古いつきあい

水曜日は、見かけ上はあまり授業がないようですけど、実は忙しかったりします。てか、GTECってなんだよ!「英語に必要な4要素」のテストらしいです。今回は試行の3要素のテストとかで、「読む・聞く・書く」らしいです。そんなん「食う・寝る・遊ぶ」やんか。
てことで、朝から軽い放送業務。
そこから3連続授業であっという間に昼です。急いで昼ごはんを食べて、会議があったり。
なんか、このあたりでヘロヘロです。

で、夜は飲み会。
新羅」という焼肉屋さんが発展的解消をされるので、そのお疲れさまです会です。120人に案内出したら85人が参加するという、とんでもない会です。
ちなみに、わたしはその85人の中でも、最も早くから「おつきあい」のある人です。なにせ、店ができる前からのおつきあいですからね。
1992年かな。Cという在日の高校生が指紋押捺を留保するということで、そこに立会いに行ったのがはじまりでした。それそのものは市役所の人々がとても柔軟で、なにごともなく終わりました。そのあとCとメッチャ話し込んで、いっぺんで友だちになりました。
それからCの家によく行きました。
やがてCのオモニが家を改装して焼肉屋をすることになって、「新羅」ができました。開店祝いになにをするか考えて、パートナーと一緒に看板をつくりました。たぶん85人の半分くらいの人は、ここからのつきあいかな^^;
その「新羅」が河原町にお店を移転するということになりました。うれしかったのは、看板も移転させてくれたことです。でも、わたしはこのあたりからあまり行かなくなっちゃいました。なにせ遠いというか、動線が違うというか。
新羅」にはなかなかおもしろい常連さんが多数おられて、なかなか盛り上がったのですが、やはり高齢化の波が来て、再移転されることになったということです。今回は、その区切りの飲み会ということでした。
大切な友だちのCは亡くなっちゃったのですが、妹のSやYと久しぶりに昔話をしました。
今振り返ると、いろんなことがあったなぁ。カマキリつかまえたりしたなぁ。
そんな話をしながら二次会に行って、相変わらずなオモニと話をしたり。
隣りにいたのがI成さんで、これが悪くて(笑)飲み過ぎてしまいました。
家に帰ったところで記憶がなくなりました。それにしても、よく鞍馬まで行かんかったわ…。

やっと来てくれた

朝からそんなことを考えながら、なんとなくヱビスをあけてしまったり。ダラダラと暴走機関車がつくってくれるごはんを食べながら朝を過ごします。
果たして今日は現役は来てくれるんだろうか。
と、卒業生が精算をしてる時に現役登場!よかった、来てくれた。でも、ひとりでは交流にはなりません。と、1994年の卒業生が高校生の子どもを連れて来てくれました。やったね!他にも卒業生が来てくれたり、昨日の晩から残ってくれたり。
さでと、何をつくろうか。あまり時間がないから、チヂミとギョウザでいきましょう。みんなが買い出しに行ってる最中に、サクッと皮をつくってしまってしばし寝かせましょう。みんなが帰ってきたら餡づくり。ひたすら包丁を動かします。が、みんな包丁使いがうまい!おかげでメッチャはかどりました。
サクサクっとギョウザをつくって、みんなで食べながら雑談。その後自己紹介。時間が短かったので、そんなに深い話まではできなかったけど、久しぶりの「交流会」という感じでした。
さてと。
お家に帰って、寝る前のビールを飲もうかな。

4連発

今日はすごいミッションの日です。果たしてもつんだろうか。
まずはNPO法人JUMPの総会です。てことで、朝から新大阪へ。前を歩く人、メッチャ見覚えがあるから
かよんさんだぁ」
って声をかけたら、メッチャビビられてしまいました。なんでも道で声をかけられることがほとんどないんだとか。マジか…。
で、総会はつつがなく終了。その後懇親会ですが、わたしのところにはいろいろ連絡が入りはじめます。なにせ、今日の午後はここでstnの交流会がありますからね。なので、ぼちぼちと人が集まってきました。まぁ、JUMPの懇親会と並行でもいいでしょう。

