長い一日になってしまった

今日は組合の女性部長会議です。なので、朝から大阪へ。
女性部長会議、なにかネタを持って行かなきゃなりません。他府県のひとたちはきちんと活動しておられるので、なんなとネタがあるんですけど、わたしにはない。なので、いちおう昨日のうちにネタを仕込んでおきました。
で、会議に出てわかったことが多々ありました。
女性部長は今年で3年目です。初めて参加した時は、わけがわかりませんでした。なので、場違いにトランスの話をしてみたり。去年はひたすら他の人の話を聞いてたかな。で、今年はようやく情報発信をした気がします。
なぜ情報発信ができたか。
それは、うちの職場の子育て世代の女性教職員と話をしたからです。具体的に「こんな制度があったらいい」という話を聞いて、それがないことがわかって、それを組合を通して要求する。こんな当たり前のことが、わかっていなかったんですよね。で、なぜわたしがわからなかったかというと、わたしが制度の不足を感じなくてすむ立場にいたからなんですよね。
そんなことを考えながら情報発信をすると、みなさんから情報が返ってきます。その情報の意味がわかることに再び驚きがありました。
これまで会議の内容についていけなかったんですよね。でも、今年は
「なるほどー、他府県はそうなってるんだー」
って思いながら聞いている自分にビックリしました。
おかげさまで、2時間の会議があっという間に感じられました。

会議のあとは懇親会。シェラトン都ホテル大阪の中にある「四川」という中華料理屋さん。おいしい!そしてうつくしい!

でも、ビックリです。いや、なにがビックリかというと、ビールの値段です。なんと、中ジョッキが1200円!注文するの、ビビりました。
てことで、ゆっくりと食べて飲んでしゃべって、お店を出て、ハイハイタウンに行きました。ここで、1杯300円の焼酎を飲んで、普段の舌にもどすなど。

で、さらに本町に移動して、ヒューライツ大阪のイベントに参加。とはいえ、到着したのは第二部がはじまってから。A久○さんが話していますが、マイクがないから聞こえない。聞こえない中で必死で聞いてると、たぶん去年うちの職場で話してくださった内容と近い感じがして、まぁそれならそれでええかなと。
その後、なんとなく発言したかったけど、さすがに終了間際に参加して発言はアカン気がしたのでやんぺ。

それにしても、京都から知り合いが4人参加してたのがびっくりです。みんなマジメやな。

で、近くの居酒屋で飲み。メンバーは空港近くの人権センターの人とダメダメ先輩とわたしの3人です。ヤバイメンバーです。ここでかなりヤバメなトークをしたあと、あまりにもヤバイので、さらに梅田でカラオケボックスへ。ここで2時間歌って1日が終わりました。

やっぱ「かきおこ」→うれしい呑み会

今日は午前に交通の便が悪いところに出張なので、車出勤です。道、すいてます。職場には早く到着します。当然小部屋の中で一番です。もっとも大部屋の一番は5時台なので、何を考えてるねんという状態なんですがね。
で、ごちゃごちゃ雑事をしてると、あっという間に出張の時間になりました。やはりやりたいことはなかなかできません。
午後になってようやく「やるか」と。なにかというと、ビデオデータから音声を抜いたデータを使って「かきおこ」づくりです。
「かきおこ」というと、一般的にはこんな断面のものでしょうけど、そしてそれはとても魅力的かつ「そのとーり!」なわけですが、今のわたし的にはこちらが出てきてしまいます。ちなみに「自動かきおこ」は、おそらくすべての人々にとっての夢であり、いろいろあるのはありますが、今回は使えません。なにせ、登場人物が多いのと音が小さいのと。なので、音声入力ソフトを使ってボチボチやることにしました。
まぁしかし、みんな声が小さい。というか、個人間のしゃべりになる時があって、聞き返さないと聞き取れないこともしばしば。話はシェアしようよ。
そんなことをやっていると午後の出張の時間がやってきました。てことで、中断。

