配慮か?

今日の午前は新転任者のオリエンテーションです。かつて人権教育のセクションが独立していた時はここて話をしていたみたいです。が、今のセクションに併合されてからは話をすることがなくなりました。ただ、なんかそれはそれで腹が立ったので、「うちのガッコの人権教育の位置づけはそういうことなんやな」とネチネチといじめてあげたら、「忘れてた」とか言われて「だからな!」って言ったのは、もう5年ほど前のことです。今は位置づけられているのはいいのですが、逆に仕事を増やしてしまって「しもた!」と思ったのものの、後の祭りでした。
ちなみにこのあたりのことを昨日同僚に話すと
「はい、センセの負けー」
って言われたので、それはその通りだなと。
てことで、どんなことを話そうか…。
とりま、ゲンコを完成させて、そこから考えました。で、やったのは…。
ーーー
1.人権教育は人権学習とは異なるアンブレラ概念
2.人権教育は生徒を甘やかす?
3.それは違う。「厳しさの中に優しさを、優しさの中に厳しさを」。それぞれのキャラでふたつのバランスを考えてほしい。
4.具体的には?
5.子どもの話を聞く。「40人の子どもたちは、ランドセルの中に40の生活を詰めて学校に来る」。同じに見えるけど、生活背景はまったく違う。わたしたちにとって当たり前のことが当たり前ではない子どもがいる。
6.なぜそれをするかというと、わたしたちの仕事は子どもたちが幸せな人生を送れるようにすること。
7.「同和教育の総和は進路保障」
8.子どもたちが幸せな人生を送れるような進路保障にともにとりくみましょう。
ーーー
みたいな話を5分でやりました。いや、10分もらってたけど、前のふたりが時間オーバーするんだもん。

で、どうしようかと思ったけど、昼までの間に時間があるので、久しぶりに走ろうかなと。サッカー部の子らが練習してるまわりをぐるぐる。今日の目標は30分走ることです。で、1kmを6分40秒くらいのスローペースで、とにかく走りきりました。
そのあとは補強です。これも20回5セットやってたのを15回5セットに減らしました。とにかく継続しましょう。
と、去年授業を担当した某クラブのマネージャーが通りかかりました。
マ「センセ、トレーニングしてるの?」
い「うん、春休みに2キロ太ったんやわ」
マ「全然大丈夫やん」
い「いや、アカン、ショックやねん」
マ「センセはかわいいから大丈夫」
えーと。これはきっと喜ぶべきなんやろな。まぁ、女子同士の会話は「褒めあうこと」とは聞いてるからこその「褒め」なんだろうけど、ただ、だとすれば「褒め」の対象は「女子」ってことで、その対象足りうると認定されたってことか?まぁ配慮やろなぁ(笑)。でも、個人的には、文科省があげた事例通りの「型にはまった」配慮よりは、こういう個人間の即興の配慮のほうがうれしいな。

午後は研修会です。長い。疲れた。しかも、明日も会議やん。
まぁそれでもうちのセクションの長は飛ばしに飛ばして30分繰り上げて研修会終了。優秀やな。
研修から帰ってきたら、ゲンコへの返事が返ってきてました。そうか、狙いはそこだったか。難しいな。ただ、自分にしかわからない風景はあるのかな。きっと自分史本の続編としての「人権教育版」がほしいのかな。
まぁ、やってみますか。自分にとってもいい経験です。
てことで、定時になったから帰りますか。うわ、雨やん…。

