就任会見

なにせ、朝刊を読むのが夜。最終的に前日夜〜その日にあった情報が入るのが午後10時くらいという生活をしているので、「昨日」のことを書くことになってしまいます。
てことで、鳩山の就任会見ね。
せっかくだから、前文をコピペ。

【冒頭発言】
このたび、衆議院参議院両院におきまして、総理に選出をいただきましたその瞬間に、日本の歴史が変わるという身震いするような感激と、さらに一方では、大変重い責任を負ったという、この国を本当の意味での国民主権の世の中に変えていかなければならない、そのための先頭を切って仕事をさせていただく、その強い責任も併せて感じたところでございます。

社民党さん、国民新党さんとともに、民主党、中心的な役割を果たしながら、連立政権の中で、国民の皆さま方の期待に応える仕事を何としてもしていかなければならない。強い使命感を持って仕事にあたりたいと感じているところでございます。

言うまでもありません。この選挙、民主党、あるいは友党は大きな戦いに勝利しました。しかし、この勝利は民主党の勝利ではありません。国民の皆様方が期待感をもって民主党などに対して1票を投じていただいた結果であります。

まだ歴史は本当の意味では変わっていません。本当の意味で変わるのは、これからの私たちの仕事いかんだと、そのように感じております。私たちは、今回の選挙、国民の皆さまの様々なお怒り、ご不満、悲しみ、全国各地でこのようなものをたくさんちょうだいしてきました。何でこんな日本にしてしまったんだ、こんなふるさとにしてしまったんだ、その思いを私たちはしっかりと受け止めていかなければなりません。そして、そこに答えをしっかりと出さなければならない。大きな役割を私たちは担わなければなりません。

すなわち、今回の選挙の勝利者は国民の皆さん方でございまして、その国民の皆さまの勝利というものを本物にさせていただくためには、とことん、国民の皆さまのための政治というものを作り出していく。そのためには、いわゆる脱官僚依存の政治というものを今こそ世の中に問うて、実践していかなければいけません。

私たちはさまざまな仕組みの中で脱官僚依存、すなわち官僚の皆さんに頼らないで、政治家が主導権を握りながら、官僚の皆さんの優秀な頭脳を使わせていただく、そういう政治を送り出していきたい。その先には、言うまでもありません、国民の皆さんと心を接しているのは政治家である。その気概を持って、国民の皆さん方の様々の思い、政治を変える、何のために変えてもらいたいのか、その思いを受け止めて、私たちが大きな船出をしっかりとしていきたい。そのように感じているところでございます。

そのためには、今までのように、国民の皆さんもただ1票を投じればいいんだという発想ではなく、ぜひ政権に様々ものを言っていただきたい。政権の中に参画していただきたい。私たちが皆様方のお気持ちを、いかにしっかりと政策の中に打ち出していけるか否かは、国民の皆さまの参加次第にかかっているとも申し上げていいと思います。

私たちはそんな中で、今までマニフェストというものを作り上げてまいりました。子ども手当の問題にしろ、ぼろぼろになった年金を何とか正していくというテーマにしても、そのための財源をどうするのか、その思いの中で無駄遣いを一掃しなきゃならん、まずは無駄遣いを一掃するべきだ、その発想の中で行政刷新会議を作り上げてまいりました。そして、国家戦略室というものも作り上げていきたい。

そこによって国民の皆様方に必ず国家的な大きな役割、指針を見いだしながら、国民の期待に応えてまいりたい。そのように感じているところでございます。多分、いろんな試行錯誤の中で失敗することもあろうかと思います。ぜひ国民の皆さんにも、ご寛容を願いたいと思っております。

何せまだ、ある意味で未知との遭遇、経験のない世界に飛び込んでまいります。政治主導、国民主権、真の意味での地域主権のために、様々な試行実験を行っていかなくてはなりません。したがって、国民の皆様方も、辛抱強く新しい政権をお育て願えたら、大変幸いに思っております。そのような思いの中で、連立政権を樹立をする決意を固めた次第でございます。

あくまでも国民の皆様のご期待に応えるような新しい政治を作りたい。その思い一つで連立政権を樹立いたした、その思いをみんなでかみしめながらスタートしたいと思っておりますので、国民の皆さんにもご辛抱の中で、ご支援ご指導をいただきたいことを祈念いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

「国民」という言葉が乱発されていることに、どうしてもぬぐい去れない違和感を持ちながらも、全体的なトーンとしては、ちょっとワクワク感があったりしてしまいます。なんというか、やたら難しいプラモデルの箱を開けた時の感じ(笑)?
なかでも個人的に好感が持てたのが

