久しぶりのインタビュー

思えば、数年前にはずいぶんとインタビューを受けました。新聞やテレビもあったけど、一番多かったのは「研究のため」でした。研究者の人はもちろん、卒業論文のための「ネタ」にもよくなりました。でも、ここ数年インタビューを受けることはほとんどなくなり、逆にインタビューする側になったりして、いろいろ複雑な思いをしています。
そんなわたしに、久しぶりに「話を聞かせて」というメールが来て、「いいですよ」とふたつ返事で受けてしまいました。その理由は、ひとつは友だちからの頼みだったこと、それからもうひとつはいままでのテーマとはまったく違う切れ込み方をしようとしておられることです。なんか、「これ、まとまるのか?」「これ、まとまったとしたら、どんなふうにまとめていくんだろう」みたいなワクワク感があるテーマなんですよね。
で、インタビューを受けたのですが、なるほど。お定まりの「ライフヒストリーを」とか「違和感を感じたのはいつですか?」とかはぜんぜんなくて、なんか、言いたい放題というか、気の向くままにというか、そんなのに随時おもしろい質問が飛んできて、さらにインタビューアーも語りはじめるという、とてもスリリングなインタビューでした。
てことで、4時間弱、楽しい時間を過ごしました。

で、総括。なんか、京都駅あたりで肉が食べたいということなので、これは「わかば」かなと。
定番のメニューを頼んで満足満足。そういえば、久しぶりのハイボール濃い目も飲めたことだし。
さてと。帰って明日の準備をしなくちゃならんけど、たぶん寝ちゃうな(笑)。

もう一歩踏み込みが…

今回の移動ほどエレベーターとエスカレーターとタクシーを使ったことはありません。でも、身体への負担には代えられません。で、難波へ移動。向かうは「ミルトン・ダイヤモンドvs東優子」です。
会場に着くと、UさみさんとOかっちさんが「わあ!」という顔でこっちに来られました。で、3人でハグ。あぁ、この世に帰ってきたんだなぁと、あらためて実感。
で、聞きはじめたのですが…。開始から数時間たっていて、ほとんど内容終わりかけですさらにここでも身体への負担を考えて、部屋の外の廊下にソファを持ってきて寝転がって聞いていたので、よけいわからない。ま、仕方ないです。
途中、休憩になって、みなさんが部屋から出てこられました。「今日もだらしないヤツと思われたらどうしよう」と思ったら、出てくる人出てくる人「大丈夫?」と声をかけてくださったり、思わずハグをしてくれる人がおられたり。みなさん、なぜか知っておられるんですね。うーん。すごい…。まぁ、人数が少ないこともあるかもしれないけど、やはり「こちら」が自分のホームなんだろうなと、あらためて感じたりもしました。
で、シンポの内容の方は…。バトルが聞きたかったな。あと、質疑応答ももう少し深めてほしかったかな。テーマ設定はものすごくおもしろいんだけど、そして語られている一つ一つはすごく興味があるんだけど、それらがコラボレーションし切れていない感じ。
なので、このテーマでもう一回やってほしいなと思ったり*1

*1:って、「やってほしい」とか思う立場じゃないって話もありますが^^;;

再会・全国在日外国人教育研究大会(2日目)

