変質してるな

今日は午後にとある人権教育研究会の「研究交流会」があります。まぁ、実質総会です。
てことで、京都府中部の町へ。いや、ここでやるのは、北部と南部のちょうど真ん中ってことです。なんでもかんでも京都市でやるってのは間違ってます。
到着したら、とりあえず読書ノートをつくってみるなど。そうこうするうちに会がはじまりました。
まずは開会行事。友だちがいつの間にか会長やってます。かつてお互いの子どもの子ども会を一緒にやった仲です。そういや、うちの研究会も会長は年下やしなぁ。そういう歳なんやなぁ。自覚はないけど(笑)。
で、レポートが3本。
がんばってはるのはわかる。でも、それは人権じゃないよというレポートです。簡単に言うなら「医療モデル」です。まずは「見立て」があり、続いて「治療」があり、最後に「結果」がある。そんなレポート。そこに社会性が一切ない。
曰く「Aは自尊感情が低い」。どうやってそれがわかるねん。「自尊感情を高めたいと考えた」。どうやったら高まるねん。わたしはわからんわ。てか、ほとんど神様かと。
とにかく、担任をした子に問題があって、その問題をどうするかってレポートばかりです。とうとう2本目のレポートでキレました。
「それ、人権教育ですか?」
やってまいました。あわてて会長やってる友だちがフォローしてました(笑)。いや、わたしの前にあんたがした質問を受けてのことやし。
休憩の時に、いちおうレポーターのところに行って
「きつい言い方してすんません。「医療モデル」と「社会モデル」というのがあってね」
とフォローして、その後、役員控室に行ったら、前会長が
「ようゆーてくれた」
と。いや、あんたの後ろ姿が
「いつきちゃん、言え!」
って言ってたんやんか。さらに
「なんで1本目も言わんかったんや」
と。どないやねん(笑)。
最近、若い教員が一生懸命とりくんだレポートが出てきます。でも、みんな「発達に課題のある子をなんとかした」なんですよね。そういうレポートが研究会にあがってくるということは、それが選ばれているということなんですよね。つまり、そういうレポートしかないということだし、みんな優しいからそういうレポートに意見を言う人間がいないということなんですね。
考えてみると、わたしはいっぱい実践レポートを書いて、さんざん叩かれました。でも、その叩きに対して「くそっ」と思って実践をやってきました。「レポート叩き」は「暑い優しさ」なんです。「暑い優しさ」の反対は「無視」です。
実は、今回も無視しようかと思った。でも、無視できなかった。それは「同和教育の継承」が喫緊の課題だからです。わたしを育ててくれた諸先輩たちを継承する最後の数少ない人間のうちのひとりとして「無視をしちゃいけない」と思ったからです。
高校のレポートには、中学校の校長がかみついてました(笑)。大人気ないなと思ったけど、わたしも大人気ないし、それでいいんでしょうね。ものわかりのいい先輩である必要なんてどこにもない。
研究会が終わったら、小中の友だちがみんな笑ってました。なんでも、みんな
「言うやろな」
と思ってて
「言いよった(笑)」
と思ったらしいです。しゃーないやん。前会長に託されたわたしの任務やし。
でも、ある中学校の教員が
「ちゃんと練ったレポートつくらんとあかんと思ってるんです」
と真顔で言ってくれたのがうれしかったですね。
まぁそんなこんなで無事研究会も終了。

