身体と心の関係

今日のおべんきょタイムはコメンテーターとやらをしなくちゃなりません。発表者じゃないのでレジュメを切る必要はないのですが、ペーパーを読み込んで斜め30度くらいから切れ込まなくちゃなりません。まぁ、そういうの得意っちゃぁ得意なんですけどね。

ここにソロバンがあるじゃろ?

( ^ω^) ⊃ソロバン⊂

これを電卓と合わせて…

( ^ω^) ≡⊃⊂≡

( ^ω^) ⊃ソロカル⊂

出来上がりじゃ

1979年にな…
pic.twitter.com/XgHGC57QkH

みたいなことやるのが得意技ですから^^;;。
で、幾多の苦難を乗り越えて、なんとかペーパーを読み切って…。ネタもいくつか仕込んで…。でも、まとまってません。なんか、「曖昧模糊」という言葉がぴったりな感じです。

そのままおべんきょタイムに突入です。
発表者の方、メッチャ頭いいです。ペーパーの内容をスカスカと説明していかれます。メッチャわかりやすい!
内容は、「貝原益軒に見る身体と心の問題」みたいな内容です。
まぁ、センセのもともとの問題意識は、例えば「なぜ学校教育の中に掃除があるのか」とか、「知識と行動が結びつくとはどういうことか」とか、そのあたりみたいで、それを遡ると近世まで行くってことで、益軒についての文章を読んでいるわけです。

読みながら「おもしろいなぁ」と思いました。
朱子学って、幕藩体制の維持のために江戸幕府がすすめたとされているみたいです。で、益軒は朱子学に基づいているとされているわけですが、「理気二元論」を否定して「理気一体論」を唱えていると。で、その根底には「自律された心」への不信感があると。なので、「心」のコントロールに「身体」を使うと。
なんか、このあたりを読んでると、「益軒って、朱子学の体をとりながら、やってることは真逆じゃん」と感じるわけです。
さらに、おそらくは朱子学をすすめる江戸幕府は「心」が「身体」をコントロールするということを、秩序の維持のために利用している。で「理」の優位性を言うことによって、それを絶対的なものとしようとしている。まぁ、「理気二元論」ですから。
で、益軒が言ってることって、そういう「絶対的なもの」への反逆とも言えるのかもしれないなと。ってことは…。「教育を民衆の手にとりもどせ!」ってことか?

まぁ、元禄の頃なんで、たぶん身分制度とか緩みはじめていて、幕府的には倹約令とか出している頃だと思うのです。そういう「上からのおしつけ」に対して「民衆の側から」みたいなものがあったのかなとか。

他にもいろんなことを考えましたね。
箸の上げ下ろしにもうるさい文章を書いているんですが「それって三角食べじゃん(笑)」とか、武士道との関係がどうなっているのかとか。そうそう、「理気一体論」って、「三位一体」みたいだなとか。

妄想はどこまでも広がるわけです。てな、楽しい一時間半を過ごさせてもらいました。
にしても、心精神喜んでるけど、頭の身体は疲れましたo(^^)o

近世出版事情

今日のおべんきょのテーマは…。
うーん^^;;。おもしろくないというか、おもしろいというか。
簡単に言えば、「今も昔も売れない本は出版社はつくりたがらない」ってことと「ベストセラーを書く人は、書きたいことを書く人ではなく、売れる本を書く人」ってことなんですけど。まぁ、わたしがわかったのはそこまでなんですが…。
センセとすごす90分の中で、そこが深まるのがおもしろいです。

  • 江戸幕府にとって、朱子学とはどういういちづけだったんだろう。
  • 益軒は、なぜ朱子学の参考書を書こうと思ったんだろう。
  • 近世の民衆はなぜそんな「朱子学の参考書みたいな本」を買ったんだろう。

そんなこんなを、近世の民衆になった気分で考えると、なんとなく、今も昔も「民衆(もちろん含む、わたし)」って、そんなに変わらない気がしてきます。自分の存在理由を考えたり、でもオリジナルな思考ではわからないときに、なにかに憑依したり。
で、とても大切な提起。

  • 益軒の朱子学の解説本が民衆に行き渡った時に、それが特に教育という側面でなにをもたらしたか?