M木ちゃん家は、大会会場から徒歩圏内。なので、のんびり朝を過ごしてブラブラと会場に向かいました。いや、「歩くな」と言われているのですが、たぶんタクシーだと乗車拒否にあうくらいの距離なので、やむを得ません。ちなみに、たぶん心配なんでしょうね。M木ちゃん、ついてきてくれました。ありがと!
てことで、分科会。今回は「差別と排外に抗して」分科会です。
分科会の会場に入ると「お久しぶりです」という声が。この時一緒にスタッフをしたM本さんが覚えていてくれてあいさつをしに来てくれました。実は、わたしは大会資料集をつくっている関係で、レポーターの方が誰かは把握をしています。最初にレポーターがあがってきた時M本さんの名前を見つけ、古い同士の名前を見つけ、「やってたんやなぁ」ととってもうれしい思いがしていました。いや、なんかM本さんには失礼なんですけど、でも、8年お互いにほとんど連絡がとれていなくて、「再会」はとてもうれしいのです。今日の分科会のレポート、とても期待です。
で、会場の前には最初のレポーターのKムクァンミンさんがおられます。なので、しばし「生きてるんかいな」「足、ありませんねん」というあいさつなどしまして…。と、、分科会開始です。
まずは、「ヘイトスピーチ」にかかわる問題提起。ご本人が「ほっとくとなんぼでもしゃべります」と言われるとおり、ほんまになんぼでもしゃべられます。でも、現状分析から今後の課題まで、ほんとうに縦横無尽な話の一つ一つが「そやな!」と思える話です。貴重な提言をもらったなという気がしました。
そして、M本さんたちのレポート。
はじめに「カムアウト」の大きな文字です。M本さんがご自分のカムアウトをされ、さらに、同僚の方の「色覚障害」のカムアウトを受けた時の話をされました。なんでも、メッチャ関心を持って「どういうふうに見えるの?」とか「どうやって区別するの?」とか、メッチャがっついたらしいです。それに対して、その同僚の方が「いままでみんな「普通に」してた。流されていた。でも、関心を持ってもらってうれしかった。はじめての経験だった」と語られました。
ここからスタートするレポートが悪いわけがない。「カムアウトに真摯に向きあう関係」からつくりだされた教員同士の仲のよさに裏打ちされた子どもたちへの迫り方。そして、そこからつくりだされていく子どもたちの関係が語られました。
で、質疑応答でM本さんに「なんでそういうふうになったの?」という問いがあって、そこへの答に、なんと8年前の生徒交流会との出会いが語られました。
あー、もしかして、あの時M本さんのカムアウトに、わたしがっついたよなぁ。だって、うれしかったしおもしろかったんだもん。もっともっと聞きたいと思ったし知りたいと思ったもん。だからがっついた。もしかしたら、それ、M本さんにとってうれしい経験だったのかなぁ。だとしたら、それが「今」につながっているっていうことになるし、それはとてもうれしいことですよね。
レポートが終わって、前に行ったら、そこにいた人がM本さんに向かって「いつきさんとどんな関係?」って聞いておられて、それに対してM本さんは「友だち」って答えてくれて、これまたメッチャうれしかったです。そうなんですよね。友だちだし仲間だし。わたしはみなさんに「とってもよかった。ありがとう!」とお礼を言って昼ごはん。
昼ごはんはM木ちゃんとT野さん@島根と3人でうどん屋さんへ。大阪で食べる讃岐うどんはなかなかおいしかったです。
昼ごはんのあとは、生徒交流会の担当されたM山さんとしばし話しあい。交流会で子どもたちから出された問題提起について話しあいました。なるほど。そんなことがあって、それが「聞くことの大切さ」という発言につながったのね。
そんなこんなで、全外教大会を過ごして、次の場所へと移動。

今回は迎える側・全国在日外国人教育研究大会(1日目)

朝、のんびりと家を出て大阪に向かいます。京都駅に着くと、まもなく新快速が来ます。が、やめときましょう。ここは時間がかかっても各駅停車で。そうでなくても「身体に優しくない2日」を送るのだから、少しでも身体に優しい行動を。
てことで、のんびりと大阪に向かって、さらに環状線に乗って桃谷へ。
今日から明日にかけて、全国在日外国人教育研究大会が開催されます。実は昨日から生徒交流会をやっていますが、そちらは卒業生に任せることにしました。なんか「任せる」というと上から目線的でアカン気がするのですが、あらためて「行かない」という選択をしたら「とても行きたかったんだ」ってことがあらためてわかります。たぶん、ヤツらと一緒に熱い空気を吸いたかったんでしょうね。
でも、今回は迎える側。はじめての経験です。
大会会場に入ると、みなさん「大丈夫?」って声をかけて下さいます。いや、めんぼくないっす。
で、大会開始。身体への負担を減らすために、すこしでも横になろうかな。てことで、最近買ったエアマットを机の下に敷いて、なんともだらしない格好でしばし全体会に参加。うーん。たぶん「だらしないヤツがおるなぁ」と多くの人が思うんでしょうね*1。そうこうするうちに、生徒交流会の連中が到着したとの連絡が入ったので、お出迎え。みんなくたくたに疲れながらも、「やりきった感」が伝わってきます。と、京都出身の卒業生と久しぶりの再会。思わずハグです。で、今回の交流会のあんなこんなを教えてもらったり。
やがて、個人的には「全体会」の最大のイベント「生徒交流会報告」です。代表の生徒の口から出てきた

