走りまわった

朝、診察&リハビリです。まずはレントゲン。

つながってますね。最初の写真をあらためて見ると、えらいことでした。

その後、手首をグリグリやって
「固いなぁ。でも前回よりはマシかな。リハビリがんばってください」
とのお言葉。
で、リハビリです。
作業療法士さん、あちこちの筋をうまくほぐして
「ふむ、曲がるようになったかな」
とひとりごとを言ったあとグイと曲げられます。うまいな。
リハビリのあとは移動開始。昨日「行く」と言った研究会の会場へ向かいます。途中ワープしたりして、なんとか間に合いました。新会長さんから
「昨日はどうも」
とあいさつされるなど。なんかもう、変な世界になりつつあります。
やがて、研究会開始。今年度の研究課題を見た瞬間カチンときました。
「「わが国」ェー」
しかたないな。今日はおとなしくしてようと思ったけど、発言するしかありません。なので、挙手。が、無視されました。しかたないな。直談判やな。
レポートがはじまるタイミングで事務局長のところに行くと、昨日のHさんがおられたので
「人権教育の世界でこんな言葉つかったらアカンやんか」
とひとこと言って、事務局長に向かって
「もう少し言葉に対してセンシティブにならんとアカンで」
とすごんでしまいました。
こういうの、ほんとはものすごく疲れます。やりたくない。でも、やらなきゃならないんです。だって、もしもあの場に外国人教員がいたら、どんな思いになるか。いや、あの場にいなくとも、府内に外国人教員はおられるし、その人を排除する言葉は許せません。
で、席に帰ってレポートを聞いていたのですが…。
みなさん、ていねいなとりくみをされています。が、なにかが違う。なんなんだろう。やはり病理モデルなのかな。「その子をなんとかする」なんです。もちろん、その側面が必要ではあります。が、そのことだけを考えるのか、「社会モデル」を念頭に置きながらパッチワークとしての「なんとかする」と考えるのかは、まったく違います。このあたり、まんまこないだの佐藤さんへのリプライです。そして、レポートから後者のテイストが伝わってこない。後者のテイストは何によって伝わってくるのかというと、まわりの子にかかわる語りの有無かなと。つまり「集団づくり」です。あるいは、「集団」とまでは言わなくとも、その子とつながりがある子の間にある相互変容みたいなものかな。そういうのが伺えない。結果、意地の悪い言い方をするなら
「せんせい、がんばらはったね」
になってしまう。それは人権のレポートではない。
とにかく「うーん」と思いながら研究会をあとにして、夜の仕事へ。
冒頭「わが国」の話からスタート(笑)。
いや、言葉にセンシティブになることって、決して言葉狩りではないということです。それは、今は「保護者」と言ってるのが、かつては「父兄」だったように、ある言葉が誰かを排除してるという問題提起の中で、教育界において使われる言葉は変えてきたということです。その延長に「国民」や「わが国」という言葉への問題提起がある。そういうことを「次の教員」に知ってほしいんです。
そのあとは、いつもの通り、のんびりと時間を過ごして、無事終了。
「こんなんでええの?」
と聞くと
「いいんとちゃいますか」
って言ってたから、まぁええのかな。
それにしても疲れました。帰ってビールだな。きっとうまいでしょう。

