「語り」をどうとらえるか

なんで『マンゴーと手榴弾』を読んでるかというと、もちろん「語り」をどのようにとらえるかってことを考えなきゃならんからです。で、『マンゴーと手榴弾』の前は『ライフストーリーになにができるか』を読んで、その前は『ライフストーリー論』を読んで、その前は『セクシュアルストーリーの時代』を読みました。
もちろんこれだけの本でどうこういうのはまったく不充分なんですが、でもまぁとりあえず、まずはここで一段落です。
さて、「対話的構築主義」でいくのか、それとも「鉤括弧をはずす」のか。「「トランスジェンダーの学校経験についての語り」をどのように語ったのか」という分析をするのか「トランスジェンダーの学校経験についての語り」を分析するのか。
わたしの前にあるのは10人の貴重なインタビューデータだけです。それは、あの時あの場において、わたしとの関係で語られたものであり、同時に語られなかったものです。後に別の場で別の人に対しての語られたら、また別の語りになるってのは、そのとおりでしょう。ただ、だからといって、「時間/場所/相手によって語りが変わる」=「事実であるかどうか担保できない」と考えるのは違います。極めて主観的ではあるけど、その時その場におけるわたしとの関係においては「事実」なんだと思います。もちろん、時間的空間的背景は考えなきゃならんにしても、神様(笑)にしか知りえない絶対的な真実を求めるのはきっと違う。言い方を変えるなら、ある出来事をめぐって、さまざまな人にインタビューして、その場における「真実」を追求することをしたいわけじゃない。
まぁでも、こんなことは、みんな悩んでいることなんだろうなぁ。いや、すでに解決済みなのかな。まぁフルボッコ大会の呪縛ってやつですね。だからこそ、達成感は1ミリもない(笑)。

それにしても、基本的に何もない土日は楽です。こんな時間を過ごせるとはなぁ。

いろいろ仕入れる→「フェミニズム×トランスジェンダー」

土曜日の朝は猫の額のゆらゆらからはじまります。朝ごはんのあとは『マンゴーと手榴弾』を読んだり。おもしろいな。とにかく勉強です。

この間、いろいろ考えてきたけど、必要なものは必要と割り切って仕入れることにしました。
まずは、8月いっぱいは右手が使えなくなることを見越して準備をせねば。もちろん、右手が使えなくなるといろいろ不便ですが、それを軽減するための8月でした。が、ふと気がつきました。クリッカー、どうすんねん。たぶん右手で持てません。左手で操作するとしても、マイクをどうするか。悩んだ末リングマウスを導入することにしました。でも、写真を見たら、みんな指を曲げてるな。どうなるかなぁ。
さらにブルーレイレコーダーが壊れたので買い換え。そうか、ソニーはそんなに悪化してるのか。しかたないです。パナソニックかな。
そうそう、猫の額に電源がほしい。いや、フル防水コンセントがあるのはあるのですが、そこへのアプローチがすごくややこしいんですよね。だから、延長コードがほしい。ただ、屋外だから防水じゃないとダメです。ところが、防水型の延長コードは差し込みのまわりが円形なので、防水コンセントにさせない可能性が大です。どうする?こんなのがありました。が、コードが短い。やはり2mくらいほしいです。ちなみに、10mあると、それはそれでジャマです。これで延長かな。まぁ来週土曜日はこのあたりを常設してゆらゆらできるでしょう。