「しゃべる側」「アドバイスする側」じゃなくて「聞く側」になることが大切。

という言葉に深く深くうなずきました。
なんか、今回の交流会は(も?)いろんなことがあったみたいです。その「いろんなこと」の中から出てきたこの言葉は、でもとても普遍的ですよね。子どもたちは「アドバイスがほしい」んじゃないんです。「聞いてほしい」んです。それを教員はつい忘れがちになる。というか「先に生まれたもの=人生の先輩」として語りたがる。そんな必要はないんです。というか、アドバイスがほしい時はちゃんと言ってくれます。その言葉を待つことが大切なんだけど、待てないんですよね…。
うん、いい気づきをもらいました。

*1:これは明日の日記への布石です(笑)

子どもとつくる貧困とひとりぼっちのないまち

今日は某人権教育研究会の夏季研究大会です。まぁ、自分の役割が役割なので、ちょいとリハビリがてら参加しようかと。てことで、パートナーの運転の車で会場まで向かうことにしました。ちなみに、会場はこないだまで入院していた病院のすぐ近くで、ついでに「お勘定」もすませてしまおうかと。
ただ、問題は服装なんですね。前回も「どん引き→騒然」となったけど、今回はもっとハードル高いしなぁ。なにせ、総括○○○○とか、某校○とかも来るしなぁ。てか、うちの新採も来るよなぁ。
でも、ここは根性決めてスカートで行きましょう。いや、単に「締めつけが緩いから楽」というだけのことなんですけどね。
で、会場に行って同僚と会うと、やっぱりどん引きされました。ま、しゃーないです。不徳の致すところでございます(笑)。

で、今日の講演は山科醍醐こどものひろばの村井啄哉さんです。村井さんとはこの時にはじめて出会って、なんとなく意気投合して、でも、それ以来会っていない人なんですね。なので、今日は存分に話を聞けるなと楽しみにしていました。
話の内容は、「こどものひろば」の発足当初からの歴史や、それからの変遷、さらには「子どもの貧困」にかかわる話です。「貧」に焦点をあてるのではなく「困」焦点をあてるとか、ボランティア大学生の組織化の話とか、既存のネットワークの利用とか、ほんとうに参考になる話がいっぱいありました。
が、たぶん、これ、わからない人にはさっぱりわからないでしょうね。というのは、村井さんの持っている力というか魅力というのは、おそらくは教員が持つべきと思われている方向とは斜め60度くらいずれているからです。例えば、ボランティア大学生を募るとする。たいていの組織は「やってほしいこと」があってボランティアを募る。なので、その「やってほしいこと」に合致しない大学生は来ないし、来ても定着しない。ところが村井さんは「集まった人がやりたいと思ったことを支援する」というスタンスです。いや、もしかしたら「支援」もしないかもしれない。でも「やりたいこと」のためなら、工夫をします。それを見守る感じ。すると、活動が広がっていきます。活動が広がった分だけボランティアも来るし、利用者も来る。ただし、お金もかかり仕事も増える。この最後のところを村井さんは担っておられるんですね。これ、すごいことです。すごく「ええかげん」な言い方をしておられますが、それもまた魅力ですね。
それから、話を聞いていると、まさに同和加配がかつてやっていたことを彷彿とさせます。あの頃は法律の後ろ盾のもと、お金と人が会った。それがないところで今、子どもの貧困のことが論議されている。おそらく「いろんなご託はいらんから、金と人をよこせ!」という気持ちだろうけど、それを自分のスキルで集めているんですね。
ということがわかるかどうかが、村井さんの話がわかるかどうかの分水嶺なのかな。で、もしかしたら、一般的なというか「教員らしい教員」にはわかりにくいところなのかもしれません。