多分、いろんな試行錯誤の中で失敗することもあろうかと思います。ぜひ国民の皆さんにも、ご寛容を願いたいと思っております。

のくだり。初々しさを感じながらも、こういう謙虚?なメッセージって、久しぶりに聞いた気がします。いまままでは、結局「オレにまかせておけ!」だったわけで…。

にしても、カジは急激には切れません。
直前まで自民党政治がやってきたものを引きずりながらしか「変革」のしようがありません。予算のことや人事のことなど、「既に決まったこと」を、そうかんたんに「ホイッ!」と変えるわけにはいきませんからねぇ。
もしも民主党政権に「急な舵取り」を期待するならば、それは失望にしか終わらないと思います。てか、急な舵取りって、そもそも誰かに依存するものじゃないんだと思います。だって、それは「革命」ですからね。
とにかく、しばらくは見続けましょうか。
「ちょっとはマシ」がどの程度実現できるのか。でも、「少しでもマシ」になり続けたら、やがて方向は大きく変わっていくはずですから。

いい番組だと思う

今日の人権教育関係の会議で、みんなに見てもらった番組、けっこういい番組だと思うのですが…。
江戸川大学の放送コンテストで2005年度の最優秀賞を受賞した「君にニーハオ」という番組です。広島の国泰寺高校の制作です。
別ウィンドウでひらくことにしましょう。

でも、なぜかあまり反響がなかった。まぁ使い方が難しいのかもしれないですけどね…。

主役は誰?

下の子どものバレエの発表会とやらで、某教育研究団体の会議を午後ブッチして滋賀県へ行ってきました。
演目は「コッペリア」です。
まぁ物語の詳細はwikiに譲るとして…。

なんか、見ていて切なくなりましたね。
「若者」とりわけ「少女」の残酷さをひしひしと感じました。わたしはどうしてもコッペリウスを中心に見てしまったのですがねぇ…。

「場所」はどこにある?

http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20090911-OYT1T00603.htm

女子800優勝の南ア選手は両性具有…豪紙

シドニー=岡崎哲】8月にベルリンで行われた陸上の世界選手権女子800メートルで優勝した南アフリカキャスター・セメンヤ選手(18)について国際陸連が性別を調査している問題で、オーストラリア紙シドニー・モーニング・ヘラルド(電子版)は11日、セメンヤ選手が医学検査の結果、男女両方の生殖器を持つ両性具有だと判明したと伝えた。

同紙によると、血液や染色体、婦人科の検査を行った結果判明したもので、セメンヤ選手には卵巣がなく、男性ホルモンのテストステロンを大量分泌する精巣が体内にあることが分かったという。セメンヤ選手は出生証明書では女性ながら、幼少時から男性的な身体能力があると指摘されてきた。

国際陸連は医学検査結果をもとに対応を検討するが、同紙は、セメンヤ選手の金メダルは剥奪(はくだつ)せず、2位だったケニアのジェネス・ジェプコスゲイ選手にも金メダルを与える可能性を指摘している。
(2009年9月11日13時39分 読売新聞)

疑問が一つ。「男女両方の生殖器を持つ両性具有」ですか。ほんまに?
というのはおいといて…。
う〜ん。2位の選手にも金メダルを与える可能性?じゃぁ、セメンヤ選手の金メダルの意味はいったいなに?

http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/athletics/2640101/4565236

過去に事例のある両性具有の4選手に対しては「キャリアを終えるよう要請した」と発表している。

スポーツ、あるいはもっと言うならば「競技スポーツ」っていったいなんなんだろうと思います。スポーツにおいて大切なことは、もっと他にあるんじゃないかなぁ…。

あれから8年か

あの日、ニュースを驚きとともに見ました。あの映像とともに、その瞬間「キター」と思ったことは忘れられないし、忘れてはならないと思います。そして、あの時を境に「世界」は確かに変容しました。

君たちが自分のまわりの細かなことのみに気をとられている間にも、君たちはまるでベルトコンベアーに乗せられたかのように、流され続けている。
将来、「こんなはずじゃなかった」と思わないために、自分のまわりだけじゃなく、世界を見つづけることが必要なんだ。

これが今日の授業の最初の言葉でした。
たとえ数が少なくても、それでも聞いてくれる子に伝えよう。くじけそうになるけど、あきらめないと、あの日に決めたんですよ。

興味深いやりとり

最近、ポツリポツリとやってくる/送り出すやりとりをこの人とやっています。
発端は、突然来たメール(笑)。

「反貧困」と野宿問題との間には、「男と女と間」にある「深くて暗い川 誰も渡れぬ川」があるんですね。
その川は、野宿者が「残飯に手をつっこむときの人間としての尊厳」を渡るときの川なのかと思います。

