ミッション2の落とし穴

今日は終業式です。が、それとは全然別に、仕事が火を吹いています。なので、とにかく隙間の時間を縫って、メールのやりとりしてみたり、お客さん対応してみたり。
そして、昼前にはスタンプラリーです。昨日、スタンプは早めにもらいに来いと言っておいたら、子どもたちはちゃんと早めに来てくれて、えらいなと。
だいたい、結果が出てから反省しても遅いし、原因は「勉強が足りなかった」くらいしかないし、そんなところでグダグダ言ってもしかたないんですよね(笑)。なので、わたしはひとり2分くらいでサクサク終了。
で、電車に乗ろうと歩きはじめたら、ちょうど生徒と一緒になって、いろいろグチの聞き役になったり(笑)。

電車に乗って到着したところは北摂共和国のとある街の小学校です。なんでも、午前は「らいとぴあ21」の人が来られて、午後はわたしの話だとか。なんか、ガッツリ研修の1日ですね。すごいな。
今日のお題はミッション2です。
最近、ミッション3の要望が多くて、なかなか2や1を話す機会がありません。なので、久々の2とあって、少し不安があったり。でもま、スライドがあるからなんとかなるでしょう。
てことで話はじめました。出だしは、まぁ順調かな。途中、スルスルと話をしながら、チラチラ時計を見ます。うーん。わからん。なにがわからんかというと、ネタの残りを話すためにどれくらいの時間がかかるかが読めません。話のペースを忘れてるんですね。でもま、2時間もらってるからなんとかなるでしょう。
ところが、トラブルは思わぬところに転がっていました。
スライドは、基本線はそのまま保ちつつも、新たな知見は極力反映させたいと思っています。ちなみに、ミッション2とミッション3はけっこう似ているので、共用部分がちょこちょこあります。なので、ふたつに反映させなきゃならないのですが、3にしか反映させていなかったんですよね。もちろん、口頭では説明しましたが、印象の残りやすさはスライドです。
ほんと、もうしわけない(;_;)
でも、みなさん、しょーもない小ネタに反応してくださったり、なんか、やさしい空気でお座敷を終えることができました。

久しぶりだなー

朝起きると絶不調です。でもとにかくいったんお家に帰りましょう。ということで、這うようにして家まで帰って、とりあえずふとんに入って休憩です。
でも、なんとなく動かなきゃならない気がしたので、思わずポテサラなんぞつくってみたりして。
で、いろいろダラダラしているうちに、出かけなきゃならない時間になりました。今日は寄り道もしなくちゃならないので、車で出動です。で、着いたのは、京都府北部の入り口にあたる街。まぁ、しょっちゅう来てますけどね。今日はここで、久しぶりの「ミッション1」です。
途中、道すがら復習したのは言うまでもありません。なんせ、忘れてる可能性が大です。それがこわい。
とりあえずお弁当をいただいて、主催者の方といろいろよもやま話。でも、眠いです。まいったな…。
で、お座敷開始。
なんか、懐かしいなぁ。
今となっては古い感じに思えるかもしれないけど、でも、普遍的な内容を含んでいる思うんですよね。ちなみに、じゃあ新しい内容を放り込めばいいじゃないかということになりますが、「ミッション1」は、けっこう緻密に組みあがっていて、足したり引いたり変更したりすると、つじつまがあわなくなってしまいます。
それでも、少し時間の余裕があったので、なんとか新しい情報を突っ込んでみたりしました。
それにしても、聞いてくださった方々のフレンドリーなこと。おそらくはけっこうな歳の方もおられるんですけど、みなさんの笑顔と笑い声がとても楽しそうです。いいなぁ、こんなふうに歳をとりたいなぁ。
終わってからあいさつに来られた方の中には、高校時代の友だちのきょうだいの方もおられたりして、なんか、アットホームなお座敷でした。
それにしても、ゆっくり話をしたつもりでも「早口」って言われたから、これはそもそも自分が早口なんだなと再認識をしたりしました^^;;。

お座敷のあとは、主催者の皆さんとティータイム。ケラケラ笑いながらの楽しい時間を過ごして、お家へ。
今日は下の子どもの20歳の誕生日です。もう20歳なのかぁ…。
とか思ったけど、「お酒がおおっぴらに飲める!」とか言うので、ビールを注いでやったら一口飲んで「苦いー」と口を押さえるわ、氷結飲んでも「苦いー」と言ってるわ。まぁ、そんなもんでしょ(笑)。

