久しぶりの両性研

年度当初、いろいろスケジュールを見ていたら、今年の両性研は土日ってことがわかりまして
「これは久しぶりに参加できるな」
と思っていたのですが…。
ある日
「シンポジウムのパネラーをしないか」
というメールが来ました。へ?何をしゃべれと…。最近、
「他にもっとふさわしい人いるんとちゃうん」
という話がたまに来るのですが、ま、考え方を変えれば
「しゃべってみて」
って主催者が考えておられるわけで、それはそれでありかと思いながら引き受けることにしています^^;;。

てことで、会場へ。にしても眠いなぁと思っていたら、
「いつきさん!今年、来たんやー」
との声。大分のKさんでした^^;;。
「そら、来ますがな。わたし、午後のパネラー^^;;」
「えー!」
みたいなベタな会話を楽しみながら、まずは午前の伊藤公雄さんの講演です。
なるほどなぁ。多くの国は90年代の産業構造の変化の中で「働き方」を変えざるを得なかったんだけど、日本は逆に「団塊の世代」の長時間労働でそこを乗り切ってしまったがゆえに、「変化」に乗り遅れたと。さらに、いまだに「あの時の成功体験」から脱することができずに90年代への回帰を求めていると。なるほどなぁ。
他国の経年変化との比較をすると、そのあたりのことがとてもよくわかりました。うーん。わかりやすいなぁ。
それにしても、プレゼンテーションソフトを送って行く時、右クリックでメニュー出して「次へ」をいちいち押してるあたりが、なかなか^^;;。

√か…。

今日は人権教育研究会の夏季研です。
午前はレポート。今回は新たにつくった「労働」についての教材の発表です。
正直、たいしたことのない内容ですが、おそらく京都の高校では誰もとりくんでいないんじゃないかな。なので、「問題提起」程度の位置づけです。
25分、事前の準備もなくダラダラと話して終了。それにしても、口のうまさは命とりです。それなりの内容に聞かせてしまう自分、質疑応答にも器用に答えてしまう自分が、たまにイヤなります^^;;。

午後からは西成高校の肥下ちゃんの講演です。
冒頭いきなりわたしの写真が出てきて爆笑です。
実は今回、普段話をしておられるであろう「反貧困学習」あるいは「反貧困の学校づくり」とは少し違う切り口で話してもらうよう頼みました。
たぶん「反貧困学習」についての話を京都でやったら、「あー、そんなことやってはるんやー」ってなってしまう。それは同時に「うちでは無理やなぁ」と同義なんですよね。
でもそれは当たり前で、生徒の状況も学校のシステムも、学校を取り巻く環境もまったく違います。だから、同じことができるはずがないんです。
で、今回、肥下ちゃんに話してもらいたかったのは
「なぜそんなことをしようと思ったの?」
ってことです。つまり、根っこ=√です。
これならば、個人的な「根っこ」の違いは当たり前。でも、肥下ちゃんの話しの中にある「根っこ」を聞きながら、自分の「根っこ」を考えることもできるし、そこから自分が何ができるかを考えることで、自分なりのとりくみを考えることができる。
必要なのはマニュアルではなく、作法である。
そんなことを考えたのです。
肥下ちゃん、見事にそんなわたしの思いに応えてくれました。バングラデシュで出会った識字の話からスタートして、教員になる前の話、教員になってからの話、「反貧困学習」「反貧困の学校づくり」に至るまでの一貫した思いを話してくれました。
「あの時の思い」を心の中に沈めて、淡々と考えとりくみ続けること。そこから新たなとりくみが出てくる。そしてそれは誰のためのとりくみなのか。なにを目指すとりくみなのか。それを考えた時「あの時の思い」が常にあるんでしょうね。

暴走機関車先生

今日の午前は某大学の学生さんたちからインタビューを受けました。なかなかいろいろ調べ、考え、かなり緊張しながら来られたみたいです。ところでわたしはというと、玖伊屋明けの最悪の体調です。うーむ。
ま、いいか。2時間ほど好き放題しゃべりました。が、あれでいいのかなぁ。なんか、使いものにならない気がするんですが^^;;。

