羊のこととか、リハビリのこととか

朝起きるとパートナーがいない。居間に行くとこたつの横に倒れてました。こっちのほうが寝心地がいいのかなぁ(笑)。
で、定時に出勤。電車はすいてます。ただ、ロングシートの端席に座るとこわいです。というのは、ドアの横に立つ人がリュックをしてると、背中をこちらに向けるとリュックが身体に接近するんですよね。その高さがちょうど肩です。あまりにもこわかったので「すみません。肩を骨折してまして」とお願いしてリュックの位置を変えてもらいました。てか、電車の中ではリュックを前にするのが最近のマナーだと思うんだけどな…。知らんけど。
職場に着いたらいろんな人に退院のあいさつ。ちなみに今日から休校なので、ガッコは静かです。なんとなく若手の同僚と今後の話。その教員「なんか、定時制に行きたいと思うんですよね」みたいなことを言ってます。たぶん、この教員、わたしが担任してた頃にいたらいきいきしてただろな。そんな中から、ふとかつて担当した子のことを思い出しました。

その子、ヤンチャしすぎて進級の見込みがなくなって、学籍はあるけどすでに働いてたんですよね。
ところがその子、ある日久しぶりに授業に顔を出したんですよね。基本的に進級の見込みがなくて仕事もしてたら学籍があっても教室には入れないんです。だって、勉強するために来るわけじゃないですからね。しかも「校則に適合した姿」ではなかった。通常なら「帰れ」って言わなきゃならんのです。でも、わたしは言わなかった。実はわたしの授業のあと「その格好では認められないよ」ってことで、最終的にはその子は納得して帰ったんだけどね。そしてわたしは他の教員から「なぜ帰れと言わなかった」と言われた。
同僚と話をしながら、あの日あの子、なにをしに来たのかなぁと思いました。口では「仕事が休みだから」って言ってたけどなぁ。でも、もしかしたら、「もう一回だけ教室に入りたい」って思ったのかも。そう考えると、もしかしたらわたしが「帰れ」と言わずに教室で1時間つきあったから、次の時間に帰ったのかもしれない。
99匹の羊を放ったらかして1匹の羊を追っかける話はカッコイイです。でも、学校現場ではそうはいかないことがよくあります。なぜなら99匹の羊も1匹1匹に着目すれば、それぞれが1匹の羊なんです。つまり99匹と1匹というわけ方ができないんです。簡単に言えば100匹全部を追わなきゃならんのです。
でも、あの日、わたしは99匹を放ったらかして1匹とつきあった。それは、その1匹を追い切れなかったという漠然とした思いがあったからです。
正解はわかりません。もちろんPC的には、あの場で「帰れ」ということが正解でした。ただ、わたしは「その解」は採らなかった。その同僚は「ぼくもせんせいと一緒の立場です」って言ってくれました。
きっと、悪い教員になるだろな(笑)。

あとはひたすら仕事の中でリハビリです。
キーボードを打とうとしたら、enterキーに届かないのは昨日と同じです。ただ、職場のキーボードはこれなんで、enterキーはすごく離れたところにあります。どうしたものか。いろいろ考えて、一番キーボードが打ちやすいのはジミー・ペイジみたいな感じで方から吊るせばいいのかなと思ったり。どこにストラップをつけようかと思ったけどつけるところがないので断念。ただ、メッチャ疲れます。
てことで、しばしキーボードを打っては保健室から氷をもらってきてアイシング。これを繰り返して1日を乗り切りました。それでも音声入力も混じえながら、ゲンコをひとつ送れたからよしとしましょうか。
それにしても病院と日常生活は、移動距離から身体の使い方からまったく違います。メッチャ疲れます。
そんなこんなで定時に退勤。
帰り道に心が和む風景が。

それを干すか(笑)。
家に帰ると山のような刺し身があります。なんでも桃の節句とわたしの快気祝いを兼ねた手巻き寿司祭りらしいです。ありがたい!
パートナーに巻いてもらってパクつくとこれまたおいしい。幸せやなぁo(^^)o。
こんなの食べたらお酒がすすむやん。

