「〜たち」再考

この間「「〜たち」という言葉」という記事を書きました。その後、いろんなことを考えていたのですが…。
ふと思いついたのが、「Individual model」と「Social model」のことです。
「個人モデル」は、まさに「〜たち」のない世界です。だって、「個人」だもん。と考えた時、それって、いずれの運動にもある話じゃないかなと。
もちろん、障害者解放運動はこれがもろにあるんだけど、それだけじゃないです。例えば、フェミニズムにおいても実はそういう歴史があることを思い出しました。
例えば、女性が男性並の仕事をすることが女性差別からの解放だとする時に「〜たち」はない。なぜなら、個人の力量に委ねられるから。もちろん、その背後に社会や法律の裏付けは必要だけど、逆に言えば「法整備をしたんだから、あとはあなたの力量ね」ってなっちゃう。男女雇用機会均等法は、まさにそれだった。これ、ある種の「個人モデル」です。それに対して、「男と同等とかそーゆー話じゃないよ。そもそも、この社会の構造そのものの問題じゃん」という話が出てくる。これ「社会モデル」です。で、ここに「女たち」という言葉が成立する。もちろん、前者であっても「女たちに男と同等の権利をよこせ」とは言えるけど、その後は「〜たち」とならない。
なんてことをダメダメ先輩にメールしたら「前者はリベラリズムで、後者はラジカリズム」って指摘が返ってきました。たしかにたしかに。第1波から第2波です。
で、これ、フェミニズムだけかというと、部落解放運動にもある。「融和運動」が「個人モデル」で「水平運動」か「社会モデル」という図式になるかな。前者は「丑松モデル」なんていう言い方もされてましたか。まぁ、こんな単純な話じゃないけど、でも、水平社宣言には「兄弟よ」とか「吾ら」って言葉が出てくるので、やはり「〜たち」なんでしょうね。
在日朝鮮人教育運動の世界では「帰化」と「本名宣言」という図式かな。
依存の世界では「ダメ、ぜったい」から「依存を生み出す社会を問う」という流れ。
他の運動はわからないけど、なんか、いずれの世界でも「個人モデル」から「社会モデル」へという流れが存在していて、さらにいうなら、相互の批判や軋轢や対立はありながらも、運動が成熟するに従って、あるいは課題が明確化されることで、あるいはかかわる人間が多様になることで、それぞれの必要性とかが認識されるようになって、両立するようになる。例えば、部落解放運動では融和運動の再評価がなされ、在日外国人教育運動では日本籍・ダブルによるアイデンティティ・ポリティクスが問われています。たぶん、障害者解放運動でも、リハビリテーションに対して「ダメ、ぜったい」とはなってないんじゃないかな。
でも、おそらくは権力者にとっては「個人モデル」が助かるんでしょうね。だって「法整備はしたから、あとは自己責任で」ってほうれるし、なにより自分自身を問わなくてすみます。だから、極力そちらへそちらへと誘導する。

てことで、これはトランスでも同様のことが言えるのかな。まさに「特例法」という毒まんじゅうはそれの最たるものです。そして、いまや医療全盛のこのギョーカイは個人が完全に分断されている。まさに「個人モデル」の罠にはまっている。
となると、やはり必要なのは「われわれトランスたち」という言葉が使える「社会モデル」としての運動をつくることなのかな。そして、もしかしたら、それこそが「トランスジェンダリズム」なのかなと。

なんか、世界は変わってるなぁ

最近、某所でお米のことが話題になってます。どんな人がやってるのか見に行ったのですが、アテンドやってるんだ。
わたしの友だちの「黒い軍団」の人たちもタイとつないでいたけど、それは商売じゃなかったし、当然宣伝もしてませんでした。いろいろあがいて調べて、その先に「先に行ってた人がいた」ってわかる。そして、苦労してアクセスして、ようやくつなげてもらう。でも、それはその人の優しさなんです。なぜなら、そこまでしてからのSRSだと、その人は考えているからです。逆に言うなら、途中で挫折するようではSRSしてもうまくいかないと。まぁ、特例法前夜の話です。
でも、今は違うらしい。苦労の中身はお金なのかな。もちろんお金を貯めるということ、そしてそれを使うことで安心が得られるなら、それはそれでいいです。まっとうです。が、唖然としたのは「お客様の声」の中に親がいたことです。あぁ、ここまで来たんだと。「親は最後の壁」じゃないんだ。親がお金を出してくれるんだ。まぁ、それもまたいいんですけどね。