午後は「フェミニズム×トランスジェンダー」を視聴。
実は、主催者の金友子さんから直々にお誘いがあって、これはぜひとも聞きたいなと思っていました。ただ、今日はもともと某在日外国人教育関係の会議が入っていて断念かなぁと思っていたのですが、会議がなくなったので、これはラッキーと申し込みました。
スピーカーは岩川ありささん。クィアスタディーズとかフェミニズムとか関連の話になるのかなと思ったら、そうでした。中でもインターセクショナリティは「広げていくこと」っていう提起がおもしろかったかな。例えば、黒人を語るときに、語られていなかった黒人女性へと広げること。黒人女性を語るとき、語られてこなかった黒人女性のレズビアンへと広げること。黒人女性のレズビアンを語るとき、語られてこなかった黒人女性のレズビアンの障害者へと広げること。そういうふうにしてトランスジェンダーのことも考える。
もちろんあたりまえのことなんだけど、あたりまえのことをあたりまえに話すことでわかることがあります。「微細な差異に敏感になること」というpdfはインターセクショナリティを念頭に置いて書いたけど、まぁあれはキワモノですから、こちらが本筋なんでしょうね。今後もおもしろい企画があるみたいなので、楽しみです。

まぁ、そんな感じの1日。

「自分史を書く」ことにまつわって

この間、ずっと桜井厚本を読んでいます。まぁほんとうに「今ごろかよ」って話です。それは、インタビューをする側としては、完全にあたっています。が、インタビューをされる側としては、別の意味で「今ごろかよ」だったりするわけです。
最近でこそ減りましたが、わたしはかなりな回数、インタビューを受けてきました。その中には、例えばこんなのもあったりします(笑)。
そんな経験の中で「自分史を語ること」についてはずいぶんと考えてきました。だからこそ、例の本の冒頭に、以下のような内容を書いたわけです。

その時「自分史を書くしかないなぁ」と思いました。と同時に、「それってうさんくさいなぁ」とも思いました。なぜなら「ウソが混じるかも」と思ったからです。確かに「自分史」にウソはありません。しかし、そこからどんなエピソードを拾いあげ、それをどう表現するかということは、「現在のわたし」の評価を通してされる恣意的な作業になります。でも、逆に言うならば、自分史を書くことを通して、現在のわたしを書くことができるかもしれないと思い直しました。

ちなみに、こういうことを何度か「おべんきょの専門家」の人たちに話したことがあります。すると、みなさん「そんなん、当たり前や」と返してこられました。まぁそりゃ「おべんきょ」の世界では当たり前のことなんでしょうね。ただ、当時のわたしは「おべんきょ」は縁遠い世界だったし、どちらかというと「おべんきょのネタ」になっていたわけで、その「ネタ」側がこういうことを考えていたってことです。さらに言うと、はじめて「お座敷」をやったのは2003年頃だったかな。その時、すでにこういうことを考えていました。
で、なぜこんなことを考えていたかというと、たくさんの「被差別者」のみなさんの講演を聞いてきたからです。
みなさんの「被差別の人生」を聞くたびに「ほんとうにそうなの?」ってずっと思っていました。もちろん、「被差別の経験」はそうなんだろうと思います。が、「それだけなの?」ってずっと思っていました。だからこそ

ほとんどの人は、淡々とした日々の中に、小さな喜びや小さなしんどさを感じながら生きているんだろうと思います。わたしもそんなひとりです。

と書いたんですよね。そして、そういう人生って

とてもではないけど、波瀾万丈な人生とは言えないわたしの自分史をできる限り正直に書くと、おのずととても退屈な文章が続くと思います。

なんです。
いま振り返ると、あの本は、自問自答しながら書いていたし、言いかえるなら、「インタビューアー」と「インタビューイー」の両者をやってきたのかもしれないなと思ったりもします。そして、「自分史を書く」ってそういうことなんだろうなと思ったりもします。
まぁ、なにがなんていうこともないけど、少し思ったってことです。

