放送部合宿3日目・さすがに疲れた

朝起きると、生徒達もグダグダになっています。まぁ、かなり遅くまで編集作業をしていたみたいだから、しゃーないか。でも、ここは一発気合いを入れなくちゃ。
てことで
「散歩してこい」
と無理矢理起こします。

で、制作したものの発表会。
お題は「先輩を取材する+ロケーションを生かす」なんだけど、なかなかむずかしいですね。自分ならどうするだろうと思いながら作品を聞いていました。
まぁ、未熟ながらも、それなりかなぁという感じ。でもなかには、はじめから結論を決めて作品をつくっているヤツもいたりして、かなり厳しい講評が飛んだりして。
まぁこれからも、折を見ていろんな作品をつくらさなきゃならないですね。

みんなに帰る準備をさせていたのですが、管理人の方@推定70歳ぐらい?がいろいろと話をしに来られます。ありがたいようなめんどくさいような。でも、
「今日がなんの日か、みんなわかっているかな」
みたいな話もされるわけで、それはそれですごくありがたかったですね。

で、無事帰宅。さすがにヘトヘトです。晩ご飯を食べたら爆睡ですね。

放送部合宿2日目・はじめて下で待つ

今日は合宿の中日。
午前はいつものように機材講習です。
それにしても、最近の高校生って、どのコードをどこに入れるのかとか、どのコードは使ってはいけないとかがぜんぜんわかっていないんですよね。いったいなんでだろうと思ったのですが、ハタと気がつきました。
わたしたちの年代は、ちょうどオーディオブームで、どのアンプがどうとか、どのターンテーブルがどうとか、どのカートリッジがどうとか、そんな話題がいっぱいありました。必然的にphonoとauxの違いとかを意識せざるを得なかった。ところが、最近の高校生って、そんなもの一切ありません。そりゃわからんわな。なので、懇切ていねいに説明しちゃいました。

いいかい、ケーブルには動脈と静脈があってね…。
信号の強さには3種類あってね、弱いのと真ん中のと強いのがあるんだけどね…。

それを横で聞いていた3年生が
「「なぜそうしなければならないのか」ということが、ようやくわかった」
とつぶやいていたのが印象的でした。たぶん「慣れ」でやっていたことを意識化できたのかな。

午後は当然山登り。
今年はさすがにやめた方がいいとは思うのですが、やはりどこかで登りたい気持ちもあります。でもUさんに話したら
「やめたほうがいい」
と、当然の答えをもらいました。そりゃそーだ。
なので、後方待機。まぁ信頼できる卒業生がいるので、メールで逐次連絡をもらいながら、休憩ポイントに車をまわします。歩けなかったのはさびしかったけど、でも、それはそれでいいのかなとは思いました。

夜は、課題の制作。
ひたすら取材対象と話をするヤツ。ひたすら自分の中で文章を練るヤツ。いろんなヤツがいるなぁ。でも、わたしはそろそろオフだな。

放送部合宿1日目・

今日から3日間、放送部の合宿です。それにしても、どんだけ動きまわってるねんと、自分でもあきれます。
7時に起きようと思っていたけど、目が覚めると8時。この時点でアウトです(笑)。でも、眠い…。これから3日間もつだろうかと、かなり不安になります。
それでもなんとか合宿所に到着。
今回は、取材を兼ねてUITトリオも参戦してくれています。せっかくプロ(の卵)がいてくれているんですから、それを使わない手はありません。
到着してさっそく「ドキュメンタリー制作講座」の開始です。
Uさんの話を聞いていて感じたのは、結局ドキュメンタリーって、対象への愛なんだなぁということです。
対象になる人・ものを、追っかけて追っかけてしていくうちに、それへのさまざまな心の動きが出てくる。それは、必ずしも「好き」である必要はないわけで、「憎しみ」や「嫌悪」でもいいんだと思うんです。でも、そういう心の動きから「伝える」ことがはじまるのかなぁと思いました。逆に、そういう心の動きがおこらないパーソナリティーの場合、おそらく番組制作ができない。そのことに気づいたことも、大きな収穫だったかな。
ふだんはわたしはあまり「ダメだし」はしないタイプなんですが、今回はわたしもUさんと歩調をあわせて、ちょっと子どもたちの根底をえぐるような発言をしてしまいました。でも、そういうの、大切なのかもしれない。

