躊躇すること

道をふさぐように車が信号待ちしている道に、バイクで右折しながら入っていきました。ミラーにぶつけないように、そろそろと入っていったのですが、車の中でなにやらどなっています。そこの道、たしかに一方通行なんです。わたしは逆走です。なので、「なんでおまえ入ってくるんや!ミラーぶつけたら、ただではおかんぞ!」とか言っているんでしょうね。でもね、一方通行の表示の下に「2輪を除く」って書いてあるんですよ。
通学途中の子どもたちがいる細い道を車でそろそろと進みながら、少し大きな道を横断しようと思いました。すると、大きな道の方から右折しようとした車が、わたしが出るのを待ってくれていることに気づきました。さらに後ろには車が続いています。左側の車もわたしを通そうと待ってくれています。じゃぁ、と思って、ゆるゆる横断しはじめたら、バイクに乗ったおじさんが信号を指さして、なにやらどなっています。「こらぁ!赤信号やないか!」とか言っているんでしょうね。でもね、その信号、歩行者用信号なんですよ。
皆さん、自分が正しいと信じ、間違ったわたしに対してどなっているんでしょうね。でも、自分に「間違いがあるかもしれない」と考えながら「躊躇すること」って、とっても大切なんだと思うのです。
そうそう、テレビの中にも自らの正しさを信じて怒鳴っているお猿さんがいたなぁ…。

9・11かぁ…

きっと、ほとんどの教員は、ふだん通りの授業をしているんだろうなぁ。そして、生徒たちも記憶の彼方に、というか、記憶すらしていないんだろうなぁ。
でも、きっと未来の歴史の教科書*1に、あの日は間違いなくターニングポイントとして書かれているんだろうなぁ。どんな書かれ方をしているだろう。もしもアメリカの歴史教科書に「アメリカの対外政策の独善さが…」みたいな書き方がしてあったら、たぶん「自虐史観」とか批判が出るんだろうなぁ。

*1:いや、その頃に人類が生きていたらとしたらですけどね

報道ってなんだろう…

よく考えてみると、どの局にあわせても同じニュースを流しているって、どういうことなんだろう…。いや、「生まれた」報道だけじゃなくてなんですけどね。
報道するっていうことは、「これをみんなに伝えたい」と思ってやるものなのか、「きっとこれをみんな知りたいだろう」と思って伝えるものなのか。あるいは「こういうふうに伝えたい」と思ってやるものなのか「こういうふうに伝えてほしいと思っているだろう」と思ってやるものなのか。
きっと、最前線の人たちは「これをみんなに伝えたい」「こういうふうに伝えたい」と思ってやっているんだと思います。それがなぜ受け手の側にはそうは伝わってこないのかなぁ。甘いと思われるかもしれないけど、すくなくとも、個人的には、「報道なんて」というバイアスでは報道を受けとめたくはありません。
きっとどこかでなにかがすり変わっているんだろうな…。

生まれたらしい

帰りの車のラジオ、どの局も「生まれた」報道ばっかりです*1帝王切開ねぇ。友だちもそうだったな。麻酔科医の担当チームとかなかったと思うけどなぁ。まぁ、それが必要な人と不要な人がいるんだろうな、この世には。
報道を聞いていて思ったのは、「生まれながらに敬語を使われる人がいるんだなぁ」ということ。その人物がどういう人物かもまだわからないのにね。で、もしも「赤ちゃん取り違えてました(笑)」とかいうことが起こったら、いきなり敬語じゃなくなるわけで。
そうそう、笑ってしまったのは、担当医のインタビュー。「御手術」ってなんだよ(笑)。

*1:たまたまかもしれないけどね

Help!・その2

帰りの車の中のニュースで…。
安倍氏が総裁選出馬表明とか。「美しい国、日本」その内実として「自由と規律を知る凜とした国」「他国から尊敬される国」。なんかいろいろ言ったらしいです。
こわい…。
「美しい」の中身は誰が決めるの?「規律」の中身はだれが決めるの?「尊敬」って誰がするの?
あまりにも形容する言葉が多すぎます。形容詞の中身は、人さまざまだし、その自由度が認められるものだと思うのです。でも、それを一般化してしまう動き。こわすぎます。
「規律」ひとつとっても、先日の校内研修ですら論議がありました。わたしなんて、全員がきちんと前を向いて静かにしている教室*1よりも、みんなが数学について教えあいながらワヤワヤやっている教室*2の方が、はるかに規律があると思っている。でも、ウチの学校でも大半の教職員は前者が「規律」と思っている。たぶん、「規律を知る」となると、わたしなんてつぶされるんだろうなぁ。そういう教育改革を「上から」やるわけでしょ?しかもそこに「自由を知る」なんてある。完全な矛盾だと思いますけど…。
「尊敬」。誰かから尊敬されるのって、「尊敬されよう」と思ってできることじゃないと思うんですけど。自分がしなくちゃならないと思うことを淡々とやった結果として、もしかしたら尊敬されるかもしれないです。でも、そんなことは自分が望むこととは別に、副次的にくっついてくるかもしれない結果でしかありません。
再度掲載です。

庭上一寒梅  (テイジャウノイチカンバイ)
笑侵風雪開  (ワラフテフウセツヲオカシテヒラク
不争又不力  (アラソハズマタツトメズ)
自占百花魁  (オノヅカラシムヒャッカノサキガケ)