採点の祭典→震災から10年

先週に担当教科の試験がありましたが、ずっとパタパタしてたので採点ができませんでした。唯一チャンスはおとついでしたが、おとついは若手教職員研修が盛り上がったので、採点する気分じゃなくなって、そのまま「梅が散らなかったメール」をもらったのでした。幸い、今日は試験返しのコマが入ってないので、今日を「採点日」と決めてました。
てことで、採点の祭典開始です。とはいえ、そこは数学です。ひとクラス1時間半で終わってしまいます。他教科の教員にもうしわけないです。
それにしても、学年末試験って、採点中に思わず声が出てしまいますね。
「なんで、下端ー上端にしてんねん!」
とか
「ふぁ?2を積分して、なんで2のまんまやねん!」
とかね。
面積の計算は2次方程式が解けないとできません。しかも、x^2の係数がマイナスになることが多いです。そうなるとできなくなります。
「しもた!ここでひっかかるか…」
って声が出てきます。
それでも採点を終えて、ノート点検→平常点の計算です。ここでまた、
「おわ!こいつ、プリントの日に限って欠席してるやん!」
とかいうことになったりします。
まぁ、波乱万丈なのが学年末の成績処理ってことです。そんなこんなで午後のはじめまでかけて、成績処理がすべて終わりました。
うーん、こいつらビミョーやな。みんな、トータルであと10点。各定期テストで、1問たくさん正解があればビミョーじゃなくなるんですが、あえてビミョーにもってきているとしか思えないほどにビミョーです。あとは成績会議しだいですね。

午後はリハビリ。新しい作業療法士さんは、肩にひねりを入れたり、上げる方向をビミョーに変えたり、バリエーションが豊富です。たぶん、前の作業療法士さんがひたすら腕を上げてストレッチしまくってくれたおかげで肩関節に余裕ができて、その土台の上にバリエーションがあるのかな。たしかに肩の可動範囲は広がってる気がします。もうひとがんばりするためには、自己練習が必要なのかな。サボってるからなぁ。

夜、ビールを飲みながらテレビを見ると、当然のことながら「震災から10年」特集です。
いつになく違和感があります。
例えば、阪神・淡路大震災の時ってこんなにいろいろあっただろうか。いや、テレビの特集はあったかもしれないけど、国が式典とかしただろうか。あるいは熊本大地震は?震災じゃないから無視?ことさらに東日本大震災に焦点化する背後になにがあるのか、とても気になります。
そしてもうひとつ気になるのが、↑みたいな感想を言わせない「空気」です。まさに「震災から10年」を追悼しなければならない「空気」です。
もちろんわたしは当事者じゃないのでわかりませんが、たぶん被災者の人や震災で大切な人を亡くした人って、「節目」で思い出すんじゃなくて、日々の生活の中で、ふとした時に「不在」を感じるんじゃないかと思うのです。それに対して、「節目」を設定することによる「震災のイベント化」は、そういう「日常感じる不在」を隠蔽してしまう。つまり、わたしたちが、被災者や震災で大切な人を亡くした人の「日常」に思いを馳せる想像力を奪ってしまう。そんな作用があるんじゃないかと思うのです。
そしてなにより原発です。原発を震災の「ひとコマ」にしてしまうことで、原発は相対的に扱いが小さくなってしまう。例えば「震災で亡くなった人」に焦点化することで、「人とは異なる」あるいは「構造的な」原発は相対的に扱いが軽くなる。そうやって、原発の問題を隠蔽していく。
そしてその先にあるのは「復興五輪」です。そういうプロパガンダの一環としての「震災から10年」というイベントであるように思えてしかたない。そしてそのイベントに、誰もが善意で参加する。参加しない人は「非国民」とみなされる。そうやって「正しい国民」が構築されていく。
なんか、そんな気がしてならない「震災から10年」の夜でした。

