今日は午後から東京で組合の会議。
なんでXデー後1週間でそんなことを…。まぁしゃーないです。もとからあった予定ですから。というか、この程度を乗りきれないと、あとのいろんなことが乗りきれません。まぁ、壮大なリハビリということで。
会場に着いたら、さすがにほとんど知らない人ばかり。そりゃしゃーないです。基本「女性部長」の会議なんですからね。そんな中、それでも知っている人が数人。あと、わたしを知ってくれている人も数人。ちょっとホッとしました。
会議は淡々と進み、あっという間に終了。その後近畿ブロックの打ちあわせ。へーこんなふうにやってるんだ。打ちあわせもあっという間に終わり、その後
「呑みに行きません?」
と誘われたけど、今日は残念ながらパス。う〜ん、こういう展開になるんだったら、次回からは考えなくちゃ…。
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ムラの子だけどブラクミンじゃない(かもしれない)わたしと解放運動
今日は人権教育研究会の夏期研修会。午前は元IMADR職員の板東さんです。今日のタイトルは、その講演のタイトルです。
内容は、かなりプライベートなことなので、ここには書きませんが…。
ほんとうにいろいろ考えさせられました。まぁ結論的にいうと、アイデンティティ的には「辺縁群がおもしろい」ということです。
考えてみると、「部落内居住者」って、いろんなパターンがありますね。まずは「純ブラ*1」「半ブラ*2」「ノーブラ*3」(by 角岡さん)と、とりあえず3つのパターンがあります。で、それぞれに対して、例えば「運動をしているか」「出自を語っているか、隠しているか」「パートナーは部落民か否か*4」「進路はどうか」「階層はどうか」など、さまざまな要素があります。そこに部落外居住者まで含めると、もうなにがなんだかわからなくなります。なにが言いたいかというと、それぐらい「部落民」は多様であるということです。
ところが、こうした中で「部落内居住の純ブラ」は、アイデンティティのゆらぎがあまりない。まぁ「中核群」ってことですか。しかも、この人たちは、他の要素についてあまり問われない。まぁ大切な要素として「被差別体験」というのもあるんですが、若年層においてはどんなものだろう…。で、さらにこうした「中核群」は、「部落民とは誰か」ということを分別する基準を持っているみたいです。
こういうことを考えるたびに、かつて聞いた朴実さんの講演のあるフレーズを思い出します。
ある朝鮮人の集まりにいった時、日本名を名のる韓国籍の人から「お前は朝鮮人ではない」と言われた。そこで「朝鮮人とはなにか?」と問い返すと「それは国籍だ」と返された。
しかし、日本名を名のり朝鮮人であることを隠している韓国・朝鮮籍の人間と、日本国籍ではあっても民族名を名のり、民族文化を取りもどそうとしている人間のどちらが朝鮮人であろうか。
(こんな感じだったと思う)
きっと朴実さんに
「朝鮮人とはなにか?」
と問うたら、
「それはなぁ…」
と言いながら、その後は延々と語るか絶句するか。少なくとも、ひとことで言いあらわせるものではないということだけは伝わってくるような語り口になるんじゃないかと思うのです。でも、そこにこそ「アイデンティティ」があるような気がしてならないのです。結局延々と語り続ける以外ないということなんだと思います。でも、だからこそ、人間の存在はおもしろい。
まぁ、こんなこと「運動」にはならないんですが、でも、「人を変えるのは内圧」と考えるわたしにとって、「人(含むわたし)を変えること」=「運動」なわけで、やはりこのあたりを避けて通ることはできないと思うわけです。
てなことを考えさせてくれる、とてもいい講演だった気がします。
寝たきりでできる仕事開始
明日大阪である某セミナー。直前まで迷いましたが、大事をとって休むことにしました。関係者の皆様、わがまま言ってすみませんすみません。
その代わりといってはなんですが、セミナーで話をするはずだった内容を原稿にして送ることにしました。まぁ、自己紹介ややってることの紹介や今考えていることあたりの話なんで、さほど考える必要はないのですが…。
と思って書きはじめたのですが、これがけっこうたいへんでした。
やっぱり、考えることと、しゃべることと、書くことは、まったく違いますね。「書く」ためにはずいぶんと整理して、かつある程度筋道を立てる必要があります。やはり口から出任せしゃべるのとはぜんぜん違います。結局昼頃からとりかかって、途中、モトGP見たり、「燃えよドラゴン」を見たりしたものの、完成したのは午前0時オーバーでした。
担当者の方、すみませんすみません。
SORDへ
放送コンテストでお世話になったSORDへ、久々に行ってきました。目的は、JASEのニュースレターの配達です。
放送部の子どもたちが果たせなかった「思い」を、せめてわたしが子どもたちに代わってやらなきゃなぁという思いで書いた内容が、今月号の「つれづれ日記」です。それをぜひとも読んでほしかった。
SORDのみなさんは暖かく迎えて下さいました。それどころか
「京都府予選で落ちたのは、子どもたちにとっていい勉強だったんじゃないですか」
と、これまた優しい*1お言葉です。たしかにそうです。「負け」から学んでほしいですからね。
SORDのみなさんと中岡さんは、この27日に富士山に挑戦するとか。今日もその準備の真っ最中です。そんな時間をちょっともらいながら、けっこう有意義で楽しい話ができました。
子どもたちはこれからSORDに遊びに行くことはあるかな?たぶんないだろうな。でも、わたしはたまに顔を出してみよう。そんな空気を持っている「場」ですね。
とりあえず、富士登山、がんばれ〜!
