で、まつりの屋台

今日は前に住んでいたムラの秋祭りです。夜は保護者による屋台がでます。ここで例年わたしは焼きソバ屋さんをしています。てことで、昨日に引き続き、今日も焼きソバ屋さんです。
到着したら、さっそく
「ビール、呑むか?」
との質問。思わず
「この人、東京から来たし、天ぷらたべさせてあげて」
と頼みます。すると、どっからともなく「天ぷら500円」券が出てきます。
このムラの天ぷらは、ホルモンやタケノコ、こんにゃく、ゴボウと、通常では考えられない具を揚げるのですが、これがおいしい。しっかりと味を染み込ませた具材なので、口の中でほろりと崩れて、味がじんわりと広がります。これをいずみちゃんに味わってほしかった!
で、食べていると、もちろんどこからともなくビールが来ます。大満足です。
さて、今日の焼き方は、きのうプロから教えてもらった方法です。
まずは、具を炒めて味つけします。そこに沸騰したダシでほぐしたソバをポイと放り込みます。で、ソースをからめてできあがり。この方法、味つけはすごくあっさりしていて、それでいてけっこうおいしいです。そして、なんといっても早くつくれます。かなりなヒットです。
焼くのはわたし。それを5つにわけてパックに入れるのがいずみちゃん。最後にトッピングしてお客さんに出すのがパートナー。3人で、ひたすら焼きそばを売りまくります。
8時頃にいずみちゃんは旅の続きをするためにリダリダです。
このころには、だいたい売れ行きも「ながら」になってきて、余裕も出てきます。約150玉焼いたあたりで終了。
「ほれ」
とビールを出されたのですが、さすがに飲み過ぎと疲れですすみません。思わずそこらにあったプリンを「食べていいですか?」と言いながらむさぼり食ってしまいました。2個も…。そのおかげで、ようやく少し復活。やっぱり疲れているなぁ。

帰りはパートナーの運転してくれる車で寝てしまいましたよ。
家に帰ったら、体が芯から冷えています。お風呂に浸かってようやく体があったまってきました。これで寝られそう。

芋掘り大会

今日はわたしがかつて住んでいたムラの人たちと近くの共同作業所の人たちの交流会です。
なんでかわからないけど、ふだんよりも早い時間に家を出て、奈良近くまで移動します。9時前から交流会の会場の設営です。ちなみにこの交流会、公園を借りて、テントを立てて屋台を出してと、かなりおおがかりです。でも、とりまとめをしている人の人徳か、毎年かなりな大人数がかかわっているので、あっという間に設営完了。
で、今年はわたしは焼きソバの屋台担当のようです。
やがて共同作業所の人たちが来られて、まずは芋掘りに行かれます。その間にソバの試し焼き。まぁまぁの味つけかな。
やがて交流会のスタート。あとはひたすらソバを焼き続けます。まぁ焼いているうちに、だんだん段取りがわかってくるからいいのですが、お客さん(参加者)が一時に来られるのでたいへんです。
この交流会、数年前からやっているようです。
障害を持つ子どものいる親にとって、なかなか「ほっこり」と遊べる機会がないとか。作業所の人たちにとっても楽しいひとときなのかもしれませんが、作業所に子どもを通わせている親にとっても、けっこう解放される時間とのことです。まぁいろいろ考えさせられる話ではあるのですが、そういう「場」は、とりあえず今、必要なんでしょうね。
3時頃には交流会は終了。そこからバタバタと片づけます。まぁみなさん、慣れたもので、あっという間に撤収終了です。

交流会の後は、主催者側の打ち上げです。とりまとめをしておられる方の家にみんなで押しかけて、ワイワイと楽しく呑み・食べ・話をします。あっという間に時間が過ぎていきます。
普段ならわたしはつぶれるまで(笑)呑むのですが、今日は後に用事が控えているので、後ろ髪を引かれる思いでおいとましました。

