今日は特殊業務前日なので、学校閉鎖です。なんか、covid-19以降、いろんなことが変わっています。ほんとはこんな日こそおべんきょしたいけど、母親の通院に付き添わなきゃなりません。なので、今日は介護休暇です。
とりま、母親を迎えに行って、車に乗せて、病院へ。無事診察を終えて、またまた実家へ。途中、ケーキ屋さんに寄ってほしいとのことだったので、寄り道して帰るなど。こういうあたりは変わらない人です。
まぁ、わたしの年代になると、介護とかが話題になるのはわかってたけど、やはりこういうふうになるんだなと。さらに上の年代になると、わたし自身が介護の対象になるわけです。とはいえ、まぁあと15年くらいはそんなこともないでしょう。
そんなこんなでいろいろやってると、突然「ちょ、ちょっと嘘でしょ?熊ぱぱが亡くなったって?…」との情報が。マジか。長谷川さんが…。
さらにDARCの近藤さんも亡くなられたとか。半年ほど前には翔子さんも亡くなられたし。いったいどうなってるんだろ。
世界は戦争をしてる。いったいどうなるんだろ。
なんか、いろんなことが押し寄せてきて、静かにすべてが終わっていく気がして、少しずつ落ちていきました。
カテゴリー: 考え
今年もオンライン
今日は日教組の人権教育実践交流集会です。今年も去年に引き続きweb開催です。いや、ほんとうは広島でやる予定でした。フィールドワークなんかも準備されていました。が、やはりweb開催になってしまいました。それにしても、この2年間、ほんとにこんなんばっかりやなぁ。
ちなみに、今年も共同研究者です。考えてみると、現役教員でやってるの、わたしだけか(笑)。まぁありがたい話です。
てことで、午前は打ちあわせ。ところが、パスコードを蹴られてzoomに入れません。しかたないからタブレットから入って打ちあわせ。その間もPCからのログインを試みます。結局打ち合わせの最後あたりでようやく入れました。いったいなにがあったんだ?
で、昼ごはんはもちろんカツを入れます。
午後から集会がスタート。全体会の後、全体講演です。去年の講師は松村智広さんでした。今年は広島県のとある支部の支部長さんが講師でした。いきなり「部落差別の3つの命題」が出てきて、ゲゲって思うなど。いわゆる朝田理論というものですね。『同和はこわい考』の頃までひきもどされる感じでした。まぁでも広島ですからね。
話の内容は、「部落差別はあるよ」って話で、それはその通りです。で「同和教育はやらなきゃならないよ」って話で、それもその通りです。ただ、なぜ朝田理論がここで出てくるのかわからんなぁと思っていたのですが、講師の方が語られる経験談がすごい。露骨な差別発言がガンガン出てくる場所で生きておられる。支部長をやってる人が「隠したくなる」と思ってしまうほど、厳しい現実が、今もある。
そういうところからの発信だと知ると、あらためて「そうか」と思ってしまう話でした。
で、分科会。
まずは東さんから、昨年度に続く、今年度1年間のジェンダーにかかわるトピックスのまとめです。そうか、森善郎の「話が長くなる」発言からまだ1年か。そこから別姓のこととかLGBTの法律のこととか、子ども家庭庁問題とか、今年度も山盛りですね。どんな国やねん。
てことで、レポートです。
1本目は、性別によらない名簿の実施とか、メディアチェックとか、制服のスラックスの導入とか、女性の社会進出とか、そんなことをがんばっておられる実践です。ちなみに、クラスは3年B組なんだとか。いろいろな質問が出たけど、わたしからもしょーもない質問をひとつ。
「北海道の女性って、どれくらいスカートをはいておられます?特に冬」
誰もはいておられないようです(笑)。
2本目は性の多様性を伝える小学校の実践。小学校1年生・2年生に向けてやっておられて、とても貴重だなと思いました。が、内容は、これまでジェンダー平等教育でやってきた「らしさ」をめぐる話だったりして、1本目のレポートとつながっていたり。ただ、ひとつ「ジャイアンがままごと好き」「ドラえもんが笑う」というトピックスを使っておられて、ちょっともやってみたり。でも、これは最後にとっておきましょう。