そういや、今日はもうひとつあったな。「水平社創立年の日」じゃん。

イマドキの授業

今日は午後から出張です。今週から6人講座がなくなったので午後の授業を午前に振り替えました。まぁ、わたしはすき間が多いので、こんなのが可能になります。
で、午前は2時間連続です。ふたつのクラスが対象的です。気になるクラスはどこまで気になるんだろ。今日は久々に荒れました(笑)。
てことで、予定していた電車よりひとつ遅いのになってしまいました。まぁ間に合うかな。
最寄駅に着いたらビミョーな時間です。昼ごはんが先か、受付が先か。受付にしましょう。資料の確保が優先です。資料を受けとって、そのままラーメン屋さんへ。出てきたラーメンを見て、あれ?と思うなど。見たことあるなと思ったら、前に某所のイ○ンモールに出してる支店で食べたのでした。
今日の出張は、とある小学校の国語の研究発表会です。この研究発表会はもともと第2のふるさとの会議で行こうということになってましたが、授業があるから無理やなと思ってました。そしたら最近新聞に掲載されて、おもしろそうだったので、やはり行こうかなと。なので行くことにしました。
まずは授業参観。どの学年にしようかと思ったけど、ここは1年生ですね。「「すごい」を友だちに伝える」という授業です。うちの子どもたちに受けさせたい授業です(笑)。なんでかというと、子どもたちの言葉が軽い。つながるための言葉じゃなくて、「これを言えば会話が切れる」という言葉なんです。ずっとそういう言葉を聞いていると精神が厳しくなります。なので、小学1年生がどんな言葉を使うのか、というか、そういう授業を見てみたいなと思ったんです。
で、ひとこと感想を言うなら「うわぁ、アクティブラーニング」です。感覚としては、はじめてカービングスキーを見た時の感じ。同じスキーのはずなんだけど、滑り方がまったく違う。つまり、同じ授業なんだけど、やり方がまったく違う。もっとも、わたしもアクティブ的ラーニングはやってますけどね。ただ、それが成立するかどうかは、ひたすら子どもたちにかかってます。前提として「参加」ってのがあるんですよね。その「参加」はここにはあるけど、高校にはない。その違いはなんなんだろう。
そう考えたとき、次に出てくるのは「この子らが大きくなって高校に入ったらどうなるんだろう」ですね。はたして高校でもアクティブラーニングができるんだろうか。どこかで「参加」から逃げていくときがくるんだろうか。あるいは「すごい」を伝えたくないと思うときがくるんだろうか。そしてそれは学校という制度の問題なんだろうか。それとも社会の問題なんだろうか。あるいは、問題はそれら両方にあるんだろうか。
授業参観のあとは協議の時間。いくつか質問してみたり。ただ高校の教員なので、ピントははずれてたかもね。小学校の教員の質問の中には新学習指導要領にかかわる話とか観点別評価の話とかが出てきて、ここでもカルチャー・ショックがあったり(笑)。
で、講演会。講師は水戸部修治さん。講演、うまいな。それにしても、一方で思うのはなぜこんなに複雑になってきたんだろうってことですね。授業も評価もメッチャ複雑。この複雑さを通してつけたい力はいったいなんなんだろう。あるいはこれまでの授業や評価のやり方ではつけられなかったんだろうか。
それはカービングスキーも同じです。カービングスキーを通して、だれもがそれまでの超上級者の滑りに近づくことができるようになった。でも、それはなにをしたくてそうなったのかってことです。例えば、ほんのひとにぎりの人しかできない滑りへと近づくプロセスを楽しむ人には、カービングスキーの普及はそのプロセスの楽しみを奪ったかもしれない。そして、簡単に「あこがれ」に到達することで「興味」も奪ったかもしれない。
アクティブラーニングはおもしろいし、可能な範囲で取り入れたいとも思います。「解くスキルをひとり占めするな」とずっと言ってきたわたしが、今年得たのは「ひとりで解こうとするな」です。そうすることで、確実に顔があがる子が出てきた。ただ、それがどんな学力をつけるのか。今日行った小学校ではひとり静かに考える時間の先にアクティブラーニングがあるようです。たぶんそれこそがアクティブラーニングなんでしょうね。ただ、その「ひとり静かに考える」ことから逃げる子どもが出てきたときのアクティブラーニングはどうなるのか。あるいは「対話的」が苦手な子はどうなるのか。さらには対話を拒否する子どもはどうなるのか。
こんな問は、さらに次の問へと移行します。
今、学校教育はどの方向に行こうとしているのか。行き先がわからないままに、新たな試みをしてるのか。それともわかってるのか。わかってるつもりになってるだけなのか。「わたしたち」がわかってるのとは違う方向が、実は隠されたところにあるのか。
「おもしろい!」と思う気持ちとは別に、ものすごいモヤモヤが残る発表会ではありました。