で、さらにいくつかサイトを見に行ったのですが、なんか、唖然としました。最近ではトランスはお金儲けになるんだ…。
まぁそりゃ、わたしのところにもお座敷の声がかかるくらいだから、それなりにニーズがあるのはわかります。が、それでメシが食えるらしい。まぁそれはそれでいいんでしょうけどね。
考えてみると、わたしの知ってる人々の中で、講演でメシを食ってるのは…。ひとりかな。でも、キツキツの生活してはります。しかも、話すことで自分の過去がフラッシュバックして、たまに落ちてはります。たぶん、自分のことを話すのって、そういうしんどさがあるんですよね。もうひとりいるけど、この人は交通整理が本業やしな(笑)。ちなみに、こちらは話の内容はアップデートしてはります。さすがは10年以上話してこられただけのことはあります。なんというか、具体から一般化みたいなことが必要だと、わたしなんかは思うのですが、世の中はたぶん「個別の課題」が知りたいんでしょうね。そんな時、提供できる話とニーズが一致する。

なんか、自分が話をしてる内容は時代遅れなんだろうかと思っちゃいます。自分であげたハードルを「ハードルが高い」と言ってるだけなんだろうか。いま、性別を変えることは、そんなに難しいことじゃない時代なんだろうか。
まぁ、たしかに、医療モデルは個人の力で突破できるってことです。極端な話、SRSをすれば性別が変えられて、それを話せばお金がもらえるなら、元はとれます(笑)。
でも、そんなことじゃないと思うんですよね。それは、在日や部落の人の講演を聞けばわかります。たとえ時代遅れでも、伝えなくちゃならないこともあるんだって信じるしかないですね。

「グチ」というエントリをつくろうかな(笑)

朝、なかなかな積雪です。それにしても、今年最初の雪道運転が京都とは^^;;。ちなみに、うちの車庫から道までは急な下りです。さすがにこわかったです。
で、職場に着いて、しょっぱなにやろうと思っていた仕事ができなくて、その時点でかなりストレスがたまります。しかも、他のことやろうと思ったら、メッチャ重たいデータをプリンタに食わしてる人がいて、プリンタを独占してます。おかげで、わたしのタスクはエラーの続出。ストレスがかかります。
しかも、「中国帰国生徒へのとりくみを知りたいと言ってる人がいるので、某在日外国人教育関係の大会レポート過去数年分の中から適当にみつくろって2〜3本送ってあげて」というメールが来て、唖然です。その2〜3本のために過去数年分のレポートを全部読まなきゃならないってことが、なぜわからんかな。
てことで、授業では静かに切れました(笑)。

午後はやらなきゃならないHがしさんの講演録の2次校正。これ、トランスクリプトを作成してもらって、次に1次校正をパートナーに外注に出して、さらにわたしが校正して、最後にHがしさんにチェックをお願いするのですが。これ、クオリティに一番影響するのが、トランスクリプトなんですよね。これがひどい。意味が通らないところがあるので音声を聞いたら、まったく違うことを言ってます。どうやら、音声を聞いて、それをそのまま文字化するんじゃなくて、音声を聞いて解釈して自分の文章に要約しているらしいです。それはトランスクリプトとはいわないです。解釈が入った時点でアウトです。てか、プロのスピーカーに対して、そんな大それたことができるというのが信じられません。なので、しかたないので、わたしも音声を聞きながら、いちいち訂正をいれました。
結局勤務時間で終わらないので家に持って帰って最後のところをチェックしたのですが、これがひどい。質疑応答が会話になっているので起こしにくいのはわかるのですが、それをベタで打ってるから、質問と答えがワンセンテンスの中に入ってます。だから、意味がさっぱりわからない。しかも、最後は発言と文章がまったく違います。これ、絶対にめんどくさくなって、自分が考えた文章を打ってるな。クレペリンでアカン結果が出るパターンです。
にしても、こんな仕事をしたら、次の人がたいへんだってことがなぜわからないかな。まぁ、わからないからこんな仕事になるんだろうけどね。
てことで、とりあえず完成したところでHがしさんに送りました。今年もギリギリのタイミングになってしまいました。ごめんなさい。
って、謝るのもわたしなんだよね。トランスクリプトやった人も1次校正をやった人も、自分の遅れをHがしさんに謝るわけではないからね。

