朝のぼやき

最近授業の最初に
「なぁ、ちょっとぼやいてもいい?」
というのがマイブームだったりします。
で、今日のぼやき。

いやな、高校生にとって一番安全な相手って、高校の教員やんか。
それに対してメンチきってどうすんねんと思うわけよ。
けんか売る相手は、基本的には勝てへん相手やろ?
勝てる相手にメンチきっても、何の意味もないというか、
「なにしてんねん」
って、情けなくなるねん。
結局、反抗が許される与えられた枠組みの中でやってる自己満足にしか過ぎないんだよね。
まぁそのあたり、尾崎豊でも聞いてくれ。

そしたら、
「先生、歌ってたなぁ」
とつぶやくヤツがいました。
しまった、ヤツはこの間いたんや…。

優先すべきこと

ぽっかりとあいた日曜日の昼下がりからのひととき。この時間を何に使おう。
来週のテストづくり?
メールのやりとり?
バイクのメンテナンス?
いろいろ考えて、明日からのことも考えて…。
ブログの更新だな(笑)。

あ、原稿Oπ

温度差

なんかなぁ。新入生っていうのはなぁ…。
たぶん高校に入ったことで「無敵!」とか思ってるんじゃないかなぁ。
まぁ新しいステージに入ってうれしいのはわかるんだけど、自分が天下を取ったような感覚は間違っていると思う。新しいステージには、すでにそこに先輩たちがいるわけなんですよ。つまり、新しいステージに入ったばかりの人間は、そのステージでは一番「下っ端」っていうことなんですよ。それがわからないのが、まぁ新入生の新入生たるゆえんか…。

「ルーツと向きあい、広がった世界」

今日は人権教育関係の研究会の総会です。午後からは川崎那恵さんの記念講演。タイトルは「ルーツと向きあい、広がった世界」です。
わたしは川崎さんとは川崎さんが大学時代に出会ったらしい^^;;です。その時は川崎さんはお座敷に来られたお客さんですから、よくわからなかったです。でも、ちょうどその頃が川崎さんにとっての大きな転換点だったんだろうなぁと思います。
その後、NHKの「ルーツを見つめる写真展」で川崎さんの映像を見て「え〜、こんな人がいるんやぁ!」と思いました。純粋に「おもしろい!」と思いました。
それまでにわたしが出会ってきた部落の人は、基本的には部落解放運動をやっている人が多くて、それがメインストリームであろうがそうでなかろうが、ある程度のパターンというか、類型の中にはまっていると、とりあえず言ってしまえるんじゃないかなぁと思います。ところが、川崎さんはそういう類型の中にはいない。というか、その類型から常にズレ続けている感じがします。おそらくご本人はそんなことは意識はしていないでしょうけどね。

「現在の部落問題」をどう考えるかという問いに対して、おそらくはさまざまな答があると思います。例えば、「人の流入出」というのは、明かな現在の部落問題のありようだと思っています。あるいは「土地問題」というのもそうです。ただ、「個人としての」となるとどうか。もちろん結婚差別の事例がなくなったわけではないですけど、それとてもかつての姿とは大きく変わっているとは思います。
そんな時、個人として部落をどう感じるのか。
それは、おそらくは「なんとなく言えないことがある」ということなんじゃないかと、ずっと思っていました。真綿で押しつぶされるような「言えない感」。友だちの言動を見た時「あ、やっぱり言えない」と思う感覚。それは、誰に強制されるわけでもなく、自分で勝手に思うわけなんですが、でも、そこに「現在の部落問題」というのがあると、わたしはずっと思ってきました。そして、そういう自分と折りあいをつけ、誰かに話をした時に受けとめられる。そこに「カムアウト」がある。
もちろんこれは部落問題に限ったことではありません。だからこそ、部落問題を「みんなが語ること」ができる時代になったんじゃないかなぁとも思うわけです。

川崎さんの話は、そういうわたしの感覚とピッタリとあっていました。
川崎さんが話す「わたしにとっての部落解放」は、次のように書かれています。

  • 自分のルーツを知る機会がある。そして、そのルーツを卑下しなくてもよいのだと思える。
  • 部落問題を語ることやカミングアウトをまわりから非難されない。
  • 「親」「世間」を乗り越えて、自分の生き方を選択できる。
  • 差別があっても、人と人とのつながりの中でハッピーに生きられる。

なにがおもしろいかというと、「わたしにとっての」なんですよね。「我々」ではない。そこがまさに、内田さんの語りと一致しているわけです。
うん、かなりおもしろかった!

