今日は進路と人権がコラボの研修会です。わたしは久しぶりにここにレポートを出すことになりました。内容は「労働」なわけで、まぁ、いろんな本のパクリ集です。
で、とある学校の「キャリア教育」のレポートを聞いていたのですが、めまいがしてきました。
「修学旅行は生徒たちがすべて企画します。制限は予算で「15万円以内」となっています」
それ、ほぼ無制限じゃん(笑)。
「本校では受験の学力ではなく、真の学力を」
もしや、解放の学力?
まぁいいです。特殊な存在から学べるものはほとんどありません。まぁ、たまに「でっかい気づき」はもらえますけどね。
と思ったんですが…。
もしかしたら、うちのガッコも、いろんな意味で特殊なのかなぁと、ふと思ったり^^;;。
カテゴリー: 考え
書き出しに悩む
問うことからはじめる
この間、p4cってヤツにすごく興味を持っています。ま、暴言を吐くならば、特段「うわこれなに!」というほどのことはない、というか「斬新!」って感じでもない。「うん(^^)」ってことなんですけど、それを「p4c」という形で提示された時に、例えば授業のあり方やクラブの運営、あるいは交流会なんかについて、新たな角度から光をあてることができて、自分の中にあったモヤモヤとした、でも大切に思ってきたことが突然浮かび上がる。そんな気がしています。
そうそう。
そろそろ試験前なので、恒例の勉強会がはじまっています。相互の教えあいの中で、子どもたちはともに考える経験をします。
とかく「すぐあきらめる」とか「考えようとしない」とか言われる子どもたちですが、なんか違うと思っています。それを言葉にしてくれたのがp4cです。p4cのスタートは「sense of wonder」みたいです。ならば、それをもじるなら「sense of awareness」かなぁ。「なぜ?」と小さな子どもたちが「問う」とき、その反対のところに「知りたい」「わかりたい」という欲求がある。わたしはそう思っています。
数学の話にするならば、おそらく、どの子どもたちの中にも「答えを知りたい」「答えにたどりつきたい」「解きたい」っていう気持ちがあります。でも、さまざまな挫折経験の中で、「答えにたどり着けない」と思い込んでしまってる。だから、「sense of awareness」を思い出すことからスタートです。
みんなと教えあっている中で、わたしのところに質問に来る子どももいます。そんな子どもたちに、わたしは教えません。
子どもたちは、自分の中に課題を解決する力があることを忘れているんだと思います。あるいは、その使い方に混乱している子もいます。そんな子どもたちに、課題を明確にすることや、どうすれば課題にとりくむ糸口がみつかるかなんかを、問を発しながら、ファシリテートします。そして、自分の中にある力だけで問題を解かせる。そのことが、次の問題を解けることとつながっていく。
わたしはそう考えています。
だから、わたしのところに質問に来た子は、逆にわたしからの質問に答えることで問にとりくむことになります。
い「この問題はなにを求めるの?」
生「ここの数字」
い「それをするために、何が課題になっているの?」
生「この方程式を解く」
い「その課題にとりくむために邪魔をしているものは?」
生「ここの数字」
い「その邪魔なものをクリアするためにはどうしたらいい?」
生「マイナスをかける。あっ!待って!解けた!」
い「ちょっと待って?なぜその方法で因数分解できると思ったの?」
生「えーと。ここがこうなって、これがこうだから」
い「ふーん、そっかぁ。すごいね(^^)!
さて、生徒も向こうに行ったし、またp4cのペーパーの続きを読もうかな…(^^)。
これ、ガチでヤバい
教委制度、国の関与強化へ
自民案、教科書採択など
これ、ガチでヤバいです。
わたしのいる世間(笑)では、まだあまり話題になってませんがね。
個人と組織、批判と非難
とある場所で目にした光景なんですが…。
ある人が、とある組織を批判する文章を書きました。
それはかまいません。批判は大切です。
ところがそこからのコメントがひどい。いつの間にか組織への非難となり、それはその組織に属する人々への非難になっていって、結論は「こいつらが悪い」となっていきました。
しかも、組織への非難の途中には、デマとも言える内容すら含まれていました。
まぁ、こんな構図、よく見ます。
「とある組織」を「とある業種」に変えると、あちこちでやられてるし、「とある国家」に変えると、これまたあちこちでやられてる。あるいは「とある民族」にすると、これまた。
個人の問題を組織の問題にすり替える。あるいは組織の問題を個人にすり替える。そして、批判を非難へとすり替える。
こうしたすり替えにより、「叩く」相手を見つけ、悪者にし、「原因」をみつける。
それで得られるものは?