やっぱり避けて通れない

2学期の人権学習の中で、ある学年は部落問題を扱います。
まぁビデオを見せて、生徒に考えさせたり教員から話をしてもらったりという感じで2時間を過ごすのですが…。
実は、わたしの職場の同和部は、「部落史の見直し」でけっこうその筋(笑)では知られていたりするわけです。もちろん、わたしがやったわけじゃなくて、うちのボスがやったわけなんですけどね。
でも、子どもたちに専門外*1のものが話をできるかというと、けっこうしんどいわけで。なので、5年ほど前までは1年かけて部落史の学習をしていましたが、ここ数年は避けて通っていたんですね。
でも、今年、いろいろいろいろ考えて、やっぱり避けて通れないなぁと。で、どこからアプローチするかと考えて、やっぱり教科書の記述かなぁと。
てことで、家に帰って下の子ども(6年生)の社会科の教科書を貸してもらって読んでみました。

検地と刀狩によって、武士と、百姓・町人(商人や職人)という身分が区別され、武士と町人は城下町に住み、百姓は農村や漁村、山村で農業や漁業、林業などに専念するようになりました。こうして、このころ、武士が支配する社会のしくみが整えられていったのです。
注)百姓 もともとは、一般の人々という意味でした。武士が登場すると、しだいに農業や漁業などを営み、年貢などを納める人々を指すようになりました。そして秀吉の時代に、農民や漁民など、村に住む人々の身分を指す言葉になりました。

人々の暮らしと身分
江戸時代の社会は、支配者である武士をはじめ、百姓や町人など、さまざまな身分の人々によって構成されていました。
武士や町人は、豊臣秀吉の時代から、政治や経済の中心である城下町に集められました。江戸をはじめ、全国につくられた城下町では大名やその家来たちが住む武家地、寺や神社の地域、町人地など、身分ごとに住む場所が決められました。町人地では、町人たちが町という小さな社会にまとまり、商業や手工業、流通、文化など、さまざまな仕事を営みました。都市には、城下町のほか、門前町や港町、宿場町、鉱山町などがありました。
いっぽう、人口の80%以上は、百姓によってしめられました。百姓は、農村や山村、漁村に住み、農業や山仕事、漁業などを営んで、米をはじめとする農産物をつくり、山は海から自然の恵みを得てくらしていました。百姓は、名主(庄屋)とよばれる有力者を中心に、時部tなちで村を運営しました。幕府や藩は、こうした村のまとまりを利用し、また五人組という仕組みをつくらせて、収穫の半分にもなる重い年貢(税)をおさめさせたり、いろいろな力仕事(役)をさせたりしました。
このほか、皇族や公家(貴族)、僧侶や神官などの宗教者、能や歌舞伎をはじめとする役者、絵師、学者、医者など、多くの身分が見られました。また、百姓や町人とは別にきびしく差別されてきた身分の人々もいました。
注)差別されてきた人々 百姓や町人とは別にきびしく差別されてきた身分の人々は、住む場所や身なりを百姓や町人から区別され、村や町の祭への参加をこばまれるなど、きびしい差別のもとにおかれ、幕府や藩も差別を強めました。
これらの人々は、こうした差別の中でも、農業や手工業、芸能を営み、また治安などをになって、社会を支え、伝統的な文化を伝えました。

いやぁ、おどろきました。今さらながらだけど。
ほんとうに細かいところまでていねいに書いてあるんですね。
ただ問題は、これを子どもたちが覚えているかどうかなんだけど…。

*1:例えば、わたしは社会の教員ではない、という程度の意味

シルバーウィーク(2日目)・合宿の朝

ひたすらしんどいです。完全な睡眠不足です。二日酔いもないわけじゃないけど…。
とにかくのどが渇いてお腹が減っています。どうしよう…。体の中から「味噌がほしい」という声が聞こえます。
てことで、「味噌買ってきて」。
買ってきてくれたところで、昨日の野菜の残り+なすびをゴマ油で炒めます。しんなりしたところで水+味噌を投入。グツグツしたところで、もやしのナムルの残りを投入。できあがりです。
熱いみそ汁(ゴマ油風味)がなかなか体に染み渡ります。ふぅ…。
やがて、ボチボチと撤収開始。
公園のゴミ拾い・網とバーベキューグリル洗い・台所の片づけをボチボチとやります。強力な助っ人が仕事で帰っていくのがちょっとつらいけど、強力な助っ人が家事を終えてきてくださったので、なんとか終了。
いったいなんのためにやったのかわからない合宿なんだけど、それでいいんだと思います。
「帰る」と言っていたヤツが、結局最後まで残ったりするわけで、そこに意味があるんだと思います。大切なのは「場」をつくること。そこからなにかが生まれるんだろうと、楽観的に考えることにしましょう。