益軒が書きたかったことと、それを受けとめた読者の思いの間にあるズレ。そのズレがもたらしたことの中に、時代を読む本質があるのかもしれません。
そうそう。
益軒が一番書きたかった本は、とうとう出版されませんでした。
「益軒は、きっと学者になりたかったんでしょうねぇ。同時代の学者たちに憧れたんでしゃうねぇ」
とのセンセの言葉に深くうなづいてしまいました^^;;。

矜と謙・「分」はあるのか

矜…「高慢」な態度、自己を押し出したり肥大化させるあり方
謙…自己を控える態度、忍ぶ、こらえる、つつしむなど
だそうです。でもどうやら原典にあたると矜=ほこりについて、「ほこれば、自ら是として人に求めず。かくのごとくなれば、悪にうつる事きはまりなし」とあります。に対して、謙の根拠となるのは原典ではないのですが「自己の中に自律性の根拠を設定しない」「天地によって生み出されかつ「愛育覆載」され、天地のうちにその一分節としてつながることによって生かされている卑小な存在と自覚された自己の意識にもとづく」とあります。たしかに「自ら是」の対極です。
で、おそらくは「天地のうちにその一分節としてつながる」という発想は「分をわきまえる」というところにつながるのかなと。そんなことを思うのです。
ところで、「分」に「身」がつくと、まさに「身分」であり、近世社会のあり方です。
まぁ、人権の立場からすると「身分制打破!」とか「近代は身分制から解放された社会」となるわけですが…。
でも、最近、なんとなく「そうなんだろうか」と思うところもあるのです。それは「才能」ってヤツにかかわっています。
人は生まれた瞬間、すべての才能を備えて生まれてくるのか、それとも天賦の才能を与えられて生まれてくるのかと、最近なんとなく思っています。
こう書くと、「才能がないヤツははじめからあきらめるしかないのか」となるのですが、ちょいと違います。
才能には「役に立つ/立たない」とか「貴重/どうでもいい」みたいな感覚はありません。すべての「才能」は、価値としてフラットです。そして、「天賦」ですから、親からもらうものではない。つまり「世襲」ではないってことです。
それぞれの独立した個人が、天から与えられたとてもステキな「才能」を持って生まれてくる。
で、その「天賦の才能」を見つけ、磨き、社会に還元する。大切なのは自分のために使わないということ。なぜなら、その才能は「天から与えられたもの」だからです。天から与えられたものは、天のために使い、天に返す。
そして、その自分が与えられた才能を見つけ、磨き、社会に還元することを「分をわきまえる」という。そんな気がするのです。
でも、「分をわきまえる」ことは従順であることとは違います。なぜなら、その「分」を侵されそうになった時、「分」を護るためには闘わなくちゃならないからです。そのために、天賦の才能を研ぎ続けるのです。
ちなみに、他者の「分を侵す」ことを、もしかしたら「矜」というのかな。だからこそ「謙」である。
スタティックな「謙」ではなく、ダイナミックでアクティブな「謙」。
そんなことを、ふと考えます。

ネガティブシンキング?

