思い出した→無事を祈る

で、テレビの画面を見たら、想像を絶する世界が、そこにありました。
いや、今日、職員会議のあとで
地震がありましたよね」
って言っていた教員がいたのですが、それがこんなことになっているとは。
しばらく画面を見ていると、夕方の映像か、一筋の煙が見えました。それが「現在」の画面に切り替わったとき、町を覆い尽くす火災になっていました。
あの時と一緒です。
あの時、あまりの揺れにどうしても寝られなくて、テレビのスイッチをつけました。テレビではアナウンサーが
「街は静かです。それほど大きな被害はないものと思われます」
と言っていました。やがて
「遠くに一筋の煙が見えます.しかし、街は静かです」
と言っていました。
それが長田を焼きつくした火事の第1報でした。
あの時と同じ、いや、今回は津波がある分、おそらく被害はとてつもなく大きいだろうと思います。画面には「死者55人」とか出ています。それって、死亡が確認された人数でしょ?あるいは行方不明が確認できた人数でしょ?死んだことも行方不明も確認できていない人数は、もしかしたら数千人数万人いるはずです。
もしかしたら、その中に11月に横手で一緒にのみ、笑いあい、語りあい、再会を誓った人もいるかもしれない。なかでも、MtFの先輩でもあり、教員としても先輩であるK谷さんのことがとても心配。でも、無事を祈る以外、なにもできません。だから、無事を祈ります。

なにが悲しゅうて、休みの日なのに5時半に目が覚めるかなぁ。
てか、完全に習慣になってますね。10時に寝て5時半に起きるっていうのが。また、休みの日に限って目覚めがいいときたものだ(;_;)

で、しゃーないから、あちらこちらのサイトをふらふらしていたら、こんな文章にぶつかりました。

ふと攻めに行って負けるのと守りにいって負けるのと……そもそも「勝ち負けなんて幻想だ」って生きるのとどれを選ぶか?って訊ねられたらどうしよう……って思いました。

まぁわたしの選択は言うまでもありませんね(笑)。

ただねぇ。
最近思うんだけど、波みたいなものだなぁって。
「情況」は、波頭が崩れるように、わたしの上を走っていく。負けじとわたしも走るわけですが。でも、浅瀬に行くと、波の上部って、えらい速さになるんだな。それでも波に飲み込まれないように走り続けなくちゃならない。
飲み込まれたら楽になるんだけどね。わかってるんだけど、飲み込まれたら自分が自分じゃなくなる気がする。だから、やっぱり走り続ける以外なさそうだなぁと。

Uさんさぁ…。
きっと一番いいタイミングだったんだと思うよ。
少なくとも、去年じゃなくてよかった。来年はまだわからないけどね、でも、たぶん今年は一番よかったんだと思う。

発見

O田さんと話をしながらふと気がついたこと。
「特例法の要件って、すごくハードルが低い」
っていうことです。
非婚要件とか子ども要件は、結婚していなくて子どももいない人にとっては関係ない話。で、年齢要件は20歳以上になれば自動的にOK。問題は生殖機能と手術の話なんですが、これまたFTMにとっては内摘だけでOKなわけで、そんなもの、いまやなんぼでもできます。要は時間と金の問題だけでしかない。つまり、やろうと思えば、お金で戸籍が変更できるという。
これは、ハードルが低いとしか言いようがない気がするのですがねぇ…。
あ、もちろん「結婚していて子どもがいる人」にとってはハードルがすんごく高いし、そもそも手術しないとあかんというのは「性の自己決定」を完全に無視しているので、これはあかんわけですがね。

その先になにがあるのかなぁ

なんか、愛知でえらいことがあったみたいですね。
でもねぇ。いまどき、公務員や議員を叩くと、かなり支持が集められるからなぁ。それでなんとかなるのかなぁ。
議員の人数が多いのは、おそらくそう簡単に「合意」が得られないようにする「仕組み」なんじゃないのかなぁと、わたしは思っているんだけど。変化は急激であるよりも緩やかであるほうがいいという、民主主義の(かな?自信はない)知恵じゃないのかなぁ。
議員の首を切って、減税分がまかなえるとは、到底思えない。その先になにがあるのかなぁ…。

今回の収穫

今回「おもしれ〜!」と思ったのは、ふたつ。
ひとりは大分の高校教員。この方、国語の教員なんですが、漢字の書き取りに男女雇用機会均等法とか労働基準法の条文を使うそうな。やるな…。
もう一人は三重の小学校教員。まぁなんというか…。確信犯ですわ*1