シルバーウィーク(1日目)・合宿

今日は午後からトランスジェンダー生徒交流会の合宿です。
去年は8月最初にやったんですが、今年はどうしても日程がとれなくなって、ここまでずれ込みました。いちおう「夏の交流会」なんですがねぇ。
いちおう3時に集合をかけていたので、2時過ぎに現地に到着。誰も来ません。何人かから欠席連絡が入っていて、かなり不安です。とりあえず3時に駅まで行くと、それなりに人数が来ていてホッとしました。
まずは野菜と飲み物の買い出しです。といっても、わたしが行くわけじゃないですが(笑)。買い出し隊が帰ってきたら、野菜切り&下ごしらえの開始。交流会の1期生(現在大学生)の子が積極的に働いています。すごい成長したなぁ。現役のFTMは…。まぁあんなもんでしょう^^;;。
てことで、FTMの連中に「火起こしに行ってこい!」と指令を出しました。
「まかせたで」とまかせて、しばらくしたら炭がいこっています。
「なかなかやるやん」と言って、ふと横を見ると、ジェル状の着火材が一本丸々使われています。あのね…。
それでも、日暮れ近くなったところで肉を焼きはじめました。
今回の肉は朝鮮学校のPTAの会長さん御用達の肉屋さんから仕入れたもの。メチャうまい!久しぶりに「on the rice」をしたいと思いました。
そうこうするうちにO島さん登場。すでに新幹線の中でちょいと呑んできたとか。まぁ新幹線ってそういう場所ですから…。
わたしはというと、すみやかに「クズの素」に移行していたのですが…。気がついたらぜんぜんない。わたしはそんなに呑んでない。見ていると、弁護士さんがストレートでグイグイやっています。大丈夫か?
なんだかんだで10時頃まで公園で遊んで宿舎へ。
ここで横になったきり、記憶がほとんどありません(笑)。

流しそうめんの会

昨日突然弟から「流しそうめんやるけど、来るよね」とメール。って、連絡が前日かいな…。
ようやく体調ももどってきたので、参加することにしました。

朝、一発目に母親の手伝いをして、その後会場へ。
到着すると、すでにそうめんが流れていました。
なんでもわたしが行ったらその場で何かつくることになっているみたいなので、今回は「焼き夏野菜」&「魚蒸し」あたりで攻めることにしました。
やっぱり、夏の野菜は炭火で焼くとすごく香りが出ますね。
そうめんを食べ、炭のお守りをし、お酒を呑んでいると、やっぱり幸せな気になってきます。
さすがに昨日の今日なので、お酒の量も控えめ。夜は熟睡できそうです。これで疲れがとれるかな?無理だろうなぁ…。

いまだ降りず

文化祭と言えば、わたしはいつもの「役割」がありまして。教職員劇の台本書きだったりします。
これが、なかなか…。

というか、考えてみると、実にいろいろ文章を考え、書いているんですね。ブログだって文章だし、他にもいろいろあるし。で、アウトプットし続けていると、やっぱり内側が空っぽになっていく気がします。かといって、インプットがそう簡単にできるかというと、これができないんですね。
もちろん「本」もインプットですし、「テレビ」もインプットですし、「会話」もインプットです。「講演を聞く」というのもインプットか。それと「考える」ということもインプットかな。
やっぱりそういうことをしないと、「小ネタの神様」が降りてくる余地がないのかもしれません。

