シンポの後は懇親会。懇親会の席では、いろんな人といろんな話をしたのですが、中でも最後の問いは、自分としてはとても興味があったので、懇親会の最後に明秀さんのところにいきました。
シンポの時に、わたしは「セクシュアルマイノリティの場合、階層などには関係なく普遍的に存在する。だから、すべての当事者が「権力」へのルサンチマン・あこがれを持つわけではない*1そのために、その切り口で語ることが難しいんじゃないでしょうか」ということを提示するにとどまったのですが…。でも、明秀さんにとっては、それなりに腑に落ちるところもありながら、考えるところでもあったようです。
ついでに言うと、セクシュアルマイノリティというくくりもかなり大雑把ですよね。ゲイとレズビアンとではぜんぜん違うし、トランスだってMTFとFTMではぜんぜん違う。なので、それらをひとまとめにして、一つのルサンチマンにもっていくのは相当無理があるんだと思います。でも、「MTFは「若い女性」という記号へのルサンチマンとあこがれがある」とか言われたら、「そりゃそーだ(笑)」となる可能性は大ですよね。でも、そんなもん、運動にも何もならないわけで*2、明秀さんの話との接点は持ちにくいだろうなぁ…。
カテゴリー: 考え
三角比の導入
てことで、1年生の授業は三角比の導入。
通常三角比の導入は直角三角形の辺の比で説明するのですが、ここ数年、「う〜ん」と思っています。なので、2年前から「バックネットの高さを測ってみよう」という問題からはじめることにしました。
いきなりこういうお題を出すと「わからへん」とか言うのですが、「なんしか考えてみ」と、とりあえずやらせます。まず一番多い答えが「巻き尺を持ってのぼる」です。当たり前ですね。
そうそう、ツールとしては、巻き尺と分度器を使うことにしています。今年の秀逸な答えは「分度器をおもりにして巻き尺の先っちょを投げて、バックネットの最上段を越えさせて地上まで落とす。そこではかった長さを半分にする」というの。ちゃんと分度器を使っているので、思わず「正解!」
で、そこから対象までの距離と仰角を使ったらいろいろできることを説明します。ちなみに、ここではタンジェントを使うのですが、「底辺が1の直角三角形において、仰角がAの時の高さをtanAとする」という言い方で説明をします。なぜこういうふうに説明するかというと、Aの大きさと高さに相関関係があることが直感的にわかるということと、tanAがひとつの数値をとるということが直感的にわかるということなんです。つまり、三角比の表には「直角三角形の高さの一覧表」が書いてあるという説明になるんです。
同様に、sinとかcosは、斜辺が1の直角三角形の高さや底辺の一覧表というふうに説明をします。
で、一通り測量問題をやったあとで、「じゃぁ、逆に辺からsin,cos,tanを求めてみよう」というふうにして直角三角形の辺の比にもっていきます。で、こいつも「表を使えば角度がわかるよね」というふうに、具体的な数値に持っていく。
とりあえず、すべてを具体的な数値の問題にして定着をさせてから、一般化をしていきます。
こんなやりかた、どうですかねぇ…。
そうそう、このやり方、もう一個メリットがあって考えたり作業をしたりする時間がけっこうあって、モロに授業をしなくてすむので、夏休み明けのリハビリにちょうどいいんです。てか、こっちが理由か(笑)?
Prove it!