見つからない

3学期がはじまった先週はなんやかんやとあって、ずっと車通勤でした。なので、今朝は久しぶりの電車出勤です。緊急事態宣言が出てどうなってるかなと思ったけど、たしかに人は少ないかな。でも、4月みたいにガラガラというわけではありません。印象としては学生が少ない気もしますね。
で、出勤して、今日はのんびりの水曜日。まずは6時間目の「国際理解教育」の放送機材の準備からはじめようと思ったら、とんでもない水曜日でした。なんでも、担任さんがしばらく休むことが決まったらしく、副担任のわたしに担任がまわってきました。てことは、朝イチのスケジュールがガタガタになるってことです。
基本的にはガッコってのは全員が出勤してることが前提で設計されてます。例えば定期的な出張とか通院がある場合は、時間割もそこをあけて組んでもらってます。そこをあけてるということは、他のところに固まったりするので、ますますその時間は「いる」ことが前提になって、全体的には「休んでない状態」が前提になります。そこでひとり休むとジャグリングがはじまります。特に担任の場合はそれが顕著です。副担任が担任にまわる。すると副担任が本来やっていたところがあいてしまう。そこを誰かが穴埋めする。あるいはホームルーム中にやってる会議が成立しなくなるので、会議を別のところに設定しなくちゃなくなる場合もあります。すると、そのセクション全体に影響が出てくる。まぁこういう感じになります。
てことで、朝イチのホームルームに行って、機材準備をして、職員室にもどったら、名簿をつくって、6時間目のロングホームルームの最初と最後をフォローしてくれる人を探して…。
そんなことをやってる合間に授業して、昼休みは放送セット。5時間目におべんと食べて、すぐに講師さんと打ち合わせ。6時間目はロングホームルーム。
という1日でした。ひでぇ。
まぁ、「学校を動かす」ということは、こういうことです。これであと2〜3人休むと破綻するなと思うのですが、みんなでフォローしあってなんとかしちゃうから、みんなそんなことに気づかないんだよな。

放課後は1時間年休をとって前のおべんきょ場所へ。この間お願いした本が届いたとのことです。ありがたい。
帰りの電車を待ちながらパラパラと読んでると、使えるのは使えるんだけど、英語だしきついなぁとか。もう一冊は日本語訳だけど、こちらは完全な医学書です。うーん。
で、夜は学生さんのインタビュー。なんでも東九条マダンについて調査をしていて、わたしの話を聞きたいんだとか。わたしとしても興味があったので受けることにしました。まぁどうせ今日はおべんきょになりませんからね。
てことで、わたしなりの東九条マダンというか、東九条とのつながりを話してみました。ちなみに学生さんの指導をしてるのは片田孫晶さんです。インタビューを依頼されたのも、引き受けたのも、この人の影響が大きいですね。
インタビューが終わってから、パラムの会について話すのを忘れてたので、急遽「ほっこりカフェ」で追加インタビュー。でも、8時閉店なので、さっくり終っておうちに帰りました。

それにしても、あれを読むのか…。きついな。
というか、5の手がかりがイマイチ見つからないんだけど、どうしたものだろう…。

そこまで来てる

今日は午後から出張です。なので、午前は年休をとっておべんきょです。
それにしても、今さらながら仕事しながらおべんきょするのはきついってわかりました。そういや、休職したとか、ちょうど無職だったとか、あとはおべんきょが仕事だとか、そんな人ばっかりでした。ひとりそうじゃない人もいたか…。
まぁそれでもわたしは恵まれてますね。なんとかここまではやってこれた。
てことで、4の最終点検。まぁまぁまぁ、こんなもんかと。マーカーは入ってますが、そこの修正案はなにかの拍子に出てくるでしょう。
てことで、5へ。ここはもっと書かなきゃならないらしいです。なにが参考になるだろうか。わたしがやってることは、藤田由美子さんとか片田孫朝日さんとかと共通するところがあるので、そのあたりを読んでいるとキーワードにぶつかりました。あちゃぱ。なんで気がつかなかった?やばいな。英語文献じゃん。あわててどこかにないか調べると、ラッキーなことに前のおべんきょ場所にあることが判明。まぁ当たり前なんですけどね。なかったらおかしい文献です。なので、センセにメール。すると「なんとかする」とのお返事。ありがたや…。
ついでにレビューを読んでると、あちこちに必要な本があるので、これは買おうと。てことで、古本で何冊か注文しました。だって、高いもん。もちろんおべんきょ場所に頼めばお金は少しは出してもらえるけど、時間と交通費を考えたら、注文するほうが安いです。
あとはいろいろ考えながら本を読んだりペーパー見たり。そんなことをしてると、あっという間に出なきゃいけない時間になりました。
とりまおにぎり握ってボトルにお茶を詰めてスタート。行きの電車でもぐもぐ。昼とはいえ、たしかに乗客は少ないです。