包括的性教育 わたしのお座敷じゃないけどね

今日は関西性教育セミナーです。わたしの役回りはコメンテーターらしいです。って、コメンテーターってなにをやるんだ?司会とは違うのかな。でも、司会だったら「コメンテーター」とは言わないな。
なんとなく不安を抱えながら、午前中は仕事です。
で、開始1時間前に会場へ。やがて昼ごはんを抱えた東さんとAnttiさんが登場。
Nice meet you.
とかあいさつを交わして、打ち合わせ…。と思いきや、打ち合わせできず。とりあえず、なんかコメントを言わなきゃならないということだけはわかりました(笑)。

で、セミナー開始です。コメント言うってことは、ガッツリ聞かなきゃならないです。ひたすら赤ペン先生になってしまいました。
それにしても、フィンランドの包括的性教育ってすごいです。なんかもう、話を聞いていると、日本にいるのがイヤになってきます。でも、話が進んでいくと、現実は日本と似たりよったりな感じです。あたりまえのように暴力や虐待や貧困があります。ということは、同じような状況だけど、それにどのようにして対処していくかというところが違うわけですね。
ずっと話を聞きながら、繰り返し出てくる言葉があることな気づきました。
safety , respect , self esteem , dialogue
がそれです。これって、すべて人権教育のキーワードでもあり、p4cのキーワードでもあります。そのことに気づいたところから、どうにかこうにかコメントを考えられるようになりました。
それにしても、日本とフィンランドの違いの中でもっとも興味深かったのは「知らないことを知らないと言えること」でした。つまり、言い換えると「完全な人間はいない」ということです。だから、大人も子どもも成長し続けます。ということは、学び続けるということです。そして、respectされる人間とは「知らないことを知らないと言える人」なんですね。このあたりが日本とは違うなと。日本の場合「知っていること」「完璧であること」がrespectされることの条件な気がします。で、なぜこれができるかというと、safetyな場でdialogueが成立しているからです。
そしてもうひとつ、学ぶ機会はあちこちにあるということでした。日本では、ともすれば性教育は、そういうひとコマの時間に限定されそうだけど、フィンランドでは日常生活のありとあらゆるところに機会が転がっている。それはなぜかというと、「包括的」だからです。つまり、性教育は生殖についての正しい知識を得ることではないんですね。well beingを学ぶことなんですね。だからこそ、どこででもできる。
そんな中でひとつ気になったのは、「フィンランド性教育は昔からそうだったわけではないだろう」ということです。では、いったい、なぜこの道を選択したのか。なぜ日本とは違う道を選択したのかということです。
これに対する答えは、そう簡単じゃなかったみたいです。そりゃあたりまえですね。いろんな要素が複合的にからみあっている。でも、「なるほど」と思ったのは、フィンランドPISAがトップの国でした(笑)。まぁ、そういうことなんですね。ちなみに、それを支えているひとつの要因は、メッチャ高いtaxです。それも累進課税のね。
まぁ、いろんな意味で日本とは真逆な世界を見せてもらえました。
そうそう。「カミングアウトしている教員はいるか?」と聞くと「カミングアウトは必要がない」と不思議な顔をされたけど、たぶん稲田さんとは、これまた真逆なところでの話だわな。

ということで、打ち上げです。
Anttiさんと話したいけど、なかなか言葉が出てこない。でも、ほんの少しだけど出てきたのはうれしかったし、まぁ、去年の今頃よりは、少しは英語に慣れたかな。

ということで、二次会です。なんか、いろんなことを話していたら、あっという間に終電の時間です。やばい!
ということで、無事新快速に乗れました。ホッ。
で、目が覚めたら、草津
草津…?
アカンやん(笑)。
幸い、京都行きの最終があったので、なんとか京都までは帰れました。どうしよう。とりあえず、あそこに泊まるか…。

変速ダブルヘッダー

今日は試験最終日です。なんでも、試験のあと全校集会をひらくとか。で、わたしにもしゃべれと。
うーん…。わずか10分程度とは言え、新ネタやな。これは考えなきゃ…。てことで、考えたネタがこれです。

わたし、うちの学校の口コミをたまに見に行くんやけどね。「上り坂がきつい」「服装頭髪点検がイヤ」みたいな、ありがちな口コミに混じって「先生と生徒が仲がいい」「クラブの先輩が優しい」みたいなのがあって、さらに「いじめは見たことがない。ないんじゃないかな」みたいなのがあって、とてもうれしかったんですよね。
でも、今回「いじめアンケート」をとったら、やはり「いじめ」の案件が出てきました。なので、ここはやはり、人権担当として話をしようと思います。
なぜ人権担当が話をするか?
「人権が守られている状態」について、1年生のみんなには4月に話をしましたね。おぼえてますか?
「みんなが幸せであること」
って言いました。これは別に、みんなが「ハッピー!」と思っている状態じゃないです。「いろんなめんどくさいことやイヤなこともあるけど、それでも生きていてよかったよ」というのが「幸せ」なんです。でも、いじめがあった。いじめられて死を選ぶ人もいますよね。ということは、そういう人は「幸せ」とは言えない。そして「幸せじゃない人がこの中にいる」ということなんです。となると「人権ポリスがファンファンファン」ですよ。

