雨が降って

朝、スマホの警告音が鳴りました。なんだろうと思ったら、JRが運転とりやめなんだとか。てことは、今日のスケジュールはグダグダになるな。場合によっては夏のスケジュールもグダグダになるな。
てことで、急遽車で出勤です。行きは楽だなぁ。ちなみに、雨が降ると滑るのを警戒する人がいるけど、あまり警戒しません。雪よりはマシってのが、その根拠だったりします。まぁ、かつて高速道路でハイドロプレーニングになったことはあるけど、そんなには飛ばさないですからね(笑)。
もっとも、対向車線のトラックからドカンと水を浴びたときは、さすがに「おっ」とは思いました。
で、職場に到着すると、ほとんど人はいません。そうこうするうちにポチポチ来られて、職員朝礼。休校が決定しました。やはり、夏のスケジュールがグダグダになりますね。
さて、どうするか。まぁ、今日にしかできないことをするのが吉です。書類をつくってみたり、少し本を読んでみたり。そう言えば、去年の今ごろはこんな感じだったなぁ。

それにしても、自民党、ひでぇな。曰く
「道徳的にLGBTは認められない」
「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」
君たちの方が「理解を増進」しなくちゃならんだろう。てか、こういう人たちがつくろうとしている法律はろくなもんじゃない。しかし、完全にキリスト教右派の言い方ですね。山谷えり子議員の発言に至っては、ここに書くのがイヤになります。もっとも、そういう研修をしたという話もあるし、もう、なにがなんだかです。
しかし、自民党員の中にもトランスやレズビアン・ゲイはいるだろうし、もっと言えば議員の中にもレズビアン・ゲイはいるだろうと思うんですよね。いったいこれらの発言をどう思っているんだろう。まぁでもカミングアウトできないですね。
そうか、「カミングアウトしなくていい社会」だったわ。それは、差別者にとって都合のいい社会ってことですね。

多すぎる

昨日は「入管法改悪反対」の集会・デモがありました。たぶん、大阪の行動には友だちがたくさん行ってたんだろうな。でも、わたしは学習会があったから行けませんでした。
在日外国人教育にかかわっている限り、当然無視ができない問題です。が、動けない。他にも例えば「鳥取ループ裁判」にからんだことがあるけど、そして解放教育にかかわっている限り、当然無視できません。が、動けない。ウトロについても動きがあるけど、動けない。さらにトランスヘイトのこともあるし、LGBT差別についての法制化の問題もある。あるいはパレスチナのこともミャンマーのことも香港のことも、気になってるし声を上げなきゃならん話です。
あるいは、そもそも今の政権そのものに対しても声を上げなきゃなりません。改憲のことやオリンピックのこと。さらに、赤木ファイルのこともそうだし、とにかく、なにかやるたびに中抜きして私腹を肥やす構造がある。covid-19すらチャンスと考える人々に対しては、声を上げなきゃならんと思っています。
たぶん、他にもいっぱいある。ありすぎて覚えられない。
なんでこんなに多いんだろう。単にネットによって情報があちこちから入ってくるから多く思えるのか、はたまた実際に「底が抜けた状態」になっているのか。まぁたぶん両方なんでしょうね。そして、あまりの多さにグルグルしてしまうと同時に、自分自身のことで動きがとれなくて、それがなによりの問題です。動いてる仲間たちに「すまない」って思う気持ちもあるし、自分自身へのいらだちもある。
まぁ、こんなことを書いても誰も読んでないし(笑)、自分への備忘のようなもんですか。