ま、そんなこんなで、とてもおもしろい話が聞けました。
今日は体調あきませんから、また秋になったら呑みましょう。

闘いはここから闘いは今から

闘いはすでにはじまっていました。それは、たぶん、70年前からはじまっていたんです。で、転換点はいくつもあった。そして、わたしにとっての転換点は、まぎれもなく9年前のこの日です。あの日から敗北を続けてきました。そして、何度となくこの詩を思い出しました。

きょうから ぼくらは泣かない
きのふまでのように もう世界は
うつくしくもなくなったから そうして
針のようなことばをあつめて 悲惨な
出来ごとを生活の中からみつけ
つき刺す
ぼくらの生活があるかぎり 一本の針を
引出しからつかみだすように 心の底から
ひとつの倫理を つまり
役立ちうる武器をつかみだす
しめっぽい貧民街の朽ちかかった軒端を
ひとりであるいは少女と
とおり過ぎるとき ぼくらは
残酷に ぼくらの武器を
かくしている
胸のあひだからは 涙のかわりに
バラ色の私鉄の切符が
くちゃくちゃになってあらわれ
ぼくらはぼくらに または少女に
それを視せて とおくまで
ゆくんだと告げるのである

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みとをからみ合はせても
窮迫したぼくらの生活からは 名高い
恋の物語はうまれない
ぼくらはきみによって
きみはぼくらによって ただ
屈辱を組織できるだけだ
それをしなければならぬ
(「吉本隆明詩集」思潮社 1966.0601 第6刷)

でも、昼に「強行採決」というニュースが入ったその瞬間、頭の中に鳴り響いた歌は、ほんとはこっちでした(笑)。

1.がんばろう
  つき上げる空に
  くろがねの男のこぶしがある
  もえあがる女のこぶしがある
  闘いはここから闘いは今から
2.がんばろう
  つき上げる空に
  輪をつなぐ仲間のこぶしがある
  おしよせる仲間のこぶしがある
  闘いはここから闘いは今から
3.がんばろう
  つき上げる空に
  国のうちそとのこぶしがある
  勝ちどきを呼ぶこぶしはひとつ
  闘いはここから闘いは今から

今はあの時みたいに国会前に行く時間はないです。でも、いまここでできること、やらねばならないことをする。たとえ一人であってもやる。いや、逆でした。「ひとりになってやる」。
まずはここから。

非安静3日目(笑)・下見

今度、トランスジェンダー生徒交流会では、初の試みとして「キャンプ」をしようかと。
ということで、今日はその下見です。まぁ、車で行くのでそんなに身体に負担はかからないでしょう。
と思っていましたが、完全に読みが外れました。そりゃそうです。往復はベンツに乗せてもらって快適でしたが、現地では歩きまわらなくちゃならんわ、ハチの巣駆除はせにゃならんわ、薪拾いはせにゃならんわ。気がつくと「普通の生活」をしていました。
昼は「とれとれ市場」でご飯を食べましたが、ここはぐっとガマン。生まれてはじめて「ノンアルコール・ビール」を呑んだりして。うー。炭酸水の方がおいしいな。
帰りは魚屋さんでおいしそうな魚を買って帰りました。なんせ、サバの刺身。かつて北海道で食べて以来です。
家に帰って子どもたちに食べさせたらえらい喜んでました。

にしても、9時過ぎに頭痛がしてきてダウン。これは動きすぎだな。とにかく寝よう。

今日は某在日外国人教育関係の会議です。
とりあえず眠い目をこすりながら会議の場所に行くと、すでに何人かおられます。うわ、鍵あけ。すみませんすみません。
午前の会議を経て、途中ラーメンとガソリンを補給して午後の会議へ。
うーん。会議の回数減らしたから、なんか、うまくまわってるのかどうなのか。一回ごとに決めなきゃならないことがすごく多い気がします。でもま、経費節減です。
てことで、いろいろ不安を抱えながらも会議は終了。
その後、みなさんとわかれて別のところで飲み会。気がつくとワインボトルを抱えて鴨川の河原にいました。
いやぁ、いい季節です。ワインがうまい!