午後は京都府最南端あたりで会議です。
いろいろ報告事項があったあと、今年度の残りの会議の話。
なんというか、covid-19の感染は、ほんとに身近なところに来てるんですね。まぁ昨日も同僚の知り合いの知り合いあたりが感染したみたいで、「休まなきゃなりません」みたいな話がありました。これが、例えば「同僚の知り合い」まできて「同僚」までくる。あるいは「生徒の家族の同僚」が「生徒の家族」まできて「生徒」までくる。そうしたら、次は「わたし」です。で、「わたし」になったら「わたしの家族」「わたしの家族の同僚」となって、「わたしの家族の同僚の家族」となる。
だいたいが、あれだけ狭い場所に1000人くらい集まって、しかもその中で動くことが前提のシステムになってるんだから、その中でどれだけ動きを抑えても感染は広まりますよ。誰かが「学校はハブだ」って言ってたけど、たぶんそうです。
ちなみに、この状態だと教員はエッセンシャル・ワーカーなんだと思うけど、まぁそうは見られてないだろうな。
学校を休校にしないのは、たぶん去年批判をあびたからだろうと思います。あと、遠隔授業のシステムもないしね。そういう意味では、学校って極めて原始的なシステムですからね。まぁ、一部の学校ではかなりシステムは整ってるらしいけど、それは「そういう学校」のことであって「こういう学校(笑)」ではない。
てことで、感染ってことを身近に感じながら毎日を送らなきゃならん状況になってるなとは思います。が、どうしようもない。
もちろん「休めばいいじゃん」って話なんですけどね。まぁそんなときに「福島からの自主避難者」のことを思い出すわけです。

まぁそんなことを考えながら会議は終了。
家に帰って、少し調べものをしたら、毎月恒例の会議の時間になりました。今回は全員がzoomです。たしかに効率的だし動かなくていいから楽ですね。そして「呑み」がないから身体にも優しい。が、「なにか」を削ぎ落としてる気がするわたしは、きっと原始的なシステムの人間なんだろうな。

昔の日記を思い出す

今日は1日こもりんです。ひたすら4を考えます。ほんとうは先週終わっていたかったんだけど、しかたありません。でも、今やってるところを突破したら、その次は動くはずです。5についても、頭の中にはかなりできている。とにかくやらなきゃ。
それにしてもAさん、すごいな。データを読めば読むほど、すごい実践をしています。そして、よくまわりを観察している。もちろん、そこにはバイアスが入っていることは織り込んでの話ではありますが、でもすごい。そして、その観察とか実践の語りを通して、Aさんのまわりに起こっていたことを、Aさんがどう解釈していたのかがわかる。それが5につながる。
ただ、5を書くためには「巨人」が必要です。おとついはわからなかったけど、実はきのうダメダメ先輩からヒントをもらいました。たぶんそのあたりだな。「巨人」のうちのおひとりに一度聞いてみよう。
ちなみにAさんの実践がわかって、自分がこの世界をどう見ていたかが理解できました。ただ、たぶんこの見え方は、なかなか理解してもらえないだろうなぁ。いや、「微細な差異に敏感」であれば、異なるケースとして理解できるかも。
ということで、こたつとトイレを往復する1日でした。

で、夜にテレビを見ていてふと気になったこと。
たぶん小学生くらいの子かな。調味料博士みたいな子が出ていて、世界の調味料300種類くらいを使いこなして、いろんな食事の味を「きめ」まくっていました。おもしろいなと思いながらも「あれ?」と思いました。
わたしたちは、何を食べているんだろう。食材の味を楽しんでいるのか、調味料の味を楽しんでいるのか。
そこでふと、かつて上の子どもに言ったことを思い出しました。たしか日記に書いたはず。
ありました
なつかしいな。東ジュンさんどうしてるかなぁ…。まぁここは見てないか。
てか、そこを6日ほどさかのぼったら、自分の人生を変えるような出来事があったりして、それはそれでおもしろい。

使いにくい

長いような短いような1週間も今日でおわりです。金曜日は授業のすき間の時間があるから、おべんきょを少しでもすすめようかと思ったけど、職場では無理ですね。集中できない。まぁ長期的に見たらどうせ仕事もあるし、そちらをやりますか。
ということで、あちこち連絡をとったり、月末へ向けて仕事をしたり。