なんでこんなに疲れるんだろ

朝はいつものように出勤。今日は昼前にふたコマだけなので楽勝です。で、職員朝礼に行くと、ホワイトボードに「放課後職員会議」の文字が…。テンションだだ下がりです。
で、職員室に帰って、各種書類をつくろうかと。ここで、えらいことに気づきました。なんか、書類を入れてる引き出しがいっぱいです。これはアカン。
ということで、断舎離開始。てか、こんなに古いものが入ってたんだ。そんな気づきがあるということは、「こんなに古いもの」は見てなかったということなので、捨ててもいいということです。そんな感じでバサバサ捨てて、さっぱりしました。これで書類がつくれます。
で、授業が2発。けっこう質問に来てくれたのでよしよし。まぁ、「そこ聞くか」というところを聞いてくるのはご愛嬌。そこを聞いてくれたらいいんです。
今年度はけっこう授業のスケジュールがつまってたので、かなり焦って授業をしてしまいました。ひとコマあたりのスピードもそうですが、毎週の確認プリントをやる時間も惜しんだので、子どもたちも確認できなかったんでしょうね。それをまとめてやってる感じです。
そんな感じで、あっという間に昼休み。
午後は昨日のリアクションペーパーの入力です。
昨日の夜の仕事では「国民ェー」というスライドをつくりました。何が伝えたかったかというと、ある言葉を使う時に、なにかを排除してるかもしれないということを意識することが大切ってことです。「国民」という言葉を選択するということは、自動的に外国籍者を排除してしまうということです。さらにそれの事例として、カジノ反対のポスターを見せて「日本人の税金」という言葉の選択に自動的に付与される意味について話しました。
それに対して「批判するつもりはないけど閉塞感を感じる」というリアクションがありました。そうか。ここに閉塞感を感じるんだ。わたしは自由になるんですよね。言葉の選択肢を広げ、その中から選択する。そういう行為は自由だと思ってるんですよね。あるいは「国民」どいう極めて縛りのきつい限定された意味の言葉があった時に、そこにほんの少しだけ「余白」を加える。それは「国民だけじゃないんだけどね」どいうひとことでいい。そういう余白を加えることは、閉塞感とは真逆という感覚があるんだけど、おかしいかなぁ(笑)。
まぁ、そんなことを来週話してみましょう。
6時間目はセクションの会議。だけど、特に議題はなし。なので情報交換をする人もおれば、しない人もいる。わたしは報道特集の映像をチェック。これを見せた時、みなさん、なにをキャッチされるかなぁ。
放課後は職員会議。なんだろ、このムダ感は。読めばいいことをしゃべって伝える。まぁ、しゃべられなければ読まないんだけど、それなら「〇〇について書いてあるので読んでおいてください。あとで「読んでない」はなしですよ(笑)」としゃべればいい。会議そのものの必要性はあるだろうけど、すべての会議が必要とは思えないですね。
で、会議が終わったら定時前。うーん…。まぁええか…。なんしか疲れました。
家に帰ってビール前の体重計のメーターが普段より1kg少ない数値を指してました。そういうことなのね。さそやビールがうまいことでしょう(^^)。

連携

今日は午後からリハビリです。この間行った時にリハビリ不足な顔をされたので、それ以降、気がついたら手首を曲げたり指を曲げたりしていました。ちなみに、どういう時が一番しやすいかというと、授業中だったりします。今のわたしの授業スタイルは、書くことがほとんどありません。話をする、指を指すがほとんどで、たまにアンダーラインを引く程度です。必然的に、手は空いている。なので、しゃべりながらでもなんでもリハビリができます。
てことで、リハビリに行ったら「ほぅ」という顔をされました。が、それはそれで今動くところからさらにその先の70%を攻められるわけで、それはそれでイタタタタとなりますが、リハビリが進んでいるということかな。
その後、今日はいつもお世話になっているお医者さんのところで骨密度の測定をしようと。前回は1年ほど前になるんですね。
待合室ではデータ読み。やはりおもしろいな。いろいろ気づきがありました。
と、
「レントゲン室に来てください」
と呼ばれたので入ったところ、ふと不安になりました。プレート入ってて測れるのか?そこへいつものファンキーナお医者さんがやってこられました。
「骨折してるの、どっちでしたっけ。あ、左か」
えーと…(笑)。
い「誰から聞きました(笑)?パートナー?」
医「いやいや」
い「Sさん?」
医「いやいや」
い「Yさん?」
医「いや(笑)」
わたし、整形外科のお医者さんにすごく世話になっています。このお医者さんはもちろん、デュピュイトラン拘縮、右肩の骨折、今回の左手首の骨折。ちなみに、今回の骨折の振り出しは近くの整形外科からはじまりました。なので、全部で5人の整形外科の方にお世話になっています。これらのみなさん、全員同じ大学です。かつ全員同じクラブです。それもラ○ビー部(笑)。おそらく先輩後輩の関係もありながら、みなさん仲良しなんでしょうね。なので、あるお医者さんに他のお医者さんの名前を言うと
「あー、あのセンセイね」
と返ってきます。てか、そもそも同じ大学というのは少し調べたらわかりますが、全員が○グビー部というのは教えてもらわないとわからないわけで、それはみなさんから教えてもらってるんですよね。
もしかしたら、これって守秘義務違反と言われるのかもしれません。でもわたしは「連携」と呼びます。なぜなら、同じことを教員だってやっているからです。なんのためか。それは、よりよい生徒指導のためです。今回だって、イチから説明しなくとも、「次の話」からスタートできました。だから、わたしはありがたいと思っています。だから
「ガンガン情報交換してくださいね」
とお願いしました。
しかし、お医者さん、骨折してるのを知ってるのを伝える時、「あ」とか言いながら、実は言いたくてしかたない感じで、めっちゃうれしそうだったから、言いたくてしかたなかったんだろうな(笑)。ファンキーというか、変態というか、子どもというか。ほんとうに、わたしは、整形外科に限らず、お医者さんに恵まれてるな。