で、さっさとビールを飲んで、すみやかにワインに移行です。すでに酔っぱらいの様相を呈しかけてますが、ここは踏ん張りどころ。何せ今日は長丁場ですからね。S藤さんの差し入れのメッチャおいしいいぶりがっこをボリボリしながらワインをチビチビ。でも気がつくとわけわからんようになっているのは当然のことです。で、わけがわからんままにKみちゃんから連絡。来てくれたんや!Kみちゃんを会場に誘導したところで、Tじさんに引っ張られて会場をあとにして、向かうは前のおべんきょ部屋です。

ここで、おべんきょ仲間の歓迎会です。今回は卒業生も参加させてもらえるので、喜んで参加させてもらいました。が、すでにベロベロになりかかってます。いや、ベロベロというよりヘロヘロか。おべんきょ仲間のしょーもなくも楽しい話を聞きながら、最後は寝てました。

で、再びTじさんに引っ張られて東九条へ。今日は卒業生の会です。会場に着くと、いつになくにぎやかです。暴走機関車家族をはじめいつものメンバーに加え、stnから流れてきてくれた人もいて、なかなか楽しい。
で、気を取り直して飲み直しです。やがて11時過ぎ。今日は「おっさんずラブ」の最終回じゃないですか!ラッキーなことにstnの流れの人もおられます。一緒にキャッキャ言いながら見てしまいました。
時計が12時をまわったところでおふとんを敷いて横になったら速攻爆睡です。

それにしてもよくがんばったなぁ(笑)。

突然の訪問

今日は校外学習の日です。例年ビール抜きのバーベキューの1日になるんですが、今年はなぜか引率なし。学校待機になりました。なので雑務をしたりランニングしたり。走っているうちに、なぜか「王将のギョウザを食べたい」と思って、しかもそれがいつの間にか「天一食べたい」に変わっていったり。たぶん、昨日の夜ケンミンショーで富山ブラックを見たからですね。「京都ブラウン」が食べたくなったんでしょう。
てことで、誘惑に耐え切れずにJR→地下鉄と乗り継いで今出川へ。ちなみに、午後に行く予定のところの近くにも有名店はあるのですが、やはりここは今出川店です。京都ブラウン、うまかったっす。
その後、北大路まで移動して、大谷大学に潜り込んで、少し原稿考えてみたり。
そうこうするうちに四日市の人たちが到着。ツラッティに向かいます。ここ、これまで何回来たかなぁ。ここの展示はけっこうおもしろいんですよね。なんと言っても古地図がおもしろいです。それから航空写真かな。京都の街の変遷がよくわかります。四日市の人たちが本郷さんの説明を聞いている間、わたしは「ふーん」と思いながらそんなこんなを見てみたり。
その後、なぜかわたしがあたりをほんの少しだけ案内してしまいました。よく知らんのに、よー案内とかするわとは思います。
で、5時になったところで、みなさん、「六条村に行きたい」と言われるので、それでは案内しましょうかと。てことで、川崎村→天部村を経由して六条村へ。さて帰ろうとなったけど、なんとなく「飲むか」となって、たまに行く角打ちへ。いつものお母さんが「あんたはん、久しぶりやな」ときれいな京都弁で迎えてくださります。
でも、今日の話で一番おもしろかったのが、
「北は〇〇通り、東は〇〇通り、南は〇〇通り、西は〇〇通り。これらに囲まれたここが同和地区や。オレはそこで生まれ育った」
と胸を張って言われたところかな。なんでもとある運動団体支部長もされてたとか。そこから昔話をたっぷりと聞かせていただきました。まさにオールロマンス行政闘争の頃の話です。メッチャおもしろかった。
そんなこんなで有意義な夕方は過ぎて行きました。