意図的ないじめは話になりません。例えば「排除」。3年生にはこないだ話をしましたね。「あいつは違う。わたしら同じ」これが部落差別の根源でした。例えば、口をきかないとか、遊びの時にわざと誘わないとか、あるいはライングループから外すとか、そういう仲間はずれ。こんなことをやる人は「わかってやってる」から、当然指導の対象です。学校の外の社会だったら、「本物のポリスがファンファンファン」ですよ。
今日話をしたいのは「いじり」についてです。
先日、教職員研修がありました。その中で「いじり」の話が出てきました。「生徒のいじりに先生はのっていませんか。同じように生徒をいじってませんか?いじられていい生徒なんて、いるんですか?」と言われたんです。ハッとしました。もしかしたら自分もいじってるかもしれないと思いました。
もしかしたらいる?(おれ、いじられた。おれも!)
マヂか、ごめん。(ええよー(笑))
テレビにも「いじり」はあります。確かに「いじり」のない世界はおもしろくないんです。というか、悪いことのない世界なんておもしろくないんです。それはよくわかる。
でも考えてほしい。
1対1のいじりは◯です。1対2のいじりも◯かな。1対3のいじりもまぁええか。でもそれが、1対10になったら?1対クラス全員になったら?
あるいは、1日1回なら◯。1日2回も◯。でも、しょっちゅういじられたら?
どこかで質が変わるんです。それは人によって違います。どこで変わるかは、本人にしかわからないんです。でも、本人は言わない。なぜ?それは知られるのがイヤだからです。
理由はいろいろあると思います。「自分の弱さを認めることになる」「やっとできた友だちが去っていくかもしれない」「騒ぐともっとやられる」。でも、基本的には「めんどくさい」。めんどくさいことがいっぱい起こるんです。だから黙ってやり過ごせばいいと思っちゃう。これは、例えばいろいろなハラスメントとか、チカンとか、レイプとか、暴力とか、差別とか、そんなのと同じことです。
じゃぁ、どこで食いとめるのか?それは、いしっている自分たちで線を引くことです。「やりすぎちゃうか?」と、いつもビビることなんです。その感性を持つことが必要なんです。

で、こんなことが起こっていることは、きっとほとんどの人は知らないと思います。
それは、差別も同じです。自分の身のまわりで起こっていなかったら「ない」と思う。でも、どこかで起こっているんです。でも、そのことを知らない。それは、「人権を考えるアンケート」にも出てきます。
では、知らなければいいのか?
実は、当事者は常に出会っているんです。あるいは、ふとしたときに出会った経験をもっているんです。それは、来週配る予定の「君に伝えたい 大切な人権の話」を読んでほしいと思います。
そして、実は、「ある」ということは、非当事者にとっても出会う確率はゼロではないということなんです。そして、現実に出会った人がいるんです。そして、出会った人がアンケートに書いてくれました。だから、顕在化したんです。
だから、感謝をしたい。
そして、「いじめがあった」ということは「いじめられた人がいる」ということです。その人の心の傷は、そう簡単になくなるものではありません。傷を癒すためには、できればそっとしておきたいんです。でも、あえてこの場を借りて、やはり伝えなきゃならないことがあります。ごめん。
なぜ、傷をそっとせずにこんなことを言うのか。
かつて卒業生と呑んだときに「せんせいはなぜそんなに同和学習に力を入れるのか」と聞かれたことがあります。その時答えました。
「このクラスの中に部落の子がいるの、知ってるやろ?」
「うん」
「誰や?」
「S」
「そしたらな、もしもお前が将来どこかで差別と出会って、差別するか差別しないかの選択をしなくちゃならないとき、Sの顔が浮かぶやろ?」
「浮かぶな」
「そしたら差別するか?」
「せぇへんな」
「だからやるねん」
「わかった」
いじめはそんなに簡単になくなるものじゃなありません。だって、「いじり」がいじりかどうかは、なかなかわからないからです。「いじってる人」「いじられてる人」が意識しないいじりはあります。誰がそれを指摘できるのか。それは、わたしたちを含めたまわりにいるみんなです。まわりの人たちにしかわからないんです。
つまり、なくし続けることが必要なんです。なぜ?それは「みんなが幸せになる」ためです。
今日、みんなは「この学校にいじめがある」ことを知りました。そのことを通して、もしかしたら自分が「いじめ」と出会うかもしれないことも知りました。だから、「出会ったとき」にどうするかを学ぶ必要があるのです。考えることではなく、具体的に行動を起こすこと。そのことを、みんなに伝えたいと思いました。
最後までしっかり聞いてくれてありがとう。