あー、グチったグチった(笑)。

ヤツらもわかってた→お返事書き

朝、京都は雪です。

でも、なんか気持ちいい。それはたぶんそれくらいの雪の量だからでしょうね。
てことで、事後合宿に参加すべくマダンセンターへ。
ちょうどみんな朝ごはんを食べたところだったらしく、わたしは残り物をいただいておなかいっぱいです。
で、話し合い。はじめにF知さんから問題提起。内容は「アピールは誰のために、何のためにするのか」です。それを考えてもらうために、久しぶりにこんな本を引っ張り出してきました。何回読んでもチョンミのアピールはすごいな。この文章を読んで、人に伝えるとはどういうことかということを感じてくれたらいいな。
論議の中で、子どもたちの中から「反抗期」という言葉が出てきました。ちゃんとわかってるな。それを制御できなかったんだな。そして、それが言えるということは、たぶんいまは制御できるようになってるんだな。それなら大丈夫。
そんな気持ちで事後合宿終了。

午後からは友だちから「そろそろよろしく」と言われてた「お返事書き」です。
うーん。量が多い。しかも、「それ書くか?」という質問もあります。なんとなく質問の垂れ流し感があります。が、そんな中にキラリと光る質問がある。なので、真剣に答えることにしました。
まぁ、質問項目が40ほどあるので、ひとつひとつに長い文字数を割くことはできないし、ていねいに書くこともできません。でも、自分なりにピンポイントで答えながらも、アサーティブな言葉を選択したつもりです。3時間くらいとっくんだところで終了。今日は出がらしやな。あとは飲んで一日を終わらせましょう。
それにしても、京都市北部はハンパない雪やな。

「〜たち」という言葉

この間行った「フェミニズム研究会第8回」の折に、ずっとほしいと思っていた「生存学研究センター報告書[24]」をもらいました。で、それを読んでいたのですが…。
やはりこの間の研究会でのわたしの発言は届かないだろうなということを、あらためて思い知らされたんですよね。
先の本の中で繰り返し論じられているのは「Personal is political」という言葉です。というか、おそらくは堀江さんのこの言葉へのこだわりがあの研究会を生み出し、あの本を生み出したんだろうなと思うのです。
まさに、この社会において、女性たちは私的領域を担うものとして疎外されてきた。そしてそれは「個人的なこと」とされることで(男性が担う)公的領域に持ち込むものではないとされてきた。しかしながら、まさにその構造そのものが「政治的なこと」である。つまり、「個人的なことは政治的なことである」。さらに、その公/私の線引きは男性によってなされている。これがやっかい。つまり女性たちは、公的領域にかかわろうとした時「あなたは男性と同じか?」と聞かれる。ちなみに、この問は、実は「あなたは人間か?」という意味を含むんですけどね。これに対するいかなる答えも「女性を「女性」であることから疎外する」。つまり「yes」と答えると「女性」ではなくなり、「no」と答えると「公的領域」に入れなくなる。まさに、この線引きそのものを問い、ずらす必要があるわけです。
こうして、「女たち」がこの社会にどう位置づけられ、なにを対象として闘う必要があるのかが明らかになっていった。このあたりがフェミニズムが明らかにしたことなのかな。まぁ、わたしはフェミニズムについて勉強してないからわかりませんが。
ところで、「女たち」の中で疑問が出される。それは「「女たち」の間でも差異があるではないか」ということです。それは例えばアフリカンアメリカンであったりヒスパニッシュやアジアンであったり、さらにはレズビアンであったり。こうしたダブルマイノリティがその差異を主張しようとした時、その差異を「個人的なこと」としようとすると、フェミニズム内において壮大なブーメランが飛んでくるわけです。先の本は、このあたりを問うているんですね。
まぁ、「そんなんアカンのあたりまえじゃん」と一般には思われるだろうけど、こんなことは日常的に山のようにあるわけです。つまり「マイノリティ内のマイノリティが声を上げると、「その問題提起を今するのはやめろ」「今は一致団結すべき時」と言われる」みたいなね。さらには、そういう空気を「読んで」、混乱させないように自主規制かけるとかね。
まさに、マイノリティが差異に敏感だし、ジレンマに陥るのはこのあたり。というか、マジョリティはこういうあたりは問われません。だって、線引きしてるのは権力を持っているマジョリティですからね。
というのはおいといて。
でも、堀江さんは、あの本の冒頭で「でも、フェミニズムは充分に闘う武器たりうる」とされています。まさにそんな本なんですよね。