わたしの関心

今日の授業はふたコマ。まぁ楽勝です。ただ、月曜日に代講に行って、明日自習カントクが入るから、束の間って感じですか。それでも朝から放送室に行って「今日がんばろうね」と。6時間目の生徒会選挙と放課後のリハーサルと、放送部はいろいろ動かなきゃなりません。
それにしても、若い教員は生徒といますね。いいことです。
わたしは生徒とはいない。そうしはじめたのはいつ頃かなぁ。たぶん3回目の担任の頃からかな。となると20世紀の最終盤の頃ですね。放送部もずっと一緒にいたけど、いつの頃からか「任せる」って決めました。任せたら伸びる。生徒会は…。15年ほど前はどっぶりと浸かりこんでました。ただ、それは必然があった。その後若い教員が担当するようになって、わたしはフェードアウトした。それもまたいいことです。
こうやって、表の動きからフェードアウトする。裏でやることって、表にならないから、たぶん人々の記憶には残らない。
そう言えば、かつて「かかわりが中途半端」って言われたことがあります。たぶんどっぷりとかかわること。その子の一切を丸抱えにすること。そんなのが必要なこともあるかもしれないし、そういう話であれば中途半端なかかわりかたしかしてきませんでした。でも、わたしという触媒を介して子どもと子どもがつながって、そこに何らかの変革があるなら、それはそれでいいし、そういうやり方は中途半端になります。楽っちゃ楽だけど、子どもたちの記憶に残らないという代償はあるけど、それはわたしの問題だから、まったくどうでもいい話です。
勤務校についても、いろいろ価値観を変えてきたと思うけど、表立ってはなにもやらないから、たぶん、個々の教員は自分で変わったと思ってるだろうな。それでいい。それがいい。人の影響で変われば、また人の影響で変わる。だから、変わることに「わたし」はいらないし、そもそも存在しない。まぁ、ずっとこんなふうにやってきたけど、それはそれで寂しくもあります。が、まぁ、いなくなっても大丈夫なら、そのほうがいい。寂しいのはしょせんはわたし個人の問題だし、その寂しさはかえってジャマになる。
てかまぁ、たぶんわたしの関心は「ここ」にはないんだろうな。関心はどこにあるんだろ。そもそも関心はないのか。いや、ないことはないか。
その場において、ある人がどのように振る舞うのか。その振る舞いによってその場がどう変化し、また人々の振る舞いがどう変化するのか。わたしがコミットするとするなら、そこに大きな変化をもたらすのではなく、小さな波を起こす。その小さな波が大きな波に飲まれてしまって消えるのか、それとも小さな波として人の振る舞いに影響を与えるのか。そしてそれが場の変化へとつながるのか。そんなのを観察する。
うーん、いやらしいな(笑)。

中身がわからない

今日は午前に3発授業です。が、まったく疲れません。そりゃそうだ。目一杯省力化してます。言い換えると、グダグダ説明してもダメってことです。今の授業のしかたは3年目です。ただ、一昨年は年度途中に変更したので、実質2年目です。たぶんこなれてきたのかな。それよりも大きいのは生徒か。そこに一番左右されるし、教員ができることなんてタカがしれてます。
授業の合間はゴールデンウィークの宿題づくり。
あまり宿題とかやりたくないけど、あまりほっとくのもあれなので、少しだけ計算をしてもらおうかと。どんな体裁にしようかと思ったけど、今回は問題用紙と解答用紙をわけてみました。
実は発達障害系の生徒のためを考えたらわけないほうがいいらしいです。が、わけてないのは数学くらい。他の科目はほぼわけてます。おそらく今後は数学もわけはじめるんじゃないかと思われるので、その前フリです。
放課後は少しゴールデンウィークの準備をしてみたり。