おべんきょな日々、のち

6月は3学年とも人権学習がある月です。とはいえ、まだ2週間くらいあるので、そこまでは「ステイ」な感じです。
てことで、今日ものんびり過ごしましょう。
ただ、とにかく眠い。まぁ5時すぎに目が覚めたからかなぁ。
1時間目はあまりにも眠すぎて、グダグダな授業でした。なにせ、連立方程式が解けなかったという(笑)。なので、2時間目はプリント学習です。なんとなく子どもたちと「やりとり」ができるようになってきた気がします。
それにしても、わたしで検索した子がいて、いったいなんでやねんと。
で、昼前からは空き。せっかくなのでおべんきょです。今日は、昨日の続きです。ふむ、おもしろい。とにかくガンガン読み進めます。読み進めていくうちに、次はこれやなという気がしてきました。まぁ前に読んだはずですが、たぶん全部は読んでない(笑)。
放課後は追認補充。この間写真撮影が入ったり、収録が入ったりと、なかなか落ち着かなかったけど、今日はのんびりとやれますね。ちなみに、教室の中には補充とは関係ない子がカードゲームやってるのも、なかなかいい感じです。
で、定時に退勤。
いつものように電車に乗って、向かうはから咲です。今度行くお座敷のことで打ち合わせ。とはいえ、打ち合わせそのものはあっという間に終わります。あとは首謀者のTくさんとわたしで言いたい放題です。それを聞く若手教員ふたり。思わず
「club houseみたいでしょ」
とツッコんでみるなど。
そんなこんなで、楽しい時間が過ぎていきました。
それにしても、滋賀で飲むのは3回目やなぁ。

おべんきょの1日

朝、眠いです。どうしようもなく眠いです。幸いにして、今日は昼前まで授業がありません。なので、とりあえず雑務をやっつけて、おべんきょです。
まずはプラマ-を最後まで読んでしまいましょう。んー…。まぁいいや。どうせもう一回読まなきゃわからない(笑)。
続いて桜井厚さんです。
なんで今ごろこれを読んでるって話ですが、それくらい不勉強なわたしです。
こちらはわかりやすい。それにしても、反省することしきりだなぁ。
そんな1日でした。

少し楽になった

水曜日の朝はあわただしいです。とにかくスタートダッシュで授業です。が、1時間目の授業をはじめて間もなく、生徒から
「せんせい、何ページですか?」
という質問が。こいつなに言ってるねん、さっき言ったやろと思いながらページを確認したら、別のクラスの教科書だったことが判明。アカンな。
「ごめんごめん、間違えたわ。やりなおし」
ってことで、ダメダメなスタートです。
で、3コマ連続で授業をしたら昼前です。ここで、来年度以降の仕事のための書類をwebで送るなど。まぁダメ元です。
とにかくローテンションの原因は多々あれど、これもひとつの大きな原因です。
おべんと食べて、ひと息ついたところで、生徒総会。今年も放送でやるので、楽は楽ですね。でも、おもしろくないな。なんか、放送部も低調です。まぁ原因はわかってないわけではない。でも、どうしようもない。とにかく疲れて喉が乾いたので、主義主張を曲げて、校内の自販機でリアルゴールドでも買おうかと思って外を見たら、来ちゃいました。某国営放送ご一行さま。
今日はなぜか収録の日です。
てことで、そのままご一行さまの相手をして、掃除カントクへ。
「すまんけど、今から収録なんで、やっといて」
「なんで収録なんですか?」
「さぁ(笑)」
なんでやろね。
で、補習のシーンでカメラをまわしてもらって、その後教室でインタビューを受けて。でも、これ、使われるのかなぁ。
ちなみにご一行さまの交通手段はタクシーです。しかも大津から。たぶん感覚がおかしくなるだろうけど、しかたないんですよね。事故が起きたときのことと、機材の保護を考えると、たぶんタクシーが一番安いです。ちなみに、カメラとマイクセットで1000万円って言っておられました。
で、帰りの時間がヤバイので
「駅までタクシーに乗せてもらえませんか?」
と頼むと
「だめなんですよ」
とのお返事。まぁわかってました。とにかく某国営放送はお金に厳しいんですよね。タクシーは金銭が発生するから、便乗もお金の授与になる。もちろん飲み代をおごるなんてもってのほかで、みなさん、厳密に割り勘です。
にもかかわらず、トップの人たちは接待を受けてる。
「みなさんがそうやってがんばってるのに、そのがんばりの信用を落とす行為ですよね」
というと
「そうですよ!」
って、記者さん、めっちゃ怒ってました。
てことで、収録終了です。
わたしも駅まで急いで向かって、いつもの電車に乗って、次の場所へ。
今日はちょぼやき会です。今日のテーマは「フルボッコ大会リターンズ」です。電車の中でおさらいしようとPCに火をくべまて、この間使ったスライドを探しました。が、見つからない。ヤバイな。どこに行ったんだろう。しかたないので、「フルボッコ大会」のを使うことにしました。
今日与えられてる時間は1時間半。かなりゆっくりとできます。なので、少していねいに話をしました。すると、なんとなく調子がいい。あー、もしかしたらこれか。時間がないことによる焦りと、そのことで「語り」を語れないことの不満と、説明しきれないことのいらだちと、いろんなことが混じってたんですね。もちろん、理論的な弱さは何も変わってませんが、そこについては「わからんことはわからん」と言えるようになったのがいいことかな。
結局1時間10分ほど話をして終了。その後質疑応答です。「おもしろかった」という感想がたくさんあったけど、そんな中で「聞くこと」の責任の問題とか「おべんきょの楽しさしんどさ」みたいな話題とかがあって、こちらも楽しく勉強になりました。
その後、懇親会。いろいろあって5人で女子会です(笑)。あんなことやこんなことを話しあって、楽しくおいしい時間を過ごして、11時半くらいにおひらき。
それにしても、みなさんの質問や感想を聞きながら、なんとなく癒やされた気がしました。やはり、リメイクしよう。