今年も語った

今日は3年生の人権学習です。ネタは去年と同じです。さてさて、どうなるだろうなぁ。
朝、ふとんの中で少しfacebookを見たら奥田均さんの記事があって、これは使えるなと。てことで、朝7時半にガッコに着いて、印刷したり機材の準備をしたりしてから、プレゼンを少しいじったりしました。
それにしても、今日は忙しい。いや、決して忙しくはないんだけど、詰まってます。なにせ、1・3・4と授業があって、5・6が人権学習です。てことは、フリーで使えるのが2時間目だけ。なので、プレゼンの最終チェックをして、あとは野となれ山となれです。
昼休みに機材をセットしながら「あー、あそこをこうしたいなぁ」と思ったけど、時すでに遅し。なにせ、一度体育館にPCを運んでしまうと、データのやりとりができなくなります。マジでs○y○eaだるいです。
そんなこんなで、5時間目は今年もDVDの上映。その間に大急ぎでおべんとを食べてみるなど。体育館に帰ると、みんな真剣に見てます。よしよし。まぁ、化学調味料的なDVDだけど、たまにはええか。DVDのあとは、担任さんに少しコメントしてもらいました。たぶん、こういうのが大事なんだと思うのです。
休み時間に「どうやった?」と感想を聞くと「映画見たら泣くからずっと下向いてた」とかいう感想があったりしておもしろいですね。
で、6時間目はわたしから話。今年はレジュメ風のものを出してみたけど、みんな真剣にメモをとりながら聞いてくれました。
放課後、3年生の子らと雑談してたら
「せんせい、話、うまいわ」
とか言われて恐縮してしまいました。

放課後は、なぜか教職員研修です。その後、なぜか卒業アルバムの写真。このあたりで身体が終わりかかってます。なので、少し走ってみたりしたのですが、やはりペースをあげると5kmもたないですね。これはさらなる補強をしろということですね。
てことで、家に帰ってビールを飲んで、長い長い1日が終わりました。

やはり会いに行こう

朝、目が覚めたら6時前です。何が悲しくて「明日起きるであろう時間」に目が覚めるのかなぁ。でも、しかたないのでゴロゴロ。
昼前に行動開始です。今日は早々に帰ろうかと思ってたけど、「新幹線に乗った」というSょう子さんの書き込みを見て、会いに行かねばと。ハグしに行かねばと。
てことで、再び「そらにじブース」に行きました。いましたいました。Sょう子さん。こちらを見られて、「ほわーん」とした顔になって、やはりハグです。やはり来てよかった。
で、昼ごはん。おにぎりは昨日食べたので、今日はせんべい汁とビールです。裏手にまわると大黒堂ミロさんがおられました。他にもなにやら重鎮感漂う人がたくさんおられます。と、Tに口さんも来られたり。てか、Kなめさんがおにぎり握ってるんだから、ほんとにここはすごい場所です。
一息ついたので、一度いろんなブースをまわってみようかと、田酒を片手にフラフラと歩きました。これもんです。

ところどころのブースに見知った人の顔があったりして、そんなうちのひとつ「虹色ダイバシティ」に行くと、いきなり「この人のほうが」とか言われて、M日新聞の取材を受けるなど。酔っぱらいの話を聞いてもなぁ(笑)。てか、酔っぱらいを押しつけたらアカンやろ。なんでも「LGBTと学校」らしいです。はやってますね。
LGBTを学校で教えることについてどう思うか?」
とか聞かれて、これまた定番やなと。
「子どもたちは学校で習う以前に、すでに異性愛をマスコミや社会やあちこちで教わってる。だから、同様にマスコミや社会が同性愛についても伝える必要がある。てか、学校だけしかやらなかったら、子どもたちは「タテマエはそうかもしれんけどホンネは違う」ってなりますよ」
と答えておきました。テレビやマンガが異性愛を教えてるって、なぜわからんかなぁ。なぜ同性愛だけが教科書で教えるかどうかの論議の対象になるのかなぁ。
まぁ、そんなこんな。
で、疲れたので「そらにじブースの裏手」に行くと、国会議員とか国会議員に似てる人とかがおられます。なんなんだ、ここは(笑)。やがてSょう子さんが着替えて出てこられました。どうやらswashフロートで歩かれるみたいです。でも、わたしはそろそろ限界です。なので、歩くのは諦めて、ボチボチ撤収の方向へ。と、向こうから司法書士のみなさんがパレードの終点へ向けて来られたのが見えました。なので、せっかくなので最後だけ一緒に歩いて、ついでに集合写真に写り込んでしまったり^^;。
で、ここでもともに台風と闘ったお友だちとハグしたり。帰り道ではイスラエルのブース前で行動してる人にサムアップしたり。写真を撮らせてもらったら、横から勝手に写真を撮られたみたいで、ほんとになんてヤツなんだと。言ってくれたらポーズとるのに(笑)。
てことで、当初思ってた新幹線よりかなり早めの新幹線に乗るべく切符の変更を試みるも、アカン、席がない…。と、グリーンポイントがあったじゃないか!6月末で1500ポイント失効するので使わない選択肢はないです。てことで、行きも帰りもグリーン車です。
おかげさまで、少しゆっくりしながら、完全に暗くなる前にお家に着きました。
長い2日間でした。明日は仕事か(;_;)。