その後、わたしからひとことコメント。レインボースクールプロジェクトの一部を紹介しながら、2007年当時、セクマイ[1]「へー、セクマイって言うんですね」って言われました。どうやら、死語らしいの人が性の多様性についての授業経験がどれくらいあったかとか、学校にどんなことを求めてるのかとか、そんなデータを紹介。ちなみに、2007年って15年も前ですが、実は、教員の研修経験とか授業経験とか、今もほとんど変わりません。まぁ、そんな衝撃のデータをなぜ知っているかというと、『こころの科学』に書かなきゃならなくて、一生懸命調べたのでした。
で、グループディスカッションを経て、最後にひとことタイムです。
なにをしゃべろうか…。
まずは、北海道の女性がスカートはかないのに、なぜ中学生はスラックスを選択しないのかって話ですね。もちろん、答があるわけではないけど、「なにかがある」ってことです。あとは、中学校のむずかしさですね。結局「性」が「生殖」とつながるのが小学校高学年から中学校なので、やはり「性差を意識させる」ことがタスクになってるんでしょうね。
あとは「性別違和のある子に出会った経験がある教員が多い」問題。これは、学校が性別違和を感じさせやすいからでしょうねって話。これを言ったら笑ってる人がおられておもしろかった。そしてジャイアン問題です。きっと、トランスガールの子は傷つく。もちろん、ジャイアンがトランスガールであってもかまいません。が、ジャイアンを引き合いに出すと、トランスガールって「ジャイアンみたいな男の子が女になりたいと思っている」という、ステレオタイプをつくりだしてしまいかねない。そうじゃなくて、「女なのに男扱いされている」のがトランスガールなんですよね。いわば正反対なんです。だから、教材をつくるときに、あまり「わかりやすさ」に引っ張られないようにする必要があるってことです。
あとは、心がけの問題じゃないって話かな。はじめは心がけでもいいけど、どこかで制度の問題を出さなきゃならないって話です。あとはこの日にした雑談のこととか。
東さんからもコメント。なんか、元気がでるコメントだったなぁ。ああいうコメントが出せるようにならなきゃならんのだろうなぁ。
てことで、今年の人権教育実践交流集会も「退出ボタン」を押したら終了。でも、何人かの人とメールでやりとりして、ほんの少し余韻を楽しみました。
来年は対面でやりたいなぁ。
と、facebookを見たら、野入さんがコメントされてました。
なんでも、ご恵投いただいた『沖縄のアメラジアン――移動と「ダブル」の社会学的研究』にわたしの名前を載せてくださっているんだとか。マジかと思って、そのページを開いたら…。
あった…。「なんちゃってフィールドワーカー」としては身に余る光栄です!
footnotes
↑1 | 「へー、セクマイって言うんですね」って言われました。どうやら、死語らしい |
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できない日
朝の通勤電車の中で、いつものようにブログを書きながら、やはり自分にできることは、子どもたちに伝えることかなと。
てことで、職場に着いて、プリントつくって、メールであちこちやりとりして、職員朝礼に出て、1時間目の授業に行ったら、完全に忘れてました(;_;)。
なにしろ、covid-19がらみで2週間ばっか休んだ生徒がいて、てことは12時間分休んでたら、ひと単元まるまる休んだことになります。試験まであと3時間しかないから、その3時間で促成栽培しなきゃなりません。そんなことを考えてたら、飛んでしまったわけで…。
なので、2時間目はぜったいに話すと決意。
どんな理由があろうとも、人を殺してはならない。だから、死刑にも反対。
いま、おそらく、戦争をしている人たちは人を殺しているというリアリティを持たないだろうと思う。だから、戦争ができる。ただ、それはわたしたちも同じ。おそらく君たちには人が殺されているというリアリティがないだろう。たしかに目の前で殺されてはいないからね。それはわたしも同じ。でも、そこで想像力を働かせることが大切。
いま、ミサイルが飛んでいる。そのミサイルを、どういう位置で見るのか。ミサイルが飛んでいく位置で見るのか、ミサイルがやってくる位置で見るのか。最近はネットで動画配信されている。わたしはミサイルがやってくる位置に自分を置きたい。てことで、期末前だから、「積分?なにそれ、おいしいの?」って思っちゃう人は前に来てね。
まぁそんな話。伝わったかなぁ。きっと伝わってる。その自信は、一緒に1年間数学やってきたっていうことが担保してます。