ある意味平和だ

4月〜5月は、まぁお座敷もないし、交流会もほとんどないし、そういう意味では「ネタ」が少ない日を送っています。でも、これが本来の日常なわけです。当然のことながら、日記の更新も滞ります。
まぁ、日常なにをしているかというと、淡々と仕事をしたり、3月末に導入したスマホをいじったり、ビールを呑んだりテレビを見たりという、どこにでもある生活をしているわけです。
あ、今は「リトル・チャロ」を読んで英語の勉強もしているな。
でも、決して退屈なんてしていません。というか、退屈をするヒマもないほど、毎日がめまぐるしく動いています。
まぁそんな今日この頃…。

新しい言葉?

annojoさんのところのGTMがらみのコメントを見て、「へー」と思ってサイトを見に行きました。で、ついでにメンバーのブログを見に行きました。で、つらつら見ていると

僕らと直接話してみたい方
GLBT・GIDの方、その身の回りの方、ただ単に興味がある方 等々
ブログで募集した場合は、その時々により変わる条件を満たす方に会いに行きます

という一文がありました。へ?「GLBT」?
あ〜、GとLを入れかえているんだ…。
にしても、なぜ「L」が先なのか、そこにどんな歴史があるのかということを、この人は知っているのかなぁ。

まぁそんなもんだろう

新入生が入ってきて約1週間。わたしを見慣れない連中は、なにやらヒソヒソクスクスやっています。まぁそんなもんですわ。
それにしても、2・3年生が「そういう反応」をしないのをみて不思議にならないのかなぁ(笑)。

もしかしたらこっちかな?

まぁ東京のことはわからんというかわかるというか…。
で、大阪なんですが…。
もしかしたら大阪の人って、今すごく財布のヒモが固いのかも。
いや、大阪府大阪市も、すごく福祉に力を入れてきました。でも、大阪の「普通の人」は、そういうのに飽き飽きしていたのかもしれないなぁとふと思いました。だから、「自己責任論」が大手をふるいはじめたら、結局そこに流れていく。そこへ持ってきて、東京への対抗心*1が相まって、「大阪維新の会」なんかが台頭をしてくる。
いや、よくわからないし、違うなら違うでいいんですが…。

ちなみに京都は…。
もともとケチだし、まぁそんなに変わるものでもないわけで。だから、大きくは特に変化なしな気がする。

*1:コンプレックス?

「スピードの中で精神は肉体を超越する」

昨日の夜録画をしておいた「つかこうへい」のビデオを見ました。
もう…。のっけから涙です。
いや、なにが涙かというと、
「つかこうへいが動いてる」
っていうこと。こんな涙は、芥川がたばこを吸ったり木登りしたりしているのをテレビで見た時以来ですね。
で、なによりすごいのが口立ての稽古のシーンです。話には聞いていたし、かつて映像を見た記憶もあるけど、今回ほど延々とそのシーンを見たのははじめてです。すごいです。よくぞあそこまでねちねちといけるなぁと思うけど、それが役者への愛なんですよね。それがびんびんと伝わってきます。
で、終盤。つかが自分の芝居について語るシーン。

芝居っていうのはね、F1なんだよ。同じ車が同じコースをぐるぐるぐるぐるまわっている。そんなの、どう考えたっておもしろくないんだよ。でも、それを世界中で70億人が見ている。それはね、スピードなんだよ。
技術だけだったら、車庫入れとか縦列なんとかの方がもっと難しいよ。でも、そんなの誰も見たくない。
技術とかそんなんじゃなくて、スピードなんだよ。みんながコーナーへ向かってノーブレーキでどーんとつっこんでいく。
それが芝居なんだよ。

あぁそうだ。それなんだよ。わたしもそれをめざしたいんだよ。もちろんつかの足下にも及びませんが…。
つかが芝居をF1と言ったのなら、わたしは自分の「お座敷」の遙か遠い目標をWRCにしようかな。まぁグルグルまわらないけど、ピン芸人が全速力で滑りながらコーナーをまわっていく感じ…。

きのうのまとめ

まとめというか、最後にちょこっと話をした内容です。
いつも書いている話ですが、
「人間の行動を変えるのは、外圧ではなく内圧である」
ということでした。でも、その内圧を高めるために外圧が必要だったり、その外圧を高めるためには内圧が必要だったりするわけで。
結局「突破口」なんていうものはおそらくなくて、内圧を高めたり外圧を高めたりするサイクルをどうつくりだしていくのかなんだろうなぁみたいなことです。
なんか、まとまってないですね^^;;