今日は、うちの父親が某教会で話をするとか。「聞きに来い」と言うので行ってみました。
なんつーか…。自分がかつて通っていた教会に行くっていうの、やっぱりきついと言えばきついですね。小学校に入る前から通っていて、大学1年生まで所属していたわけですから。しかも、その後、隣の教会に移るということで、悶着まで起こしていて、なかなかたいへんでしたからねぇ。
で、案の定、まずは「(父親の)ご家族の方ですか?」「あちらはお孫さんですか?」「奥様ですか?」と質問攻めです。「はぁ」「まぁ」「え〜っと…」と歯切れの悪い返答をしていたのですが、しょせんは過去を知り尽くされている場所(笑)です。「あぁ!◯◯ちゃん!」とばれてしまいました(爆)。
そうそう、うちの父親の話の内容ですね。まぁ、自分が出会ってきた人々の話から、最終的には「最後までやり遂げること」というメッセージを発していました。
ただ、わたしとしては、途中にあったひとつのエピソードがすごく印象に残りました。
ある学生が、ちょっと気の利いた自説を誇らしげに話をしていました。すると、そこにいた教授が「Prove it!」と鋭く返しました。すなわち、「実証せよ」ということですね。
学問の世界ではあたりまえのことなんですが、なにか説をとなえようとおもったら、実証するということが必要なんです。それが、文献であれなんであれ。ですから、その教授は鋭くそのことを問うた。
なぜか英語だったのですが、その一言がわたしにとってすごく心に残っています。
だいたいこんな話だったと思います。
わたしにとって、「Prove it!」とはなにかと考えました。
わたしには、文献にあたって自説を実証するような「学力」はありませんし「熱心さ」もありません。そんなわたしが、どのようにして「Prove」するんだろう…。そんなことを考えている時に、「最後までやり遂げること」という最後のメッセージがあったのです。
なるほど。文献なんかにあたって研究の結果実証できないわたしみたいな人間は、「生きざま」で実証する以外ないんだな。もしかしたら、最終的に実証できずに終わるかもしれない。でも、実証するためには、最後までやり遂げることが必要なんだな。そう思った時に、なんだかすべてがストンと落ちてきました。
重い腰をあげて、またチョビチョビやろうかな…。
時代はそこか…
うちのVTR、なんかよくこわれます。しかも、引っ越しをした時に保証書とかどっか行ってしまっているし、長らく不便をしながら耐えてきたのですが…。限界です。お金はないけど買うことにしました。
で、電気屋さんへ。
VTRがありません_| ̄|◯。なんか、ほとんどがDVDレコーダーだのHDDレコーダーだのです。VTRがあってもDVDとのダブルデッキだったりします。いったい世界はどうなってしまったんだろう…。
でも、今わたしが必要とするのは、1万円そこそこの、単に録画ができたらいいだけのVTRなんです。Gコードも使わないからいりません。衛星も必要ないです。デジタルで録画できても、最終的なアウトプットは相当前の25型ブラウン管ですから、その程度の画質です。で、3軒探してやっと見つけました。
ええねん、時代遅れでも…。
搾取?
美しい国
なんでも、美しい国って、四季があるそうな。で、その四季がこれまた美しいそうな。
四季があるということは、春とか秋だけじゃなくて、寒い冬も暑い夏もあるわけです。
てことは、「四季があるから美しい」とのたまう人は、「暑い夏」をも満喫してほしいものですね。まずは、自分の家とか自分の職場とか自分(たち)の集会所とかのクーラーを切りましょう。28℃の設定なんかじゃ夏は満喫できません。「暑すぎる」なんて言っても、そこは「美しい夏」ですから受けいれなくちゃなりません。もしもそれができないなら、「四季があるから美しい」なんていうことを、言ったり言わせたりするもんじゃねーよ。
帰りの電車の中にて
動くことは出会うことなんだな。そして出会うことが、自分の財産になるんだな。その財産を独り占めするんじゃなくてシェアしていくことで、その財産は何倍にもなるんだな。
中島通子さん
寝る前に夕刊を見てびっくりしました。中島通子さんがハワイで亡くなられたとか。
日教組教研・両性の部会の助言者としての中島さんと幾度かお会いしました。なかでも、最後の助言者となられた北海道の教研集会での中島さんの話を思い出しました。その後、リバティ大阪の展示の中に中島さんの名前を見つけた時、その長い闘いの歴史の中に北海道での話が位置づけられていることをあらためて認識しました。
