国民という呼称の氾濫

なんか、小沢の秘書がタイーホとか…。
まぁそれはそれとして、政治家もマスコミも、ひたすら「国民への説明責任」と連呼しています。
「国民」なぁ…。
てことは、在日外国人への説明責任はないということかなぁ。
「国民」という言葉は、自動的に「国民でない人=外国人」を除外する言葉なんですよね。
最近、総選挙をにらんでか、やたら「国民」「国民」と連呼しています。それを聞くたびに、知りあいの在日外国人の人たちの顔が浮かびます。前はこういう言い方、少なくともマスコミはあまりしなかった気がするけどなぁ。
そういえば、マスコミはかつては「北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国」と言っていたのに、今では平気で「北朝鮮」だからなぁ。
どこかで歯止めをきかせないといけないし、そのためには、ひとつひとつの言葉の意味をていねいに考えながら使っていかないといけないような気がします。

そこで聞くか?

今日は、職場をちょっと早めに離れて、某公立高校通信制に願書をもらいに行くことにしました。2月としては暖かい陽射しの中を、バイクでブゥーっと走ると、すごい気持ちがいいです。
で、願書の受けとり。事務の方から
「ここに必要事項を書いて下さい」
と言われて、その紙を見てびっくりです。
出身校・名前・学年は、まぁ必要事項だからいいです*1。その横には「性別」とあります。
入学後ならまだわかる。いや、出願書類に書くのも、まだわからないわけではない*2。願書をもらうのになぜ性別がいるのか?
予想外の出来事に、思わずうろたえながら書いてしまった自分が情けないんですけど、これはあしたうちの管理職に言わなくちゃな…。

*1:学年もいるのか?とは思うけど、まぁ転学用の願書だからしかたがないのかもしれない

*2:必要ないと思うけど

お局日記に寄せて(笑)

呑みながら「女性のコミュニティ」と「男性のコミュニティ」の話をちょろっとしていたのですが、おもしろい話になりました。
ある方に「女性のコミュニティはだいたいフラット」と言うと
「いや、女性の方がヒエラルキーがきつい気がする」
と言われるんですね。
「それは、例えばバレエとか、そういうところでは、すごくきびしい競争があって、そこに厳然たるヒエラルキーがある」
と言われるんですね。なるほど。そういえばそうですね。言われてみると、女性のヒエラルキーって、すごく厳しい気がします。反対に、男性社会のヒエラルキーって、実は少し緩やかです。「上と下の関係」も、もしかしたら女性社会のそれに比べて緩やかかもしれません。
そう考えた時、「男性社会のヒエラルキーって、成熟しているのかなぁ」とふと思ってしまったのです。
極端な話、男性社会のヒエラルキーにおいて、自分の位置の決め方ってすごく簡単でして、お互いに「いくつ?」とか「(大卒の場合)大学何年に入ったの?」とかいう情報をやりとりすれば、簡単に「位置」が決まります。あとはその秩序に従って適切な位置関係を保てばいい。
かつ、それをあえてひっくり返すことも「あり」だったりします。というのは、厳然たる「位置」が決まっているから安定しているんです。上の人間からしてみたら、「かかってこいや!」みたいな感じでちょこっと角の突っつきあいをして、「こいつおもろいやん」とか思ったら「おもろいで」ということで「位置」をつくる。「上」の人間には「位置をつくる/つくらない」という権限もあるわけです。で、それを「下」の人間もわかって受けいれている。
さらに言うと、「下」の人間も、いずれは「上」になることが約束されている*1
に対して、女性のヒエラルキーは、まずは総あたり戦を繰り広げないといけないのかな?しかも、「ヒエラルキーを維持しよう」とする力と「フラットであろう」とする力が常に拮抗している。いや、おそらくは「フラットであろう」とする力の方が強い。拮抗があるのは少数である「上」の持つ権力によるんじゃないかなぁ。だからこそ、「上」の人間はヒエラルキーを維持するために、より強固に自分が「上」であることを守りにはいる。そこに「男性社会のヒエラルキー」にある「余裕」はない。
そう考えた時に、男性のヒエラルキー社会における革命の方法と、女性のヒエラルキー社会における革命の方法は、どうやら違うらしいというふうに思いはじめるのです。
てことで、より広範な「フラットな関係」を求める人たちを広げるための営みとしての宴会、ぜひとも成功させて下さいね。できることがあったら連絡くださいな。>Y◯ちゃん