ウトロづくし

今日は某研究会の課題別研究会。
午前はウトロのフィールドワーク。午後は場所を「第二のふるさと」にうつしてちゃんへん。さんのパフォーマンス&トークです。

まずは午前のフィールドワーク。案内してくださるのはウトロ守る会の斎藤さん。今回は新資料がプリントされてました。どんな話になるんだろ。期待がふくらみます。
斎藤さんの話は、まずは歴史からはじまりますが、これが濃い。なんというか、午前二時の天一のスープのように濃い。こってりとした歴史の話を聞いて、いよいよフィールドワークです。
ところが、これがまた濃い。ふだんはサラッとまわっていかれるのですが、今日はひとつのところで、そこに刻まれた歴史を丹念に話されます。まわったのは、南側の水路と集会所と飯場跡と会長の食堂(笑)と北側の看板くらい。距離にして数100メートルですが、これを1時間ほどかけて話されました。あと、ラッキーなことに途中キョンナムさんが登場されて、しばし思い出話を聞かせてもらえたり。
ものすごく濃いウトロの2時間を過ごして午後の部へ。

「第二のふるさと」の体育館に着くと、すでにリハーサル中です。えらいこってす。
で、しばしパタパタして、パフォーマンス開始。今回は隣にある保育園の園児さんも見に来てくれました。もう、世界一のお手玉にやんやの拍手です。
今回はトーク&ラップのあとは質疑応答があるのですが、これがまたなんというか。トークって「完成されたもの」なんですね。ところが、質疑に対する応答を聞いていると「生身やなぁ」という感じが伝わってきます。
なんというか…。
トークの最中は声も大きいし、そもそも声を張ってる。そして身体も大きく見えます。ところが、質疑応答になると声も普通になるし、そのぶん身体も小さく見えるけど、距離が近くなる。
いろんな顔のちゃんへん。さんを感じて、今日の課題別も終了。

さてと。
帰りに歯医者に寄らなくちゃ(笑)。

泣けた

合宿所で目を覚まし、とりあえずいったん家に帰ることにしました。とにかくしんどい。
家に帰って、お風呂入って、服を着替えて、ようやくひと息。
で、再び合宿所へ。後かたづけが待っています。
子どもたちはとにかく話し込み。わたしたちはとにかく掃除。ま、それでいい。
みんなが帰ってしまった合宿所で、Tーマス、Sみずくん、わたしで
「嵐が去った感じやなぁ」
「ここだけの話、家にいるよりも「日曜の昼」って感じがするなぁ」
と、しばし休憩。
で、天一へ(笑)。

午後はSEALDs_Kansaiのデモ。
学生さんががんばるなら、それを盛り上げるのが先輩の役目でしょう。てか、わたしも学生だけどね(笑)。
円山公園に着くと、なんだか異様に人がいます。カウンターでおなじみの人たちも多数来ています。この人たちは理屈よりも先に行動する人たちなんですね。そんな人たちの仲間に入れてもらえているのは幸せです。
デモの2時間、ラップにあわせてケンガリ叩きまくりました。
それにしても、沿道の人たちがいい!手を振る人、ピース出す人。みんな笑顔です。「憲法守れ」「平和を守れ」という、当たり前のことがコールになってしまうこの国の現実があり、でも、そのコールに笑顔で応える人がたくさんいる。「まだもう少しこの国に希望を持ってみようかな」と思えた瞬間、泣きそうになりました。
デモはなんでも2000人超えだとか。すごいわ。四条→河原町→三条→川端が、ほとんど人で一周したのかな。
デモが終わってクタクタに疲れてたけど、某所で某ミーティング。これもまた仲間に入れてもらうのがうれしいです。ま、ミーティング中宴会してたけど^^;;。

てことで、家に帰ると11時。「ちょっと横に」と思った次の瞬間、寝てました。