で、午後は研修会です。講師は暴走機関車先生。タイトルは「混血児はつらいよ」です(笑)。
ま、いいんですけどね^^;;。
でも、話を聞くのははじめてなんで、かなりワクワクします。
暴走機関車とはずいぶん長いつきあいになりました。でも、こんなに詳しく自分史を語ってくれたことはありませんでした。てか、2時間近くかかるんですよね。そんなに長く一方的に話をすることは日常ありませんから、あたりまえかもしれません。
途中、他の人が笑っているところですふいに涙が出てきたり、かなりヤバイ講演でした。
にしても、サポーターがうるさいのなんのって。奈良とか徳島とか大阪とかから変態たちがやってきて、もうたいへんです。ま、たしかに雰囲気を盛り上げてはくれました(笑)。
それにしても、司会者が
市川先生→トーマス先生→トーマス
って呼称を変化させていくって…。ま、だれかと似てるな^^;;。

沖縄てんこ盛り

さて、ここからは「趣味の沖縄」のはじまりです。
まずは「アメラジアンスクールインオキナワ」です。

小さなスペースに、おもちゃ箱のようにいろんなものがぎっしりと詰まっている感じです。なんか「もの」だけじゃなくて「思い」も詰まっているんでしょうねぇ。そんな空気が伝わってきます。
で、感じたのは、なるほど。暴走機関車にとっては、ここは「アウェイ」だなということ。そんなことを野入さんに話すと
「海外帰国生徒が「なつかしい」って言いますね」
とのこと。これまたなるほど…。

昼ご飯の後は、野入ゼミに乱入。今日は学生さんがふたり発表です。ひとりはジェンダー関係の話。もうひとりは離島出身者の話。おもしろい!荒削りだし、思考の深さも足りないんだけど、「そこを見るか!」という感じです。僭越ながら、いろいろツッコミを入れたりもしながら
「温泉掘り当てた感じが…。あ、温泉ないのか。油田を掘り当てた感じですよ」
とわけのわからないコメントをしちゃいました。
それにしても、あんなんでよかったのかなぁ…。

その後、学生さんの車に乗せてもらって、伊波普猶のお墓参りです。
今回野入さんから
「どこに行きたい?」
と聞かれて、う〜んと答えに詰まって、最初に出てきたのが
「伊波普猶のお墓」
でした。もちろん野入さんからは
「お墓^^;;」
というメールが返ってきたのは言うまでもありません。
でも、わたしにとっては「沖縄学のまなざし」という映像と出会ったことで、ようやく沖縄人権学習の教材ができたわけで、やはりお礼を言いたかったんですよね。
ちなみに、道中に学生さんに
「伊波普猶って、学校で習いますか?」
と聞くと、
「小学校の時に」
との答えでした。やっぱり教えてるんだ。教える内容が地域によって違うのは、おそらくは本来の姿なんだと思うんですよね。それを全国一斉のテストで学力を測ると、そりゃ地域差が出ます。もしも沖縄で教えていることをベースに全国一斉テストをやったら、たぶん他地域はボロボロですよね。
「桜は一番寒い時に咲くものだよね〜」
「テレビで梅雨の話をしている時、こっちは台風で大変だもんね」
なんて話をしています。そりゃそうだわな。経験から積み上げられたものとテストに出題されるものの2重構造は、もしかしたら過重な負担をかけているんじゃないかなぁ。
てなことを考えながらお墓参り。

有名な言葉

彼ほど沖縄を識った人はいない
彼ほど沖縄を愛した人はいない
彼ほど沖縄を憂えた人はいない

さて、次に行くのは嘉数高台です。
ここはもともとは拝所(うがんじゆ)だったとか。

「なーんにも飾ってないし書いてないのは、みんなここが「うがんじゅ」だっていうことを知っているから。そして、この山そのものがうがんじゅだからなのよ」
って野入さんが説明してくださいました。
ところが、地上戦においては高台をとると優位に立てるために、ここをアメリカ軍と日本軍が取りあって、山の形が変わるほどの激戦地になったとか。
階段を上っていくと…
「あ!」

オスプレイです。
山の上には各地の戦没者の慰霊碑があります。すべて兵隊さんの慰霊碑です。地元の人の慰霊碑をあとで見に行ったのですが、なくなっていました。なんでも赤いペンキをかけられたり削り取られたりしていたとか。
少し山を下りると「大獅子」がいました。

