そいつらの言うことはな!

さぁ、今日からは日常を過ごさなくちゃ。
とにかく、いつもの火曜日通り5時20分起きです。ほんとに骨粗鬆症の薬はめんどくさいです。ま、自業自得ですがね(笑)。
で、いつものように職場へ。
さてと。とにかく、夏のいろいろな事務仕事をやってしまいましょう。

と。なんか生徒がやってきて…。
「ウトロについて教えて」
と。ほう。で、相談にのりだしたのですが…。
生「いろいろ調べたで」
い「何で調べた?」
生「インターネット」
嫌な予感がしました。
い「キーワードは?」
生「ウトロ youtube
い「あ、それ、全部ウソ(笑)」
ここから1時間ほどかけてレクチャー開始です。まぁ、完全に「それ」だけじゃなくて、他のところもあたったみたいで、少しはホッとしましたが…。
にしても、ウトロのすぐ近くに住んでいて、ウトロの中に住んでいる友だちもいて、なおかつyoutubeの画像をソースにするわけですから、ほんとにこわいです。これ、もしもわたしがいなければ、あるいはその生徒を連れてきたわたしの教えた子がいなければ、さらにいうならその「教えた子」のクラスでわたしがウトロのことを話してなければ、今回質問に来た生徒は、もしかしたらyoutubeの画像だけをソースにしたかもしれない。これはあまりにもヤバすぎます。
最後に「こんなんも調べとき」って、いくつか資料を渡して、とりあえずレクチャー終了です。

その後も、なんかゴチャゴチャ仕事があって、ようやく落ち着いて本を読めたのが昼過ぎ。昼過ぎかぁ…。ヤバイなぁ。
30分ばっか気を失いました^^;;。

てことで、センセにギブアップのメール(;_;)。
あーあ…。

日常化へのアプローチ

朝、とにかくしんどい…。けど、出勤しなくちゃなりません。てか、足の小指に水ぶくれあるわ、筋肉痛はあるわ^^;;。
ま、それでもなんとか一日勤務を終えて、向かうは「京都シネマ」です。19日から一週間「凍蝶図鑑」の上映です。せっかく監督さんから直接メールをもらっているので、これは行かなきゃならんでしょう。

さてと。いきなり感想です。
とにかく「変態賛歌」の映画です。登場されるみなさん、変態であることに誇りを持っておられます。いや、「誇り」という、ある種の主張というか押しつけがましさというか、「前へ出る」感じじゃなくて、それを「あたりまえの自分」として一体化させているというか、そんな感じがします。
ただ、自分の中に少しの違和感が…。それは、すんごい簡単に言うなら
「みんな、アーティストやなぁ」
ってことです。みなさん、尖っておられます。さりげなく理論的な主張もうちに秘めておられます。あるいは情熱的です。それがまぶしい。
「あそこまでいかないと「変態」とは言えないのかなぁ」
「「変態」って、アーティスティックでなきゃならないのかなぁ」
とても特殊な、あるいは非日常空間がほぼ全編を貫いています。うーん。わたしのような平凡な人間はとてもではないけど「変態」とは言えんな。そう考えると、「変態賛歌」は、特殊な人のものであるような気がしてきました。

と、ふと気づきました。
アプローチが逆なんだ…。徹底的に非日常にこだわって、その非日常を日常的に生きていくアプローチと、徹底的に日常にこだわって、その日常に非日常を組み込んでしまうアプローチ。
おそらくは「凍蝶図鑑」をごく普通に見れてしまう人には「coming out story」は退屈だろうし、「coming out story」がしっくりくる人には「凍蝶図鑑」は刺激が強いかもしれません。
まぁでも、それは見たから言えることかな。で、京都の隣にある大阪にあそこに登場している人が生活をしていることを知ることは、とても貴重な経験でした。

あ、たったひとりだけ、アーティスティックではあるけど、とてもしっくりきた人がいました。「めばさん」でしたo(^^)o。
にしても、知ってる人がふたり出てるってなぁ(笑)。

