くやしい・wpath(3日目)

朝起きて、校正サービスから返ってきた原稿をざっと読んでみます。ふむ、何ヶ所か「それはちげーよ」と思うところはあるものの、どちらかというと「あー、そこはそうやるのね」ってところばかりで、やはりネーチブチェッカーはすごいと感心。というか、たぶん、ある程度わかってる人がやってくれてるな。
てことで、明らかに違うところだけ修正して、最後にT田さんにも読んでもらって、ようやく完成。あとはどこかでプリントアウトしてもらうだけです。
てことで、今日の会場へ移動開始。途中チーズ屋さんに寄ったりしながらCENTRAL STATIONまでプラプラ歩きます。
今日の天気は雨。でも、雨に濡れたアムステルダムが、またきれいです。

CENTRAL STATIONからはトラムを使います。あーだこーだ言いながら一日券を買って、なんとかトラムに乗り込んで。
会場に到着したらすでにプログラムは完璧にはじまっています。てか、Sさきさんにとってのメインプログラムである「GIC(Gender Incongruence Child)に診断は必要か不要か」みたいなディベートがはじまっています。
これ、難しい問題ですね。基本必要ないとは思っていますが、現状の中で必要とされているわけです。で、現在必要とされているから、じゃあ診断するかとなると、今後もそれにしばられてしまう。だから、どこかでパラダイムの変換をしなきゃならないはずなんです。つまり「診断の有無にかかわらず、必要なサポートはしたらいい」ってことですね。もちろんこのあたりにはお手本があるわけで、それは同性愛者をめぐる診断の話です。つまり、同性愛であることそのものは病理ではないが、そのことに起因して(社会的に)起こる困難については、それを主訴とする診断をつければいいってことですね。
てことで、ディベートが終わったあとも、このあたりについてHがしさん、Kうさん、Sさきさんあたりはランチを片手に大激論してました。ちなみに、ランチは大きいサンドイッチがゴロゴロ。大きすぎるよ(;_;)。
午後からは当事者によるセッションがひとつ。それを見に行った(≠聞きに行った(;_;))のですが、GID学会とはまったく違います。端的に言うなら、当事者語りじゃないってことです。まぁ当然ですね。ここは学会であり、集まっているのは専門家だからです。だから、たとえ当事者であったとしても専門性をもっていることが前提なんです。今回のセッションは各国の状況とアドボカシーがテーマでした。いやぁ、ニーシャ@マレーシアすげーよ。とにかくトランス・クライムがいっぱいあって、その人数を提示するだけじゃなく、経験を語るフィルムもプレゼンしてくれました。てことは、そういうところにかかわっているってことですよね。にしても、自分の被害体験を語る当事者の「当然感」はショックでした。「あぁ、3回あるよ」「5回だね、うち1回は警察ね」みたいな。つまり、そういう状況だってことです。たぶん、わたしには語る言葉はないな。
ニーシャたちはAPTN(Asia Pacific transgender Network)というグループをつくっているらしく、ところどころでロビーでみんなで話し合ってます。さらに今夜はみんなでディナーをするんだとか。HがしさんやSさきさんは、Rぽたんやわたしに「行っておいでよ」と言うのですが、うーん。今回はやめときました。
すべてのプログラムが終わって外に出てグダグダしてると、Hがしさんがやってきて「なんか、シスジェンダー立ち入り禁止とか言ってるよ」と言うので、じゃあ行ってみるかとホールに入ると、なにやらいろいろ話をしています。どうやら、当事者としてwpathに問題提起をするらしい。で、相談をしたあと、当然のことながらどこから来たどんな人かです。「Medical?Psychologist?Law?」とかやってます。でも、手をあげない人がいるのを気にしたらしく「Research?」とやると、みんな笑いながら挙手。と、「Nothing(ねーよ)!」みたいな発言も出てきて、なかなかおもしろいです。その後自己紹介からの記念撮影。「I support transgender children with Yuki」とか言っておきました。