で、職場をあとにして、おにぎりをぱくつきながら午後のお座敷の学校へ。
到着したのは20分前。とりあえず准校長室に通されたけど、あいさつしただけで、そのまま会場へ。ちょこっとセッティングしたら、すぐにつながったので、ほっと一息です。
そうこうする間にみなさん集まってこられました。てことで、2時間のお座敷スタートです。少し狭めの部屋ですが、それがかえっていいです。なんとなくみなさんとわたしとの間に一体感がある気がします。となると、テンションがあがってきます(笑)。で、気がつくとこないだと同じパターンです。
まぁ、あとからあとから新しいスライドを突っ込んでいったら、時間がかかるに決まってますよね。でもまぁええか。とりあえず与えられた時間分話をしたから。
終わったあとの准校長さんのあいさつは笑いました。「はじめに会った瞬間は頼りない感じで「大丈夫かな」と思ったけど、知らない話がどんどん出てきて、それにつれて尊敬の念が出てきた」とのことでした。まぁでも、知識は誰でも獲得できますからね。尊敬なんて必要ないです(笑)。

で、最寄りの駅からバスに乗って、お友だちと合流です。まぁ、悩み相談というかなんというか。とりあえずふたりでダラダラ話をしながらダラダラ呑んで、気がついたら10時です。これはアカン。帰らなきゃ^^;;。

ヤバい兆候

現在、1学期の期末試験中。途中2週間ほどのインターバルをはさんで夏休み。ということで、今日あたりから、ボチボチとお座敷がはいりはじめます。
てことで、久しぶりのお座敷に行きました。向かうは阪神沿線のとある高校。駅に着くと「いつきさん!」と声をかけられて、ひょいと見るとRくくんです。来たんかよ(笑)。ということで、道中、いろいろ話をしながら会場へ。
会場に到着すると、メッチャフレンドリーな校長さんが迎えてくれました。さすがは大阪です。ちなみに、なんでも今日は他校からも来られるとか。学校名を聞くと、聞いたことのあるというか、「うちの子がお世話になりまして」的なところが何校か。どうやら横の連絡をとりあってるみたいで、そういうネットワークとフットワークが、これまたさすがは大阪です。
ということで、今日の内容はミッション3です。

ということで話しはじめたのですが…。さすがは大阪です。まったくウケません。わたしごときの話芸ではアカンということですね。すんませんすんません。でも、ところどころで肩が震えてる人がいるから、よしとしましょう。
にしても、ミッション3は、なぜか力が入ります。やはり、ひとつはこなれていないということかな。それと、やはり自分のことじゃないから「へっへー(笑)」とはいかず「がんばるぞ!」ってなっちゃうんでしょうね。
てことで、時間はどんどん過ぎていきます。3分の1くらい話したところで、すでに1時間経過。でもまぁ、それくらいはかかっちゃうんですよね。本来大学の講義で4コマ分の内容です。でもまぁしかたないです。それを限られた時間でやるのがお座敷です。でなければ、連続講座か、はたまた大学の講義でしかできないわけで。
ついでに言うなら、一番はじめのネタから、基本的にはネタは増えていきます。それはそんなもんです。だって、ネタは育つもので、なぜなら「おべんきょ」するからです。なので、はじめは1時間半でいけたものが、2時間に伸びるのもよくある話で。
てことで、ウケもとれないから、ガチでしゃべったもので、気がつくと与えられた2時間が来てます。やばい!ということで、5分の4までいったし、キリもいいことだから、そろそろ終わりましょう。でないと、3時間かかるわ(笑)。
にしても、ヤバい兆候やな…。

終わってからは校長室で、しばし懇談。
「いつも、うちの子どもがお世話になりまして」
と頭を下げまくり。やはり教員って「なんとかしたい」と常に考えてるんですよね。でも、特効薬はないんです。だから、どの薬がいいのか。薬を出すか出さないか、いろんなことをやってみるんです。それは、傍から見たらもどかしいかもしれない。でも、その「傍の人」も、そこにいけば同じことになるんじゃないかな。
でも、だから教員なんて仕事が成立してるんですよね。やれやれ…。