なるほどなぁ。
でも、その「川」っていったいなんなんだろう。
いや、もう少し言うならば、「残飯に手をつっこむときの人間としての尊厳を渡る川」っていったいなんなんだろう。
「川」の前ではものすごい躊躇があるんだろうな。でも、もしかしたら渡ってしまうと「あっけない」ものかもしれない*1。そもそも「人間としての尊厳」っていったいなんなんだろう。そして、その躊躇をつくるものって、いったいなんなんだろう。
いろんなことを考えさせられながら、わたしもポツリポツリと返します。
さて、これからどう展開するんだろう。

*1:ふと『失踪日記』を思い出したりして…

台風の報道に違和感を覚える

別にどーでもいいことなんですが…。
台風の報道のテロップに「夏休み最後の日」と書いてあったのですが…。
たしかに昔は9月1日が始業式という学校が多かったですよね。もちろん「秋休み」とか「寒中休み」とかがあって、始業式が9月1日じゃない県もあります(した?)けどね。

にしても、長野とか北海道とか、まぁ寒冷地じゃない都道府県においても、8月いっぱいまで夏休みがある学校って、今、どのくらいあるんだろう…。たぶん半分もないんじゃないかなぁ。

てなことを、「◯道ステーション」でテロップをつくった人は知っているだろうか(笑)。

ひとりだけかな?

で、負け戦の人も、勝ち戦の人も、いろんなコメントを返していました。
みんな一様に主語としていたのが「国民」でした。そのことに、強い違和感を持つことすらしんどくなるほど、あたりまえに使われていました。
その中で、一人だけその主語を(たぶん)使わなかった人がいました。その人って、「田中康夫」だったんですよね。なんとなく「なるほど」と思ってしまったりして…。

こわい…

いや、わたしは基本的には「反自民」ですから、自民が負けたことそのものはとてもうれしいのですよ。でも、あまりにも民主が勝ちすぎな気がします。
4年前「郵政」の風が吹いて自民・公明が大勝をした。で、今回その反対の風が吹いて民主が大勝をした。

わたしは議会制民主主義というのは、拮抗するふたつ、ないし、いくつかの考え方が、互いに考えをぶつけながら合意を形成し、あるいは妥協をし、「まだマシな方向」へと進んでいくようなものではないかと思っています。
こういうのがいいかどうかはわからないけど、こういうしくみそのものが「まだマシなしくみ」なんだと思います。そういう意味では、前回の総選挙も今回の総選挙も、ひとつ、ないし2つの政党に決定的な力を与えたと言うところでは同じ意味あいを持っているように思います。
それは、「めんどくさいからパシッとやって!」という感じ?もっと簡単に言うならば、独裁者を求めている感じ?議会制民主主義のめんどくささを受けとめられない感じ?
じゃぁ、革命を起こすのかというとそうではない。選挙を通して「誰か」に委ねる。

4年後、民主への逆風が吹いた時、またその風が推すその政党がどんな政党になるのかがこわい。

風にとらわれず、自分の場所から選択をしていく必要があると思うんだけどなぁ…。

大阪は誇りに思っていいと思う

3年連続で最下位?それは誇りに思うべきことだと思います。それほどまでにしんどい家庭や子どもたちを引き受けてきた、その結果だからです。んなもの、3年間でどうにかなるものじゃないです。
ついでにいうと、小学校で成績が上昇していることと中学校で成績が変わらないことも、「当然やなぁ」と思います。しんどい地域であればあるほど、小学校段階での「できる子」は、たいていの場合中学では私学へ行きます。小学校段階で力をつければつけるほど、その傾向は強くなり、成績上位層が大量に私学へ流れていきます。
小学校段階で学力的にクラスを引っぱっていた層がずっぽりと抜けた中学校は、ほんとうにしんどいです。
教室の崩壊を食いとめるかどうかは、実はこの層がどの程度のパーセンテージいるかにもよるように思います。経験的には、「授業なんてどうでもいい」と思っている人数が、教室の3割を超すと、いきなり教室は崩壊する。そんな気がしています。
きちんと調べていないのでよくわかりませんが、秋田と大阪の私立中学校への流出者のパーセンテージを比較するとおもしろい結果が出るんじゃないかなぁと思います。さらには、私立中学校の全国学力テストへの参加率とかね。
でもまぁ、そんなことを考えるまでもなく、わたしの知っている「しんどい学校」と言われる中学校の教員を見る限り、大阪の教員の指導力は全国でもピカイチだと思いますがねぇ。そんな人たちだから、とてもしんどい状況であっても、なんとかなっている。
大阪は最下位であることを誇りに思っていいと、わたしは思います。