生みの苦しみ

今日の夕方は入口にたどり着いたかもしれない話を深めるおべんきょ会です。2時間ほど早めに前のおべんきょ場所に行って、おべんきょ部屋に侵入していろいろ調べてみたり。
いま、わたしの頭の中は『この本』になってるので、ついそちらに引っ張られます。なので、いろいろ検索かけてみると、少ないながらもやっておられますね。これはおもしろい。ということで、「のおと」をつくっておべんきょ会に参加。みんなであーでもないこーでもないとウンウンやって、2時間弱で挫折。センセはひとこと。
「生みの苦しみやな」
てことで、暑気払いに行きました。今回の幹事はわたしです。まぁええかと久しぶりのおむら屋です。だって、野菜が食べたいんだもん。
ここでは、もっぱら沖縄修学旅行の話で盛り上がりました。が、わたし、長く修学旅行に行ってない。でも、沖縄には行ってます。行ってますが、なにせ野入さんプロデュースのディープなフィールドワークしか知りません。なので、話が微妙にズレます。まぁええか。泡盛飲んで話を聞こう。
ま、そんな感じで9時過ぎに飲み会終了。久しぶりの叡電を楽しんで、無事家に帰りましたとさ。

やってたなぁ

今日は午後から第二の故郷に出張です。なんでも、人権教育研究会の総会だとか。わたしはそこの研究会には所属してないけど、オブザーバー参加をさせてもらってます。
前半は総会。わたしは議決権はないから、ひたすら聞くだけです。寝ちゃいました(笑)。で、そのあとの記念講演は、かつて一緒に同和教育の連絡会をやった仲間によるものです。
第二の故郷の中学校は、とにかく荒れと低学力で有名でした。いつだったか、中の人が「うちは京都で一番学力が低い」と胸を張ってました(笑)。でも、それではどうしようもありません。なので、おそらくは50年くらい前からいろんなとりくみをしてきました。
はじめは「荒れ」との闘いです。ちなみに、40年くらい前の状況は、教員の平均年齢が30歳くらい。平均在職期間が2年くらいという、メッチャクチャなデータが残っています。つまり、教員がもたないってことです。そんなところから、「荒れ」を克服するとりくみが長く続きました。ちなみに、いつ頃まで続いたかというと、わたしが担任してる頃も続いていました(笑)。なにせ、近所の中学校と河原で決戦してたらしい。もちろん素手なんてことはないです。金属バットとチェーン使ってたらしいです。ほんとに落ち着いたのは、ここ10年くらいじゃないかな。でも、荒れてる時の子どもたち、決して学校からソッポを向いてはいませんでした。中学校への信頼は厚かった気がします。そんな「信頼」をベースに、20年くらい前から「低学力」との闘いがはじまりました。
ちなみに、わたしが「参戦」したのは30年くらい前です。最初期に出会った子らは、まさに荒れと低学力の両方を持っていて、「学習会」という名前の信頼関係づくりの場に誘うところからはじまりました。そんななかで、でもやめていった子もいたなぁ。やはり、高校では最低限の学力はどうしても要求されるんですよね。
「低学力」との闘いが組織化されたのが「同和教育連絡会」だったんですよね。ここは10歳くらい年上の先輩たちが参加していて、鉄砲玉時代のわたしは参加させてもらえませんでした。でも、ほどなくして鉄砲玉を卒業して参加するようになりました。なんかそう考えると、歴史の転換点に、わけもわからずに居続けてますねぇ。
で、低学力は克服したかというと、まだできていません。でも、かなりマシにはなったかな。
荒れも低学力も、ほんとに長い時間をかけてそうなったわけで、それは対症療法的になんとかなるものではないんですよね。そして、「連絡会」も対症療法でなんとかしようとはしてない。
そんな歴史を、仲間の講師は話されました。
わたしは今も「連絡会」に参加しています。まだ歴史は終わってなくて、つくられている途中です。

で、夜は数学科の飲み会です。場所はおとつい行った店です。我ながら「なにやってんねん」と思います。まぁでも、料理もワインもおいしいし、赤ワインこぼさなかったし、久しぶりに「今宵もはじまりました」に投稿できたし、まぁええか。