つかの間の「安心」?それとも「自分が正義であることの確認」?それとも…。
でも、その先にあるものは、今の日本のあちこちにある状況だと、わたしは思います。
すり替えない。
悪者をつくらない。
「原因」を見つけたら疑う。
もしも誰かを非難しそうになったら、その「誰か」をつくりだす構造があるのではないかと考える。
そして、その構造をつくりだすことに自分は加担していないかを考える。
常に「自分」へと返す。そして、動く。
不合理か?
今日の「おべんきょ」は、わたしたちのグループの発表です。過去2回、他のグループに「優しい質問」をし続けたので、今日はやり返されるんじゃないかと、心臓バクバクです(笑)。ま、でも、相方さんがそうとうしっかりした方なので、安心といえば安心なんですけどね。というか、発表内容をつくってくれたの、ほとんど相方さんです(笑)。いやぁ、楽でした^^;;。
わたしたちの発表内容は「同性愛」。
「じゃ、次、同性愛グループ」
と言われて
「お、おぅ^^;;」
ってなったりはしたのはご愛嬌です。
ま、それぞれ担当の15分をパシっとやりきって、無事終了。その後の質疑応答も強気に押しまくって乗り切りました(笑)。
で、後半は部落問題。
教材はおもしろいし、展開もおもしろいんですが…。今回もひとことに引っかかってしまいました。
「差別が不合理であることに気づかせる」
なんか気になります。じゃ、「合理的な差異は差別ではなく区別」ってこと?
実は、「差別→不合理」ということは、対偶をとると「合理的→差別ではない」。言い換えると、「合理的な差異は差別ではなく区別」。でもそうかなぁ。その「合理性」って、不変のものなのかなぁ。解釈の余地は入らないのかなぁ。
「差別は不合理」という命題を真にすると、同時に対偶も真にしてしまい、「何が不合理か」という解釈を経て、差別に理由を与えるんじゃないかと思うのです。
例えば。
「国籍の違い」は「合理的な差」であるという解釈は成り立ちます。とするなら、そのことによる処遇の差は差別にはならない。
ということです。「いや、国籍の違いは合理的な差ではない」という主張をしたとしても、いずれも解釈の問題にしかならない。逆に、今行われている差別的な処遇は、「だって合理的な差があるんだもん」っていうところに担保されているように思うのです。
「肌の色の違い」や「性別の違い」が「合理的な差」として法的に処遇の差を与えられていた時代があります。その当時は、それを差別とは考えられていなかった。逆に、「処遇の違いは合理的」とすら考えられていたのではないかと思うのです。
であるなら、「差別は合理的におこなわれる」というふうに考え、「その合理性を問う」としたほうが、より現実に近いんじゃないかと思ったりするわけです。
日常生活で「NO!」
「差別しちゃいけない」ということが「規範意識」にまでいった今、逆に「そうはいっても」と心の奥底で感じる人がそれを「足かせ」と認識する。その根底にあるのは「自分はマジョリティ」なんたけど、その「マジョリティ」の中身は「ふつう」という言葉に置き換えられて表現されている。そんな中で「人権」は、ごく一部の過激な人がやってることになってしまう。そして、善意の人からは「すごいね」「えらいね」って言われることで「ふつう」からさらに差別化されてしまう。
だからこそ、「人権」を「ふつう」の中に入れなきゃなって思うのです。
なんか、朝鮮高級学校への襲撃事件というヘイトクライムについて、一晩たって、再びそのことを考えた時、「一市民がカウンターしてます」から「カウンターやってる市民がここにいます」へとステージを変えなきゃならんのじゃないか。そうやって、生活の場で存在を顕在化させることが必要なんじゃないかと思うのです。
心の中で思っているだけでは、自分の思いは表明できない。とするなら、缶バッチとか、バンダナとか、マフラーとか。とにかく「NO!」の徴をみにつけること。「NO!」があふれる街をつくっていくこと。
そしてそれは、まずは、わたしから。
てことで、缶バッチつけたリュックにバンダナくくりつけて、マフラーして出勤しよう(^^)。
これでフラッグまとえば完璧やな^^;;。
時代はあきらかに逆行している
今日のつぶやき
神戸の朝鮮学校に金属棒持つ男侵入 – 47NEWS(よんななニュース) http://t.co/Pf8YeY8aYC
1月17日に「阪神淡路大震災の時は、朝鮮学校に日本人も避難していた。関東大震災から70年あまり、たくさんの人の力で社会を変えてきたんだ」って話したのに…
1923→?→1995→?→2011。
「?」にはなにが入るんだろう。
今年もやってきた
今の子どもたちにとって「生まれる前」の話。