いつもの通り定時に職場を出て、今日は普通に乗りましょう。前のおべんきょ場所で4人のおべんきょ会です。と思ったら、向こうからセンセが来られて
「zoomですよ」
とのこと。あわてて駅までもどったら、ちょうど電車が来たのでラッキーでした。
家に帰ってzoom開始。
今回のお題は、たぶんわたしが提示したものかな。「言葉」をめぐるあれこれです。
考えてみると、学校というか、教育をめぐる言葉って、中身がよくわからない。というか、定義づけが難しい。例えば教育基本法の第一条の教育の目的に
「教育は、人格の完成を目指し…」
とか書いてあるけど、「人格の完成」ってなんですかと(笑)。てか、人格が完成してないわたしがそんなのにたずさわっていいのですかと(笑)。
大もとの法律がこんなんだから、あちこちに「理念」が散りばめられています。なので、現場でも「理念」が語られます。ただ、理念の中身がよくわからないので、それを具体化する言葉がない。必然的に
「アレや!」
「アレか!」
という、傍から見たらわけのわからん会話になります。ただ、中の人はそれで合意できてるから、それでいいと思ってしまう。
まぁ、それはそれでいいんだと思います。王将で
「こーてるりゃんがー」
で通じてて、それでいいのと同じです(笑)。
ただ、それを「外の人」になって眺めるとおもしろい。別にだめとがなんとか言うのではなく、そういう世界がそこにあることがおもしろい。そのおもしろさを描きたいなと。
そんなディスカッションを1時間ちょいやって、おしまい。zoomでやると、そのままシームレスにビールに移行できるのがいいな。

プライスレス

今日は1・2時間目があいてます。なので、ずっと懸案事項だった、わたしがターゲットとすべき生徒の把握をしましょう。
学校外から見たら、へ?と思われるかもしれませんが、学校の中の人からするとあたりまえのことだったりします。
例えば保健部であれば、健康状態なんかが気になる生徒をマークします。例えば体育科であれば、運動制限がある生徒をマークします。教務部であれば、学力的に厳しい生徒をマークします。生徒指導部であれば、生徒指導上課題があるとされる生徒をマークします。なので、人権担当も社会的に厳しい状況に置かれてる生徒をマークするのです。もちろん、マークしたからといってなにかが、わたし個人にできるわけじゃないです。じゃなくて「マークしてるよ」ってことを情報共有して、学校全体としてサポートをしていくってことです。
ただ、社会的に厳しい状況に置かれてる生徒のことは「プライバシーが」とか言って、マークすることについて理解されない。でも、そんなことしたら、厳しい状況に置かれたその生徒を放置することになります。それはやっちゃいけないことだと、わたしは考えています。
まぁそんなことで、いろいろ資料をあさるわけですが、ほんとうはわたしがやっちゃいけないことなんですよね。本来は担任さんがやらなきゃならない。ただ、特に1年生の担任さんは忙しい。なので、これがなかなかやってもらえない。まぁ、優先順位の問題ってことですか。だから、優先順位をあげくれる人は、さっさと情報をくれたりします。
あと、今年は骨折があったから、1週間ずれてってのもありますね。
それでもなんとかあさることができました。そうそう、関係諸方面に依頼してた情報も来ました。なんでも「関係部署で慎重に検討した結果」とか担当者が言ったので、「んなもん、もったいぶらなくてもええねん!」と返しておきました(笑)。