さらに出掛けには70円まけてもらえたし、店員さんに顔は覚えられてたし、まぁええか(笑)。

久しぶりはアカン(;_;)

で、京都駅でかずえちゃんさんと合流。一緒にワインを飲みに行きました。
おもしろいことやってはります。なんでもyoutuberだとか。それも、アーティストではなく、いろんなLGBTの人たちにインタビューしてるらしいです。そういや、別府にも行ったとか。
お互いの生い立ちなんかを交換しながら、やがて来られるおふたりを待ちます。
と、来られました。おひとりは、かつて「福祉ネットワーク」に出た時にお世話になったディレクターN川さん、そしてもうおひとりはバリバラを担当しておられるM下さんです。なんでも、別府でわたしの名前が出たとか。まぁ、わたしはかなり過去の人なので、どういう文脈なのかよくわかりません(笑)。でも、話題になったのはうれしいですね。なんか、そこでの話題が今日になったらしいです。ちなみにM下さんとは大学時代に同じ集まりに参加してたらしく、なんかそれがうれしいですね。
てことで、昔話をしたり近況を報告したりしてるうちに、お店を出なきゃならない時間になりました。でも、まだ8時過ぎです。当然のことながら二次会です。ここからがアカンです。なにせ、飲んでるのワインです。メッチャ酔っ払って、なんだかいらんことをいっぱい言ってしまって、完全にあきれられたやろなぁ…。
まぁでも、ワインを服にこぼさなかったわたしは、少しえらいかも^^;。あー、でも地下鉄、最寄りの駅よりかなり前に降りてしまって、パートナーに迷惑かけてしまったしなぁ(;_;)。

昼は延々

朝、なぜか6時前に目が覚めました。なんでやねん。てか、畳の上です。さすがにきついです。なので、敷布団を敷き直して寝ようとしましたが、寝られません。てことで、寝るのは断念して、もそもそ起きだしました。
で、エナジー系チューハイをプシュ。ダメな一日の始まりです。あとは少量のウォッカにオレンジジュースと炭酸を混ぜてみたりしながら、ダラダラとしゃべってみたり、飲んでみたり。昨日話しができなかったので、今日はいろいろ話をしたり、Iチさんにマッサージしてもらったり。
お昼をまわったところでおたふくです。
「いま満員やわ」
「あ、外でいいですよ。とりあえず行きますわ」
とムチャクチャ言って、押しかけました。で、オープンテラスです。

ここでは、なぜか「なぜ数学の答案は答えだけではダメなのか問題」を暑く語り合ったりします。しかし、2時をまわると陽が差し込んできて、さすがに暑いです。そこで店内へ。今度は「学校経営者と教員と学生の三者のどこに対立軸を設定するか問題」を暑く語り合ったりします。
そんなこんなで6時頃まで飲んでお開きです。さてと、いつものバスに乗りますか。今日は乗り過ごさずにすみました。よかった…。