それはそれでいいのですが、最近授業のしかたを完全に変えました。
年末から電子黒板を使いはじめて、投影の方法を変えました。が、年が明けて黒板に投影したらやっぱり暗い。なので、泣く泣くスクリーンを使うようになりました。まぁそれはそれでやり方はあるみたいです。
問題は、apple TVを使ってるので、mac系からしか投影できない。しかたないので、官給品のipadを使っていましたが、これはこれでいちいち借りに行かなきゃならないのでめんどくさい。そんなところ、ひょんなところから使ってないipadがあるとのことで、個人的に借りることができました。
問題は、どうやってデータを移すかですね。官給品の場合クラウドが使えなかったので、自分が借りているサーバーにpdfのデータをあげてsafariでそれを表示させてダウンロードという、わけのわからんことをしていました。が、個人持ちになったので、クラウドで同期すればいいか。
ということで、同期したのはいいのですが、ついでにjpegデータを加工したいなと。なので、そういうアプリをダウンロードしてみて、いざデータを開こうとしたら、ない。そうか、ipadって、単にデータを持ってきただけじゃダメなんだ。それをアプリに紐付けしないと行けないんだ。めんどくさい。
さらに、自分のタブレットがあって、ぷらすipadは重い。タブレットはペーパーを読むために買ったので、そのデータをコピーできたらいいわけです。てことで、データをコピー。いつも使っているpdfリーダーのiOS版があるのでそれもインストールして。はい、データを認識しません。これも紐付けしないとダメなのね。
android版だったら、アプリ側からフォルダを指定したら認識してくれるのに、iOS版はそもそもそういう機能がない。なんでもitunesを使えと。
itunesはイヤな記憶しかありません。当時ipod miniを使っていましたが、とにかくPCとつなぐと勝手に同期をする。こちらは必要なものだけを転送したいし、転送済の不要なファイルはPCでは使わないから消したい。なのに同期されてしまう。こんなタコな仕様はイヤだと思っていたら「I氏のつぼ」というものすごく便利なソフトがあったので、それを愛用していました。そう言えば作者のブログも愛読してたなぁ。
そんなこんなで、itunesは使いたくない。てか、たぶん使おうと思ったらapple idを統一しなきゃならない。いくら使ってもいいといわれても、借り物のipadなので、それはめんどくさい。なので、貸してくれた人のmacとご対面する日まで断念です。

てことで、やはり「野良」なわたしは、データ用のディレクトリを自分でつくって、ファイラーでデータを転送して、ソフト側からディレクトリを指定してという形で、すべてを自分で設定する方がいいですね。
とにかくipadは使いにくい。

転換点

今日はのんびり金曜日。もちろん気持ちは焦りまくっていますが、時間割はのんびりです。ただ、1時間目に卒業生がインタビューにやってきます。それまでにいろいろ雑事は片づけましょう。
で、9時にインタビュー開始。まずは
「録音しないの?」
からスタートです(笑)。まぁそれはするつもりだったからいいとして。
「インタビューの作法、学校で習った?」
と聞くと
「習ってないです」
とのお答え。まぁ、研究機関じゃないからいいのかもしれないけど、写真も撮るし、ちょっとアレやなぁ。てことで、倫理申請のこととか、その際公開範囲をどのあたりで考えているのかとか、いろいろ話をしてみたり。あとは、ダラダラとインタビューに答えてみました。それにしても「人生の転換点ってなにでしたか?」とか、答えようがないほどたくさんあるのを聞かれたり。たぶん、「人生の転換点っていうのがあって、それがあったから今の人生がある」みたいなストーリーがあるんでしょうね。でも、少なくともわたしの場合、それはない。ないと言えば語弊があるか。ありすぎる。つまり、常に転換点の連続だったので、そしてこれからも転換点の連続だろうから「これ」ってのはないんですよね。
まぁ、そんな話のあと、何枚か写真を撮ってもらって、インタビュー終了。
で、授業。
相も変わらず私語があるんだけど、今朝ふと思ったことを話してみました。
「私語をしている人って、私語をしていると思っていないんじゃないかなぁ。それをあまりにも自然な行為と思っているから、私語をしている認識がない。すると、私語を注意されても、それが自分だとは思わない。だから、私語をする」
どうすりゃいいんだか…。
あとは来週のプリントの準備をしたりして、あとはインタビューの読み込みです。
インタビューはおもしろい。今日も新たな発見があります。が、それを文章に落とし込めるかどうかですね。それがむずかしい。
ということで、久しぶりに定時に退勤。いや、最近出張とかリハビリとか年休とかで、定時にいませんでしたからね。
で、家に帰って5.3.をやっつけます。昨日やっつけたところの続きから。今日はふたりのデータから、それぞれの「転換点」を探ります。まぁ、この歳になると転換点は山のようにあったなぁと思うんだけど、データの人々は,ある程度転換点は明確です。が、その転換点で何をして、何が起こっていたのかは、その気になって読み込まなきゃわかりません。すると、だんだんと浮かびあがってきました。そうか!「棍棒を練るみたいな人」人なんだ!
ただ、これをどう使うかがわからない。うーん、今日はやめよう。きっとふとんの中にいたらコロボックルさんが来てくれる。