そうそう。連載に新たにアップしました。
結局、脳みそのリソースを振り分けなきゃならんことが多すぎて、そうでなくても少ないリソースだからパンクしてるんだろうな。

長くやるもんだなぁ

今日は今年度の「当初面談」というのがあります。内容は管理職と面談をして、今年度の目標なんかについて話しあいます。で、年度末にそれに基づいて「勤務評定」がくだされるという、そのスタートですね。「勤務評定」の結果はボーナスに反映されるので、なんだかなです。
ただ、この当初面談、最近はグダグダです。ほとんどなにもない。というか、「後継者はどうする?」って話ばかりです。
「あのね。今やってることはそのまま次の人に渡すから、とりあえずはできるんですよ。ただ、それだけじゃダメなんです。例えば、リビングライブラリの10人のうちのひとりが都合が悪くなった時に、代わりの人を探せるかどうかってことです。もしも探せなかったら9人になり8人になる。それではだめなんです」
わかってくれたかなぁ。
「でね、代わりの人を探せるかどうかは、四六時中人権のことを考え、動いている人じゃないとダメってことです」
唖然としてますね。
「みんなクラブ、一生懸命やってるじゃないですか。放課後も土日も。それと同じです。放課後も土日も人権のことをやるんです。単にそれだけです」
あきれられました(笑)。
さらに、今年度は「来年どうする?」が入ってきました。どうするんでしょうね…(笑)。
はっきり言って、なぜこの歳になって、新たなことにチャレンジして、攻めの姿勢を崩さずに生きなきゃならんのか、ほとんどわからなくなってきています。だって、流れに任せたら、とりあえず生きていくことはできます。それでええやんと思わないわけでもない。でも、そう考えた瞬間、常に「でも、それでいいんですか?」という、あの言葉を思いだしてしまいます。
まぁそんな感じで生きているわけですが、面談の最後に支店長が
「あと5年、できればいてほしいなぁ(笑)」
と。マジか…。こういうことを言われる日が来るとはなぁ。
新採から3年目、当時の支店長とケンカしまくっていて強制配転くらいかけたわたしとしては、「隔世の感」としか言えません。
そう言えば、教員になって12年目、当時の同和部のMさんとFさんに「レポートを書け」って言われました。たしか、全同教かなにかにレポとを出そうとしたけどジャマされたかなんかの腹いせだった気がします。「タイトルは「桃栗3年柿8年、石の上にも10年」や!」って、タイトルまで指定されました。サルベージしたらあったので、アップしておきます。こんなこともあったんですよね。
まぁ長くやるもんだなぁ…。

これからは自分で→保留すること

今日は3時間のうち2時間がプリント学習です。なんでこんなにプリント学習が多いかというと、ひとつ単元が終わったらプリント学習をしてるからです。なんか、「試験前にまとめて」ってのの効果がわからなくなってきてるんですよね。もちろん、今のやり方をして定着するとも思えませんが…。
ただ、おもしろい発見はありますね。
例えば、xのyの1次方程式がふたつ出てきたところでとまってしまったグループがありました。
生「これ、どうするの?」
とりあえず、ふたつの式を黒板に書いて
い「これ、なんて言ったっけ?」
生「えーと、連立方程式?」
い「それ!どうやって解くんやったっけ?」
生「どうするんやったっけ」
い「なんか、数字揃えへんかった?」
生「あ!やった」
い「そやね、そのあとは?」
生「引く?」
い「そやね、いけたね。いけるいける!」
みたいな。
あと「(2+3i)+(3-4i)」と「(2+3i)(3-4i)」の区別がついた子もいました。よかったよかった。その子、「メモしとこう」ってノート出してたしね。よかったよかった。
で、午後はリハビリ。とうとう最終回です。思えば、病院での初リハビリは約1年前だったんですね。ほんとうにお世話になりました。おかげさまで、90°いけるかどうかだったのが、130°〜140°あがるようになりました。もちろん、完治したわけではないけど、とにかく「正しいあげかた」を心がけながら、どんどん使って、可動域が狭くならないように、できれば広がるようにしたいなぁ。