*1:厳しい?
サポート(その2)
それでもとりあえず、昼前に家をスタート。駅までパートナーが送ってくれたけど、車を降りがけに、思いっきり頭をこづかれてしまいました。怖いよぉ…。
で、大阪へ。ここで、M木ちゃんとYちゃん*1に合流。あ、UIコンビももちろんいます。で、「かかし荘」へ。
しばし「はなちゃん」とか「K坂さん」とかと話をしながら、大阪の生活についてよもやま話。
やがて時間が来たので天王寺へ。ここでT原さんと合流。
まずはお好み焼き屋で大阪の高校生活について話。
5時頃になったところで
「河岸を変えましょう」
ということに。ちょうど京都からUITトリオのTさんも登場。さらに、なぜかBんちゃんも合流。いよいよ異種格闘義戦の様相を呈してきます。
とは言え、今日のメインテーマはYちゃんのサポート*2。
「どんな絵がほしいの?」
「あ、いかにも相談している感じが…」
「了解。みんないい?1・2・3・Q!」
これで、T原さんがいきなり相談をはじめるのがすごい。Bんちゃんもしっかり聞き役にまわっています。で、わたしはコーディネーターをするフリをしながらM木ちゃんにも話を振ります。みんな役者です。おかげさまで、無事ロケも終了。ってか?
ちょっとマジメに
続いて東九条へ。UIコンビからUITトリオになって、とりあえずインタビューとか。
基本的にはインタビューはしない方向みたいなんですけど、やっぱり落ち着いてまとめた話を聞きたいとか。そりゃそうでしょう。さらに言うと、今しかだめな話もあるわけで(謎)
にしても、クーラーの音がうるさいからとクーラーを切ったもので、暑いのなんの…。
インタビューの後の打ち上げのビール&チューハイのおいしかったこと。もっとも、打ち上げ会場も扇風機しかないけどね。
暑いさなかに、会話も暑い。
U「バブルのあとに生まれたヤツって、夢がちっちゃいんだよな」
I「え、そんなことないですよ」
U「あるって。お前ら、世界征服の夢とか見てないだろう」
D「あ、あるある。世界同時革命とか、今でも考えてる」
U「な、お前ら、そんなこと考えてないだろう」
I「た、確かに」
でも、考えてみると、大学の頃って、こんなんだったよなぁ…。
サポート(その1)
この3連休、サポート第1回目です。
今回は、2年ほど前に中国から来た子どものサポート。と言っても、なにをするわけでもなく、友だちにつきあってサポートの付き添いをしただけのことなんですけどね。
にしても、たいへんですわ。いや、たいへんなのは本人です。
学力はあるんです。わかればぜんぜんOK。ところが、日本語がわからないから、問題文の意味がわからない。だから答えられない。
ほんまに「学力」ってなんやねんと、つくづく思いました。なんとか高校に受かって欲しいなぁ…。
で、おたふく・もうひとつの祇園祭
お店に入ると、Kっくんがいます。久しぶりです。
再会を喜びあって、あとはグダグダと呑んで食べてしゃべって。
と、ここでちょっとおどろきの話が聞けました。
Kっくん、えらい疲れた表情だったので
「どないしたんですか?」
と聞くと、
「昨日、神輿かついだんや」
とのこと。神輿洗いだったんですね。
祇園祭は山鉾巡行がメインじゃなくて、本来は「神幸祭・還幸祭(神輿渡御)」がメインだったようです。
で、この神輿、「錦(にしき)」「三若(さんわか)」「四若(しわか)」の3基プラス「子ども神輿」の4つになります。ちなみに、子ども神輿は「四若」の神輿です。
「錦」をかつぐのは、錦市場近辺の人々。「三若」をかつぐのは、三条通商店街近辺の人々。そして、「四若」をかつぐのは、「おたふく」近辺の人々です。と言うと、「えっ?」っと思う人がいるかもしれません。
てことで、ちょっと探してみると、灘本さんのブログがひっかかってきました。確かに「祭り」には「キヨメ」がつきものですから、当然と言えば当然なんですが…。
さらにKっくんは、
「うちらのところだけじゃ人が足りひんから、他のムラからも手伝いに来てくれるんや」
と話します。まぁ、友だち関係ということもあるのかもしれませんが、でも、誰でもいいかというと、きっとそうではなくて、ムラの人じゃないといけないんでしょうね。