夜は夜で、アナウンスの練習。といっても、声出しの練習じゃなくて、アナウンス原稿の制作です。
ここでもなんか、ドキュメンタリー制作との共通点を見つけた気がしました。
アナウンスの時って、基本的にはインタビューなんかはできません。また、すごく時間が短い。でも、「対象となるもの」への愛を伝えないといけません。その魅力を伝えるためには、対象となる「もの」の「声」を伝えなくちゃならない。そのために、主観と客観をどう入り混ぜていくのかが大切なのかなと。
ドキュメンタリーの場合は、「主観」にあたるところが「インタビュー」になるのかもしれない。でも、「インタビュー」ができない場合は、「聞く人」に変わってアナウンスをする人が、その「もの」にさわり、味わい、その「主観」を伝えるのかなと思いました。まぁ、そのさじ加減が難しいんですけどね。

にしても、すごく勉強になりましたねぇ。

ふるさとへ

朝、実家でハードディスクの増設作業をしようと思ったけど、SATAのケーブルがないことが発覚して断念。まぁ、バスのチケットと電車のチケットを買わなきゃならないので、早めに京都駅に行きますか。
ところが、バスチケットセンターもみどりの窓口もガラガラ。大幅に時間を繰りあげながら、西へと移動。着いたのは広島。
昨日から明日まで、広島女学院全国キリスト教学校人権教育セミナーが開催されています。で、わたしに分科会のコーディネーターをせよとの話がきたわけで。いや、もともとこの協議会の全国運営委員なので、このセミナーの運営に携わらなくちゃならないのですが、さすがのわたしも、全外教からの連続は体が持たないので、今回は(も?)失礼させてもらいました。
会場に到着したちょうどその時、責任者のY田さんから
「まだ着いていませんか?」
とメール。よほど不安なんだろうなぁ。すみませんすみません。すぐに
「今、下足室」
と返事を返しました。
で、昼食会場に着くと、全国運営委員長から
「打ちあわせをしてください」
と言われます。
「まぁほれ、委員長と打ちあわせたとおりで」
と返すと、
「いや、ちゃんと報告者と打ちあわせをしてください」
と怒られてしまいました。そりゃそうだ。
でもまぁ、コーディネーターなんて、よくしゃべる人がいたら楽なもので。とりわけ今回はそういう人が固まっていて、かつ10人しかいない分科会なので、楽勝です。さっくりとコーディネーター役を終えて、4時間の分科会も無事終了。

続いて交流会。
で、エントリが変わらないのは、ここの交流会はノンアルコールという(;_;)。まぁ、高校の敷地内なのでしかたがないといえばしかたがないのですが…。でも、わたしは秘密の水をこっそり持ち込んで、オレンジジュースやグレープフルーツジュースにたらし込んでいました(笑)。
ここで久しぶりに藤井創さんと再会。この方、北海道の某大学の教員をされていますが、めっちゃすごい人です。はっきり言って、「ファンである」と言わせていただきましょう^^;;。わたし的には、N島さんと双璧ですね。
メールアドレスの話なんかから流れていった話題の中で
「わたしの人生の師はマルコムXです」
ときっぱり言い切られます。すげえよ…。
で、ノンアルコールの交流会は2時間でさっくり終了。

全外教大会2日目

今日は分科会の日です。今回は「全国在日外国人生徒交流会卒業生の会」としてレポートを出しているので、わたしはそれのサポーターということで。ちなみに、レポーターの暴走機関車が今回はどうしても休みをとれないということなので、かわりにMちゃんとHちゃんがレポートをしてくれることになりました。わたしとしては、機関車が暴走するところが見たかったのですが、まぁ今回はほんわかムードでいくことにしましょう。
ところで、もともとなぜわたしが
「卒業生の会をしよう」
と呼びかけをしたかというと、やっぱりそれは、ujeeとか暴走機関車の存在が大きいわけです。地域のコミュニティ*1エスニシティのコミュニティ*2があればいいけど、ujeeのルーツはパラグアイと日本、暴走機関車アメラジアン。ujeeの場合は京都だから「交流会」がまだその役割を果たしているけど*3暴走機関車の場合はなんにもありません。
こういう状況は、例えば日本国籍を取得した朝鮮人とか、生まれ故郷から離れて遠方で就職した在日外国人*4なんかも同じだったりします。
で、こういう「行き場を失った卒業生達」が帰ってくる場所を、やっぱりつくりたいと思ったんですね。もちろんヤツらも自分たちでやってはいるんだけど、それっていずれは「友だちの集まり」になり、そのうち日常の忙しさの中で、徐々に疎遠になっていく可能性があります。なので、そうなる前に、もうワンクッション、「場」をつくりたいと思っていたんです。
で、まぁいろいろあって、ある日「やろう」と思い立ったというわけで。
まぁ、そんなことをサポーターとして話ながら、分科会に参加しました。久しぶりだわ。