という日常生活をしてるけど、世の中はいろいろ動いてますね。LGBTをめぐるふたつの法律がせめぎあってるかと思ったら、野党案を取り込む形で与党案が出てきたり。まぁでもタイミングと考えてるんでしょうね。
それにしても、差別発言とかしまくってる人たちが「理解増進」って、どの口が言うねんというのが、率直な気持ちですね。さらに「差別禁止」=通らないって、どういうことやねんと。それ、自分の首を絞めるからやろうと。
まぁでも「部落差別の解消の推進に関する法律」「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」というふうに、すべて「差別の解消」なんですよね。禁止じゃなくて解消する。まぁそりゃ「なくす」わけだから正しいっちゃぁ正しいんだけど、いかにも「どこかにある差別をみんなの心がけでなくしましょう」という感じで、差別の現実とか実態とかが感じられない。そういう流れなんでしょうね。
それでも、例えば2006年に「障害者権利条約」ができて、2007年に日本は署名したけど、2013年までかけて法律を整備して「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」ができて、ようやく批准が承認されたのかな。安易に「タイミング」で動かず、きちんとしたものをつくるために、当事者もさまざまな動きをしたって聞いてます。で、「差別の禁止」が明文化されてる。
まぁでも、そういう分厚さはないよなぁ。

怒りに触れる

朝イチ、在日の生徒のオモニが来校されて、いろいろ話。その中で、来年度以降の話になったり。
「仕事がなかったらここにいます」
みたいな話をしていたんだけど、オモニ曰く。
「センセは現場の人やろ」
なんかうれしかったな。
もちろん、どこだって現場です。ただ、小・中・高は現場の中でも最前線です。教室は鉄火場です。オモニは「そこの人」って言ってくれたんだな。
そんな1日のはじまりでした。で、授業は滞りなく。てか、片方のクラスでは、もしかしたら人生で最後になるかもしれない「変態は世界を変える」の話をしてみたり。
あとの時間は連休明けの出張のための時間割変更に走りまわるなど。
今日の帰りはリハビリがあるので車です。ちょうど日本酒がなくなったので、行きつけの酒屋さんに行きました。当然のことながら
「たいへんですね」
と声をかけるわけです。すると、ふだんは穏やかなお兄さんが、いきなり吐き捨てるような口調になりました。
「1年間、なにをやってきたんや。あぐらかいてんのか。自民党なんてつぶれてしまえ」
そうだよな。去年のGWも緊急事態宣言で飲み屋は時短営業で壊滅的でした。でも、それでもお酒は出していた。そう言えば、東京の感染者数は30人とか書いていましたねぇ。そこから1年かけて、事態は悪化するばかりです。そして、今年のGWは酒類販売禁止です。お酒屋さんはつぶれてしまいます。
もう一軒の行きつけのお酒屋さん。
「倉庫にお酒があふれかえってるんですよ」
ちゃんとしたお酒は冷蔵庫に保管しなきゃなりません。だから、その保管はコストがかかる。
「みんな一升瓶とか、買わへんしねぇ」
え?買わないんですか…。
どうやら一升瓶はお店屋さんが買うらしく、たいていの個人客は4合瓶を買うんだとか。4合瓶って、呑みきりサイズだと思ってた^^;;。
みなさん、この状態はcovid-19のせいではなく、人災だと思っておられる。だからこそ、静かな怒りがそこにある。教育現場にはない、そういう怒りに触れることが現実を見ることにつながる。

読書感想文

先日、突然井谷惠子さんから「『オリンピックという名の虚構』を刊行した。献本したい」というメールが来ました。「へ?なんでわたし?」と思ったけど、オリンピックをジェンダーの観点で批判的にとらえる本は、もちろん読みたいので、ありがたくいただくことにしました。
で、もちろんいただいたら読まなきゃなりません。読んだら感想文を書かなきゃなりません。
ということで、読書感想文です。

