかと思いますよ。やれやれ…。やっぱり自分の力をオーバーすることはしないことやなぁ(笑)。

*1:日焼けするorz

「部落差別はなぜ今あるのか? −部落史が変わったPart2−」

今日は府立高校の人権教育研究会の総会です。
午後からは記念講演。上杉聰さんの講演「部落差別はなぜ今あるのか? −部落史が変わったPart2−」です。
いやぁ、おもしろかった!とりあえずレジュメを紹介します。

1 部落差別はたいへんに古くから存在してきたものだから
 「穢れた血筋」(異民族)「着座飲食拒否」「部落は残忍」等偏見の古さと継続性

2 明治4年の賤民制度廃止の際、適切な処置がとられなかったから
 賤民廃止令(≠「解放令」)が実現したもの
  賤民制度の廃止、法の下の平等
  職業の自由(≠「一片の布告」)
 欠けていたもの
  「過去の差別は誤りだった+今後差別してはならない」の宣言
  経済的な補償(華族・士族は国家予算の3割分の秩禄を長期に)
 身分制再編成と差別緩和(「四民平等」の語は不在)→部落差別の制度的容認へ
  伊藤博文が留意した3点「天皇」「華族」「郷党」 近代の身分図式

3 賤民廃止令の不充分さにより解決が遅れ、近代の差別と結合したから
 壬申戸籍 肩書きは「平民」「農」などとし、続柄(血縁)に差別を記載
 戦前の差別判決 判決の背後にある近代的身分(血縁・家」)精度の強化と天皇
 就職差別 大企業は日露戦争後から身元調査→部落地名総鑑

4 戦後に生まれた解放のための新しい条件
 1946年 日本国憲法の制定と第14条
 「すべて国民は、補の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係に置いて、差別されない」

(後略)

1については、簡単に言えば、去年の10月にあった話の復習です。部落の起源は室町・平安にまでさかのぼるという話を、資料にあたりながら話されました。
2以降が今回のテーマ。特に、賤民廃止令についてこってりと話されました。なにより重要だったのが「欠けていたもの」というところ。
賤民廃止令は

穢多非人等ノ稱被廢候條 自今身分職業共平民同様タルヘキ事
辛未八月 太政官
穢多非人ノ稱被廢候條 一般平民ニ編入シ身分職業共都テ同一ニ相成候様可取扱 尤地祖其外除■ノ仕来モ有之候ハ丶引直方見込取調大蔵省ヘ可伺出事
辛未八月 太政官

というやつです(ここからいただきました)。
上杉さんが話された最大の問題点は「今日からは平民と同様ですよ」としただけで、「今までの差別制度は間違いでした」としなかったことである指摘されました。また、「同じですよ」としただけで、「差別しちゃいけない」とも言っていない。では、政府はもしも差別事件が起こったらどのような態度をとるのか。このあたりについても、資料にあたって解説をされました。で、簡単に言えば「まぁ、しゃーないからほうっておく」という態度だったとのことです。
昨日まで「アウトカースト」だった人々が、いきなり「カースト」内に入ってくる。当然混乱が起こるわけです。その混乱に対して、「混乱するのはしかたないし、まぁその人らにまかせておきましょう」となったようです。こういう姿勢が、やがては町村合併時の部落の排除や、部落学校の設立を余儀なくされるというところにつながっていくわけです。
さらに、「過去は間違いではない」→「元穢多というのは間違いではない」という論法から壬申戸籍がつくられていきます。このことが高松結婚差別事件*1での論法「かつての身分を偽るのはよくない」「かつての身分を話さないのはよくない」というのにつながっていく。こういう形で部落差別が維持されてきたということです。
で、法制度上、はっきりと差別を否定したのが日本国憲法であったと。当時の議会の速記録から、「社会的身分」が部落を指すことを明らかにしながら*2、ここをスタートにするべきではないかという提言があって、話は終了しました。

わたし個人としては、明治期以降に部落差別は新たな形で強化されたのではないかと漠然と考えていたのですが、わたしの予期しない形でそれを実証的に話されたという意味で、かなり勉強になりました。

*1:同様のものはたくさんあるみたいです。

*2:ちなみに、「門地」は士族だったみたいです。

もう、わやでんねん

土日って、別に仕事がたまるはずがないんですが、なぜ土日のうちに仕事がたまるんだろう…。
というか、日曜日にあった会議のせいですね。あれのおかげでその方面の「宿題」がたまってしまうんですね。そのせいで、朝からもうバタバタ。

問題は、現在原稿の〆切を3つかかえているということです。
ひとつは今日が〆切。
もうひとつは「今日の〆切のができたら、次がこっちだからね」と言われてしまったここセミナー報告。まぁ、これは切り貼り&プチ加工でなんとかなるかな。
で、もうひとつは、恒例のやつです。これはまぁ最悪今週いっぱい。まぁネタは浮かんでいるので、なんとかなるでしょう。

てことで、頭の片隅ではずっと最初の〆切のことを考えています。でも、出てきません。
こういう時は、しかたがないので家に帰ります。で、家に帰るともうなにも浮かばなくなるので、自動的に〆切はブッチです(笑)。ゴメンなさい…。

会議

朦朧とした頭で起きたけど、しばらくおとなしくしていたらだんだんと回復。
朝ご飯を食べて、会議の会場へ。今日は、某在日外国人教育関係の集まりの総会です。といっても、すぐ終わりますが。その後、拡大運営委員会。刷り物担当としては、必要な部分のメモさえとっておけばなんとかなる、と。
会議の最中に、ずいぶんと体調も復活。よかったよかった。