「むずかしいこと」を「むずかしいまま」で

今日は京教のe-projectの一環でお座敷です。仕掛け人はTじさん。京教の後輩で、この間よくつるんでる人です。そういや、Iわ城さん、元気かな^^;;。
今日のお座敷のテーマは「セクシュアリティ概論」+「アライ」です。えーと…。これをわたしか?という話です。が、最近いろいろ考えることもあるし、弘前大学での財産もあるし。てことで引き受けることにしました。
なんか、ここ数年、誰でもセクシュアリティについての講演ができる感じになっているんですけど、なんとなく危ないなって思います。それは、あまりにも「お手軽」な感じがするからです。それこそ、どこかで誰かが言ってる「セクシュアリティの基礎知識」を孫引きか曾孫引きで引っ張ってきて、さも「新しいこと」であるかのように話すなんてことがおこなわれてるんじゃないかと。でも、その「基礎知識」がどのようにつくられてきたのかとか、そんな話はなーんにも知らない。そのことを痛感するのは、やはり東さんや池上さんの話を聞くと、深さがあまりにも違いすぎるからです。
本来「わかりにくいこと」を「わかりやすく」伝えようとすると、必ずどこかに切り捨てるところが出てくる。それを意識的にやるならまだしも、無意識に、あるいは無知故に「まぁここはややこしいから切り捨てよう」としちゃうと、結局その情報は「ウソ」になる。元来「わかりにくいこと」を「わかりやすく」教えるには膨大な知識と経験が必要なのは、教員ならわかることです。で、それだけの知識と経験がないなら、その「わかりにくさ」へのリスペクトは「わかりにくいまま」伝えることであらわすしかないだろうと思うのです。
ということで、今日のテーマは「わかりにくいことは、きちんと「わかりにくいこと」として伝える」です。なので、セクシュアリティだけで小一時間しゃべりました。ここでさらに「多様性」までもっていくと、簡単に2時間は突破します。でも、今日はそちらは要求されていません。なので、もうひとつのテーマ「アライ」について話をしました。
これも、賛否両論いろいろあるのですが、その賛否両論を踏まえた上で、さらに他の被差別解放運動の流れも踏まえながら、「いろいろありまんねんけど、わたしはこう思いまんねん」というあたりを話しました。
で、あとはグループ討論とか質疑応答とか。
そういえば、かつて「質疑応答がメインなので、経験があまりない人でもかまわない」なんて話をされて「オイオイ!」と思ったことがありますが、質疑応答はほんとに難しいです。特に今日みたいに、普段とは違うネタで話をすると、ほんとにむずかしい。でもその代わり、自分が経験したり考えたり学んだりしたことを総動員して応答するのはとてもスリリングで楽しいです。
てことで、2時間の予定だったのが3時間で終了。ちなみに、これはわたしのせいではなくて、Tじさんが「どこまでも伸びる設定」でいて、チラシの2時間はダミーだったという。

セミナーのあとは、しばしダラダラ話をしながら時間つぶし。そして、いつもの「なかま」です。京教生の心のふるさとです(笑)。
ここで、飲んで食べてしゃべって。担当の井谷さんも来てくださったおかげで、話は深く広く盛りあがって、メッチャクチャ楽しい呑み会です。でも、あまりにも楽しすぎて、ちょっと調子に乗ってしゃべりすぎたかなぁ…。さてと帰ろうと思ったけど、奈良線、電車、なさすぎ(;_;)。