世界が広がると感受性も増すのかな

朝、寒いです。久しぶりにお湯をかけた車のウィンドウが再凍結します。通勤途中も手が痛い。でも、これが普段の冬なんですよね。
電車の中から自分宛てにトドリストをメールします。職場に着いたら、トドリストに従ってサクサク仕事。
授業は2発。合間に生徒の走りにつきあってみたり。
それにしても、タイムは一緒に走る人に左右されるもんですね。今日は約4kmのコースをいいペースで走れました。

これ、ここ数年で一番早いペースかもしれません。
そんなこんなで、いろいろしてたら、あっという間に定時です。さっさと職場をあとにして、崇仁へ。今日は久しぶりのちょぼやき会です。会の前はいつもの通り、軽く燃料補給。今日は昨日角打ちで教えてもらった「おでん」を食べようかな。

うまい!味噌味がたまりません。一味をかけると、またおいしい。味噌味をビールで洗い流して、お店を出ました。
で、ちょぼやき会。今日の担当はYもぎ田さんです。現在リビングライブラリで本としてお世話になってる方です。今日の話はうちのガッコで話されてる内容+αを話してくださいました。
Yもぎ田さんの話を聞くと、仕事だけの人間がいかに狭い世界に生きているのかがよくわかります。たとえその職場がどれだけ大企業であってもです。話の中で「同じ話題しかない」みたいなことを言っておられましたが、そうなんですよね。結局仕事のグチがメインの話題になるんですよね。同質集団ってそういうことなんです。
そんなYもぎ田さんが、いろんなことがあって、仕事100%の生活がガラリと変わる。ここからがYもぎ田さんのおもしろいところなんですね。たぶんもともと興味をたくさん持つ方なのかな。そういうYもぎ田さんの特性が発揮される人生がはじまります。ただ、単に興味を持つだけじゃなくて、その興味を少し引いたところから観察したり、あるいは寄ったところから共感したり。そんなひとつが、例えば水俣病。そして水俣病から原発のことを問い直されます。
おもしろいなと思ったのは「被害者・当事者」となった時に、じぶんの「加害者性」へと思いを巡らせる。その加害者性は「他の問題」ではなく、自分自身の被害者性である原発へと向かうんですね。
ご本人は「考えるのが好き」って言っておられたけど、「考えながら生きる」ということがいかに大切か、そしてそれがいかに自分が生きる世界を広げてくれるかが、とてもよくわかる話でした。
うちの子ら、この話を聞いてるんですよね。伝わってるかな。というか、伝えるのはわたしたちの仕事か。
ちょぼやき会のあとは、今日は「中光園」に行きました。ここ、この間来たところです。ここでお腹いっぱいになるまで食べて、崇仁新町に行こうかと思ったけど、これは無理だなと。
てことで、いつものようにUりんちゃんに送ってもらって帰りました。家に帰ると10時過ぎ。よかった。10時半には寝られる…。

