「統制」をめぐる一考察

4日間授業をしないとやり方を忘れそうです(笑)。そんな時のプリント学習です。ちなみに、学期はじめのややこしい時間割の関係で、気になるクラスのほうが1時間少ないです。なので進度が揃ってない。
進度が揃わないのはいいのか悪いのか。てか、気になるクラスが早いほうがいいのか遅いほうがいいのか。早ければ余裕ができるけど、遅いともうひとつのクラスで試したことを修正できます。
まぁそんなこんなで、片方のクラスは予定通り「アクティブ的ラーニング」です。具体的には、金曜日に「みんなで考えて」って言った増減表の解答を書いて、あまり説明せずにそのままプリント学習です。みんなワヤワヤやってます。
さてと。気になるクラスは…。その1時間前の内容です。曲線外から引いた接線の方程式をやってからの増減表。これ、流れが悪いです。なんで接線をあとにしないのかなと思うけど、つい教科書通りに進めたわたしの失敗です(笑)。
それにしても、気になるクラスの気になる子が気になる行動をする。まぁ簡単に言うと、遊ぶか寝るか休むか。これどうするかなぁ。とにかく勉強の方を向くということができない。もうひとつのクラスと比較すると、ひとことで言うなら統制がとれてない。

もちろん、わたしの基本スタンスとしては「統制なんてクソ喰らえ」です。が、今の学校制度は統制がとれていることを暗黙の了解としたうえで成り立ってる。皮肉なのは「主体的・対話的で深い学び」もまた、統制がとれた上での「主体的」なんですよね(笑)。もちろんその統制は「右向け右」に従うというものではないけど、数学やるときに英語やるとか、数学やるときにウノをやるとかいうことがないという程度の統制です。あるいは「対話」の内容が数学であって今晩の遊びのアポではないという程度の統制です。
その程度の統制であっても、それが前提でなりたってるってことです。そしてその程度の統制がとれてないと、突然「学校制度が求めること」ができなくなる。だからこそ、統制がとれない学校は統制をとろうとする。あるいは、統制がとれなくなることを恐れて、過剰に統制をとろうとする。それが例えば過剰な校則です。
もちろんそれを肯定するつもりはないです。が、統制をとろうとする気持ちはわかる。あるいは、あやういバランスで統制がとれている時に、統制がとれなくなることへの不安があることもわかります。
問題は、そのような統制をとろうとする時の過剰なあり方への批判が学校にのみ行くことです。だって、学校のまわりの住民だって統制がとれてない学校よりも統制がとれてる学校のほうがいいと思ってますからね。それを求めてる。あるいは某府県だって「全国学テ最下位脱出」とか言って統制を強めることを暗に指示してる。そういうプレッシャーの中で、学校も統制を強めざるを得ない。
ほんとうに子どもたちが教科書から離れて教科も離れて主体的に学びたい内容を学ぶために、学校の塀を乗り越えて自由に動きはじめたらどうなるかって考えたら、わたしはワクワクするけど、地域も保護者も「なんだこの学校は」ってなることは、わたしは経験的に知ってます(笑)。
何が言いたいかというと、ある種の統制が効いた「枠」の中でのみ学びが成立するという前提があって、統制を批判する場合、それそのものを問わなきゃならんということです。

てことで、実際にクラスを運営する時は統制が必要なわけです。そして「統制」がキライなわたしは、ジレンマを感じつつも、それを暴力的ではない方法で実現しようと試行錯誤するわけです。
だから、気になるクラスが「気になる」んですよね。
それにしても、今年はこの手の内容が多いな(笑)。

3連休の翌日に今後のことを考える

今日は3連休の翌日です。メッチャしんどい日です。が、今日は火曜日。しかも午前も午後も出張です。なので、いつもよりも少し遅目に出勤できます。これはラッキーとしかいいようがないです。
まぁ、朝が早いのは、家から職場まで1時間半もかかるからなんですけどね。自業自得です。
てことで、第2のふるさとへ。まずは授業参観。ここのガッコもほんとに変わりました。20年前は空席だらけ。昼前にマッ金金の髪の毛の子がグラウンドをのんびり歩いてくるみたいな学校でした。それが、今はとても楽しそうに勉強してます。たぶん、教職員だけでなく教育委員会や他の学校や地域や、いろんな人たちが変えてきたんでしょうね。でもだからと言って「課題は解決した。変える努力はもう必要ない」とはなりません。なぜなら解決してるわけではないからです。だって、かつて「解決」って言われた時はぜんぜん解決してなかったし、その後ずいぶんと変化した「現状」を維持するためにも努力が必要です。
そう考えると、某時限法が失効した時「失効したから解決」って言った人たちは、ほんとに何を考えてたんだろなって思います。
その後みんなで各学校の情報交換。変える努力はこういう地道な積み重ねの上にあるんですよね。