てことで、本日のプログラムは終了。
帰りはKうさんが借りたバイクでCENTRAL STATIONを目指します。

いやぁ、さすがは自転車大国オランダです。でも、走ってみてわかりました。走りやすいんですね。とにかく平坦です。そして、自動車とバイクと歩行者のレーンがきちんとわかれています。そしてなにより、みんながそれを守っている。だから、バイクはけっこうなスピードで走っているのですが、あまり身の危険を感じないんです。ただ、右側通行にはまいりましたね。そんなこんなで、バイクで走りながらプチ観光気分です。
で、Hがしさんのホテルまで走って、Hがしさんとバイバイ。今度はKうさんのホテルのカフェでしばしビールタイムです。ここで、晩ごはんをどこで食べるかの論議がスタート。結局、インドネシア料理ということになりました。
で、CENTRAL STATION前のゴチャゴチャしたところをブラブラ。教会の裏をブラブラしてると「飾り窓」発見!なるほどなぁ。おもしろい。
それにしても、音楽がないですね。日本であれば繁華街に行くとなんらかの音楽が聞こえてくるんですが、それがまったくない。これがうれしいです。たぶん、他者に音楽を強要しないんでしょうね。だからこそ「音楽」を求める人がいて、だからこそ「アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団」みたいなものが必要とされるんでしょうね。
で、たまたま見つけたインドネシア料理屋さんでディナーです。入店時間がすでに9時です食べ終わると、当然11時。てことで、二次会はアパートです。Kうさん、自分のホテルはすぐそこなのに、来てくださいました。ごめんなさい^^;;。

にしても、自分が英語ができないことが、じわじわとくやしくなってきました。もしも英語ができていたら、APTNの人たちとご飯を食べて、情報交換をして、自分の世界を広げられただろうになと思うと、絶対に英語ができるようになってやるって気持ちがふつふつとわいてきました。そして、2年後はリベンジをするべく、もっかい参加をしたい。そんな気がしてきましたを

泥縄式・wpath(2日目)

朝、グループメッセージを見ると、すでにKうさんHがしさんは会場に行ってます。朝、強いなぁ…。昨日は3時まで飲んでたからなぁ…。あ、Kうさんはいつも通りか^^;;。
でも、わたしは今日は学会には行きません。なにせ、ポスターの英訳をしなくちゃなりません。てことではじめたのですが…。これがたいへん!
いちおう、ポスター7枚分です。そのほとんどは、誰かの語りです。そんなもん、そのまま訳せるはずがないです。だって、語順はムチャクチャ、主語はない。でも、それこそが「味」なんですよね。どうするか…。「味」は全部切り捨てて、ニュアンスもできるだけあきらめて、発言内容を要約した日本語をつくって、google先生とexcite先生に聞いてみる。で、残ったのは、極めて理論的な文章です。これがまた訳せない。だって、ワンセンテンスが長い!長くなると、わたしの力では無理!てか、google先生もexcite先生も訳せない。どうする?
と、そこにT田さんが起きてこられました。
googleで翻訳したらダメだよ。構文が入れ子構造になって、わけがわからなくなってしまう。そうじゃなくて、文章を短く直して作文するんだよ」
ここからT田さんと、文章の解釈やふさわしい単語探しがはじまりました。で、悪戦苦闘しながらも、夕方にはなんとか翻訳終了。ここから校正サービスにファイルを送ります。
さてと、これで今日できることは終わりました(笑)。向かうはウェルカムパーリーです。いよいよwpathの会場に潜入です。
会場は屋外の森の中といった風情の場所です。

すでにみなさん飲んで食べてしておられます。あちこちに屋台みたいなのがあって、フリーフードやフリードリンクがおいてあります。でも、ここで問題が。言葉がフリーじゃない。とにかく「Heineken please」「Three red wine」ぐらいの感じで、最後に「Thank you」でおしまい。なんとか飲み物は確保できました。
と、おお!サム・ウィンターがいる!そっちへ行ったら向こうも気づいてくれてハグです。しかし、日本人で固まっていても、なんか、いろいろ話しかけてこられます。Hがしさんがおられる時はいいのですが、向こうに行かれた瞬間がたいへんです。どないすんねんと思いながら、ブラジルからの参加者と「どっから来たん?」「日本、あなたは?」「サンパウロサンパウロには日本人がいっぱい住んでるよ」「知っとる知っとる」みたいな感じで無理クリ話してみたり。こんな時、お酒の力は大きいです。
やがて、なんとなく終わりの時間が来たらしく、みなさん、三々五々帰っていかれます。そうか、日が長いんだ。だまされそうになります。
てことで、二次会はアパートで。
おぉ!校正サービスから返ってきてるよ!
てことは、最終チェックを明日やれば完成か?