とはいえ、ちょっとバタバタした毎日だったので、往復の電車の中で切れ切れに読みました。さらに、はじめの方は「オリンピック産業」にかかわる話で、あまりもドロドロのズブズブで、「まぁそんなもんだろうなぁ」という感じでした。
ただ、とてもおもしろいと思ったのが、あの本で一貫しているのは「スポーツ例外主義」という観点です。この「スポーツ例外主義」があるからこそ、経済的・法的・社会的に「例外」としてのスポーツが成り立ち、オリンピックが成り立っている。
そう考えたとき、学校の中にも「スポーツ例外主義」はあるよなと思うわけです。常識が通じない。「なぜ?」と問うと「体育は実技だから」「競技は男女別だから」「スポーツは規律が大切」とか、いろいろ出てきます。まぁだから上下関係がきっちりしていたり、体罰が起こりやすかったりするんだろうな。もちろん、みんながみんなそうなんじゃないけど、そういう構造があるってことです。
ちなみに、常識の通じなささでは、わたしもたいがいというか、下手するとわたしのほうがひどいわけですが(笑)、「なぜ?」と問われたときに「人権だから」とは言わない。きっと、人権とか差別とか言う言葉を使わずに説明を試みるんじゃないかな。
まぁいいや。
で、後半がおもしろいですね。とりわけジェンダーにかかわる話がおもしろい。
高アンドロゲン症の女性アスリートのことが、当然とりあげられるんですが、その背景には「正常な女性」観がある。その「正常な女性」は、白人女性なんですね。そこからはずれたひとつのモデルが高アンドロゲン症の女性である。だから、問題になる。てことは、そこにはジェンダーの問題だけでなく「人種差別問題」がからんでいる。
おぉ、インターセクショナリティ!
で、そことトランス女性排除の問題がからんでくる。
つまり、誰が正常な女性であるかということが、白人男性のまなざしを基準として決められる。そして、それを「女性」アスリートもまた支持する。なぜなら、白人男性のまなざしに「合格」したからこそ、女性アスリートとして活躍する場を与えられ、そこで優れた成績を残しているからです。そして、なぜそんなことが可能となるかというと「スポーツ例外主義」があるんですよね。
まぁこういう話を考えるにつれ、学校体育の問題とトランス女性排除の問題は根っこがつながっているんだなぁと、つくづく思いました。
とにかく、オリンピックとかスポーツとかへのまなざしが変わるという意味で、まさに「今」読むべき本のうちの一冊かなと思いました。

というのは、昨日の話。いや、読み終えたのが昨日で、それを考えたのが昨日から今日ってことです。
で、今日は今日で、「大人買いしたいな」と思っているマンガを探そうと、ちょこっと古本屋に入ったら、いきなりありました。

