で、負け戦の人も、勝ち戦の人も、いろんなコメントを返していました。
みんな一様に主語としていたのが「国民」でした。そのことに、強い違和感を持つことすらしんどくなるほど、あたりまえに使われていました。
その中で、一人だけその主語を(たぶん)使わなかった人がいました。その人って、「田中康夫」だったんですよね。なんとなく「なるほど」と思ってしまったりして…。
カテゴリー: 考え
こわい…
いや、わたしは基本的には「反自民」ですから、自民が負けたことそのものはとてもうれしいのですよ。でも、あまりにも民主が勝ちすぎな気がします。
4年前「郵政」の風が吹いて自民・公明が大勝をした。で、今回その反対の風が吹いて民主が大勝をした。
わたしは議会制民主主義というのは、拮抗するふたつ、ないし、いくつかの考え方が、互いに考えをぶつけながら合意を形成し、あるいは妥協をし、「まだマシな方向」へと進んでいくようなものではないかと思っています。
こういうのがいいかどうかはわからないけど、こういうしくみそのものが「まだマシなしくみ」なんだと思います。そういう意味では、前回の総選挙も今回の総選挙も、ひとつ、ないし2つの政党に決定的な力を与えたと言うところでは同じ意味あいを持っているように思います。
それは、「めんどくさいからパシッとやって!」という感じ?もっと簡単に言うならば、独裁者を求めている感じ?議会制民主主義のめんどくささを受けとめられない感じ?
じゃぁ、革命を起こすのかというとそうではない。選挙を通して「誰か」に委ねる。
4年後、民主への逆風が吹いた時、またその風が推すその政党がどんな政党になるのかがこわい。
風にとらわれず、自分の場所から選択をしていく必要があると思うんだけどなぁ…。
大阪は誇りに思っていいと思う
3年連続で最下位?それは誇りに思うべきことだと思います。それほどまでにしんどい家庭や子どもたちを引き受けてきた、その結果だからです。んなもの、3年間でどうにかなるものじゃないです。
ついでにいうと、小学校で成績が上昇していることと中学校で成績が変わらないことも、「当然やなぁ」と思います。しんどい地域であればあるほど、小学校段階での「できる子」は、たいていの場合中学では私学へ行きます。小学校段階で力をつければつけるほど、その傾向は強くなり、成績上位層が大量に私学へ流れていきます。
小学校段階で学力的にクラスを引っぱっていた層がずっぽりと抜けた中学校は、ほんとうにしんどいです。
教室の崩壊を食いとめるかどうかは、実はこの層がどの程度のパーセンテージいるかにもよるように思います。経験的には、「授業なんてどうでもいい」と思っている人数が、教室の3割を超すと、いきなり教室は崩壊する。そんな気がしています。
きちんと調べていないのでよくわかりませんが、秋田と大阪の私立中学校への流出者のパーセンテージを比較するとおもしろい結果が出るんじゃないかなぁと思います。さらには、私立中学校の全国学力テストへの参加率とかね。
でもまぁ、そんなことを考えるまでもなく、わたしの知っている「しんどい学校」と言われる中学校の教員を見る限り、大阪の教員の指導力は全国でもピカイチだと思いますがねぇ。そんな人たちだから、とてもしんどい状況であっても、なんとかなっている。
大阪は最下位であることを誇りに思っていいと、わたしは思います。
テストの意味
わたしはテストには2種類の意味があると思っています。
すごく簡単に言うならば「入り口のテスト」と「出口のテスト」ということになるでしょうか。
「入り口のテスト」は、それを評価の対象にするのではなく、今後の指導の資料とするものです。「出口のテスト」は、まぁいってみれば「到達度」を測るもので、それを評価の対象にする*1ものです。
ところで、全国学力テストって、どっちなんだろう?
本来的には「入り口のテスト」なんじゃないかと思うのですが、実際には、地域・教育委員会・学校・教員の「評価」として使われている気がします。
これ、意味をはき違えている気がするのですが…。
*1:この場合の評価は、必ずしも生徒だけじゃなくて、実は教員自身の(自己)評価にもつながると思いますが
それって対処法か?