でも、だからといって風化させてはいけないと思います。それは、例えば戦争体験がないわたしにとって、でも、「戦争」は風化させてはならないということと同じです。
てことで、話しはじめたのですが…。
今年は調子乗りが茶化した。
久しぶりに腹が立ちました。で、思わず
「お前にとって、歴史とはなんだ!」
と、およそ数学教員とは思えない問いかけをしてしまったりして。
しかし、1923年から1995年、そして2011年へ。時代が逆行しているような気がするのは、わたしだけでしょうかねぇ。
わたしの基準点の置き方
今日のおべんきょは、先週に引き続き、人権学習の教案の発表会です。
ま、それぞれに対してそれぞれに考えたことは多々あったのですが、なにより大きかったのは、わたしのものの考え方を「言葉化」できたということでした。
例えば、在日外国人問題の教材における「我が国」「我々」「彼ら」という言葉、あるいは、障害者理解教育における「配慮」という言葉に、わたしは反応してしまったんです。前者については「我は誰を指すのか」「彼は誰を指すのか」ということ、後者については「配慮は誰が誰にするのか」ということでした。
まぁ、前者についてはよく言われることなんでいいとして、後者ですね。実はこの質問をしたら、発表者の方はよく考えておられる方みたいで「相互の配慮」という形で返されてきました。で、かつてわたしは障害者から配慮された経験があるので、瞬間「うーんやられた」となったんですが、でも言葉化できないまま「違う」とだけ返しました。
わたしが受けた「配慮の経験」というのは…。
とある、自立生活をはじめる人のための「ピアスクール」というところにおじゃました時のことなんですが。そこにCPの人がおられて、やたら話しかけてくる。正直わからないから「困ったな」と思いながらも、「わからん」と返してたんです。そしたら、向こうの方「しゃーないな」って感じで50音表を出して、話しかけてくれました。それでようやく会話ができるようになりました。
ただこれだけの経験なんですが…。
でもその時「ごめん、わからへんで」と思ったんですね。「いらん労力かけさせて」って。つまり、わたしがその人の言葉を理解する能力を持っていればそんなことさせなくても会話できたのに、わたしの能力不足のために相手に「配慮」させてしまった。もっと言えば「こいつ、わからんやっちゃな」って、わたしを見捨てることもできたのに、たまたま喫煙所で出会った見知らぬわたしのために、そういう配慮をしてくれた。立場を変えるなら、わたしが配慮を強いたとも言えるわけです。
で、これ。街角で英語で道をたずねられて困ったら「英語ができない自分のせい」って考えるのに、CPの人だったら「自分にわからないことを言っている」って相手のせいにしていた自分に気がついたんです。それ以来、CPの人の言葉がわからなかったら「わからないわたしの能力不足でごめん」と思うようになったんです。
ま、そういう気づきの経験でもあるわけです。
で、その時のその人とわたしの関係がどうだったからわかりませんが、わたしの側からすると、ま、アウェイな空間でもあったので、そのおかげで比較的フラットな関係に近かったからこそ、わたしを「変える」ことができたのかなと思いました。これが、わたしがふだんいる空間であればそれができだろうか。
そう考えた時、「マイノリティがマジョリティに対しておこなう「配慮」とは「遠慮」じゃないか」と、ふと思いました。
たぶん、わたしがひっかかったのは、そこだったのかな。
「配慮」という言葉にしろ「我々」という言葉にしろ、それらは、歴史や社会をどこから見るのかということと直結しているしているように思います。
ふたつの発表が、ともに用語解説や歴史を公的機関をソースとしていたのも象徴的でした。当事者の姿が希薄、あるいは見えない。もちろん「おべんきょ」の世界で生きてきた人に「当事者の視点」をいきなり求めるのは酷かもしれません。でも、それ抜きで「人権教育」はできないと、わたしは考えます。というか、わたしはそう考えていたんだということに、あらためて気づかされました。
「当事者にもいろいろいる」「特定の当事者の観点から物事をとらえるのは偏ったものの見方」という意見はあるでしょう。でも、「公的機関からとらえる」こともバイアスのひとつです。というより「バイアスがないふりをする」という意味で、「もっともバイアスがかかった物事のとらえかた」ということもできるかもしれません。
であるならば、わたしは「当事者の歴史や現状」をマジョリティであるわたしが見るという幾重ものバイアスのうえに成り立ったところに基準をおきながらやりたいし、きっとそうしたいと今までも思ってきたんだなと、気づかされました。
てことで、来週の発表は、そんなことに留意をしながらやりたいな。