もう一回上に上がって、今度は展望台から普天間基地を見ます。

ひっきりなしに飛行機が飛んでます。同じジェット機がしょっちゅう飛んでいるところを見ると、タッチアンドゴーの練習をしているんでしょうか。ちなみに、下界からはエイサーの練習の音や子どもたちの遊ぶ声もしています。遠くの方で聞こえる放送に耳を澄ますと、
「来週不発弾の処理をします。○○交差点は全面通行止めです」
って言ってます。ここはまだ戦後なんだなぁ。そして今は戦前でもあるなぁ。てことは、ここは戦中なのかなぁ…。そんなことをふと思いました。
その後、近くのガマに移動。そうかぁ、こういう自然の洞窟にみなさん避難していたのかぁ。

その後、沖縄の野菜を使った朝鮮料理のお店へ。
ここで朝鮮大学校出身の弁護士さんと合流。めっちゃ変な人です。
「ひとつの枠でものを考えようとすると、必ずそこからはみ出るものがありますよね」
「うんうん」
「てことは、すべてを包括する概念は…」
「変態ってことですか」
「そうですよね」
「そのうち、変態のサマースクールとかできて」
「変態の先輩がグループの論議を聞きながら「うんうん」ってやって」
「「自己開示だ!」とか言って」
「僕も学校に帰ったら変態を自己開示します!って宣言したりして」
「変態の先輩が「よーし!」とか言ったりして」
ツボにはまって、おなかがよじれました。

で、帰りに寄ったのが沖縄国際大学です。もちろんヘリの墜落現場を見るためです。

まぁここでもお金があちこち動くわけで…。

てことで、部屋に帰ったらバタンキューでした。

とうとうやってきた!

あれは6月くらいのことでしょうか。カウンターのあとだったか、はたまた玖伊屋の時だったか覚えてないのですが、Bんちゃんが
「おもろいことやりたいねん」
と言ってきました。
とてもとてもよくわかります。
わたしはカウンターは数回しか行ってないけど、Bんちゃんは、ほとんどすべての休日をカウンターに費やしてます。
カウンターは消耗なんです。日程すら自分では決められない。何かがある場所に行って、そこで「相手」へ向けて「No!」と言うだけ。その繰り返しは、ほんとうに消耗なんです。だからこそ、「自分たちが自分たちの意志で行動したい」という気持ちになる。まさに「受動」から「能動」へです。
やがて、
「7月14日にパレードをする」
という連絡が入りました。
「協力要請のためならどこへでも行く」
というBんちゃんの言葉に、ただならぬ気迫を感じました。
自分にできることは?とにかく人を集めること。
ふだんの向こうの街宣は40人〜50人。その全員がわたしたちに向かってカウンターをかけたとしたら、100人程度のパレードでは負けます。圧倒的な人数でなければならない。でも、組織はなにもありません。とにかく、ひとりずつ声をかけること。わたしにできることはそれだけです。
「なぜ?」
と聞かれたら、まずは
「Bんちゃんのため」
です。
それから…。
「ウトロのオモニ・アボジのため。今まで出会ってきたすべての在日の人々のため」
です。

今回はプクを叩きたいと思いました。なぜだかはわかりませんが^^;;。
自分が持ってないことに気づいたので(笑)、O阪大学の友だちに連絡をして、借りる段取りをしました。

で、今日を迎えました。
途中、ダメダメ先輩と合流して、ラーメン&ビールで燃料補給です。
集合場所に到着すると、えらいことになってました(笑)。
あちこちに知ってる顔があります。ふだんカウンターで大声出してる人も、今日は笑顔です。お互いに霧吹きで霧をかけあったり、なごやかな雰囲気です。
やがて開会集会の開始。Bんちゃんやのいほいさんや、いろんな人がアピールしてます。でもわたしはプクの準備です(笑)。
やがて鳴り物隊の音合わせ。そして出発です。