で、授業。
まだまだ固さが見られますね。
「君ら、静かやな。マジメなんか?」
とか煽ったら、変な顔されたので
「確かに変やな」
と笑っておきました。
ただ、問題を解くためには動けばいいと思ってます。みんなでディスカッションしながら、解法を身につければいい。
「年度当初に甘やかしたらあとでたいへんになる」って言う人もいます。でも、年度のはじめからそういうふうに運営していけば、そういうものだって思ってくれるだろうし、きっと遊ばない。なぜなら、授業への参加方法を、そうやって身につけるからです。大切なのは、主体的に動くことです。
さらに難しい問題だって誰にあててもかまわない。
「ええか。当ててるけど「わかりません」はありえへんで。相談してもいいし、教えてもらってもいいって言ってるんやからな」
てことです。
もちろん、わたしが解いたほうが効率はいい。でも、あてることの意味は、「任された」という緊張感を持つとともに、その問題に対して責任を持つこと意味します。だから、あてる。そして時間を保障する。
ただ、さすがに今日は
「そろそろ書いてくれー」
って言いましたけどね。

午後はセクションの会議→職員会議。
みんな会議が好きやなぁ。「読んでおいて」ですむ書類をなぜ説明するんだろ。役割分担してる話を説明するってことは、説明してる内容が自分とは関係ない役割だと、完全に時間のムダでしかないんですけどね。
てことで、時間ギリギリまで会議の場にいたけど、タイムオーバーしたので脱出。

帰りは角打ちに寄りましょう。

今日もいつものおじさまたちが飲んでおられます。わたしに話しかけたと思ったら、シモに落ちた話をして「ここは聞かんでええねん!」と言ったり、みなさん、てきとーにかまってくださいます。
い「みなさん、このあたりの人ですか?」
お「そやで。みんなそうや」
い「このへんでおいしいお店ってどこですか?」
お「自分で行かなわからへん。そやけどな。ユッケジャンがうまい店はええ店や」
奥が深いです。
それでも日本酒を1.5杯飲んだらちょうどいい感じになりました。
お「もう1杯飲むか?おごったるで」
い「いや、今日はやめときますわ」
ということでお勘定。日本酒1.5杯とコロッケ・きざみで540円。安いなぁ。でも、ここで過ごす時間はプライスレスです。

出張、のち夜の仕事2回目

今日は午後から京都府中部に出張です。なので、午前は少しゆっくりと雑用をしましょうか。てか、テストしなきゃならんことがあります。
夜の職場のプロジェクターにはVGA入力しかありません。でも、できればiPadで出力したい。問題はlightning→VGAは高い。必然的に、途中にHDMIをかませることになります。ちなみに、lightning→HDMIは使う人は使うので、うちの職場にあります。問題は、今日日HDMI→VGAなどというマニアックなコンバーターがあるのか?ということです。ただ、事務の方の机の上で見た気がしたので、それを借りに行きました。すると、壊れてるんだとか。やれやれ。てか、音声出力がないから使いものになりません。どうしよう…。
と、事務の方から内線電話。
「もうひとつありますよ」
見に行くとVGA-CVHD1でした。まさにほしいやつ!
てことで、借りてきて、そこらにころがってるVGAと音声入力がついてるディスプレイにつないでみたら、ちゃんと出力してくれました。これで、動画が見せられる。
それにしても、lightningはめんどくさいな。
そんなこんなをやって、11時半に職場を離脱。出張先に向かいます。
ところが会議の時間を確認すると、時間を間違えてたことが判明。ヤバイ。なにせ、この3月のダイヤ改正で電車が1時間に1本になったから、電車で行くのは絶望的です。しかたない。車ですね。しかも、オール高速しかありません。まわり道になるけどしかたない。なんとか10分遅れで到着しました。
到着してすぐおべんと食べながら会議に参加。申しわけない(笑)。まぁでも、必要な話はできました。
とにかく、いま、京都府の高校が直面している課題は、障害の社会モデルの普及と、日本語指導を必要とする生徒の就修学の保障です。そしてこれらはともにSNE[1]Special Needs Educationの問題です。ところが、京都府の高校はこれらをバラバラに捉えている。そして障害のみを特別なニーズとみなして「個にあった教育を」ということで分離教育をする一方、日本語指導を必要とする生徒についてはノウハウがないからてんやわんやするだけです。いや、先行事例から学べよと思うけど、そういう動きは見られません。
ここをなんとかしたい。
てことで、そのための布石を打っておきました。
で、夜の仕事へ。
今回は、前回書いてもらった「生徒指導がらみの教員の思い出」「よかったと思う教員の思い出」「イヤだと思った教員の思い出」のシェアです。が、その前に骨折のあれこれなんかを話してみたり。笑いがとれました(笑)。
で、3つのグループにわかれてディスカッションしてもらったけど、おもしろいですね。イヤだと思った教員とよかったと思う教員は、表裏一体であることや、過去に思ったことが必ずしも現在の評価と一致しないことや、それなりに批判的に振り返ってもらうことができたんじゃないかな。なので
「みなさんの発表を聞きながら、なんか、少しずつ「生徒指導」に近づいてきた気がします」
とコメントしてみたり。
そして最後は「フィンランドの教育」のビデオ。マイケル・ムーアのやつです。みんなこの映像をどう捉えるかな。
授業のあとに、学生さんが来られて、なぜか大学院進学についての相談を受けたり。
なんかおかしい(笑)。でもうれしい。長い教員人生の中で、大学進学の相談はあったけど、大学院進学についての相談ははじめてですからね。まぁ、わたしの研究分野とかぶってるからなんですけど、ビビったのは、わたしを高校教員ではなく研究者として見ていたというか、わたしの研究分野を知ってたというあたりですね。わたしのおべんきょ成果も読んでおられたとのこと。
悪いことはできひんな(笑)。
帰りの電車の中では恒例の会議にzoomで参加。便利な世の中になったという評価でいいんだろうか…。
さてと。今日はいっぱい仕事しました。さぞかしビールもうまかろうo(^^)o。