新年のあいさつ

今日は午前も午後も出張です。なので、朝は少しゆっくりめ。電車に乗って第2のふるさとへ。保小中高の合同会議です。
なんというか、保育園ってすごいなとあらためて思いました。職員一人ひとりが部落問題について自分のテーマを決めて調べて、それを互いに発表しあうとかやっておられるんですよ。すごいわ。それを聞いた小学校の教員は「うちの学校、かつては同じようなことを合宿してやってました」とか。
そういうのを聞くと、ほんとに高校ってのはチームワークとしてはダメだなって思います。まぁわたしもそのチームワークを乱す人間ではあるんですけどね。そして、その自由さが大切だってこともわかってるんですけどね。ただ、教職員の人数が多いということと、仕事が分担されることで専門化されてることのメリットも大いにあるしなぁ。そして、大学はもっとダメなんてしょうね(笑)。
午後の会議の前に隣のガッコの食堂へ。てか、食堂のあるガッコはいいなぁ。もちろん、温かいごはんを安くで食べられるってのもメリットなんですけど、それだけじゃなくて、みんなで食卓を囲んで食事ができるので、そういうところでムダ話ができるんですよね。それがいい。もっとも、ひとりでごはんを食べることになる人もいたりするってのもあるわけですが。てか、かつておべんとを持っていくことで、そういう「輪」を壊したわたしが言うことでもないか(笑)。
で、午後の会議。ここで話題になったのが「マイクロアグレッション」をめぐる話です。
どうやらきむうじゃさんの「「日本語おじょうずですね」は差別か」という問いにいまだに捕まっておられる方がいる。それはとてもいいことだと思います。簡単に答えを出したりあきらめたりするんじゃなくて、考え続ける。
ただ、考える時の立場が違う。つまり、言葉を発する側にとって、それは差別と「される」のかということにこだわっておられる。もちろん大切な観点です。が、おそらくマイクロアグレッションはそういうのではない。被差別の側が「なんとも言えない居心地の悪さ」に出会った時に、「マイクロアグレッション」という概念を手に入れることで、その居心地の悪さに名前をつけることが可能となり、説明することが可能となる。
例えば「日本語おじょうずですね」の中に込められているのは、「日本語ネイティブスピーカー=日本人」というステレオタイプなんだけど、そのステレオタイプは同時に「在日」という存在をそこから排除することによって成立している。そこに在日は反応する。で、なぜ反応するかというと、在日という存在がカテゴリー集団として与えられてきたトラウマなんですよね。それがvulnelabilityへとつながり、マイクロアグレッションへとつながっていく。それは言葉を受けとる側のことなんですよね。つまり、マイクロアグレッションがマイクロアグレッションとして存在するのは、あるカテゴリー集団に対して与えられたトラウマとの関係なんだってことを、この間考えたんです。
ま、そんな話をするのですが、言葉を発する側としては「何も言えなくなる」「コミュニケーションがとれなくなる」となってしまうんですよね。
まぁ、継続論議だな(笑)。
で、少し早く会議が終わって、少し早く京都駅に着いたので、久しぶりに角打ちに行こうかなと。考えてみたら、今年になってまだ行ってません。
「あけましておめでとうございます」
と扉を開けたら、みなさん
「おー、来た」「久しぶりやな」
と声をかけてくださいました。うれしいな。たぶんたまに来る常連としてカウントしてもらってるんだろな。てことで、いつものを注文。

せっかくなので、「主」のようなおじさまに身の上話を聞いてみたり。果たしてこの行為はカミングアウトなのかアウティングなのか(笑)。でも、カミングアウトを迫る問いに答えてくださるわけで、やはりそこにはケン・プラマーの『セクシュアルストーリーの時代』的なものがあるのかなと思ったり。
そんなこんなで小一時間で帰ろうとしたら、いつもにぎやかなおじさまがお酒をおごってくださってたらしいです。マジっすか。お代は280円!
てことで、家に帰ってお風呂→ビールだな。
と思って家族でワイワイごはんを食べているうちに、いつの間にやらデッサンの話になりました。わたし以外の家族というか、うちの母親もパートナーの母親も、メッチャデッサンがうまいんです。
「わたしは絵が苦手」
と言ったら、上の子どもが
「そんなことはない」
と言って出してきたのがこれ(笑)。


そういや、昔こんなの書いてたな^^;

実存を問い直す場としてのカフェ・ド・まきぐち

朝、センターに行くと、すでに朝がはじまってました。みんなすごいな。朝ごはんを食べさせてもらって、しばしうだうだ。やがてIずみちゃんが散歩から帰ってきたり、Sゅんすけが起きてきたりして、台所でワイワイ。ちなみに、台所の采配はYもちゃんがやってくれて、ほんとうにありがたい。と、久しぶりのKうたさんがやってきて、びっくりするなど。
それにしても「心配しました?」って聞かれて「心配なんてするはずがない」と答えるなど。だって、心配な子じゃないからなぁ。
てことで、11時前から片づけ開始。わたしは着替えに出て、帰ってきたら片づけすんでました。ありがとー。

そこから枚方へ移動開始。今日はカフェ・ド・まきぐちの日です。なんか今回は荒れそうな感じです。
それでもはじめは和やかに乾杯。そして和やかに自己紹介。そして和やかにおいしいイタリアンをいただきます。が、連日の呑み会とか夜ふかしで、完全に身体がまいってます。なので、床の上にごろり。しばし睡眠です。と、なにやら空気がすごいことになってます。
そうか。発話権の問題が起こったか。しかもそこにジェンダーが絡んでる。問題提起されたのはSゃ納さんだから、的確です。そこから、それぞれが実存を問い直される時間がスタートしました。
ただ、わたしは眠い。再び床の上に横になると、優しいシェフがタオルケットをかけてくださったり。
そんなこんなで、最後はちくわぶをいただいて、今回のカフェ・ド・まきぐちも終了です。疲れた…。帰りのバスでいろいろ振り返りをしてたら、運転手さんに怒られてしまいました。うーん。
家に帰ると12時前。明日大丈夫か?

