まさかここで・日教組教研(3日目)

今日も起床は6時半。まぁ、それでも普段よりは遅いか。てことで、朝ごはんを食べて、バスを乗り継いで会場へ。
今日は総括討論です。テーマは「つなぐ、つながる、変革する」です。あり?去年は何だったっけ。まぁいいや。
まずは「せっかくなので聞きたいこと」を出し合います。当然のことながら、発言しまくってる4人はここでは発言しません(笑)。でも出された質問・疑問は、ほんとうに現場での悩みです。
そんな中に突然出てきた質問。
「性的虐待を受けた女子生徒が、最近性別扱いの変更を得たトランス女性が女子トイレを使うのが怖いと言っている。どうしたらいいか?」
いきなり脳みそが沸騰しました。まさかここでツイフェミみたいな発言が出てくるとは。
てことで
「わたしは今回カミングアウトするつもりはありませんでした。バレてるとは思いますが。ただ、どうしても言わなきゃならないと思います。わたしたちトランス女性は犯罪予備軍ではありません。cisgenderの人が自分のgender identityに従ったトイレに入るの同様、わたしたちもgender identityに従ったトイレに入って用を足したいだけです」
と発言。ところが、
「発言の仕方が悪いから、趣旨が伝わっていないと思うけど」
とのこと。
もちろん性的虐待は許せないし、それを受けた子どもを守らなきゃなりません。そしてその子が最近性別扱いの変更を得たトランス女性の子どもを受け入れられないと教員に伝えることそのものを否定する気はありません。が、その子の言葉を教員がどう捉え、それに対してどうとりくみ、それをわたしたちにどう伝えるかは別のことです。少なくともわたしには「トランス女性は女ではない」としか聞こえなかった。
少し冷静になって、なぜ「トランス女性は女ではない」と聞こえたのかを考えました。そこで気がついたのは、性的虐待にあった女の子のことを無前提に「女性」としているんですね。そして、女子トイレを使うことが適正であるとしている。そして他のcisgenderの女子生徒たちが女子トイレを使うことに言及しないことを通して、他のcisgenderの女子生徒たちも女子トイレを使うのが適正であるしているんです。そしてそのことは、他のcisgenderの女子生徒たちと性的虐待を受けた女子生徒を「女子トイレを使うのが適正である存在」=「女性」どいう同一カテゴリーに入れることになります。そして、「どうしたらいいか?」という質問をすることそのものが、cisgender女性の子どもたちとトランス女性の子どもの間にバウンダリーを設定することだったんです。
そう感じたので
「わたしはとてつもなく大きな壁を感じました。結局トランス女性は常に「入れてもらう存在」でしかないっていうことなんですね。結局2級女性でしかないってことですね」
という発言を、重ねてしまいました。
ただ、司会者は、このことをめぐって意見が出きるまで時間を確保してくれたし、たくさんの人が「虐待の問題とトランスの問題はわけて考える必要がある」と言ってくださいました。それが救いでした。
発言者はもちろん悪気があって、あるいは排除しようと思って話したわけじゃないことはわかっています。そして、ほんとうにどうしていいかわからないからこそ、「ここなら」と思って話されたんだと思います。
ただ、まさに「すべての発話は行為である」なんです。つまり、その発言は先に述べたバウンダリーワークだったんです。そのバウンダリーは、まさに「無意識のうちにある境界線」であり、それが顕在化したんです。そのことに反応してしまった。
でも、きっと発言者は「言い方が悪かった」「伝えられなかった」という形で責任を感じ、引き受けようとされるんだろうな。そのズレがきついです。

まぁ、そんなことがあったけど、その後はいい感じで分科会も進んでいき、お昼に終了。みなさんと3日間のお礼を言い合い、来年またお会いしたいねと互いに言って、会場をあとにしました。
まぁ、その前に発言者さんと少し話しましたが。落ち込んでおられたので、ちょっと「ごめん」と思ったけど、ここは「ごめん」って言っちゃいけないので、それだけは飲み込みました。んー…。でも、発言者さんの仲間には、わたしにとっても大切な仲間がたくさんおられます。きっとその人たちがつないでくださるでしょう。

あとは小倉駅に出て昼ごはんを飲んで、新幹線の中でAっちゃんと飲んで、無事に帰りましたとさ。

当事者研究をめぐる対話か?