朝のニュースで全国学力テストの話がありました。
で、まぁいろいろいろいろあったわけですが、「結果に対する対応」について聞いている時に「へ?」と思ったことがひとつ。
なんでも「研修を充実させる」とのこと。
この手の「対処法」を聞くたびに、「ハイハイ、現場の教員が悪いんですね」と思ってしまいます。
何かおこったら、すぐ「研修」です。
別に自分自身のスキルアップをしたくないわけじゃないです。というか、わたしは研修を受けることについて、拒否をしようとは思っていません。それどころか、「どんな(つまらないと思われる)研修からも学ぶことがある」と、どちらかというと肯定的にとらえている人間です。
でも、それと「対処法が研修」ということとは別です。
「研修」という名のもとに、現場の教員がどれほど子どもたちに投入する時間を奪われていることか。研修だけじゃないですね。さまざまな書類を書くことを要求されて、これまた子どもたちに投入する時間が奪われている。
仮に「よい研修」を「たくさん」受けた教職経験ゼロの人がいるとするならば、その人に一年授業を持たせればわかります。その人が教科指導力があるかというと、必ずしもそうはならないだろうと思います。
きっと、研修「だけ」ではなにも解決しない。にもかかわらず、真っ先に「研修」が出てくる。
なんと安あがりな対処法だろうと思います。
「ためにする」でいいんじゃないの?
なぜ自分は交流会にかかわるんだろう?なぜ自分はこどもたちにかかわるんだろう?
もちろん答えは「おもろいから」です。
でも、そのスタートは「〜のためにする」です。
昨日のルーツ別討論で、それぞれの討論班の報告をしている時に、いじめにあっている子どもの話が出てきました。子どもたちは
「とめない先生が悪い」
みたいな話に流れていきます。まぁそれはそうなんですが、そんな話をいくら繰り返しても明るい明日(笑)はこないので、
「先生の悪口言ってもしゃーないし、自分がその子のために何ができるか考えへんか?」
とアドバイスをしてみました。
それに対して、ある教員が
「「誰かためにする」んじゃない。自分は外国人の子どもとかかわることで、自分自身が豊かになっている気がする」
という話をしました。
いや、それはそうなんですが…。
はたしてはじめから「自分が豊かになることをめざして」って、できるのかなぁと思います。というか、はじめからそういうのをめざしたり、あるいはそういう発言が出てくるとしたら、それは「ウソ」が混じっているような気がしてならないんです。
正直、交流会なんてやらなかったら楽です。夜更かしもしないし、飲み過ぎにもならないし(笑)(→違)。
じゃぁなぜやるのかというと、ひとつは、やめてしまうことは、いままでかかわった子どもたちへの裏切り行為になると思うからです。そしてもうひとつは、未だ出会っていない子どもたちと出会うためです。
なんのために?それは、子どもたちのためです。
でも、子どもたちのためにやっていると、いつのまにか、わたしが子どもたちと出会わされていることに気づきます。その時、実は誰よりも自分が豊かになっていることに気づきます。
たぶん、「自分のために」って、そういう「結果として」のことなんじゃないかなぁと思います。
まぁ結果は一緒なんですけどね…。
疑問の提出だけね
「難しい内容」は、次の話。
なぜ、女性はさまざまな違いを軽々と飛び越えて「おんな」というだけでつながれるのか?