てことで、今日もやばい子を前に集めて補習です。
2時間の授業が終わったら、なんかグッタリしています。何をする気も起きません。が、やらなきゃならないことは山積みです。そのどれもがすぐにできるものじゃないってのがめんどくさい。すぐにできるものなら、パパっとやれば形になるけど、そうはならないからしんどい。でも、やらなきゃ次に進めません。なので、のつこつしながら、とりま再来年度の仕事のための書類をなんとかやりきって、とりま今回お世話になってる人に送りました。
次の仕事にかかろうと思うけど、まったくやる気が起きません。時間だけがゆっくりと過ぎていきます。まぁいいか。できない日はできない。
合格したり、はじまったり、小さな幸せだったり
今日は午後に合格発表があるので、45分×4コマです。なので、わたしはひとコマなくなる。まぁ、どうせプリント学習だからアレですけどね。
と思ってたら、朝、支店長から
「合格の通知が来たし」
とのこと。もらいに行ったら、こんなのをくれました。
ちなみに、今年度から再任用の人ももらっておられたので、毎年合否判定されるらしいです。やれやれ。
そんなこんなで、再来年度の仕事のための書類を書いてみたり。はたまた送られてきた校正をしてみたり。さらには昨日書いた話を現実にしてみたり。
と、若い衆が
「侵攻したらしいですよ」
と、ひとこと。マジか…。
たしかにミサイルが撃ち込まれる映像が流れてます。
また戦争がはじまった。また市民が殺される。なのに、そこから離れた日本では、とりあえずは日常が続く。まぁ実際は原油価格があがったり、株価が変わったりして、いろいろあるんだろうけど、それらは気づきにくい。わたし(たち)の日常と切り離されたところで人が殺される。
でも、それはウトロの放火も同じこと。放火そのものは、日常と切り離されたところで起こっている。でも、少なくともわたしは、そのことに痛みも怒りもおぼえる。ウトロの人ほどではないだろうけど、心の中に常に残り続けている。そしてそれをより確かなものにするために集会にも参加したし、後付ではあるけど、火事現場の片づけも、それにひと役かっています。
たしかに、日常とは切り離されている。でも、心の中に残し続ける。そして発信する。わたしの場合、この場とか、教室とか。自分に与えられた場所で発信する。
それでも、やはり日常を生きるわけで、今日からリカマンがバーゲンをしてるらしいです。ヱビスのケースが安くなってたら買おうと思って行ったら安くなってたので、ふた箱買って、小さな幸せを感じたり…。
前を向く
年末から年始にかけて「書籍化」する予定でしたが、年明けに書いたように、いろんなゲンコにまみれてたので、まったく書けませんでした。Tさんには「3月末までに」ってメールしたけどムリだな。それでも、とある学会から3月末に〆切のペーパーを書けと言われてるので、それは完成させましょう。ちなみに、内容は9月の発表についてと言われてるけど、他の内容でもいいらしいから、まぁええかと。
で、どんな内容にするかというと、最初のおべんきょ成果をリメイクしようかなと。ただ、まるっぽのリメイクというより、この間ずっと考えてる、わたしのポジショナリティをからめた内容にしようかと。その上で、これの手前までもっていく。
問題は、なにを明らかにしたいかだけど、まぁそれはやっているうちに明らかになるでしょう(笑)。
てことで、もう一回みなさんの「語り」を読み直したり、少し文ペーパーを漁ったり。
そんな中で、ふと気づいて、「語り」の中にあるわたしへの言及を探すと、ありますねぇ。まぁ、当たり前なんだけどね。でも、これ、語り手とわたしとの関係を記述する上で大切な語りです。やはりわたしは「ふたつの環状島の片方は内斜面で、もう片方は外斜面」にいるんですね。そういう危ういバランスの上にいた/いるからこそ聞きとることができた「語り」だということです。そして同時に「ききとることがでぎなかった」語りでもあるということです。
そしてもうひとつ気づいたことは、みなさん、頭がいい。てか、すでに分析しておられる。なので、分析が必要ない(笑)。つまり、ある時に起こったことを自分がどう解釈したかということを、語りの時点で分析したことを語ってくださってるってことです。それも、わたしとの関係における文脈でです。で、その関係とは、さっき書いた「ふたつの環状島」にわたしがいるということです。