謝ったり意見を言ったり

今日はとある事情で5時過ぎに起きて、6時前に家を出て、職場に着いたのは6時半過ぎ。さすがに職場にはあまり人がいません。が、いる。こんな時間に出勤してるのはおかしいよ。
始業まで2時間弱あるので、いろんなことができます。まずはブログか(笑)。その次は…。センセにメールかな。この間センセにメールしたけど、あれ、完全におかしかったです。なぜおかしかったかというと、脳みその励起状態があまりにも長く続いていて、完全にトリップしてました。たぶん読んだセンセも「こいつ、おかしい」って思われたんじゃないかな。返事がありません(笑)。
てことで
ーーー
先日は、わけのわからないメールを送ってしまい、すみませんでした。完全に脳みそがオーバードライブしていました。
論文の目的ですが、とても大切なことをまず言わなきゃならないことがすっかりとんでいました。
ーーー
というメール。
やはり深呼吸が大事です。てことで、3を再びリライトしようと思ったけど、アカン、雑務が先です。
なにせ今日は午前に授業が3コマ+午後は研究授業の参観&合評会です。研究授業なぁ、しかも合評会なぁ、しかも本店からえらいさんが来るのかぁと思うのですが、しかたないです。ノルマです。

今日の授業は、実は楽(笑)。ほとんどプリントです。なので、3・4・5をチラチラ読みながら、質問に来た子に教えるなど。
午後の研究授業は、いつもの通り前から見ます(笑)。はじめは違和感があるかもしれないけど、気配を消すのは得意なので、すぐに慣れるでしょう。それにしても元気な教員やな。
合評会では全員がひとこと言うらしいので、
「感想が2つと質問が2つと意見が2つあります」
と前置きして
ーーー
感想1、生徒がマスクしてるとあくびが見えないからやりにくいね
感想2、ずっとしゃべってたね
意見1、数学って、教員が知ってることに気づかすわけで、それってたんにもったいぶってるだけやんって自己嫌悪に陥りながら授業してるねん。さっさと結論言えばいいのにね。それでも「気づき」を生徒に経験させたいなら、その授業のどこに「気づき」を設定するかが大切なんとちゃうかなぁ。問題を解くための「発想」なのか、その発想をふまえた「解き方」なのか、はたまた他のところなのか。
意見2、ずっと「この問題は難しい」と言い続けてたけど、「これ、わかれば簡単」という言い方もあるよね。対象にもよるけど、どっちがいいのかな。
ーーー
みたいな話。まぁどーでもいい話です。てか、数学なんてわからんし(笑)。だから数学教員らしくないことを言わなきゃね。
合評会が終わったらリハビリ。
その後家に帰って、帰りに買ったあん肝を蒸してみたり。これ、うまそうだわ。
おっと、zoomの取材の時間です。30分ほど学部生さんと話。さぁ、おべんきょだ!1時間ほどおべんきょして、さぁビール…。アカン、仕事持ち帰ってたの、忘れてた(;_;)。まぁええか。9時前まで仕事して、ようやくビールです。
と、メールチェックしたら、せんせから返事が来てました。
ーーー
そのぐらい、頭がぶっ飛んで書き直しが進むと、きっと良い論文になります。
楽しみにしています。
ーーー
さすがやo(^^)o。