シンポジウム「児童期の性別違和への対応―世界の潮流と日本の現状―」

朝、体調はまずまずかな。まぁ、朝ごはんはしっかりと食べておきましょう。一度部屋に帰って、ロビーに降りたら、Sさきさんとの待ち合わせに遅刻しちゃいました。で、電車にも乗り遅れてしまいました。さらにシンポ前のミーティングにも遅れちゃいました。すみませんすみません。
でもまぁ、このメンバーなら特に何もないでしょう。てか、精神科医の学会なのに、パネラーに精神科医がゼロって、康さん、どうよ(笑)。
で、シンポ開始。トップバッターは東さんによる「日本におけるトランスの病理化言説のクリティーク」。トランスジェンダーをめぐる世界的な歴史の変遷と現在の最新情報を短い時間で的確に伝えてくださいました。やっぱ、この人、すごいわ。こんな人にタメ口きいてていいんだろうかと、いつも思っちゃいます。
続いて、佐々木さんの「欧米と日本の比較からみた性別違和を持つ幼児・児童に対する対応」です。こちらも世界の趨勢を追いながらも、日本における臨床の現場からの話。ここで、東さんがわたしに向かってツッコミを入れまくりです。なるほど…(笑)。
そして、川端さん@大阪医大の「大学病院ジェンダー外来での子どもの支援について」。こちらは同じ臨床心理士ですが、大阪医大という現場からの報告です。なんか、東さんがもやっとしておられます。あとの討論おもしろくなりそです。
で、トリがわたしの「トランスジェンダー生徒の学校生活におけるジェンダー葛藤とピアサポートの可能性」。まぁ、中身はこの日の話に交流会の話をくっつけただけのことです。ほんとうは公開フルボッコ大会の時のネタを入れたかったけど、まだまだ未完成なのでやめておきました。
で、討論の時間。当然精神科医の学術総会だから医療寄りになります。が、東さんとわたしは全力で脱医療の立場をとってるから、はずれまくりです。でも、東さんは専門家だからまだいいけど、わたしは…。んー。やはりここはトンチの効いたことを言わなきゃ。
「なんか、疫学的な話って、後出しジャンケンな感じがするんですよね。まぁ、必要であることはわかるのですが、言ってみればPDCAサイクルみたいな感じがするんです。でも、医療にアプローチする人の人生は一度きりで、それにPDCAサイクルはなじまないと思うんですけど」
佐々木さんが深くうなずいてくださって、ほっとひといき。
と、「GID発達障害の鑑別は?」なんていう質問が飛び出してきて、康さんがていねいに答えられたあと、つい
「間違えたっていいじゃないですか」
と暴言を吐いてみたり。ここでも康さんが優しくフォローを入れてくださったり。
そんなこんかでシンポも無事終了。
あー疲れたけど楽しかったo(^^)o

「障害×学校教員」シンポジウム

朝から新幹線に乗って東京へ。とりあえずホテルに荷物を置いて、そのまま歩いて向かうは本郷三丁目近辺。とりま、ここの写真は撮らなきゃならんでしょう。

うーん、なにか物足りない。「富士には月見草が似合う」ではないけど、やはり、もう少し賑やかな方がいいですね。

てのはおいといて、向かったのは小柴ホール。今日は「障害×学校教員」シンポジウムがあります。
にしても、なんでわたしがこのシンポに呼ばれるねんという話なんですが、たぶん「障害概念」そのものを問いたいんでしょうね。というか、わたしのことをよく知ってくださっているKちゅかるさんからの依頼なので、シンポそのものについては安心して参加することができるんですよね。

てことで、シンポ開始。
わたし以外の人は、「ディスレクシア(K山さん)」「盲(N村さん)」「聾(W田さん)」といった、まぁ、ちゃんとした(謎)障害をお持ちの方々です。
まずは自己紹介です。トップバッターがわたしってなんでやねん(笑)。なので「なんでわたしやねん」という、当然のネタからスタートです。
なにせ「障害」と冠するシンポに出たら「やっぱりいつきは「障害」って考えてる」とか「普段言ってることと違うやん。その場その場で立場を変えるやつ」とか「結局いつきは医療モデル」とか、まぁうしろから砲丸が飛んできそうなのですが、実は前々から「障害でええやん」と思ってるんですよね。だって、「障害者解放運動」は「社会モデル」をとっていて、そこに学びながらやればいいと思ってるんですよ。というのは、障害者解放運動における社会モデルは、決して医療行為そのものを排除してるわけじゃない。必要な医療は必要だし、そこへのアプローチはいいんだけど、要は「Nothing about us ,Without us」なわけです。
なので、そんな話を補足。
そんな中で聾の方の自己紹介でぶっ飛びました。
「わたしは自分が障害者とは思ってません。わたしは手話文化を生きているだけです」
これかーo(^^)o
いや、手話文化ってものそのものは綾屋さんの話で知ってたけど、「その文化を生きているだけ」ってのははじめて知ったし、これはすごいなと。てことは、どうやら「障害」はアイデンティティなんだな。つまり、他者から押し付けられるものではなく、自分がそれをどう解釈し
、どうそれとつきあっていくのかみたいな。
そこからはなんかとてもスリリングです。ディスレクシアの方からはカミングアウトの問題が引き出されてきました。まさかここでと思ったけど、「ノンカムフルバレ」の話から、でも必要に応じてカミングアウトせざるを得ない局面もまたあるって話を正直にできたり。質疑応答の中で「ポストモダニズムは障害教員から」みたいな話が出てきて、思わず「お荷物教員(笑)でもええやん」と反論してみたり。なんかとにかく盛りだくさんなシンポで、また何らかの形で報告が出るのを待つしかないですね。
最後に「教員に多様性を開く」って話が出てきて、ここで盲の方が炸裂。「お金です」。いやあ、ほんとにその通り。お金なんですよ。予算をつけないと話にならない。さて、自分は何が言えるだろう…。