stnの交流会

今日は夕方から東京でstnの交流会があります。本来はそれにだけ行こうかと思ってたけど、せっかくなのでそらにじでおにぎりを買って昼ごはんにしようかと。てことで、朝からスタートしました。ちなみに、家を出るのが少し遅くなったので、予定していた新幹線に乗れずに、少しあとのに変更しようかと思ったのですが、すでにほぼ満席。どうしようかと思ったところで「グリーンポイント」がたまってることを思い出して、グリーン車で行くことにしました。
快適です。てか、仕事が進みます。ふたつほど仕事をこなしたところで東京に到着。会場に向かいます。
それにしても人が多い。なんなんだこれは。
とりあえず「司法書士」のみなさんのところにあいさつして、お腹も減ったので、「そらにじブース」へ向かいます。で、筋子のおにぎりと生ビールをゲットして、裏手にまわってお昼ごはんです。

うまい!
そうこうするうちに、大御所たちがやってこられて、わたしも一緒にパチリ。

と、なにやらメインステージでシンポがあるとか。しかも登壇するのが「シゲせんせー」とか「まめたさん」とかだとか。これは行かねばと、田酒を持ってスタンドへ。すると、Kんまるちゃんがいたので、ふたりでダラダラ雑談しながらシンポを聞きました。まぁ、炎天下、日本酒を呑みながら、ひそひそ話をしながら話を聞くって最低の客ですね。
シンポが終わったら、Kんまるちゃんと速やかにバックヤードに突進。シゲせんせーの出待ちをして、一緒に今日の会場に向かいます。
会場でしばしゴロリとして、準備開始。といっても、やることは特になしです。せいぜいやるのは買い出し程度。あとは、みなさんの到着を飲みながら待つ(笑)。
そうこうするうちに、気がつくと交流会がはじまっていました。今日の交流会は、ほんとに交流するだけです。なので、飲み物片手に話をしたい人と話をする。わたしはよくわからないので、逆に話をしに来てくれる人を迎え撃つ感じですか。
と、すごい拍手。何かと思ったら、「前」に注目させるための仕掛けでした。シゲせんせー、せんせーかよ!
で、軽いトークです。わたしの役回りは「昔話」です。こないだここに書いた内容をもっかいおさらいする感じです。
てなことをやってると、あっという間に交流会は終了です。それにしても、今日はワインをこぼさなかった自分、えらい!
で、二次会の鎌倉パスタ。このあたりから、完全な酔っぱらいになりました。なにせ、昼から食べたのはおにぎり2個だけ。飲んだのはビール→日本酒→日本酒→チューハイ→ビール→チューハイ→赤ワインです。そらあきませんわ。酔っぱらうとおしゃべりになるのは定番です。なので、ひたすらしゃべって、みなさんの交流をじゃましちゃいました。ごめんなさいごめんなさい(;_;)。
そんなふうにして、TRP初参加の1日目が終わるのでした。

