読破

後ろ髪を引かれる思いでウトロを後にして、帰り道で「のだめカンタービレ」全巻ゲット。
家に帰って下の子どもに
「どうだ!大人になったらこんなことができるんだぞ!」
と自慢をしたら、素直に
「いいなぁ」
とうらやましがられてしまいました(笑)。
で、当然のことながら読みはじめます。と、とまらない…。12時になってもとまりません。1時になってもとまりません。結局、4時半までかかって23巻+2巻を読破。
明日お座敷があるのに、アホや…。

久しぶりの全キリ

今日は大阪で全国キリスト教学校人権教育セミナーがあります。
ここ、「いつきが誕生した場」といってもいいほど、わたしにとって大切な場です。でも、そのわりにまったく行くヒマがないというか、かかわるヒマがないというか、もう、不義理をしまくっています。でも、今回大阪で開催ということで、一日だけでも行くことにしました。
とは言え、朝、目が覚めたものの、ふとんの中でもがきまくりです。そりゃそうだ。最近の生活を考えたら眠くて当然。それでもなんとか起き出して、どうにかこうにか電車に乗りました。大阪駅に着いたところで、「はさん」からメール。
は「セミナー始まりましたよ〜。今どこですか?」
すんませんすんません。それでもどうにか、会場のKCCセンターにたどりつきました。
ん〜、久しぶりの顔顔顔です。みなさん、温かく迎えてくださいます。ありがたい!とは言え、実は「やらなきゃならない仕事」があったので、午後しばらく内職したりして^^;;。
と、基本的に穏やかなセミナーなんですが、やっぱりなんだろ…。いや、あるパネラーの方の発言を聞いていて
「あー…」
と思ってしまうのです。いや、在日の生徒にかかわる話で
「在日の問題は日本人の問題。いま在日である自分がパネラーになっているのは本来おかしい。日本人の教員が実践を出さなきゃならない」
という、至極当然の話が出されるんですが…。なんかイヤな気持ちになるんですね。もちろん正しい。でも、すごく攻撃的な感じなんですよね。
わたしは今年のGID学会でこんなことを言ったわけですが、そこのところなんです。やらなきゃならない課題は山のようにある。みんな「これこそ学校の課題だ!」と力説する。それは正しい。でも、正しさだけではどうしようもないところもある。
なんか、モヤモヤ感が残るなぁ…。
で、モヤモヤ感を残したまま夕食会。オモニ達のおいしい食事を堪能して、「バギやん」のコンサート。
で、8時過ぎからようやくビール。あー、やっと呑めたよ。