今日から1・2年生は平常授業です。幸い授業は4・5時間目なので、昨日やりきれなかった採点ができます。どにかくガシガシ採点して成績処理をします。その後ノートチェックをしたりして。そんな感じで、昼ごはんを食べてると、突然T田さんからメール。そこから怒涛のようなチャットがはじまりました。
テーマは「当事者研究」です。
発端は「トランスジェンダーとGIDは水と油か?」って投稿に、「ドレッシング」とか「マヨネーズ」とかいうしょーもないコメントしたところです。
まぁ「振ったらドレッシングになる」→「ほっとくと分離する」。「卵入れたらマヨネーズになる」→「なにかを介在させると乳化して分離しない」が読み筋です。
でも、障害学というか障害者解放運動とかの文脈で「社会モデル」と「医療モデル」って、もう対立してないんじゃないかなぁ。まぁそのあたりは熊谷晋一郎さんの話を聞いたころから「そんな感じなんだろなー」どは思ってたし、現実的に医療を拒否してやっていけるはずもないわけです。なので、こないだの浦野さんの話もストンと落ちてくるし、文脈が違うけど「再評価」って話も出てくる。
まぁ、「対立の構図」からはじまるけど「折り合う場所を探る」ところに落ち着くのは、結局、現実の生活は理論や理想だけでは送れないっていう、当たり前のことなんですよね。
まぁそんなあたりから「当事者研究ってどうよ」って話になりました。で、当事者研究についての文章とか文献とかいろいろ交換してたんですけど。
ふと「なんで相手がわたしなんだ?」と思うのです。だって、わたしごときを、T田さんみたいなバリバリの研究者の人がディスカッションの相手として選んでくれるって考えられない。でも、わたしとしてはありえないほどうれしいことです。
ひとりで考えるんじゃなくて、疑問を交換することで考えを深める。その時に、理想や理念を語るのではなく、文献やデータを使って考えを深める。わたしはそういうやり方をしたいなと思ってます。もしかしたら、T田さんは、だからわたしを相手に選んでくれたのかな。
でもそれはわたしにとっては幸せなことです。

トランス女性バッシング考

「女性である」ことの証明は、「女性でない」ものを措定することで可能になる。その「女性でない」ものは、女性に近ければ近いほどいい。なぜなら、近いことで境界線がはっきりするから。つまり「もっとも女性に近い女性ではないもの」を措定することで、「女性である」ことの証明ができる。てことかな。
これ、構造としては、部落差別とか在日朝鮮人(外国人)差別とか、アイヌ差別とかウチナー差別と同じ。「違う」ものをつくることで「同じ(日本人/常民」が定義できる。
つまり、排外主義と同じ構造。なので、ヘイトスピーチなんだよ。

なぜ自分が傷つかないかわかった

こないだ「よくわからん」って書きましたが、ふと思い出したことがありました。
いや、この間の「フェミニスト」によるトランス女性排除の一連の話です。なぜあれを読んで自分が傷つかないのか不思議なんですよね。なぜだろうって考えて、そうかと思ったののひとつは「「~たち」という言葉」でした。ずっとあのこと考えてたからですね。あからさまな排除は受けてなかったけど、常に排除され続けてきてたからなんですよね。もう排除されることに慣れっこになって飽き飽きしてたんです。だから、あんな文章を書いたんです。
でも、逆になぜあんな文章を書けたのか。それを思い出しました。
わたしにとって大切な文章があります。それは2011年に出版された『現代の「女人禁制」―性差別の根源を探る―』の中でわたしが書いた最後の部分です。
この前に「「ロッカールーム」は男性社会の中で疲れた女性たちのアジールである」という意味のことを書いています。そして、そのロッカールームに、例え「性器の形を変えたから入れてくれ」「書類を変えたから入れてくれ」と言ったとして承認されるだろうかということを書いています。他にもいろいろ書いていますが、それはともかく…。その最終節です。