footnotes

footnotes
1 Special Needs Education

ウトロでつい引き受けてしまう

土曜の朝は猫の額。

今日はそれほど寒くないなと思ったけど、やっぱり寒いものは寒いので早々に退散しました。
で、ウトロに向かいます。今日は久しぶりの農楽の練習です。この日の思いを実現できるか?
ウトロに到着して、まずは祈念館へ。

飯場がきれいです。

で、集会所にもどって古巣の2階へ。チンをひっくり返すと…。「ウトロ農楽隊」の文字が!

ずっとここでやってたんやなぁと、あらためて思います。かつて壁に貼ってあったチャンダンの譜面があったりして、あまりにも懐かしすぎます。
外を見ると、写真を撮りたくなりました。

こちらはまだ昔の風景です。ちなみに、左側にある放火跡は撮りたくない。
てことで、ケンガリ・チャンゴ・プクの3人で練習開始。もちろんわたしはプクです。うーん、プクのドコドコいう音が心臓に心地よい。楽しいなぁ。と、
「いつきさん、本番やるならチャンゴやね」
とか言われて、げげっと思うなど。でも、しかたないです。練習しましょう。
叩けない…。とくに「キタ」がムリ。これはヤバイです。てか、忘れてるチャンダンもあるし。まぁ焼肉の時もプクが楽しすぎて、プクばっかりやってたからなぁ。
そんなこんなで、1時間半ばっか練習して楽しんで。その後、1階に降りてウトロ喫茶へ。
喫茶の準備をしながら、オープニングウィークの打ち合わせをしましたが、げげっ毎日来なきゃあかんやん。まぁ音響だから当然か…。空きの時間にどこかにこもってゲンコを書こうかな。
と、「ウトロ農楽隊の紹介文を書いて」と頼まれて、さらにげげっとなるなど。
そうこうするうちに、ウトロの人達が続々と来られました。農楽隊の人もおられます。と、Mどりさんが来られました。
M「なんや、久しぶりやな。うちに会いに来たんか(笑)」
い「そうですねん」
M「この人な、うちの彼女やねん」
相変わらずです。うれしいな。
しばらくしたら、さっきのメンバーでちょこっと農楽演奏。MどりさんとHる子さんの前にプクを持っていきました。
「そんなん、ムリやわ」
と言いながら、気がつくとプクを叩きはじめるおふたり。身体に染みついた音は忘れません。
てことで、オープニングウィーク中にウトロ農楽隊が再結成することが決定しました。すでに、一緒に叩けない方もおられますが、それでも再結成です。とてもとてもうれしい。
ということで、家に帰って、まずは気合を入れてと。