その現実を目の当たりにした時、「わたしは永遠に一人だなぁ」という気がするのです。
そうそう、こんなのもあったなぁ。
たとえ100人がOKと言っても、101人目がNGという可能性を考えて生きる。
これが、わたしにとって安全側に振るということなんですよね。
「非当事者」がいる意味
この在日外国人生徒交流会に、日本人生徒*1の参加を認めるかどうかについては、そうとう論議がありました。でも、最終的には「それぞれの生徒の引率教員・所属する地域が判断する」ということで決着がつきました。その結果、今回も10人程度の日本人生徒の参加がありました。
この交流会では、ルーツ別討論という時間があり、日本人生徒は「日本」という班に入って討論をします。で、わたしは昨年からそこの班の担当教員になっています。
この交流会に来る日本人の子どもたちの動機はさまざまです。いわゆる「国際交流系・異文化体験系」の子もいれば、朝文研活動をしている子もいます。さらには、外国人の友だちとほんとうに深いつながりをもっている子もいます。
まずは、そういった動機を聞き出しながら、交流会に参加するかぎりは「知る」だけではなく、そこからもう一歩踏み出したつながりをつくるためにはどうしたらいいのか。それを考えるのにまたとない機会だと思います。いや、ふだんも考えられないことはないんだろうけど、やはりそれを「話しあう場」であるということには大きな意味があるだろうと思います。
また「外国人」という大きなくくりでものを考えがちだけど、バスの車中のような経験をすることで、在日外国人自身もひとくくりにできない存在であることも目の当たりにできます。そしてなにより、交流会は、そういうひとりひとりの同年代の在日外国人生徒とつながることができる「場」であるわけです。子どもたちの中では、実は「誰が当事者で誰が当事者でないか」という区別はほとんどないように思います。誰もが「一参加者」。こうした経験を積み重ねることが「共に生きる社会」をつくりだす主体者(のうちのひとつのカテゴリーとしての)としての「日本人」を育てていくことになるんじゃないかなぁと思います。
カテゴリのタイトル「「非当事者」がいる意味」にはそういう意味では相反するふたつの内容があるのかな。ひとつは、「非当事者」がいることの意味を考えると同時に、「実は非当事者はいない」という根本的なちゃぶ台返し的内容があるということになるのかな。
考察・御苑通りと関西の話
フィールドワークが終わってから水道橋へもどり、三橋さんと居酒屋で軽くビールを呑みながらよもやま話をします。
なかでも、強烈だったことがふたつありました。
- 御苑通り
ひとつは「境界線の移動」の話です。
そもそも新宿がなぜ「つくられた街」になり得たかというと、4丁目と2丁目の歴史に起因するように思いました。
4丁目はもともとは天竜寺の寺社町として発展しますが、その後「木賃宿」の指定地として貧民窟へと変化していきます。また、2丁目はもともとは赤線地帯です。こうした街は、ともに行政による強制的な介入がしやすい街になります。
で、御苑通りですが、これはもともとの2丁目の中に後からつくられた通りです。この道ができたために、本来末広亭のあたりにあった2丁目の境界が御苑通りに移動してしまったようです。
では、なぜ新たに境界を引き直したのか。
そこに、なんとなく「2丁目を分断しようとする意図」を感じてしまったのですが…。実は、三橋さんがつくられたコース図には商業ビルを色わけがしてあります。これが御苑通りを境目にしてはっきりと密度が違います。「土地価格に差はありそうですか?」という質問をしてみたのですが、「はっきりとはわからないけど、おそらくは違うだろう」という答えでした。
それ以上の結論があるかというと、実はないのですが、新宿駅から続く3丁目の雰囲気と御苑通りの向こう側のそれとは、単にゲイタウンであるというだけではない、「違い」を感じてしまいます。あたかも御苑通りの「向こう側」へと「性の街」を追いやったかのような気がしたのですが…
- 関西の話
もうひとつ驚いたのは、男娼の組織化の時期の話でした。
三橋さんの言われるところによると、男娼の組織化は「明らかに関西の方が早い」ということです。組織化された場所は釜ヶ崎。当時は、美輪明宏さんもカルーセル麻紀さんも、釜ヶ崎の「元締め」のところにあいさつに行かなければ興業ができなかったとか。で、それを証拠づけるのが「記念撮影」とのことです。