まぁ、スタートはよかった。でも、リュック+プクは肩への負担がすごいです。突き刺すような痛みに変わります。久しぶりなので、プクチェを持つ手はあっという間に皮がむけました(;_;)。
でも、いいです。
そんなわたしを見かねてか、
「これ」
と、自分が持っているペットボトルの水をわけてくれる人がいます。優しいなぁ。友だちのY本さんが来て
「ちょっと代わったろ」
と笑顔で言ってくれます。みんなでパレードやってるんだなぁ。
やがて心斎橋のあたりに来たところで向こうのカウンターがいました。ひときわ大きなコールになると同時に、みんなピースを出します(^^)。「能動」は「肯定」でもあるんだなぁ。なんか、胸にグッとくるものがあります。
御堂筋を歩く人たちは、わたしたちのことをニコニコと見てくれています。これもまた「能動」のなせる技なんでしょうね。「能動」は「楽しさ」でもあります。
本町の交差点では「泉州TRY」の人たちが街宣活動しています。
泉州?」
絶対にいるはずの人を探すと、あっという間に見つけちゃいました。
「三井くーん」
「いつきさーん」
ガシッとハグです(^^)。
お互いがお互いを探していました。
やがてパレードはゴール地点へ。
到着したら立つ元気もありません。手は震えて絆創膏の紙がはがせません。こんなに疲れたのはほんとに久しぶりです。
でも、ここまでパワーを出せることは、そうそうあるものではありません。きっと、パレードがわたしのフルパワーを引き出したんでしょうね。
向こうで総括集会をしていたけど、そこに行く元気もなく、木陰でひと休み。
と、
「行くやろ」
と悪い友だちがやって来ます(笑)。
んなもん、行かいでかo(^^)o!

環境はできるもの、環境はつくるもの

今日は午後から出張です。向かうは西成高校。今度の夏季研で来てもらう肥下さんとの打ち合わせです。
もともとは「夜の打ち合わせ」にしようかと思っていたのですが、打ち合わせって公務だし、「出張だよ」とも言われていたので、そもそも「昼の打ち合わせ」をしないと、なにも決まらなかったりしますからね^^;;。
てことで、新今宮へ。カマを通って鶴見橋商店街を通って、「聖地」に到着です。
しばらくしたら、神奈川のK巻さんも来られて、西成高校のとりくみのレクチャーや、朝鮮語教室の見学をさせてもらいました。
なんだろ。西成高校のとりくみは、日々進化している感じです。前に行ったのは三年ほど前ですか。その時聞いたことや、本で読んだことは、たぶんすでに過去のことになっています。教材が教職員全体に浸透する中で、学校の空気になり、さらに学校のあり方そのものになっていく。そんな感じでしょうか。
で、それはひとりではできない。
もともと、西成高校には西成高校の環境がある。で、西成という地域には地域の環境がある。それぞれのところでほんとに真摯なとりくみがある。でも、互いに遠慮や不信感なんかがあるときは、それは単なる「置かれた環境」でしかない。それがコラボをはじめた瞬間、「環境づくり」へと進化と深化をはじめる。
実践を言葉であらわすことは簡単なんですが、それを言葉にする前に実践しているってすごいことだなと思います。

さて、わたしはここからなにを学べるだろう…。
わたしにはわたしの置かれた環境があります。それは西成とはまったく違う。学べることは、おそらくは「進化と深化の可能性がある」ことだけです。あとはスクラッチから…。

そうそう。
打ち合わせもしました。
うーん。ま、簡単に言うなら、
「肥下ちゃんはなぜ肥下ちゃんなのか」
ってことでしょうか。
どんな話が聞けるか楽しみですo(^^)o。

「うまくいったこと?」「うまくいかなかったこと?」

今日はうちの職場の人権研修です。講師は神野ちどりさん。ちなみに、「神野ちどり」で検索かけると…^^;;。
わたし、神野さんのお話をこれまでに少なくとも2回聞いています。2回とも同じ感想を持ちました。その感想があったからこそ、神野さんの話をみんなに聞いてほしいと思いました。おそらく万人ウケする話ではない気がします。でも、
「あ!」
って思う人は必ずいるはずです。
さて、どんな反応があるかな…。

ちなみに、少し早めに来られたのでいろいろ話をしていたら、前にうちの職場に来られたことがあるとか。なんでも研修資料がうちの職場にあったので、それを来られたとか。びっくりしました。