そして、紹介文を書きました。

ウトロというと、どうしても「闘い」のイメージが先行しがちです。しかしながら、ウトロは人びとの生活の場であり、そこには人びとの営みがあります。
ウトロの焼肉で農楽をすると、たくさんの人がチャンゴを叩けることに驚きます。そして例外なく「もっとうまい人がいる」と言われます。ウトロでは、チャンゴは特別な技術が必要な「芸術」ではなく、生活の中にあることがわかります。ウトロの農楽は、ウトロに生きる人びとの日々の営みを伝えてくれるものです。

さてと、次は自分のおべんきょだ。

復調傾向

今日は子どもたちは「家庭学習日」です。かつてはすべての定期試験のあとにあったのですが、今は学年末試験のあとだけです。まぁ、子どもたちの1年が決まる会議や成績処理がある期間なので、ここも「授業」とか言われたら暴れます。てか、それ以前にやるネタがないし。

ちなみに、朝、facebookを見たら、武田緑さんの投稿にいろんな人がコメントしてましたが、なにを今さら感がひしひしと押し寄せてきました。いや、校則と学校と社会の関係についてはずっと昔に武田さんにコメントしたことがあったし、なによりここのブログでちょこちょこ書いてます。なので
「だから言ってますやん(笑)」
とコメントしたら
「どこで?見たことがない」
とのコメント。どうやらfacebookの世界のことを指しておられるようだったので、
「わたしが発信してるのはブログです」
と返事。まぁ、こういう古くさいやり方をしてたら、誰ものぞかないからこういうことになるんだろうけど、ブログって、反射神経で書けなくて、書くのにそれなりの時間をかけるし、それはタイムラインみたいに流れずにとどまってくれるから、わたしは好きなんですよね。
ちなみに、その方はご自分のマスクのことへの返信と思われたらしく、わたしのブログのマスクに関する記事を見られたらしいけど、わたしのコメントは武田さんに向けられたものなので、校則に関する話なんですが、まぁそういう早とちりもfacebookならではですね(笑)。

てことで、出勤。
誰もいない職員室で、おべんきょ成果について、あれこれ考えます。なにせ、ここで書けなければ、ほんとにどうしようもなくなってしまいます。焦ります。
ほんとは10人分の語りの分析をしようと思ってたけど、ぜったいに時間的に間に合わないので、ひとりだけの分析をこってりやろうかなと。まぁ「こってり」できるほど自分に分析能力があるとは思えないけど(笑)。
で、やろうと決めた方は土肥(2019)の時にインタビューしたけど、扱うのを断念した方です。この間書いたように、この語りがとてもおもしろい。おもしろいけど、分析が難しい。なにがあったか、本人にもわかってない。いや、「わからない」と語っている。てことは、なぜ「わからない」とし、そういう語り方をするのか。そこから謎に迫るしかない気がします。でも鉤括弧をはずしたい気持ちが強いということをあるんですよね。つまり「他者の合理性を理解する」ために「自分の解釈に変更を加える」ってことです。つまり、語ったことはあったんだと考え、そこには合理的な理由があって、それが理解できないのは「わたし」の理解が及んでいないとする。そして、解釈を変更することを通して「理解しようとする」。そのために、時代背景や社会背景の調査も用いる。
うーん。できるだろうか。
てか、たぶんこうだろうなという予測はあるのです。そして、それは「わたしに対して」だからこそ投げられた言葉だと思うからです。つまり、その言葉を使うことを通して「わかるでしょ?」と言っている。ただ、そうであるなら、それがそうであることを示すための根拠は必要だな。
いずれにしろ、「ある性別で生きる」ということは、一筋縄ではいかないというか、ひとつの方法論だけで捉えられないってことが示されるんでしょうけどね。
しかし、人々があたりまえに達成している「ある性別で生きる」ことを、これほどまでにテクニカルにやらなきゃならないことを明らかにするトランスジェンダーって、ほんとうに分析対象としておもしろい。
なんてこと考えると、「鉤括弧をはずす」どころか、エスノメソドロジーに行っちゃうじゃん。困ったものだ。

