ヤバイな

なんか、自分の中に「センサーの波」みたいなものがあることを感じます。いや「センサーの向かう先」みたいな感じ?簡単に言うと「ローテーターのついた八木アンテナ」みたいな(笑)。
つまり、自分のアンテナが向く方向が変わるので、キャッチできるものが変化していくんですよね。すると、こないだまでキャッチしてた情報がキャッチできなくなったり、その方向での発信ができなくなったり。すると、常に変わらず「そこ」にアンテナが向いて、情報を入れたり発信している人に比べると、ある種「おとなしく」なってしまいます。てか、正確には「億劫になる」かな。まぁ感度が鈍ってるってのもあるかもですけどね。
でも、やってることがあまりにも多すぎるのかもしれませんね。なので、投入する集中力の方向が周期的に変わるのかも。
で、向く方向によっては「なにもない」ってのがあったりして、そっち向くと「なにもやりたくない」というふうになってしまいます。これがマジでヤバイです。メール返すのも億劫になる。あり?これ、鬱?でも、違うでしょうね。仕事には行ってるし、こんな駄文も打ってます。だから、たぶん鬱じゃないです。せいぜいが燃料切れくらい。

まぁしかし、久しぶりに元号問題でテッペンきたから、まだ「感性」は残ってるな。

保険適用か

こないだ新聞に載った手術の保険適用の問題ですがね。もちろん、12月の段階でここでもいろいろ話はしてました。
原則、保険適用そのものはいいんです。てか、あるべきではあります。が、今の状況ではなぁ。SRSをとりまく社会的・法的状況が悪すぎる。それがひとつ。
もうひとつは、保険適用を満たす要件の問題ですね。国内3院だとか。これ、かつての和田形成外科の話の繰り返しです。例えば、◯ローブとか◯グモとか、はたまたゴッドハンドの◯江とか、最近話題の◯ズキとか、そういったこれまでたくさんの当事者のニーズに答えてきた「街のクリニック」が保険適用から除外される。いや、仮に除外されなくても、保険点数が大幅に下がることによって撤退せざるを得なくなったり、保険適用をあえてしない選択しかできなくなったり。
となると、2極分化しそうですね。お金があって早くやりたい人と、お金がないから順番待ちをする人と。
それを「選択肢」というのは、あまりにアレやなぁ。
ついでにいうと、特例法の要件を満たすために手術をするという人の場合、ほとんど内摘でいけてしまうトランス男性は、たぶん高額医療のバックとあわせると、ほとんどただ同然でできてしまう。それに対してトランス女性はそれなりの金額がかかる。いまもそうなんだけど、それがより一層はっきりするだろうな。
なんしか、ややこしすぎる。

得手不得手

それにしても、つくづく思うのは、わたしは「政治」には向いてないんでしょうね。あるいは「運動」か。まぁ、運動も政治ですからね。
かつて、ある尊敬する先輩教員から
「お前は活動家じゃない、実践家やぞ」
と言われたことを、あらためて思い出します。
学校という分脈に引きつけて言うなら「教育活動」ではなく「教育実践」ですね。
そして、解放教育の世界で言われてきたことは「実践を差し出せ」でした。つまり実践に基づいた論議をするってことです。
なので、わたしはそうやってきたんだけど、そうもいかないこともある。でも、元来不得手なんですね。
そんなことを思った朝。

今後の予定

家に帰ってお風呂に浸かりながらいろいろ考えていました。ちなみに、考えがまとまる主な場所は、お風呂とトイレです。
で、なんとなく決意。
もういろんなことがいろんな意味で限界です。いままで心がささくれたり詩に励ましてもらったりしてきましたが、やはり限界です。なので、新たな方策を考えなきゃダメですね。
で、考えたのが、「夏」は残り4回。こないだのネタを含めると、持ちネタは4つ。他にもないわけじゃない。てことは、いけるな…。
もう、聞きたい人が聞けばいい。聞きたくなければ聞かなくていい。その代わり、聞きたい人がうちの支店以外にいるならその人に来てもらってもいい。
そう考えたら、なんとなく吹っ切れました。
考えてみると、残り少ないですからね(^^)。

前から見る

今日は午前に2発授業です。でも、走り続けてきたので、一旦立ち止まって復習しましょう。ということで、いつもの教えてあい学習。なんか質問に来る子が多かったな。いいことです。
で、午後に研究授業。
はっきり言って、きらいです。だって、みんな「板書がどう」とか「発問がこう」とか。まぁ、たしかに意味はあるかもしれないけど、個人的にはどーでもええやろと思う話ばかりです。なので、まったく行きたくないのですが、なんでも研究授業週間らしく、行かなきゃなりません。
てことでしかたなく参加。まぁ、お友だちの授業なので、ちょいとやらかしてやろうかなと、教室の前の窓側の端に陣取ることにしました。はじめは子どもたちは面食らい、次はクスクスと笑っていましたが、気配を消すのは得意です。なので、平常へ。
なるほど、前から見るとおもしろいです。どの子が意欲をなくしてるかとか、いろんなことがわかります。
てことで、わたしのメモ