まぁ、そんなあたりのことが、少しずつわかってきて、だからどうやねんというと、どうなのかなとは思うけど(笑)、そして「何をいまさら」って言われるのは確実だけど、それを自分で言葉化しつつあることが大切なんだと思うのです。
少しずつ前を向けるようになってきました。とにかく3月末まで没頭しよう。仕事しながら(笑)。
それにしても「書かなきゃならないこと」を書くのは楽だけどきつい。でも「書きたいこと」を書くのはきついけど楽しい。
今年も終わりだなぁ
教員やってると、年末は単なる休みで、年度末が「区切り」って感じです。もちろん、他の仕事でもそうなんだろうけど、教員は生徒のうち1/3が入れ替わるし、そうでなくても相手にする生徒が総入れ替えになるので、やはり強く感じます。いや、もっと大きいのは「教科書の最後」を見るからか。「1冊やりきった」って感じですかねぇ。
今日の1時間目はそんな感じです。だから、あとはすべてプリント学習になります。
「これが君たちの生涯最後の数学の授業やで。あっさり終わったなぁ」
とか言ったらハイタッチしてる子がいて、
「おまえらな」
と(笑)。
もうひとつのクラス、イマイチぴりっとしないところはあるものの、
「これが今日のテーマや」
と言った瞬間、教室の空気がピンと張り詰めた感じがして心地よかったり。
昼過ぎに支店長室に出頭。最終面談です。しかし、支店長も副支店長も後輩やしやぁ。なんか、ダラダラと話のついでに雑談までしてしまいました。来年はどうなることやら。
その後、『環状島』です。
いよいよ、ほんとうに読みたいところにようやくきました。昨日も書いたように、わたし自身のポジショナリティをどう考えるか。内斜面なのか外斜面なのか。はたまた尾根にいるのか。尾根にいるとしたら、内斜面から這い上がったのか外斜面から登ってきたのか。
おそらく、たくさんの「環状島」が交差していて、内斜面にも外斜面にもいる。
ただ、トランスという「環状島」においては、おそらく内斜面を這い上がってきたんでしょうね。そして、記述するところに来た。だからこそ、トランスジェンダー生徒を前にしたとき、外斜面に移行できた。
そんなことを考えてると、メッチャ眠くなったり。
家に帰ると4人のおべんきょ会のzoomおべんきょ会。なんでもブレーンストーミングなんだとか。それなりにキツイけど楽しい時間を過ごして、8時くらいにようやくビールにありつきました。
プチ旅行でほんわかした
朝、眠い目をこすってスタートです。
まずは京都府中部の町までJRを終点まで2本乗り継ぎ。さらに兵庫県に向かうJRに乗って目的地へ向かいます。すべて鈍行というのがプチ旅行感満載です。
ただし、車窓を楽しむ時間はありません。まずは組版をしなきゃなりません。続いてスライドの微修正。そんなことをしていると、目が死にかかりました。それでもなんとかやらなきゃならないことを終えて、ホッと一息。すぐに目的地の最寄りの駅に到着しました。しかし「柏原」と書いて「かいばら」と読むのか…。
今日は兵庫県中部の町でお座敷です。なんでも1年ちょい前のお座敷に来られて、わたしに目をつけられたんだとか。恐縮です。
会場に到着して、まずは昼ごはん。
中華です。どうりで打ち合わせの時に「苦手なもの、レバー」ってメモしてあったわけです。春巻きと肉団子の甘酢あん、そしてチャーハン。おいしそう…。食べきったら、けっして量が多いわけではないですが、食べすぎ感が強いです。これで話ができるのか?
間もなく時間がきたので会場へ。今日は15人くらいのこぢんまりとした集まりです。が、ウェルカム感が伝わってきます。てことで、お座敷スタート。今日は1年ちょい前と同様、ミッション4です。あの時から1年たったので、少しずつこなれてきました。が、まだ慣れません。ところどころで「あり?」と思いながらですが、逆に「用意した感」が少ないのかもしれません。みなさんの緊張感も少しずつほぐれてきたのかな。なんとなく柔らかい感じが伝わってきます。ところどころでちゃんとウケてうれしかった。
てことで、2時間ばっかガッツリと話してしまいました。長丁場なのに、飽きもせずに聞いてくださって、やはり恐縮です。でも、ミッション4は自分のことも話すから、それはそれでいいのかも…。
てことで、みなさんにごあいさつしながら会場をあとにしました。
帰りは特急を使いましょう。まずはプシュ!