長い一日・wpath(1日目)

とうとうハードな一週間の開始です。
フライトが10時前。2時間前には関空に行かなきゃ間に合わない。ということは、6時すぎには家を出なくちゃなりません。そして、長い長いフライトがあって、からの時差があるから…。
まぁええか。なるようになる。
関空に到着したら、wi-fi借りて、荷物を預けて…。なにせ、はじめての外国旅行です。正確にははじめてじゃなくて、20年くらい前に韓国1泊2日の旅はありましたが、本格的な旅行は、やはり今回がはじめてです。そんな初ガチ外国旅行が、初の国際学会で、初のポスター発表で、しかもなんか賞がもらえるとか、わけわかりません。
で、なんとか飛行機に乗り込みましたが、なんかフリーダムな感じです。国内線はなんとなくピリピリしてるけど、国外線は席も変われるし、自由に歩けるし。まぁ、長いからしかたないのかな。でも、実はポスターは完成していないので、飛行機の中でやらなくちゃ。ちなみに、もうひとりの発表者であるHがしさんもまだできていないとか。しかも、わたしは半分くらいできてるけど、Hがしさんはぜんぜんできてないとか。てことで、ふたりしてパソコンぱちぱちです。が、そんなのも長くは続くわけもなく、結局Kうさんとふたりで、ジンを飲み、ワインを飲み、ビールを飲み、しばし寝て。そんな機内を過ごしましました。まぁ、それでもポスターに使う「セリフ」は日本語ではあるけどできたから、少しは進んだってことですね。

で、とりあえず宿舎へ。今回はO田さん・Y野さん・T田さん・Sさきさん・Rぽたん、途中からM木ちゃんとわたしの7人でアパート借りて合宿です。どうなるか、ドキドキします。
アパートの管理人さんを待つ間、アパートの近くのカフェでエスプレッソを飲んだりして、ここではじめてのユーロでの支払いです。ヒマなのでウロウロしてたら、甘ーい香りの煙が…。大麻かよ(笑)!
それにしても、アムステルダムの街はあまりにもきれいです。

どこにでもある風景がそもそもきれいです。なんか、その街並みを見ただけで「来てよかった」という気持ちになります。
で、アパートに入って、説明を受けて、近くのスーパーに買い出しに行って、部屋割りジャンケンをして、晩ごはんにスタートです。目指すは「Loetje」というお店。なんでも、オランダ料理のお店だとか。
まずは席を待つ間、ビールです。さすがはオランダ!ベルギービールがある!しかも安い!でも「デュベル」って言っても通じませんでした(笑)。この店で、コロッケを楽しみ、ステーキを楽しみ、ワインを楽しんで…。あれ?外はまだ明るい…。10時半だけど…。そうか、緯度が高いんだ。この店を教えてくれたTommyさん@フィンランドは「フィンランドだと一晩中明るいよ」と、平然としています。そりゃそうだ。白夜だよね。
てことで、おいしい料理を楽しんで、アパートに帰って二次会です(笑)。

ポスター、どうする?明日は明日の風が吹く(笑)。

ヘイトスピーチに抗して→いつもの会議

今日は某研究会の鶴橋フィールドワーク&講演です。案内&講師は郭辰雄さん@コリアNGOセンター。
去年「どんな話が聞きたい?」って質問したら「ヘイトスピーチについて」って返ってきたので、じゃあということでお願いしました。もっとも、状況は去年からどんどん変わっているので、その人が持っている関心事と今が一致するかどうかはわかりません。が、実は変わらないこともある。チヌンさんなら、きっと「変わったこと/変わらないこと」を話してくださるだろな。
で、まずはフィールドワーク。
でも、わたしはスイーパーだから、ほとんど話が聞けませんでした(笑)。まぁ、主催者なので、これでいいのです。
で、講演。
まずはご自分の話。そして、鶴橋/生野における在日の歴史の話。それを押さえたうえで、いよいよ本題へと入っていかれます。久しぶりに「あの」映像を見ました。きついです。なにがきついかって、いろいろきついです。なぜなら、「知りながら動かなかった」自分をあらためて感じさせられる映像なんですよね。
で、あのようなヘイトスピーチがもたらすものはなにかって話。ひとつは当事者に与える傷。そしてもうひとつはこの社会の人権意識の低下。そこなんです。まぁ、鶏/卵の関係ってことも言えますが、であるなら両方のとりくみをするしかない。そして、まずはできることからやる。
それにしても、法律ができてほんとうに変わったんだなって思いました。川崎の映像を見て、涙が出てきました。
でも、たぶんいろいろ形を変えながらヘイトは続くんでしょうね。楽観をせず絶望もせずに、ひたすらできることをやるしかないのかな。