駅まで向かう道すがら、あらためてひどい町のつくりだってことを再認識しました。
例えば、道の手前を左右方向に横断するためには青信号でも歩道橋を渡らなきゃならないとか。

看板の「子ども」は「健常の子ども」としか思えない歩道のつくりとか。

てか、すでに歩道ないし。

で、会議。今回はふたつの研修会の感想を言いあいました。ひとつは進路保障関係の研修会。もうひとつはウトロのフィールドワークです。まぁ言いたいことを言わせていただきました。
で、来年度のことをほんの少しだけ話し合い。いずこも台所事情が厳しいわけで、来年から数年は台所を楽にさせてあげようかなと。
そんなこんなで、この会議も今日でいったん〆。
その後、飲み会です。

飲み会では、とある支援学校のセンセと隣あわせになりました。
そのセンセ、『にんげん』で育った方だとか。そして「『にんげん』の道徳、好きでした」と。
もう、なんというか、うれしい!そんな人がいたんだなぁ。大阪の解放教育の底力を垣間見た気がしました。そこからは、人権にまつわるさまざまな話。
飲み会で「あの人知ってますか?」みたいな話もいいのかもしれません。いわゆる「パーリートーク」ってやつですか。でも、わたしはあまり好きではない。やはり、その人の人となりや、その人となりをつくってきた歴史や、あるいはものの考え方、出会ってきたもの。そんなのを聞きたいですね。だから、共通の知人の話より、わたしが知らない人の話のほうがおもしろい。
そんな感じで、一次会終了。さらに二次会へ。こちらではビール→ホッピーです。で、ホッピーを飲みながら近未来の小学校の校長さんと話。この方は、もともとは中学校の教員されてて、支援学校に移ったときに「なかま」になっていただいた人です。その後中学校にもどられてからも、研修会に自校の教員を連れて来られたり、飲み会に参加されたり。
こうやって「会議のつながり」を楽しんでくれる人、人権でつながることを楽しんでくれる人がいることが、なによりうれしい。
そんな感じて飲んでたら飲み過ぎるわな(笑)。
10時くらいにさっくり飲み終えて駅まで走って急行乗って。目が覚めたら「きょうと」って書いてあって「乗り越した!」って焦ったけど、乗り越してないわ(笑)。
さぁ帰ろう。

久しぶりの交流会

朝、屍累々とはこのことです。なんだかあちこちで討ち死にした感じです。でも、それだけ昨日の夜が楽しかったってことです。でも、食欲はありません。
そうこうするうちに、10時半。そろそろこの状態をなんとかしないとやばいぞと思っていたら、交流会初参加の生徒と引率がやってきました。でもまぁ、この引率さん、前に玖伊屋に来たことがあるからまったくおどろいておられません。生徒に「何食べたい?」と聞くと「カレー」という答え。なるほど。それは違いない。でも、今日の主旨とは違うんですよね。
てことで、定番のチヂミと餃子、そして葱の卵炒めを初参加の生徒がつくってくれることになりました。
とりあえず買い出しです。その間、わたしはダラダラ休憩です。と、うちの生徒がやってくるわ、Aっちゃんの職場の生徒がやってくるわ。そしてそもそも前の晩から卒業生とオモニがいてくれてるわ。今日の交流会はかなりな盛況です。てか、これでこそ交流会です。
買い出し隊が帰ってきたので、わたしはぎょうざの皮づくり。一通りできたので皮をのばそうと思ったら、麺棒がない。まいったな。探してもまったく見つからないので、結局卒業生がヨドバシまで行ってくれました。
はからずも時間ができたので、まずは自己紹介第1弾。そんなことをやっていると、麺棒がやってきたので、餃子包みの開始です。今日は人が多いから早いわ。