人権意識を育む学級集団づくり ー子どもとつながり、子どもをつなぐー

今日は午後から出張です。ただ、担当者の方が今日の試験カントクをはずしてくれてたので、それに甘えて休みをとりました。なので、少しゆっくり。
で、昼前に出張先へスタート。途中は本を読みましょう。前はよくわからなかったところもあったけど、今回はなかなかよくわかる。
で、出張先に到着。今日の出張も某人権教育研究会の総会です。
まずは実践報告ということで、小学校教員のレポートです。んー。ていねいではある。が、人権教育のレポートかどうかはわかりません。なんか、モヤモヤしてたけど、今日は黙ってるつもりだったので、何も動かず。すぐに実践報告の時間は終了です。
そのあとはお待ちかね、記念講演です。講師は磯野雅治さんです。
実は磯野さんの話を聞くのははじめてではありません。8年半ほど前にうちの職場にお呼びして話を聞かせでもらいました。あのときの印象は「メッチャそうそうそう!」でした。磯野さんは中学校、わたしは高校という違いはありますが、考えてることややってることにかなりの共通点がありました。なので、今日の講演も楽しみです。
話の内容は、タイトル通り「学級づくり」です。磯野さんの話のおもしろいというか、特徴的なところは、磯野さんはムラを校区にもたない学校における実践であるところかなと思っています。というのは、いわゆる「地域との連携」とかは望むべくもないってことです。でも、もちろんしんどい学校だからこそ「学級づくり」が必要になります。つまり、純粋に「担任力」でやりきるしかないということになります。
で、結論的に言うなら、今回も「メッチャそうそうそう!」でした。例えば「〇〇ということがあって、それを」と聞いたところで「あぁ、学級通信だな」と思ったら、そのまま「学級通信に載せる」って言われる。で、わたしとしては「ですよねー」ってなる。
もちろん、小中の教員にとってはあたりまえのことかもしれませんが、高校で定期的に学級通信を出す担任はあまりいませんから、やはり「ですよねー」です。そうそう「生徒に用事があるときに放送を使わない」も同じですね。
やはり担任をやるってことは、校種の違いを超えてるんでしょうね。そんなことを考えてるうちに講演終了。うん、おもしろかった。
てことで、帰りの電車でも読書です。とても有意義な1日でした。

倫理学からのアプローチ

今日は某人権教育研究会の総会です。
午前はまぁ総会です。楽しみなのは午後の記念講演です。今回は「差別と倫理」の話を聞くことができました。
そう言えば高校の頃に「奴隷制度があったから哲学や科学は発展してきた。だから、奴隷制度は必要なんだ」って言ってた同級生がいて、もちろんそれはアカンのではあるんだけど、そこへの反論をしきれなかったという思い出があったりするわけです。つまり「アカンに決まってるやん」は答えにならない。かと言って「キミはそういう立場なのね。上等やんか」も答えにならない。
もちろんそれに対する答えとして「差別の現実に深く学ぶ」ってアプローチがあるんだけど、それもまた心許ない。
そんな中この日に堀田さんが倫理学からのアプローチをされていたのが、ずっと小骨が喉に刺さるような形で頭の中にありました。なので、今回の話はすごく楽しみでした。
結論的には「〇〇だから差別はアカン」という明確な解答はもらえませんでした。たぶん(笑)。ただ、すごくなるほどと思ったのは「トラウマ」という観点を提示されたことです。トラウマとvulnerabilityが結びついたとき、その具体例としてあげられるのがヘイトスピーチになります。つまり、ヘイトスピーチは肉体へのダメージになりうるということ。そしてそこにトラウマがあるということ。だからこそそこにvulnerabilityがあるということ。そのvulnerabilityはマイクロアグレッションで日常的にダメージを与えられ続けることによって強化されている。こうしたことが結びついたときに「差別とはなにか」ということが具体化される。つまり差別は具体的には「個」に加えられるものではあるけど、その個はvulnerabilityを持つカテゴリー集団と結びついている。そのカテゴリー集団を「被差別者」ということができるのかな。
こう考えると「差別はアカン」と単純に結果だけを言うのではなく、少なくとも差別の構造を心理学とも社会学とも違うアプローチで説明できるようになる。
別に倫理学でなきゃならないということではなくて、差別を論じるときに多様なアプローチがあるということに意味があるのかな、そんなことを、話を聞きながら考えてました。
うん、よかった!