関西性教育セミナー

今日は夜は大阪で関西性教育セミナーがあります。「世界」を知ることができる数少ない機会です。とりあえず、お勉強をしに行きましょう。
会場は淀屋橋近辺。大阪駅から歩こうと思っていると、
「いつきさん」
と呼ぶ声が。OさんとUさんのおふたりでした。てか、なんで広い大阪駅でバッタリ会うんだ?でも、うれしいです。結局3人で会場へ向かうことにしました。
会場に着いてしばらく待っていると、本日の講師団が来られました。で、ミルトン・ダイヤモンドさんとがっちり握手。完全に顔を覚えられています(笑)。
まずは講師団の自己紹介から。東さんの人選もあったのかもしれませんが、トランス関係の研究者が心なし多いような。なかでも、Winterさん*1とElizabethさんのおふたりの話が興味を惹きます。個人的な興味としては、Winterさんのグループに行ってトランスをめぐる最前線の話を聞きたい気もするし、でも、今後のことを考えるとElizabethさんのグループに行って子どもたちの支援について話を聞きたい気もするし…。どちらのグループに行こうかなぁ。と思っていたら、おふたりでひとつのグループをつくってくださいました。ラッキーです。
まずはWinterさんからICD-11についての話。某所にあったように、Winterさんは「Gender Incongruence」を提唱されています。なぜ「Dysphoria」を使わないかというと、「distressを強調するのは精神疾病というとらえ方だからだ」と言っておられるような気がしました。いや、英語、わかりません。そもそも、ICDの中での位置づけも「精神疾病でも身体疾病でもない第三のジャンル」というふうに根本的に変えてしまおうと思っておられるみたいです。おもしろいなぁ。「DSMは精神疾病分類だから、どれだけ脱病理化をはかっても精神疾病から逃れられない」という主張(とたぶん言っていた気がする)が印象的でした。
続いて、Elizabethさんからオーストラリアの若年層トランスの話。メッチャ簡単に言うと、日本と一緒です(笑)。理解する親もいれば理解しない親もいる。理解する学校もあれば理解しない学校もある。制服のある学校もあれば制服のない学校もある。そんな中でいきいきとしている子もいればそうでない子もいる。そりゃそうだ…。でも、簡単に言うと、「特効薬はない」ということなんでしょうね。「これをこうしたらこうなる」みたいなことじゃなくて、ひとつひとつのケースに個々あたっていく以外方法がないということなのかな。
で、おふたりの話の中で印象的だったのは「子どもには治療は必要ない」ということでした。「サポートが必要なのは、親や学校」という話も出てきました。そりゃそうだ。でも、某所でHさんの発言が書かれていますが、「日本では医学疾患の方が、学校のサポートが得やすい」んですよね。まさに「病院に連れて行けば病気になり、交流会に連れて行けば変態になる」なんですよね。
それにしても、2時間ほど英語のシャワーを浴びると疲れます。で、ずっと通訳をしてくださっていたS々木さんに
「英語がわかるといいですね。わからないと半端なく疲れます」
というと、
「いや、英語がわかっても疲れます」
とのことでした。まぁ在日外国人の子どもたちのストレスも、こんなのなんだろうなぁ。
てことで、セミナーは無事終了。みんなで記念写真を撮って、ミルトン・ダイヤモンドさんやElizabethさんとハグハグ。

*1:≠ういんたさん(笑)

複合下層としての都市部落

今日は人権教育の研究会です。
午前中は分科会。今年は久しぶりにレポートを出すことにしました。さてさて、今後どうなることやら^^;。
で、午後からは全体会。記念講演は岸政彦さんです。どんな話が聞けるのか楽しみです。
基本的には2010年に岸さんがおこなった大阪市内にあるH地区*1の実態調査と、2000年に大阪府市が行った生活実態調査の比較から、都市部落のありようを考えようという話です。で、キーワードとして「貧困化・高齢化・流動化」の3つをあげられます。
このあたり、京都の都市部落に関しても外川さんなんかが早くから指摘しておられたし、わたしも感覚的には感じていました。とくに、前ふたつは最後の「流動化」によってもたらされます。「部落における人の流入出」というと、古くは「差別から逃げるために流出する」というふうにとらえられがちでしたが、実際には、もっと生活レベル、主として住居の問題かなと思います。これが、法律がなくなった時点でさらに加速されているということも感じていました。
岸さんの講演の中でこのあたりが実際のデータとして出されたのですが、まぁ驚くべき数字です。特に10年前の数値との比較において、より深刻化していることがよくわかります。
で、岸さんの主張として、従来部落問題は「身分的地域的差別の問題」としてとらえられてきたけど、そこに実際には「経済的貧困」が重なっているということ。まぁこれだけを言うと
「いやいや、行政闘争の中で指摘してきたことやん」
ととらえられがちですが、もう少し微妙な感じなんですね。おそらくは、過去の運動は、どちらかに振れてきた。つまり、「差別の問題」という時には「経済の問題」を少し退け、「経済の問題」を指摘する時は(差別は経済から生まれるという形で)「差別の問題」を少し退ける。でも、実際には複合した問題なんだということなんでしょうね。だからこそ「貧困の受け皿」としての都市部落のとらえ方がでてくる。
で、おもしろいなと思ったのは「アイデンティティの動員を含む総合的貧困対策としての部落解放運動と同和対策事業」というとらえ方です。これ、「部落のアイデンティティってなんだろう」ということと密接な関係があります。部落解放運動と言えるかどうかわかりませんが、少なくとも教員になってすぐの頃のわたしは「同じ」という主張を生徒たちに伝えてきました。でもその後部落史を勉強する中で「違い」を見いだしてきました。それは、「日本人ではない」ということではなくて、「日本人の中にもさまざまな違いがある」というあたりまえのことでした。そう考えた時、いろんな学習会で「同じ」という主張と「違う」という主張が同居する妙な場面があったことに気づいたりもしました。ここのむずがゆさこそが、「部落のアイデンティティってなに?」ということ、さらにそのことを通して「アイデンティティってなに?」というあたりを模索する、ひとつの提案があるなじゃないかなぁと、ふと思ったりしました。