*1:帰りのバスの中で、「自分の机のまわりは汚いけど、教室はめちゃくちゃきれいにするよね」「そうそうそう!」と意気投合した

やってみるものだ

今日は人権学習。今回一番力を入れたのは、やっぱり2年生のデートDVです。それだけに、人権学習の前は、自分がピリピリしているのがわかります。なにせ、うちの学校でとりくむのは完全にはじめてであるにもかかわらず、担任さんと「練る」時間がほとんどありませんでしたから。それでも人権学習の前にみなさんがあちこちググリながらいろいろ調べておられる姿を見て、かなりホッとしました。というか、
い「あ、そこ見つけましたか。プリントのネタ、そこからとったんですよね」
担「他にもプリントのネタ、見つけましたよ」
みたいな会話はとても楽しいものです。おそらくわたしがこの半年考え続けてきたのと同じように、この1週間、常に頭の片隅で考え続けてこられたんでしょうね。

で、人権学習を終えて帰って来られた担任さんの姿を見てホッとしました。みんな笑顔です。結局わたしがだした教案を使わなかった人もいたそうな。大歓迎です。
うん、やってよかった!

そうか、終わったか

昨日3人で飲んでいるときに、Iさんからメールがありました。でも、飲んでいるからぜんぜん内容がわからない(笑)。で、今日返事を返したら
「京都にもどって、おんぼろ部屋を引き払う」
ということでした。
そうか…。まぁ1月はまったくこっちにいなかったし、こっちにはもう用事はないものね。
それにしても…。
この半年間のすざまじかったこと。
鴨川の河原で酒を呑むは、Aバンティの広場で酒を呑むは、餃子を食べるために5キロぐらい歩くは。やっていることがほとんど大学生、というか、今の大学生はこんなことしないか。もう、ほとんど30年近く前にもどったような生活をしていました。あの生活、多分自分ひとりではできなかった。UITトリオがいたからやっていたんだと思います。
まぁそんなハチャメチャな生活も、これで終わりです。
かなり寂しい…。

てことで、京都にもどってきたITコンビ*1と呑み。とはいえ、昨日も外だったので、今日は家呑みにしましょう。せっかくなので王将で餃子を買ってきて、ビールで乾杯。ふたりとこの半年間を振り返り、これからの話をし。
ほんの2時間だったけど、それはそれでいいクールダウンにはなったかもしれません。

あ、もしかしたら3月5日〜6日の玖伊屋で上映会をするかも…。てことでいいのかな?>Uさん

*1:Uさんは関東でお仕事

勇気をもらった

デートDVの授業、今度の金曜日なので、今日はひたすら印刷印刷印刷。
と、そこにそれをやる担任さん(♀)が来られました。
い「あのねぇ、昨日の会議で◯◯さん(♂)の言っておられること、実はわからなかったんです*1
担「そうねぇ。でもね、「あ、もしかしたら自分、DVを受けているんだ」って気づく子がきっといますよね。たったひとりでもいいから、そういう子が出てきたら、やる意味があると思うんです」
実は、印刷しながらかなり嫌気がさしていたのですが、この言葉に本当に救われました。
きっと、ずっと意識し続けておられるんでしょうね。いや、し続けざるを得ないんでしょうね。

*1:デートDVかどうかの判断って、実は線引きがあるんでしょ?だって、誰でもこういうのってふとした拍子に出てくるじゃないですか」みたいな…

考え続けるということ

3学期の人権学習で「デートDV」を扱います。
で、昨日ようやくその教案をつくったわけですが、担任さんの中にはとまどいの言葉もあったりします。で、なぜそういうふうになるのかなぁと思ったのですが…。
やっぱり「教案をつくる側」っていうのは、何ヶ月も前からずっとそのテーマが頭の片隅にあります。たぶん、いつも小骨が喉の奥に刺さったように、それを意識し続けているんですね。その蓄積があって、あるタイミングでそれが顕在化する。その瞬間に、「教案」という「形」になる気がします。まぁそのタイミングは、わたしの場合は「小ネタの神様」だし、ある牧師は「精霊が降りてくる」とか言っておられたし、まぁ人それぞれなんでしょうけどね。
ところが、「教案をもらう側」というのは、その蓄積がない。
すると、自ずとそこに意識の差が出てしまいます。
これが案外致命的な気がします。なんというか、自分が言っていることが伝わらなくなるんですよね。
ただ、もしもDVとかジェンダーとかを意識せざるを得ない人であれば、直接「デートDV」について意識し続けていなくても、案外通じたりもします。
さて、どうしたらいいんだろう…。
やっぱり、「話題にし続ける」ということかなぁ…。