さっさとできたので、みんなでわいわいごはんを食べて、自己紹介第2弾。今度はちょっと深めの自己紹介。もちろんはじめてだと深くしゃべるのは難しいから、あちこちから質問が飛んでいきます。なんだかんだで4時ぐらいまでだらだら交流会をやりました。
それにしても、久しぶりに京都の子どもたちが集まったな。ここ数年、参加者0もあったから、本当に素直にうれしいな。がんばって子どもたちを集めよう。

stn21のセミナー→卒業生の会

今日はイベント2連発です。
でも、午前中は家の中でゴロゴロ。昨日の食べすぎと飲みすぎをなんとかしなくちゃ。
で、昼前から行動開始。とりま同志社大学に行きます。イベントひとつめはセクシュアルマイノリティ教職員ネットワークのイベント「セクシュアルマイノリティとしても教職員vol.2\」です。それにしても資料が重い。
大学で今日のレポーターのKずみさん@千葉と合流。視聴覚器機の確認だけやって、すみやかにランチです。もちろん、向かうは心のふるさと天一です。うまいわ。

食べ終わって会場にもどると、当然のことながら参加者の方々が来ておられます。笑われました。
で、イベントスタート。まずは分科会。わたしは第1分科会、Kずみさんのレポートの司会です。
Kずみさんのレポート、なかなか興味深いです。もちろん総学を使った「LGBTQ研究」そのものもすごいです。でも、後半のおまけがまったくおまけになっていない。こちらが本論っぽいです。まぁそれはそうかもです。基本的に「LGBTQ研究」は実践だし、子どもたちが研究をするわけで、教員としてはいかに場をつくるかってことですからね。それに対して、後半はご自身のことやご自身が研究をされたことですから、厚さの方向性が違います。ところどころにきちんとネタをぶっこんでおられるのですが、みなさん笑っていいのかどうかとまどっておられたのが残念でした。てか、そこは司会の腕の見せ所だったはずだよな。
で、後半は全体会。東優子さんの講演「性と身体:自律とインテグレーションをめぐる議論」です。なんだかむずかしそうに見えるけど、性の健康と権利をめぐる歴史と現状ってあたりの話でした。こういうのを聞くと「知ってないといけないよね」ってあらためて思いますね。こういう話を踏まえた上で話をするのと、踏まえずに話をするのではまったく話の厚みが違います。終わったあとにほっしーが、ちょっと興奮気味に「話、すごくよかった。勉強になった」って言ってたけど、ほんとうにそんな講演でした。
で、速やかに懇親会へ。ここではカミングアウトするかどうしようか悩んでいる教員と同じテーブルになりました。なんか「わたしはこうだからこういう処遇で扱ってほしい」というカミングアウトにはどうもなじめないんですよね。ではなくて、社会を変えるカミングアウトが必要なんじゃないかと思うのです。でも、なかなかむずかしい。その点うちの組合はたいしたものですよね。わたしを女性部長にするわけですからね。まぁでも、社会を変えるっていうのは、そういうことを積み重ねた先にあるんだろうな。
まぁそんなことを話しているうちに懇親会終了。

ここからほっしーともうひとりで東九条に移動。卒業生の会です。
マダンセンターに到着すると、すでに鍋の準備がほぼできています。今日はいつになく人が多い。京都の卒業生が2人来ています。と、うちのガッコの卒業生が来て、さらにうじも来たりして、大盛況です。あかん、酒が進むやんか。