*1:(笑)

新システムの導入!

一年生の授業は「二次不等式」へと入っていきます。
一次不等式は一次方程式と同じように解けますが、二次方程式は、連立一次不等式の考え方を使うなり、グラフを使って考えるなり、なんしか導入のところでハードルがあります。もちろん最後はパターン化していまうので、なんということもないのですが、導入のところでひっかかってしまうと、そこでストップしてしまう子がとても多い現状では、それでは切ないなと。
で、今回新規に導入したのがジャン!

不等式理解システム!
横に数字の書いてある帯がx軸です。そして、緑色のグラフがあります。今回は二次関数です。
「<0っていうのはx軸より下にあるのはどこ?って聞いているんだよ。だから、このグラフを下からみてみようね」
ジャン!

「>0っていうのはx軸より上にあるのはどこ?って聞いているんだよ。だから、このグラフを上からみてみようね」
ジャン!

使ったのは緑のビニールでコーティングしてある針金と、段ボール、白紙、マジックのみ。総工時間10分。チープです。
でも、脱原発の時代、電気を使わずプレゼンできる能力が求められている(のか?)。そこに必要なのは、ソフトを使いこなす能力ではなく、工夫する能力です(か?)
まぁ、子どもたちが楽しんでくれたらええやん(笑)

実験宣言

テストを返しながら、夏休みまでの3時間のことを考えていました。
「なぁ、君たち」
「ん?」
「ちょっとためしてみたいことがあるんやけど、協力してくれるか?」
「かまへんけど、なにすんや?」
「いや、ちょっと実験してみたいねん」
「なんや、オレら、実験台か」
「そや」
ってことで、実験することにしました。
さてさて、どうなることやら…。

会議

で、午後は某在日外国人教育関係の会議。
例によって例のテンションの会議なんですが、それでもきちんと進んでいきます。というよりも、みなさん、幅広い最新情報を手に入れて咀嚼しておられます。いつもながらすごいな…。
ただ、飲むものが変やから、話がくどくなるのが珠に傷なんやけどね(笑)。

排除する学校・排除に抗する学校

今日は校内の人権研修会。講師は大阪府立大学の西田芳正さんです。
実は元々は「エフェクティブスクール」についての知識的な話を話してもらいたいなと思って、その道の第一人者と交渉をしていたのですが、どうしても都合がつかず、なくなくあきらめたと。で、途方に暮れながらもいろいろ探していたら、西田さんに行きあたりました。で、どんな研究をしておられるか、最新の本を読んだんですが、これがおもしろい!早く先が読みたくて、結局、一日で読んでしまいました。
てことで、今日の研修は大期待です。
西田さんの話のキモを、あえてひとことで言ってしまうと「学校万能論も学校無効論も違う」「学校にできないことはたくさんあるけど、学校にしかできないことがある」ということかなと。で、「排除に抗する学校」であるためには、学校が何をどのようにして排除してきたのかを考える必要がある。
ということかなと。
で、それを具体的な事例をあげながら説明されるのですが、まさに「いるいるいる!」という感じなんですよね。実感と研究がピタリと一致している感じなんです。だからこそ、そこで最後に出てくる結論に説得力があります。
にしても、もちろん簡単な道じゃないんですけどね。