即買いです。
家に帰ってボチボチ読みはじめたけど、おもしろい!そして深い。校訓が「勤労・協同・理不尽」というのが、すごい。読み進めるのが楽しみなマンガです。

けっこうええんちゃうん

今日は朝イチリハビリ診察です。150日ルールが適用されたあとは、2週間に1回診察に行かなきゃなりません。ただ、それも今日を含め2回でおしまいです。
医「どうですか?」
い「こんな感じです」
医「ほう、だいぶあがるようになりましたね。115、120手前かな」
い「リハビリで正しい腕の上げ方を教えてもらえるのが助かります」
医「なるほど。じゃ、4月いっぱい正しい腕の上げ方を指導してもらってください」
てことで、今日の診察も終了。それにしても「正しい腕の上げ方」とか、考えようによってはマニアックやなぁ。そんなこと考えるの、友だちの中ではKっ川くんくらいかな(笑)。
で、ガッコへ。
今日は出張のない出張日なので、授業はありません。が、あれやこれやと事務仕事があることが判明。なんか、ウロウロしてるだけで午前が終わりそうです。
昼は昼で自転車通学者の登録とかあって、1時前にようやくおべんと。
おべんと食べ終わったら、昨日の感想文の入力開始。もちろん音声入力です。ただ、しばらくやったら6時間目にある避難訓練の放送セット。と、なにやらおかしなマイクがあります。なんだろと思ったけど、そうか。仮設のワイヤレスを小体育館においてるのか。
「それでこの間突然Yせんせいの声が大体育館に鳴り響いたのか」
とは体育教員の弁。そらあんた、周波数が一緒ですがな。てことで、ついでに周波数を変更してみたり。
避難訓練が終わってひと息ついたら、すぐに掃除カントクです。なんか、今年の掃除カントクの範囲、異様に広いぞ?まぁ、教職員数が減ったからそうなるのはわかるんだけど、それにしてもあんまりだな。掃除カントクが長くなったので、呼び出していた子は帰ってしまったか?めんどくさいな。
しかたないので、放送部室へ。今日から3日間、体験入部です。誰も来ないかと思いきや、ふたり来てくれました。入ってくれたら助かるな。
「そういや、明日、薬物乱用防止教育があるし、スクリーン吊りやって」
てことで、新入生を連れてスクリーン吊り。ところが、ギャラリーの下で部活やってる教員が
「スカートの中にパンツ履いてないと困る」
とのこと。なんでも気になるんだとか。放送部員は
「なんでやねん。気にするのがおかしい」
とか怒ってます。こいつら、真っ当なんだけど、この真っ当さがおかしく聞こえる世間だな。
「ほな、明日は見せパン履いてきてな」
とか言ってるわたしもおかしいかも。
そんなこんなで、4時前から再び作文入力開始です。
読んでた時は気づかなかったことがいろいろ出てきますね。
少なくない子が
「考えるだけではダメで、動かなきゃならないと思った」
って書いてます。もちろん、そういうふうに習ってきたんだろうけど、そしてそう書くのが正しいと知ってるんだろうけど、その「正しさ」を書けばいいことがわかる話だったんだとすると、やはりうれしいですね。さらに
「権利を奪われた人がいるということは、「助けて」という言葉に応える人がいなかったからだ。そして応えなかった中にはわれわれも入る」
みたいなことを書いてる子がいて、これまたすごいなと。
世界人権宣言の授業はすでにプレゼンがあるから、あれを使えば誰でも同じことができるはずです。が、ほんとうはできない。それは、あのプレゼンをつくる過程で、わたしの経験をまぜこんだし、さらにわたし自身の気づきがあった。だから、ところどころにエピソードを混ぜ込んでるんですよね。
「人権はだれか一部の政治家とか、人権を守られてない人を見た人がつくったと思ってた。でも、人権を守られてない人が声を上げ、それを見て一緒に動いた人がいたからできたとわかった」
って感想文がありました。たぶん、例えば女性の参政権の話もしたし、ヘイトスピーチ規制法の話もした。ヘイトスピーチの話をする時は、必ずカウンターの話をします。そこにはたくさんの仲間の写真があります。そんな人々を「カウンターの人たち」ではなく「仲間」として語ることが、さっきのような作文へとつながるんだと思います。
てことで、5時15分に入力終了。あとは新しい若い衆にまかせましょう。せっかくなので放送部室に行って
「すごいやろ、5時15分にガッコにいるぞ」
と言うと
「すごい!」
と言われるなど。さらに
「1年生に顧問のことを紹介するとき「5時15分まで学校にいるのを自慢しに部室に来るセンセ」って言わんとアカンやん」
とか言われて、納得するなど。
さぁでもそろそろ帰ろう。明日も忙しい。

なにもない土曜日

今日はなにもない土曜日です。久しぶりです。でも、昨年度に引き続き、今年度もこういう土曜日がけっこうありそうです。
てことで、早起きして、久しぶりにバイク仲間とくねくねしようかと思ったけど、起きられませんでした。いや、正確には目が覚めたけど、「もっと寝たい」という誘惑が勝ったということです。
とりま、猫の額で朝ごはん。

桜は、まだほんのりピンクが残っていますが、ほぼ終わりです。朝ごはんのあとはゆらゆらしながら読書でもしますか。

午前は日陰ということもあって、肌寒い。それにしても、このフリースの寝袋的なの、ぜんぜん暖かくない。
夕方、ちょっと走ろうかなと。相変わらず、30分走れるようになるのが目標です。結局32分ばっか走りました。平均1kmが5分45秒。ちょっと早くなってきました。帰ってきて筋トレ。その後体重計に乗ると、だいたいいつもの体重になっていました。が、油断は禁物です。てか、あと1kg絞ったら、いつものところにもどったことになります。