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8、自分のロッカールームをつくろう
ところで、こうした話を女性の友だちに話をすると、必ずしも「そうだね」という反応ばかりが返ってくるわけではない。どちらかというと、「ロッカールームが息苦しかった」という反応が多いことに気づく。
友だちのRさんが、ある日わたしに次のようなメールをくれた。

わたしは、ロッカールームで繰り広げられる「女子」の会話に息がつまりそうでしんどかった時期があったことを、ある小説を読んでて思い出した。
演じすぎて、つくりすぎて、自分がわからなくなる主人公が、いつも、サバサバしていると言われるから泣くこともできなくて、会社一地味だと言われてるカップルの男の側とセックスすることで、ロッカールームで女性たちに袋叩きに会う。そのロッカールームでのまなざしや空気や会話にずっとチクリと痛くなる。
あ~、わたしにもこんなこと、あったなぁ、って。男の前では笑ってる女たちが、ロッカールームに入ったとたん、顔色も声色も変えて、ぐるりと囲んで、セクシュアリティ=人格攻撃するという体験を思い出した。

「おんな同士の気のおけない会話の場」ではないロッカールームもまた存在するようだ。
考えてみると、女性のロッカールーム=男人禁制の場所はたくさんある。更衣のためのロッカールームにはじまり、女性トイレ、女性専用車両、女性専用フロアetcetc…。MtFトランスジェンダーにとっては、そこには常に「先に入っている人」がいる。そして、そこに入れるかどうかは、誰かの承認が必要となる。すなわち、承認する人とされる人という権力関係が存在することになる。
そしてそれは、女性にとっても同じである。たとえば「性被害の対象にならないと考えられる女性」が女性専用車両に入ろうとする時、「あの人は女性専用車両に入らなくていいだろう」という陰口が、男性からだけではなく、女性からもささやかれるという話を、先のRさんから聞いた。
そもそも、「ロッカールーム」の内と外の線引きはどのようにして決められたのか。そして、世間にあふれているロッカールームは誰がつくったのか。それは、既成概念としての「性別」をもとにした線引きであり、ヘテロセクシュアルを前提とした、男性が性被害を起こすことを自らに禁じるために、あるいは「女性専用」を装うことで女性に経済的により多く支出させる目的でつくったのではないだろうか。しかし、こうした「ロッカールーム」もまた、もうひとつのアジール=「既存の枠組みから承認されたもうひとつのヒエラルキー」と言えるのかもしれない。
ところで、先のRさんのメールは次のように続く。

(そんなわたしを)そこから連れ出してくれた友だちがいた。彼女もロッカールームに居場所がなかったから、わたしたちは、別の場所を求めて、さまよってた。「与えられた」ロッカールームの鍵を捨てて、新しいロッカールームの鍵を自分でゲットした。それが、わたしにとっての、仲間たちとの場所や時間かもしれない。だから、いつきちゃんが、自分から鍵をゲットするまでのプロセスが、鍵をくれた人(たち)との関係を変えたりつくったり、という模索や試行錯誤や葛藤のプロセスが、ね。やっぱりいいなぁ、って思うんだ。長くなった。ではね。

ロッカールームを必要とするのは、女性だけではない。いや、「女性」とひとくくりにすることそのものが、既存の枠組みにとらわれた考え方だ。女性や男性のなかにも、セクシュアリティだけで考えても、レズビアン・ゲイ・ヘテロセクシャル・アセクシュアル・バイセクシュアルetcetc…、多様な存在がある。
わたしたちは、誰もが一人一人が氷に閉ざされた存在だと、わたしは思う。そんなわたしたちが、自らの氷を溶かしながらつながり、互いが互いの氷を溶かしながらそのつながりを深め、互いに外へ出て行く力を与えあう場所。既存の枠組みに依拠することのない自由な空間。そんな「ロッカールーム」をつくりたいと、わたしは思う。

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MさんやRさんや、あるいはSさんや、他にもたくさんたくさん、こんな人たちに囲まれているから、今の自分が今の自分でいられるんだろうな。