で、お話開始。
なんだろ…。
「うまくいかなかったこと」を話されるんですね。これ、すごいことだなと思います。
「うまくいったこと」は話しやすいんです。でも、聞きようによっては「自慢話」に聞こえてしまいます。あるいはそうは聞こえなくても、「うまくいったこと」から学べることは「一本の道」な気がします。そして「そのシチュエーションだから」と逃げることも可能になります。
に対して「うまくいかなかったこと」は話しにくい。それどころか、忘れてしまいたいことであることもありえます。でも、「うまくいかなかったこと」から学べることはたくさんある気がします。「もしも自分ならば」「もしもシチュエーションが違えば」。これって「たられば」ではないと思います。なんか「無数の道」がある気がします。

神野さんの話は、たくさんの生徒・保護者・先輩たちからの学びがベースにあります。それはわたし(たち)にもできることです。でもできないとすれば…。
それは、物事をとらえる時の「まなざし」なんだろうな…。ひとつひとつの言葉に勢いのある人なので、ついそこにとらわれてしまいがちなんですけど、そこに惑わされずに、「まなざし」に気づいてほしいな。
そんなことを考える一時間ちょいでした。

右往左往な一日(その2)・間に合わなかった(T_T)

で、東九条にもどって片づけ。1時間ほどでなんとか終えて大阪へ。目指すは道頓堀橋です。まぁ、今日も今日とてカウンターです。
で、道頓堀橋に着いたんですけど、誰もいない。Bんちゃんに電話したら
「道頓堀橋を通過中」
とのこと。ん?あ!ここ、日本橋でした!道頓堀橋まで走ったけど、ちょうど通過し終わったあとでした。ごめんなさいK野さん(T_T)。
それでも、カウンターの人たち、
「来てくれたんだね」
って、笑顔で迎えてくださいました。優しいなぁ(^^)

最後の一撃

考えてみると、今月は玖伊屋にはじまり、在日外国人生徒交流会が二発とトランスジェンダー生徒交流会、さらにはまんまるの会と、いまわたしがかかわっている交流会がすべてありました。で、今日はその中で玖伊屋と双璧をなすゆるさを持つ「在日外国人生徒交流会・卒業生の会(Uじ迎撃作戦)」です。
もう、どうなるかは容易に想像がつくので、パワーを絞り気味で参加することに決めました。
とりあえず、チヂミを食べたいとかなんで、チヂミをつくって焼きそば焼いて、適当につまみながらビールを飲んで…。
けっして議題が決まっているわけではないのですが、みんなが話している中身を聞いていると、やっぱり自分のルーツのことを話しているんですよね。そりゃそうなんでしょうねぇ。
それにしても、今日はとびきり騒がしいUじとかTーマスとかYきみとかがいます。どうなるのかと思っていたら、さらに騒がしいIさむが登場。なんか、恋バナで盛り上がりはじめました。なんか、支離滅裂です。
でも、話聞きながら、とてつもないうれしさがこみあげてきました。
ルーツのこととセクシュアリティのことが同時に語られ両立する空間ってすごいよなぁと思うのです。ここはほんとに自由な空間なんだろうなぁ。
そんなことを思いながら、でも身体がもちません。そうそうにベッドに潜り込んでしまいました^^;;。

大きな宿題

今日の午後は釜ヶ崎のフィールドワークと講演です。こんなことやってて仕事って、少し気がひけるといえばひけるのですが、「行くこと」「見ること」「聞くこと」「感じること」はとても大切なことだし、なによりそれを「伝える」ことへとつなげることで、フィールドワークは生きると思います。なので、喜び勇んで釜ヶ崎へ。
わたしは記録担当なので、ビデオカメラと三脚とテーブルタップを持っていかなきゃなりません。もう、リュックはパンパン。お弁当が入りません。てことで、お昼ごはんは現地で食べることにしました。
さて、どこに行こうかな…。
と、ダメダメ先輩から天の声。
「西成行くならココルーム。!」
てことで、ココルームへ。