1、よかったこと
・誰かがあたった時、他の子らも自分たちの答えが正解かどうかを相談しあってる
・自分があたったかどうか関係なく、誰かがあたった時に教科書やノートを見て答えを考えてる
2、気がついたこと
ひとつの証明に30分、みんなよくついていったなぁ
3、感想
5時間目は眠い

で、結論は「ええ子らやなぁ」です。
まぁそんなもんです。
でもこれ、数学の教員でなくてもわかることで、たぶんこういうのが研究授業なんだと思ってるんだけど、どうやら世の中の研究授業はほとんどがこうじゃないらしい。

「語ること、つながること」のために

来週水曜日は3年生の人権学習。例年リビングライブラリをしてますが、今年はいろいろあって5人の方をお呼びしてのシンポジウムになりました。タイトルはいろいろ考えたけど「語ること、つながること」にしました。
で、朝、ぼんやり考えていたこと。
おそらくキーワードは、今はやりの「マイクロアグレッション」ですね。ちなみに、うちの教員というか、京都府の教員に「マイクロアグレッション」と言っても「なにそれ?」って言われそうだけどね。まぁ関心事が、わたしはあさって向いてますからね(笑)。まぁ、詳しくはこのpdfファイルを読めば一番いいかなと思います。でも、これ、リビングライブラリはじめた時からずっと言い続けてきたことです。「微細な差別にセンシティブになる」なんです。マイクロアグレッションを受けた時の当事者の心の微妙なざわめきや混乱を知ることを通して、想像できるようになることなんですよね。
で、そんなことを背景に持ちながら
前半
0、趣旨説明
1、それぞれの背景の説明
2、「痛っ」と思った経験のシェア
3、内在するフォビアのシェア
後半
4、変わり目=人との出会い
5、語りあえる関係をどうつくるか
みたいな流れで行こうかと。まぁあくまでもたたき台ですけどね。たぶん、ここに乗らないこともあるかなと。
そして今回の流れはすっぱりとこれでいきます。「回復の物語」!まぁ正確には「回復」ではないわけですがね。なぜなら「わかりやすい」からです。まぁ、生徒にわかりやすいことは教員にもわかりやすいってことです。わたし的には「混沌」が好きなんだけど、まぁそれは誰かが「わかりにくさ」を伝えてくれるでしょう。
さてと。どうなるかな(^^)。

承認欲求のジェンダー差

毎朝、出勤途中、同僚とダラダラしゃべりながら歩いてます。たいていは「飲み過ぎた」みたいな話ですが、たまに「昨日こんなことを考えて」みたいなことも話します。
で、今朝の話は当然「承認欲求」の話です。「講演やったり起業したりってことを通して他者から依存されるみたいな人、トランス女性よりトランス男性のほうが多くて、これも承認欲求なのかな」みたいなことを話したら、その同僚さん、しばらく考えて答えられました。
同「それ、トランス男性というより男性に多いんじゃないですか?依存されるによって承認欲求を満たす人。かつては「家庭」だったけど、今は無理ですしね」
まさに!
い「で、女性は依存することで承認欲求を満たすわけですね?」
同「(笑)」
い「で、ふたりで幸せアピールをする」
同「幸せなのはいいことじゃないですか」
い「いや、アピールすることができるような幸せなんて、どこかうさんくさいです。幸せなんて、そんなのじゃなくて、「いろいろめんどくさいこともいっぱいあるけと、それでもまぁなんだかんだいって幸せなんだろうな」くらいがちょうどいいんですよ」
同「(笑)」
なんかもう(笑)。

承認欲求を満たすこと

今日は午前は第二の故郷に出張です。内容は、いつもの通り、学力問題についての論議です。
なんかどうもかみあわない。いや、かみあわないのはわたしだけなんですけどね。どうも焦点がズレます。たぶん、変なところ見てるんです。だって「参考になれば」とか言って、「フィンランドにおける包括的性教育のpdf」を送ったりしてますから。なんか、たぶん、あることを示すために、かなり遠いところに駒を置く感じなんですよね。まぁいいや。