*1:まぁ、今となっては崩壊しているようにも思いますが

「場」をつくってもらうこと

最後の宴会の時に、北海道のT村さんとしゃべっていたことですが…。
男性のコミュニティへの入り方って、ヒエラルキーの中のどこに位置づけられるかを、適当に突っついて探って、「ここだ」と思ったらサクッと入れる。まぁ言ってみれば、トップとかボトムとかと突っつきあいはしなくてもいいんですよね。
で、女性のコミュニティに入ろうと思うと、そうはいかない。
女性のコミュニティのありようって、多少の上下はあるにしろ、基本はフラット。例えがいいかどうかわからないけど、多少うねりのある平面にボールがひしめきあっている感じかな。
そこに入れてもらおうと思うと、一人一人とていねいな対話*1を続け、もしかしたら、わたしとの対話の中でわたしを受け入れてくれた人がさらに他の人と対話をしてくださって*2、そうしてみなさんが少しずつ自分の場所を譲りながら、みんなでわたしの「場所」をつくってくださる。そうやってわたしの「場所」ができる。
そうやってようやく入れるのが例えば「女子トイレ」。いや、単なる「おしゃべりの場所」もそうか。
で、そういうことを繰り返しながら、「女性とは何か」ということを、少しずつ学ばせてもらっていくんだろうなぁ。

*1:対話は「しゃべりあう」わけじゃなくて「聞きあう」のかもしれない

*2:「いつきさんを入れてあげようよ」みたいな

伝えることの難しさ

ここでちょっと訂正しましたが、ずっと心の中に小骨のようにひっかかっていたことがあります。それは、昨日の学習会の最後の「〆の言葉」にかかわることです。
わたしはあくまでも「当事者には権力がある」ということだけを伝えたかったんです。
ところが、「〆の言葉」では、それを特定の当事者団体について援用されてしまいました。
わたしが言いたかったのは、「当事者も支援者も、そのことを心に刻む必要がある」ことだったのです。にもかかわらず、「〆の言葉」では、それを特定の当事者団体への批判として使われてしまいました。そのことが、ずっとずっと心にひっかかっています。
どうしてわたしはあの時「ひっかかっている」と言わなかったのだろう。いや、それよりもなによりも、そういう伝え方しかできなかったのだろう。
せめてそのことについて、ここで再度書くことにしなければ、なんか心の中のもやもやが晴れない気がします。いや、書いたとしても、「あの時・あの場で」言わなかったもやもやは決して晴れることはないだろうけど。

わたしがあそこで話したのは、なによりも、「当事者と支援者の共依存」の話でした。そして、その時のわたしのターゲットは、「支援者」に向かっていたのです。なぜなら、あそこにいた人たちは、「支援者」としてあの場にいるだろうと考えていたからです。もちろん、わたしも含めてです。
「権力」って、それを持っている人単独で存在するのでしょうか?おそらくは「違う」と思います。その権力を認める関係の中に存在をしているのではないかと、わたしは思います。つまり、権力「関係」ということでしょうか。
当事者が持つ権力性は、誰よりも支援者がよくわかっています。そして、支援者はその権力性を「当事者−支援者」という関係の外部に向かって、往々にして発信をします。まさに、「当事者の持つ権力」を、支援者は「利用」するわけです。しかし、その「権力」は、当事者の存在によって担保されています。そして、その「権力」を外部に対して保持し続けるためには、「当事者」は当事者であり続けなければなりません。となると、「支援者」こそが「当事者」を必要としていることになります。
ここに共依存の関係があらわれてくるのではないかと思うのです。
「当事者」としてのわたしは、「支援者」に「当事者の権力」を行使していないか?
「支援者」としてのわたしは、「当事者−支援者」の外部に対して「当事者の権力」を利用していないか?
そのことを、「自戒の念」を持って意識し続けなければならないのではないかということを、あの場で提起をしたかったのです。