フルボッコ大会のダメージは残ってる(笑)

昨日、なぜあんなことを書いたかというと、もちろんおとついのペーパーに触発されたということはあるけど、もうひとつは、とあるメーリングリストの学習会があるからなんですよね。
発端はひょんなことで、わたしが「とったどー」って内容を投稿したら、「それについての学習会をしましょう」ってことになって、あれよあれよと言う間に学習会が決まってしまいました。定員は45人ということだったけど、ほぼ満杯。参加者を見たら、そうそうたる人たちが並んでいます。
これはヤバイ…。
となって、フルボッコ大会のスライドを見ざるを得ないことになったという。ただ、それはそれでいいことではあります。やはりフルボッコ大会のダメージは残っているわけで、スライドはおろか、おべんきょ成果もあまり見たくなかったんだけど、強制的に向き合わざるを得なくなったわけです。てことで、少しだけどスライドの修正をすべく、脳みそのモードを切り替えたってことです。
で、今日がその学習会です。ほんとうは今月の「ちょぼやき会」でやる予定だったので、それを受けてと思ってたけど、緊急事態宣言で吹っ飛んだので、ぶっつけ本番的な気分です。

午前に打ち合わせのzoom。
「フルボッコ大会のダメージが残っていて、達成感は1ミリもありません」
と言ったら、みなさん絶句されてました。優しい人たちです。
で、午後は学習会。与えられた時間は45分だったけど、50分かかってしまいました。おかげさまでカミカミでした。聞き取れただろうか。てか、結論部が一番焦ったので、ほんとうにダメダメです。
ただ、そのあとの質疑応答は優しかったなぁ。打ち合わせでは「3つ4つ選んで」って言われてたけど、えいっと全部答えました。
それはそれでいいんだけど、反省点も多々あります。
まず「トランスジェンダー「を」→トランスジェンダー「で」」って考えてたけど、やはり「トランスジェンダーを」になってるんですね。だから、質問もそういうものがたくさん出てきた。たぶん、矢印の方向を間違ってるんです。まぁ「トランスジェンダー生徒の学校経験」が「トランスジェンダー「を」」なんだろうな。ただ、変えるわけにはいかないし、あれはあれで大切な中身だから、結論部に「反対向きの矢印」を追加するってことにしましょう。