わたしは基本的には楽観主義者なんですが、ものごとは悲観的にとらえる傾向がありまして、って話ではないです^^;;。
今日のお題に「学校でできる強化子を出せ」というのがありまして。つまり「行動の回数を増やす動機づけとなるもの」ってことですか…。で、グループで考えていたのですが…。
つくづく「ガッコって、ネガティブなんだなぁ」と感じさせられちゃいました。
つまり、「回数を増やす」方向ではなく「回数を減らす」方向へと思考が向くんですね。平たく言うと
「そんなことしちゃいけません!」
みたいな。
だから、そうやって育ってきた高校生が、いざ
「好きなことやってみ?」
って言われても、なかなかできないのは、よくわかります。
逆に言うなら、
「そんなことしちゃいけません!」
と言われずに育ってきた高校生は、トライする力を奪われずに育っているということですか。そういうことがどのあたりで出てくるかというと、クリエイティブな局面であらわになるんですね。例えば、放送コンテストとか生徒会活動とか(笑)。
じゃぁ、今のわたしがなにができるかというと、自分の言葉かけが、回数を増やすことを狙っているのか、回数を減らすことを狙っているのかということを自覚的になることなのかなと。
まぁ、そんなことを考えるひとときでした。

不思議な磁場がある

昼間はのつこつと雑務雑務。
で、夜はおべんきょです。
今日は在日のおべんきょ仲間がはっぴょをしてくれたんですが…。
このおべんきょ仲間、本名のことをテーマにしようとしておられます。
んー。すごくおもしろそうなんですが、逆に言うなら、歴史もそれなりにあるテーマだし、事例もそこそこあるし、なにより「どこをつつけば先行研究が出てくるか」というあたりが、それなりにはっきりしています。なので、それなりのしんどさはあるだろうけど、とりあえずの一歩は出しやすいだろうなぁと。
ただ、センセが言われるには
「まだまだやな」
とのこと。先は長いです。

で、そのあと別の「おべんきょ処」のセンセと合流。某在日外国人教育関係セミナー会場のことで打ち合わせです。が、結局は呑み。
でも、いろんなナマの情報が入ってくる飲み会なので、それはそれでなかなかスリリングです。
で、3時間ほどみっちりと打ち合わせして、決まったのは集合時間だけ(笑)。でも、それが大事なんだと…。思います^^;;。

お店を出たら、目の前に天一。それも今出川店。
不思議な磁場に引き寄せられるように入ってしまい、「こってり並。ニンニク大、ネギ大」とつぶやいてしまいました。
まぁ、50円安くなったからええか^^;;。

「気」

今日は夜のおべんきょのために隙間の時間を見つけてペーパーを読もうと。ところが、見事に時間がありません。というか、完全に仕事のタイミングを読み違えてました。てことで、ペーパー読めたのは放課後の掃除監督中。まいったな^^;;。
とにかくおべんきょ場所に向かう間もペーパー読み。
場所につくと、みんなペーパー必死で読んでたから、なんとなく一安心(笑)。

で、今日のテーマは「気」です。
どうやら「気」は流れるようです。みんな「気」からできています。「五官」は「心」を持っていますが、どうにも統制はとれそうにありません。それぞれの「心」は欲望の方向へと行きがちです。
そんな時に「気」ですよ!「気」が統制してくれます。統制といっても、たぶん「制御」とは違うわけで…。たぶん「バランス」「調和」あるいは「整える」感じでしょうか。
でも、内側の「気」と外側の「気」は分断されています。それをどうつなげるか…。
そんな時に「呼吸」ですよ!「呼吸」をすることで内と外がつながります。だから、呼吸を整えるのかな。
そして、「気」は流れます。

考えてみると「気」のつく言葉は多いです。
「気のせい」
ずっと「気」って「気持ち」「気分」≒「自分の思い」「自分の考え」「自分の感情」って思ってたけど、違うんでしょうね。そうか。「自分のせい」じゃなくて「「気」のせい」なんだ。
「足の向くまま気の向くままに」
「自分の思うように」じゃなくて「自然の導くままに」なんだ。
自然の息遣いの感じられるしなやかさを身につけたいな。