総会

今日は午後から某在日外国人教育関係の総会です。なので、総会会場へ。ちなみに、総会と言っても、15人くらいしか出席しない小さな会議です。
まずは総会。でも、その前にお昼ごはんです。

盛岡風冷麺です。すでにほとんどネンミョンではありません(笑)。
総会は司会があたりそうになったけど、そこは巧みにパスをして、単なる参加者になりました。で、つつがなく総会も終わり、本格的な論議の時間になりました。
はっきり言って、今の運動を続けていくのはきついです。もちろん、「運動」なんていうのは死後なのかもしれませんが、やはりやってることは「教育運動」であり、アクティビストではないにしろ、実践やってる人間としては、これまでの「遺産」は、次に受け継ぎたいです。てか、ほんとは遺産じゃないです。いまさまざまな新たな問題が起こっていて、そこに迅速に対応しているのが「わたしたち」で、ほとんどの教員/学校は鈍感です。まぁ、適格者主義のなれのはてとして、日本国籍を持たなかったり在留資格を持たなかったりする子どもたちは「資格がなかった」=「さかたない」存在なのかもしれません。でも、「わたしたち」はそうは考えない。そんな思想や行動を継承したいと思うし、実はそんなことをやるのがおもしろいんですが、どうにも「適格者主義」からはずれようとしない人々が蔓延していて、ほんとにマイノリティだなと思う昨今です。
てことで、かなりハードでディープな話をかわして、会議も終了。そのあとみんなは飲み会です。わたしも少しだけ一緒にいたけど、さすがに連日の呑み会でしんどいです。今日は早々に退散しましょう。
お家に帰ると、ダイソンのモーターヘッドが届いてたので、ほんの少しだけお掃除(笑)。
さてと、ケンミンショーを見たら寝ましょうか。

「マイクロアグレッションとは何か」

今日は某人権教育研究会の総会です。なので、少し家でゆっくりしてスタート。
午前は、いわゆる総会です。かつてのようにドンパチやったり、選挙で不信任が何人いるかを競うなんていう時代じゃなくなったので、楽といえば楽ですね。
で、午後は記念講演。タイトルは「マイクロアグレッションとは何か」。講師は金友子さん@立命館大学です。
おそらく、ブログで「被差別体験のインフレーション」をはじめて使ったのはこの時なんじゃないかと思います。でも、実はもっと前から思っていて、それは例えば、かつて人権学習で来てもらった講師のみなさんの選定基準みたいなものに自分で疑問を持つようになったあたりなんじゃないかなと思うのです。そんな中で、うちの人権学習では「有名どころ」にお願いするのではなく、より微細な「トゲ」について話してもらうようにお願いする方向へと舵を切ることにしたんですよね。そんなおりに、「ヴァルネラビリティ」とか「マイクロアグレッション」とかいう言葉を知って「これや!」と思ったという次第です。
わたし個人はずっとこのあたりのことを考え続けてきましたが、当然のことながら「某人権教育研究会」の人たちは知らないだろうと。なので、少しずつネタを話し続けて、ようやく「Time has come」となって、念願の金友子さんをお呼びするところまできたということです。
で、講演の中身は、おもしろかった!
まずは「わたしのモヤモヤにつきあってください」からのスタートです。これがいいです。たぶん、日本におけるマイクロアグレッションについての考察は、そんなに進んでいないのかな。というのは、例えばアメリカにおけるレイシズムと日本におけるそれは、それなりに同じところもあるけど、ずいぶんと違うところもあります。なので、アメリカにおいて考察が重ねられたマイクロアグレッション概念を直輸入しても、たぶんそのままでは使いにくい。さらに金さんが金さんであることも関係しています。まさに「我がこと」としての経験は、とてもわかりにくい。それはおそらくSueさんもそうだったんだろうなと思うのですが、金さんもそうなんだと思います。
そんな金さんが立てた問は「「日本語おじょうずですね」は差別か?」です。
そこからはじまって、ヘイトスピーチやヘイトデモへと話は進み、「ジェノサイドの三角形」へと話は進みます。そして、その三角形の基盤をなす台形部分として「マイクロアグレッション」を紹介されます。そこからは、アメリカで進んできたマイクロアグレッション概念の説明や、マイクロアグレッションが当事者にもたらすものの説明をされました。それにしても、ところどころに入る「ちなみに」がおもしろい。もちろん、ここで入るのはご自身の話です。それが話に厚みとリアリティを持ち込みます。
そして、マイクロアグレッションがなぜなされるのかですね。そこにはステレオタイプや思い込みがある。
ただ、これ、むずかしいです。ステレオタイプや思い込みが、そのまま差別と直結するわけではない。でも、マイクロアグレッション概念を導入することによって、そういう「言葉」としての「武器」が生まれてしまう。そんな話を、「モヤモヤ」あるいは「グルグル」と話をされます。でもこれ、まさに金さんの実存をかけた話なんですよね。
さてと、最初の問へのわたしよ答えは、もちろん差別です。その前提には「単一民族信仰」と「排外主義」があるからです。でも、金さんはこういうステレオタイプな言葉は使われません。より微細な「関係」や、その「場」に埋め込まれた「あたりまえとされること」や「思い込み」をていねいに分析していかれます。たぶん、そういうことが、実は必要なのかなと。