カミングアウトの壁

最近、考えが深く潜ってしまって、なかなか世間の話題についていけないのですが…。でも、いろいろ考えることはあるのです。
例えば「カミングアウト」について。
「カミングアウト」ってなんだろう。単なる告白?それとも、互いの関係を揺るがすもの?
「周囲の人にカミングアウトしたけど、みんな変わらず接してくれた」
とか
「周囲の人にカミングアウトしたけど、みんな受け入れてくれた」
みたいな話を聞くことがあります。
「ほんとかなぁ」と思う一方、そんな人には悪いけど「そういう周囲なんだろなぁ」とも思うのです。
ひとりの人間の性別が変わるってことは、その人を取り巻く人間関係が変化するってことだと思います。その影響って、そんなに小さくはないんじゃないかと思うのです。つまり、必然的に「変化」せざるを得ない。あるいは、受け入れにものすごく時間がかからざるを得ない。にもかかわらず「変わらず」とか「受け入れ」ってどういうことなんだろう。
まぁ、例えば10歳の周囲との関係と30歳の周囲との関係は厚みが違うにもかかわらず、それを同レベルで考えてるのかなぁ。
それとも…。
あの「カミングアウト」のくだり、時代とともに変化してきてるんじゃないかなぁ。だって、周囲との関係が希薄であればあるほど「受け入れ」は容易だと思うんですよね。
それとも…。
あ…。
もしかしたら「カミングアウトの成功」のテンプレが「変わらず接してくれた」なのかなぁ。うーん。

まぁなんしか、どうやら「カミングアウトの壁」は、すごく低くなってきているような感覚はあります。その低さは、社会の理解が進んだ結果なのか、人間関係が希薄になってきたことのあらわれなのか。

すらすらと出るって?

お酒を飲みながら、なんとなく「すらすらと言葉が出る」ことについて、TAのFよんさんと少し話をしてみました。
「すらすらと言葉が出る」のは、自分の中にある「もの」が言葉化されているということなんだろうか。それとも「言葉化されたものの中からチョイスする能力が高い」ということなんだろうか。はたまた、「言葉化されている「もの」を出すことによって、言葉化されていない「もの」を隠しているんだろうか」。まぁ、これだけではないだろうし、またどれかひとつしかないわけでもないとは思います。
でも、なにかひとつ、奥のものが出てこない自己紹介にしてしまったなぁと。
まぁ、たぶんそれは、わたしの話題の選び方とか、最初のわたしの「題材の提示のしかた」とかにも、かなり大きな問題があったんだろうなぁ…。

反応はさまざま

今日は職場のセクションの飲み会です。てことで、なぜかビアガーデン。天気が心配されたのですが、暑すぎるわけでもなく、ちょうどいい感じです。
なんでも今日は七夕なのかどうか、はたまた関係があるのかどうかもわかりませんが、イベントの日らしく、一律高額料金です。やれやれ。で、イベントの内容は、なぜかベリーダンスショー。ちなみに、ショーの間、食べ物も飲み物もとりに行けないのはめんどくさいなぁ…。
で、まぁ、飲んでいたわけですが…。
はじまりました、ベリーダンスショー。
うーん。がんばってはります。そりゃ、あんな動きしてたらやせるわな(笑)。
にしても、見ている人の反応がおもしろい。
ちなみに、うちのセクションの男性陣はほぼ「ノリのいい」人たちなので、ちゃんとノッてます。まぁ、踊る側としてもノッてくれないとしんどいですよね。
で、女性陣は二種類にわかれます。おそらくはダンサーに同一化するタイプと、「ふーん」なタイプ。と考えると、男性陣の「まなざし」は、やはり「対象」として見ているのかなぁ。
なんか、そんなところにジェンダーが垣間みられて、おもしろいなぁ…。

あ、ちなみに、飲みの方は、あやしげなスピリッツでアウトでした(笑)。

一夜あけた朝

それでも朝はやってきます。不思議なほど気持ちよく晴れ渡った朝です。
いつものようにやかんを火にかけて、台所の窓を開けます。外から夏の朝特有の冷たい風が入ってきます。その瞬間、
「あ、もしかして、自分、にほん好きかも」
と思ってしまいました。そして、次に出てきたフレーズが
「にほんをかえせ」
でした。
その「にほん」は…。
例えば、昨日出張で行った、わたしにとっての第二のふるさとのたんぼの風景かもしれない。あるいは、みんなが急がされているこの時代、スローフード。おにぎりを売ってるお店かもしれない。いつも変わらず人が集まるお好み焼き屋かもしれない。みんなが安さを求める中、無農薬野菜をつくっている人かもしれません。
よくわからないけど、そんなこんなが自分にとっての「にほん」であり、案外そんなくだらなかったりつまらなかったり情けなかったりするものが好きなのかもしれないと思いました。
でも、あれ?「かえせ」ってフレーズ、どこかで聞いたよなぁ…。あぁ、あれだ!