*1:都道府県単位の「青年の会」みたいなもの

*2:在日はもちろん、中国人やフィリピン人、ブラジル人なんかはけっこうあったりする

*3:京都の交流会は、卒業がない(笑)

*4:あえてその地域のコミュニティにアクセスする人って、かなり少数なんじゃないかなぁ、想像ですが…

全外教大会1日目

朝、やたら外がうるさい。。時計を見ると、5時半です。もはや起きているのか?はたまた寝ていないのか?いずれにしろ、「歯を磨く」という名目で部屋から出ているみたいです。にしても、静かにしろよ。頼むから、そのスリッパの音で目が覚めるねん。
「お前ら、みんなを起こしにまわってるんか!」
と怒ってしまいました。でも、
「すみません」
と素直に謝る子どもたちは、ほんとうにいい子らです。
やがて、午前のプログラム開始。2時間の班別討論です。話が盛りあがるところ、深まるところ、うまくいかないところ。それぞれの班が、それでも一生懸命語りあっている姿は、やっぱりこの交流会の宝物ですね。
で、昼前から全体会。
「ここの担当、名前が書いてないけど、誰がするの?」
「あ、じゃぁお願いします」
しまった、先に動いた方が負けだったのね。で、司会の生徒といろいろ打ち合わせしたり、他の教員に根回ししたりしながら、それでもなんとかやりきって。
という感じで、どんどん交流会は最後へ向けて進んでいきます。
三重の担当者の方にとっては、長い長い1年間だったんだろうけど、それもあとほんの少し。そんなものなんですよね。交流会がはじまってしまえば、2日間はあっという間に去っていきます。
で、最後は大会参加の大人達へ向けてのアピール。こいつもなんとかこなして、今年の交流会も終了です。各地へ去っていく生徒達と
「気をつけて〜」「またね〜」
と手を振りあって、おしまい。

全外教大会0日目・全国在日外国人生徒交流会

到着したら、ちょうどプログラムがすべて終了したところです。生徒も引率も、とりあえず自分の部屋に帰ってきてくつろぐところ。てなことで、全国の引率の方々と
「久しぶり〜」
とごあいさつ。で、近況報告です。
「この間ゴニョゴニョしました」
「まぁ!おめでと!」
「めでたいのかなぁ(笑)」
やっぱり、生徒を軸にしたつながりって、ほんとうにいいですね。互いが互いに対して優しい気がします。
やがて、今回の交流会のわたしの数少ない出番。生徒実行委員会会議です。6月以来の再会ですが、また子どもたちが暖かい。そんな子どもたちと、小1時間のミーティング。明日の論議へ向けての微調整をはかります。
その後はエンドレスナイトのはじまりです(;_;)。
子どもたちは寝ない。でも、寝かさないと明日の論議が…。自主的に2時間ごとの当番をつくって夜回りをする教員もいます。もっとも別室では引率ミーティング&イーティングもやっていますけどね。
さすがにわたしは体調がキツイので、2時頃に布団に入らせてもらいました。でも、きっとまだ子どもたちとの攻防は続いているだろうなぁ…。

新しい視点から部落問題を考える

今日は人権教育研究会の夏季研。午前は記念講演。講師は関西大学の石元清英さんです。
わずか1時間半の講演の中で、部落の現状・歴史、さらには「部落とはどこか」「部落民とは誰か」について語り、さらに人権教育への提言までいってしまうあたり、すごいです。
先日の板東さんの話もそうだったんだけど、いままで自明としてきた「部落」「部落民」は、実は自明のものではないんですよね。すごく簡単に言えば、
「まわりから部落とみなされたところが部落」
なんですよ。これって、完全な自己言及です。でも、そうとしか言えない。さらに、
「まわりから部落民とみなされた人が部落民
これもまた、完全な自己言及です。でも、これもまた、そうとしか言えない。石元さんは「血筋の間違い」をきわめてロジカルにあらわされます。2000年調査(だと思う)のデータである、「純ブラ85%」「半ブラ15%」として、いくつかの仮定をおきながらではありますが、5代前までさかのぼると、16通りのパターンができます。この16パターンの確率を計算されるわけです。すると、「純ブラ」の確率なんて、1%未満になったりします。つまり、血筋の問題ではないと。結局まわりからの視線の中にあるわけです。
ここに部落問題の「語りにくさ」が出てくる。
そういう意味で、石元さんは
「部落問題は応用問題」
と言われます。これ、どこかで聞いたなぁ。あぁ、藤田敬一さんだ。
「にもかかわらず、従来の人権学習では部落問題から入っていった」
まぁそりゃそうです。そこで
「例えばミソジニーみたいなものを扱って、人間関係の問題を考え、そこからの応用問題としてやった方がいいのでは」
という提起がなされました。ここで「いじめ」とか言わないところがいいですね。ミソジニーは、「女性vs男性」という対立構造でとらえるだけじゃなくて、女性自身の中にも存在しますから、単純な「差別・被差別」の構図になりにくい。
とにかく、この夏、わずか1週間経たない間に、ふたつの立場から「部落とはなに?」「部落民とはなに?」ということを聞けたのは、大きな収穫でした。