で、講演の後の帰り道で、わたしから感想をば。
「ひとつの言葉が生まれるということは、そこにパラダイムの変換が起こるんですよね。たぶん、それは「ハラスメント」という言葉に代表されるのかもしれないけど、「マイクロアグレッション」もそういう役割を担っているのかなと思いました。つまり、従来は「考えすぎ」とか言われていたことに「それは差別だ」と言えるようになった。そこが大きいのかなと思いました」
みたいな。ついでに、わたしが経験したマイクロアグレッションを披露すると、爆笑されましたo(^^)o。

うまくいけたかな

今日はトランスジェンダー生徒交流会です。が、いつも使ってる集会所が使えないので、はじめて近くの障害者会館を使うことになりました。はじめてのところは使い勝手がわかりません。てことは、メニューが組めないということです。みんなでいろいろ論議をしたけど、最終的にはバーベキューということになりました。
みんなで集合場所に集まって、三々五々会場に向かいます。わたしは最終組で会場へ。と、1期生のKょうこちゃん登場!あいかわらずのオーラです。
でも、買い出し組がもどって来ないと作業が開始できません。ところが、今日は急がなきゃなりません。なにせ、地元の老人会のみなさんとの交流もありますからね。てか、12時半に来られるのに、12時の時点でなにもできてません。どうする?と、ここで、買い出し組がもどってきて、さらき大量の机とイスと屋根が運ばれてきました。地元のNPOの財産です。すごいです。ここから突貫工事で作業開始です。
てことで、なんとか老人会の方々を迎えることができました。やばいやばい。まずはいっしょにごはんを食べて、その後自己紹介。
い「自己紹介、みんなのぶんやったらメッチャ時間がかかりますけど」
老「それはしんどいな」
てことで、何人かの代表者を急遽つくって、その子らに話してもらうことにしました。でも、子どもたちの経験は過酷です。そんな過酷な状況をひとりでサバイブしています。そんな話が老人会の方々に届かないはずがないです。だって、老人会の方々も過酷な部落差別と闘ってこられたからです。
そんなこんなで、いい交流ができて、老人会の方々は帰って行かれました。ホッとしたところで力が抜けました。それでも、昨日の今日なので、ネンミョンを食べるのは忘れません。みんなでシェアしたので、少しずつですがね。