で、読みながら、まだ全部は読んでないけど「うらやましい」と思いました。あるいは「自分はここじゃない」と言ってもいいかな。
それは、例えばレズビアンが「女たちの間の差異」であるとするなら、トランス女性であるわたしは、そもそもその「女たち」に入るのかどうかという決定的な差があるということです。わたしはずっとこのことにこだわってきたし、疑問に思ってきたし、混乱し続けています。フェミニズムに惹かれれば惹かれるほど、この壁にぶつかる。「フェミニズムはわたしの武器たりうるのか?」ということです。
まぁ、別に入れてもらわなくても、それはそれでいいんです。まさにパトリック・カリフィアの

もしトランスセクシュアリティのすべての痕跡を消し去ることができ、完全に男性として生活できるなら、わたしはそうするだろうか?多くのトランスセクシュアルがイエスと即答することをわたしは知っている。しかしわたしは、この<大いなるジェンダー分割線>にとどまり、苦くはあるが貴重な何かを見続ける。この眺めは、危険なほどの高みからではあるが、心躍る愉快なものだ。共感とは、常に孤独から生まれるものだ。

です。ちなみに、こないだの研究会で言ったのはこのことなんですけどね。

たぶんカリフィアは知ってます。カリフィアの辞書には「〜たち」という言葉はないってことを。そしてそのことを、わたしも知ってます。
そういうわたしが、フェミニズムの「女たち」という言葉を聞いた時、そしてその中の「差異」を見つめながら、それでもなおかつ「〜たち」という言葉を使う/使えるということ。そのことそのものがうらやましくもあるし、でも、きっとそこには自分は行けないし、たぶん行かない。まさにそこに「差異」を感じる。そして「差異」を感じているうちは、そこに行けないし、行かない。

「多様な性を生きる」ということに特化すると難しいですが、「ありのままに生きる」という意味では、私と同じ経験をしている人は誰もいないわけです。そういう意味で、私と接点のある人は誰もいないんですよ。そういう絶対的な孤独を引き受けたうえで、人とつながっていくということじゃないかと思っています。