ウケたらしい→玖伊屋

今日は「子どもの権利条約総合研究所」の公開シンポジウム「多様な背景を持つ子どもの権利」です。わたし以外に話をされるのがDPI日本会議崔さん桜本保育園の朴さん、弁護士の佐藤さんです。中でも崔さんとは年に一回は飲み屋でバッタリ会うけど、シラフで会うのははじめてです。どんな話をされるのか期待です。ちなみに、朴さんのおられる桜本保育園にも大学時代の友だちがいます。佐藤さんの「外国人の子ども」にかんしても某在日外国人教育関係の関係でからんでます。なんか、東京なのにホーム感が感じられます。
てことで、新幹線に乗って、とりま東京へ。ここで、なぜかシゲせんせーと合流。こないだ忘れたワインオープナーをピックアップしてもらっての受け渡しでした。ありがとーo(^^)o
で、向かうは早稲田です。
まずは昼ごはんのお弁当を食べさせてもらって、その後、軽く打ち合わせ。そしてシンポです。
トップバッターは崔さん。ところどころに小ネタをはさみながら、がっつりと社会モデルやインクルーシブ教育あたりについて話をされました。それにしても、障害者権利条約の(安易な)批准を阻止するって、すごい話やな。なんか、みにつまされる気分です。
お次はわたしの番。わたしのテーマは「性的マイノリティの子ども」らしいです。広いです。あまりにも広いです。なので、いつものように、LGBは「専門外」とことわって話をして、Tについてはここ数年考えてることを話をしました。にしても、25分で130枚のスライドはアホです。まぁ、使い方知らないからムダなスライドがたくさんあるんだろうけど、それでもアホです。てか、たぶんプレゼンの使い方を根本的に間違えてるんだろうな。本来はデータをじっくり見てもらうためのものなんだろうけど、わたしのはネタのために使ってますからね。それでも笑いがとれたからよしとしましょうか。
そして朴さんです。まずは「名前」の話です。「本名を呼び名のる」という言葉が出てきます。そして「ヘイトスピーチ」のこと。なんか、自分の原点を思い出させてもらう話でした。
最後は佐藤さん。こちらは打って変わって、最近急激に顕在化してきた在留資格をめぐる話です。もちろん「顕在化」なので、潜在的にはずっと前からある話ではあるんですけどね。ちなみに、わたしも去年パネラーやりました。
そんなこんなで、約2時間の問題提起のあとは、質疑応答と意見交流です。「アイデンティティ」をめぐる話や「合理的配慮」という訳語の問題など、けっこういろいろおもしろい話があった気がします。そういや「インクルーシブ」を「包容」と訳すのはアカンやろ。なんかズレるんですよね。というか、ずらして訳すことで骨を抜こうとしてるのかな。
まぁ、そんなこんなでシンポ終了。その後、懇親会に出て、崔さんやMうらさんなんかとダラダラ飲んだくれました。そうそう、日体大の学生さんが来ておられて、シンポの最後に新学習指導要領についての質問をされたんですが、そんな話をしたり。
で、帰りの新幹線の時間が来たので崔さんとMうらさんと3人でとっとと会場を離脱。
新幹線では、なぜかいずみちゃんと合流。

ここからは酒処のぞみです。ふたりで2時間ちょいうぇーいして、向かうは東九条です。なにせ、今日は玖伊屋です。
到着したのは11時くらい。すでに第一弾の食べ物は終わってますが、第二弾の食べ物が出てきたりして、なかなか幸せです。が、ほどなく気を失ってしまいました。

やっとここまできたのかな

朝、さすがにしんどいです。サイゼのワインのデキャンタの大をほぼひとりであけたということは、500ですね。そのあとウィスキーをラッパしてたし、そらあきませんわ(笑)。
てことで、ワインは400までという学習ができました。もっとも学習の成果がでるかどうかはわかりませんが^^;。

で、夜はセクションの歓送迎会です。
でも、その前に前のおべんきょ場所に行って、センセと謀議。一定話がまとまったので、あとは任務分担を確認して、飲み会の会場へ向かいます。

考えてみると、わたしが人権教育の担当をしてる限り、ずっとこのセクションにいることになるんですよね。てか、このセクションに来たの8年前やし。
当時はしんどかったですね。なにせ、自分のセクションが閉鎖されて「身請け」に出されたわけですから、アウェイ感はハンパなかったです。
でもそれから一緒に仕事をする中で、少しずつ距離が縮まってきた気がします。なにより、人権の専門の人とばかりいても広がらないです。他のセクションに身請けされることで、そのセクションの人も一緒に人権をするようになってくれました。てか、そういう人が「この」セクションにいるんですよね。
なので、自分のトランス話も笑いながらできる。
なんか、「長かったなぁ。でも、うれしいなぁ」という気持ちに、ようやくなってきました。
てことで、小さな子どもも2人参加しての和やかで楽しい爆笑の連続の飲み会でした。