伝えかた

先日、お友だちのI岡さんから「啓発パネルをつくりたいので、なんか書いてほしい」というメールがありました。まぁ、書くのは書かせてもらうのですが、なにをどんなふうにどれくらい書くのかがさっぱりわからないのと、なにより全体像がつかめない中で書くのは無理なので、「もう少し詳しく教えてぽしいので、会いましょう」ってなりました。
てことで、京都駅で合流して居酒屋へ(笑)。
で、いろいろ話を聞いていたのですが…。
「伝えること」って、ほんとにむずかしいなと。中学生をメインターゲットにしなけがらも、地域の高齢の方にも興味を持ってもらえるようにしたいとのことです。そのためには、ある程度のわかりやすさと、なにより入り口に入ってもらえる工夫が必要になります。
うーん、むずかしい。
基本的にわたしは「興味を持ってくれてる人」相手に話をするから、そのあたりは経験がないんですよね。ただ、いつも思ってるのは、説得力を持たせるための工夫をどこでやるかってことです。
「当事者噺」でよくあるのは、「困難を乗り越えて回復したわたし!」ってやつです。この時困難が大きければ大きいぽど、そして乗り越える苦労がわかりやすければわかりやすいほど、よくウケます。まぁ「回復の物語」ってヤツです。わたしは個人的にはこの手の噺をさんざん聞いてきたので、直感的にいかにそこから距離をとるかっていうふうにしてきました。ただ、「語る」時にどうしても例えば「変わり目」みたいなのは必要になるし、実際に「変わり目」がなかったら変わらない(笑)。なので、いかに「困難」を少なく語るかってところに走ったんですよね。
で、これは「当事者噺」だからできることです。啓発パネルとなると、なかなかこうはなりにくい。なので、「当事者の抱える困難」を使いたくなってしまう。で、これは事実だからいいんです。が、アプローチをそこにするのは、個人的にはイヤなんですよね。なぜなら、それって「病理モデル」へと走るきっかけになってしまいがちだからです。
じゃ、説得力をどうやってもたせるか。現在のわたしのアプローチは、社会がどのようにできているかってことを明らかにすることと、そこから脱出することで得られる「自由さ」を伝えることなんですよね。その際、ひとつの基準として「国際標準」との距離を使う。そうすることによって「病理モデル」から「社会モデル」へとずらす。
わたし個人の問題にするなら、それこそが「トランスジェンダー」なんだと思っています。

まぁ、そんな話をしながら、いつしか話は部落問題の伝え方とか、多様性の伝え方とかへと流れていったり。
そういやI岡さんとじっくり話をするのは久しぶりです。なので、いっぱい話をしてしまいました。あかんあかん。しゃべりすぎ(笑)。

よくわからん

なんか、最近、トランス女性が存在そのものを否定されるような動きがあるらしいです。
今回の出発点は、お茶の水女子大学なのかな。それについてはわたしもコメントしたんだけどなぁ。てか、これはあくまでも「今回の」であって、こんなのはずっとずっと前からあったことです。ただフェミニストの一部の界隈と、とある政治家界隈と、そんなあたりがからまる中で、炎上しているのかな。
なにが辛いって、トランス女性たちが、自分が男湯に入った時のことを書いてることです。これ、しんどい話です。
わたしもかつてこんなことがありました。

実はわたし、毎年冬にスキースクールにスタッフをしに行ってますが、ここにはまったくカムアウトをしていないんです。去年とか、校長から
「おい、行くぞ」
って言われて「どこですか?」と聞くと
「風呂行くぞ」って言われてしまいました。
「え゛〜」と思ったのですが、しゃーないです。行きました、男風呂。そらもう、みなさんの視線を一身に集めてしまいました。てか、子どもさんなんて正直なもんで「お、お父さん!女の人が入ってきた!」。で、お父さんは「み、見るんじゃない!」って。まぁ大騒ぎでした。もっとも、すぐにみなさん慣れたみたいですけどね(笑)。

今でこそ笑い話にしてますが、それでもそれなりにしんどい。
そういうしんどい話をカミングアウトせざるを得ない状況に追い込まれているのは、どこか剣を抜かざるを得ない時を思い出させます。
トランスの人は、別に混乱を巻き起こしたいわけじゃない。単に自認する性別での生活をしたいだけです。それだけのことがなぜ許されないのかわからない。