で、午後の出張場所である京都府中部の町へ向けて移動開始。まずは最寄り駅で30分待ち。電車を1時間半乗り継いで、15分山越えをして、ようやく到着。車だったらもっと早いけど、やはり電車移動がいいです。
午後の会議は総括の準備です。昨今の人権教育のあり方への危機感を、みんなが持ってることがヒシヒシと伝わります。ということは、みんな本気だってことです。
ただ、わたしはというと、スマホでメールチェック。と、友だちから来たwordのファイルをあけて、あり?となりました。どうやらEMOTETに感染したファイルだったようです。これはヤバイのか?
会議のあとは、他支店の支店長から呼ばれて密談(笑)。とは言え、これまた今後のことです。
まぁ簡単に言えば、これまでのテクニカルタームを繰り返しても、若手教員は理解できないってことです。ちなみにそういう状況をつくりだしたのは、教育委員会であり文科省であり財務省なんだけど、そういうところは責任をとってくれません。尻拭いするのは現場です。テクニカルタームを捨てて、でもエッセンスが伝わる「スローガン」をつくること。これが、わたしの最後のミッションなのかな。

そんなことを考えながら、京都駅まで仲間に車に乗せてもらって、飲みに行きたい誘惑を断ち切って(笑)、さぁ帰りましょう。帰り道にEMOTETについていろいろ探してるとこんなところを見つけました。あり?EMOTETってwindows限定?こんな時はIずみちゃんに頼ります。すると電光石火で「PowerShellを使うから大丈夫です」とのお答え。すばらしい!
夜は夜でパートナーと今後のことをしみじみ相談。まぁ「今後」を考えなきゃならんのは仕事だけじゃないんだなぁ。

違和感の所在

今日はいい天気です。なので、久しぶりにゆらゆら。

寒い!でも、昼頃になると陽射しも強くなってきて、少し温かくなりました。で、読んだのは『LGBTヒストリーブック』です。おべんきょの「たし」になるかなと思ったけど、ならんな(笑)。ざっくり言うと、前史→ホモファイル運動→いろんな反乱→HIVとの闘い→同性婚を求める闘いという流れです。いろんなGLな人々は出てくるけど、BはGLと同じにくくられている。そして、Tはほとんど出てこない。いや、出てくるんだけど、つねにGLと同じところかな。あと、最初にtwo spiritが出てきて、最後に「まだ権利保障がされてない人々」って感じでちょろっと出てきます。例えば、パトリック・カリフィアとかヴァージニア・プリンスとかケイト・ボーンスタインとかってぜんぜん出てきません。
まぁ、GLのことについては勉強にはなりました。

それはともかく、紅白歌合戦のMISIAの時のレインボーフラッグの時に感じた気持ちをずっと考えていました。で、なんとなくわかった気がしました。
確かに、MISIAのうしろにレインボーフラッグが出たとき「おぉ!」と思って、パートナーに「見て、見て。レインボーフラッグ」とは言いました。でも同時に「遠いな」と思ってました。いったいなんなんだろう。
今朝ふと思ったのが、ソウルオリンピックの時に在日の人たちが感じた感覚?韓流ブームが来て、韓国好きの日本人がどっと増えて、でも在日が押しつけられてる生きづらさは何も変わってないっていう。あの感じなのかな。あの頃、在日の友だちは「自分たちの頭の上を通っていく」って表現してた、あの感じ。
もちろん、その後、韓国好きの日本人がカウンターに加わったりって時代が来てるんだけど、そこの間には長い長い闘いの時間があるんですよね。
それから、レインボーフラッグを振ってる出演者たち。日の丸であっても違和感がないあの感じ。
もちろんMISIAがレインボーフラッグを出すことに違和感はないし、もしかしたらNHKの中の人もがんばったのかもしれない。でも、日常からかけ離れた「おまつり」の場所でのできごとという感じ。
わたしは活動家でもないし、言論家でもない。でも、日々の生活の中で小さな闘いをずっとやってきたし、今もやってる。2014年9月の文化祭では、一緒に人権教育を担当した人がこんな展示をしてくれたこともあったしね。