なかなかおしゃれでぁゃιぃ感じです。サイトには「ランチ」なるメニューがあったので、
「すみません、ランチありますか?」
と聞くと
「みんなで食べますか?みんなで食べるのがうちの名物なんです。もう少しなんですけど…」
と、なんか難解なことを言われてしまいました。まぁ、ちょい早めに着いたので
「じゃぁ「みんな」で」
ということで、しばし上田假奈代さんと話。というか、
「ダメダメ先輩に行けって言われまして。わたしいつきっていいます」
と自己紹介したら
「こないだいつきさんの話をしてたところで」
とか、これまた難解なことを言われてしまいました。
まぁ、そんなこんなで自己紹介をしているうちに
「そろそろ食べましょうか」
と声がかかったので、奥の座敷コーナーへ。
なるほど。これが「みんな」の意味ですか。簡単に言うならスタッフの昼ごはん時に一緒に食べるということなんですね。
てことで、机の上にはおかずがいっぱい!

たぶん、「みんなで食べる」ことに意味を見出しておられるんでしょうね。みんなで話をしながら食べると、なんともいえずおいしいし、なんとなく気が緩むのか、ふだんなかなか聞けそうにないこぼれ話を聞かせてもらったり。わたしも初対面なのに「居候気分」でごはんをパクついてしまいました。

で、昼ごはんを食べたところでココルームをあとにして、集合場所へ。
今日の案内は「野宿者ネットワーク」の生田武志さんです。
まずは、フィールドワークをするにあたっての注意事項から。そりゃそうです。生活の場によそ者が踏み込むことをフィールドワークというのですから、それなりの礼儀は必要です。
で、街を歩きはじめます。
わたしは大学時代に何度かカマには来たことがあるし、3年ほど前にも一度来させてもらっています。なので「新鮮」って感じではないのですが、やっぱり「来る」って違います。テレビなんかでは絶対に伝わってこない暑さとにおい。そして、きっとカメラでは捉え切れないであろう細かなところ。というか、カメラの場合も細かなところを捉えられるんでしょうが、それはあくまでもカメラさんやカントクさんの感性であって、わたしの感性ではない。あとは「ノイズ」の出す空気感ですか。
約一時間のフィールドワークで、カマの空気をたっぷり吸って、「喜望の家」へ。ん?ここ…。大学時代の夜回りの時に泊めてもらった家でした。そっかぁ、ここだったんだ。

生田さんの話は…。
おそらくは今の日本が抱えている「軋み」みたいなものがすべて詰まった話でした。
現在、野宿者の数は20000人。かつてと比較して激増していること。そして、広域化していること。これを生田さんは「釜ヶ崎化」と呼んでいました。そして、現在の特徴として、若者と女性の野宿者の増加がある。その背景にはさまざまなものがありますが、虐待とDVも無視できない要因である。
そしてもうひとつ、なにが一番困っているかというと、「襲撃」があげられる。数々の襲撃事件を紹介してもらいましたが、「襲撃」ではなく「殺人」ですね。そしてやっているのは10代の男性。つまり、中・高生であるということ。この子らは「人を傷つけないと生きていけない」状況に追い込まれている。「ハウスはあってもホームがない」という言葉が印象的でした。
ちなみに、「傷つけなきゃ生きていけないのは男性だけではない。女性はどうしてると思いますか?」との質問。自分を傷つけている。つまり、リストカットや拒食。たぶんODも入るんでしょうね。
つまり、襲撃をなくすためには「人に優しくしましょう」などという「道徳心」が必要なのではなく、こうした子どもたちの抱える状況をなんとかしなくてはならない。
わずか一時間と少しではあったけど、そんなこんなを聞き、考えさせられる話でした。

にしても…。
この話から、わたしは学校の中で、更に言うならば、人権学習の中で何ができるんだろうか。あるいは労働の学習を通して何ができるんだろうか。「野宿者にならずにすむ学習」?違いますよね。「野宿者に優しくする学習」?これも違いますよね。ふたつとも大切ではあるけど、それを目的にするのは間違っている気がするのです。貧困問題。それはそうなんですが、教材に落とし込むのはあまりにも漠然としすぎてます。たぶん、この間つくった教材は、そこのブレや迷いがあったんでしょうね。ま、ブレや迷いがあることが悪いとは思いませんが…。
いずれにしろ、すごく大きな宿題をもらえた半日でした。