タスク管理

でも、トド狩りの最中にジャマが入ることがあります。イレギュラーな仕事なら、それはしかたありません。でも、わたしが自分のペースでやっている時に、、他の人がその人のペースでわたしにタスクを入れてくると、これはきつい。
ちなみに、わたしは他の人にタスクを入れることはほとんどないし*1、仮に入れる時は
「ごめん、ちょっといい?」
と、とりあえずひとこと言います。
それがないと、わたしはきついなぁ…。

*1:簡単に言えば、ひとりで仕事をしてるってこと

プライベートとパブリック

去年までうちの職場にいたある教員が
「最近の生徒って、プライベートとパブリックの区別がついてへんのと違うかなぁ」
と言っていました。それをここしばらくよく思い出します。
たしかにそうなんですね。
例えば、ふつう見つかっちゃいけないこと(笑)は、パブリックなところでは隠すものです。でも、それを隠す意識が希薄。だから見つかる(笑)。ものに対する意識も同様です。パブリックなものをプライベートと勘違いしている。
つまり、すべてのことが、プライベートと地続きになっている。もしかしたら、生徒たちにとってのパブリックは、バイトぐらい?
これ、もしかしたら、保育園・幼稚園〜高校までの間の子どもたちと教員・保育士の距離のとり方に原因があるなかもしれないなと思いました。
当然就学前ではすごく近くて当たり前。でも、おそらく小学校に入った時、子どもたちに
「ここはパブリックなところ」
という感覚を少し教えなくちゃならないんじゃないかな。さらに中学校では、その度合いを高める。そして高校では「社会」という完全パブリックへの準備をさせる。発達段階に応じて、パブリックな場所を増やしていくトレーニングを校種間で連携しながらやっていく必要があるんじゃないかなぁ。
でも、しんどい子がたくさんいる学校では、おそらくとてもじゃないけどそうはいかないんだろうな。それは家庭の経済状況や教育力とも関係があるかもしれない。
例えば、家の中でのパブリックとプライベートをきちんとつけていれば、それは外でも応用できます。でも、プライベートが保障できない家であれば、必然的にその境界はにじみます。
それでも例えば、
「よそはよそ、うちはうち」
と言い切れれば、また違うかもしれない。
あるいは、道端で「おいた」をしている子どもに
「公共空間でなにをしている」
と怒る地域の人がいれば、また違うかもしれない。
ほんとうに、社会全体でとりくまないとどうしようもないなぁと思いながら、電車の中で音楽を聴きながらスマホをいじるわたしですよ(笑)。

踏み込め!

最近、電車通勤に変えたおかげで、すっかりバイクに乗らなくなって、かわりに短時間ではあるけど自転車に乗るようになりました。
うちから最寄りの駅まではゆるい下り。行きは急ぐから本当に助かります。
で、帰りは…。疲れてはいるけど、ここをがんばって走ってみます。
頭の中には
「ペダルをクルクルまわすな。踏み込んで負荷を感じろ!負荷を感じなくなったら、負荷を感じられるところまでさらに踏み込め!」
という声がこだましています。
ヤバイかもな。

ある訃報にふれて

昨日の夜、大切な友だちから一本のメールが入っていたみたいです。それを読んだのは朝。「○○さんが亡くなった」とだけ書いてありました。はじめ誰かわからなかったのですが、フルネームを知って、ようやく誰なのかわかりました。おそらくわからなくて当たり前なほど、あまりにも若すぎる死でした。
その訃報を抱えたまま、通勤電車に揺られながら、職場への坂道を登りながら、いろんなことを考えました。
それにしても、なぜいま自分は生きているんでしょうねぇ。考えてみると、不思議です。今の世界を見渡すと、死なずにいる自信がない。ほんとうに、ごく身近に感じます。でも、わたしは生きている。なんでやろ…。
ふと思いました。
たぶん、わたしの場合は、仕事してるからだな。仕事が充実しているとか、そんなことではありません。仕事をしていることそのものです。だから、思索が中断される。それはわたしの場合は仕事だけど、なんでもいい。思索が中断された時、思索をしている時近くにあった死から、ふと遠ざかる。
逆に言うと、たとえ仕事をしていても、思索を中断しない力のがわたしにあったら、案外死は近くにあるのかもしれない。

思考の継続と中断

まぁ、「思考」というほどのものではないですが、それでも少なくともわたしは、たいていの時間をなにか考えながら過ごしています。まぁ、その中身は、家に残ってるビールの本数とか、そこから逆算していつビールを買いに行かなくちゃならないかとかいった、きわめて日常的に重大な(笑)ことから、ガチで深く思考の中に潜り込まなきゃならないこともあるわけです。
で、いまわたしにとっての喫緊の課題としては、人権学習の資料づくりというのがありまして。
いや、本来はそんなもん担当する人が自分でやらなきゃならないと、わたしは思っています。少なくとも、わたしは自分が担任の時、人権学習に限らず、たいていの資料は自分でつくってきました。だって、その方が使いやすいもん(笑)。
でもまぁ、今はニーズがあるからやるわけですが…。