その後、茂利屋で呑み(笑)。
でも、わたしは6時半には出なきゃなりません。さっくり呑んで、次の会議の場所へ。
毎月やってる某会議です。今日も熱い議論をふっかけてしまいました。
で、会議のあとは、またまた呑み会。「帰るぞ」って言われたのが11時半。今日も日付変更線をあっさりとまたぐなぁ。

交流会はエンドレス

今日はトランスジェンダー生徒交流会です。ちなみに、同じ日に「放送部の甲子園予選」はあるわ、「在日外国人生徒交流会事前合宿」はあるわ。トリプルブッキングです。いや、最初にトランスの交流会を入れていたのに、あとからあとから入ってくるからこんなことになっちゃうんです。
まぁでもしかたない。
とりあえず、交流会に先立って「NPO法人JUMP」の総会です。わたし、なぜかここの副理事長らしいです。なんか、よくわかんないです。で、総会は無事終了。
急いで集合場所に向かうと、いますねー。でも、お互いに「そうだよな」と思いながら声をかけられない、あの空気は、「まんまるの会」ができる前の待合室の空気と同じです。ちなみに、わたしはその空気を壊しに行くわけですが、別にそんなの得意なわけじゃなくて、ほんとはしんどいんですよね。まさに「意を決して」いくんですけどね。
で、どうにかこうにか交流会も開始。今日は「子どもカレー」「キーマカレー」「ハンバーグ」「ポテサラ」と、子どもが好きなメニューです。みんなでわいわい楽しく調理。まぁ、大量のタマネギをみじん切りにしなくちゃならなくて、号泣してる参加者もいましたけどね。
で、みんなでご飯を食べて、ダラダラ遊んで話をして。
さてと、最後のイベント、自己紹介だ…。これがまたハードルがあります。みんなこれがあるのは知ってます。知ってて来てます。でも、しんどいんです。だから、イヤなんです。でも、これをしないと集まる意味がない。そして、みんなそのことも知ってます。
なんとなくイヤがるみんなを、なんとなく集めていって、「さぁ、じゃあしゃべるか」という空気をどうつくるかですね。でも、みんな観念したらしゃべります。だって、しゃべる中身を山のように持ってますから。というよりも、しゃべることすらできない中身も持っている。だから、イヤなんです。それを引き出されちゃうから。でも、荒療治かもしれないけど、それを繰り返すこと。今回しゃべれなくても、いつかしゃべれるようになることを信じて、とにかく話すこと。
そんなこんなで、2時間くらい話し合って、今回の交流会も無事終了。
昨日の二日酔いも相まって(笑)、メッチャ疲れました。

その後、二次会。子どもたちはこれも楽しみにしているから困ったもんだ(笑)。
そして、三次会は、あらい商店。ここでようやくひといきついで、ゆっくりと話ができるようになります。木曜日から行くオランダでの衣装(笑)の話なんかをしながら、11時頃に終了。
さてと、どうやって京都まで帰るかな?なにせ、今頃「全国在日外国人生徒交流会事前合宿」をやってますからね。と、K川さんが「京都まで送りますよ」とのありがたいお言葉。ほんとにいいんですか?
てことで、甘えてしまいました(笑)。
ほんと、助かりました。ありがとうございます。マッサージをしてもらって送ってもらうとは、どんなけ甘えんねん、自分。と思いながら、毛布にくるまって寝る夜でした。