それにしても、「LGBT理解増進法」なぁ。
たぶん、「差別」の意味を取り違えている。差別は「人から人へ」じゃなくて、制度なんです。社会的な問題なんてす。規範と言ってもいいかな。つまり権利がないことなんです。同性婚が認められていないこと、あるいは手術しないと法的に自認する性別での扱いが受けられないこと、こういう状態にあることが差別なんです。なので、「理解」は差別の解消とはまったく違うってことです。そういうことをわかっていない人が「理解増進」とか言っている。もっとも、わかった上で、あえてやっている可能性も大ですがね。
まぁ、ただ、そういうのがまかり通るのは、やはり「人権学習」が「心の問題」になっていること、あるいは「人と人の関係」になっていること。そのあたりに原因があるんだろうな。かつて批判的に講演を聞いた時に、障害者差別の観点や法律の観点から意見が出されたけど、そういうところから「わたしたち」が学べていない。
明後日、なんとかカウンターパンチを出したいな。

配慮か?

今日の午前は新転任者のオリエンテーションです。かつて人権教育のセクションが独立していた時はここて話をしていたみたいです。が、今のセクションに併合されてからは話をすることがなくなりました。ただ、なんかそれはそれで腹が立ったので、「うちのガッコの人権教育の位置づけはそういうことなんやな」とネチネチといじめてあげたら、「忘れてた」とか言われて「だからな!」って言ったのは、もう5年ほど前のことです。今は位置づけられているのはいいのですが、逆に仕事を増やしてしまって「しもた!」と思ったのものの、後の祭りでした。
ちなみにこのあたりのことを昨日同僚に話すと
「はい、センセの負けー」
って言われたので、それはその通りだなと。
てことで、どんなことを話そうか…。
とりま、ゲンコを完成させて、そこから考えました。で、やったのは…。
ーーー
1.人権教育は人権学習とは異なるアンブレラ概念
2.人権教育は生徒を甘やかす?
3.それは違う。「厳しさの中に優しさを、優しさの中に厳しさを」。それぞれのキャラでふたつのバランスを考えてほしい。
4.具体的には?
5.子どもの話を聞く。「40人の子どもたちは、ランドセルの中に40の生活を詰めて学校に来る」。同じに見えるけど、生活背景はまったく違う。わたしたちにとって当たり前のことが当たり前ではない子どもがいる。
6.なぜそれをするかというと、わたしたちの仕事は子どもたちが幸せな人生を送れるようにすること。
7.「同和教育の総和は進路保障」
8.子どもたちが幸せな人生を送れるような進路保障にともにとりくみましょう。
ーーー
みたいな話を5分でやりました。いや、10分もらってたけど、前のふたりが時間オーバーするんだもん。

で、どうしようかと思ったけど、昼までの間に時間があるので、久しぶりに走ろうかなと。サッカー部の子らが練習してるまわりをぐるぐる。今日の目標は30分走ることです。で、1kmを6分40秒くらいのスローペースで、とにかく走りきりました。
そのあとは補強です。これも20回5セットやってたのを15回5セットに減らしました。とにかく継続しましょう。
と、去年授業を担当した某クラブのマネージャーが通りかかりました。
マ「センセ、トレーニングしてるの?」
い「うん、春休みに2キロ太ったんやわ」
マ「全然大丈夫やん」
い「いや、アカン、ショックやねん」
マ「センセはかわいいから大丈夫」
えーと。これはきっと喜ぶべきなんやろな。まぁ、女子同士の会話は「褒めあうこと」とは聞いてるからこその「褒め」なんだろうけど、ただ、だとすれば「褒め」の対象は「女子」ってことで、その対象足りうると認定されたってことか?まぁ配慮やろなぁ(笑)。でも、個人的には、文科省があげた事例通りの「型にはまった」配慮よりは、こういう個人間の即興の配慮のほうがうれしいな。

午後は研修会です。長い。疲れた。しかも、明日も会議やん。
まぁそれでもうちのセクションの長は飛ばしに飛ばして30分繰り上げて研修会終了。優秀やな。
研修から帰ってきたら、ゲンコへの返事が返ってきてました。そうか、狙いはそこだったか。難しいな。ただ、自分にしかわからない風景はあるのかな。きっと自分史本の続編としての「人権教育版」がほしいのかな。
まぁ、やってみますか。自分にとってもいい経験です。
てことで、定時になったから帰りますか。うわ、雨やん…。