うまいわ。
ちなみに『環状島』を読みはじめましたが、おもしろいな。なんか、これまで読んできた本と、少しズレがあります。おそらくそれは精神科医が書いているということなのかな。例えば、セクハラ裁判の原告の方が、なぜ「雄弁な発話者」であり続けたのかという分析があります。そこで最初に出てくるのが「個人的資質」です。こういう本、最近読んでません。てか、例えばこのおべんきょ成果のAさんって、すごい実践者なんですが、わたしは「なぜすごい実践者たり得たか」という分析はしていません。それはわたしができることじゃないし、そもそも関心がない。わたしが関心があるのは、どんな実践をしたかってことだし、その実践に対する周囲の反応をAさんはどのように解釈していると語っているかって話です。まぁ、端的に言うと、「人」に興味がなくて「人と人の関係」に興味があるってことですね。
まぁそんなことを考えながら、途中から「どこで乗りかえるか」を考えはじめました。というのは、特急は新大阪までしか行かない。そのあとは新快速に乗換です。新大阪か?大阪か?うーん、そうだ、尼だ!
ということで尼崎で下車。すぐに新快速が来るぞと思ったら、なにやら遅延で30分くらい待たなきゃなりません。やれやれ…。それでも確実に座れるし、まぁええか。
そんな1日でした。
シンポ「教員社会とダイバーシティ」とか
今日は午後から前のおべんきょ場所で、「教員社会とダイバーシティ」というシンポジウムがあります。
思い返せば、年度当初「相談があるんだけど」ということで、伊藤さん@前のおべんきょ場所のセンセから「シンポジウムをやりたい」という話を聞いていました。なんでも、今年度いっぱいで定年退職なんだとか。通常、退職記念の最終講義は、ご自身と研究のことについて話をされます。去年、「とったどー」の翌日にセンセの最終講義があったので行ってきました。ところが、伊藤さんは、いわゆる最終講義はしたくないと。いままでたくさんの、そしてさまざまなマイノリティ学生に出会ってきたけど、そうしたマイノリティ性を教員社会はないことにしてしまう。というか、教員養成系の大学もまた、ないものにしてしまう。そして、伊藤さんも「女性」というマイノリティ性のもと、ないものにされてきた経験がある。なので、そこを問うシンポジウムをしたいということでした。伊藤さんには修論指導でメッチャクチャお世話になったので、もちろん協力をさせていただくわけですが、役まわりはシンポジストなんだとか。まぁそりゃそうか…。ちなみに、わたし以外にM田さんとKムさんと3人がシンポジストとして登壇することになりました。
問題は、開催方法です。このご時世、どうなるんだと思ったのですが、対面でやるんだとか。すげぇな。しかも、いろいろな事情で来られない人のために配信もするんだとか。しかも、それを知ったのが金曜日の夜。マジかと思いました。なんでもwebカメラを使って配信とか言っておられたけど、それはダメでしょう。せっかくなので、スイッチャーを出さねば。
てことで、まずはおにぎりを握って、その後午前に職場に行って、いろいろ機材をピックアップして、シンポの会場である前のおべんきょ場所に向かいました。
到着したら、おにぎりをパクつきながらセッティング開始です。そうこうするうちに、おべんきょ仲間とか、京都の人権教育界隈の人とか、いっぱい集まってこられました。ここでクラスターが発生したら、人権教育が2週間ほどとまるな。なんだかんだごちゃごちゃしてるうちに、伊藤さんが
「はじめるよ」
と。へ?もう13時30分。
ということで、まずは基調報告から。なんでも、日本の教員養成系の大学で人権教育の講義はそれなりにあるんだとか。でも、何をやっているのか、その中身はわからない(笑)。ダメじゃん。そんな話から、教員社会にはダイバーシティがないという話。で、伊藤さん自身はマイノリティ学生といっぱい出会ってこられた。でも、それらの学生をうまく組織化できなかったことの反省が、このシンポにつながったという話。
んー、組織化はしてなかったかもしれないけど、つないでこられた気はします。だからこそ、M田さんは学生時代にうちのガッコのリビングライブラリで本になってくださったわけで。そう思うと、派手さはないけど、貴重な働きをされてきたよなぁ。