人権学習に限らず、資料づくりって、まず「何を伝えたいか」について、ボンヤリと考える時間が必要なんじゃないかなと思います。はたから見たら、単にサボっているようにしか見えません。で、自分でも頭の中がフル回転しているわけじゃない。やっていることは、その辺に浮いている雲か綿菓子を集めるような感じです。でも、それをしばらくしていると、やがて自分がなにを感じているかが少しずつ形になってくるのです。そこからやっと「どう伝えるか」のフェーズに移行します。わたしはそんな感じ。
で、一番時間がかかるけど、一番中断を嫌うのは、そのボンヤリと考える時間なんです。
ところで、ガッコというのは、とにかく「中断」の多いところです。まずは、50分刻みの授業。そして、あちこちから飛んでくる「声」。すべてがチャイムで厳密にタイムキープされていますが、やはり授業や掃除などの「時間」を記憶しています。すると、それそのものが、すでに思考を中断することにつながります。
人によっては、もしかしたらさほどのストレスではないかもしれませんが、この状態で「考える」というのは、わたしにとっては、かなりのストレスになります。

今日もそんな感じ。今日は出張日なので、授業のコマ数は少ないのですが、長い時間をかけて考えることができずに、かなり苦しみました。
それでも、まぁなんとか「雲」をまとめてひとつの形にして、資料はできました。できあがったものは、たいしたものではないかもしれませんけどね^^;。

半信半疑で

中間試験も終わって、今日から授業再開。とりあえず、今日はテスト返しです。
最近、あえて生徒たちに点数の分布を紹介するようにしています。というのは、クラスの傾向が丸わかりになるからです。ただ、そこからどういうメッセージを伝えるかは、伝える側の問題というか、さじ加減なわけです。こいつを自分の都合のいい方向に解釈して人民を操作することもできるし、子どもたちを勇気づける方向にも使えます。
でも、大切なのは、そこに意図があることを意識することかな。意図を忘れて自分のメッセージを自分自身が信じてしまうのが一番こわい気がします。

文章を書くということ

いままで自分が書き散らかしてきた文章って、どれくらいあるだろうと、ふと考えることがあります。
まぁ、子どもの頃の作文はともかく、高校の頃に行っていた塾では任意で論文添削なんていうのがあって、そこにしょーもない文章を書いて出していました。それでも、塾の人はガチで添削してくださってたみたいで、今思うとすまなかったなぁと。
大学の頃は、クリスマス礼拝をやる時に「趣旨文」みたいなのを書いたり、頼まれた文章に好きなことを書いたりしていました。この間、本棚を整理していたら、そんなもののうちのひとつが出てきて、読んだ瞬間「キャッ」っと言って、布団をかぶりたくなりました。
教員になってからは、どちらかと言うと、実践報告がメインでした。はじめのうちは好きなことを書いていたけど、全国の研究集会に出さなきゃならなくなった頃から、あきらかに文章が変わりはじめました。まぁ、トレーニングをうけたってこともありますね。最近はそんなレポートを書くことが減って、今度はオファーがあって書くことが増えてきています。

なんか、そんな文章遍歴を見ていると、自分が書きたいものから、少しずつ「読み手」を意識しはじめて、さらに「読まれること」を前提にするようになって、いまや「読まれるための文章」に変わっていってるなぁと思うのです。

で、今日、「おべんきょ」のあと、「おべんきょ仲間」で呑もうと思ったら、きょうの「おべんきょ先生」も混じって下さって、なんかいろいろ話をしました。すると、先生、なんの話からか
「M論文は、読み手のことを考えず、評価を考えず、とにかく自分が納得することを書かなきゃダメ!そうでないと、自分の軸がぶれてしまう。すると、その先論文が書けなくなる。M論文は、人の評価を気にせずに、本当に書きたいことを書く経験をするためにあるの!」
と力説されました。
いや、身のすくむ思いがしました。果たして自分にそんな文章が書けるだろうか。それ以上に、今の自分に本当に書きたいことがあるんだろうか。
まぁ、でも、今って、それを自分の中から見つけ出し、熟成させるまたとない時間なんでしょうね。

ボーっと聞く

今日は某所で性教育セミナーがありました。タイトルは「割りきれなさを生きる〜“性分化疾患インターセックス”〜」。
う〜ん。
たしかに従来言われてきた性分化疾患の言説をひっくり返すような話でした。
ただ、話を聞きながら、ずっと
「へー、ほー、ふーん、うんうん」
と思いながら聞いていたんですよね。
というのは、ある性分化疾患の身体を持つ呑み友だちのことを頭に浮かべながら聞いていたからなんです。すると、いちいち腑に落ちてくるんですね。その人、別に運動をしているわけでもなく、でも、淡々と自分のことを話してくれたことがあって、それがわたしにとっての「実像」だったんです。
で、終わってからスピーカーの方のところに行って
「すごくわかりやすかったです」
と言ったら、えらいびっくりされていました。
でも、知識が少ないわたしは、話にバイアスをかけずに、「ボーっと聞く」ことが多いので、そうやって聞けばすごくわかりやすい話だったんですよね。
そうそう。話の最後が性分化疾患についての話じゃなくて、もっと普遍的な話になっていたこともおもしろかったです。
いい時間を過ごさせてもらいました。感謝!