「熱と光を求めて ―水平社創立の思想に学ぶ―」とか

今日は午後から某人権教育研究会の大会です。とは言え、例年は分科会にわかれるのですが、今回は全体会の講演とレポート発表です。どうなることやら。
とりあえず、授業変更して、しかも2コマ目は最後の10分を他の人にお願いして、駅まで走ってなんとか大会に間にあいました。
記念講演は駒井忠之さん。タイトルは「熱と光を求めて ―水平社創立の思想に学ぶ―」です。ちなみに、駒井さんとは6年前にご一緒させていただきました。
話の内容は…。おもしろい!
水平社といえば朝治さんだったりするわけですが、駒井さんもすごいなぁ。曰く
「水平社創立宣言の中には「差別」という言葉は1回も出てこない」
「「人間」という言葉が10回でてくる」
なんていう話は、なんで気がつかなかったんだろうと。でも、それに気づくことが研究者なんでしょうね。
あと、結論がおもしろい。簡単に言うなら「差別しちゃいけない」という否定ではない語り方をどのようにしていくかということです。それが水平社創立宣言の「差別」という言葉がないという話とつながるわけです。じゃぁなんだというと、そこで出てくるのが「カミングアウト」だったりするわけです。このあたり、渋谷で話した内容とも関係が出てきます。
もちろん、水平社創立宣言の「穢多であることを誇りうるときが来たのだ」という、カミングアウトする側の問題もあります。ただ、駒井さんの話でおもしろいなと思ったのが、筒井康隆の断筆に寄せて書かれた坂田明さんの「長谷川きよしさん」にまつわる話だったりします。視覚障害の長谷川きよしさんに「ここ、暗いから気をつけろよ」と坂田さんが言う。すると長谷川さんが「オレ、小さい頃から暗いの得意なんだ」と返す。そういう関係ですね。ちょうどこの間の「オレ、inpairment」って話とリンクするかな。
で、大切なのは、そういう話って、実は最初に「ボケ」ないとあかんわけです。で、いわゆる被差別の側にある人にボケるのはけっこうハードルが高い。じゃ、なぜハードルが高いかというと、そこには差別被差別の関係が横たわっている。もう少し正確に言うと、「ボケ」側が越えなきゃならない「差別の社会構造」があるわけです。このあたりが「本名を呼び名のる」って話と結びついてくるのかな。
そんな感じの、いろんな刺激のある話でした。
当然のことながら、終わってから控え室に突入。あいさつさせていただきました。

後半はレポート。
中学校のレポートですが…。がんばってはるのはわかります。てか、すんごいたいへんだったんだろうな。でも、保護者と本人しか出てこないレポートは人権教育研究会のレポートじゃないんだよな。なので「クラスの日常会話の中でAさんの話題って出ましたか?」という質問をしようと思ったのに、あててもらえませんでした。やれやれ。
高校のレポートは、本来はサポーターとして発現しなきゃならなかったんだろうけど、ついつい「指摘」にまわってしまったり。まぁセクシュアリティネタなんでしかたないです。にしても「悩みを抱えている」という感覚なんだよな。うーん。
大会が終わってから、何人かの人に「中学校のレポートに何を質問しようとしてたのかがメッチャ知りたかった」と言われて、思わず内心笑ってしまいました。そんなにわたしの質問が気になるのか(笑)。そんなことを考えるみなさんが考える質問と同じですよ。なので、「クラスの日常会話の中でAさんの話題って出ましたか?って聞こうと思いました」って言ったら「だよねー」って顔されました。みんな気になってたんだ。
たぶん、それどころじゃない、ものすごくしんどい状況の子に「寄り添った」実践なので、もしかしたら「クラスとかいう話じゃない」ってことなのかもしれません。いや、たぶんそうだったんでしょうね。でも、それでもそこに活路を見いだすのが人権教育なんだと思うんですけどね。