気づく、つながる、築く・日教組教研3日目

朝起きると、7時。余裕です。ゆっくり朝ごはんを食べて、出発準備しましょう。ちなみに、体調は昨日よりはるかにマシです。でも、しんどいのはしんどい。
Aっちゃんとロビーで合流して、今日は市電で行きましょう。
会場に着いたら、ロビーでA井さんに腰を押してもらいました。あー、アカンのはそこだったんだ!
会場に入ろうとしたら、全国の女性部長がやってこられて「頼みたいことが…」とのこと。はぁ、わたしのでいいんですか。でも、ちょっとうれしい。
で、今日は総括討論です。テーマは「気づく、つながる、築く」です。さて、何を話そうか。
やはり、今考えてることはこの時話した内容ですね。それをいかに伝えるか。
たぶん「気づく」って、ワクワクすることなんです。そしてそれを教員はよく知ってる。知的好奇心ってのを持ってるんです。だから、新しい知識と出会うとワクワクする。
例えばその典型が、「部落史の見直し」でした。「えー!」って思ったし、「おもしろい!」って思った。そして、このおもしろい部落史をどうやって伝えようかと工夫し、授業した。で、どうだったか。ごく一部の子には伝わったけど、圧倒的多数の子どもたちにとっては「だから?」だったんです。それはなぜか。伝えようとしたことが「ワクワク」だったからです。ワクワクしない子にとっては伝わらないし、そもそもワクワクを伝えてもその先に行かなきゃダメなんです。
同じことが「性の多様性」でも起こってる。教員は「えー!」「おもしろい!」と思って、「性の多様性」を一生懸命勉強して、そのおもしろさを伝える。でも、そこで起こることは「部落史の見直し」と同じことです。
「部落史の見直し」のときにわたしたちが考えたことは、「部落史「を」教える」ことから「部落史を「で」教える」ことへの転換でした。そしてそこから伝えようとしたことは、部落差別は民衆の中にあって、政治権力はそれを利用し助長したってことでした。つまり政治を変えることだけではだめで、社会を変えること、そしてその社会はわたしたちによってつくられてるってことがわかったんです。だからこそ、「政治の問題」から「わたしの問題」へと転換したんです。
同じように、「性の多様性「を」教える」ことから「性の多様性「で」教える」ことへの転換がなにをもたらすか。それは、わたしのレポートが伝えようとした「多様性の中に権利の不平等がある」ということ。そして、その不平等を通して、わたしたちが「あたりまえ」と考える社会が実は当たり前なのではないということ。つまり、この社会がどのような「規範」でてきているかを明らかにするということです。
まぁ、そんなあたりを中心に発言して、午前で今年の日教組教研もおしまい。
終了後、またまたロビーでA井さんに腰を押してもらいました。やはり腰ですね^^;。
お昼ごはんはもちろんお好み焼きです。うーん、「かっくんスペシャル」を思い出して、少しさびしさを感じたり。
あとは新幹線に乗って帰るだけです。Aっちゃんと一緒にお酒を買い込んで、しばし宴会。京都駅で余ったお酒を片づけて、お家に帰ったら5時。あかん、限界です。寝よう。7時に起きて晩ごはんを食べて、でもまた寝よう。明日は日常だ。

いろいろ決断

今朝もふとももの裏が痛いです。とてもじゃないけど走れません。やはり筋トレが必要なようです。やらなきゃ。でも、体調はそんなに悪くないです。もしかしたら「人間ドック」と思ったから、身体が反応したのかなぁ。まぁ飲み会がさほどひどいのじゃなかった&朝ゆっくりできる日があったってことなのかな。要は、休まなきゃならんってことです。