多様性は外にあるんでしょうか?
わたしはマジョリティの定義を「他者との違いに鈍感にされている人」って言ってます。本来、ひとりひとりが多様性を持っているにもかかわらず、そのことに気づかれなくされている人たち。そんな人たちが自らの持つ多様性に気づくその延長線上に「開かれた多様性」があるんじゃないか。
そのためには「当たり前」とされていることに疑問を付す。例えば「元気で明るく大きな声の授業がいい」と言われたら、「ほんとにそうか?」と考える。元気ないけどギリギリの体調や精神状態で来ている生徒にとって「朝から元気なヤツはうざい」と思うかもしれない。そんなときに「二日酔いでしんどいねん。大きな声を出すヤツめんどくさいよな」っていう教員がいてもいい。
当たり前のことに疑問を付して、少しずらす。そこからはじめる必要があるんじゃないかと思います。

まぁ、いつも言ってることですけどね^^;;。
そんなこんなでシンポ終了。与えられ期待された役回りに応えられたかな?もしも応えられたら、それはわたしからの恩返しです。

あとで、facebookで次のようなコメントがありました。

横からすみません。懇親会では、パネルディスカッションをずっと見ていたTさん(○○書院社長、わりと辛口)が、「中身が濃かった、おもしろかった」とおっしゃった上で、一人だけ名前を挙げたのがいつきさんでした。それも「社会モデル」の普遍化を体現している人、みたいな意味で。主催者としても、友人としてもとても嬉しい出来事でした。ほんま、ありがとさんでした!  追記:障害学とクィア研究の接点を日本でいちばん考えている(←と私は思う)飯野さんもいつきさんをほめていたなー。

うれしい!もしかしたら、少しは恩返しできたかな。
でも、わたしはわたしの戦線で、これからさまざまな解放運動から学びならやっていくだけですね。

今年度初

激しくお座敷に行った3月が終わると、まったくお座敷のない4月があって、だいたいこの時期からお座敷の声がかかりはじめます。今年は5月にレジェンドな人たちと話をしましたが、本来ピン芸人なので、まぁイレギュラーだったなと。
ということで、今日は今年度初のグランドメニューなお座敷です。
毎回年度始めのお座敷はすごく緊張します。だって、ネタを忘れてるかもしれませんからね。いちおう会場に向かう電車の中でコチョコチョ中身を見たり、少しだけいじってみたり。
で、少し早く着いたので、一駅歩いてコクリュウに行って、YきみちゃんとかTーますとかを驚かせてみたり。
それにしても、体調が悪いです。どうしたものかなぁ。まぁ、お座敷で適度に運動して、そのあとビール呑んだら治るでしょう。
今日、与えられた時間は1時間半。尺が収まるかどうか、不安です。なので、マクラは「北摂共和国」くらいで少なめに。そこからは快調に飛ばします。
最近困っているのは、openofficeのimpress上で動画が流せないというトラブルが発生していることです。それも、昨日まで大丈夫だったのに、ある日突然流せなくなったので、さっぱり原因がわからない。しかたないので、Alt+tabでVLCに切り替えて流すことにしています。でもこれ、PCが離れていたらめんどくさいんですよねー(;_;)。でも、画像が大きいというメリットがないわけでもないので、とりまよしとしましょう。
今日はパターン2の話ですが、ところどころに出会い頭のネタが仕込んであります。そこでちゃんと反応してくださるのがうれしい。やはり、北摂共和国と京都・神戸は仲がいい(笑)。そんなこんなで快調に飛ばして、5分オーバーで終了。てか、はじまったのが5分遅れなので、まぁオンタイムです。ホッとしました。
終わってからの校長さんのあいさつに「元気の出る話」ってフレーズがあったり、「あの時、キャッチボールができたかもしれなかった」なんていう気づきを話してくださる方がおられたりして、かなりうれしいお座敷でした。

その後、再びコクリュウへ。
近くのお店で、Tーます、Kきぴ、米子の人、Yきみちゃんの軽く呑み。てか、「一杯だけ」とか言いながらどんだけ料理を頼むねんと。
でも、時間的にはほんとうに一杯だけで、外に出たらまだ明るい。ここで
「なんか、朝6時の感じやなー」
「ほんまやなー、夜通し飲んだにしては楽やなー」
としょーもない話で笑いあって、Yきみちゃんとわたしは十三へ。ここでサシのみしながら、少し深い話をしたりして、今日はさっさと帰ることにしましょう。明日は朝が早い。

transgender 性同一性障害? −みんなで語ろう過去・現在・未来−

今日は東京レインボープライドのトークライブ「transgender 性同一性障害? −みんなで語ろう過去・現在・未来−」が新宿であります。
これ、3月9日のレインボー国会の時だったかに杉山文野さんから声をかけられて、「いいですよ」と返事しちゃったのですが、やがて送られてきた企画書見て「なんじゃ、こりゃ!」とビックリしました。なにせ、登壇するメンバーの多さと、その多彩さが半端ないです。