てことで、台本は一文字も書けず。タイムリミットは…。すぎてるな。

「豊かな人権教育の創造」実践交流会

今日は「全人教*1」の集会です。京都市内で実施ということで、わたしたちにも動員がかかりました。てか、別に動員がかからなくても行くつもりでしたがね(笑)。

午前中は神野ちどりさん@東大阪市立平岡東小学校長の講演「子どもの心を耕す人権教育をめざして −人権教育の指導方法等の在り方について(第3次とりまとめ)をどう活かすか−」。
はじめのうちは「説教かいな(;_;)」と思いながら聞いていたのですが、
「自分の話をさせていただきます」
と仁義を切ってからは、えらい勢いで自分が実践の中で出会ってきた生徒達、教員達について語りはじめられました。やっぱり、子どもの話は迫力があります。でも、それ以上に、神野さん自身が迫力ありすぎ^^;;。まぁ、東大阪で校長をやっておられるぐらいですから、「そーゆー人やろなぁ」とは思っていたのですが、やっぱり「そーゆー人」でした。
ただ、オチがなぁ…。
「「第3次とりまとめ」には、いままでの同和教育の流れにプラスして「社会づくりをしていく」という文言が明記されている」
みたいなことを言われていたけど、それ、いままでから言ってたし…。てか、うちのトランスジェンダー生徒交流会では
「身のまわりから社会を変えていく主体はお前らや」
と好き放題言いまくっていますし(笑)。

午後は3つの学校からの実践発表*2です。
京都の高校・大阪の中学校・長崎の小学校からそれぞれプレゼンがあったのですが、校種による違いみたいなものを実感しました。
地域と非常に密着した実践・他県の学校と交流をしている実践の紹介があった小学校。中学校では小学校との連携や異学年間の交流をうまくとりくんでおられます。こうしたとりくみと比較すると、やっぱり高校は地域・保護者から少し離れたところに実践があります。
高校の教員としては、小・中の実践の「ベタベタさ」をうらやましく思いながら、でも、高校として何ができるのかというあたりを考えなくちゃいけないなぁと思いました。具体的には、地域や保護者から一定卒業している子どもたち同士をどうつなぐのかというあたりかなぁ。

プレゼンの後はパネルディスカッション。なんか、高校だけかみあっていない気がしたのはしかたないかなぁ。
パネデの後、たまたま中学校の人を知っていたのであいさつをしに行ってみました。あちらも予想外だったのか「いつきさん!」と驚いていただけたのはうれしかったですね。
その後、文科省の人が「人権教育の指導方法等の在り方について(第3次とりまとめ)」についての解説。まぁあんなもんかなぁ…。

*1:全同教がこの7月に社団法人化して、さらに「同和」から「人権」に変わったそうな。

*2:プログラムには「プレゼンテーション」とか書いてありますよ。違和感があるなぁ…。

死のロード・5日目・お墓参り

宿毛に来たら、どうしても行きたいと思っていたところがありました。池上誠(いけのうえまこと)さんのお墓です。
池上さんの結婚差別事件については、結婚差別についての教材づくりをしたことがある人なら、必ずと言っていいほど出会うんじゃないかと思います。わたしも「宇治のモミジ谷」という地名と、震える手で書いた
「くやしいよ、お父さん」
という涙でにじんだ文字は、わたしも何回も見ました。
詳しいことについては、川口くんのブログに譲ることにしましょう。
今回宿毛に来ると決まった時から、絶対に行きたい。お墓の前で手をあわせたいと思っていました。
M越さん*1の紹介で、池上さんの出身の隣町の隣保館の館長さんに案内をしてもらいました。
宿毛市郊外の小高い丘の上にお墓はありました。

なんでも昔はもっと奥の方にあったのが、墓地の移転に伴って、最近こちらに移されたとか。
裏側にまわります。

一九七二年五月三日
差別への悲憤に自ら生命を
絶った若者ここに眠る

死の果てにやすらぎはない
生の闘いの彼方にこそ
部落の解放があり 自由が
ある
若人よ
ふたたび悔恨と挫折の道を
歩むな 起って 人の世の
熱と光を求め続けよ
一九七二年十月
部落解放同盟建立

とあります。

結婚差別についての授業資料をつくる時、よく
「そんなに古いのじゃなくて、最近の事件はありませんか?」
と聞かれることがあります。その言葉を聞くたびに、わたしは悲しさを通り越して怒りすら感じます。
死ぬのは一人でたくさんです。いや、一人の命もなくなってほしくない。にもかかわらず、これまでにどれほどたくさんの人が、結婚差別にあって、命を自ら絶ってきたことか。
池上さんのお墓の前で手をあわせながら、そんなことを思い出しました。
昨日の長浜のお墓のこと、今日の池上さんのお墓のこと。うちの子どもたちに、そして生徒達に伝えたいなぁと思いました。

*1:前のエントリの2番目の人で、いつも高知に行くとお世話になる人