今日、卒業生が遊びに来ていて、「おべんきょ」のために帰ろうとしていたわたしに
「帰んの?」
と声をかけてくれたんで
「今から勉強しに行くねん。ほれ」
と言って学生証を見せました。すると
「すごーい!」「えらい!」
と、口々に言ってくれました。
電車に乗るべく駅に行くと、さっきまで追認補習を受けていた子とか、朝、頭髪指導でバトルしている子がいました。
「先生やん。帰るの?」
と声をかけてくれたんで
「今から勉強しに行くねん。ほれ」
と言って学生証を見せました。すると
「えー!すごー!尊敬するわー」
と言ってくれました。

実は、
「なんでそんなことしてるの」
みたいな反応が返ってくるんじゃないかと思っていたのですが、いままでそんなリアクションをした生徒は誰もいなくて、みんな
「すごい」「えらい」
と、ポジティブな反応を返してくれています。うちの子どもたちは「学んでいる人」に対して、そう考えてくれているんですね。
正直、わがまま言っておべんきょさせてもらっていて、同僚には迷惑かけているんですが、もしかしたら学校の中に「おべんきょしている教員がいる」っていうことは、それはそれで子どもたちに、なんらかのプラスのメッセージを発しているのかもしれないな。

母語ってなに?

今日は、某在日外国人教育関係のセミナーが三ノ宮であるので参加しました。
第1部が「日本の学校で育った若者たち」のパネルディスカッション。第2部が「その上の世代で若者たちにコミュニティをつくってきた人たち」のパネルディスカッションでした。
んー。やはり同じようなバックグランドをもつものが集まれるコミュニティをつくることがいかに大切かということは、第1部第2部通して語られました。その共通性を持ちながら、世代間の違いみたいなものが一方で如実にあらわれてる気がしました。ちなみに、ここでいう「世代」は、もちろん年齢もさることながら、「何世か?」みたいなこともからみあっています。ちょいと図式的に分類してみると…。

  • 第1世代≒1世のおとな

まずは言葉や文化・習慣の違いが課題となります。言葉に着目すると、母語=日本語以外となり、日本語は当事者にとっては外国語ということになるかと思います。そして、その人の母語で生活できる環境を整えることは、その人の生きる権利を保障することにもつながると思います。

  • 第1世代≒1世の子ども(1.5世〜2世)

もちろん母語=日本語以外ですが、日本の学校に通い、日本の生活をするなかで、日本語を習得していきます。そして、そのまま放っておくと、日本語の習得がすすむにつれ、母語や母文化を失っていく傾向が出てきます。学習面においては、セミリンガル問題が出てくるんでしょうが、ここではそれはおいておきます。つまり、日本語がネイティブ言語になり、母語が外国語へと位置づけを変えていく可能性があるということです。
しかし、母文化を失っていくにつれ、母文化を強く持つ親との関係が悪化したり、さらには親の日本語の習得時間の差によって、親とのコミュニケーションがとれなくなってしまうこともおこります。母語は自己肯定感のためにも、親とのコミュニケーションツールとしても、とても大切なものとなります。
しかし、親の世代とその位置づけは異なってしまうのではないかと思います。それを

  • さらにその子ども(3世)

この次の世代になると、おそらくネイティブな言語は日本語で、エスニシティに属する言語は本人にとっては外国語という感じになるかなと思います。また、親とのコミュニケーションも日本語になります。ここにきて、「母語とはなにか」ということになってきます。
一方、この世代になると、アイデンティティの根拠も希薄になってきます。なぜなら、言葉は日本、文化も日本、そして同化を強いる日本社会の中で名前も日本風であることが多い。ここで、自分の民族の言葉を獲得することは、生きるための権利、あるいはコミュニケーションツールの獲得ではなく、アイデンティティの獲得のツールとしての位置づけへと変わっていきます。しかし、そのツールは言葉しかないのではなく、他にもあるいくつかのもののうちのひとつと言うこともまたできます。

なんでこんなことを書くかというと、母語・母文化・民族名みたいなのをいっしょくたに考えるのではなく、それぞれにそれぞれの位置づけがあり、それらはそれぞれの置かれた状況によって違うんじゃないかと思ったってことなんです。さらに、人によって「得手・不得手」まあるかもしれない。
もちろん、すべてが一致して獲得できて、それらが何の不利益にもならない社会がいいのはその通りなんですが、現実問題としてそうではないところで、わたしがなにをどうしたらいいのかを考えた時、まぁこんなことを感じたってことなんです。

なんか、大雑把でイマイチやな^^;