とは言え、わたしのまわりにわたしにヘイトをかける人はいないけどね。そしてきっと、他のトランスの人も同様に、そんな人はいない。
きっと現実を知らない人が想像で話をしてるんだろうな。そんな妄想の話に現実を生きる「わたしたち」をつきあわさせるのはやめてほしい。

整体みたいなもん→複合差別とダブルマイノリティ

朝、けっこうすっきりしています。やはり7時間くらいは寝ないとダメらしいです。まぁまぁな体調でガッコに行っていきなりスパートをかけます。取り出しです。でも、さすがに試験前日とあって、まぁまぁな感触です。とにかく苦手なものはしかたないです。人生であと3回の数学のテスト、なんとかうまくやり過ごしてくんなって感じです。
3・4時間目は相変わらずの自学タイムです。子どもたちは自らの課題と向き合い、わたしも自らの課題に向き合います(笑)。
静かな教室は思考が進みます。
とにかく、やりたいこととやったこととできたことがうまく並んでません。少し歪んでる。これをまっすぐにするのが今回与えられてるお題です。「やったこと」は変えられないので「やりたいこと」と「できたこと」を変えるしかない。少しいじっては離れて見るを繰り返しながら微調整をしていくと、「おっ」って思う瞬間があるんですね。そんなのを繰り返しながら、2時間で脳みそが「ヤダ」って言ったので、頃合いもよく断念。

午後は休みをとって、「世界人権宣言70周年記念大阪大会」です。お目当ては「複合差別」のシンポジウム。シンポジストは金友子さん・田中一歩さん・藤原久美子さん。
まずは金友子さん。アプロの在日コリアン女性実態調査に基づいた報告です。女性であるがゆえに攻撃しやすい存在としての在日コリアンの置かれた状況を語られました。あと、複合差別のめんどくさいところとして、「民族」で捉えると「女性」が消え、「女性」で捉えると「民族」が消えるというあたりも「なるほどな」と。
続いて田中一歩さん。いつもいろんな話をするけど、あらためて話を聞くのははじめてです。でも『部落解放 711号』を読んだりしてるから、知っていることもあるかと思ったけど、やはりあらためてガッツリ聞くとおもしろいですね。ちなみに、今回は(笑)わたしの名前が出てきました。やはりうれしいです。それにしても、「ミノの天プラ」は反則です。
で、藤原久美子さん。DPIの方なんですが、隣りに座ってたTじさんに「これ、ダメ・ピープル・インターナショナルの略で、わたし入ってるねん」というと、メッチャウケてました。で、内容は障害女性の話なんですが、「隠れた優生保護法」はいまだにあるんだなと。単に視覚障害であるというだけのことなんですけど、「子ども育てるの大変だから生まないほうがいい」とか言われたり。あー、でも、わたしも「子どもがかわいそう」ってさんざん言われたな(笑)。あとは性暴力の対象になりやすいって話、聞いたことはありますが、あらためて「だよな」と思うわけです。
で、みなさんの話を聞きながら、でも、ふと「ダブルマイノリティの持つ可能性」ってのも考えられるんじゃないかなと思いました。
「複合差別」ってとらえ方は「被差別者」としてふたつの要素を持つわけですが、「ダブルマイノリティ」というとらえ方は、もしかしたら「ふたつのアイデンティティを持つ人」というとらえ方になるのかなと。すると、例えばAとBというマイノリティ性を持つ人とAとCというマイノリティ性を持つ人がいて、Aという共通の要素を通じてBとCというふたつの課題がつながる可能性があるってとらえ方もできるんじゃないかなと。
なんてことを思ったけど、これってすでにベル・フックスが言ってるなと。
てことで終了。おもしろかったo(^^)o。
ちなみに、「ダブルマイノリティ」の話を金友子さんに話に行ったら「そんなことより、また飲みましょう」みたいな話になったので、また企画せねば(笑)。