で、シンポジウム開始。お題は「自己紹介」「教員社会の構造的な問題」「人権教育に求めること」「教員養成系の大学や大学生に求めること」です。特に「教員社会の構造的な問題」お内容が多岐にわたります。例えば、カミングアウトとそれにともなうリスクとかマイクロアグレッションとか。むずかしいな。
わたしに関しては、ノンカムフルバレ&24時間ひとりパレードですからねぇ。カミングアウトすると、ひとつの枠に収められてしまいそうで、それがイヤなんですよね。その代わり、カミングアウトしてないから、生徒がわたしのことをどう考えているかわからない。なので、相手の「ふるまい」を観察しながら、相手がわたしのことをどう考えているのかを分析する。例えば、相手が間違った解釈をしていそうだったら、それをこちらのふるまいで修正する。そういうめんどくささがあるけど、でもその駆け引きはおもしろい。おもしろいけど、めんどくさい。
まぁこういう駆け引き、多くの人も実はやってるんだろうけど、その「振れ幅」みたいのは少ないのと、カミングアウトに対するリスクが小さいから、「そのものズバリ」のカミングアウトで修正が可能だったりする。でも、そうはいかないんですよね。あと、なによりめんどくさいのが、性別カテゴリーの特殊性なんです。つまり、ある人を見たとき、必ずいずれかの性別カテゴリーへと割り振る。そこにペンディングがないんです。だから、常に駆け引きをし続けないと行けない。で、それをしないと平穏な生活が得られない。
まぁそんなあたりの内容を、実例を交えながら話しました。
人権教育はむずかしいな。なにせ担当ですからね。だから、担任時代のことと、人権教育の担当としての話。まぁリビングライブラリか。あとは授業担当として雑談の話をしてみました。
教員養成系の大学に求めることは…。子どもを社会的な存在としてみることですね。必ずその子の行動の背後には、その子の生活や、その子を取り巻く社会が存在する。それが学校社会・教員社会の「ふつー」と往々にしてバッティングする。そうしたときに、教員が権力を持っているので、教員社会の「フツー」で断罪をしてしまう。そうならないようにするためには、ある子を見るときに、その子の生活や社会を常に意識することが必要。そんな話をしたら、〆で伊藤さん
「普通を問い直すことがダイバーシティ」
と言われたので、拾ってくださったのかな。
シンポジウムのあとは、しばしの休憩の後、伊藤さん自らがつくられたお宝映像の上映会。いい教員人生を送ってこられたんだろうなぁ。伊藤さんがおられなくなるのは寂しいなぁ。
で、最後に記念写真を撮って修了。さてと、機材の撤収だ。
ほんとうは打ちあげがあるはずだったけど、このご時世なので、また落ち着いたらやりましょうということで、今日は自主打ちあげをやりましょう。
てことで、シンポジスト+αでストーンズへ。
ここで、部落問題をめぐるネタが炸裂。
いや、かつて
「部落問題は根が深い」
みたいな話がよく出ていました。いや、今も出てるか。それに比べると、同性愛の話って最近出てきたみたいな感じで捉えられがちです。でも、考えてみたら、同性愛差別をめぐる話って、おそらく人類が誕生した瞬間から起こっていたんじゃないかな。例えば、ソドムの町の話とか、旧約聖書の世界の話ですからね。そんな話をしたら、M田さんが
「延喜式とか、西暦で言うと、せいぜいが3桁の話ですよね。メッチャ最近のことですよね」
とか言いはじめて、一同大爆笑です。
あー、いい夜が過ごせた。さてと、明日も朝寝坊ができないから、これくらいにしてくかな。
めんどくささを楽しむ
今日は朝イチ「身だしなみ点検」です。イマドキそんなことをしてるのかと思われそうですが、やってます。まぁでも、のどかなものです。かつては脱走する生徒や帰宅指導でギャーギャーなってたんですけど、そんなことはまったくありません。ちなみに、帰宅指導でギャーギャー言ってた子、帰りたくなかったんだよな。学校好きだったんだよな。あ、友だちと遊べるからか。でも、そういう「場」であることは大切かもです。
ちなみに副支店長の最初の職場はうちのガッコだったので
「昔とぜんぜんちがうでしょ?」
というと
「もの足りないでしょう」
とか言われたので、それは違うぞと。