ということで、大会も終わったので、京都駅までもどって「当事者研究系」の人たちと、今年度も無事ペーパーを出せたことを祝って呑み。よく食べよく呑みよくしゃべり、メッチャ楽しい時間を過ごしました。
さて、明日はがんばろう。

底が抜けてるな

今日は午後から会議です。なので、午前はすっぱり年休とっておべんきょです。昨日から読みはじめた本、なかなかおもしろいです。ただ、ほんとはもっと前に読んでなきゃならない本だし、今ごろ本を読んでたら間にあわない気がするけど、どこでどう使うかを考えながらの読書なのでよしとしましょう。
で、午後の会議では多様性ワークの実演をしてみるなど。おもしろがってくれる人がいたのがうれしいです。そうそう、世界人権宣言のスライドを他校の人が使うとか。これもうれしいです。
かつて、20年くらい前は、1年生の1学期は「障害」を扱ってました。個人的には、それはそれで最先端いってるなって思います。というのは、インクルーシブ教育って、今はかなり包括的な概念なんで、障害を切り口にしながら「特別なニーズ」というとらえ方でさまざまな人権課題に対応できるんじゃないかなって思ってるからです。が、20年前はそこまでは考えてなかった。
ちなみにその前は「違いのちがい」とかやってましたが、基本的にあまり好きではないんですよね。
で、その後、紆余曲折があって、今は「人権とは」「多様性とは」って話を正面から扱うことにしました。特に後者については、3年間の人権学習のどこででも持ち出すことができるように、かなりいろんな内容を扱うようにしています。もちろん専門の方からは「うーん」と思われる内容だろうなとは思います。でも、少なくとも学校教育という専門性をあまり追求しない世界では、まぁそこそこの内容にはなってるんじゃないかなと。
それは、ひとえにわたしがいろんな人の話を聞かせていただく機会に恵まれてるからなんですね。年に1回職場の人権研修で講演を聞くのが、まぁほとんどの教員じゃないかな。そう考えると、わたしは年に10回は「仕事」で聞く機会があるし、仕事以外で講演を聞くとか、下手すると飲みながら講演以上のことを聞けるとかあります。まぁそんなのをフィードバックしてるだけのことなんですけどね。オリジナル性は少ない(笑)。

で、家に帰って少し本を読んで、ビールです。
テレビは相変わらずしょーもないです。まぁでも見るんですけどね(笑)。
で、報ステ。大統領選がトップかよ。国内の大切なことがあるだろう。てか、選挙のために感染させるリスクを気にも止めない人について、さほどのコメントもしないって。で、やっと学術会議の話題。アカンな。是々非々でしかものを言わない。そのことがすでにアウトです。
10時半に寝ちゃったけど、足立区議の「LGBTばかりになると足立区は滅びる」発言とか扱ったのかなぁ。
とにかく、ここ数年で、ほんとうに社会は劣化したな。宝塚市議の「同性愛者が集まり、HIV感染の中心になったらどうするのか、という議論が市民から出る」発言もあったな。5年前か。
もちろん、こういう差別発言はかつては当り前で話題にすらならなかったし、そもそもこういう発言が出てくるのはLGBTが顕在化したからだし、まぁそれはそれでいいことという話はあるかもしれません。が、議会でこういう発言が出て、しかもそれがアウトってわからない。「不快」としか思わない。
これ、国会議員もそうです。
「嘘をつくのは性別に限らないことなのに、ご指摘の発言で女性のみが嘘をつくかのような印象を与えご不快な思いをさせてしまった」
という発言がありますよね。この議員、前にも「生産性」にまつわる差別発言について
「誤解とか論争を招いてしまったことは大変重く受け止めている。それによって不快に思われた方とか傷ついた方がいたことについては重く受け止めている」
とか言ってました。「不快」じゃないです。差別です。なのに、差別を「不快」へとずらすことが、いまや当たり前のように行われてる。そしてそれですませてしまう社会になっている。少なくとも政治や報道の場所はそれでよしとなっている。
ほんとうに日本社会はこの8年ほどで底が抜けたな。