継いでくれたのかな?・はじめての同窓会

「鍋合宿(2日目)」を書こうと思ったけど、うどんを食べて片づけしただけなので、特に書くこともなく。
ということで、今日はうちの職場の第21期卒業生の同窓会でした。
この学年、わたしにとって2まわりめの担任時代の子どもたちです。わたしの年齢は30歳過ぎ。ある意味、一番脂がのっているというか、ブイブイいわしていたというか、そんな頃の子らです。たしか、年間100件ぐらい家庭訪問をしたのも、この学年かな。
ちなみに、同窓会に呼ばれたのははじめてです。というか、みんな同窓会してるのかな?あまりしてるようなことは聞かないですね。まぁ、担任には連絡せずに自分たちで楽しむとしたら、それはそれでかなり「あり」やなと思うのですがね。だって、担任がうまくフェードアウトしてくのが、わたしの理想ですからね。
まぁでも、「子ども」というのが失礼な40歳の節目の同窓会らしいです。ということで、3ヶ月ぐらい前に声をかけてもらって、旧担任団への連絡をおおせつかっていました。
集まってきたのは70人ぐらい。卒業生は全部で350人ぐらいいるので、5分の1です。たいしたものです。
みんな楽しそうに話をしています。たまーにしゃべりにきてくれる卒業生から「覚えてますか?」と聞かれて、瞬間「誰だっけ」と思うのですが、じわじわと思い出がわいてきて、今の顔と一致していきます。ただ、ちょっと寂しかったのが、一番会いたかった何人かと会えなかったことかな。まぁ、それぞれみんな忙しかったり、過去に重きを置く気がなかったり、会いたくなかったりしているんでしょうね。それもまた同窓会というものです。
同窓会の最後にプレゼントをもらってしまいました。コップでした。そこには「Itsuki」って書いてありました。そうか、今のわたしのことをちゃんと知ってくれているんだなぁ。

で、2次会。
なんか、こらえきれなくなってしゃべりにきてくれた感じの卒業生。
「えーと、先生って昔通りに接していいんですか?」
と声をかけてくれました。答は
「もちろんええよ」
です。こうやって、正面から話をしてくれるってうれしいですね。
「先生は変わったんですか?」
「いや、変わってないよ。変わったのは外見だけだよ。中身はずっと同じだよ」
たぶん、わたしにとってのトランスって、そういうことなんですよね。
すると、その卒業生は安心したように、かつてわたしが1年生で担任した時のことを話してくれました。
「おれが停学くらって、先生が家庭訪問に来てくれた時、「勉強なんて嫌いやし、学校、やめたい」って言ったら、「学校には勉強以外にいっぱいあるよ」って言ってくれた。そのおかげで「じゃ、クラブがんばろう」と思ってがんばったら、ベスト8までいけた。あれはなにものにも代えがたい経験だった。それで卒業できた。あのひとことのおかげや」
みたいな話。そして
「なんでみんな車いすバスケットのおもしろさを知らないのかな。伝えようとしないのかな。あのおもしろさがわかったら、障害者への見る目が変わるのにな」
みたいな話。わたしは
「そうやね。その気持ち、わたしや他の先生たちが部落問題や在日朝鮮人問題について「みんなに知ってほしい」と思った気持ちと一緒やねん。いまの君みたいな気持ちなんやわ。そんなわたしたちの気持ちを、そういう形で引き継いでくれるのが、すごくうれしい」
って返しました。

うん、この卒業生の気持ちを大切にしたいな。
なんとも言えないほんわかした気持ちで同窓会をあとにしました。

町内会長さんの訃報

朝、一本のメールが届きました。メッチャお世話になったウトロの町内会長さん・金教一さんの訃報でした。
いつも「センセ、また飲みに行こうな」って満面の笑みで誘ってくれてました。いつも立派な車に乗っておられたけど、「オレら土方はな、身体を守らんとアカンねん」って言っておられました。そして、たしかにおそろしいほどの安全運転でした。
苦労話をいっぱい聞かせてもらいました。でも、ぜんぜん押しつけがましくなくて、それどころかあったかさを感じさせてもらえる苦労話でした。そして、そんな苦労をしてこられたからこその優しさがありました。うちの生徒で進路が未定の子を引き受けてもらったこともありました。「どんなヤンチャでもええで」と言ってもらいました。3人ほど紹介したけど、残ったのはひとりだけでした。それほどきつい仕事を生涯続けて来られたんですよね。
焼肉のときには「センセ、ここおいで」と言って、目の前にビールを3本くらいおいてくれました。スーパードライで困ったこともあったけど、ここ数年は発泡酒なので、逆にヱビスを買っていって「こっち飲まれませんか」とか言ってましたけどね。
ウトロでしんどい思いをしたことはあったけど、嫌な思いをしたことは一度もありません。それは、ウトロのみなさんのおかげだし、そのうしろにはいつも会長さんの笑顔がありました。
「また一緒に呑もう」と言われてたのになかなか行けなかった。そして、二度と行けなくなっちゃいました。やはり、飲みに行ける時に行かなきゃならないんですね。
でも、きっと天国でも、片足ちょっと引きずって、ニコニコ笑って呑んではるんやろなぁ。