一部拡大。

そして、交流会に集まってる子どもたちもまた闘ってる。
そういう小さな世界からは、あまりに「遠いな」って思ったのかな。まぁでもそれが人々を元気づけるなら、それはそれでありかもしれないしね。そして、「おまつり」の場を日常にしていくのは、実は「わたし」が問われることなんでしょうけどね。

単なる平日

朝、けっこう寝覚めはすっきりです。やはり睡眠時間だな。あと、パートナーに腰を押してもらったのも効いてるな。ありがたい。
よほど時間割を変更して長野に行こうかとおもったけど、あまりにも無理なので断念して、日常を過ごすことにしました。
それにしても「気になるクラス」があきません。クラスの中の棲みわけがどんどん進んでいる感じです。勉強しなきゃって思う子が増えて、その子らが勉強するということは、やらない子が顕在化することでもあります。この期に及んで「やらない」ってことは、「あきらめ」ともつながります。あきらめたら、その時点でどうでもよくなるから、クラスの空気を乱しはじめます。すると、ますます棲みわけが進む。なんか、そんな感じです。
ついでに言うと、そういうふうになると、子どもと教員が対立の構図になる。つまり「勉強しなきゃ」という子にとっては、教員は同じ方向を向く人なんですよね。ところが「ええわ」ってなると対立する方向になる。これがますますクラスの空気を悪くする。
かなりヤバイです。まぁ、もともとこうなるのはわかってたんですけどね。そして、できるだけそうならないようにがんばってきたんですけどね。
なんか、もやもやしながら授業を終了。
空き時間はひたすら加藤さんの講演録の2次校正。
あらためて聞くとおもしろい!これが役得というものです。
放課後は教科会議。みんなのんびりやるなぁ。少し危機感が出てきたので「5時に終わりますか?」と質問。「え?」という顔をされたので、時間を気にしてなかったことが判明しました。電車通勤は時間を気にするってことがわかってないんですね。
で、PCの火を落とそうと思ったら、1本のメールが…。取材かよと思ったら「それ?」って内容です。わたしでええのか?
夜はカイロプラクティックです。身体はバランス崩れまくってます。カイロプラクティックって、行ったら楽になるってものでもないんだけど、なんしかメンテナンスです。
さぁ、あとはビールとおふろとふとんが待ってますo(^^)o。

訃報

合宿の最中に1本の電話がありました。雪と氷の世界の校長が亡くなられたとのことでした。
なんか、じんわりとしたショックがあります。
考えてみると大学時代からお世話になってるので、40年近いつきあいです。はじめは大学時代のそんなに親しいわけではない友だちのひと声に乗って行ったスクールでした。でも、そこでスキーにはまって、気がつくとレッスンをする立場になってました。
スキーに対してはメッチャクチャ厳しい人で、スタッフは飲酒禁止で、夜遅くまで勉強をしてました。でも、たぶんそのおかげで今の自分のスキーがあるんだと思います。そしてとにかくスキーがうまい。どんな斜面でも軽々と飛びまわります。ほんとに鍛えられました。
生え抜きのスタッフじゃないわたしだったけど、なんだかんだでかわいがってもらってたなと思います。
ただ、トランスについてはしんどかったです。あからさまになにかを言うとかではないんです。でも、シスジェンダーでヘテロセクシュアルであることがすべての前提という感じだったので、とてもではないけどカミングアウトなんてできるとは思えませんでした。なので、こんなこともあったわけです。でも、その翌年はリンク先みたいなこともあって、なんとなく空気が変わってきて、気がつくと宿の温泉は女湯を使わせてもらえるようになってました。てか、2年ほど前に一緒に温泉に行った時は別々のお風呂に入りましたしね。ちなみに、その時は校長に
「わたし、こっちなんで」
って言ったら
「おぉ、そうか」
のひとことでおしまいでした。今にして思うと、それがカミングアウトだったのかなぁ。
なんか、毎年雪と氷の世界に行ったら会えるなと思ってたのに、シーズン直前の知らせが、いまだに実感がわきません。