わたしたちが過去の運動から学ぶとすると、それは特定の運動団体に対する批判としてあらわれるのでは決してないのだと思います。そうではなくて、ある「当事者」とされる人と、そこにつながる支援する人たちの「関係性」の中から学ばなくてはならないんだと思います。
例えば、部落問題について考えるならば、解放同盟のみが悪者になっている昨今の風潮には、わたしは強い違和感を感じます。部落問題を通じて、部落の当事者と支援者の間にどのような関係があったのかということを考える必要があると思うのです。その支援者とは、例えば解放同盟を支持する人たちであり、例えば全解連を支持する人たちであり、例えば同和会を支持する人たちであり*1、例えば同和行政に携わる人たちであり、その他、わたしの思いつかないところにいるであろうさまざまな人たちなわけです。
そうした「支援者たち」こそが、実は「当事者(団体)」との間に共依存の関係をつくり、「当事者の持つ権力」を利用してきたのではないだろうかという提起なんです。

トランスジェンダーの子どもたちにかかわる支援者として、あるいは部落の子どもたちにかかわる支援者として、あるいは在日外国人の子どもたちにかかわる支援者としてのわたしは、そのことを心に刻みながら「支援者」としてのわたしの立ち位置を考えていきたい。
そういうことを、あの場で言いたかったんですよね。
と書いても、すでに時遅しかなぁ…。

*1:例えば、選考採用と言われるものは、いずれの団体にもありました

ガザのテレビを見た

すごい状況。
岡真理さんから30分ほどレクチャーを受けただけだったので、半年前の状況ではあるけど、映像で見ることができたのは、わたしにとって必要だった。
「封鎖」という状況の中で、人々が絶望し、生きる希望をなくしていくということ。そこ中にも「生きる」ということに希望を持ち続ける人がいるということ。しかし、そんな「きれいごと」では住まない状況におかれている人が、今同じ地球上に存在しているということ。
認識を新たにしました。

読書感想文

3日の宴会(笑)の時にお借りした『太郎が恋をする頃までには』を、今日ようやく読み終えました。
今日も同じ場所で宴会があったので(笑)、「ちょうどいいから返そう」と持っていったら「早かったね」と言われてしまいました。
まぁ、もともと本を読むのは早いんです。そのかわり、「じっくり鑑賞」ではたぶんないです。そうそう、大学の頃、吉本隆明とか読みはじめた時、異様に読む速度が遅くて「あぁ、オレはダメになったorz」と落ち込んだことがありました。で、普通の小説を読んだらやっぱり今まで通りの速さだったので、「むずかしい本を読むとスピードが落ちるんだ」と理解したという…。まぁ、どうでもいいですが。
で、『太郎』をお借りした時に、「感想聞かせてね」と言われていたので、とりあえず感想を言うことを留意しながら読んでいました。
で、感想ね。
一言で言うならば、「共依存関係に裏打ちされたDVのストーリー*1」ですね。ネタバレになりそうなんだけど、基本的に主人公の「転機」は、「太郎」の激しい感情の爆発がきっかけになっているんですね。で、主人公はその「爆発」を「被差別の歴史ゆえ」と解釈し、そこに「哀しみ」や「やさしさ」を感じとるという。
で、こういう関係って、まぁ言ってみれば「アサーティブ」とは対極の関係にあるわけです。最後の「オチ」もかなり唐突かなぁ。AERAの記事を読んで「オチ」は知っていたし、記事を読んで「なるほど」と思っていたけど、やっぱりちょっとしっくりこなかったです。まぁ、これは作者の意図をわたしがきちんと理解できていないだけだとは思いますけどね。
で、一番読んでいてしんどかったのは、「当事者至上主義」みたいなものが感じられたということ。「間違っている」と思っても、「当事者」ゆえにそういう結論が出されたんだと解釈し、「当事者の決定」を「理解」し、それに従う。言うならば、共依存関係のおおもとがここにあるということになるでしょうか。
この関係、実は「さまざまな当事者」をめぐる運動や言説の中でよく見られることのように思います。
かつてわたしは、この主人公のように「太郎*2」との共依存関係に、疑問や違和感さらには嫌悪感すら持ちながらも、それを言う勇気もなく、どっぷりと浸かり込んでいました。いや、いまもそこにいないわけではない。でも、「これって共依存だよね」ということが言える「友だち」が、少なくとも何人かできたことで、そういう関係にいる自分のことを、ある程度客観視することができるようになった気がします。これは、わたしにとってすごく大きなことです。