と、なんか気がついたら、車いすに乗せられてました(笑)。たしかに楽だし気持ちいいけど、なんか申し訳ないです。
その後、いつもの集会所にもどって、公式の自己紹介開始です。すでに時間は6時をまわってます。あまりに遅いと、せっかく老人会の方々に好印象をもってもらったのに水の泡です。でも、子どもたちは自己紹介をやめようとしない(笑)。結局、7時に強制的に終了させて、とりあえず解散です。
その後、大人と子どもにわかれて、それぞれが打ち上げに行きました。大人はいつもの「幸楽」です。が、ここで楽しく論議しながら飲んでましたが、ふと気がつくと、赤ワインをメッチャこぼしてました。そういや、パートナーから
「ワインこぼすなよ」
って言われてたからなぁ^^;

今年もやれた

去年から大きく変えたうちの職場の人権学習です。まぁその3年前に大きく変えて、それを少しだけ昔パターンに振っただけですけどね。でも、「少しだけ」ですね。特に1学期については1年生は大きく変わっています。かつては障害についてやってたけど、去年から「人権とは?」「多様性とは?」ってあたりをやってます。で、今日は去年に引き続き、「世界人権宣言」です。
午前に3発授業をやって、午後はセッティング。そんなことをしていたら、すぐに1年生が入ってきました。なので、約35分のお座敷開始。ちょいとネズミ関係のトラブルがあったので、いらない時間を5分ほど使ってしまい、少し焦り気味です。ま、しゃーないな。
今年の子どもたち、はじめはどうなるかと思ったけど、カウンターの話とか国連の署名の話とかをあえて入れていったら、途中からガッツリと食いついてくれたっぽくて、かなりうれしかったかな。
まぁ、教員がする話は聞いたことはあるだろうけど、「動く人」として自分のことを語る教員の話を聞いた子どもはそんなにはいないんじゃないかな。でも、動いてたら、ネタはなんぼでもあるんですよね。
ま、そんなこんなでほぼ無事に終了。「ほぼ」とういうのはネズミさんのトラブル分だけ後ろへズレこんだという(;_;)。

話のあと、ひとりの担任さんが来られて「ひとつ「ん?」と思ったことが」とのこと。
「ホームレスの人を排除するためのオブジェのことを話しておられましたが、もしも通学路にホームレスの人がたくさんおられてもいいんですか?」
と。もちろんわたしの答えは
「いいですよ。だって、犯罪をするわけじゃないから。もしも犯罪行為があったとしたら、それはその行為を罰すればいいだけのことで、ホームレスを犯罪予備軍として見ることは間違ってると思います」
です。
ま、そもそもホームレスを生むような社会そのものが問題で、そういう社会だから、ホームレスを犯罪予備軍としてとらえてしまうんですけどね。そして、その眼差しこそが、差別なんですよね。
ちなみにその担任さんは「たしかに犯罪予備軍として見たらダメですね」と帰って行かれました。ま、これからまだまだ時間はあるから、ゆっくりとやっていこうかな。