来民開拓団のこととか融和運動のこととか

朝、目が覚めたのは6時過ぎ。日曜日なのに悲しいなぁ。でも起きなきゃなりません。とりま、温泉につかって、朝ごはんを食べて大急ぎで準備して、ギリギリ8時に間にあいました。
今日はフィールドワークです。コースは3つあったけど、わたしが興味を持ったのは「来民開拓団」です。もちろん、まったく知りません。
バスで小一時間走ると来民の町に到着です。隣保館に入って3時間の講演開始です。
話の中身はおもしろい。てか、現役の教員しておられて、ここまで真相解明のために調べるかとびっくりしました。その原点にあるのは、おそらく「くやしさ」なんでしょうね。資料の中に、2010年に町議会議員が部落差別発言をしたとか。そういうところみたいです。ただ、そんな社会に全然負けてない。かつてより「熊本、すげー」って思ってたけど、やっぱりすごいです。
ただひとつ、どうしても腑に落ちなかったのは「融和運動」への評価です。「融和運動は部落の側に差別の原因を見ていた、いわゆる「部落責任論」」とばっさり切っておられたけど、そういう構図で捉えていいのかってことです。なにより「水平社運動に対して国が融和運動をつくった」って言っておられたけど、それは明らかに事実誤認です。融和運動の中から水平社運動は出てきたし、その二者は決して対立の構図にはなかった。そんなあたりは本郷さんの講演を3年連続で聞いたので、とりま学習はしています。
たぶん、みんなほんとうに部落の人が幸せになるための道を探してたんだと思うんです。それが結果として差別をなくす方向なのか、開拓団として差別から逃げる方向なのかっていう方向性の違いはあったにしろね。なにより、開拓団の悲劇はなぜ起こったかというと、日中戦争に負けたからです。歴史に「もしも」はないかもしれないけど、もしも勝ってたら、たぶん来民開拓団は「成功例」になってたはずです。と同時に部落の人は侵略者と位置づけられていたはずです。ちなみに、今も侵略者ではあるんだけど、中国政府と粘り強く交渉して遺骨収集はしたんだとか。そこあたりはすごいです。
ただまぁ、そういうことなんです。
来民開拓団から学べることは
「地獄への道は善意に敷き詰められている」
ってことです。それは来民開拓団だけではなくて、例えば無癩県運動だってそうです。
過去を現在の価値観で断罪してはならないと思っています。なぜなら、今のわたしたちもきっと断罪されるからです。大切なのはそんなことじゃない。何より大切なのは、常に「この善意の行き着く先は地獄じゃないか?」と、そこにある善意だけじゃなく、自分の善意をも疑い問い続けることなんだと思ってます。

てことで、フィールドワーク終了。
駅までバスで移動して、みなさんとはバイバイ。わたしはSんちゃんと合流です。久しぶりやなー。
とりま「玉名ラーメン」を食べますか。

うまいわ。これはおいしい。
ラーメンのあとはコンビニで飲み物をゲットして、車の中でダラダラ話。でもなんか、ほとんどわたしが話してたな^^;。
てことで、1時間ほどダラダラして新幹線に乗ると古川さんがおられて、しばし話。博多からはのぞみです。で、降りたのはなぜか新大阪。ここでモルタル職人さんと合流。今度お願いしている講演の打ち合わせなど。まぁもちろん飲みながらですけどね。
そうか。いま子どもたちに「ひとりで問題を解こうと思うな」って言えるようになったのは、この人が「おべんきょ成果はひとりでは書けない」って言ってくれたおかげかもしれません。
まぁそんなこんなで案の定打ち合わせ以外のことをいっぱい話をして9時過ぎに解散。さぁ、特急に乗って帰ろうと思ったら、ぜんぜん特急が来ないので、断念して、新快速で帰りました。
家にたどり着いたのは10時半。さすがに疲れた…。

やはりイマドキではない

朝、眠いです。当たり前です。帰ってきたのは11時半です。そして今日は授業が4コマあります。それが木曜日です。
まずは6人講座。今日のテーマは正規分布です。まぁ言ってみれば、正規分布の表の使い方です。なにせ、数学Bは数学2をやってない前提なので、「定積分、なにそれ、おいしいの?」っていう世界です。それでも知ってないより知ってるほうがいいに決まってます。ここでようやく偏差値の意味がわかります。
それにしても、正規分布のグラフを見て「そういえば
、昔センセイ書いてはったわ」って言う生徒がいて、「生徒が知らないのに知ってる前提か」と思い、これはアカンなと。
「気になるクラス」は対数方程式と不等式。きつい内容なんだけど、ここにも「やらなきゃ」「やりたい」と思ってる子がいるわけで、そういう子の気持ちに届くように授業をしなくちゃね。でも、なんかガサついてるな。それに対してもうひとつのクラスはよく勉強するようになってきました。ただ、その影でまったくできない子もいるから、安心してはいけません。