変わっていく町

今日はパタパタする日ってのを覚悟して朝がはじまります。
まず玄関を出てひょいと横を見たら、猫の額ほどの庭の屋根が崩壊してます。崩壊するのはいいんです。基本的には風や雪の対策のために簡単に崩壊するようにつくってます。チキチキマシン状態なんです。が、直すのはめんどくさいのはめんどくさい。ま、日が長くなってきたから、帰ってやりますか。
で、午前は巡回とカントク。その後はこないだ入稿した本ができあがってきたので、それを配布用に仕分けです。それにしても、よくぞ20日でつくってくれたなぁ。ほんとに助かります。
で、午後はウトロのフィールドワーク。今回は新採の人なんかも一緒です。
まずは金秀煥さんの講演です。このご時世、韓日関係にかなりピリピリしておられるのが伝わってきます。具体的には、歴史をどうとらえるのかってことです。なにせ、日本政府そのものが韓日の歴史を政治的な問題と位置づけて、それをもって韓日の関係をつくろうとしてますからね。でも、本質はそこではない。なので、それをどう伝えるかってあたりを随分と考えておられるみたいです。
でも、とても簡単です。「人の生きざま」なんですね。「1965年に政治決着したから、もうすべてなし」ではない。戦争と植民地支配が、人の人生にどういう影響を与えたかってことが大切なんですよね。まぁでも、日本政府はそういうことは捨てるだろうな。だって、日本の原子力政策の中で生まれた福島第一原発の事故が、人の人生にどういう影響を与えているかってことすら捨ててますからね。そういう政府だってことです。
ま、そんなことを考えながら、やがてウトロの歴史に話は入ります。出てくるスライドに、知ってる人がチョコチョコいます。懐かしいなぁ。わたしがウトロをウロウロしはじめたのは1992年です。もう27年もたつんだ。
で、フィールドワーク。うわぁ。ほんとに町がない。西半分は前のままですが、東半分は、ほんとになくなりました。「こっちおいで」って肉を食べさせてもらったガレージもありません。さびしいなぁ。でも、しかたないです。いつ立ち退きか、いつ洪水かって生活ではなくなったんですよね。だからこれからも細く長くつきあいは続けさせてほしいな。
そんなことを感じながらフィールドワーク終了。

家に帰って屋根を直して。家の中に入ると「辛子蓮根来てるよ」。

熊本のY本さんが誕生日のプレゼントとしてくれたものです。うれしいなぁ。
みんなでパクパクというかシャクシャクというかいただきました。

卒業式→おさんぽ

3月1日といえば、まずは「サミルの独立運動記念日」なわけです。なんか、今年については韓国側の話日本側で言ってることがずいぶん違うみたいだけど、まぁ、現政権は「敵」をつくることで自分を保つというのが常套手段だからこういうことになるんだろうな。
てのはあるにしろ、学校関係では3月1日は基本的には「卒業式」です。
てことで、今日は久しぶりにジーンズ以外のパンツをはく日ということです。ちなみに、おととしまではスーツを着ていましたが、去年「スーツを着てても、うえにジャケット着てるから関係ないじゃん」ということに気づいて、上は普段着のままだったりします。てか、そもそも紅白幕の後ろにいるから、ほとんど保護者の目に触れないからね。
9時頃には会場の体育館にスタンバイ。今年は少し暖かいみたいで助かります。放送部の子らといろいろ打ち合わせをしながら開始を待ちます。もちろん、今年も機械いじりは生徒にまかせます。なにせ失敗できない緊張感の中で子どもは成長すると信じてますからね。
今年の式では「あの歌」の伴奏を吹部がやることになったみたいです。顧問は子どもたちに「自分や保護者の意向で吹けないという人は遠慮なく言ってね」って言ってくれたみたいですけど、誰もいなかったとか。うーん、問題やな。また今度知ってる子には,顧問が言った意味を伝えよう。それにしても、ずっと別ラインでやってたから、こんな日が来るとは思わなかった。
でも、式そのものはつつがなく終了。片づけを終えて、ちょっと3年生の教室をのぞくと
「先生、お母さん来てるよ」
と声をかけてくれた子が。ちなみに「お母さん」は放送部の卒業生です。さらに、保護者がいきなり
「覚えていますか?◯◯です」
と。覚えてますがな。担任した子です。子どもが今日卒業だとか。しかも去年授業を担当していたとか。いや、似てるなと思ってたんですよね。どうやら保護者は「先生に言ってみ」って言ってたけど、本人は言わなかったらしいです。そして、一番気になってた子のところへ。保護者がいない子です。
「お姉ちゃん、来てるか?」
「来てるかいな」
「寂しいな」
「寂しいもんかいな」
「でも、卒業できてよかったな。この3年間、久しぶりに同和加配をやらせてもらったわ」
そんな会話。この子がいたから、この学年と仲よくなれたんだろうな。
他にも「一緒に写真撮ろ!」って言ってくれた子もいたりして。そんなふうに午前が終わりました。