懐かしい音

朝、マダンセンターに行くと、四日市のおふたりは起きたところだったみたいです。
い「朝ごはん、どうしますか?」
T「なくてもいいですよー」
い「この、ちょっとだけ残った鈴鹿川、どうしますか?」
T「飲んじゃいましょう」
てことで、朝ごはんは日本酒でした(笑)。
その後、近鉄に乗って移動開始です。途中、丹波橋でやたら大きい荷物を持った人が乗ってきたなと思ったら、Aおひょんでした。長いつきあいやけど、同じ電車になったのははじめてやな。
てなことで、向かうはウトロ。今日は久しぶりの焼肉です。前の焼肉は…。この日ですね。そうか、おべんきょ成果を提出した日だわ。
最寄りの駅からウトロへ向かって歩きはじめます。明らかに下り坂。ということは、水は低きに向かって流れるので、雨水が集中するのは当たり前です。
やがて、ウトロに入ります。なんか、懐かしい風景と、新しくできた団地のコントラストがハンパないです。でも、今日の焼肉は、この団地ができたお祝いです。
考えてみると、日本の敗戦の瞬間から「ここで生きる」ための闘いがはじまったんですよね。はじめは米軍相手、次は日産車体、そして西日本殖産です。そんな中、ようやく安定して住める場所を勝ちとったんですよね。ほんとうに長い長い闘いでした。
到着したら、とりあえず集会所へ。なにせ、コンナムルつくってるメッチャいいにおいがしてます。
「アンニョンハシムニカ」
というと、当然のことながら
「コンナムル、食べ」
というお返事です。しばしモシャモシャいただいて、2階へ。サムルノリの練習しなくちゃね。
そんなこんなをしているうちにお昼を過ぎました。アカンアカン。放送セットの開始だわ。てことで、放送機材を取りに行ったりセットしたり。
そんなこんなでワチャワチャしているうちに、ボチボチと人が集まりはじめました。と、集会所の中から「ウトロの歌姫」が!当然のことながら、マイクを渡します。すると当然のことながらノレがはじまります。キョンナムさん、ほんとうに歳をとらはったなぁ。かつてはお富さんを歌いながら踊ってはったけどなぁ。てか、いつも「もう終わるで!」怒られながらも「いったれ!」とかやって遊んでたよなぁ。
やがて焼肉の開始です。でも、わたしは食べません。ひたすら待ちます。なにを?もちろんTにさんに買いに行ってもらってる○ビスです。その代わり、あちこちに行って、懐かしい人々とあいさつです。
「あんたも長いなぁ。水道の頃からか?」
「そうですね。その少しあとですね。もう30年ですね」
みたいな会話。やがてヱ○スが来たので焼肉開始。
そして、いよいよサムルノリの順番が来ました。今回は強力な助っ人がおられるので安心です。それにしても、純粋なウトロ住民はひとりだけです。そんな中、ウトロ農楽隊に数えてもらってるのがうれしいです。
サムルノリが終わると、農楽です。この雰囲気は、他では味わえません。ウトロの農楽は、踊るためにあり、歌うためにあります。だから、太鼓は目立つわけじゃなく、あくまでも気持ちよく歌い踊るための伴奏です。だから、ノレを聞きながらあうチャンダンを探して太鼓を叩きます。
一方、サムルノリは完全にチャンダンの順番が決まってて、合図にあわせてチャンダンを変えていきます。もちろんそこに「遊び」は入りますけどね。まぁ、聞かせる音楽です。ちなみに、わたしは農楽あがりなので、けっこう農楽が好きです。「お富さん」にだってあわせます(笑)。まぁ、サムルノリを叩きまくれるほどうまくもないし、そもそも練習してませんからね。
でも、今回は、わざわざ太鼓を演奏しようとして来てくださった方がおられて、ちょっとそこでパッティングしてしまいました。やはり打ち合わせしておかなきゃならなかったんだな。
てことで、ノレも出なくなったことなので、太鼓も終わり。あとは焼肉の続きです。Tにさんが買ってきてくださった赤ワインをグビグビやりながら肉をつついていたら「片づけるから続きはあっち」とか言われてそちらに行くと、ちゃんへんさんが声をかけてくださいました。ありゃ、認識されてた^^;。うれしいですね。
そうこうするうちに暗くなってきました。と、放送機材も車に積めたとか。じゃ、返しに行きますか。
いろんなことが終わったら、すっかり夜です。とりま、ウトロにもどって忘れ物をピックアップしたりして、そのまま卒業生の車で北へ北へと。
い「お腹減ったなぁ、ラーメン食べよ」
卒「いいですよー」
い「天一行こ、天一
ということで、なぜか小倉をパスして竹田まで行きました。天一でお腹をふくらませたら、そのまま京都駅をパスして、うちまで送ってくれました。
卒「京都駅でおろして、あとがどうなるか心配するより送ったほうがマシ」
とのことです。ほんとにすんません。
そんなこんなで、長い長い2日間が終わりました。