*1:裏返せば、「自分のことだけをやる」考え方

*2:裏返せば、「仲間のことを考えながら自分も伸びていく」考え方

Help!・その1

行きの車の中のニュースで…。
大阪市では、同和地区に過剰に配置されていた教員を引きあげて…」「青少年会館の利用率が低いので、民間委託して…」
おいおい…。
そりゃぁ昨今報道されている不正行為はあかんと思います。でも、それと加配制度って関係ないっしょ。
そもそも、「過配」じゃなくて、「加配」です。「加えて配置」をしているんです。つまり、加配設置校は、教員定数外に教員が配置されているんです。結果的に、教員数に余裕があるんです。教員数に余裕があったら、最終的にその学校の教員の仕事に余裕が出てくるのです。それが、最終的には、その学校のすべての生徒に還元されていくんです。加配って、そういうものなんです。
加配を引きあげるということは、その学校の教員数が減るということです。ということは、例えば分掌配置をはじめ、試験監督や掃除監督などの細かいところにいたるまで、「引きあげ前」と同じレベルを維持しようとすると、加配以外の教員の仕事の負担が増えるんです。すると、その跳ね返りは生徒達に行くんです。
いま、現場では少子化に伴って、一校あたりの教職員の数が少なくて、ひいひい言っています。「生徒が少なくなったら教員も少なくなるでしょう」と思われがちですが、実は違うんです。生徒が少なくなっても、仕事の総量は実は、あまり変わらないんです。だから、いまの定数法では学校現場はまわらなくなってきているんです。なぜ、「加配を引きあげろ」という方向に行くのかわからない。なぜ「すべてに学校に加配を配置せよ」にいかないのか、わたしにはわからない。
同じことは、青少年会館の利用の問題にもあります。使えばいいじゃん。なぜ使わないの?いま、青少年会館は一般に開放しています。例えば、青少年会館じゃないけど、人権文化センターをトランス交流会で使った経験があります。使えるんです。なぜ使わないの?民間に委託して、なにかいいことがあるの?トランス交流会の時にはずいぶんと便宜をはかってもらったけど、あんなの、民間に委託したらできなくなると思います。それだけじゃないです。いま、「夜回り先生」みたいなことをやっている青少年会館もあるんですよね。それもこれもいっしょくたにしてつぶそうとする。
なにかが違う。話の展開の方向が、どこかまちがっていると思う。

感想文を読んで

終わってから、書いてもらった感想を読んだのですが…。
たいていの人は「よかった」という感想なんですが、なかに「性が多様というならば、お好きになさればよろしいじゃないですか」なんていうのがありました。講師の方々、これを読んでひとしきり笑ったあと「この人、なにがあったんだろうなぁ」と、みんな逆に心配していました。この人「聞きたい人だけが聞くようにしてくれ」とも書いていたのですが、「君が一番聞かなくちゃならないんだけど、その前にやらなくちゃならないことがあるよなぁ」とも思いました。てか、同僚にも変なのがいるんだけどね(笑)。
他にも「ウチの学校に問題が起こっているならともかく、なにも起こっていないのにこんな研修をする必要はないのではないか」なんていう感想がありました。「なにも起こっていない」と思えるのは、きつい思いをしている生徒が隠しているからだということに気づいていないんですよね。「きつい思いをしている生徒がいるかもしれない」という想像力が働かない教員がいるというのが、見事に顕在化しましたね。それと、こういう研修って、「なにかあってから」では遅いからやっているということなんですけど、これもまたわからないんだなぁ。
ま、他の「重要(笑)」な課題の時には決して出てこない感想が出てくるのが、この手の「どーでもいい(笑)」課題の研修のおもしろいところかな。

89年から92年の間にあったこと

あのアルバムの年号は、ちょっとややこしいんです。いちおう、あれは、表記の前年の4月から表記の年の3月までの間に撮った写真なんです。なので、「89年から92年の間」というのは、正確には「88年4月から92年3月の間」あるいは、「88年度から91年度の間」ということになります。わたしは、基本的に年度で考える方が楽なので、その時系列で考えると次のようになります。

1988年度
不当人事を蹴飛ばした関係で、校内人事で報復にあう(笑)。腹が立ったけど、上司がいい人で、土日がメインの仕事が担当になった。平日がヒマだったので、一生懸命走ってダイエット成功!QOLが著しく向上した(笑)。
1989年度
やけくそ人事の結果、念願の1年担任。これが、担任人生のスタート。すごく張り切って仕事をして、生徒にうっとうしがられる(笑)。でも、いまにいたる教員人生の基礎ができた頃。秋ごろに、いろいろ出会いがある(笑)。築100年と噂される家に引っ越しを決意する。
1990年度
「あの旗」とか「あの歌」とかの関係で、さっそく担任をはずされる(笑)。すねて一年仕事をしなかった。引っ越し決行。一方、昨年度の出会いの結果、この年度の最後の日に結婚する。
1991年度
他の担任さん達が、やいのやいの言ってくれてm(_ _)m、担任復帰。すぐに、子どもができたのがわかる(笑)。はりきって仕事をする。年明け早々、教室で生徒達に「早よ掃除せんかい!」と怒鳴っている最中、上の子どもがうまれる。初の卒業生を送り出す。

という感じですか。
いろいろあったなぁ…。