祇園祭と犬神人については、京都部落問題研究資料センターの「センター通信第10号(2008年1月発行)」に『日吉山王祇園祭礼図屏風』の図入りのがあるので関心のある人は読んでいただければと。
でも、こうした「歴史」の話ではなく、「いま」も祇園祭の最も大切なところをムラの人々が担っているということは、すごく興味深い話です。
で、フィールドワーク・刑場跡をたずねて
お昼にA久◯さんと合流。今日は九条山近辺の散策です。
京都の町中には2ヶ所刑場があって、ひとつは円町のあたり。もうひとつは九条山*1にあったらしいです。
てことで、前々から行きたいと思っていた九条山を、最近刑場マニアになりつつある阿◯Zさんに案内してもらおうという趣向です。
蹴上で合流したのですが、駅から外へ出ようとするとすごい雨。ふだんの行いの悪さが如実にあらわれます。まぁいいでしょう。
しばらく浄水場の横を歩いて、やがて山の中に入ります。といっても、横を走っているのは東海道、つまり三条通で、えらい車の量です。と、右手に石碑がありました。
今回は雨が降っているので近づくのはやめました。その代わりにこんなところを見つけちゃいましたので、紹介しておきましょう。
この九条山、他にもなかなか謎に満ちた感じがありまして、そのあたりについてはもう少しきちんと調べてみたいですね。
やがて、山を下っていくと、旧東海道との分岐点に行きます。
いちおう三条通は東海道ということになっていますが、当然のことながらかつての東海道はあんなに広い道ではありません。旧東海道は、軽自動車一台がやっと通れるくらいの狭い道です。でも、稜線をうまく使って*2高低差がないようにつけられています。やるな…、昔の人。けっこう道ばたには灯籠なんかもあって、こちらもゆっくり歩くといろんなものが発見できそうです。
で、三条通に降りて、こちらはよく知られた供養塔をちょっと見ました*3。
てな感じで歩いていたのですが、お腹が減ってきたので、おたふくへ移動です。
そうそう、御陵の駅に向かう途中、変な名前の中華料理屋さんがありました。なんでも、読みスジはマッカーサーだとか。なるほど…。
西成フィールドワーク
この日に約束した西成高校とうちの「若手教員の合同の研修会&宴会をしよう」が、今日実現しました。
とりあえず、午後からみんなで「聖地・西成高校」へ。みんなで
「ここが西成高校かぁ」
としばし感慨にひたります。でも、迎え撃ってくださったH下さんは
「なんもないしなぁ」
とええ感じの脱力感です。結局、校内をひとまわりして校長室へ。現在の校長はこの時の講師の方です。この方も、ええ感じの脱力感で、しばし西成高校の歴史について話。
「昔はうちの学校には3つの派閥があって、あるところがひきまわしをしてなぁ」
「それって、◯国委員会ですか」
「そうや」
もう、他の教員にはさっぱりわからないだろう話ですね。
「校長の写真の下見たらわかるけど、任期のおわりが3月ちゃうねん」
「なんでですのん?」
「まぁもたへんかったんやな(笑)」
あまりにもすごいです!
その後、西成のフィールドワークへ。案内してくださったのは、釜ヶ崎支援機構の方です。
労働センターからスタートして、支援機構の建物やシェルターを次々にまわります。
わたしは大学生の頃、釜ヶ崎で夜まわりのボランティアなんかをしたことがあったのですが、なんか、明らかに高齢化しています。てか、自分も高齢化してるんですけどね(笑)。まぁ言ってみれば、同時に進行しているというか。
ひとまわりして感じたのが、釜ヶ崎の運動って、まさに「生き抜くための闘い」なんですね。それが、比喩なんかじゃなくて、掛け値なしにその通りなんです。もしも運動がなければたくさんの死者が出る。例えばシェルターの中にはカーテンがありません。カーテンに閉ざされてしまうと、その向こう側で例えば吐血をしていてもわからない。プライバシーよりも命が大切という世界。
一方、雇用をつくりだすことも大切な運動。「カマからの脱出」だけをめざすのではなく、「カマで生き抜ける」ということも大切。
なんというか、ひとつの価値観だけじゃなくて、さまざまな「現実的な解」を模索しながらの運動のように思えました。