翻って、わたしが、なにやら「当事者」というレッテルをはられる立場になったとたん、わたしもまた共依存の対象にされる可能性がすごくあるわけです。
共依存の対象という位置に自分をおくと、これが実に心地よい(笑)。だって、自分はある意味「持ち上げられる」存在になるし、自分の「発言」「行動」に、まわりの人は過剰なまでの意味を見いだしてくれながら、それが通っていきます。
しかし、その関係は、そこから一歩下がるとすごく異様な風景です。
では、どうすればその関係から自分を救い出すことができるのか。それは、逃げ続けること。そして、まわりのわたしへの言説から、わたし自身を常に少しだけずらし続けること。常に「実践」に足場を置きつづけること。そしてなにより、誰もがその人自身の人生の当事者であると心に刻みながら対話をし続けること。

他にもあるんですけどね。「オチ」の最後の結末が「それかい!」みたいな*3。そこへ至る経路の中に、やはり結婚・出産・家みたいなものがアプリオリなものとして底辺に流れている。まぁ、だからこそ、この本のテーマがなりたつんですけどね。でも、少なくとも「セクマイ」とは無縁な話だなぁ…。
っていうのは意地が悪すぎますか…。

*1:あぁ、これは前に樹村さんが「GO」について言っておられたなぁ…

*2:に代表される「当事者」たち

*3:結局最後は、「血」の問題かい!って感じ

つながること

よく「違いを豊かさに」とか「ちがうことこそすばらしい」というフレーズが出てきます。
たしかに、それそのものは極めて正しいわけですが、それが「暴力」の前にさらされた時、いかに無力であるかということを、昨日思い知ったわけです。
「でも」と思います。
その違いを、その分断を、そのままに放置していくのか。あるいは、「わたしたち3人」の側が、互いの違いを根拠に、その分断をさらに広げていくのか。
少なくとも、わたしはそうでありたくはありません。そのためには「対話」を途切れさせないいとなみが必要なんだと思います。
ともすれば「違いを攻撃に」してしまいがちです。とりわけ圧倒的な「暴力」の前で、その矛先が「なかま」に向いてしまう。昨日経験したそこからの回復の回路は、やはり「対話」なんだと思います。
「対話」の根本は「信頼」にあると思います。その信頼関係は、権力関係からは生まれてきません。女性と男性の間で、上司と部下の間で、シスジェンダートランスジェンダーの間で、ストレートとLGBAの間で、「被差別」とされているものと「随伴者」とされているものの間で、権力を持つものがその権力を放棄し、互いに向きあうところから対話がはじまると思います。そして、それが「つながる」といういとなみをつくるひとつの方法なんだと思います。
そんなことができる「仕掛け」=「場」をつくっていきたいなぁ…。

ってことが「カフェ」につながるわけで(笑)。

「分断」はどこからくるのか

「事件」というのは、簡単に言えば、店のお客さんからセクハラにあったということです。
他のお客さんがそのことに気づいて、トイレに行くフリをしながらセクハラ発言を繰り返している人のところに行って「ええ加減にしときや」と言って下さったあたりから、話は急激に「しんどく」なってきました。
お店の人たちも「やめときいや」と言って下さるし、隣に座っておられたお友だちも「やめときいや」と言って下さる。でも、「意地でもやめない」と言いながら、セクハラ発言を繰り返されます。
さて、こういう時ってどうなるんだろう。
もちろん、わたしもいずみちゃんも「防衛」にまわるわけです。
ただ、繰り返されるセクハラ発言に対して、その処し方をめぐって意見の対立が起きてくるんですね。
直接被害に遭っている人は、ある意味「あぁまたか…」となる。悲しい「慣れ」があるのかなぁ(;_;)。そして、そこをやり過ごす方策として「自分がいるからこういうことが起こる」→「自分が帰ればいい」となる。
でも、それははっきりと間違っているわけです。なので、わたしやいずみちゃんは「違う」となる。わたしに至っては、「ここに居続けることが闘うことなんだ」と言ってしまうわけでm(__)m*1
セクハラ被害者って、原理原則としては「加害者が悪い」ということがわかっているんだけど、繰り返される行為に対して、もっとも簡単な方策は「自分を責めること」だということを、だんだんと身につけて行かれるんでしょうね。
こうやって、「処し方」の対立は、わたしたち3人を分断しはじめます。なぜなら、その対立は、互いの立場性や生い立ち・体験の違いからスタートしているし、それを肌身に感じて理解することは、少なくとも「その瞬間・その場」においてはほとんど不可能に近いからです。
これ、悲しいよなぁと思います。
本来ならば、わたしたち3人が結束をしてセクハラに立ち向かっていかなければならないのに、逆にセクハラを受けるということを通して、互いの違いを思い知らされ、わたしたちが分断されていく。