で、午後は職場に行って、あれこれやって。そんな間にも、いろんな情報が入ってきます。
で、帰り道に「人をたぶらかす」ってことについて考えました。
これ、うまい人います。てか、わたしもうまいです。でも、それをどれくらい意識化し、それをどう使うかってすごく大事です。
「人をたぶらかすことがうまい人」は、たぶん「承認欲求が強い人」の「承認欲」をうまく満たすんですよね。「わたし、あの人と知り合い!」みたいな。で、それって、どこか依存体質とつながっていると思います。ちなみに、「承認欲求が強い人」をうまくたぶらかすことができる人も、実は「承認欲求が強い人」だったりします(笑)。なので、「承認欲求が強い人」によって「承認欲求が強い人」の承認欲求が満たされるということになります。ちなみに、この手の人が一番手っ取り早く承認欲求を満たす方法は「有名になること」です。てことで、講演の講師になったり本を出したり、まぁ、壮大なブーメランが飛んでくるわけです(笑)。
実は、人をたぶらかすのはとても簡単で、結論としては、依存の対象となることを引き受ければいいわけです。ちなみに、依存の対象になることもまた承認欲求を満たすことにつながります。「いや、引き受けるのはたいへんだろう」と。実は簡単です。ヤバくなったら逃げればいい。じゃ、その人はどうなる?それは「知らない」って逃げればいいんです。しかも、これ、意識化してなかったら、こういうことをやってることがわからないから、本人には罪の意識もない。でも、逃げられた側はたいへんです。依存体質を満たされたうえで、さらにはしごをはずされるわけですから、ヘタすると生死にかかわります。
まぁ、たぶん、というか、確実にわたしにもこういう過去があって、いまだにそのことを引きずっています。だから、とてもこわい。
でも、それをこわいとも思わず、意識化してかつ自分のためにやる人がいたら?それはこわいです。で、そんな人はきっと現実にいるわけです。
ほんとにどうしたものかなぁ。

疑問が少し解けた

今日と明日、「高校カリキュラム交流会」とかいう集まりがあります。これ、日教組主催の集まりで、特に高校教員が集まるものみたいです。で、そこにレポートしろと。まぁ、ここで出していないレポートはいっぱいあるから「ええですよ」と安請け合いした次第です。
で、今日は全体会。上智大学の澤田稔さんの講演とシンポジウムです。ちなみに澤田さん、どこか出会ったよなと思っていたのですが、どうやらこの日路上でお会いしたらしく、そのままfacebookの友だちにしていただいていたという。さらに、こないだのアブタークのイベントにも来られていて、わたしの話を「おもしろい」と言ってくださっていました。
てことで、講演を楽しみにしていたのですが、おもしろい、ふだん「学習指導要領」とかマトモに読まないのですが、やっぱり読んだほうがいいですね。文科省の考えが伝わってきます。
ちなみに「文科省」と言っても一枚岩ではないわけで、かなりリベラルな人もいるはずだと思っていたのですが、やはりそうだったんだなと。そういうリベラルな人と保守的な人と、さらには他の省庁の駆け引きの中で、落とし所として出てくるのが「学習指導要領」だったりします。そういうふうに裏側から読むと、とてもおもしろそうです。
さらに講演の後のシンポジウムで、そのあたりは深められました。ちなみに、このあたりになるとかなり疲れていて、頭が働かなくなっていましたが…。てか、1時から5時半まで休憩が合計20分くらいしかないのはきついでしょ。
ただ、結局は、現在の教育をめぐる多忙化は、教育を事務方によって操作されているところにあるらしいなと。つまり「整理された整った姿」を前提にしている。ところが、現場はそうはいかないです。次の瞬間、何が起こるかわからない。で、それを楽しむようなろくでもないのが教員してるわけです。なので、教員が文書づくりに親和性がないのは当たり前です。例えば、文書づくりひとつとっても、「ごあいさつ」でも「ご挨拶」でも「御挨拶」でもええやんと思うのですが、「ご挨拶」じゃないとダメとかね。
逆に事務方の人が「何が起こるかわからない」ところに放り込まれて動きがとれなくなる(だろう)のと裏腹なわけです。
ただ、教育の本来が「ハプニング」にあるのに、教育行政が「予定調和」を重んじるようになっているので、その歪が教員にくるわけです。
これをどうしていくかですね。

てなことを考えていたけど、ほんとに疲れたところで今日のプログラム終了。
で、懇親会です。さすがにこの交流会に来るのははじめてなので、知ってる人がそんなに多くはないです。でもまぁええかということで、九州ブロックの人と話したり滋賀の人と話したり。そんなこんなで、気がつくとウィスキーストレートと炭酸のチェイサーを握りしめてました(笑)。
で、二次会は地元のスナックへ。ここでわたしは澤田さんを独占。まぁ、名目は明日の分科会の打ち合わせですが、なんか、やたらおべんきょの話をしてました。
てことで、11時頃にはおひらき。ホテルに帰って、歯磨きをして、服を脱いでふとんに入った瞬間に爆睡です。

うーん

今日の授業の「入り」のひとこと
「今日は「にっぽん、爆発しろ」という気分です」
です。
結局、リベラルといわれる層が議員にはすごく少なくて、そういう人数を全部かき集めても勝てないんですよね。その背後には、リベラルな中道という人が少ないってことがあるのかな。極右が増えることで極左に流れないとバランスがとれなくなった。すると、ネトウヨ的議員は山のようにいるけど、極左はそもそも議会制民主主義を否定したりもしてたから議員にいない。
まぁ、あれが現実的な解なんだろうけど、もう「カレー味のうんこかハヤシライス味のうんこか」なわけで、「どっちにしろうんこやろ!」なわけです。
だから、ほんとにもう「にっぽん、爆発しろ」としか言えない。
でも、ここで生きていくしかないのかなぁ。