午後は「研修」です。この間書いたように、若手教員3人プラス副支店長と一緒におさんぽです。なにで、さっさと職場を出て最若手教員ひとりと一緒に集合場所へ。途中「◯◯先生も「行きたいなぁ」って言ってましたよ」とか。来ればいいのに(笑)。でもうれしいです。
みんな集まったところで、「南コース」です。ふだんと少し勝手が違うけど、まぁおいおい慣れてくるでしょう。それにしても、副支店長が感心持ってくれるのがうれしいです。もっとも、副支店長、かつて同推校に勤務していた時は学習会にも参加していたし、いろいろ「わかって」いる人です。もっとも、かつて教職員人権研修のことで怒鳴りつけたことがありますが(笑)。
途中「みやま」でみなさん買い物タイム。わたしはというと「いらんもん」を見つけてしまったので買ってしまいました。
オ「これな、メッチャクチャ辛いねん。というか、痛いねん」
い「オモニがそれ言うなら買わんとあきませんやん」
オ「笑」
このオモニ、メッチャクチャ辛いラーメンを買うと、メッチャクチャ喜んでくれます。
あとは北コースを歩いて、いつもの通り崇仁→五条→松原通→寺町四条→あまべです。歩き終わったら5時40分。いい時間です。終点にはこんな張り紙。

現実を突きつけられ、ようやくそこから逃げられないことがわかりました。
てことで、お疲れさまのビールは近くのブリティッシュバーへ。ここでしばしクールダウンして、他のみなさんは3年生の慰労会。わたしはこの土日のためにおうちへ。
うん、よかったな。感想はこわくて聞けなかったけど、月曜日に聞いてみよう。

洞部落のフィールドワーク

今日の午前は洞部落のフィールドワークです。とは言え、洞部落は厳密にはすでにありません。というのは、神武天皇陵が建設されるとき「天皇陵を見下ろす位置に部落があるのはけしからん」ということで強制移転させられたからです。これ、完全におかしな話です。そこに部落があるのがわかってて、わざわざ天皇陵をつくって「けしからん」は順番がおかしいです。でも、それがまかり通るのは、いつの時代も同じです。
そういや、今日は沖縄の県民投票だな。
ただ、これが単に「強制移転」と言われてたのは過去の話で、研究が進んだ現在はもう少し複雑です。そんなあたりを福西満さんからお聞きしました。
まぁとても簡単に言うと、今でこそ解放運動は「貴族あれば賤族あり」ってことで反天皇制の立場をとってます。でも、かつては「天皇が解放令を出してくれた」ってことで、例えば水平社の糾弾闘争でも「天皇の御心に背くのか」という論理がとられていたとか。
つまり、洞部落の人たちは「天皇陵をつくるならどうぞお使い下さい」と自分たちの土地をさしだし、そのことをもって差別を解消しようとしたという側面もあったと。さらに、もともとの洞部落は山の中腹にあって、人口に対して狭かったので、新たな土地を得て新たにまちづくりをしようという狙いもあったと。つまり、単なる権力からの横暴とか差別とかじゃなくて、部落の側の戦略もあったと。さらに、1940年に神武天皇陵の拡張工事があった時は、部落ではない村も移転させられていたことがわかって、そうなるとますます「差別」というひとくくりでは語れなくなってきます。でも歴史って、たぶんそういうものなんでしょうね。
それにしても、「移転」というと、「あまべの移転」も思い出すんですが、なぜ好き好んで部落の土地に移転するのかなぁ。もしかしたら、ずいぶんと「眼差し」が違ったのかなぁ。
で、話のあとはフィールドワーク。行ったのは「生國魂神社」と「洞部落跡の入口」です。後者がなぜ「入口」かというと、なんでも「即位30年祭」が行われるので立ち入らないでほしいと言われたんだとか。どこまでジャマするねん。
生国魂神社は中まで入れてもらっていろいろ見せてもらいました。例えばこんなんとか。

