某プロジェクトの再提出

1月中旬に提出した某プロジェクトの原稿。その後、厳しいチェック^^;;を経て手元に返ってきました。で、最大の難関は、
「◯◯の部分をもう少しわかりやすくしつつ、全体のページ数を原稿用紙20枚分減らしてほしい」
という要望。
まぁ、若干水増しした部分があったので^^;;、そのあたりをずばずば切っていったらずいぶんと減りました*1。でも、それとて限界があります。原稿用紙16枚分減らしたあたりでとまってしまいました。
さて、問題は「わかりにくい」というところの補足。
実は、今回のプロジェクトに出した原稿は、いまの自分の問題意識の最前線あたりについて書いた文章です。当然、自分の中でこなれていません。こなれていないと「なぜわからないのかがわからない」というところに陥ってしまいます。
で、まさにそんな感じ。
「ここにこう書いてあるのに、なんでわからへんの?」
と思ってしまうんですが、たぶん読んでいる人は
「ん?もう少していねいに説明して」
って思われるんでしょうね。
自分だけではどうしようもないので、友だちに「ヘルプ」を出したら、返事が返ってきました。なるほど、そこでひっかかっていたのか…。でも、こなれていないからどう説明していいのかが、いまいちピンときません。
でも、今日・明日中には提出しなくちゃなりません。
てことで、
「原稿用紙2枚分オーバーしました。許して下さい」
というメールと一緒に送ってしまいました。あとはどうなることやら…。

*1:って、どんだけ水増ししてたんや>自分

で、お散歩

山陰地方には「未指定」と言われる地域がけっこうあります。簡単に言うならば、「同和対策事業」を受けるための「地区指定」を「いらない」と拒否した地域のことです。ですから、施策の手がまったく入っていません。
今回そんなところに行かせてもらうこともできました。
なんというか、息を呑むという感じですね。区画整理はまったくされていないし、空き家もあって、高齢化がうかがわれる感じです。「施策を受ける」ということは、それと引き換えに「うちはムラです」とカムアウトをすることでもあります。そのどちらをとるかという中で、「クローゼット」を選択せざるをえなかったのもまた、差別のあらわれなんでしょうね。「施策を受ける選択」をしたムラをその後に見ただけに*1、そのことを強く感じました。

てなことをしていたら、あっという間に出発の時間です。大急ぎで駅まで送ってもらって、いっぱいおみやげをもらって、さぁ、京都に帰りましょう。
また来たいなぁ。ニューハーフの子の「その後」も知りたいし…。

*1:というか、知っているムラはほとんどがこちらの選択をしています

高友

「高友」と聞いてピンとくる人は、かなりマニアです*1。「高友」とは「高校生友の会」の略で、部落解放運動の中では、とてもポピュラーなものです。まぁ、すごく簡単に言ってしまうと、部落の「高校生交流会」ということになります。場所によっては、あるムラ単体でやることもあれば、地域単位でやったり県レベルでやったり、さまざまです。
で、今日は米子市単位の「高友」に参加してきました。
今日のゲストスピーカーは、徳島の青年です。
すごく絵のうまい人で、紙芝居を使ったりしながら、すごくわかりやすく人権についての話をしてくれます。それもそのはず、小学生相手の指導員をした経験があったり、現在は中学校のバスケ部のコーチをやったりと、子どもたちにかかわり続ける「地域のおじちゃん*2」として活動をしておられる人です。
しばらく話をして、いよいよオチかなぁと思ったあたりで、ふと後ろを見ると、主催者の方が「30分のばして」とか書いた紙を出しています。すると、ちゃんと30分つなぎます。それって、ほとんど落語の世界じゃないですか。
でも、その余分な30分が、すごくよかった。ここ3年間かかわってこられたバスケの子どもたちの姿をいきいきと話して下さいました。「人権についての話」は、ある意味誰にでもできるけど、子どもの姿を通して語られる言葉は、その人にしかできないし、また別の伝わり方がありますね。

で、1時前からお食事会。
「ビール〜」
と騒いだら、
「はい」
と出してもらえました^^;;
そうそう、ニューハーフの子にも
「参加しようよ」
と声をかけていたので参加してくれました。
やはり、「昼の人間」とのつながりって大切なんだと思うんです。でも、自己紹介の時に、ちゃんと「営業トーク」をしてくれました。ちょっとずつプロになっているんだなぁ…。
「高友」には大学生や青年部の人たちも「お姉さん/お兄さん」役として参加します。そういう青年たちの姿が、ムラの子どもたちにとってのロールモデルになるんです。そんな青年たちとニューハーフの子が
「アドレス交換しよ〜」
とか言っているの、かなりうれしかったです。

*1:と断定していいのか?