その回路から立ち直っていくために何が必要かということについては、明日の日記に書くことにしましょう。

*1:まぁ、お酒が入っていたこともあるんですけどね

速報です。

某MLに流れた速報。久々に明るいニュース*1です。

Iceland to appoint first openly gay Prime Minister*

Set to take the reins in Iceland … Johanna Sigurdardottir.

Set to take the reins in Iceland … Johanna Sigurdardottir.
Photo: //Reuters//

January 29, 2009 – 6:19AM

Iceland is set to appoint the world’s first openly gay prime minister -a former flight attendant who rose through the political ranks to become a cabinet minister.

Johanna Sigurdardottir, the island nation’s 66-year-old social affairs minister, is the pick of the Social Democratic Alliance Party to lead an interim government.

Iceland’s conservative-led government failed on Monday, after the country’s banks collapsed in the fall under the weight of huge debts amassed during years of rapid economic growth.

The country’s currency has plummeted, while inflation and unemployment are soaring.

Sigurdardottir’s appointment is expected to be confirmed within days by the new ruling coalition of the Alliance party and the Left-Green movement. She would lead Iceland until general elections, expected in May.

“She is a senior parliamentarian, she is respected and loved by all of Iceland,” said Environment Minister Thorunn Sveinbjarnardottir, a fellow Alliance party member.

But conservative critics say her leftist political leanings are not going to help fix the economy.

“Johanna is a very good woman – but she likes public spending, she is a tax raiser,” said Geir Haarde, who quit as prime minister on Monday,partly for health reasons.

Sigurdardottir faces the difficult task of repairing the nation’s shattered economy and rebuilding public trust in government. Icelanders are deeply angry at their government for not reining in the country’s banks and leading the once-prosperous nation into an economic nightmare.

Iceland has negotiated about $US10 billion ($15.08 billion) in bailout loans from the International Monetary Fund and individual countries to keep itself afloat but long-term solutions for re-building the economy have been unclear.

The IMF predicts Iceland’s economy is facing its biggest slump since the country won full independence from Denmark in 1944.

Millions are also owed to depositors around the world.

Sigurdardottir entered politics through the labour movement, serving as a labour organiser when she worked as a flight attendant with Loftleidir Airlines – now Icelandair – in the 1960s and 1970s.

She was first elected to Iceland’s parliament in 1978.

She became a minister in 1987 and has held her current post since 1999.
Despite her veteran status, many Icelanders regard her as a maverick and respect her work promoting the welfare of minority groups.

She is perhaps best known for her reaction to a failed bid to become chairman of the Social Democratic Party – a forerunner of the current Social Democratic Alliance Party – in 1994.

Despite a heavy loss, Sigurdardottir predicted: “My time will come.”

In 1995, she quit the Social Democrats and formed her own party,Tjodvaki – translated as “Waking The Nation” – which won four parliamentary seats. Sigurdardottir later rejoined her old party when it merged with three other centre-left groups in 1999 and 2000.

While a woman has served in the largely symbolic role of president,Sigurdardottir would become the country’s first woman prime minister.

She lives with journalist Jonina Leosdottir, who became her civil partner in a ceremony in 2002. Sigurdardottir was previously married to a man and has two sons.

AP

*1:らしい