ただ、担任時代にメッチャ化粧してる子がいて、ある日の服装頭髪点検の日に
「どないしたんや?メッチャ顔色悪いで。体調悪いんか?」
って聞いたら
「センセのためにスッピンで来たんやんか!」
って言ってくれたことがあって、それはそれでおもしろかったなぁ。
そんなこんなで、ダラダラ授業をしたり、ダラダラ調べ物をしたり、ダラダラした1日でした。
そう言えば、先日「性的マイノリティに関する教職員意識調査」ってのが来たんだけど、その中に「これまで勤務してきた学校で、トランスジェンダー/性同一性障害(性別違和)の教職員に出会ったことがありますか?」という設問がありまして。
どう答えたらいいのかわからず、結局「自分と出会い、他者と出会い、社会と出会う」ってことで「はい」にしました。ついでに「打ちあけられたことは?」ってあったので、「自分へのカミングアウト」ってことで「はい」にしました。まぁそれはいいんだけど、うちの職場の教職員、この設問の「はい」率がメッチャ高いぞと思っていました。が、昨日だったか、ある新採教員に
「メッチャ高いで」
って言ったら、その教員
「へ?」
って言ってたので、これがまたややこしい。あの教員、わたしのことをどう思ってるんだろう。これを聞くとカミングアウトになるしなぁ。ノンカム・フルバレはめんどくさい(笑)。
コロナの影響の中の不平等
今日は1日出張だったはずですが、午前の出張は中止。午後の出張はオンラインになりました。
まぁ、楽といえば楽ですが、寂しいといえば寂しいです。ようやくいろいろ話ができる感じになったんですけどね。また来年度新しいメンバーになったら、はじめは話がはずまないのかな。
てことで、午前は午後のための準備をしますか。いや、別に準備しなくてもzoomは使えるのですが、大きなベッドセットを使うのはイヤで、ワイアレスのイヤホンを使いたい。ところが、職場のネットワークにつながってるPCはbluetoothのアダプタをつけると怒られるんですよね。なので、使えない。しかたないので、放送部のPCを担ぎ出すことにしました。
そうそう、職員会議の資料をプリントアウトしなくちゃ。と思ってプリントアウトしようとしたら、A4縦とA3横が混在したpdfになってました。気になる。しかたないので、A3を抽出→回転→リサイズ→結合ですべてA4縦にそろえてやりました。気持ちいいけど、なんでこんなことをやってるんだろう。まぁええか。
ちょこっとおべんきょしたら、もう昼です。
午後の会議は恒例の会議。
いろんな話を聞いていましたが、ふと気になったことがあったので質問。
「コロナが二年目になりましたが、支援学校の生徒さん、メンタル的なことってなにかありますか?」
すると、いっぱい出てきました。
支援学校って、いろんな交流事業をしておられるんですよね。例えば、近くの中学校や高校との交流とか、地域の人との交流とか。さらに職場実習なんかもあります。校内でもひとクラスが少人数なので他のクラスとか他の学年・校種との交流もあります。そういうのが軒並みアウトになってしまった。すると、学校の中に、あるいはクラスの中に閉じこもることになる。さらに給食は黙食とか言って、クラスの中でもひとりになる。もちろん黙ってられない子もいるけど、それを黙らせなくちゃならないから、黙らせる。そりゃ、フラストレーションたまります。メンタルにきますよね。
これ、支援学校の子どもたちが悪いわけじゃないです。そういう対応しかできない医療体制や、そういう体制しかできない社会的な問題です。
なので、感想をひとこと。
「社会的にヴァルネラブルな立場に置かれた子に、コロナはより強く影響するということが、あらためてわかりました」
こんなの、支援学校の教員がなにかできることじゃないです。メッチャ工夫してなんとかしようとしてるのに、どうしようもないほどの壁が立ちふさがっていて、その前でもがいている子どもたちを、なすすべもなく見続けるしかできない。ほんとうに忸怩たる思いなんだろうな。
頭が下がります。
で、会議は終わり。終了ボタンを押すと、いきなりうちの職場の現実です。慣れてきたとはいえ、なんか変な感じです。
まだ定時まで少しあるので、ゲンコを少し進めましょう。とにかく結論部まできた。あと少し。