今日も変わらずいつもの通り

今日は2ヶ月に一回の滝井参り。
なんか、建物が新しくなって、「あれはとこ?」「これはどこ?」でした。極めつけはO田さんの居場所がわからない。構内図があるんですけど、何回見ても書いてない。
「わかりますか?」と来てくださった方に「わかりません」と答えると、「場所は変わってません。別館です」とのお答え。そりゃ、構内図に書いてないわけですわ。
待合室でポスターの配置を考えていると、しゃべりかけてくる仲間がいるのもいつもの通り。
「すまんけど、これ、させて。お尻に火がついてるねん」
「なんや、おもろな」
まぁ、わたしらを本館に収容すると待合室がうるさくなりますからね(笑)。
で、部屋に入って話を開始。いつもにも増してグダグダです。うしろで存在を隠してる学生さんが思わず笑ってしまい、存在が顕在化してしまったり。
で、お勘定をすませて、次の場所へ。
今日の「まんまるの会」のお題は「きちんとした自己紹介」「近況報告」「雨にまつわるあれこれ」です。
「えーと、なに言おうかなぁ…。とりあえずMTFで」
「なんでそれが自己紹介やねん(笑)」
「近況報告…。なんもないなぁ」
「2ヶ月も生きてて、なんもないわけがないやろ」
今日もツッコミを入れまくってしまいました。すみませんすみません。
で、そのあとは楽しい呑み会。あかん、ワインボトル、あけてしもた(笑)。

家に帰ったら、なんかこちゅかる子さんが怒涛のツイートをしていたのでまとめなんかをつくってみたり。

京都在日外国人生徒交流会・イベント4/5

朝、いつもの雑魚寝パターンです。動かないというか、動かしたくたいというか、そんな身体ですが、しばらくゴロゴロしているうちに、ようやく動きはじめました。で、朝ごはんの「〆のラーメン」。昨日の鍋の〆は今朝らしいです。
「卒業生の会」の翌朝は京都の交流会です。果たして参加はあるんだろうか…。
フタを開けると、卒業生がひとり参加してくれました。
みんなでワイワイ言いながらお好み焼きづくりです。
いつも思うのですが、核心に触れる話なんて、そうそうできるものじゃないです。なんしか集まること。一緒に時間を過ごすこと。それが繰り返される中で「この人に話してみたいな」って思う。それは決してシェアではない。でも、それでいいんです。そこからしかスタートしない。交流会は、その出会いをコーディネートする「場」です。と同時に、それをするための「場」でしかないとも言えるんだと思います。
そんなことを感じたのは、交流会が終わってからの帰り道。ダメダメ先輩と京都駅に向かおうと歩きはじめたら、ある参加者が「一緒に帰りたいオーラ」を出しはじめました。「ふむ」。
駅に近づいたところで、「コンビニで飲み物買って、もう少ししゃべる?」ということになって、そこから悩み相談開始です。
その悩み、その悩みそのものをストレートに聞くと、決して「外国人としての悩み」ではありません。でも、その背景に、例えば両親の持つ文化と本人の文化の齟齬であるとか、本人の育ちの中で獲得してきた文化が移行していく過程での、本人の中の文化のズレとか、いろんなことが複雑に絡みあっていることがうかがわれます。
それを出したいんだな。そして、それが出せるのが「いま」なんだな。
てことで、道端に座り込んで、1時間半ほど話を聞いたりしたり。
ま、最後は本人が解決するでしょう。てか、解決策は本人が知っている(^^)。

卒業生の会・イベント3/5

で、向かうは東九条。今日は「卒業生の会」です。マダンセンターに着くと、懐かしい面々や、特に懐かしくもないほど会ってる面々がいます。
とりあえず「他己紹介」などしながら、エンジン始動。そうこうするうちに、続々と参加者がやってきます。ここまで人が来ると、やはり盛り上がります。
もっとも、わたしはかなりへばりはじめてます。寝転がると、みんながふとんを敷いてマッサージをしてくれるといういつものパターンです。でも、みんな、なかなか寝かせてくれません。新作ビデオの上映会をしてみたり、ピロートークネタで盛り上がったりしてるうちに、ほんとうに眠くなって、いつの間にかダウン。