で、昔の洞部落の風景を教えてもらいました。なんか、のどかな風景なんですよね。
そんなこんなで、3時間弱のフィールドワーク終了。
それにしても、福西さん、なんでわたしのことを知ってたんだ^^;?

つい力んだ

今日は去年に引き続き、日教組の「人権教育実践交流集会」です。今年の場所は奈良。近いです。なので、前泊はせずに朝にスタート。午前は打ち合わせです。
それにしても、一昨年共同研究者として声をかけてもらって、去年・今年と担当させてもらっています。が、やはり「わたしなんかでええんか」感がぬぐいきれません。てか、きっとわたしよりも豊かな実践をされている方もおられるはずです。わたしにアドバンテージがあるとすれば…。ないな(笑)。
ま、少しは研究してるところかな。

てことで、午後から集会がスタートです。今年の講演は竹平さん。同和教育の大先輩です。なんかもう、「昔話」がおもしろいです。ちなみに、後ろに座っておられるのはおとついの講師さんなわけですが、2日連続で「昔話」を聞けるのは楽しいです。が、「昔話」の興が乗りすぎたのか、本題とちゃうのんというところまでほとんどたどりつけず。でも、みなさん
「竹平さんはあれでええねん」
と笑っておられるので、たぶんそういう人なんですね。
お次は分科会。今年のレポーターはふたりとも知り合いです。
まずは大阪のレポート。ご自身のカムアウトの授業をきっかけに、性の多様性についての授業を広げるとりくみです。しかし、自分のカムアウトを授業に使うってむずかしいですね。あくまでも自分を主役にするのではなく、題材として扱わなくちゃなりません。そして、子どもたち自身が自分のことに思いを馳せるように、どう伝えるかがキモだと思っています。でも、子どもたちの感想を読んでると、いろいろ考えてるみたいだし、なによりレポーターの方が「楽になった」っていうのがいいのかもしれない。なぜなら、子どもとの関係も楽になるからです。で、わたしがいいなと思ったのは、中学校でのとりくみだけじゃなく、校区の小学校にも出前授業をされているところです。つまり、それだけの連携ができているってことですからね。てことで、小学校時代から性の多様性、特に同性愛についての情報を伝えることの重要性を指摘しておきました。
次は三重のレポート。基本的には去年の日教組教研で聞いた話なんですが、今回は立場が違います。同じレポーターとして聞く時は「穴」を探すのですが、共同研究者として聞く時は「山」を探します。つまり「いいとこ探し」って感じかな。でも、それだけではだめです。てか、三重のレポート、いいんですよ。だから、「谷こそが山」であり「山こそが谷」なんですね。だから、そういう場所を探しながらレポートを読んでました。そんな中で思いついたのが「国際基準」です。というのは、三重のレポートの中で「世界人権宣言」に触れられているんですけど、それだけでは不充分なんじゃないかってことです。流れとしては世界人権宣言の教材をつくった時に考えたことを念頭においてます。てことで、「ジョクジャカルタ原則」のことを話したり。
あとは、やはりLGBTの問題を女性差別の問題とつなげなきゃなりません。そこで伝えたのは「LGBT「を」教えるのか、LGBT「で」教えるのか」って話です。まぁ鉄板ですね。つまり「ノーマルをつくることでアブノーマルが生まれる。ということは、アブノーマルを分析することでノーマルがどのようにしてつくられているのかがわかる」ってことです。まぁそんなあたりから、異性愛規範なんかを少し話をしてみたり。
それにしても、もうひとりの共同研究者の東さんはすごいわ。見事に分科会をまとめられました。
そんな感じで分科会も無事終了。