*2:お兄ちゃんに見えるけど

熱き心に

今日は午後から某人権教育関係の研究会の研修会です。今日の目玉は外川正明さんの講演。
外川さんとはじめてお会いしたのはいつの頃だろう。もう、かれこれ10年ほどになりますか。なんか、やたら知識と経験が豊富で、さらに状況の読みも深くて、「すごい人だなぁ」と思ったのが最初の印象でした。で、わたしが一方的に知っているだけのはずだったのですが、外川さんも、実はわたしのことをご存じだったみたいです。どうやら幾度か出したことのあるわたしの実践記録を読んで下さっていたみたいなんですね。で、あちらはあちらで「一生懸命やってる人だ」と思って下さっていたみたいです。で、いつのまにか親しくおつきあいをさせていただいているという…。
4時間目の授業を終えて、そっこう職場を出ます。で、京都府中部の小さな町まで移動。会場に到着すると、すでに会そのものははじまっています。でも、外川さんは控え室で、京都解放研の事務局長と談笑中です*1。わたしもお弁当を広げて聞かせてもらうことにします。
まぁお二人の話の詳細はおいといて、つくづく思ったのが「生まれてくるのが10年遅かったなぁ」ということです。
で、講演開始。
基本的には「若い人に同和教育の財産を引き継ぎたい」というスタンスの話です。なので、「知識」としてはいまさらな話になります。
でもね、その「いまさらな話」が、深く心の届いてくるんですよね。日常の挫折感とか、あきらめ感とかの中で、いつの間にか「まぁいいや」と思ってやり過ごしてきたことを、再び思い出させてくれる話なんですね。「そうだよなぁ」「そうだったよなぁ」という思いが自分の中からわき出てきます。
気がついたら、涙が出ていました。てか、まわりの人見たら、泣いてる人がかなりいました。
さあ、この涙を自分のものだけにするんじゃなくて、明日へどうつなげていくかが本当に大切なことなんですよね。

にしても、最後のあいさつが「熱い話をありがとう」ってどうよ。ピッタリですがな。わたしも最後に力を入れて話をしている外川さんの横に、ふと森口健司さんの顔が見えた気がしたのですが(笑)。
あ〜、暑かった。

*1:「だんしょう」で最初に「男娼」が出てくるのって、高校数学教員のパソコンか(笑)?

お散歩

昨日の朝、A久◯さんから
金泰九さん東九条を案内したいんだけど、どこに行けばいい?」
という連絡があって、つい
「どうせ明日はあいてるし、案内しよか?」
と答えてしまっていたという…。でも、金泰九さんを案内できるって、考えたみたらすごい機会だし、やっぱり気合いが入ります。
てことで、今日は朝からお散歩です。
とりあえず、今回はさまざまな施策がなされている「北側」から入っていくことにしました。柳原銀行資料館の前で、聞きかじりの部落史*1を話をしてみました。にしても、いつ行っても、周辺とのギャップに、なんとも言えないものを感じますねぇ。
で、そこからいよいよ八条通りへ。
八条通りの真ん中に立って、北と南を見渡しながら、「金さんの「街」」のありようを感じてもらいます。金さんの顔がこわばっていくのがわかります。正直言ってしんどかったのですが、でも、これを知ってもらわないと、「東九条がなぜここにあるのか」ということがわかってもらえません。
続いて「ひかり公園」に行って、これまた聞きかじりの「オールロマンス事件とオールロマンス行政闘争」の話を軽くします。その後、いよいよ東九条の街中をうろつきます。マンモス団地とかパッチギ橋とかを経て、40番地の跡地へ。ちょうど向こうから東九条マダンのメンバーが来たのであいさつ。若い同胞の姿に、金さんの顔がゆるみます。うんうん、これが東九条にはあるんですよ。
厳しい現実がありながらも、でもその中で精一杯楽しみながら運動をしている朝鮮人と日本人がいる。それこそが東九条の魅力なんだと、わたしは思います。
40番地の跡地を見た後は、マダンセンターに行って、当時の写真を見ます。ちょうど東九条マダンのメンバーもいたので、自治会活動をしていた朴哲さんに説明をしてもらいます。
たぶん、金さん、もうこのあたりで「お腹いっぱい」になっているんじゃないかなぁ。でも、シャワーのように東九条の空気を浴びてほしいなぁと思いました。