とにかくそんなことを考えながら、語りの中の使いたいところを抜粋して終わりました。まぁでも進んだな。

総括

今日は1時間目・2時間目と試験返しです。
まずは進学系の少人数クラス。ここは年度当初緊張したなぁ。昨年度の同じ感じのクラスがメッチャクチャ活発で、同じ感じかと思いきや、みんなマジメで、リアクションがない。だから、いかに授業中にザワザワできるようにするか、かなり悩みました。でも、そのおかげか、年度の最後はそれなりにザワザワするようになってきてよかったかな。
文系って、進学クラスでも数学がメッチャ苦手な子がいます。ところが進学クラスだから、そうじゃないクラスよりも内容も多いし進度も早いし、おそらくたいへんです。だからこそ、生徒に頼らないとどうしようもない。
てことで、このクラスのある子の感想。

1学期、2学期と、毎回赤点をとってしまったけど、3学期は赤点をとらなくてうれしかった。いろいろな人に教えてもらえた。○○に特に教えてもらった。席が近くてよかった。楽しかった。

そして、「フツークラス」。ここはおもしろかった。楽しかった。担任が同い年で気心知れた人で、放牧しながらもうまくまとめていく人だから、子どもたちがいきいきしてます。もちろん学力は基本的には低いです。ただ、メッチャ高い子も数人います。まぁ標準偏差が大きいってことです。平均点は毎回最下位。でも、そこがわたしの勝負どころではありません。年間トータルで赤点が出なければいい。そのためには、苦手な子が「やる気」になってくれないとどうしようもないです。そのために「助けて」と言い続けました。そしたら、本気で助ける子が出てきました。その子に助けてもらった子の感想。

今まで数学はわからないから寝ていて、赤点ばっかりで、3学期になって授業を聞くようになり、真剣に受けるとわかりやすい授業でびっくりしました。昨年は数学がわからなくて楽しくなかったけど、数学の楽しさが少しわかった気がします。1年間数学を教えてくださり、ありがとうございました!

この子が授業を聞くようになってくれたのは、本気で助けようと思った子が、わたしの代わりにつきっきりで教えながら、要所要所で
「ほら!聞き!」
って言ってくれたからです。数学の楽しさを伝えたのはその子です。感謝しかありません。
で、わたしからも話。

とにかく、みんなには数学の授業を楽しんでほしかった。もちろんしんどいこともイヤなこともあったと思う。でも、1年間を振り返った時、なんだかんだいろいろあったけど、楽しい1年間だったなぁって思ってくれたら、それでいい。
あとね。
もうひとつ伝えたかったのは、わたしたちって、みんな身のまわりのことにしか関心がいかない。でも、ウクライナでは原発の電源が失われている。そして11年前に同じことが福島で起こり爆発した。それは地続きのところで起こっているできごと。そういうできごとを身近に感じ、そしてそれを大きな主語で語るのではなく、半径1メートルの言葉で語ること。そのことの大切さでした。
とにかく、楽しい1年間でした。ありがとう。

そうそう。こんな感想がありました。

どひちゃん、おつかれ様でしたー!多分変な奴って思われてるとおもうけど、変な奴です^_<-☆1年間怒らせたり困らせたりしたけど、人生最後の数学がどひちゃんでよかったつてめっちゃ思ってる!!!最後のテストはぜったいどひちゃんのこと感動させたいと思ってたから、毎日夜、わかるまで実はがんばって解いてみました!あんなけきらいな数学たのしかったんはどひちゃんのおかげです。先生今までおつかれさま!どひちゃんの雑談おもしろかったから、3年生さびしい(泣)がんばって生きていきます!

この子、何度も赤点とったけど、最後は50点以上とってくれました。すなおにうれしい。

ここから、成績処理です。
どれだけうれしい感想が返ってきても、結果がダメなら、やはりダメです。集計してみて、うーん。まぁ、わからんな(笑)。
その後、会議。うーん(笑)。
そうそう。再来年度のための書類を送らなければ。てことで、公用車を漕いで郵便局へ行ったり。
夜は1日早いパートナーの誕生日パーリー。まぁなにがあるわけでもないけど、下の子どもがつくってくれたケーキをみんなで食べます。
そんな感じの1日を過ごしてたら10時過ぎに眠くなってしまいました。