懇親会ではスーパー○ライしか並んでなかったので、わがまま言って黒ラベルを出しでもらったり。
2次会では「カリラ」を飲んでみたり。
3次会では泡盛を飲んでみたり。
でも、明日のことも考えなきゃ。とか思って、部屋飲みをすべく缶チューハイを一口飲んだところで気を失いました(笑)。

両側から壁を越える ー歌でたどる平和と人権の日本近現代史ー

今日は午後から第2のふるさとに出張です。中身は総会、わたしのターゲットは記念講演です。講師は古川正博さん
古川さんをはじめて見たのは、たぶん香川の全同教の時ですね。あの時ははっきり言って「なんだ?この人」って思ってました。ただ、その時は「この人」が古川さんとは知らず、古川さんを古川さんと認識したのは、クロスベイスの呑み会の時でした。それ以来、なんとなくいろんなところで会って、そのたびにあいさつ+しょーもない話をする仲になりました。で、全同教の「この人」と「古川さん」が同一人物であることがわかったのは日教組教研の時です。この時山口の人と飲んでて、そこにあの分科会の司会の方がおられて、なにかのはずみで「あれ、古川さんでな。とにかく歌おうとするからとめるの必死やったんやで」と言われて「あー、なるほどな」と。
まぁそんなこんなで「今日は絶対に行くぞ」と決めてました。
駅からの長い上り坂を歩いて会場に到着すると、総会開始前なのにすでに古川さんがギターを抱えておられました。
「ども」
ってあいさつしたら、別に驚いたふうもなく
「ここが地元ですか」
と返されたのですが、実は驚いてたらしいです(笑)。
で、総会もだいたいつつがなく終了。いよいよ記念講演です。タイトルは「両側から壁を越える」。これ、藤田敬一さんがよく引用する金時鐘さんの言葉じゃんと思いながら、まぁそのツッコミは入れないことにしました。
講演内容は、さまざまな人権問題を書き連ねた近現代史の年表に自分史と歌を重ねるものなんです。ただ「〜らしいです」という言い方をされるのが謙虚というかなんというか。もちろん、はじめに「自分は研究者じゃないなら」って前置きされていて、それを受けての話なんでしょうが。ところがそんな古川さんの語り口は、自分史がはじまるとガラリと変わります。特に中学校教員になってからのエピソードは熱い!まぁ、鶴見橋→我孫子南→大池と渡り歩いておられるし、教員になったのが1970年代ですから、生徒も教員も熱いですわな。それを笑顔で笑い話のようにされます。でも、聞いてる人間は圧倒されてます。
ずっと聞きながら、なるほどなーって思ったのは、ほんとにテーマは一貫してるんですよね。それは「視点を変えて見てみよう」ってことです。あるひとつの出来事を、自分(教員and/or加差別者)の側からだけ考えるのではなく、他者(生徒and/or被差別者)の側からも考えよう。考えられなくても想像しようってことです。でも、その「想像」はそう簡単にできるものじゃありません。そこで「出会い」が必要になる。
そういう話のところどころに「歌」が入ります。これがちょうどいい気分転換です。それにしても「里の秋」ってそんな歌だったんだ…。
終わってから、そこにいた高校教員が
「圧倒されるわ」
って言ってたので
「まぁそれは70年代の大阪の中学校やからしゃーないですわ。なので、圧倒されても、自分の経験や出会いの中でやればいいよ」
って答えておきました。
まぁでも、古川さんがみんなに好かれるの、なんとなくわかりました。