集会後はもちろん総括です。気がつくとE井さんとかRンダさんとか、なんかもうエレガントな人々と一緒になって、なかなか楽しい総括になりました。さらにそのあとTじさんとサシ飲み。アホなことをいっぱい言ってしまって反省。でもまぁ、研究会はしましょう。

すごい資料→アウトリーチのスピリッツ

今日は第2のふるさとの人々と一緒に「現地研修」です。なので、勤務先の駅で降りずにその先へ。降りると知りあいがウェットティッシュを配っておられました。そうか、人権週間か。こないだの香山リカさんの中止問題についてちょこっと話をして、でも迎えに来ていただいたので、そのまま集合場所へ。そしてマイクロバスに乗って、向かうは舳松人権資料館です。
到着したら、とりま舳松の歴史についてのレクチャーです。が、当然舳松オンリーになるわけもなく、部落史の講演になったりします。と、一緒に行ってた先輩と顔があって、思わず苦笑い。でも、舳松の解放運動史になると、とたんに顔つきが変わるのは当たり前。それを聞きに来たんですよね。
で、ひとわたり舳松の歴史について学んだら、次はフィールドワークです。
フィールドワークって、なにがおもしろいのかというと、歴史と今が結びつくこととか、そこに住んでた/る人の生活と触れあえることとか、さらにはそこにない歴史を想像することとか、そんなあたりかなぁ。ちなみにそれは「土地」とつながるので、例えばトランスというかセクマイ系でいうと、東京にはある。考えてみると、三橋さんに案内してもらった吉原から回向院とか新宿界隈とか、メッチャ豪勢なフィールドワークだったよなぁ。ほんとにおもしろかった。大阪は…。堂山はおもしろいけど、歴史的にはどうなんだろ。京都は…。ないか…。いや、セクシュアリティ系はありますけどね。
で、実際にもともとの「塩穴」と呼ばれていた頃の土地面積の狭さとか、坂田三吉の生家の狭さとか、いろいろおもしろかったです。
そのあとは大原さんの「啓発」にかかわる話。
大原さんとは一度?お会いしていて「お久しぶりです」なんですが、それはそれとして、とてもいい話を聞かせていただきました。やはり啓発がらみで語るのは当事者じゃなくて非当事者だなと。非当事者がどう変わりどう学び、いまどう生きているのかってのが大切なんですよね。なぜなら、他の非当事者にとって、そこにこそ自己変革の可能性を見出すからです。逆に言うなら、当事者の語りは自分の体験じゃだめってことです。そんなのは「理解と共感」でとどまってしまう可能性がとても大きい。仮に当事者が話すなら、非当事者並のことを話さなきゃならんってことです。
ま、そんなことを考えながら、舳松フィールドワークは終了。

バスに乗せてもらって帰ればいいものを、ちょいとおべんきょ場所で降ろしてもらって、おべんきょ会場に乱入。その後、Hがしさんに同行して「日本エイズ学会」に乱入。さらにDISTAへ。ここでSWASH主催のワークショップ&講演会「当事者活動の難しさ」の打ち合わせをしておられて、そこに乱入です。講師のティ二さんとSWASHのみなさんの話を聞いてたのですが、メッチャ勉強になりました。
テーマはアウトリーチについてのものでしたが、とてもおもしろかったです。もちろん、ここでのアウトリーチはセックスワーカー対象なんだけど、その手法とかスピリッツは、学校の中のマイノリティ生徒へのアウトリーチと似てるなって思いました。
わたしにとってのフィールドは教室なんですね。たいていの教員はセンター(職員室・保健室・図書室など)にいるけど、そこから撃って出る(アウトリーチ)んですよね。その時にどういうふうにアプローチするのかとか、心がけるべきことはどうかとか、どんな情報を伝えるのかとか、どうやってセンター(例えば交流会)につなぐのかとか、ヒントがいっぱいありました。
でも、そんなに長居はできなかったので、そのことをティ二さんに伝えたら、喜んでくれてました。
あと、帰りがけに4月1日のフェミニスト・フロートでコーラーしてたセックスワーカーの人が
「あの時「いつきさんがいる」って思ってすごくうれしかったけど、「女は最高」ってコールをどう聞いていたのかが気になって、終わってからみんなで話してた」
って言ってくれました。なので
「「おかまも最高」って言ってましたよ(笑)」
って言ったら、ホッとしたような笑顔で
「わたしも言ってました」
って言ってくれました。
てことで、記念写真になぜかわたしも入ってしまったり^^;