地底にもぐる・イベント1/5

今日〜明日の2日間は怒涛のイベント5連発です。
でも、その前に大工仕事です。猫の額ほどの庭に屋根をつけました。

これで雨でも庭でビールが飲めます。そんな時間があるかどうかはおいといてではありますが(笑)。

で、車で出町柳へ。ここで、北河内のみなさんと合流。向かうは丹波マンガン記念館です。
ここ、ほんとうにすごいです。「行かなきゃわからない」というのは、ここのためにあるんだろうな。松代大本営跡もすごかったけど、坑道の広さがまったく違います。狭い!そして、不規則。なんしか、「働く人々の痕跡」です。
そしてもうひとつすごいのは、その坑道を「一般公開するために整備した」という親子の執念ですね。なにしろ、一切の補助なくつくられた記念館です。よくぞここまでと思うのは、やはりここで働き、塵肺で死んでいった在日や部落の人々の姿をこの世にとどめたいという「恨」なんでしょうね。
その執念があらわれているのは、もしかしたらあちこちにあるマネキンかもしれません。とにかくミスマッチ。思わず笑ってしまうんですけど、でも、そのチープさこそが、この私営の資料館の凄みなんだと思います。
坑道をひと通り歩いて、資料館をひと通り見て、みやげ物コーナーに行くと、ハルモニに捕まりました(笑)。でも、このハルモニの話がまたすごい。初代館長さんのおつれあいさんです。ものすごい苦労をされてます。そこに、在日社会ジェンダーを見てしまいます。
その後、散策コースへ。約1キロで「森林浴を楽しんでくれ」と書いてあるのですが、そういうコースじゃないです。ひたすら登ってひたすら降りる、約1キロの山歩きでした。でも、その途中にいっぱい坑道の入口があって、歴史の語る現実に引きもどされます。
で、みんなの出した結論は、探偵ナイトスクープの「パラダイス」で放映してほしいなと(笑)。

歴史は繰り返す

今日は午後から出張です。場所は第2のふるさと。内容は「総会」なんですが、こちらはオブザーバー参加なので関係なし。メインはそのあとの記念講演です。今日の講師は、わたしのおべんきょ師匠。楽しみです。
内容は、まぁ「同和教育がなにをしてきたのか」ってことを、若い教員に伝えるってことなんですが、これ、2月にも首がちぎれそうになった話なんですよね。

戦後同和教育がどこからスタートしたかといったら「今日もあの子が机にいない」です。つまり不登校問題です。
で、不登校の背景を探ると貧困があった。そしてその背景に部落差別があった。だから、不登校の問題をなんとかしようと思ったら、部落差別をなんとかする以外方法がなかった。
と、すらっと書くと当たり前のことなんですけど、これ、すごいですよね。とかく「対症療法」でよしとしがちなんですけど、それを「個人の問題」としての貧困から、さらに「社会の問題」としての部落差別まで掘り下げ、しかも「そこ」でやろうとするわけですから、ハンパない話です。
で、奨学金を含め、いろんなとりくみをする中で、不登校問題が一定解決すると、荒れの問題が出てくる。で、荒れの背景を探ると、そこには低学力の問題が出てくる。さらにその背景として進路の問題(どうせ勉強しても…)が出てくる。そこで「同和教育の総和は進路保障である」って言葉が出てくる。
そして、高校進学率があがると、今度は就職差別の問題が出てくる。
こんな感じで、ひとつの課題をクリアすると、その先にそれまでは課題にすらならなかったことが課題として出てくる。
で、まぁ、ラスボスは部落差別なわけです。ところが、じゃ、部落差別だけでいいのかというと、その隣に在日外国人の子どもがいる。こうやって、戦線が広がっていく。

でも、その中で、教員はさまざまなことを学ぶ。それを言葉にしたのが「差別の現実から深く学ぶ」です。
「差別の現実「を」ではなく、差別の現実「から」です」
とは、おべんきょ師匠のお言葉。そこには、教員自身の変革がある。それを言葉にしたのが「生徒の変わり目、教員の変わり目」です。

さて。
そんな歴史を踏まえたうえで、今はどうか?
まさに「子どもの貧困」が喫緊の課題としてある。では、その課題に教員はどう向き合っているか?戦後同和教育の出発点と同じスタンスで向き合っているか?
まさにそこが問われるわけです。
わたしたちは、子どもたちに「勉強せい」と言います。が、わたしたちは学んでいるのか?学ぶとは自己変革だと、わたしは思います。子どもたちに自己変革を迫るわたしは、自己変革しようとしているのか?
そんなことを問われる講演でした。