そんなことを考えた「おべんきょタイム」でした。

プレッシャー

去年、何度かレジュメ切って発表をしました。が、まぁ正直、趣味の世界ではあったと、振り返って思います。で、趣味の世界だと、まぁ好き放題言えるわけです。だって、ツッコまれても
「えー、わかんなーい(^^)」
で終わらそうと思えば不可能ではありません。だって、ツッコむ人が「一番知ってる人」だし、
「まぁしゃーないな」
としかならないわけです。
ところが、趣味の世界でなくなると、そうはいきません。
ペーパーを読み込んで、わからないところを調べて、それなりの準備が必要になります。というか、その場では自分が「一番知ってる人」でないといけないわけです。
で、今日はじめてそのプレッシャーをヒシヒシと感じました。今ごろでは遅いやろうという話は、もちろんあるのですが^^;;。
でも、これからこのプレッシャーを感じながら2年ばっか過ごすのかと思うと…。うん、でも、それが必要なんでしょうね(^^)

行動をコントロールする

夜は夜でおべんきょです。
今日は「強化」とか「強化子」とかいう話です。
わたしがいま自分の授業でやっていることが、式を分析的に見ることだとするならば、おべんきょでやっていることは「行動の変化を分析的に見ること」なのかな。まさに、「行動分析」です。で、分析的に行動を捉えることによって、行動をコントロールすることができる。
にしても、出されたお題が難しい。
「増やしたい行動を決めて」
「それを増やすための「ごほうび」を決めて」
「実際やって一週間カウントする」
なんですよね。
増やしたい行動…。ないわ…。
別にビールは呑んでるし、逆にそれを「ごほうび」にしちゃうと「行動ができなかった時」には呑めなくなっちゃうし(T_T)。
うーん。
自分の行動を分析的にとらえるって、けっこうむずかしいかも…。

考え違い?

この間から読んでいるペーパーの中にセジウィックホモソーシャル理論とやらが出てきていまして。で、ペーパーの中には詳しい説明がなかったので、かと言って原典にあたる時間もないので、ネットでグリグリと探していたら、原典を引用しながら説明している文章に出会えました。で、
「ふんふん、なるほど。そーゆーことかー。あー、あるある(笑)!」
とか思いながら電車の中で読んで、家に帰ってもぎょりながらいろいろ考えていたのですが…。
突然わたしはとんでもないところで考え違いをしていたことに気づいて、ひっくり返りそうになりました。
そうかぁ。だからあの時あんなことを考えたんだ。
でも、もしも「あの考え違い」がなければ、わたしの人生はぜんぜん違っていただろうなぁ…。

←こんな一日

朝、突然飛び込んできた用事でバタバタ。この時点で、完全に一日の段取りが崩壊しました(T_T)。でもまぁ先送りにしていた仕事だったんで、それはそれで意味はあるんですけどね。それにしてもパソコンが火を吹いたのが痛いです(T_T)。

で、昼からは出張。まぁ、充実した話し合いをしながら、無事会議も終了。

で、移動。
途中、ちょいと友だちと晩ごはんをつまむべく、待ち合わせ。
待ち時間の電車のホームでおべんきょ。どうも机の前でやるより、こういうところの方がやる気が出るみたいです。ホームに吹く風がひんやりしていて、なんか気持ちいいです。
にしても、まとめなくちゃならない文章、なーんか、アジテーションみたいです。言いたいことはわかるし、その内容に賛同もするんだけど、「我田引水」って言葉が頭をよぎります。うーん^^;;。

で、友だちと合流して、軽く晩ごはんを呑みながら、「澱」のことや「ピュアなプレイヤー」について、ちょっとだけ話。

んで、夜の会議に参加。こちらはツッコミどころを見つけられずに、ちょいみなさんを退屈させてしまったかも^^;;。

で、その反省の意味はないけど飲み会。帰る間際に
「いつきさん、なんであそこでツッコまへんかったん?」
となかなかいい指摘をもらったりして^^;;。

てことで、無事終電でおうちに帰りました。
めまぐるしくも楽しくも充実した一日だったかな…。