どうやらお茶大の件でフェミニストvsトランス女性が再燃したみたいだけど、少なくとも「ここ」ではそれはないなとあらためて思いました。
やはりそれは、「coming out story」でA久○さんとかRささんとかSっさんとかが言ってくれた「葛藤の共有」とつながるのかなって思いました。

てことで、ものすごく充実した1日でしたが、さすがに疲れた(笑)

きっと伝えたいんだろうな

朝、目が覚めた瞬間に「アカン」となりました。パートナーが「どうすんの?」って聞いたので、迷わず「1時間年休」って答えました。
それにしても、1時間年休をとれば、普段より1時間40分ゆっくりできるの、計算があわんなと。まぁ、理由は簡単です。ラッシュアワーなので接続に余裕を持つために早めに家を出てるのと、普通しか走ってない時間帯ってのが理由です。
てことで、ガッコに着いてもフラフラです。どうしたものやら。まぁでもそれくらい低いテンションのほうが、たぶん子どもたちにとっていいんでしょうね。
そうそう。図書室の書架を見るとこんなになってました。

なので、さっそく子どもたちに自慢。
い「きのう「へんこつ」に行ったの、これ書いた人なんやでー」
生「えー、この絵、かわいい!」
い「中もええんやで」
生「ほんまや!「好きな下着をはく」ってあんたのことやん(笑)」
生2「(笑)」
い「そやけどな。昨日お金を払った記憶がなくてな、謝りのLINEしたんやけど、既読がついたままなんやわ。怒ってるんかなぁ」
生「あー」
い「大切な友だちなんやけどなぁ」
生「元友だちな(笑)」
い「…」
どうやら子どもたちは教員の傷口に塩を擦りこむのが好きらしいです(笑)。
ちなみに、午前いっぱい仕事してて返事をするヒマがなかっただけらしいです。やれやれ、でも、そりゃそーだ(笑)。
で、今日はなんとしてでも今やってるゲンコをやりきってしまいたい。てことで、文字数オーバーの原因部分をバッサリ切り落として、そこに簡単に結論だけを書いてみたり。はたまた抜け落ちていた大切な論点を補足してみたり。
で、1回読んでみて、そのまま「えいっ」と送信です。まぁ、文字数オーバーは変わりませんが、主たる原因は英単語を入れてることとURLを記載してることなんで、なんとかなるでしょう。てか、あかなんだら、またどこかを切るだけのことです。

夜はムラのお母ちゃんと話。
このお母ちゃん、40歳くらいかな。メッチャおもしろい人です。前に子どもを成績のことで怒ってたんで、わたしは子どもに向かって「自分のことを棚に上げてな」って言ったら、お母ちゃん爆笑してはりました。まぁ、よくぞ初対面のお母ちゃんにそんな暴投したなと思いますが、受け取るお母ちゃんがすごいです。
で、子どもを前にしてお母ちゃんと「ムラ話」です。子どもも自分がムラなのは知ってます。が、それがどういう意味があるかはわかってないんですね。
母「あの人もそうやで。この人もそうやで」
みたいな話をしながら、例えば結婚してる人を見たら、みんなムラ同士みたいな話をされます。
それにしてもお母ちゃん、自分がムラ出身ということをしなやかに受けとめておられます。なぜなんだろうと思った時に「あっそうか!」と。
お母ちゃんの世代は、京都の同和教育の最後の花が開いた時だったんですよね。それまではジャマする人がたくさんいて、なかなかできなかったことが、ようやくできるようになった頃なんです。まぁ言うなれば、わたしの担任時代です。
母「あんたのお父さんもな、青年部の人にあちこち連れて行ってもらってたんやで」
い「それ、全青とか全奨とかですか?」
母「あー、わからへんけど、そんな言葉聞いたことあるわ」
ここのお父ちゃん、若い頃はそうとう言わしてたらしいです。そんなヤンチャなお父さんをあちこちに連れて行ってた青年部ってすごいです。で、当然お母ちゃんもそういう時代の空気を吸いながら生きておられるわけです。なので、自らを否定しなくていいってこと、まさに部落問題を社会の問題としてとらえておられるってことなんですね。
でも、子どもは違う。お母ちゃんとわたしの会話に、ところどころで「そんなところに生まれたのはアンラッキー」みたいなことをポツリと話したりします。そのたびにお母ちゃんは笑って返されます。
もしかしたら、お母ちゃん、子どもにムラのことを伝えたかったのかもしれません。でも、なかなか機会がなかった。そんな時に、わけのわからんヤツが突然あらわれて、ムラの話をお母ちゃんとはじめた。それを聞かせたかったのかな。
それはこのお母ちゃんだけじゃないと思うんですよね。まさに今の保護者世代は「京都の同和教育の最後の花が開いた世代」です。たぶん「伝えたい」「伝えなきゃいけない」って思っておられる。
その思いを実現するきっかけづくりができたらうれしいな。