で、近くの食堂へ。ここ、ウリマルが飛び交う食堂なんですよね。ここでいっぱい食べて、ちょこっと呑んで(笑)、お次は同志社大学へ。尹東柱の碑を見に行きます。
ジッと碑を見つめられる金さんの心になにがあったのかは、やはりわたしにはわかりません。でも、「行きたい」と言われたその奥に「なにものか」があることはわかります。

ここで最後に記念写真を撮って解散です。
食堂でごはんを食べながら
「ありがとう」
と言われたのですが、こういう時間を与えてもらった金さんに、わたしのほうこそ
「ありがとう」
でした*2

帰りに寄った古本屋では父親の名前を見つけるし、なかなか有意義な半日でした。
さぁ、今日の晩ご飯はわたしがつくる番ですわ。その前に一眠りしてがんばろうかな。

*1:部落内の貧富の差とか、融和運動とかなんとか

*2:さらに昼ご飯、おごってもらったし。

なんぼ趣味でも…

今日は午後からの某在日外国人教育関係の会議に備えて、京都府南部にある某選挙事務所へ要請行動です。
にしても、出てきた人、もう、ワヤです。
「権利がほしければ帰化すればいい」
の一点張り。とにかく一緒に行った人に、こっそり
「早よ帰ろ」
を繰り返して、さっさと事務所を出ました。
はぁ…。

とは言え、こういう忸怩たる思いを、この人もしてたんだろうなぁ…。

ケータイ関係

いや、今日は某研究会の総会があって、その記念講演が「ケータイ」にかかわる話だったんです。
まぁ結局は「使い方」の問題がひとつ。そして「リアルな出会い」に裏打ちされた人間関係の重要性というあたりですか。
なんてまとめてしまったら、2時間の「意味」がなくなりますか…。

カスづくし〜散歩

昼頃まで東九条でうだうだしていると、やがて福知山からお客さんが来られました。
前々から「東九条〜おたふくのお散歩」の案内を頼まれていて、ようやく今日実現です。さらに、「カスとサイボシが食べたい」というリクエストがあったので、こいつも準備をしておきました。

まずは昼ご飯前の軽い散歩。パッチギ橋から堤防の街跡までを歩きます。天気もいいし、けっこう暖かくていい気持ちです。そのままスーパーで「水菜」「かぼちゃ」「うどん」を買って、マダン・文庫センターにもどります。そうそう、途中に「大韓民国■■民団」という看板を発見!つい笑ってしまいました*1
水菜はハリハリですね。カボチャはカスと一緒に炊きます。もちろんうどんはカスうどん。サイボシは薄くスライスしてそのまま食べます。
いやぁ!おいしい!なんと贅沢な昼ご飯。

一通り食べ終わったら、おたふくへ向けて出発です。
須原通りを北上しながら、東九条についての説明を軽くします。そこから「ひかり公園」へ。ここって、まさに「オールロマンス事件」の舞台なんですよね。まぁそんなあたりのことをちょこちょこっと話をして、柳原銀行の方へ移動します。で、ぶらぶらと河原町通を歩いて、「部落問題研究所跡」を見て、五条へと移動します。
途中、某事務所の前を通って、花街を通って、そのままおたふくへ。
もちろんおたふくでは「お好み三昧」です。もっともわたしはやっぱり体調が悪いので、漬け物なんかに走るわけですが(笑)。

で、4時半頃に解散です。
バスで帰るにはちょうどいい時間。さぁ、お家に帰って寝よう。

*1:不謹慎やなぁ…

某サイトなぁ…

別にわたしはそんなにパソコンに強いわけじゃないんです。ましてやネット関係なんてちんぷんかんぷんです。でも、某外国人教育関係のおじさまたちは、わたしみたいなものをはるかに上まわるネットというかパソコン音痴。なにしろ、数年前*1にメールアドレスを運営委員同士で交換している時に
「誰がそんなメールとかするねん」
と怒られていましたから。まぁ時代は変わりましたよ。
なので、どういうわけかネット関係はわたしのところにまわってきます。
ところが、わたしはなにしろ不精者。サイトの更新とかめんどくさいです。なので、こことか放ったらかしなわけで*2
ここしばらく
「どうしようかなぁ」
と思っていたのですが、ここは一発wordpressに走ろうかと。
いま、頭の中でどんな構成にするか考え中です。ふぅ…。

*1:モデムでつないでいた頃ですわ。通信ソフトは、もちろんwtermです(笑)

*2:現在つながりません