一筋縄ではいかないなぁ

朝から大阪へ移動。奈良のお友だちと落ちあって、広島へ。
今日は某在日外国人教育関係セミナーです。
まずは地元のとりくみの話。続いて、若い子らのシンポジウム。
後者の方、なかなかおもしろいですね。
同じ在日外国人高校生といっても、在日韓国人と在日ペルー人とではこうも違うのか、と。
例えば、「交流会に参加してどうでしたか?」という質問をしたんだけど、ふたりの答がまったく違いました。
在日韓国人の子は、「仲間と出会えてよかった」なんですね。ところが、在日ペルー人の子は「友達がつくれる」みたいな答なんです。なんでも、この子、日本人と一緒の時の方が楽だとか。外国人と一緒にいると「緊張する」とのこと。

考えてみると、同じような感じ、ないわけじゃないです。トランスと一緒にいると緊張する場面、けっこうあります。それよりもトランスじゃない人と一緒の方が緊張しないかな。
なんでだろうと考えてみたんですが、トランスじゃない人がわたしに近づく時、すでに選別をされているのかな。だって、わたしのことを「イヤだ」と思っている人は近づいてこないもの。となると、たしかに楽ですわねぇ。

在日韓国人の子は、普段通名を使っている。ということは、まわりの子らは「日本人」として扱うことになる。すると、まわりとの緊張関係は相当なものだろうし、「隠さなくていい」ところは格別の気持ちだろうと思います。にたいして、在日ペルー人の子はカタカナの名前だし、見た目もしゃべり方も「外国人」なんですね。だから、相手は「外国人」として扱うことになる。そりゃぁ、いまさら緊張感もないわなぁ。
どっちがどうという話じゃなくて、「そういう差があるんだなぁ」というふうに思ったんですよね。

5月を満喫

今日は、「第2のふるさと」で、宴会というかなんというか…。ある意味わたしの恩人の家にお呼ばれです。
朝早くに到着。その後、まずはタケノコ堀り。はじめは「しんどいなぁ」とか思うのですが、気がつくとムキになってしまうのが、このたぐいのことですね。「ひとり5本掘れよ」とか言われていて、「そんなん無理」とか思っていましたが、気がついたら余裕で5本は掘っていました。
堀ったタケノコを車に積んで家に帰ると、続いて待っていたのが「ちまきづくり」。ちまきを芦の葉っぱで包むのですが、これがけっこうむずかしい。でも、やっているうちに、だんだんとコツを覚えてきます。30本ほど巻くと「いけるやん」という感じ。でも、来年は忘れてるやろうなぁ。
てなことをやっていると、お昼です。宴会です。さっさとビールを呑んで、あとは赤ワインにはしります。さてさて、今日はいつまで宴会が続くんだろう。
「第2のふるさと」の人たちと、あーでもない、こーでもないと、しょーもない話をしながらワイワイと時が過ぎていきます。気がつくと、夕方。でも終わりません。さらに気がつくと、とっぷりと日が暮れています。てか、夜やし。
結局は、みんなで掘ったタケノコを湯がいてもらって、みんなで巻いたちまきと一緒に*1おみやげに持たせてもらって帰ることになりました。う〜ん、いいんだろうか…。

家に帰って、子どもたちに「ほれ」とちまきを見せたら、あっという間になくなりました。やっぱ、子どもたちにとっても「ふるさと」なんだよなぁ。

*1:てか、そのへんにあったものをいっぱいもらったよ

eトコ

昼は組合の女性部の昼食会。
自分が女性部に何かができるとは思えないんだけど、せめて「来てね」と言われたら、できる限り参加することが「できることかな」と思っています。やっぱり「人数」って元気のもとですから。

でも、途中で「ゴメン」と抜け出して、大阪へ。なんかよくわからないけど、金香百合さんのされているeトコという「場」の1周年の交流会があるらしくて、Kま本さんとかA久◯さんとかS々木さんに誘われていくハメになりました。
ここ、おそらくはふたつの側面を持っているんですね。ひとつは地域のコミュニティスペースという「内側」への「場」の提供。もうひとつは、さまざまな活動拠点として交流スペースをもちいることによる、「外」と「地域」の交流の場の提供。ここにはもちろん金さん自身が在日ということも含まれていますね。かなりさまざまな可能性を内包したことをやっておられるなぁという気がしました。

ただ、いくつか…。
今回のイベントではカントリー&ウェスタンのライブがありまして。わたしが中学〜高校の頃って、ちょうど諸口あきらとか高石友也とナターシャセブンとかの全盛時代だったので、わたしもすごく好きなんですが、やっぱり「西部の白人」の臭いがするんですよね。なんともいえないモヤモヤ感が残るんです。
あと、「血のつながりにこだわらない家族」みたいな表現、あるいは「人は一人で生きていると寂しいもの」という表現がそこここにちりばめられていまして。いや、そういう人もいるでしょうけど、そうじゃない人もいる。「そうじゃない人」のことを捨象した思いこみみたいなのがなんか漂っていて、これまたモヤモヤ感が残ります。
ん〜。マージナル感が稀薄な感じなのかなぁ…。よくわからないや…。

時すでに遅しorz

朝起きると、雨。
それでもカッパを持って出かけます。行き先は山。
カッパを着て、傘をさして、ひたすら山の中を歩きます。まさか雨の朝には来ないだろうと思いながら。
たしかに誰もいませんでした。でも、完全に先を越されていました。めあてのものはありませんでした。というよりも、1週間遅かったかもしれない。
今年の山菜とりもイマイチでした。はぁ…。