ちちをかえせ ははをかえせ.
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

なんか「にっぽんを取り戻す」とかいうフレーズがあって、どんな「にっぽん」かはわからないけど、「権力という暴力」を使って「奪おう」としていて、どうやらそれはとてもではないけど好きにはなれなくて、住みにくて、危険な「にっぽん」らしい今、ふたたび「にほん」をとりもどすこと。その闘いは、すでにはじまっているし、今日はその仕切り直しの日なのかなぁと、ふと思いました。
なんか、腹を立てて、怒りまくった次の朝が穏やかなのは、怒りが収まったからじゃなくて、その怒りが内在化し、自分の日常と融合したからなのかな…。

何回繰り返せば

仕事をしながら、ときおり「更新」しながら情況を見守ります。やがて、なにごともなかったかのように「合意した」の文字が。あまりにも茶番です。

当然のことながら、5時半に仕事を切り上げて四条河原町に向かいます。交差点に行くと、すでに100人を越す人々が集まっています。
デモの出発点に向かう道すがら、なんとも言えない「疲れ」に襲われます。なんなんだろう。この疲れは。
デモの出発待ちの時間、人が続々と集まってきます。やがてデモ出発。
道行く人の反応はさまざまです。
無視をする人。写真を撮る人。拍手する人。子どもに「あんたも入らんと」みたいなしぐさをしている人。

昨日もそうでしたけど、「無視をする人」の顔が一番つらいですね。無表情なんです。でも「そこにそれはない」とする「意思の表情」が伝わってくるんです。
なぜ無視をするんだろう。なぜ拒否ではなく無視なんだろう。実のところ、わたしにはわからない。そして、それがわからないかぎり、無視をする人はこちらを向かないであろうこともわかっている。でも、その無視をする人は、その「無視の意志」を持ったまま、例えばこの国が向かおうとしていく先に向かっていくんだろうか。

デモも終盤に入り、ドラム隊はいよいよ激しさを増します。

再び「怒り」がこみ上げてきます。その怒りは、たしか前にも…。あぁ、この日です。忘れもしない「教育基本法改悪の時」です。あの時と同じ思いを幾度繰り返してきたか。そしてこれからも幾度繰り返すのか。
でも、そこで、無表情にはなりたくありません。無視はしない。

艱難は忍耐を生み出し、
忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、
知っているからである。
そして、希望は失望に終ることはない。

四条河原町マルイ前にて

みなさん。
わたしは学校の教員をしています。
わたしは今日、自分の義務を果たすためにきました。わたしは教育公務員です。公務員は憲法を遵守する義務があります。明日学校で子どもたちに「義務を果たしてきたよ」って言うために、ここに来ました。
もうひとつあります。
最近、自分の心がパサパサになってきた気がするんです。パサパサになった心だと、現実もパサパサにしか見えません。やつらはそんなパサパサな心が大好物なんです。そのパサパサな心に、なんやろ、いらんもんを入れるんです。だから、今日はそんな自分の心に水やりに来ました。
うちの学校の子らは勉強苦手なんです。でもそんな子どもから、今日「先生、おんなも戦争行かなあかんの?」って質問されました。わたしは「そやなぁ。男女共同参画の時代やしなぁ」って答えました。他の子から「先生、わたしら攻撃されるの?」って聞かれました。「そやなぁ。日本には基地がいっぱいあるからなぁ」って答えました。
そしたらその子「イヤやー。なんでこんなことになってしもたんやろ」って泣きそうな顔をしてました。
ブルーハーツの「青空」の中にありますよね。「こんなはずじゃなかっただろ、歴史が僕を問い詰める」。わたしは「こんなはずじゃなかった」って言いたくないんです。
頼みます。うちの子らを助けるために、「こんなはずじゃなかった」って言わずにすむために、力を貸してください。

四条河原町でマイクを持ったのは2度目です。1度目は、「ふるさと」のメロディで
「キムチおーいし、あの店ー♪」
と歌って、そこにいた人の失笑を買いました(笑)。
今日はあの時よりもましだったかなぁ。でも、この内容考えるのに1時間かかりましたよ。
明日、子どもらに報告やな(^^)。

詩の持つ力

暗澹たる気持ちだった今朝、ひとつの詩が流れてきました。

明日戦争がはじまる  
          
             宮尾節子

まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった

インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった

虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった

じゅんび

ばっちりだ

戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日戦争がはじまる

思わず印刷して配ってしまいました^^;;。
心がパサパサになる前に、水やりを。
詩には人の心を生き返らせる力があるんだなぁ。