偶然だらけのおさんぽ

今日から明日にかけて、四日市の皆さんの迎撃作戦です。
そもそも決まったのは昨年末のことでした。その時は、新年度あけてあまり遅くなると暑くなるよねということで今日にしたのですが、どうやら今日は真夏並みみたいです。やれやれ。
てことで、昼前に京都駅に集合して、とりあえず昼ごはんを食べようかと。ところが、京都駅は人が多い。とにかくここを脱出しないとなにもできません。「とにかくあっち」とだけ話して、スタスタ歩きました。なんでもみなさん「これから全コースこのスピードか?」と思ったらしいですが、そんなはずもないです。
さて、昼ごはんはどこで食べようと思っていたのですが、偶然にも今日は「東九条の春祭り」です。じゃ、昼ごはんはここだな。幸い小さいクーラーバックもあるからビールも買ってこられるし。てことで、豊かな昼食をいただいて、とりまマダンセンターへ。
まずは南コースです。パッチギゆかりの地から40番地跡、エルファ前を通って「わざわざ公園」を経由してマダンセンターにいったん帰ります。が、ここで異変です。「看板」が変わってます。まぁいずれ変わるだろうとは思ってましたが、やはり変わったか。ショックですね。
マダンセンターでは昔の写真を見てもらいながら、40番地のこととか、マダンセンター近辺の歴史的な背景をつかんでもらいました。
そして北コースから延々と続くおさんぽのはじまりです。まずは北岩本公園で「マンモス団地」をめぐる話。そして八条通りの「線引き」を見てもらって、オールロマンス事件ゆかりの地の「ひかり公園」です。そこから崇仁に入ります。まずは崇仁小学校の前で崇仁教育についてひとくさり。石碑を見てもらったあと向かうのは「柳原銀行記念資料館」です。と、ここでも偶然が!事務局長の山内さんがおられました。ラッキーです。「ちょっとだけ」とお願いして、資料館にまつわる話をしてもらいました。あいかわらずぶっ飛んでおられます。おもしろい!その後、七条河原町藤田敬一さんにまつわる話など。
お次は五条です。ここでは働く女性の話です。と同時に、もともと崇仁は「六条村」だったので、移転の話もほんの少し。なんというか、町のつくりって、いろんなことがまざって町ができるんだなと、あらためて思います。
そして、松原通りです。もともとここは「物吉村」だったので、そんな話。それにしても「物吉村」でググると3番目がわたしのブログかよ(笑)。その後、幽霊アメ本舗の前でひとくさり話をして、「清圓寺跡」を遠くから見て宮川町に突入です。
四条まで北上したところで、寺町に向かいます。「四若」が「四」であることの所以がここにあります。てことで、大雲寺の跡地のあたりでまたまたひとくさり。そして向かうは最終地点のひとつ手前、「八坂女紅場」です。ちなみに、ここに来るまでに「五條會館」「東山女子学園」と来てるので、その流れというものです。そして白川の風景で京都を堪能してもらって、タイムトンネルをくぐったところが「おたふく」です。
でも、おたふくはちょっとだけおあずけ。その前に「天部」の境界を確認しに行きます。そしてようやくおたふくへ。と、予定していた時間より早かったのでオープンテラスになりました。警ら中のポリスさん3人に「いいですね」と声をかけられるなど。のどかです。
お店に入るとまたまた偶然。かっくんです。偶然じゃないか(笑)。でも、かっくんがいてくれたおかげで、みなさんに「おたふく」を感じてもらえたんじゃないかな。でも、おたふくは1時間ほどで撤収。そのままうちの組合に向かいます。今日は偶然、組合の春の集いです。ここでタダ酒とタダ飯にありつきながら組合同士の交流を行うなど。
そんなこんなで、7時過ぎに終了。日帰りの人と京都駅で別れて、泊まり組とAっちゃんとでマダンセンターにもどって宴会の続きです。今回の首謀者Tにさんが持ってこられたお酒がうまい!「作」と「鈴鹿川」です。そんなのを飲んでるうちに寝てしまいました。