ぐるぐるの根源

朝、なんとなく昨日のぐるぐるが言葉をまとって浮かんできました。
たぶん、「共感」にかかわることなんです。
とても簡単に言うと、あるできごとに出会った時、それに共感することを選択する人と共感することを選択しない人がいる。わたしは後者です。
共感は難しい。なぜなら、共感するためには、共感するための共通のベースが必要かなと思うからです。そのための自分のベースをどうとらえるかなんですね。
わたしはトランスする前に、なぜ女性たちが女性というだけであれほどまでに簡単に共感するのかわからなかった。だって、女性であることはその人の属性のひとつでしかなく、他の属性まで含みこむと、ひとりひとりの女性は「ベース」がまったく違う。
もちろん、「違い」を乗り越えて、「女性であること」の共通の属性はあまりにも大きいだろうし、「そこで共感するんだろうな」とは、漠然と思っていました。
あるいは、フェミニズムを少しかじることでベル・フックスたちの存在によって、そうした違いを乗り越えてきたのかなとも思わないわけでもないです。でも、やはり違うでしょうね。フックスは、白人女性には見えなかった壁を可視化し、その上で「この壁を越えよう」と問いかけたんじゃないかと思います。よく知りませんが(笑)。
いずれにしろ、女性が女性に共感する姿を見た時、常にその「共感」から、わたしは自動的に排除されていました。
で、いま、トランスして、女性と共感できるかというと、できません。だって、女性としての経験値があまりにも違うから。そして、わたしの「トランス女性」以外の属性があまりにも大きいから。
そして、わたしが共感できる可能性を持つ「人」が果たしてどれくらいいるかというと、まぁほとんどゼロでしょうね。なぜなら、トランスという経験のわたしにとっての大きさと、その共通の経験をした人の少なさと、さらにトランスそのものへの考え方の共通項を持つ人の少なさと、さらに他の属性の違いを考えたら、「共通のベース」なんて望むべくもないからです。
これはトランスしてからの話ではないですが。「非当事者」として反差別の中にいる時に常に感じていたことです。部落であること、在日であることで共感する人を見た時、その共通のベースを持たないわたしは、そこにはいませんでした。
そう考えるから、わたしは安易に共感しないし、共感しそうになった時に、それをやめます。それがわたしの習い性にすらなっています。そしてそういう自分を「冷たい人間だなぁ」とも思います。
世の中にはエモーショナルに共感する人がいます。あるいは、ひとつの共通項を見つけ「共感することを選択する」人がいます。うらやましく感じます。
でも、「共感することを選択しない」という選択をしたのはわたしです。なぜなら、安易な共感は、同時にそこから排除される人をつくると思ったからです。なので、それでいい。

あくまでもこれはわたしの立ち位置です。誰かのことを批判するものでもないし、共感そのものを批判するものでもないです。
ではなくて、なぜ自分が共感しないのか、なぜ自分が怒りを共有しないのか、なぜ自分はこんなに冷たい人間なのかということをぐるぐると考えた中で、ほんの少し浮かんできたことを書いただけのことです。

立ち位置を考えてグルグル

今日、facebookで、ある人の「怒り」に触れて、そこからグルグルしてしまいました。より正確には「怒り」へのコメントを読んでというか…。
なんなんだろう、このグルグル感は…。うまく言葉が出てきません。とりあえず出てきたのは「当事者性をめぐるあれこれ」です。わたしのいつものパターンです。きっと、かなり根源的なところが揺さぶられています。
そんなことを小さく吐き出すと、野入さんから優しい言葉が返ってきたり。あの野入さんからってのがうれしいです。たぶん、そこにヒントがあるはずです。
まぁ、しばらくグルグルさせておきましょう。そのうち言葉が出てくる。