よくこんだけ人を集めたなと。
てことで、新宿に向かうべく、10時頃に家を出て、新幹線の中で東さんと待ちあわせ。2時間半ぐらい、今日のトークの打ち合わせとか、某セミナーの謀議とか。昼過ぎに新宿に到着して、まずは腹ごしらえです。東さんのご要望にしたがって、富士そばへ(笑)。何を食べようか迷ったけど、菊菜の天ぷらのそばにしました。

うまいわ。
会場に着いたら、まだ早すぎて閉まっています。まぁそりゃそうだ。てことで、1階のファミレスに移動して、東さんは今日のプレゼン作成、わたしはペーパーの読み込みです。そうこうするうちに、「会場開きましたよ」と声をかけられたので、わたしは移動。しばし椅子並べを手伝ったりしていたのですが、スタッフに間違えられてしまったり(笑)。まぁそりゃそうですよ。
と、三橋さん登場。「ちょっとこっち」とか呼ばれて、今日のトークの打ちあわせ。
そうこうするうちに、虎井さん・とまとさん・野宮さんと続々登場。そして、山本蘭さんも登場。濃いぃわ。ちなみに、若手の人たちもおられるのですが、薬師くんくらいしか面識がないわたしは、たぶん関西人なんですよね。
てことで、トークスタート。
まずは自己紹介から。にしても、東さん、こんなのつくってたんだ。

うまいわ。
まずは、「LGBTという言葉について」とか。いきなりそれかいな。ここは、一家言ある野宮さんとかとまとさんの守備範囲でしょうね。わたしのところには発言機会はまわってこない(笑)。その後、「性別を聞かれたら?」みたいな。もちろん、わたしの答えは「2時間ぐらいかかるけど」です。笑いがとれました(笑)。「ロールモデルは?」という質問には「「フルタイムできるんだ」と思ったのは、いずみちゃんの存在」みたいな。当然ここではとまとさんが反応。わたしは孫世代ということで。まぁ、こんな感じで進んでいくのですが、アウェイ感半端ないです。それはやはり関東の人ばかりの中でたったひとり関西の人間ということは大きいですね。あと、わたしのデビューは2000年以降ということもありますか。まぁ、不完全燃焼で前半終了。
休憩時間、東さんが「大丈夫?」と近寄ってきてくださいました。ありがたや。
てことで、後半スタート。ここからは「特例法」にかかわる話です。まずは「特例法成立の頃、なにをしていた?」と聞かれたので「玖伊屋でビール呑んでた」という答え。笑いがとれました(笑)。もちろん『トランスジェンダリズム宣言』の執筆も忘れちゃいけません。続いて、「変えるならどこ?」という質問。わたしの答えは「戸籍制度解体」。拍手が出てきたのはびっくり。このあたりでだんだんエンジンがかかってきて「わたしのことを「医療モデル」と考えておられる方もおられるみたいですが、わたし「黒ヘル」です」と発言したけど、これはさすがに滑りました。
最後のあたりでは「若手世代に伝えたいこと」という質問が出てきたので「障害者解放運動・在日外国人教育運動・部落解放運動・フェミニズムなど、先行する人権運動から学ぶこと」と答えたら、ここでも拍手が起こったり。そうそう、野宮さんが「personal is political」を出しておられたのは印象的でした。そして、最後に若手からの質問「長く続けるためにはどうしたらいいか?」。わたしの答は「なかまをつくること。そして、なかまをつくるためにはひとりになること」でした。
そんなこんなで、あっという間の3時間でした。が、聞いている側からしたら長かっただろうなぁ。
最後に記念写真。

ここに並ぶことができたのは、あらためて光栄なことだなと思ったり。そういう機会をつくってくれた杉山文野さんに感謝ですね。

終わってからは打ちあげです。中華料理屋でワインを飲みながらグダグダになってしまったり。で、お外で記念写真。

その後、昼に入ったファミレスで2次会。なんか、悪い人たちの集合写真ですね。

そうこうするうちに、「いつきさん、間にあわないよ」の声。ほんとだ、間にあわない。ということで、新宿バスターミナルまでタクシーを飛ばして、なんとか夜行バスに間に合いました。まぁ、これだけ呑んでたら寝れるでしょうね^^;;