で、夕方から懇親会があるのでしばし時間つぶしをしながら、いろいろ裏話。そうかぁ、あの出来事の裏側にはそういう話があるのかぁ。

で、懇親会。参加者は基本的には支店長・副支店長・本部あたりのえらいさんですが、第2のふるさとではそのあたりは関係なしです。
おいしい中華料理をいっぱい食べて、ビール→紹興酒→日本酒→焼酎というダメダメなコースをたどって、9時におひらきです。
引っ越ししなけりゃここから5分で帰れたのに、これから1時間半かけて帰らなきゃならんのがきついな(笑)。

今回は本気を出した?・トランスジェンダー生徒交流会

今日はトランスジェンダー生徒交流会です。なので、11時頃に会場近くの駅へ。するとすでに集合場所には何人かの参加者と思しき人々が。とにかくこちらから
「いつきです。よろしくお願いします」
と声をかけて、さて困った。場所を知ってるのがわたししかいない。てか、今回はいつものサポートメンバーがかなり少ないんですよね。とりあえず初参加の親御さんに場所を伝えて第1陣の引率を頼みました。
うーん
今回はハードになりそうやな。
で、いつもの通り少し遅れて会場につくと、みんなで準備をしているところでした。MーさんとかSゅん輔がいててくれてほっと一息です。やがて買い出し隊のNほさんも到着。少しずつにぎやかな交流会がはじまりました。
今回のメニューはミートソーススパゲティとかぼちゃのサラダとオニオンスープ、そしてチョコフォンデュです。とにかく玉ねぎと人参とチョコを刻みまくりです。てことで、玉ねぎのみじん切りの仕方とか、玉ねぎのスライスの仕方とか、にんじんのみじん切りの仕方とか、そもそも包丁の使い方とかを教えるなど。で、あっち行ったりこっち行ったりしながら飲むのは炭酸水(笑)。今日はアルコールの量を減らしてみようというチャレンジです。
1時くらいにほぼごはんができあがって、ここでひといき。ようやくヱビスをプシュ。あー、うまい。
ミートソースだけではなんなので、冷凍アサリを使って「ボンゴレ的ななにか」をつくってみましたが、できあがったのは「アサリの焼きビーフン的ななにか」でした。たぶんスパゲティの太さが1.2mmで細すぎるんだな。さらにガーリックと唐辛子でペペロンチーノ的ななにかをつくりましたが、これまたパスタが細すぎで味がからみません。やれやれ。
そんなこんなで、あれをつまんだりこれをつまんだりしながら、ワインをグラス一杯いただいて、でも自己紹介タイムの打ち合わせです。
そして、時が満ちたところで自己紹介タイム。
今回はわたしも輪の中に入ることにしました。
長く交流会に来ている子どもたちが、新たな進路の中で自認する性での生活を達成していく一方、初参加の子どもたちが自分との対話をしていたり「壁」の前で立ちすくまされているのが印象的でした。
たぶん、たとえ小学生であっても、ここに来て話すことで自分との対話をしているんだろうし、「壁」とのやりとりの仕方も知らず知らずのうちに身につけていくんだろうな。そう考えると、やはり交流会ってのはやってる意味があるなと思います。
今回は常連メンバーが地元での行事を優先して不参加って話もありました。交流会をやってる側としては寂しいんだけど、それもまた大切なことです。なにしろ地元でうまくやっているからこその選択ですからね。そうやって、「つらい思い」を語っていた子が「楽しい近況」を報告できるように変わっていくのがうれしいし、そういう姿をまわりの人々が見ることが、また新たな「次の時代」を切り拓くことに」つながるんだろうな。
ということで、来年度の日程を発表して交流会も終了。
今回は人数が少なかったけど、いい話しあいができました。でも、食べ物が大量にあまったな。お持ち帰りだな。

その後、いつもの「幸楽」へ。ここで、ようやくお酒にありつきました。そこにあった「蒙古タンメン中本 辛旨焼そば」を食べたり、定番のポテサラを食べたり。ここでクールダウンというかヒートアップというか、さんざん遊んで、ようやく長い一日も終了です。