まぁでも疲れたけど、脳みそが活性化してよかったです。

少し気づいた気がする

昨日、崇仁のことについて少し調べようと思ったら、おもしろいペーパーにつきあたりました。とても簡単に言うと、藤尾さんについて書かれたペーパーなんだけど、ふとこの時いろいろ意見を言われた方なのかなと思って確認したら、そうでした。
「なるほど…^^;;。まぁでも、あの時に、なぜあれほどまでに話をされたかはわかりました」
「(笑)ご理解頂き良かったです」
などというやりとりをしてみたり。
ただ、けっこう参考になることがあるので、「なるほどなー」と思いながら読んでました。
で、今朝は今朝で『セクシュアル・ストーリーの時代』を読んだんですけど、インタビューの読み方がなんとなくつかめたような気がしました。
まぁ簡単に言うと、わたしに対する語りと、他の人に対する語りは違う可能性があるってことかな。それはわたしが特別とかそういうわけじゃなくて、Aさんに対する語りとBさんに対する語りは違う可能性があるってことです。なぜなら、伝えようとすることが違うからですね。
「その時点」を生きているときは「先」はわからないけど、「語っている時点」は「先」を知った上で「その時点」について語る。だからこそ、そこに語り手の解釈が入るし、「その時点」についての語りは、わたしに対して「なにかを伝える」行為になる。それを分析することを通して、「その時点」を解釈する必要がある。
なんか、そんなことを考えました。まぁもちろん違うかもしれません。桜井さんとか岸さんとか、もう1回読んでみようかな。そのうえで、もう一度トランスクリプトを読むのはおもしろそうですね。
まぁただ、わたしがやろうとしてることは「ライフ・ストーリー研究」ではないってことはあるわけで、そういう意味では、やはり矢吹本が参考になるのかなぁ。
なんしか、新年度がはじまって、脳みそがどんどん動かなくなってきてたけど、少し動いたことがうれしいな。

やはり、あそこにいかなきゃならんか…

今日もひたすらビデオ編集です。引き受けなきゃよかったと思うけど、まぁしかたないです。ガッコってところは「持ちつ持たれつ」であり「お互いさま」がベースです。
半分ちょい完成したところで、気分転換で走りましょう。と思ったけど、スタート時点で気が重い。こういう気分はあまりないですね。たぶん、この間少ししんどかったから、それが身体に残っているのかな。ちなみに、家用にサングラスを買いました。だから、走らなきゃなりません。35分走って5.7km。アベレージが6分06秒/kmです。てか、ゴール直前で見たら6kmって表示だったから走るのやめたのに、もうちょっとだけ走ったらよかった。なんしか、遅い。まぁええか。
午後もビデオ編集。ほぼ1日かけて、なんとか完成。なんか、気分が煮詰まってきたので、ちょっと散歩です。
散歩から帰ってきたら、おべんきょモードに切り換えましょう。とたんにフルボッコ大会の記憶がよみがえってきます。が、そこからしかスタートできません。とりあえず、キー概念の先達の本をゲットしなくちゃなりません。幸い、とあるR大学の図書館にあるようなので、予約。ただ、その先達は『ディスタンクシオン』を参照しておられるので、やはりここから読まなきゃならんようです。
てか、そんな状況で今度の「フルボッコ大会・リターンズ」に間にあうのか?

センセの最終講義とか、いろんな人に会った2日間とか

朝起きて、ノロノロと出発準備。9時半くらいにおべんきょ場所に行きたいです。となるど…。よくわからんな(笑)。
とりま蚕棚を出てモーニングを食べられるお店を探します。てか、鶴橋でモーニングならこれでしょう。