あの中島さんと再びお会いすることができないということが、ほんとうに残念です。
ハッピーマンデー
3日間連続してたいがいな生活を送っていたので、今日はさすがにダメダメです。朦朧とした頭で、それでも授業をしなくちゃなりません。てか、期末試験が終わった後に2週間もどんな授業をするのよ。しゃーないから普通にやってますけどね。
そもそも、昔は期末試験→試験休み→突然終業式→夏休みでした。ところがその後、期末試験→試験返し→終業式→夏休みになりました。ここで、「試験返しがあったら採点の時間がとれない。試験を前にして時間を確保しろ」などという人が出てきました。ところが、ちょうど授業時数確保が叫ばれはじめた頃で、「期間が長くなったんだったら、その時間授業をしろ」ということになって、現在のように期末試験→平常授業→終業式→夏休みとなってしまったわけです。
個人的には「採点の時間云々」という話を出した時点で自らのクビを絞めてるでと思うのですがねぇ。まぁそんなことを言ったら「数学の人間に何がわかる」と言われるのがオチですか…。
ということで、平常授業。
ところが、今日は火曜日であるにもかかわらず月曜日の授業を実施することになっています。しかも、時間割は1→2→5→6→3→4という変則な時間割。
なんでこんなことになるかというと、ハッピーマンデーのせいなんです。つまり、休日が月曜日に集中しているわけです。すると、月曜日の授業が必然的に少なくなります。週4時間ぐらいあるような大きな単位数の授業だったらいいのですが、1単位の授業*1が月曜日に入っていると授業時数がぜんぜん足りなくなります。しかも、単純に曜日の振り替えをすると、非常勤講師の方の時間割の問題が出てきます。非常勤講師の方はスポットで授業に入っておられて、うちの職場で授業をしていない日は別の学校で授業をしておられることも起こってきます。となると、その人の空き時間を考えながら授業を組まないといけない。
てなことで、おそらくは教務的にはハッピーマンデーってすごく困りものの制度なんですよね。
で、わたし個人としては…。火曜日は1時間目に授業があるけど授業時数が少ない。月曜日は1時間目はない*2けど授業時数が多い。どっちがいいのかなぁ…。てな話かよ!
自主的に…
最近雨続きなもので、どうしても通勤は車になってしまいます。
バイクだとipodをつないで適当な曲をかけているのですが、車の時はFMをかけています。かつては、某京都つながりの局をかけていました。行きの時間帯は、低音が響く人がキャスターをしておられるのですが、ん〜…。まぁいいや…。帰りの時間帯は、やたら元気のいい人がキャスターをしておられるのですが、こちらのほうはジェンダーバイアスは入りまくりで「お腹いぱーい」という感じ。なので、最近は無難なところでNHKを選択しています。
家を出るのがだいたい7時過ぎ。15分までは全国のニュースがかかっていて、20分まではローカルニュースがかかっているので、ちょうどいいです。
で、最近気になったニュース。
保険庁の職員全員にボーナスの50%〜5%を「自主的に返納」するように求めるというのです。なんでも、返納しやすいように分割も認めて、全員が自主的に返納するように促すとか。
もう、あまりにもムチャクチャですよね。んなもん、明らかに「強制」ですよ。
最後の一人になった日にゃぁ「君が自主的に返納したら全員だ」みたいなプレッシャーをかけるんでしょ?あまりにもおかしすぎますよ。
そうそう、そういえば、この国ではボランティアも全員にさせるんでしたっけ。まっとうに翻訳すると、「全員強制のただ働き」ってやつですか。やらされるほうもいい迷惑だし、受けいれさせられる方ももっといい迷惑ですよ。で、誰が満足するのかというと、強制した人間だけ、と。で、その人たちが満足する結果が出なければ「これほどやっているのに成果が出ないのは、現場の責任だ」とくるんでしょ?
いや、こんなもん、絵空事じゃないです。いままでさんざんやられてきましたよ。あたしたちゃ。
数学においてすら、迷走する学習指導要領のもと学習指導の筋道をずたずたにされ、その結果「学力低下」と断定されて、「免許の更新」とか「授業時数増」とか言われているわけですがな。
まぁ、この国にはこの国独自の「美しい自主性」があるんでしょうから、その自主性にのっとって「任命責任をとる」とか「領収書の公表」とかやりゃぁいいのにね。あ、このあたりで「自主性」を発揮すると除外診断になるか…。