当事者だからつながるわけじゃない

朝、机の上に授業アンケート結果がおいてあります。なんでも「分析しろ」と。なにをどうやって分析しろと。なにをさせたいのかさっぱりわかりません。てか、分析苦手やし(笑)。
てことで、今日は午前は授業にまみれます。とはいえ、3人講座は1時間でほぼ終了。まぁ、二項分布に2時間もいらんわな。
で、午後はとりあえず1月末の講演依頼をしてみたり。ターゲットは「浦野茂さん」。
みんな「発達障害についての講演」とか言ってて、でもそんなのを医者から聞いてもなんにもおもしろくありません。で、社会学からのアプローチをしてる人と思って探してたら、おられたんですよね。ちなみに『概念分析の社会学』にも書いておられるから、これはいくしかないなと。
で、依頼のメールを書いたあとは、少しゲンコをいじるなど。なんかやってたら、とりあえずはできたけど、なんだかなぁ…。てか、1600字ほどオーバーしてるし。まぁ、一晩寝かせたら減るでしょう(笑)。
夜はIっぽ&Kんちゃんと呑み。まずは「へんこつ」に行ったけどいっぱいで入れず。お次は「崇仁新町」に行ったけど「ちょぼ焼き屋さん」が閉まってたので断念。しかたなく「KIMURAYA」でワインを飲んで時間つぶしをすることにしました。
Iっぽくん、12月5日にシンポで話をするので、それにまつわる話をしたかったらしいです。まぁ、本命は「へんこつ」ですけどね。
シンポの中身は「複合差別」というか「ダブルマイノリティ」というか、そんなあたりです。
考えてみると、わたし、ダブルマイノリティの友だち、多いです。なんでなんだろな。たぶんそれは「属性」でつながることを拒否してるからなんじゃないかな。そしてその原体験は、まさに「教員」であるところにあるんだと思うんですよね。
なんか、共通の属性を見つけた時、それが少数であればあるほど「おぉ」ったなって、それだけでつながりを見つけてしまうことってよくあります。でも、もちろんそんなものでできるつながりは細くて脆いものです。じゃ、わたしのつながりは?もちろん「実践」を通してです。「存在」じゃなくて「やってること」です。じゃないと、わたしは誰ともつながれなくなる。逆に実践を通せば誰とでもつながりうる。
たぶんそんな考えが「「〜たち」という言葉」とか「「〜たち」再考」のあたりなんですよね。
で、属性だけだと「その属性」としてのつながりしかできないんだけど、「実践」だとさまざまな属性を持つ人とつながり得る。そしてなにより、ダブルマイノリティの場合、「ある属性」が「もうひとつの属性」を排除してしまうことがよくある。そんな時に「属性ではない」ことこそが、つながりに結びつく。
まぁ、そんなことを考えながら、「KIMURAYA」を出て、再び「へんこつ」へ。今度はあいてましたo(^^)o。
うまいわ。

で、お腹もいっぱいになったところで、なぜか「お福」へ。ここでダメダメになってしまいました。
無事帰れるかなぁ。