キムチサンドです。おいしい。キムチもだけど、卵がおいしい。そしてパンの焼き具合が最高です。
で、キャスターバッグをコインロッカーに放り込んで、おべんきょ場所へ。今日はセンセの最終講義の日です。
最寄りの駅からおべんきょ場所まで歩きながら、「もうそんなにここには来なくなるんだろなぁ」などと思うなど。実際にはいろいろ来なきゃならんのでしょうが、でも「おべんきょ」の立場としてここに来るのはこれが最後ですね。
教室に入ると準備の真っ最中です。なんか、画面共有がうまくいかないらしいです。ふむ。
「それ、拡張画面になってません?」
と言ったら
「?」
だったので、複製画面にするなど。
なんでも普段は業者がやるけど、今回は手づくりでやりうと思っておられるのかな。センセがいろんな人から愛されてる証左ですね。
やがて懐かしいおべんきょ仲間が来られて、昔話に花を咲かせたり、昨日の話に花を咲かせたり。そうこうするうちに講義がはじまりました。
「たまさか」は「たまたま」なんだけど、「たまたま+まさか」なんだって話からスタート。そこにはセンセの生い立ちなんかもあって、まさにご自身が「たまさかの人生」を歩んでこられたんですね。そんな中で堕胎と殺人の境界線であるとか、「家族計画」への疑問が沸き起こってくる。
話を聞きながら「ん?歴史?社会学?」と瞬間混乱したけど、そうか、家族社会学って、そういうものなんだと、なんとなく納得。なんか、調査のしかたが三橋さんと重なるなど。
さらに途中出てきた資料を見て「あ!」と反応してしまいました。そうか。貧困家庭と家族計画とかいう話になると、ムラも出てくるのか。あの本、ほしいな。
なんというか、すんごいいろんなことが重なってて、もしかしたら、わたしのフィールドととても近いところにおられたのかなと、ふと思ったり。そう考えると、もっともっといろんなことを話すべきだったなと。
最終講義のあと、いろんな人のスピーチけあったけど、ここでも驚いたことがありました。ある人が「先生は西暦で書かれてたので、変換しなきゃならないんですが」と言われたんですよね。わたしは西暦を使うので、あまりにもあたりまえに見てたんですが、これもなるほどです。
日本の家族制度は戸籍制度だし、それは天皇制の問題でもある。だから、そこに敏感だしこだわりがあるのはあたりまえなんですね。なんでそんなことに気づかなかったんだろう。
前に
「研究って、世界を相手にひとりで闘えるんですね」
って言ったら
「そうなのよ!」
って言っておられたんですが、ほんとうに闘っておられるんだなと、あらためて感じました。そうそう。なんでも、Dを指導されたのは8人なんだとか。その最後のひとりになれたのはうれしいなぁ。
最終講義のあとは、おべんきょ部屋で、しばしおべんきょ仲間と懇談。これまでのことやこれからのことなど、うれしそうに語られるセンセを見て、なんか心が和みましたた。
懇談のあとはおべんきょ仲間と一緒にランチ。前のおべんきょ仲間も楽しい人たちですが、こちらのおべんきょ仲間はガチの人たちなので、格別ですね。いつしか「おべんきょ会をしよう」というふうになるのはあたりまえかな。
そんなこんなで、みなさんとわかれて、またまた鶴橋へ。今日もクロスベイスに行きます。中に入ると先客が…。なんか聞き覚えのある声だなと思ったらM山さんです。
「なんでここに!」
とお互いに笑うなど。さらにYんソンセンニムもおられます。こちらも爆笑です。なんでも朝文研の打ち上げて鶴橋に来たついでに寄ったんだとか。みなさんが出ていかれたら、入れ替わりにAべさんが来られました。ここでも
「なんでここに!」
です。
で、Fる川さんとSんさんと3人で「新楽井」へ。ここで煙に巻かれながらディープな話。でも、今日の話は、なかなか新展開になるかなという感じです。
さてと。8時だわ。そろそろ帰りましょう。
ということで、環状線に乗って大阪まで…。しもた、コインロッカーの中のキャスターバッグ忘れた。てことは鶴橋までもどらなきゃならんやんか。
まいった…。