それにしても、あらためて「習熟度」とか「競争原理」とかってアカンなと思います。
いま、アクティブラーニングとか言って「主体的対話的で深い学び」とか言ってますけど、そういうのの対極にあるなって思います。だって、同質な集団では対話は生まれないからです。
いつも思うのは、進学校の落ちこぼれはうちのガッコでは中位から上位なんだろなってことです。つまり、うちのガッコでは落ちこぼれにはならない。それと同時に思うのは、うちのしんどいクラスの子が他のクラスにいたら救われるやろなってことです。
どんなクラスにもどんな学校にも、そこを「同質集団」とみなした瞬間に落ちこぼれは出てくる。なぜなら、「同質集団」は厳密には同質集団ではないからです。だから、常に「異質な子らが集まっている」ということを前提にしなきゃならない。ところが、「習熟度」や「競争原理」ってのは「同質な子が集まっている」ことを前提にしくみがつくられる。だからコンフリクトを起こします。それなら、はじめから「異質な子らが集まっている」ことを前提にしたほうがいい。
そして、一番大切なのは、この社会そのものが異質なものがあつまってできているからです。

なぜ日本の学校制度、特に後期中等教育はこういう設計になってるんだろと思います。「自由に選択できる」という名目で選択の自由がある子とない子をつくり、結果的に本来異質である社会の中に同質な集団をつくる。「言わなくてもわかる」社会は「言えなくてもわかる」社会です。だから「言う必要」がなくなって「言えなくてもいい」ってなる。そんなところに対話が生まれるはずもない。
そうやって育った子が、突然異質な社会に出たらどうなるか。もちろん異質を嫌って同質な集団を自分の意志でつくるようになる。そういう社会だからこそ、今の後期中等教育でいいとなってしまう。

そんな日本の学校制度の中で教員ができることはなんだろうと思います。せいぜいが、自分の異質性を思いっきり打ち出すことくらいかな。そして対話の糸口をつくる。

そんなことを考えながら、5時間目の授業が終わると、トイレの前で手を振る生徒が…。この子です。
い「どうする?最近寝てるやん」
生「なんか、数学の時間寝てしまうねん」
い「それは困ったなぁ。てか、眠いの、わたしやし」
生「知らんやん」
い「そろそろ授業がはじまるな」
生「せんせい、次の時間、授業あんの?」
い「いや、ないよ」
生「寝るんやろ。5時まで寝るんやろ」
い「え、そ、そんな…」
平和です。なんと言っても、わたしが5時に帰るのを知ってるのがいいです。ただ、ここヶ月くらい昼寝ができてないです。ヤバイです。仕事しすぎやな。
なので、定時で退勤。
さあ、今日は久しぶりに家でごはんが食べられます。うれしいなぁ(^^)。

まぁこんなもんか

朝起きると、やっぱりしんどいです。やはり寝不足ですね。おとついとか、そんなに呑んでないし早く寝たつもりなんだけど、ダメなんですね。昨日は帰ったのは早かったけど、寝たのは遅かったしなぁ。なにより、お酒呑んで寝たら、それは睡眠ではなくて気絶っていいますからね。
そんなこんなで、まずは6人講座。ふたり休んでるけど大丈夫か?てことで、確率分布の節をすべてやりました(笑)。これで来週B(n,p)とか言ったら別世界だろうな。実は数学はステップひとつ知らなかったら、いきなりチンプンカンプンになる教科なんですよね。そうならないようにしてるのは、実は教員の努力なんだけど、それにも限界があるからなぁ。
で、「気になるクラス」です。まずは「へんこつの話」から。この子ら、「へんこつの話」は乗るんですよね。で、底の変換公式。まぁこんなもん50分もかからんので、最後の10分はええとしましょうか。でも、全体を見渡すと、少しずつ変わってきてるな。
空いた時間は昨日の小林さんの作文読み。まぁ通りいっぺんの作文もたくさんあるけど、あるいは小林さんの話を理解できていない作文もたくさんあるけど、キラリと光る作文があるんですよね。たぶんそんなもんだと思うんです。子どもたちって「善意の人」です。でも「善意の人」が欲してるのは感動ポルノです。なので、障害者が話すとなると、そのストーリーを感動ポルノにあてはめて聞いてしまうんです。それはそういうものなんです。でも、中には「善意の人」ではなく、言い換えるなら「中身を聞こう」とする子もいる。そんな子らは、自分の生活や出来事と重ね合わせながら、あるいはそれらを再評価しながら聞こうとする。そしてそれは少ないけどないわけじゃない。そんな作文を拾い集めてフィードバックする。そこに意味がある。
そんなことをしてたら、あっという間に定時です。