たしかに記念撮影ができるということは、それだけのグループがあり、それが一定の秩序の元に動いていたということです。それは水平社運動にかかわる史料で記念撮影の写真がよく使われることにもあらわれます。
釜ヶ崎と言えば、その隣には飛田新地があり、反対側には西成〜浪速と続く部落があります。まさに、大阪における最大のアジールです。
ところで、三橋さんの「公式の人権」のとらえ方への批判点は、こうしたアジールへの評価のあり方にあらわれます。
具体的には、例えばリバティ大阪の展示では、釜ヶ崎は「労働者の街」としてはとらえられていますが、男娼の街としてはとらえられていない。あるいは「女性の人権」の中で飛田新地はあらわれてこない。これらの街は浪速のほんの目と鼻の先にあるにもかかわらずです。
こうした方針は、たとえば女性やセクシュアルマイノリティの展示内容が、80年あるいは90年以降のみであるところにもあらわれるとされます。まさに「公的に認められた*1運動史」としてしかとらえられていない。
そこに「性」を直視できない「人権」のありようがあるのかなとふと思いました。
*1:あるいはその直前からの
「ありのまま生きる」ための?再び
なにが悲しゅうて起床が5時半かなぁと思いながら、なんしかごそごそ起き出して、7月16日のコメント欄をチェック。
うわっえらいぎょうさんコメントがついてる。
ってことで…。
診断書については、もちろんあった方が楽ということはわかっています。ただ、「診断書があるからやってもいい」とか「診断書がないとできない」ということに、わたしはやっぱり違和感を抱いてしまうんですね。もっと言うならば、「不可能を可能にする魔法の紙」ではないということです。
自分のまわりにたいして自分の力・言葉・行動で働きかけ、まわりに十分に理解者を得*1、それでも例えば権力による介入があった時に、その権力にたいして「ほれ」とか見せるなら、それは「使いかただよなぁ」と思います。でも、まわりに理解者がまだまだ少ない状況で、「診断書があるから」とやってしまうと、それは単なるごり押しになってしまうんじゃないかと思うのです。
あと、mizukiさんが書かれている
「わたしが職場でも『*トランス』したいのは,あなたが,職場でもTシャツを着たいのとはちがうんだ!」と言うのですが
について…。
言いたいことはわかるけど、
「それを言っちゃぁお終めぇよ」
という気がするのですが…。
かつて同和行政の正当性を主張するために
「部落の貧困と部落外の貧困には差がある。なぜなら貧困を脱却しても部落には差別が残る」
と言った部落のおばちゃんにたいして
「差別の有無についてはもちろんあるんだけど、それはそれで別に考えるべき。
貧困である状況に差はない。そこに差をつけてきたことに問題がある」
と言った前川さんの言葉を思い出すのです。
「自分には特殊性があるから許されるべき」
というのは、運動としてそういう論法を利用するのは時として有効かもしれないとは思うけど、「あくまでも論法」ということに自覚的である必要があると思います。そうしないと、「資格の絶対性」が生まれ、対話を途切れさせてしまうと思うのですが…。
あとわたしが「いつでもどこでもありのまま」と書いているのは、女装をするか男装をするかというところに力点を置いているわけではないんです。女装をしたければすればいいし、男装をしたければすればいいんだけど、それはそれで、その場にふさわしい恰好があるだろうということなんです。
例えば、ものすごく極端な話、父親の葬式の時、わたしはレディスの服を着ていて小さい頃からの知りあいはひっくり返っていましたが(笑)、「これがありのままのわたし」と言って全身ユニクロを着たりはしないわけで、やっぱり黒のパンツスーツを着るわけです。てか、スーツはそれ一枚しか持ってないんですけどね(笑)。
つまり、特定の服装やメイクや髪型やアクセサリに固着して「これがありのままのわたし、わたしらしいわたし」では通らないのではないかということなんです。で、そこにさらに「特殊性=資格の絶対化」と「診断書=権力」を持ち込むとするなら、そこに理解と共感はまず生まれないだろうと。それどころか、反発すら招きかねない。しかもそれが資格と権力によって押さえ込まれるとするなら…。
少なくともわたしはそういう方法はとりたくないですねぇ。
にしても、電車の中って時間がありますね(笑)。ついいっぱい書いてしまいます。
*1:全員ということではないです。逆に少数であってもほんとうに理解してくれる人がいるというのもありかなぁ