今日の1・2時間目は6人講座。4人しかいなかったけどね(笑)。今日はユークリッドの互除法です。整数問題は、せめてここまではやっとかないとね。ほんとは1次不定方程式までいきたかったけど、先週の授業がなかったので断念です。逆に言うと、時間に余裕ができたので、今日も雑談。
はじめは「法として合同」って話を前のおべんきょ場所での経験と照らしあわせて話してみたり。そこから脱線して、レポートを出す難しさと、レポートの採点のたいへんさの話をして、気がつくと障害学の社会モデルの話をしてました(笑)。
で、「なんの話してたっけ?」から授業再開。
2時間の授業を終えて、「1年間ありがとうございました。メッチャ楽しかった」って言われました。ですよね。今日が最後の授業だったんですよね。最後くらい全員来いよな(笑)。
2年生は会議室学習です。
とにかくトコトン数学が苦手なんですね。0の足し算ができない。いや、0だとそのまんまやんって話なんだけど、それが混乱するとできなくなるんですよ。なので、2次方程式なんて、遠い彼方の話です。どうしよう。なんとか因数分解させるか、解の公式に走るか。前者は考えなきゃならんし後者は計算しなきゃならん。そんな子らに教えてるのは増減表です。
つまり、増減表のつくり方がわかったとしても、増減表をつくるための「導関数=0」からxを求められない。だから増減表がつくれない。現行の数学の学習指導要領は「積立型」ではないと言われてるけど、0の足し算とか2次方程式とか、最低限の積立は必要なんですよ。「そんなのはできて当たり前」って感覚の人が「積立型ではない」って言うんです。悔しかったら、「x=1と3で導関数が0になる。増減表を書け」みたいな問題を教科書に書いてみろ(笑)。
とまぁ、それはそれでいいのですが、気になるクラスの気になる子、どうするかなぁ。今年度はほぼ毎日考えてきたけどなぁ。教員人生ではじめての決断をしなくちゃならんのかなぁ。もちろん、これまでも頭の中をよぎったことはありました。でも、なんとかしてきました。まぁでも、自分の限界は子どもたちに助けられてたんだなってことを、あらためて感じますね。

まぁでも定時が来たから帰りましょう。
家に帰ってビールを飲んでお風呂に浸かりながら、これからの人生を考えてみたり。こちらもこちらでたいへんだなぁ。今考えてること、やはり非現実的だよなぁ。うーん。
まぁ、悩んでも仕方ないから、さっさと寝ましょうか。

訃報と「おもろい人」

学校からの帰りに阿久澤さんからメールが来ました。
「柏葉さんが亡くなりました」
え…。
びっくりしたけど、「とうとうか」という思いもありました。過酷な仕事で身体にガタがきてるってことはずっと言っておられましたからね。

御着にはじめて行ったのは2009年のことでした。この時は全キリで行ったんですね。一緒にごはんを食べたのはこの時だけかな。きっとお酒好きなんだろなと思ってたんだけど、そうじゃないことが後にわかりました。
2回目は2010年ですね。この時は府高人研の山城ブロックのフィールドワークかな。なんか、一緒に昼ごはんは食べたのか。この時はじめて「いつき」って名前で呼んでもらったみたいです。
3回目は2011年。この時は府高人研全体で行きました。当日の記録がない^^;。でも、柏葉さんのお宅におじゃましてしまった日です。この時はほんとうに柏葉さんの魅力に触れた気がしました。
そして4回目は2018年。この時はうちの上の子どもが参加した日でした。わたしの性別について、わかってるのかわかってないのか、よくわからなかったんだけど、たぶんわかってて、それでも女性としてつきあってくださってたんだな。それが昨日今日の話じゃなくて、10年前からそうなわけで、それがすごいな。
そういや、この4回以外にも、電話でいろいろ用事をお願いしたことがありました。いつも
「柏葉さんのお宅ですか」
「はいそうですが」←メッチャローテンション
「あの、いつきです」←機嫌悪いのかなとおそるおそる
「おお、いつきちゃんか」←一気にテンションあがる
みたいな会話からスタートしてました。
やっぱ気に入られてたのかな。

それにしても、「おもろい人」が、またひとりこの世から去って行かれました。年上だからしかたないし、年下で「おもろい人」は、まだまだ少ないし、いても死にそうにないから、去って行かれるのは「年上のおもろい人」なのはあたりまえなんですけどね。
でも、さびしいな。
と、阿久澤さんから
「おもろいひとに、なろう」
と返事がありました。
「うん、なろう」
と返しました。次はわたしたちの世代の番ですね。
そして
「久しぶりに飲みましょうか」
と書くと
「飲みましょう」
ということになりました。
まずは飲むところからだな。