採点の祭典→震災から10年

先週に担当教科の試験がありましたが、ずっとパタパタしてたので採点ができませんでした。唯一チャンスはおとついでしたが、おとついは若手教職員研修が盛り上がったので、採点する気分じゃなくなって、そのまま「梅が散らなかったメール」をもらったのでした。幸い、今日は試験返しのコマが入ってないので、今日を「採点日」と決めてました。
てことで、採点の祭典開始です。とはいえ、そこは数学です。ひとクラス1時間半で終わってしまいます。他教科の教員にもうしわけないです。
それにしても、学年末試験って、採点中に思わず声が出てしまいますね。
「なんで、下端ー上端にしてんねん!」
とか
「ふぁ?2を積分して、なんで2のまんまやねん!」
とかね。
面積の計算は2次方程式が解けないとできません。しかも、x^2の係数がマイナスになることが多いです。そうなるとできなくなります。
「しもた!ここでひっかかるか…」
って声が出てきます。
それでも採点を終えて、ノート点検→平常点の計算です。ここでまた、
「おわ!こいつ、プリントの日に限って欠席してるやん!」
とかいうことになったりします。
まぁ、波乱万丈なのが学年末の成績処理ってことです。そんなこんなで午後のはじめまでかけて、成績処理がすべて終わりました。
うーん、こいつらビミョーやな。みんな、トータルであと10点。各定期テストで、1問たくさん正解があればビミョーじゃなくなるんですが、あえてビミョーにもってきているとしか思えないほどにビミョーです。あとは成績会議しだいですね。

午後はリハビリ。新しい作業療法士さんは、肩にひねりを入れたり、上げる方向をビミョーに変えたり、バリエーションが豊富です。たぶん、前の作業療法士さんがひたすら腕を上げてストレッチしまくってくれたおかげで肩関節に余裕ができて、その土台の上にバリエーションがあるのかな。たしかに肩の可動範囲は広がってる気がします。もうひとがんばりするためには、自己練習が必要なのかな。サボってるからなぁ。

夜、ビールを飲みながらテレビを見ると、当然のことながら「震災から10年」特集です。
いつになく違和感があります。
例えば、阪神・淡路大震災の時ってこんなにいろいろあっただろうか。いや、テレビの特集はあったかもしれないけど、国が式典とかしただろうか。あるいは熊本大地震は?震災じゃないから無視?ことさらに東日本大震災に焦点化する背後になにがあるのか、とても気になります。
そしてもうひとつ気になるのが、↑みたいな感想を言わせない「空気」です。まさに「震災から10年」を追悼しなければならない「空気」です。
もちろんわたしは当事者じゃないのでわかりませんが、たぶん被災者の人や震災で大切な人を亡くした人って、「節目」で思い出すんじゃなくて、日々の生活の中で、ふとした時に「不在」を感じるんじゃないかと思うのです。それに対して、「節目」を設定することによる「震災のイベント化」は、そういう「日常感じる不在」を隠蔽してしまう。つまり、わたしたちが、被災者や震災で大切な人を亡くした人の「日常」に思いを馳せる想像力を奪ってしまう。そんな作用があるんじゃないかと思うのです。
そしてなにより原発です。原発を震災の「ひとコマ」にしてしまうことで、原発は相対的に扱いが小さくなってしまう。例えば「震災で亡くなった人」に焦点化することで、「人とは異なる」あるいは「構造的な」原発は相対的に扱いが軽くなる。そうやって、原発の問題を隠蔽していく。
そしてその先にあるのは「復興五輪」です。そういうプロパガンダの一環としての「震災から10年」というイベントであるように思えてしかたない。そしてそのイベントに、誰もが善意で参加する。参加しない人は「非国民」とみなされる。そうやって「正しい国民」が構築されていく。
なんか、そんな気がしてならない「震災から10年」の夜でした。