ちなみに帰られる石元さんを送りながら、
「どうしても人権学習では◯◯「を」教えると考えがちなんだけど、◯◯「で」を教えるというふうに発想を転換すると、けっこうどの問題をやっても、人間関係とか社会の話に持っていけますよ」
みたいな生意気を言ってしまったりしていました。

「性と生」分科会

今日は分科会の日。いろいろありましたが、やっぱり「性と生」分科会に出てしまうのはしゃーないですね。というか、助言者は中村美亜さんやし。
とにかく今はあまりすたすた動けないので、早め早めに行動しなくちゃなりません。さいわいここ数年でそういうクセができつつあるので*1、+5分程度早めに動けばなんとかなります。
会場に着いてしばらくすると、中村美亜さん登場。
「おひさしぶりです〜」
「あ〜、いつきさん」
覚えてもらっていた\(^o^)/
午前中はレポート発表・質疑応答と助言者からのコメントで終了。言いたいことは山ほどあるけど、「質疑応答」で「意見」を述べるのは反則だというポリシーがあるので、ガマンガマン(笑)。
昼食休憩の時に、鹿児島のまりあちゃんのお母さんと対面。ひとことで言って、おもしろい人やな。でも、考え方に共感することが多々あって、うれしかったです。
で、午後はグループ討論。20分ぐらいで6〜7人がひとことずつしゃべる…。てことは、持ち時間は2〜3分ですね。てことは、しゃべれる内容は、ほんとうにワンポイントですね。
で、各グループからの発表。
で、休憩。
なんでいままでダラダラと書いたかというと、このしゃべりのわたしが、約4時間、ずっと黙っていたわけで。てか、グループ討論の1分ぐらいですよ。
てことで、全体討論ではたまっていたものが吹き出てしまいました。司会者の方、すみません、すみません。

*1:仕事上の問題で、そうしなくちゃならなかった

ここからが本当の用事

裏の用事はそれはそれ。表の用事もあるわけで。
今日〜明日と、日比谷公会堂で「母と女性教職員の会 全国集会*1」がありまして。今日はその全体会の日です。
この「母女」、実は「行きたい」とは思っていたけど、ずっと「行きたい」と言いだせなかったものなんですよね。ひとつは、うちの教組の女性組合員が「行きたい」と言ったら、もちろんそっちが優先です。
でも、もっと大きな理由は、「わたしが行ってもいいのか?」ということなんですよね。1954年からはじまった「母女」の運動は、当時の状況を考えると、画期的だったし、組合という中での一大ターニングポイントとなったと思うわけです。そして、いまも「退職女性教職員」という形で、当時のことを知る人々も参加されます。
こういう集会に、MTFトランスであるわたしが参加するということは、それなりの自分の中の「思い」が必要だし、それよりもなによりも、みなさんの「受けとめ」なしには参加できないと思うわけです。少なくとも「自分は女になった」などとは、口が裂けても言えない。逆に言うと、「男」だったら、もっと敷居が低かったかもしれないなぁとも思うわけです。
そんな自分ではあるけど、やはり一度は参加したかった。なので、今回たまたま参加希望者がいなかったということと、日程があいたと言うことで、はじめて「母女」に参加することができたわけです。
で、全体会。いい!
なにがいいかというと、例えば開会宣言やあいさつの時、必ず「自分のこと」をひとこと言われます。それが実に活き活きとした内容です。ほんとうに血の通った言葉が出ます。そんなところにも「母女」にかける思いを感じます。
で、桜井千恵子さんの記念講演。おもしろい内容だったけど、途中で体調悪化。まだリハビリが足りません。しかたがないので、ちょっと外に出てソファーで横になります。
続いて、沢知恵さんのコンサート。いいですね。ほんとうにいい。「おんな」が「おんな」に対して放つメッセージが、これほどまでに優しいものかと思いました。いろんな歌があったけど、例えば「おんな」にとっての「若さ」ってなんだろう、「老い」ってなんだろう、そんなことを感じながら、いま、わたしのとなりにいてくれている「おんなたち」との関係が、だんだん腑に落ちてきました。
と、いろんなことを考えながら聞いていると、いきなり「えっ!」と思う曲がはじまりました。
「死んだ男の残したものは」
でした。

*1:「全国母女」と略