夜は久しぶりに家族でごはん。なんか、下の子どもがかわうそのyoutubeを見せてくれたのですが、おとついのわたしと同じだったとか。やれやれ。
で、報ステ。大嘗祭にえらい時間をとってます。まぁ、こういうのが好きな人、たくさんいるんだろうなぁ。天皇の代替わりなんて、わたしのタイムラインにはなんのかかわりもないんだけどね。でも、好きな人にとっては「区切り」であり「けじめ」なんでしょうね。
で、30分くらいして「花見報道」。もう今上総理(笑)はアカンやろ。
たぶん本人には、自分が悪いことをしてるとか、(おそらくは)犯罪行為をしてるとか、そういう自覚はまったくないんやろな。だって、立法府の長で森羅万象を司る立場だから、自分が誰かを裁くことがあっても、自分は裁かれないと思ってるんじゃないかな。
簡単に言えば、それを「独裁者」っていうんだけど、そういう自覚もないだろうな。
そういう公私の境目のわからん人を野放しにすると、てか国政に関与させるのはアカンです。公職選挙法違反で議員辞職→逮捕でええんちゃいますか。

まぁ、専門じゃないからなぁ…

朝起きると眠い…。当たり前です。昨日寝たのは0時をまわってました。睡眠時間が足りません。もっとも、会議の他の人々はその時間帯はまだ呑んでただろうな(笑)。
午前は会議室授業。図書室を他の人が使ってるってこともあるんですけど、もうひとつあるのは取り出しの人数が多いんです。図書室だと、せいぜいが3人しか取り出しできないけど、6人はいます。2セッションやるってことも可能だけど、20分で終われるメンバーじゃないです。会議室だと机はくっつけたらそこそこの広さになるし、なにより黒板があるので説明がしやすい。
それにしても、子どもたちの動きをフリーにすると、グループがよくわかります。勉強拒否組がかなり減りました。あれがその後どう動くかですね。
てことで、ほとんど精気を吸い取られて午前は終了。
午後は6時間目の講演の準備です。今日は「オリパラ事業」ということで、障害者スボーツやってる人の講演です。
で、話を聴きはじめたのですが…。

うーん。どう言ったらいいんだろ。「フツーの人」です。
やはり講演って、それなりに難しいことなんだろなって思いました。同じ経験をすることって不可能なんだけど、仮に同じ経験をしたふたりがいたとして、そこから出てくるライフヒストリーはまったく違うだろうし、ましてやそこで感じたり考えたりすることはまったく違うんでしょうね。たぶん講演に値するところまでもっていくためには、それなりのものが必要で、ただ単に話せばいいというものではないんだろな。
さらに、自分の経験の何を切り取り、それをどう伝えるかってことも大切です。
今回は国際大会の遠征での経験を話されましたが、いきなりスリにあった話とかをされました。まぁ、それそのものは経験だろうし事実なんだろうけど、それを話す意味はどこにあるのかってことです。そしてそれを聞くことを通して子どもたちはどういうメッセージを受け取るのかってことです。
わたしは必要ないと思ったし、仮に話すなら、わたしなら少なくとものその国のイメージを悪くしない「仕掛け」をします。でないと、子どもたちはその国への悪いイメージをメッセージとして受け取ってしまいます。
で、講演をするってことは、そういうことを考えながら語るってことだし、すべての内容にメッセージを込めて話す、あるいはすべての内容にメッセージが付随して相手に伝わるってことを自覚して話すってことなんだと思います。

いま「オリパラ事業」ということで、特に障害者スボーツをやってる人があちこちの学校で講演をしておられます。でも、その人たちはアスリートなのであって、講演をする人じゃない。障害者スボーツをやってる人なら誰でも講演できるのか?あるいはさっき書いたことに自覚的になって話すのか?それは無理です。だって、話すためにスボーツしてるんじゃないからです。
「事業」である限り、予算がつきます。そしてそれは使わなきゃならない。そんな中で、いろんな人が講演「させられて」います。だって、予算がなければその人たちに講演を依頼することはありえないからです。
もちろん、中にはとてもいい講演をされる方もおられるでしょう。でも、それは別の話です。ほんとにこれでいいのかって思う、そんな時間でした。

で、放課後は職員会議。さっくり終わったのはいいけど、疲れた。
さっさと帰ってビールを飲もう。