ちなみに、帰り、校門まで送っている時に
「排除する学校というタイトルはエキセントリックかもしれないけど、誰かが言わなければならない。少なくとも欧米の研究ではごく一般的なのに、誰も言ってこなかった」
と言われました。なので
「いやぁ、ムラに入った教員は、ごく当たり前に親から言われてきたと思いますがねぇ」
と答えました。西田さん、笑っておられました。

警報の中大阪へ

研修会が終わったら、大阪へ。なぜか会議です。
実はこの会議、研修会の最中に
「警報出てるから中止」
って連絡があったんです。でも、即座に構成メンバーから
「中止はまかりならん!」
との激しい怒りのメールが入って、
「中止は中止」
になった会議です。まぁ、わたしは行けさえすれば、あとは野となれ山となれな人ですから、もともと行くつもりでしたけどね。
で、2時間会議をしたら、警報は解除。雨もほとんど降っていません。
「行きますか」
「行きましょう」
ってことで、いつもの居酒屋へ。お店の方、完全に覚えておられて
「お待ちしてました」
と、予約もしてないのに席をとっといてくれるのはいったいなぜなんだろう。
当然話は今日の中止の中止の話になるわけで、
「まかりならん!」
と怒った人は、ここでも
「這ってでも来い!」
とか、怒りまくりです(笑)
でも、
「それがオレらの仕事やろう!」
というひとことに、ただならぬプロ意識を垣間見ました。それに触れられるのがうれしくて、わたしも「この場」にいるんですけどね。
てなことをやっていると、あっという間に終電の時間。前回の二の舞にならないために、今日は立って帰ることにしますか。
てことで、無事帰れました。が、あした持つのか?

インクルーシブ教育

今日は人権関係の研修会。午後は講演です。で、実はわたしは「聞かされ役」にはなりません。というのは、わたしが「聞きたいな」と思う人を推薦してて、たいていみんな通してくださるからです。うれしいな。
で、今日の講師さんは常磐会大学の掘智晴さん。たぶん、ドストライクの人ではないかと。ただ、講演聞いたことないから、わかりませんけどね。
折しも警報が出てる中、講演開始です。
当初は2時間の予定でしたが、急遽1時間半にしてもらったのがまずかったのか、
「これで終わります」
と宣言されたのが、話しはじめられて40分後です。やばい!
ところが、ここからがうちらの研究会のすごいところです。質疑応答の集中砲火です。
そりゃ、
「高校でもインクルーシブ教育をするべきだ」
しか言ってくださっていないわけで、わたしらとしては
「んなもん、現状では無理ですやろ!」
となりますよ。
でも、ここからがおもしろかった。答えがいちいち不器用で、だから本音が伝わってきます。
たぶん、インクルーシブ教育を実現するって、単なる制度改革ではすまなくて、高校の中に根源的にある「適格者主義」を根底から覆していかなくちゃならない気がしました。
で、高校の適格者主義の要請はどこから来るかというと、もちろん教員自身の中にあることは前提ですが*1、それだけではなく「出口=進路」からの要請があります。簡単に言えば、進路先の大学も企業も、基本的には適格者主義です。だから、適格者を育てることが使命にならざるを得ないし、それができない高校は「ダメ」の烙印が押される。教員はその烙印を避けるために必死で適格者主義を守ろうとするし、適格者に育てられる可能性の高い「ほとんど適格者」をほしがる。
インクルーシブ教育を実現するということは、そういう社会のあり方を根底から覆してしまうものなのかもしれません。
そもそも、「適格者」とは誰なのか?「適格する」とはどういうことなのか?根源を問う可能性を持つよなぁなどと感じました。
結局、講演終了から50分質疑応答があって(笑)、講師の方の
「そろそろやめましょうか」
で終了。そりゃぁ質疑応答は疲れますよ。
でも、帰りに何人かに
「どうでした?」
って聞いたら
「最初はどうなるかと思ったけど(笑)、最終的にはおもしろかった」
って返事が返ってきたから、成功だったんでしょうね。

*1:教員のほとんどが適格者主義の中で成功をおさめた適格者である